1993年もあと数時間で終わろうとしている。 釧路沖地震に明け、未曾有の冷害凶作、そしてガットウルグアイラウンド合意 に伴うコメの部分関税化および澱粉、雑豆、乳製品の関税化受入れ、自民党単 独政権から与野党逆転の連立政権誕生の年は、農業生産に携わる人たちにとっ て、まさに激動の年でもあったといえる。 1955年、加盟35カ国によるガット決議によってアメリカが獲得したガッ ト上の半恒久的な義務免除特権、いわゆるウェーバー条項がなおも生きている というのに、世界一の農産物輸入国である日本がコメの部分関税化を受諾して しまった。 ちなみに、現在のガット加盟国は103カ国、今回のガット合意に至る紆余曲 折を見ていると、他国間交渉というよりも、むしろEC、アメリカ、日本など による経済ブロック同士の駆け引きそのものであったように思える。 政府の貿易交渉が国会決議を優先してしまうというのも茶番ではあるが、農業 生産の現場に長年減反政策をかし、あるいは他用途利用米の生産に協力しても らってきた農政が、土壇場になって生産者を裏切る決断に同意してしまった。 コメばかりではない、ガット交渉のために自ら生産調整を続けてきた他の農産 物生産者たちにとっても、澱粉、雑豆、乳製品の関税化、すなわち市場解放は まさに死活問題なのだ。 農業問題が未曾有の凶作とコメの部分関税化受入れという国民的関心の高まり の中で、あらためてクローズアップされるようになってはきた。。 と、ここまでは農業業界新聞などが論評しそうな話なのだが、インターラクテ ィブな都市と農村の関係について考えてきた【電直】の立場から言うと、食料 生産の現場にとっての死活問題とは、実はそれを糧として社会活動を行う都市 生活者にとっても重大な問題だということをまず指摘せねばならない。 都市生活者が9割という日本の今にあって、農民たちが「農産物市場解放、断 固反対!」を叫ぶ姿や国会への突入シーンがそれを見つめる人々の目にどう映っ たことか。 一枚岩であるかのような農民たちの団結の姿ではあるが、個々の農民にとって の怒りは同じであろうとも、その怒りの矛先となると思いは複雑に違いない。 絶えず産地間競争にさらされ、JA同士がマーケットへの食い込みに凌ぎをけ ずる、基盤整備という公的事業はその事業を請け負う業者には間違いのない恩 恵を与えはするが、その事業を受入れた農民たちは見通しの立たない資金償還 に頭を抱える。 農政もちぐはぐだが、農政の出先事務に忙殺されつつ、強いJA、弱いJAが 生まれていく構図に、一枚岩の団結が痛々しくも思えてしまう。 一体、誰のために食料生産を行っているというのだろうか、農業生産への意欲 を失っていく農民たちの憤りは、農政だけに向けられているものではないと思 うのだが。 最後に笑う者を目指すのが農業の姿だというのだろうか、生産と消費の接点を 著しく欠いた世の中では、生き残りがゲームの勝者のごとき賛美に置き代わっ てしまう。 卵が先か、ニワトリが先かではないが、農業人口の減少と互助組織農協の変遷 と大量物流への適応とは、混然一体となって進んできた。 大量生産、大量消費への対応を農民組織JAがとらざるをえなかったのは、こ れほど農業人口が減ってしまった今となっては、いたしかたのなかった選択で はあったろう。 ただ間違いなくいえることは、農産物を介しての生産者と消費者との接点がし だい遠ざけられ、本来求められるべき信頼関係の相手が見えなくなってきてい ることだろう。 もし都市生活者たちが「農業・農村の業界体質の問題」と対岸の火事気分で眺 めているのなら、それは「農業」が生産活動を通じて食と農は本来、どういう 関係で結ばれるべきかをなおざりにしてきたツケ回しそのものだ。 と同時に、自分達が何を食べているかも分からないままに、「市場部分解放も やむなし」とうなづいてしまう消費者像というのも、情報疎外の囲いこまれて しまった生活者そのものではなかろうか。 情報化時代なんて言われてはいるが、マスコミのたれ流し情報にしか頼る事の できない時代のどこが情報化時代だというのだろう、まさに「情報が化ける時 代」とも言える。 そんな中、【電直】をめぐる前向きの動きをお伝えしたい。 「電子的産地直送【電直】」において、2年前より呼び掛けてきたLS2、す なわち「生活者ネットワーキング」実現に向けての胎動についてだ。 パソコン通信で何ができるか、片田舎に暮らしながら、そして農業生産者とし て暮らしながら、僕の関心はパソ通を始めた当時と何等変わりはない。 【電直】というテーマで、農家が既存の流通では知る由もない食べてもらった 人からの生産へのリアクションの喜びを知り、生産者として、あるいは片田舎 に暮らす一人の人間として、思いの丈を伝える場を見出し、多くの人たちと出 会う幸せに恵まれた。 「電直」という言葉がとうとう現代用語の基礎知識に載った、もちろん「電直」 が当初僕達の手掛けようとしていた生産物を媒体とした情報流通、意志疎通、 共通理解への道とは趣きを異にしたものであろうとも、パソコン通信を利用し てこうした試みがあることが紹介されるようになった意味は大きい。 このボードが誕生してから5年の歳月が流れている。。 【電直】では、生産者と消費者がオンラインネットワークを通じて出会い、そ して生産物を交わすことにより、生産者が、あるいは消費者の実像がいかなる ものであるのか、相互理解の糸口となることを学んだ。 ところが、双方の関係が「点と点」の関係に留まり、あるいは「一生産者と多 数の顧客」という産直と同類の域から前に進めないという壁がわかってきた。 【電直】で扱われる「宅配便」についても、それを手掛ける生産者の苦労と、 流通コストの大きさを考えると、「点と点」の関係もさらに狭められてしまう。 僕達の【電直】が目指すのは、信頼関係で結ばれた生産者と消費者、食と農の 関係なにだから、もっと幅が広く、しかも農業の存在意義、食と農の関係につ いて関心を持つ人たち同士を結び付けていくことはできないものか、そんな期 待をこめて提唱したのが「LS2(Live Space Sharig)構 想」だった。 「点と点」の関係から「面と面」の関係づくり、その方法論を模索しながら2 年の月日が流れてしまった。 どんな方法で「面と面」の関係づくりができるのか、2年のモラトリアムの末 に始まったのが「LS2に向けてのネット間交流」である。 1993年12月11日、十勝に「食と農のネットワーク・とかち」という会 が発足した。 会員は、オンラインネットワークで知り合った農業生産者、地域問題研究者、 行政関係者、そして遠く東京、大阪からこの呼び掛けに賛同してくれたネット ワーク応援者たちだ。 異業種交流会とも違う、いわば「食と農」に深い関心を持つ人たちの集まりで ある。 ネットワークを単なるオンラインネットとせず、食と農という関心で結ばれた 「ヒューマンネットワーク」であると位置付けし、オンラインネットをインフ ラとして活用し他地域のヒューマンネットとネット間交流を行う、これがこの 会の目指す「ネットワークづくり」である。 ネットワークとは人と人のつながりだ、オンラインネット網に参加している事 がその広がりを制限しているのなら、オンラインネット参加者が情報の橋渡し 役となって他のメンバーに伝えていけばいい。 農業問題や食料問題をマスコミ解説に委ねるのではなく、自分の手で求め、自 分の手で提供していく、これが「LS2ネットワーキング」だ。 「食と農のネットワーク・とかち」の面々は、もちろん参加しているオンライ ンネットワーク網もそれぞれだが、互いに重なり合ったネット網を通じて、バ ケツリレー式の相互連絡を取り合っている。 そして今、神奈川県の第三セクターネットである「K−NET」との地域間交 流をスタートさせている。 もちろん、都市と農業生産地帯に暮らす人たち同士がお互いの情報を伝えあい、 マスコミが伝えない生産現場、消費現場の実際を知り、点と点の【電直】から 一歩踏み出した「面と面」の【電直】を目指そうというわけだ。 メッセージ投函口としてのネットはあくまで入れ物に過ぎない、ネットワーキ ングできる人の集まりこそが「ネット」なのだ。 LS2ネットワークとは、各地に「食と農のネットワーク・**」が誕生し、 そうしたネット同士がオンラインネットワークを通じて、自分達の食と農の空 間づくりをしていくことでもあるのだ。 サービス偏重の「グリーンツーリズム」とか「ファームイン」じゃなく、他人 の親戚づきあいで生産物と人が都市と農村、農家を互いに行き来する、【電直】 もネットという広がりを利用して流通コストを生産者、消費者相互に還元しあ う。 忘れてならないのは、食と農の関係がお互いを支えあう、つまり信頼で結ばれ たお互いの生活を共支えしていく関係を他人の親戚づきあいの中から築いてい くことである。 LS2構想を提唱した当時、「理想論だ」と冷ややかな受け止め方をされた方 もいた。 しかしながら、飛ぶ鳥を落とす勢いの「経済成長神話」がバブル崩壊で崩れさ り、工業社会がもたらす豊かさとその一方で鮮明になってきた豊かさのツケ、 エネルギー、環境、食糧問題、20世紀型のパラダイムが転換の時を迎えてい る。 食と農のネットワークづくりをきっかけに、LS2構想がパラダイムシフトへ の一歩を踏み出そうとしている。 堀田誠嗣目次へ ホームページへ
食のエッセイ>パソ通からネット間交流へ 1994/ 1/17
パソコン通信が市民メディアとしてスタートとして、やがて10年という歳月 を迎えようとしている。 僕がパソコン通信を始めたのが1988年のことだから、それでも6年目とい うことになる。 1988年当時は、僕の暮らす田舎ではパソコン通信を手掛ける農家といえば 本当にわずかだったが、6年もたつとそれなりに仲間が増えてくるものだ。 そんに仲間たちが、農家、非農家の枠を越えて昨年12月に「食と農のネット ワーク・とかち」という集まりを作った。 単なるオフラインミーティングに集まる仲間じゃなく、パソコン通信を自分た ちの目標とする社会づくりのために活かしていこうというネットワークだ。 6年目にして、僕はパソコン通信がこれまでの個人が個人として楽しむという スタイルから新しい方向への楽しみ方に移行してきているということを身を持 って感じている。 例えば、僕はここ電子的産地直送【電直】というボードにおいて、その時々の 農業や食料生産現場の話題を提供してきたつもりだが、「パソ通フリークの一 農家の道楽」としか思われてないんじゃないかと、ふとそう感じてしまうこと がなかったわけではない。 パソコン通信がパーソナルな情報交流の手段として利用され、ある時はいさか いを生み、ある時は罵倒を呼びあってきた。 なるほど、個の発露が匿名性という環境のもとでその憂さをはらすかたちで他 にぶつかる、これも当たり前といえば当たり前の事かもしれない。 しかし、僕たちがパソコン通信をネットワーク間交流の道具として利用するよ うになったここ一ヶ月ばかり、同じ情報交流でありながら、一つのネットワー クの一員として、パートナーネットワークと接した時のリアクションは、これ までのパソコン通信イメージでは決して味わえなかったものばかりだった。 個と個のパソコン通信から、目的意識を持った者どうしのネットワーク間のパ ソコン通信、これはマンネリともこの程度とも言われるパソコン通信に新風を 巻き起こす、そんな気さえしてくる。 