やっとみつけた
高速道路
 朝、目が覚めてみれば周りは山。「なんだここは!」
そしてそこからさらにまたしばらく走り続ける。昨日の続き。
 「どこまで山が続くのや!!」あきれかえっているところにやっと高速道路を発見。東海北陸自動車道。「お金ケチらんでやっぱこっち行こ。」やっと楽になれた。
なあんにもないけどここが
関ヶ原
 石田三成の陣地へ行った。周りは何もない。だだっ広い田んぼに遠くに山々。だがそこにいると戦いの叫びをあげている兵士たちの声が聞こえてくるような気がした。
 「ここで戦が行われたんだ・・・」
 なんだか400年前の昔を想像していた自分がそこにいた。
 石田三成ここで破れたり!!
天下分け目の
関ヶ原合戦
 豊臣と徳川が運命をかけた大決戦。それは慶長5年9月15日、福島正則と宇喜多秀家の戦いに始まった。
 午前中は西軍が優勢であったが、正午をすぎて小早川秀秋らの反逆があり、西軍の意気込みがなくなっていく。そして、吉継、行長、秀家と次々と破れ、石田三成は最後まで戦ったが、ついに徳川の大勝に帰したのである。
時代は少しさかのぼって・・・
長浜城
 長浜は一度来たことがあった。しかし、前はここのだだっ広い駐車場に泊まっただけ。今回は少し勉強しようと再び訪れてみた。
長浜城
 ここは羽柴秀吉が、浅井長政を滅亡させ(1573年天正元年)、この地域の大部分を領地として与えられた。1582年(天正10年)清洲会議で長浜城は柴田勝家に譲られ、甥の勝豊が入城したが、その年の11月に秀吉は、勝豊を攻め、ここを柴田勝家との賤ヶ岳合戦の拠点とした。
 天正13年から5年間は山内一豊が在城したが、1606年(慶長11年)内藤信成(家康の異母弟)が城主となり、その子信正が1615年(元和元年)摂津の高槻城に移ってからは、湖北の支配の役割を彦根に譲り廃城となったらしい。
 今の長浜城は1983年(昭和58年)の再建である
長浜で存在を知り行ってみた
彦根城
 長浜城からわずか14kmなので行ってみた。
 中の急な階段を何個も上ってきた。
 近くには井伊直弼が生まれた家もあった。
 とにかく暑い中歩いたのでへとへとだった。
そしていよいよ
明石海峡大橋
 初めての四国へ。まずは明石海峡大橋を渡って淡路島。
 橋は世界一の吊り橋らしくさすがにでかい。
 料金が高いせいか、すきすきで快適ドライブ。
明石海峡大橋
完 成     平成10年4月
全 長     3,911m
中央支間長 1,991m
橋桁高    297m
通行料金   2,600円(普通車)
世界長大吊り橋の順位

1位 明石海峡大橋      日 本    1,991m
2位 グレートベルト・イースト橋 デンマーク  1,624m
3位 江陰長江大橋        中 国    1,410m
4位 ツインマ橋           中 国    1,385m
5位 ベラザノナロウズ橋     アメリカ   1,377m
明石といえば
たこ
 函館といえばいか。明石といえばたこ。食べてきましたよ。焼きだこ。こりこりして柔らかくてさすがにおいしかったですよ。
淡路で寄ったのはここだけ
パルシェ香りの館
 「せっかくの淡路や、どっか寄らなあかん。」ということでガイドブックで探したところ「風呂に入れる。」ということでここに寄ることにした。
 ここは、ハーブの店。いろいろな種類のハーブがおいてあった。なぜか富良野の銘柄の入ったラベンダーの香水なんかもずらーっと並べられていた。なんか変な感じ。
 ここにハーブの湯というのがあったので入ってきた。
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