今回はみつけられたぞ
駐車場
 2回目の広島。前は、駐車場探しで2時間かけて、結局見つからず断念したが、今回は気合いを入れて探した。しばらくぐるぐる回ってやっと町中の狭いところにサーフがとめられる地下駐車場を見つけた。「よっしゃ!」と思ったら一方通行を逆進していた。「あら。」どっかのおばちゃんにいわれて気がついた。しかし、全然気にしちゃいない。そんなことはよくあることだ。知らない街では。
広島城
 広島城は、豊臣秀吉の五大老の一人である毛利輝元(元就の孫)が築いた平城である。
 輝元は慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いの後、萩に移され、清洲(愛知県)から福島正則が安芸・備後両国の領主として入城。しかし、元和5年(1619年)正則は洪水で破損した広島城を幕府に無断で修築したという理由から川中島(長野県)に転封され、かわって和歌山から浅野長晟が安芸一国と備後8郡の領主として入城。以後、明治維新までおよそ250年間、浅野氏が12代に渡って広島城主を務めた。
 明治4年(1871年)の廃藩置県以後、城内には徐々に軍の施設が設けられ、明治27,28年(1894/95)の日清戦争の際には大本営がおかれる。そして昭和20年(1945年)8月6日、原子爆弾により天守閣は倒壊し、そのほか城内にあった建物も全て壊滅してしまった。現在の天守閣は昭和33年(1958年)に復元されたものである。
なぜ広島という地名がついたの?
 もとは「五ヶ村」と呼ばれていたが、広島城が建てられるときにふさわしい名をと毛利氏の祖先、大江広元の「広」と輝元をこの地に案内した福島元長の「島」を合わせて「広島」という地名がついたといわれている。
なぜ広島は「カープ」なの?
 広島城の付近に「己斐(こい)」という地域があり、もじって広島城を「鯉の城」・・・「鯉城(りじょう)」と呼ばれている。広島東洋カープの名前はこの広島城の別名「鯉城」にちなんでつけられたそうだ。
ヒロシマの願い
コレガ人間ナノデス
原子爆弾ニ依ルヘンカヲゴラン下サイ
肉体ガ恐ロシク膨張シ
男モ女モスベテ一ツノ型ニカヘル
オオ ソノ真っ黒焦ゲノ滅茶苦茶ノ
爛レタ顔ノムクンダ唇カラ漏レテ来ル声ハ
「助ケテ下サイ」
ト カ細イ 静カナ言葉
コレガ コレガ人間ナノデス
人間ノ顔ナノデス
           原 民喜「夏の花」より
厳島神社のある
宮島
 船に乗らなければ行くことができないので今回は遠くから眺めるだけにとどめた。きれいな海にぽっかりと浮かんだ島はそれはそれは美しかった。
 
 宮島にある厳島神社は、593年(推古天皇元年)佐伯鞍職(くらもと)によって創建。平清盛の時代に現在の姿に造営。海に浮かぶ大鳥居は有名で、この宮島は、日本三景の一つであり、世界遺産に登録されている。
 また宮島は毛利元就が村上水軍の力を借りて大内家を守る陶氏を滅ぼした「厳島合戦」でも有名である。
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