言ってみれば、「パソ通」から「ネット通」へのフェースアップである。 孤立した点と点の結び付きから、やがて近隣の点と点が一つの面を作り出し、 今度はその面と面が地域間の交流を目指すようになる。 僕の予想では、PC−VANやNIFTYといった大手の全国ネットは情報イ ンフラとしての電子メール的な利用に比重が移り、これからの旬はやはり各地 域が第三セクター的に開設する中規模ネットへの関心が高くなってくるような 気がしている。 それは、地域情報の媒体として、あるいは地域に根差した生活情報をお互いが 交換するというパソコン通信利用の時代を迎えることでもある。 かつてグローバルビレッジには、「頬寄せてアクセス」という合言葉で、パソ コン通信のスタイルを提案したことがあった。 夫婦そろってパソコン通信、いわばライフスタイルの一つとして暮らしの中に パソ通がある風景、これが「頬寄せてアクセス」の提案だった。 地域密着型の中規模ネットワークへの関心の高まりは、ここに来てまさに生活 の中にとけこんだ「頬寄せてアクセス」時代の到来を告げるものといってもよ いのではないだろうか。 「食と農のネットワーク・とかち」という集まりが誕生したのも、こうした時 代の流れに決して無関係ではない。 ネットワークというと、PC−VANとかNIFTYとか、あるいはローカル BBSというパソコン通信ユーザーを収容する入れ物みたいなイメージがつき まとってきた。 つまり、パーソナルにテキスト通信を楽しむ受け皿、それがネットワークなの だと。 ところが、パソコン通信人口が増加し、バブル崩壊を契機に生活の質に対する 関心の高まりとも合まって、これまでの「電路網」としてのネットワークから 暮らしの関心事を共にする市民ネットワークとそのための情報インフラとして の「電路網」という割きりが芽生えている。 SIGやフォーラムにおける花形ライターの競演から、共通関心を持った仲間 たちが自分たちの生活に根差した情報交換を電子メールの同報機能をフルに活 用して独自のネットワークを生み出す、そんな時代に入ってきているのだ。 マスメディアに流れる情報は、たゆまなく発生する諸事のほんの一部分でしか ない。 その好例が、昨年末のガット合意に見られた「なんとなく伝わってきて、なん となく分かったつもりになって、なんとなく結末が見えてしまう」というタイ トルヘッダーの棒読みみたいな現象だ。 野次馬的な関心を引くニュースヘッダーはたくさん並ぶが、そのほとんどがロ ーカル駅を通り過ぎていく特急みたいに乗っている人の顔が判別できないのだ。 どんな乗客が何を話しあっているのか、さっぱり見えてこない。 ほどなく、特急は停車駅に着いて乗客の一部が降りたらしいことが伝わる。 蒸気機関車から超特急に変わり、輸送量は飛躍的に向上したにも係わらず、沿 線でその通過を眺めているばかりの私達の日常がどれ程変わったというのか。 頻繁に行き交う猛スピードの列車の騒音に、半ばあきらめているようなものか もしれない。 もちろん、私達には超特急は止められない。 ただ、各駅にどんな乗客が乗り降りしたかを伝えあう情報ネットワークは持て る。 これこそが、パソコン通信を手段として活かす市民ネットワークの姿に他なら ない。 「食と農のネットワーク・とかち」の仲間たちは、神奈川のユニークなネット ワーク「K−NET」との情報交流を通じて、食と農、生産と消費の世界に新 しい情報の流れを作り出そうとしている。 個と個を基本単位としながら、地域間、ネット間の情報流通が何をもたらすの か、生活者の時代をパソコン通信がつなぐ日ももうすぐだ。 堀田誠嗣目次へ ホームページへ
毎年、1月中下旬に農業情報利用に関心を持つ人たちが全国から集まってきて、 大会が催される。 全国規模の大会はいろいろあるが、農家が情報について議論しあう全国大会は 他に類をみることはない。 今年も1月22〜23日、宮城県亘理町を会場に「第6回農業情報ネットワー ク全国大会」が開催された。 僕も昨年こそボランティア刊行の「十勝大百科事典」の編集作業に忙殺されて、 参加できなかったが、第2回土浦大会以降参加させていただいている。 (十勝大百科事典は、昨年創設された北海道文化選奨の特別賞をいただいた) 以前は、「全国農業情報パソコン通信大会」と名乗っていたが、昨年の愛媛県 内子町での大会から名称が「農業情報ネットワーク全国大会」に変わった。 この大会を主催する団体は、農業情報利用研究会といい、農家、大学、研究機 関、行政関係者、その他農業情報に関心をもつおよそ1,000人の会員を持つ。 第4回北見大会においては、僕が呼び掛けてきているLS2(Live Space Sharing)について討論する「農業者と消費者で生活空間の共有を考える」とい うパネルディスカッションも行われた。 今回の亘理大会では、二日間で4,000人という来場者を数えたそうだ。 地方の中核都市での開催ならともかく、町村規模の開催地で4,000人が集うと いうことも、農業における情報への関心の高まりを物語るものかもしれない。 回を重ねて6回目の大会ではあったが、今大会における最大の収穫はなんといっ ても「言葉の定義がまったくなされていない」という宮崎I・B・Cの一ノ瀬 氏の指摘ではなかったかと思う。 農業基本法にも、それから農業協同組合法にも、「農業」という言葉の定義が ないという指摘だった。 なんとも雲を掴むような話かもしれないが、この「言葉の定義がなされていな い」という問題は、実は大変大きな問題なのだ。 例えば、食料問題、コメ問題で国内農業擁護派と農業市場開放派による討論番 組がしばしば行われてきたが、そのどれもが話の平行線のまま終わってしまう のは、「農業」がその言葉の意味を使う人それぞれの解釈によって論じられて しまうからに他ならない。 言われてみて「農業基本法」を読み返してみたが、やはり「農業」とは何なの かがその基本となる法律に定義されていない。 同じ様に、この大会では毎回「農業情報」についてのフォーラムが企画されて きているが、そのパネル討論に参加する人たち、生産者、農協、試験研究機関、 行政(農林水産省)それぞれの話が毎度のことながら噛み合わない。 それぞれが、それぞれ「農業情報」についての解釈な基づき、自分の領域とい うか、守備範囲で同じテーマについて議論しているわけで、「あーしろ、こー しろ」、「私達はしかじかをやっている」と、討論を聞いている方がうんざり してくる。 そんな話に限って、「データベースの構築」とか「情報の公開」などという重 箱の隅をつっつくような深みにはまっていく。 これじゃ、いくら農業についての理解を消費者に求めようとしても、肝心の農 業関係者の間ですら縄張り争いをしている始末だから、理解せよというのが無 理な注文というものだろう。 農業とは何を目的とする産業なのか、そしてそのためにはどんな国民的合意が 求められねばならないのか、立て割り行政とJAのピラミッド構造は枝葉の議 論は盛んにやるが、「食と農」の根幹に立ち返った「農業」の定義にさっぱり 手をつけようとはしない。 亘理大会の閉会を待たずに、僕を含めた「食と農のネットワーク・とかち」の 面々は昨年から交流を始めた神奈川の第三セクターネット「K−NET」の生 活向上会議、それから神奈川農業サロンの皆さんとの交流会へと向かった。 このボードにも農業サロンのマネージャーをされている晴耕雨打さんがLS2 についてのご意見を寄せていただいている、LS2に賛同し、そして食と農の ネットワークづくりを目指す人たちが「人的ネットワーク」に本格的に取り組 みはじめている。 通信、情報というと、「すわっ、マルチメディア!」を思い浮かべる人はたぶ んかなりの情報通だろう。 マルチメディアの時代、マルチメディアの情報機器がライフスタイルに変化を もたらすことは疑いのないことかもしれない。 でも、マルチメディアは生活の利器の一つに他ならず、情報を伝えあう手段に 他ならないことを忘れてはならないと思うのだ。 その基本はあくまで人間と人間がいかに相手を理解し、意志を伝えあうことが できるかであり、「人的ネットワーク」とはそうした関係で結ばれた共生のた めのしくみではあるまいか。 神奈川の人たちとの交流会では、お互いに「新聞、雑誌では決して目にするこ とのできない日々の暮らしを知らせあいましょう」という意見の一致にいたっ た。 新聞メディアは、記者取材の2割しか紙面に載らないと言われている。 僕たちは生産と消費の関係をネットワークという視点で見つめなおそうとして る。 その理由は、相手を知るすべがほとんどない状態では誰をパートナーとしてい るのかも分からないまま、不幸な誤解が食と農の分断を招くだけだと思うから だ。 経済合理的な考え方に立てば、「消費者の利益」という、いわば「個の利益」 ですべてが幸せになってしまうような錯覚に陥ってしまう。 これは間違いだ。 なぜなら、人間は「個」のみでは生きられないからだ。 農村は農産物を生産する「工場」ではない、そこに人々の暮らしと文化が育ま れ、農作物を通じて日々の生活の糧を生み出し、信頼と安心の絆によって土を 守っていくところに価値があるのだと思う。 もし、「消費者の利益」が農村の存在を限りなく脅かしていくなら、もはや日 本という国の住人は流浪の民でしかない。 マルチメディアに囲まれて、マスメディアの作り出す世界に没入するもよし。 ただし、食と農のネットワークで結ばれた人たちは自給自足、物々交換といっ た前時代的とも思われる手だてを用いても、きっと「生活者の幸福」に目を向 けていくに違いないだろう。 もちろん、マルチメディアをそのための利器として用いながら。 堀田誠嗣目次へ ホームページへ
昨年12月より、神奈川の第三セクター運営のK−NETにある生活向上会議 というサロンに参加している。 「食と農のネットワーク・とかち」がめざすネット間交流のパートナーネット 第一号である。 パソコン通信という名前をいただいてしまった不幸に、きっと「個人」の世界 という先入観、あるいはマシンとしてのパソコンのイメージがついて回ること があるかもしれない。 また、大手ネットワークのデータバンク的な情報サービスの売りとして、コミュ ニケーションを楽しむ通信人口よりも、情報の森を探索することに悦を覚える 通信人口に照準が向けられている観がなきにしもあらず、である。 通信人口が150万人とも200万人ともいわれながら、読む、探す楽しみで パソコン通信が落ち着いてきているのは、やはり与えられた情報の受け手の側 にいるのがメディアだという刷り込みのせいだろうか。 大手ネットワークの妙な「落ち着き」に、パソコン通信のマスメディア化を感 じずにはいられない。 ところがだ、どうやら通信ネットワークか着実に棲みわけが進行しているらし い。 ローカルBBSの「5時から交友録」的なノリ、大手ネットワークの読み切り メディアみたいな落ち着き、そしてこれからの旬はやはり「生活感ただよう地 域密着型ネットワーク」じゃないだろうか。 読み切り情報と花形ライターたちの競演を見るのなら「全国ネット」、ただし そこには趣味や実務、あるいは個人的関心事への盛り上がりはあっても、家族 的な生活感覚はほとんど感じられない。 ジャンル的な専門ネットも地道な活動を展開しているが、双方向的でアットホー ムでなおかつ社会還元が可能なフットワークを秘めているのが地域ネットとい えるかもしれない。 K−NETは、ビデオテックスとテキスト通信を融合させた地域型のネットワー クだが、そのスタイルにはローカルBBSとも全国ネットとも違う活気を感じ る。 「食と農のネットワーク・とかち」がその交流先のネットワークとして、K− NETを求めた理由も生活感、地域感に共感したからでもある。 「食と農のネットワーク・とかち」のメンバーたちは、IDという切符の他に 「食と農のネットワーク・とかち」というパスネームを添えながらK−NET に参加している。 いつの日か、K−NETの中に「食と農のネットワーク・よこはま」や「食と 農のネットワーク・ひらつか」が誕生し、ヒューマンネットワークとしてのネッ ト間交流が芽生えてくれたら・・・、これがLS2交流の意味でもある。 地域の話題、我が家の暮らし、そして食と農にまつわる疑問や回答、けっして マスメディアでは取り上げられることのない地域の表情、暮らし、まさに双方 向通信が生活のインフラとして輝きだそうとしている、そんな気がする。 僕たちのネット間通信には、お互いがLS2を意識することの意味と、そして もう一つ、物理的ネットワークの外に収穫物をおすそ分けしていきたいという 思いが込められている。 コメの不作とガット合意、食料についての関心が否応無しに高まりながら、そ の一方で知りたい情報がなかなか伝わってこない、そんなもどかしさがヤミ米 の高騰とともに気持ちをいらだたせる。 食とは、農とは、そしてその現実とは、地域を超えた生産と消費のオンライン 遭遇はまさに「目覚めの時代」そのものとも言えるだろう。 先日、十勝大百科事典が北海道地域文化選奨特別賞を受賞したのをお祝いする 会があり、共に一冊の事典づくりに苦労を重ねたS先生とこんな話をした。 「むかしは井戸を中心に近所のつながりがあったよね、井戸端会議っていうの は社会の一つの在り方でもあったわけだ」 「ところが、立派な建物が建ち情報がとびかう時代にはなったけれども、井戸 端会議がなくなってしまった」 「それが本当に幸せなことなのかどうか、案外わたしたちの暮らしに必要なの は井戸なのかもしれないね」 団地の中に井戸を掘れというわけじゃもちろんない、疎遠という暮らしに囲い こまれた社会に井戸端会議のちょっぴれ猥雑でお隣さん感覚に満ちた出会いを もたらす「井戸」のことだ。 LS2というのも、見方を変えれば殺伐とした情報ジャングルに命の水を湛え た井戸といえるかもしれない、そうありたい。 パソコン通信に「旬」を見つける、おいしさはいつもみずみずしい。 堀田誠嗣目次へ ホームページへ
平成のコメ騒動も「買えない行列」と「食べなれないタイ米不評」というニュー スタイトルが沈静化の気配を見せつつある。 ガット合意に基づくミニマムアクセス受諾により、日本がウルグアイ協定を批准 すれば、今後食卓と外米の関係が切れることはなくなる。 折しもコメ不作とウルグアイラウンド妥結という事件が時を一つにしてしまった 不幸もあるが、行列ができるほどの騒ぎが起こった割にはコメと表裏一体の農業 に対する支援の世論が高まらないのはいささか拍子抜けである。 輸入米の味に対する評価とか抱き合わせ販売の賛否にはマスコミ各誌の注目が集 まったかたちだが、「作況指数70」、もちろん東北のように極度の不作に見舞 われた地帯もあったにせよ、平年の七割はとれている国産米が店頭から姿を消す ことの理不尽さ、これは外米の必要性を意図的に誇示しているようで釈然としな い。 と思ったら、ソ連邦の崩壊前夜の統制経済システムとあまりに似ている事に気付 いた。 国営マーケットの陳列棚には品物がほとんど並ばない、ところがこれはモノがな いわけではなく、ヤミ市場、すなわちフリーマーケットにはちゃんと商品が流れ こんでいたわけだ。 ソ連邦は崩壊したが、時代にそぐわない日本の「食糧管理制度」の建前は役所の 威信も手伝ってか崩壊の矛先をコメ輸入に向けようとしているかのようだ。 やはりというべきか、安い価格で輸入されながら割高に販売され、しかも「まず い」と不評をかっている日本のタイ米輸入がタイ国内に深刻な影響をもたらしは じめている。 タイ国内のコメ価格が急騰し、貧しい農村でコメが買えずに子供たちが栄養失調 に陥っているとの報が伝わり始めた。 セット販売されているタイ米は、国産米を食べるためのおまけと割り切って捨て る、なんて話もまことしやかにささやかれているそうだが、「農」の心を持ち合 わせない哀れな民の蛮行としかいいようがない。 「まずい」と評されたタイ米が、その母国では栄養失調という事態を招いている 事に飽食と金満の民は心の痛みを感じないのだろうか。 連合は日本のコメ自給放棄の方針を打ち出したそうだが、労働運動の様変わりと いうか、労農提携も死語になってしまったのかとその変貌ぶりに「まずいタイ米」 がなぜか重なってしまう。 「情報スーパーハイウェイ」とか「マルチメディア」という言葉がマスコミに登 場しない日がないくらいではあるが、仮に情報スーパーハイウェイが日本の家庭 に根を下ろしていたとしたら、コメの行列騒ぎは起こっていなかったろうか。 情報量とか伝達媒体が飛躍的に進歩したとしても、そこに流れる情報の質や送り 手、受けての姿勢が旧態依然の状態では物質文明に酔いしれてバブル崩壊を招い た道のくり返しになるような気がする。 原発が電気を生み出すことよりも、核というテクノロジーを扱うことに巨大な利 権を生み出したように、情報スーパーハイウェイがいったい何をもたらすのか、 光ファイバー網の利権に群がるオオカミたちの餌になってしまったのでは、飽食 の民の時代錯誤は覚めることはない。 農業生産国であるアメリカ、そのアメリカでも毎年27万人もの農民が離農して いる事実は何を物語るのだろうか。 まさに農業が「ビッグビジネス」にとって替わられる時代、しかし、本当にそれ が食い物を口にして仕事のために生きる人間たちにとって好ましいことなのかど うか、僕には疑問なのだが。 数多くの農民が離農していくという事態とは、経済合理性にかなった大農場が生 き残っていくというコストパフォーマンス礼賛の一方で、農産物イコール食べ物 という農の良心も淘汰されていくことに他ならない。 残ったものがすべてにおいて「好ましいものばかり」と考えることは愚かなこと だし、そこから発せられる「情報」がその不安を果たして解消させるものなのか どうか、大本営発表の情報が幾多の悲劇を招いた史実が脳裏をよぎる。 経済原理の農業へのあてはめでしばしば誤解を生むのは、落ちこぼれ農家が淘汰 されていくことによって好ましい農家が規模拡大をし、生産性の高い農業が生ま れるという神話だと思う。 確かに第二次、第三次産業では企業間競争の敗者は淘汰され、市場での生き残り 原理が消費社会への恩恵をもたらしているのだろうが、そこには倒産という淘汰 が働く一方で起業という再生が同時に進行していることを見落としてはならない。 農業に企業的転換を求める声を誰が発しているのか、どんな理由でそれを発して いるのか、漠然と「世論」などと片付けてしまう前に自らに問うて欲しいという 願いもないではない。 さらに、今日的な農業への「生き残り競争」を求める期待に水をさして恐縮では あるが、「競争力のある農業」を淘汰だけで成し得るとお考えなら、それはまっ たくの片手落ち、事実誤認のそしりを免れないのではないだろうか。 「競争力」が量と質の兼ねあいをどう折り合わせていけるかという問題もあるの だが、農業に企業性を求めるのなら農家(経営体)の数が減少の一途をたどる事 はそのまま「競争力」となっていくはずはない。 生存競争が「経済原理」の格好の寓話に引き出されるが、生き物の世界の「生き 残り」とは食物連鎖という摂理によって平衡を保ったものであり、その前提とし て「種の多様性」、つまりいろいろな種類の生き物がそこに存在している場に成 り立っているわけだ。 肉食獣は必要以上に獲物を求めないし、種の絶滅もあれば、一方では変異による 新種の誕生も進行する。 ところが、今の農業への「期待」というものには「巧者の生き残り」による見掛 け上の「消費者の利益(安い農産物)」ばかりが強調され、離農と就農、倒産と 起業の二面性も、それから「生産の多様性」をなおざりにされている。 生き物の世界では、「多様性」が失われればその生態系は崩壊する。 その好例が、単一作物が見事に植え付けられた「農地」であり、病害虫や雑草と いう人間にとって甚だ不都合な生き物の蔓延を人為的に管理せねばならない宿命 を背負うことでもある。 農家の数が減るということは、その人為的管理をも省力化の手段に打って出ねば ならないことなのだし、それは「食の安全性」に背を向けることにつながる。 人口増加と食糧不足という21世紀の難問を目前に、世界各国の農業が困窮と離 農にあえぐのはなぜだろう。 コメの不作をマスコミの報道をネタに評論家ぶって論じても、苗づくりも知らな ければ雑草の苦労も知らない人にどれほどが理解されていようか。 もちろん、「消費者よ、コメを作ってみろ」と開き直るつもりは毛頭ない。 ただ、コメ(ばかりじゃなく、農作物すべて)はシステムが作っているわけでは なく、自然の恵みと人の手が作っているということの意味を食べる人はもっと大 事にして欲しい、これなのだ。 残念ながら国産米への執着ばかりが騒ぎの表舞台にあがってしまい、食べ物を生 産する農業の現状、そして農民たちが抱く不安への思いやりはすっかり「農政任 せ」にされてしまった感じがしてならない。 こんな僕の感じ方だって、マスコミ報道からの僕の消費者観からなのだから、も し違っていたとしたら申しわけない限りなのだが。 それだけ「生産と消費」の間をつなぐ糸はか細く頼りないということの証しなの かもしれない。 それにしても、平年の七割のコメ収穫を生活の知恵と我慢で凌げないばかりか、 タイ国内のコメ事情を困窮させ、しかも「タイ米はまずい」と平然と言ってのけ る日本人のどこが情報大国人間なのだろうか。 「情報スーパーハイウェイ」という時代の兆児が何をもたらすかは未だに見えな い部分が多々あるが、生活の場を異にする人間の存在を見過ごして不平不満を平 気で並べたてているようでは、せっかくの「ハイウェイ」もスピード狂の遊び場 がせいぜいではなかろうか。 「生産」と「消費」という同時進行の営みがどう結ばれていくのかにその真価が 問われてこそ、本当の「インフラ」となっていくことの目安のような気がする。 頼りない「生産と消費」の糸をたぐって、「食と農のネットワーク・とかち」の 面々もマルチメディアに向けてのソフト作りを始めたところだが、目的と手段の 取り違えをしないこと、すなわち「信頼に基づく共存、そして情報」であること を絶えず反芻している。 堀田誠嗣目次へ ホームページへ
先日、テレビの選挙改革のニュースの解説を見ていたら、聞き手が思わず有権者 と言うべきところを「消費者」と言ってしまっていた。 意図的に用いたとすればかなりのブラックユーモアだと感心するのだが、そこま での深慮はなかったようだった。 しかしながら、有権者が消費者と置き換えられてもいたく納得してしまうところ に、「囲いこまれし者、汝の名は消費者なり」の大量消費社会、すなわち生産と 消費の分断に生きねばならない近代人の性が見えてくる。 いくら「生活者の時代」を標榜しても、生産の現場から物理的にも情報的にも離 れたところに生活の場を構え、大量物流のプライスメカニズムとマーケッテング の妙技に翻弄された消費生活を送らねばならない人が大多数を占める国家にあっ ては、それはあくまで「都市生活者の時代」でしかない。 しかるに、「生活者の時代」とははあたかも国民主権という建前が語られるが如 きであるかのようであり、自らを自立する一生活者と名乗りたい反面で、何かし ら誰かに手玉にとられている有権者の感覚に通じる悔しさをにじませてはいまい か。 知的生産を主とする「都市」という空間にあって、有機農産物を熱心に求めるよ うな大量物流からの離脱を願う人たちが本当に「生活者の時代」を自ら切り開い ていけるものなのかどうか、圧倒的なマイノリティーになってしまった農業生産 者の立場からすると甚だ疑問に思える。 これが日本という第二次世界大戦後のめざましい工業経済成長を成しえた小資源 国というお国事情だからというのではない。 鉱業資源転換成型のハードとソフトという感覚が、実は「人は従属栄養生物の一 員であり、生きることは食らうことである」という人間の野生味を麻痺させてし まう、都市の肥大ということは生産と消費の関係を農的尺度から工的尺度にシフ トさせていく過程にほかならないのではなかろうか。 それが結果的に貧困にあえぐ過疎地と「うさぎ小屋」に象徴される押し込められ た寝食環境に通勤ラッシュを伴った労働空間に象徴される「地方と都市」の時代 をもたらした。 押し込められた寝食環境、それに見事に適合する大量物流戦略、有機農産物志向 に傾く都市生活者の姿には、地震のメカニズムのようにたまった歪みが復元する 時のエネルギーに似たものを感じてしまう。 工業経済的ソフト生産を主とする肥大した都市を支えるための大量物流、それに 合わせるかのように変身を余儀なくされてしまっている農業生産、いくら消費者 が「質」を農業生産物に求めようとしても、「量」の生産で諸外国からの農産物 との価格競争にさらされ、「産地」という名のレッテルで生計を立てていかねば ならない農業であっては、その確保には自ずと限界がある。 その安い輸入農産物にしても、それを生産している諸国の農民たちが経済的に恵 まれた生産をしているかといえば、そうとも言えない。 どの国の農民も絶えず「農業存亡の危機」の中で農業生産を行っていることには あまり目が向けられてはいない。 「安い農産物」、これは大量物流の時代ではほとんどの農産物が量の尺度で価格 決定されていく宿命を背負わされてしまい、介在する流通資本の利鞘を保証する 商品であることの証しでもある。 「生活者の時代」が本当に質を求めることができるかどうかは、恐らくモノの価 値、食生活でいうなら農産物の価値を量価ではなく質価、信頼価、安心価で計る ための情報がどれだけもたらされるかによって左右されるのではなかろうか。 いくら求める側が質と信頼と安心を切望しても、それに応えねばならないはずの 生産側が産地間競争という大量物流のしくみの中で、生き残りに四苦八苦してい るのが現実だし、相も変わらず「規模拡大と省力化、そして企業的生産化」の念 仏ばかりがこだましているのだ。 生活者の時代が実は「都市生活者の時代」、すなわちニーズがあれば誰かがそれ に応えてくれる時代であるという感覚は、土から離れてしまった人間が陥ってし まった不幸の一つではあるまいか。 真の生活者の時代というのは、作り手が誰であるのか、それがどう作られ、どう すれば望んだものが手に入れられるかを生産と消費という分断の構図から解き放 つことにほかならない。 でなければ、食べ物への不安を増大させながら、その一方で農村からどんどんと 人口を吸収していく都市社会のジレンマからは抜けられないばかりか、自らが作 り出す環境のために自らが窒息してしまうフラスコの生き物となりかねない。 土は生き物たちのゆりかご、そこには動物も植物も、まして傲慢な人間の分け隔 てなどありはしない。 野生を失うことが万物の霊長であることの証しであるという思い上がりは、都市 という人口空間に勃発する数々の社会不安によってようやく再考の時を迎えよう としている。 そこに問われる生活の質、そして信頼と安心というキーワードは、食卓を犠牲に してまで人口空間のために働かねばならないという経済至上主義がコマーシャル で流しつづけてきたものばかりではなかったろうか。 たとえ収入が少なくとも、子供たちの成長を考えて田舎にIターンしてくる人た ちが着実に増えている。 都市を田舎に持ち込むのではなく、田舎で自分たちにあった生き方を創りだそう としている人たちでもある。 「消費者は神様である」という生産と消費の分断のキャッチフレーズからは、都 市と農村の共生など生まれるはずもない。 圧倒的に数を減らしてしまった農村から、都市住民はいったいどんな「情報」を 期待しようというのだろうか。 日本国民の大多数が、太陽と土と水のありがたさによって食べ物はあるという事 すら忘れ去ろうとしている。 そうした状況も見ぬままの「安心できる農産物を」という大合唱は、まさに都会 育ちの世間知らずともいえよう。 「食べ物から世界が見える」、けだし名言である。 堀田誠嗣目次へ ホームページへ
100年来の凶作と言われた昨年の農業だったが、今年の十勝は5月の好天にも 恵まれて、昨秋の播種作業が遅れた秋蒔き小麦を除いて他の作物は順調に育って いる。 少し干ばつ気味だった畑も久しぶりに天水をもらい、作業に追われていた人間、 それから作物たちもうれしい安息日を迎えている。 農産物価格の低迷基調も手伝って、十勝の畑作地帯にも野菜作が目立ってきてい るのだが、我が家もダイコンやゴボウなどの作業に忙しい毎日を送っていた。 最近は純国産の野菜を探すのが難しいくらいいろいろな野菜が輸入されているの だが、国内の野菜の主産地が軒並み高齢化に伴う労働力不足の影響で重量野菜を 敬遠する傾向とあいまって、食材たちの生まれ在所もかつてとは様変わりといっ たところだろうか。 通信ネットワークで結ばれている我が「食と農のネットワーク・とかち」の面々 も、さすがにこの季節は情報発信のパワーが農作業に食われてしまい、お互いに 忙しい毎日を送っているんだろうなぁ、などと思いあっているに違いない。 忙しさというものが、都市で暮らす人のもの、あるいは農作業に精を出す人のも のそれぞれに違いがあるということ、それを言葉なり文字なりで伝え合うという ことは案外難しいものなのかもしれない。 マルチメディアとなると、さらに画像、映像で伝え合うノウハウだって必要になっ てくるに違いないのだが、言葉や文字でのコミュニケーションがおぼつかないと ころに画像、映像という媒体と言われてもまさに雲をつかむような話ではある。 特に農作業の忙しさを都会の人に伝えるということなど、これまでにしたことの なかった人にとって、その意味を説明し理解を求めるということ事態、本来の仕 事とは無縁の存在だったのだが。 昨今、農業・農村からの情報発信の必要性について業界の内、外からその声があ がるようになってきているが、あらたまって「情報」などと言われてもピンとこ ないのは、「日常を語る」という習慣がなかったせいでもある。 言ってみればこれは空気や水や森の価値のようなものと同じに、存在の大切さを 意識してこなかった、意識せずにすんできたことの結果とも言えるのではないだ ろうか。 その存在が身の回りから消えていったり、あるいはじわりじわりと汚染の進行が 明らかにされる段になって、昔のよき時代を懐かしむような欲求とともにその存 在の大きさが見えてくる。 都市と農村がなぜ交流を必要とする時代になってきたのか、激変する農産物の生 産環境が森と同様に生活にとってかけがえのないものであり、それが担い手の減 少という存亡の危機に立たされているわけだ。 担い手の減少は規模拡大と生産性の向上によって克服できるという農政神話、と ころがそれが具体的には自分たちの食の環境にどんな影響をもたらすものなのか、 食べ物に求められるおいしさ、そして健康を保つ、働くためのエネルギー源とな るという役割をきちんと担えるものなのか、都市も農村もしっかり考えなければ ならない問題に違いない。 情報は誰のために必要なのか、個人が独占することによって価値あるものとなる 独り占め型の思考に偏ると、万人が共有することによって共通の社会資産を生み 出すというコミュニケーション型の情報思考ができなくなってしまう。 本年一月、宮城県亘理町で開かれた第六回全国農業情報ネットワーク大会の中で も議論されていたことだが、「農業情報の定義」の問題、お互いが分かっている ようで実はその受け止め方がまちまちであることから起こる議論にズレにも、独 占と共有という情報のバランス欠如が働いていることは明らかだろう。 「情報」が漠然と認識されてしまっているところにもってきて、さらに漠然とし たマルチメディア(多重媒体などと新聞は扱っているようだが)時代の到来。 テキスト感覚のパソコンが放送・通信とドッキングし、生活がより快適になるか のような期待の高まりを感じてしまうのだが、その基本となる「情報」の受け止 め方ができていなければ、結局のところコマーシャリズムの手玉にとられてしま うのは目にみえている。 例えば、農村風景がマルチメディア流の情報媒体あるいはソフトによっていわゆ る消費者のもとに届いたとして、皆さんはどれほどの情報をそれによって得る事 ができるだろうか。 「情報」によってもたらされる知識は、普段の暮らしで接することのない農業・ 農村の自分なりの理解・イメージを組み立てていく材料になっていよう。 マスコミ、マスジャーナリズムが昨年の凶作と一連のガット交渉、そしてコメ不 足に端を発した輸入米問題、食糧管理制度の在り方を報じてきたわけだが、コメ という食生活の要素と自分たちと係りを柱に、それら一連の「情報」が今の農業 や農村の姿をそれぞれの人に理解させたはずだ。 「昨年の冷害は、天災か人災か?」、「規模拡大意欲をもった農民たちの妨げに なっているものは何か」、「JA(農協)は消費者にとってどんな存在なのか?」 などなど、マスコミの親切丁寧なニュース解説、そして取材内容は、農業・農村 を知らない人にとってはまたとない「情報源」であろう。 その「情報」を同時に見ているのは都市の人々ばかりではない、田舎で農業を生 業としている僕も眺めるわけだ。 そしてつくづく思うのだ、マスコミ、マスジャーナリズムが伝える「農業・農村」 とはあたかもドキュメント映像のワンカットのようなものじゃないかと。 都市住民は与えられた「情報」の移し出すワンカット、ワンカットを事実として、 あるいは知識として理解しようとする。 田舎に暮らす僕にとっても、都市という機能社会、生活の場についての理解は同 様にジャーナリズムのもたらすワンカットに大きく依存しているに相違ない。 農業・農村の報道を田舎で眺めていて、それがとてもよく見えてくる。 情報の受け手はついつい「正確な情報」を点、あるいは一面で理解したつもりに なってはいないだろうか。 大手新聞や放送局などの事実報道はねつ造されたものでない限りどれも「正確な 事実」には違いない。 しかし、そこで伝えられる「事実」は数多くの「事実」のほんのワンカットに過 ぎないのだし、本来そうした「事実」に基づいて提供される「情報」は「確度」 をもった存在でしかないということだ。 地元でかつて報道畑の映像を手掛けていた電子友人はこんな話をしてくれた。 大手放送ネットが取材クルーを遠征させてくる場合もあるが、年に数度は地元系 列局に映像取材を委託し番組づくりをすることがある。 年に数度というのは、放送ジャーナリズムにおいて十勝というローカルが年に数 度の頻度でしか紹介されないことをも意味しているのだと。 さらに友人は続ける。 十勝の冬の寒さを象徴的に見せる映像依頼の場合、例えば厳冬の小学校の体育館 でいかにも寒そうな表情の子供たちを撮影する。 その時、映像のコマに収まるのは風邪でマスクをしている子供になってしまうの だと。 もちろん、その回りには薄着で体育館の中を駆け回っている元気者だっているの だが。 寒さに中にたたずむ子供たちの表情というのはこうして寒さもへっちゃらなのも いれば、マスクをしながら厚着で寒さをこらえる子供だっている、どちらも事実 なのだ。 ところが十勝の寒さという映像意図による取材依頼では、白い息ははずませなが ら体育館を駆け回っている冬の十勝の子供たちの存在は全国に映像で流れること はないのだと。 この話を聞いて、僕の頭の中では都市の農村の情報交流のこと、マスコミジャー ナリズムに依存する農業・農村理解の姿がなるほどと思い浮かんだ。 伝えられる食と農の情報が媒体(メディア)に依存せねばならないということは、 それを受け取る側が与えられた情報に百パーセントを求めてはならないというこ とでもある、すなわち確度を伴ったものが情報なのだと。 さらに付け加えると、確度の高い食と農の情報はマスコミジャーナリズムに依存 するのではなく、自ら求める姿勢とその姿勢に応えてくれる人的関係をできるだ けたくさん築いていくこと、情報は一方的に与えられるものよりも互いに求めあ い提供しあうものでありたい。 マルチメディアといえども、それが「媒体」であることに違いはない。 僕たちが求めるべきものは、それが娯楽ではなく情報媒体であった際に、映像の 美しさよりもむしろ、いかに確度が大きいかという情報の質ではないだろうか。 そこに信頼関係という人間臭さが伴うからこそ、情報は暮らしを生き生きとさせ てくれるものになるだろうし、共有のために「情報」の姿が鮮明になるのではな かろうか。 映像の美しさは、ワンカットに伝え手の気持ちを凝縮すること、そんな熱意が相 手に伝わるからでもある。 情報にとって大切なのは、案外ワンカットのフレームに入りきらない、あるいは 入れたくなかった「ありのまま」、もう一つの現実の存在なのかもしれない。 農産物生産にまつわる農薬の話のタブー視も、この映像フレームの外の現実のよ うな気がする。 与えられた「情報」を頭の中で取捨選択しながら組み立てていかねばならない現 代、「脳作業」(ジャーナリスト青木慧氏のコピーである)を余儀なくされる今 だからこそ、「農作業」の復古が時代を救うのではないだろうか。 と同時に、共有することによって価値を持つ「情報」の意味を都市と農村に暮ら す人たちが共に考え、行動していく、都市と農村の交流とはそんなプロセスであっ て欲しいと願うのである。 堀田誠嗣目次へ ホームページへ
PC−VANとインターネットとの接続が徐々に進んでいる。 8月からはいよいよインターネットのニュースグループの一部を読む事ができる ようになった。 (ただし、このサービスはPC−VAN+のアクセスポイントのみ) インターネットという情報網が、これまでは大学や企業、試験研究機関を中心に 結び付いてきたことから、ニュースグループで取り交わさせている話題や意見交 換といったものも、どちらかというと「市民、生活者」というレベルからは少し ばかり距離があるようにも思える。 しかしながら、この草の根的な情報ネットワークの広がりはやがて地球市民的な 情報交換網に発展していくに違いない。 例えば、インターネットとの電子メール接続というサービスを利用するだけでも 僕のような片田舎の百姓が自宅にいながらにして、アメリカ農務省からいろいな 情報を引き出す事ができるわけだ。 確かに「情報に価値を見出せるかどうか」という自分自身の感性や判断のための 基礎知識も必要ではあるのだが、これまでの「外からの情報は、他者の手によっ て」という受動的情報消費者から少しは能動的情報獲得者に近づける時代に入っ たといってもいいだろう。 このことは、工業化と大量物流大消費地形成型の消費社会で、生産物が「モノ」 として扱われてきた農業が、その役割や食料そのものの意義を生産と消費の端点 間で見つめなおせる時代の訪れを告げているような気がする。 半年前までは「コメ不足」で、抱き合わせの輸入米に騒然となっていた国内が、 昨年とはうって変わっての酷暑とコメの豊作予想に「あの騒ぎ、どこ吹く風」に なってしまった。 かくも大きな気象変動が地球規模で頻発していることの意味よりも、当座の「暑 さ」に思考する元気すらバテきってしまう、受動的情報消費者とはエアコンの効 いた室内(密室)でせっせと涼を享受しながら、猛暑の室外に排熱を吐き出して は「暑い、暑い」と言っている存在なのかもしれない。 そんな密室に囲いこまれたような存在のままでは、田舎の木陰に吹くなんとも爽 やかな天然のクーラーがもたらす「涼」の恩恵はけっして得ることなどできない に違いない。 人工的な空間が作り出す「快適さ」というのは、アエコンのように密封された中 にだけ通用し、その熱をひたすら外に捨てさることなど「知らぬ、存ぜぬ」、い くら文明人ぶってみたところで、生きるための知恵が働く余地すら残されていな いようでは「動物園の動物たち」とさしたる違いもないかもしれない。 ヒートアイランド特有の「暑さ」をなんとか克服していくための知恵とは、閉ざ された室内の壁に「風穴」を開けること、インターネットへの期待は案外そんな ところにあるのではなかろうか。 今月になって、農政審議会より21世紀の日本農業の在り方についての報告が出 された。 むろんこれが昨年のガット、ウルグアイラウンド合意(農産物の国際的流通自由 化)を受けての国内農政の対応指針を意味するものであることは明白なのだが、 随所に登場する「消費者の視点に立った」食料政策が、実は「エアコンの効いた 密室の中の快適さ」と同じもののように思えてならない。 農産物の国際流通自由化の恩恵ばかりが受動的消費者の期待を誘うわけだが、食 料生産にいそしむ農業者たちは世界のどこでも「厳しい、厳しい」状況に追い込 まれてしまっている。 農政審報告では、「やる気のある農家への土地集積に向けての規制緩和」を求め ているが、これは人工的空間における快適さを排熱の弊害を度返ししてエアコン を効かせまくる(つまり、農薬と化学肥料への依存度をさら高めていく)これま での「高生産性」路線を「規模拡大によるコスト低下」という理屈付きでさらに 発展されるのもだ。 生活へのゆとり願望や会社人間から家族生活重視人間へといった意識の変化とは 裏腹に、食と農はこれまで以上に「画一的、大量生産大量消費構造」へと動こう としている。 家族生活重視の意識変化は、本当に画一的な機械生産品みたいな農産物を望むだ ろうか。 望む人もいれば、望まない人もいるに違いないのだが、忘れてならないのは生産 の現場ではどんどんと「機械生産品的農産物」の生産に向けて変化が進行してい るということだ。 食料の自給率が46%(熱量ベース)でも安閑としていられるのは、「飢え」を 意識せずに快適さに浸っていられる「密室の栄華」そのものだからだろう。 与えられるものに「ハイ、ハイ」といって養われてことの貧困さは、飽食によっ て目隠しされているも同じではないだろうか。 この貧困さは、実は農業生産の現場でも「労力をカバーするために、あるいは生 産性をあげるために農薬と化学肥料に依存する」、そうすると「病害虫がいたち ごっこのように襲ってくる」、従って「さらに農薬と化学肥料への依存度を高め ていく」悪循環という意味で同じだ。 この悪循環を断ち切るためには、20世紀人が信じてきた「豊かさへの方程式」 にパラダイムシフトが起こるのを待つしかないのだろうか。 食料の確保という生存にかかわる命題が、実は自然の地球的な営み(気象しかり、 作物や虫などの生物間の相互依存関係しかり)の中にあることの意味を世界的な 気象異常という教訓から、いま一度、学ばねばならない。 そして、これからの食料問題が規模拡大や生産性の向上によって保証されるかの ような希望的観測以前に、「21世紀」へのあと5年という時間が、後継者もい ない農業従事者たちが働けなくなっていく時間であることを肝に命ずるべきだろ う。 では、今、「農業者は、そして大多数の人口を占める都市生活者たちは何をせね ばならないのか」、その実態が受動的消費者であってよいのかどうか、政策が変 わるのを待っているだけでよいのかどうか、お互いに考えつつ、同時に何がしか の行動を始めないと子供たちの21世紀には間に合わない。 日本の農民ばかりではなく、世界の農民たちが手を携えあって食料問題を考えて いくことも必ず必要になってくるに違いない。 さて、あなたは子供たちのために農家の人たちとどんな行動を共にとっていくだ ろうか。 堀田誠嗣目次へ ホームページへ
食のエッセイ>農民連合というネットワーク 1994/ 9/17
去る9月5日、農民連合結成準備東北・北海道キャンペーンで来道中の石川県鳥 越村柳原の宮本重吾さんをお迎えして、十勝集会が開催された。 といっても、集まったのは8名、しかもそのほとんどが「食と農のネットワーク・ とかち」の面々というささやかな集会だった。 時節柄、農作業の収穫作業の真っ只中ということも手伝って、出席を予定されて いた方のなかにも参加できずに終わった人もいた。 宮本さんたちの最新刊「農民は決起する−いのちをまもる農民連合を!」ABC 出版をご覧いただくと、この農民連合という集まり(ネットワーク)が単なる政 治屋集団を目指したものではないことがわかる。 宮本さんと知り合うきっかけとなったのは、当時富民協会にいらっしゃったMさ んが「石川県に魅力的な人がいる」と農業情報パソコン通信大会の折に教えて下 さった頃にさかのぼる。 「百姓天国」という投稿本(すでに8集が刊行されている)で、農業をやってい るとうちゃん、かあちゃんたちの生の声や農業に声援を送る非農民の人たちの声 を世に伝えてきている人でもあり、自ら14年の家電モーレツ社員生活のあと、 食と農の理念を実践すべく石川県の鳥越村に柳原自然農場を拓かれた人でもある。 宮本さんとは直接お会いするのは実は今回が初めてだった。 その精力的なネットワーク活動や数々の出版活動を通じて、その目指す所に非常 に共感するところが多く、実際にお話をしてみても平服のままの世代ギャップを まったく感じさせないところは、思ったとおりの方だった。 僕もこれまでのパソコン通信を媒体とした【電直】の試みやLS2(Live Space Sharing−農を通じた地方と都市の生活者ネットワーク構想) などをとおして、食と農の在り方について考えてきた。 僕自身、農業生産者となってすでに15年目だが、農産物自由化(国際市場化) や農業就業人口の高齢化、農業人口の減少という時代の流れはここに来て加速的 に進んでいるといってもいい。 自社対決の55年体制から、東西対立の構図の崩壊とともに政界の枠組みが混沌 としているかに見えて、「国内農業の構造改革」という農産物国際市場時代に向 けて政策は一貫している。 百年来の冷夏とコメ凶作というきっかけが、農業の在り方についての再考を都市 生活者にもたらすやに見えた平成のコメ騒動も、結局はガット交渉締結とミニマ ムアクセスを受け入れるという政府決定を残して鳴りを静めてしまった。 (胃袋が)満たされれば、田畑やそこで働く人たちの姿など関係なくなってしま うのが都市生活者たちの時代なのだろうか。 宮本さんはモーレツ社員時代を経て自覚された「いきすぎた工業主義」、それに 呼応する「こめ文化の喪失」を農民のネットワークという手段によって回復され ようとしている。 「自立した農民」とは「農を愛する人々」とされているところにも注目したい。 日本人も4代さかのぼればかなりの人が農村という暮らしの場にいたはずであり、 「百姓は生かさず殺さず」という治世の常に生きていたはずなのだ。 宮本さんの言葉を僕なりに解釈すると、「農民」とは現在生産活動をされている 人たちはもちろん、精神的帰農を求める都市生活者、すなわち「農を愛する人々」 も含めて「農の民」ではないのだろうか。 宮本さんのお話の中に、食と農の危機を克服していくための当面の対応として、 農村生活者、都市生活者は3つの経済に対処していかなくてはいけないというご 指摘があった。 一つは、地方と都市の乖離の結果として多くの問題を抱えながらもそれから逃れ ることのできない(向かい合っていかねばならない)「市場経済」、一つはその 乖離を少しでも取り戻すための「産直経済」、そしてもう一つは生活者個々が自 分のできる範囲で行う「自給経済」。 市場経済のみに偏ると、都市と農村の分断や産地間競争が煽られ、人手不足の農 村は規模拡大、高価な農業機械への再投資、農薬への依存と「モノ作り」産業の 色合いを強めて「いのち作り」産業としての性格がやせ細っていく。 でも、補助金農政と二人三脚で走ってきた農業団体の末端組合員たちにこの流れ に立ち向かう力はあまり残されていない。 「生消提携」の取り組みもそうした力と各々バラバラにつながっている現実では、 やせ細る一方の「いのち作り」を支えきることができるだろうか。 「いのち作り」といえば、日本の少子化も明るい将来展望を与えてくれないし。 食と農のあるべき姿に光を与える「産直」、残念ながら僕たちが提唱してきた 【電直】は経済に結び付くまでの方法論というよりも、その前段の農村と都市、 生産者と都市生活者のまずは相互理解からというものだった。 電子産直(通信メディアを活用した産直)も需要と供給に対応できるシステムと いう点で乗り越えねばならならい問題も多いが、生産者と都市生活者の直接接点 という役割が持つ意味は大きい。 「モノを作る農家」から「いのちを作り、モノを言える農家」へ、または、「モ ノを買う都市生活者」から「いのちを食べ、農家と親戚づきあいできる都市生活 者」へ、産直経済は生活者に声を与える経済といってもいい。 そして「自給経済」、「何でも買える時代」は「何でも買わなければならない時 代」ではない。 農家は農産物の価格低迷を口にする一方で、「買わなくてもいいものまで買う」 というおよそ「百姓」らしくない生産者になりつつある。 食料を自給するという行為は、実は文化の生まれいずる根源であったし、いわゆ る「地方食」という文化を培ってきたものでもある。 食料自給率が経済先進国最低であることを問題にするには、まず「我が家」の自 給が出来ているのかいないのか、自らが我が家の自給率を高めようとしないのな ら、それは「誰が悪い、農政が悪い」と他人に責任転嫁してきた二の舞を踏むこ とになる、自戒の念をこめて。。 宮本さんは集会の始まる前に、十勝の農民運動の先駆者でもあり現在の農協の在 り方に「広域農協設立」という形で一石を投じた中札内村の梶浦福督(よしのり) さんにお会いになってきたという。 そして「しこたま怒られてきた」という。 「宮本さん、市場経済の在り方を問う食と農の運動をやるくらいなら、市場経済 を逆手にとるくらいのことをやらなきゃダメだよ」、農産物流通の利益は農民に 手にを自ら実践してこられ、老いてなお農協系統組織の在り方に反旗を翻す運動 の先頭に立たれている梶浦さんらしい言葉である。 それでも、「とにかく、農民連合を目指すなら目立つところに旗を立てなさい」 というアドバイスを下さったそうだ。 僕もそのお話を聞いて、梶浦さんがおっしゃる旗の意味を考えてみた。 「55年体制が東西冷戦構造の崩壊とともに混沌とし、かつての与党、野党がこ れといった求心力を持たぬまま集合離散をくり広げていると、一体政党とは何な のか、誰の言うことを信じればよいのかわからなくなる」 「例えば有機農産物、実態があるようでないようで、それでも有機農産物が欲し いという主婦たちはそれを求め歩く」 「産直を利用したい、けれどもどうやって産直をやっている生産者を見つけ出す か、九州の中村修さんが編集している『米産直リスト』−米の産直・生産者リス トなどを見なければ、個人で産直生産者を探すことは大変」 「食と農に不安を持っている人もあちこちにたくさんいるかもしれない、僕もそ の一人だし。。でも、どうすればよいのかわからない、産直利用をしたくても生 産者をどう探してよいのかわからない人のように」 「僕たちは、どこかに現代の『駆け込み寺』を求めているんじゃないだろうか。 町角の目立つところに旗を立てなさいというのは、『駆け込み寺』の目印、ネッ トワークのアクセスポイントという意味じゃないだろうか」 農民連合というネットワークは産声をあげたばかりだが、実践と文化、啓発と連 帯、そして政治活動という食と農といのちのネットワークとして広がっていくに 違いない。 堀田誠嗣目次へ ホームページへ
対ドル円レートが100円を切るという時代を迎え、生鮮輸入野菜の輸入ラッシュ が続いている。 昨年、記録が塗り返られたばかりの年間34万6千トンという野菜輸入量が、今 年は更に倍増かという勢いなのだそうだ。 日本農業新聞の「青果物流通NOW−ここまで来た国際化」が伝えるところによ ると、昨年の東京市場の入荷統計では「ブロッコリーは埼玉、愛知に次いで三位 が米国」といった具合で、「生鮮輸入」という一つの産地が出来ているという。 国内の産地間競争が産地ブランドの獲得に凌ぎを削りながら、ハウス栽培などを 駆使していつの間にか「旬」を忘れさせてしまうという事態を生み出してしまっ た。 農家は端境期の隙間をついて、少しでも有利な販売ができるようにと頑張ってき たのだが、今では生鮮輸入野菜が北半球、南半球といった地球規模のシリーズ供 給によって市場を賑わせているわけだ。 しかも、輸入される生鮮野菜が卸売市場を通過する割合は全体の1/3だそうで、 残り2/3はスーパーや加工業者と直に取り引きされている。 市場メカニズムを頼りに、その相場の上がり下がりを固唾を飲んで見守ってきた 農家にとって、このライバル産地の出現は生産を行う土俵そのものが違うだけに 先行きの不安を隠しきれなくなってきている。 商社などは日本の品種を現地にもちこんで栽培指導を行い、文字どおり「生鮮輸 入野菜」産地を育てようとしている。 年間60万トンもの生鮮野菜がどのようにして植物検疫を通過してくるのか、検 疫体制への不安もふとよぎるが、こうした流通の国際化が国内の農業にどう影響 を与えてくるのか、「旬」の喪失と併せて気になるところでもある。 輸入量が急増している背景には、なんといっても為替の円高基調が拍車をかけて いることは間違いない。 高い「円」は安い「輸入野菜」をより安くしてしまうし、その安さを大量消費社 会が飽食の贅としてむさぼる。 「価格破壊」という言葉が流行語のようにメディアにあふれ、当座はこの現象が 自分たち消費者にとって当然のごとく納得させてしまう錯覚を与えてしまう。 もっとも、「輸入野菜」が価格破壊の一翼を担うものかどうか、店頭に並ぶ野菜 の原産地がどこなのかさっぱり見当がつかない小売の現場では、素性が知れない ことの方が価格破壊の本質のような気もする。 農家は今、いかに輸入野菜と競合しない作物を手掛けるか、市場動向をにらみな がら模索せざるを得ない状況に追い込まれている。 中国、カナダ、オーストラリア、「こんどはあの作物があの国で日本向けに栽培 されるらしい・・・」、こんな話が農家の庭先の世間話で交わされている。 もちろん、この言葉の後ろには「また相場が下がるのか」という暗い先行きへの いらだち、不安がこめられていることは言うまでもない。 鮮度に一縷の望みをかけていた国内生鮮野菜も、生産地単価の安い海外生産物の ターゲットとして着実に国内シェアを侵食されてきている。 特に中国、南米アルゼンチン、オーストラリアからの野菜や雑豆輸入が急進して いる。 これらの生産国では、余剰生産物を輸出するという生産ではなく、あまくで食料 輸入大国日本を最初から意識した生産が行われるようになってきている。 まさに「国際分業」そのものとも言えるだろう。 ただ、こうした日本向けの農産物生産の手引きが日本の商社の介在によって行わ れているケースが少なくない点も注目しておく必要がある。 日本はかつて「大東亜共栄圏」のという大儀をもって侵略の正当化を行い、国民 はアジアの繁栄が日本国に物資の豊かさをもたらしてくれるものと信じて窮乏に 耐え、「国」のために尽した。 第二次世界対戦の敗北は、占領軍統治と財閥解体をもって「大東亜共栄圏」の虚 構を葬り去ってしまったかに見えるが、今日、私達が手している飽食の贅はまさ に戦時下の「臣民」がその大儀の果てに夢見た「豊かさ」そのものではなかろう か。 その大儀は、経済市場開放であり、やはり「経済ブロックの共栄」なのである。 しかしながら、この大儀は本当にすべての域内の人々に「共栄」の恩恵を与えて いるのだろうか。 外貨獲得に喜ぶ「国家」は「経済秩序」を前提とする自由貿易の協定を歓迎して いくに違いないが、その「国家」が国内の経済格差の広がりを半ば黙認してまで も国家建設と経済発展にまい進しているのが、いわゆる経済発展途上国の姿のよ うにも見える。 この場合、「共栄」とは金持ちが共に栄えることであって、その富の源は市場経 済のもとに生まれる「安い労働力、安い資源、貧困の民」に端を発していること を見逃してはならない。 振り返って、戦後の農村は日本の工業社会化にとっての大きな労働力供給源とし て、その姿を変えてきた。 先行きに見切りを付けて若年労働力が流出し、農村は高齢化しながらも機械と化 学肥料と農薬による省力化によって膨らんだ都市社会に農産物を作りつづけてき た。 労働時間短縮や週休二日制という他産業の動きを尻目に、ベースアップはおろか 価格据え置、あるいは引き下げという農産物価格の決定に辛酸をなめてきた。 政府管掌作物が価格抑制される一方、マーケットメカニズムに依存してきた野菜 流通では産地間競争が待ち構えていたし、今度は生鮮輸入野菜という価格比較の 格好のカードと向かい合わされるようになってしまったわけだ。 「日本の農民は先行き暗い日本の農業に見切りをつけて、田畑を売った金で東ア ジア諸国に移住して農業をやった方が利口じゃないだろうか」 恐らく、今の「強い円」でアジアの食料輸出国に移住をしたとすると、半生は何 も考えずに暮らしていけるだろう。 産業の空洞化はひょっとすると農業でも起こるかもしれない。 でもだ、人は何のために働くのか、何のために住まうのか、何のために子を育て るのか、そして生きていくことにとって「豊かさ」とは何なのか。 「消費者は神様」、価格破壊という言葉がそこかしこに登場するようになり、安 い野菜が当たり前のように買い物カゴに収まっていく。。 これが市場経済の恩恵であり、経済先進国の特権なのだとほくそえむ、生産の分 業化、外部化を土台に成り立つ大量生産、大量消費社会の住人は、生産者の権利 と消費者の権利をついつい別物を思い込んでしまう。 安い輸入農産物、輸入野菜はあくまで「資源消費」の一つであり、その背景にあ る農民の暮らし、文化、経済など眼中に置かせないところが「自由貿易主義」と いう大儀のようにも思えるのだ。 「価格破壊」を歓迎するその後ろには、経済的困窮とは異質の「資源消費への憧 れ」が亡霊のように生き続けているような気がしてならない。 堀田誠嗣目次へ ホームページへ
今年もどうやら無事に農作業が終わった。 年齢を重ねると、どうにも一年の長さというか、時間感覚がどんどんと速くなっ ていくような気がして、あわただしさと気忙しさばかりが疲れの底にたまってい く。 農家の生活に「ゆとり」の必要性が叫ばれて久しいが、絶えず次の売れ筋農産物 に振り回されねばならない農業事情では、この「ゆとり」という餌がうらめしく もあろうというものである。 回顧趣味ではないが、今から2〜30年前の農村の姿が懐かしくもさえ感じられ る。 砂利道の農道、馬耕、肉体的に仕事は大変だったはずなのだが、年寄りも交えて 仕事の合間の息つく一時、みなとてもいい表情をしていたように思えるのは懐か しさのせいばかりではないだろう。 なぜだろう。 思うに、体に感じる振動というか、仕事のリズムのせいではなかったろうかと今 にして時の流れを振り返ってみたるもするわけだ。 今の農業は、すべてが農業機械のエンジン回転がもたらす小刻みな振動を耳で聞 き、肌で感じながら毎日が過ぎていくといっても過言ではない。 慌ただしさを感じるのも、たぶん人間が機械を操っているというより、機械に人 間が操られている、そんな切迫感の為せるわざかもしれない。 いってみれば、農業機械というタイムカードに毎日が管理されている、これが規 模拡大を信奉してきた安い農産物時代の農業の姿ではなかろうか。 確かに馬や牛で畑を耕す時代というのは、恐ろしい馬力にモノを言わせて短時間 で広い畑を鋤き返してしまう今とは比べ物にならないくらい、能率が悪かったか もしれない。 畑の真ん中で馬糞をたれながらのんびりと畑が鋤き返されていく様は、恐らく今 の子供たちには想像もつくまい。 でもだ、畜力による農作業には今日の「機械に巻き込まれる農作業事故」はまれ だったし、それは恐らく畜力と機械動力の決定的な違いのようにも思われる。 エンジンが一度回転を始めると、そこから取り出される圧倒的なパワーは人の命 をも一瞬にして奪ってしまう力であり、そこには操作する人間の意志はあっても 機械は文字通り機械的に動きつづけるだけなのだ。 そんな機械たちとの無意識のうちの緊張こそが、畜力を手放し、文明の利器に身 を委ねた農民の宿命だとも言える。 それが農民にどんな変化をもたらしたのか、農村にどんな変貌をもたらしたのか、 この変遷期に「今」と「昔」を体験してきた農民たちだけがそれを知っている。 もちろん、「今さら畜力耕の時代に戻るなんて、まっぴらごめん」という人がほ とんどだろうし、農家戸数が減少し少ない働き手がたくさんの面積をこなさなけ ればならない今の農業では、馬相手の仕事じゃ一年がいくつあっても足りない。 能率は上がったが、その代償は農産物価格の抑制と農薬漬け、機械漬け、そして 明日への展望を見出せない親たちのもどかしさかもしれない。 そして、ここに来て農産物市場開放と国際価格に対抗しうる国内農業強化育成だ という。 ガット合意を受けての国内農業対策として「6兆円」という数字だけがマスコミ に乱舞し、またぞろ「税金のドブ捨て」の声が都市サラリーマン層から聞こえて きそうだ。 農業補助金の実態が、基盤整備の名のもとに農業土木業者の懐に収まり、さらに 先行きコスト回収ができるかどうかもわからない補助事業に乗って、せっせと自 己負担金を払い続ける「受益農家」、益が出て初めて「受益者負担」と言えるわ けで、益も出ないで償還に苦しむような事業のどこが「農家の税金泥棒」といい たくなる。 「6兆円」という数字は、そんな農家の自己負担額も含んでの「事業総額」であ ることが、なぜかマスコミから伝わってこないし、「食料輸入時代に高い日本農 業などお荷物」という巷の声ばかりが煽られてしまっているようにも見える。 「補助」という言葉にサラリーマンも農民もヒステリックになってしまうのが、 畜力を放棄してしまった農業時代の日本の姿とも言えるだろう。 農民が陥ってしまった錯覚は、「基盤整備が田畑を農産物生産工場にしてくれる」 という思い違いではなかったろうか。 農業機械の始動によってタイムスタンプが押され、帰宅とともに都会的な家庭生 活が待っている、これすなわちサラリーマン化農業。 変らないのは、農業労働と家事に忙しく働く女性の姿と収穫の楽しみだろうか。 こんなに情報メディアが発達した時代、せめて「食べてもらっての喜び」を農村 に居ながらにして味わうような楽しみも欲しいもの。。 その楽しみをすっかり目隠ししてしまったのも、経済成長の荒波にもませた農業 政策だったかもしれない。 「6兆円」への農民たちの声、聞いてもらえる「他人の親戚」を今の農家は都会 に何軒もっているだろうか。 堀田誠嗣目次へ ホームページへ
凍てつく師走、農閑期の我が家では大阪の和菓子屋の友人とのかねてからの約束 で、生産者直送用の小豆を手選別している。 ほとんどの農家は、生産した小豆は農協へ出荷するか、あるいは雑穀業者に売り 渡してしまうと、あとは代金を受け取ってその年の小豆作が終了する。 我が家の1.8haの小豆畑の大半は、十勝管内の来年度分の種子生産用として 作付けされたもので、すでに出荷は終わっている。 今年は、僕がかねてから手掛けたいと思っていた小豆の【電直】のために、大阪 堺の和菓子屋さん向けの原料づくりをしているというわけだ。 今年の小豆は、9月中旬からおよそ半月に渡る長雨で、地際の豆の鞘がすっかり 痛んでしまい、鞘の中で発芽するものや黒ずんでしまったりカビにやられた豆と なってしまった。 測候所開設以来という記録的な異常気象に見舞われた結果でもあるが、品痛みし てしまった豆はどうすることもできない。 お天気が相手の農業は、それがどんなに過酷であってもつきあっていく他にない のだから。 農協や業者に出荷された小豆は、風選と比重選別によって痛んだり小粒の豆の大 半を選別してから、光電選別機によって変色した豆粒を取り除き、磨きをかけて いわゆる「造り」という製品に仕上げられる。 生産者が農協や雑穀業者へ出荷して得る収入は、今年で60kgあたり2万2千 円程度だが、選別と磨きを経て「造り」という製品になるとおよそ倍の価格となっ て和菓子屋さんに流通する。 実際に小豆がどのように流通しているのか、実のところ大阪に友人ができるまで ピンとこなかったのだが、直接話ができる関係ができて初めてそれが分かった訳 だ。 この関係ができるきっかけというのが、パソコン通信を通じて知り合った電子友 人を介してであるところも面白い。 僕がパソコン通信に手を染めるきっかけとなった「電子的産地直送」という生産 者と消費者をつなぐオペレーション、その電子友人は大阪からこの作戦に協力し てくれていた。 そして、その電子友人から紹介されたのが大阪堺の和菓子屋さんの若主だったわ けだ。 彼と知り合って4年、4年目にして初めて彼の和菓子の原料として我が家の小豆 を送ることとなる。 といっても、今はそのための選別を手選別という昔ながらのやり方でやっている 最中で、原料を送るのは今月下旬を予定している。 今日の豆作農家は、その種子のほとんどを十勝農業協同組合連合会という系統組 織が調整した無病種子として購入する。 我が家の小豆も、この無病種子用として十勝農協連と契約栽培したものだ。 かつて、こうした種子供給のしくみが確立されていなかった頃は、農家は来年度 用の種子を自ダネとして残しておき、農閑期に手選別していたものだ。 久しく豆の手選別などやっていなかった我が母は、なんとも面倒ではかどらない 小豆の手より(選別)作業に「なんでこんな面倒なことをやるの」と愚痴るのだ が、農閑期の時間つぶしにしては確かにこの作業はしんどいかもしれない。 駄目を押すように、「わざわざ手よりをしなくとも、農協から直接に和菓子屋さ んに送ってもらえばいいでしょうに」とのたまう。 実は、昨年の小豆の不作で原料小豆の出まわりが極度に減ってしまった時、彼か らのSOSで農協から直接、原料を手当してもらっていたのだ。 さらに今年の小豆は9月の長雨で品痛みの豆粒が多いときている。 小豆はまめ粒が小さいので、手選別となるとなかなかはかどらないのだ。 一台何百万円もする光電選別機が使えると、こんな作業は雑作のない話なのだが、 一戸の農家がこんな投資など出来るほど豆作を行えるわけもなく、結局は農協や 業者への出荷というパターンとなってしまう。 それをあえて一軒の和菓子屋さんに向けて、手選別をやろうというのだから、母 のグチる気持ちも分からないではないのだが。 ただ、僕の気持ちの中にはこんな厄介とも思える小豆選別をとおして、農家が忘 れてしまいかけている生産者としての誇りというか、醍醐味というか、役得とい うか、そんなものを自分なりに噛みしめてみたいのだ。 農業が誰彼のためというよりも、ただひたすら二次産業、三次産業のための安価 な原料供給産業として苦悩し、規模拡大やコスト低減を求められ、農家も必死に 「生き残り」をかけてそれに追従している。 農業のよき理解者となるべき都市生活者も、食べ物への不安を抱く人もいれば安 い食材としての農産物に期待する人もいる、問題なのは農家と都市生活者の直接 的な接点、すなわち「他人の親戚づきあい」がほとんどないことだ。 日本にとって、農業は大切な産業なのだという理解は「頭」ではできるかもしれ ない。 ところが、その理解が農業の窮状をいかに救えるかというと、それは国の政策だ という「天下国家だのみ」に話がすり変わる。 これは世界のパルプ資源をおよそ湯水のごとく消費しまくり、あちこちに森林破 壊をもたらすような木材輸入をしていながら、一個人の責任自覚に到達しえない 私達の「逃げ」とまったく良く似ている。 森林の荒廃が地球規模の環境破壊とそれに伴う気象異常を招いているにも係らず、 遠く異国の地での出来事と平素の身の回りや暮らしは悲しいかな、接点がないの だ。 農業という産業の役割は、人口が増加している事実をおいてその価値が軽くなる はずなどないのだが、不思議なことに世界各地で農民たちの「生き残り」が起こっ ている。 農業の「生き残り」とはすなわち、小数の成功者が究極的には食料という利権の 恩恵に浴するプロセスであり、その形態はあくまで大規模生産である。 僕は「世界のパンカゴ」的農業が農をゆがめまくっているような気がしてならな い。 農がゆがめば、食がゆがむ。 食がゆがめば、家庭がゆがむ。 家庭がゆがめば、社会がゆがむ。 ゆがんだ社会がなぜか「経済先進国」として消費文明を謳歌し、物質的豊かさゆ えの社会問題に直面している。 日本の農業を国際価格競争に太刀打ちできるようにすること、そのために体質改 善がいくら進められようとも、価格競争に農の本質がないのなら、それはただ農 をゆがめるだけだ。 そして「ゆがみ」とは、実は「逃げ」であり「無知」であること、紙と森林破壊 を引き合いに出すまでもない。 僕は手掛けた一粒の小豆に、和菓子を作る友人の顔を思い浮かべることができる し、そんな彼のお店から和菓子を求める人に僕の存在を語りかけたい気持ちなの である。 効率とか経済性とかの尺度でしかものを考えることができなくなってしまった人 間にとって、時代遅れの「手より」にホッと安堵を覚える理由がそこにある。 堀田誠嗣目次へ ホームページへ
1995年、いよいよ21世紀への秒読みが実感をもって迫ってきた。 食と農をめぐる情勢も、保守と野党の対立路線からバブル崩壊を受けての総保守 化連立へと錯綜する政界劇のどさくさに紛れ、「食事情の都市化」ともいうべき 他国依存の度をより鮮明にしつつある。 ひとたび「価格破壊」が注目を浴びると、どこもかしこも「破壊」のオンパレー ド、石油パニックでトイレットペーパー行列ができたり、一昨年のコメ不作で平 成のコメ騒動が起きたり、物質文明を謳歌しているかのような日本人の精神的な 不安定さ、落ち着きのなさは一体どこからくるものなのだろうか。 NHKの新春特番で日本の叙情歌がテレビから流れていた。 それを聞きながら、僕は今の日本がたえず「無限音階」の中で走り続けているん じゃないだろうか、ふとそう感じた。 音階はたえず上昇を続けているような錯覚、ハイビート、アップテンポで常に加 速感に浸っていないと不安に陥るような覚醒状態。 ふだんあまり聞く事のなくなった叙情歌をゆったりと聞くと、メディアから流れ ているいつもの音楽、CMやドラマが生み出すヒットチャートミュージックとの 落差の大きさが新鮮な発見ともいうべき感慨をもたらす。 今の子供たちが、40代、50代にほとんど馴染みのないようなミリオンセラー 音楽を誕生させる原動力となっているそうだが、その売れ線を巧みに操っている のは案外、視聴率というコマーシャリズムかもしれない。 確かにノリはいいし、カラオケを意識した周到なメロディーラインが用意されて はいる。 大人も子供も、スカットと気分転換できるところにニューメディアカラオケが爆 発的成長を続けている理由の一端があるのかもしれない。 ただ、こうまでストレスを発散させるはけ口が必要なほど忙しい毎日を送らねば ならない暮らしというものは、一体何なのか。 しかも、そのストレス発散のための10代、20代の音楽は、叙情歌とは桁違い のハイトーン、ハイビートときている。 「今のこどもたちは、叙情歌の世界を知っているのかな・・・」 叙情歌の世界をゆったりと聴くことのできる世代の幸せというべきか、僕は野口 雨情の世界、四季の情景が頭の中に聞こえてくることのやすらぎに感謝したい気 持ちで混成合唱とオーケストラを聴いていた。 世紀の節目にあたり、あるいは戦後50年という一つの節目でもある今、僕たち が叙情歌のテンポでものを考える意味はとても大きいような気がする。 農業・農村の衰退、産業空洞化、環境問題、子供のいじめ、銃社会への無気味な 足音、日本はいろいろな意味で冬の時代を迎えようとしている。 とりわけ、食料が自賄いできなくなっている状態は、冬そのものだろう。 北国の田舎に暮らす人たちは、夏の運転感覚のまま、圧雪アイスバーンと化した 冬の道路を走ることはそれこそ自殺行為に等しいことを身を持って知っている。 1970〜1980年代の高度経済成長期の日本は、季節でいえば伸び盛りの真 夏といってもよかったろう。 バブル経済の絶頂は、ある意味で経済成長の「実りの季節」だったかもしれない。 僕は冬という季節をけっして陰鬱で暗い季節だとは思わない。 冬とは、夏の疲れを癒し、翌年の芽生えに備えてじっくりと生気を貯える季節。 日本の文化には、こうした季節のうつろいに逆らうことなく、むしろその風情を めでる自然観があったはずなのだ。 都市に人口が集中し、24時間眠らない街が生まれたり、ヒートアイランドなん ていう廃熱だらけの街が生まれたり、そうそう、農業までも季節感をすっかり失 った「眠らない農業」になってしまっている。 そんな日常で、無意識のうちに暮らしのリズムが加速され、安息への生理的欲求 がストレスとなって鬱積していく。。 安全な食べ物への関心の高まりも、そうしたストレスの表れの一つではないだろ うか。 生き物にもそれぞれ適応の違いがあるように、農業とか農村はとうの昔に冬を迎 え、今はまさに厳冬の季節といってもいい。 同じ季節感を持てないところに、都市社会の危うさが潜んでいるとも言える。 じっくり過去を振返る、じっくり今を見つめる、そしてあしたを考える、ハイテ ンポでのりのいいリズムがあることはあるで置いておき、叙情歌のテンポで時代 の転換期を迎えたいものだ。 与えられる季節感ではなく、旬を大切にする感性で。 堀田誠嗣目次へ ホームページへ
北海道の各地の農協では、あちこちで総会のシーズンを迎えている。 農業協同組合とは農民の農民による農民のための組織ながら、これだけ国内農業 の存続に先行きの不安感が漂っていながら、年に一度の通常総会はなぜかどこも 「しらけ」ている。 定刻になってもなかなか組合員が集まらず、開催30分遅れでやっと議事が始まっ たり、毎度発言の常連組以外はヒソヒソ話をするくらいでこれからの農協をどう しようという建設的な意見を発する人はほとんどいない。 総会に出席しない農民たちの中には、「総会に出るよりも仕事をしていた方が利 口」とまで言い切ってしまう者もいる。 組織活動とは案外、どこも似たようなものかもしれないが、その底流にはやはり 「個人があれこれ言ったところで、変りばえはしない」という組織不信感、しら けが根強くなってきているような気がする。 十勝には20の市町村があるのだが、帯広市を中心に周辺の市街化が進行してい る町村、それからそれ以外で年々人口が減少してきている町村と、二極化が現実 の問題となってきている。 「しらけ」の尺度を選挙の投票率で眺めてみると、市街化が進んでいるところほ ど投票率の低下が著しいし、9割以上の投票率ではあっても、過疎化にある町村 でもその低下が見えてきているのだ。 まぁ、地方町村の投票率が高率なのは、地域代表の地元議員を失わせたくないと いう住民たちの危機感が働いているためでもあって、過疎化に伴って場合によっ てはその地域住民数だけでは代表を当選させられないという深刻さも手伝ってい る。 国政、特に農政には不満と疑念が渦巻いているが、もはやそんな思いを託せる政 党自体、見当たらなくなってしまった、これがほとんどの専業農家の声ではなか ろうか。 農協の総会が低調なのは、「農民が一丸となって、危機に立ち向かう」という際 の「一丸」がとうの昔に崩壊してしまっていることの証明でもあろう。 隣同士の農協が産地間競争でしのぎを削る「農協間の生き残り」に輪をかけて、 円高に伴う輸入農産物、とりわけ輸入野菜の急増がますます生産者の意欲を損な わせる結果となっている。 一方で、組織系統の頂点にある「全農」が商社そのものといった性格を強め、円 高なのになぜそのメリットが農民に還元されてこないのかという不信感をかって いる。 円高の恩恵がなかなか目に見えて消費の場面に現われてこないのは、なにも農民 に限ったことではないかもしれないが・・・ そんなあちこちの「しらけ」に逆らって、「農民連合」という集まりが全国各地 で産声をあげているのをご存じだろうか。 これまで保守一辺倒だった農民の政治意識の中から、「土つき百姓を国会へ」と いう合言葉までひっさげて、食と農からの声を暮らしに反映させようという人た ちがネットワークを作りはじめたわけだ。 もちろん、これは「百姓」の政党ではない、「農民」の定義を「農を愛する人」 として、食と農の在り方を自分の暮らしにとってもっとも好ましいものと捉えた い人たちの集まりなのだ。 大政党がデパートなら、農民連合とは「食と農の専門店」とも言える。 都市住民にとっての「利益」、農民にとっての「利益」ばかりがあたかも対立す るものであるかのように分断されてきたところに、食と農の混乱が起こってきて いる、そんな気がするのだ。 「道路をよくする、橋をかける」「補助事業をもってくる」、国会議員たちがセ ンセイ呼ばわりされる理由は、「いかに与えてくれるものをもってきてくれるか」 という受け身の姿勢にこだわってきたからだろう。 もちろん、道路も橋も補助事業もセンセイたちは運んできてくれたが、その結果 として農村がどんどんと寂れていくのはどうしたことなのか、食品添加物だらけ の加工食品やポストハーベストが気になる食生活を送らねばならないのはどうし たことなのか。 河川改修は確かに受益農地を増やしたかもしれないが、そこで生産される農産物 によって農家の生活が豊かになるどころか、苦しくなっていくしくみは何なのか。 この段になって、アグリツーリズムとかグリーンツーリズムという新政策を農政 が掲げ始めているのだが、自然な川の流れを保ったままの農村景観をぶち壊した のも実は農政ではなかったろうか。 農村に残った自然を期待する都市生活者のどれほどが、本当に「残された自然」 と触れ合うことができるというのだろうか。 ただ、常に「受け身」で農政に従ってきたのも農民の側であり、自前の組織であ る「農協」を農政の末端事務処理代行化させて、自ら「農協離れ」してきている のも他ならぬ農民ではないだろうか。 「都市の論理」が都市存続に都合のよい「農業」をその時代時代につくり出して きているのは、農業の変遷、農村の変遷を眺めてみればわかることなのだが、近 年、盛んに口にされ始めた「生活者」という視座の浸透によって、「食と農の論 理」が20世紀末の行き詰まりを解決できないものだろうか。 オーム真理教絡みの連日の加熱報道に釘付けになっている人も多いだろうが、カ ルト集団が目指しているものすべてが「狂気」と否定できない、食糧自給にDD VP(野菜などで一般的に使われている安価な有機燐系殺虫剤)を持ち出したこ とを笑った人も多いと思うが、自分たちの今の食料確保に農薬がどれだけ使用さ れ、それが「量」の確保につながっているのか真剣に考えたことがある人はどれ いたろうか。 もちろん反国家的武装路線をとろうとしていたのならそれはもはや「宗教集団」 ではないかもしれないが、食料確保を自らの問題として捉えようとしたオーム信 者の行動は「狂気のカトル」と一笑に付すことは僕にはできない。 蛇足ながら、オウム信者の修行が瞑想ばかりじゃなく、過疎に伴ってあれ果てて きている農地に自らくわをふりかざし、地域の高齢化した農業者たちの支えとなっ て食料自給の実践を行っていたなら、マスコミの報道もこうはならなかったかも しれない。 瞑想も結構だが、自然の営みの中で自らくわをふるい、汗をして恵みを得る、そ の中から「生きる」ということの「真理」を説く教祖様がいらしたら、ぜひとも 紹介して欲しいものだ。 堀田誠嗣目次へ ホームページへ
食のエッセイ>インターネットと地域社会 1995/10/20
このところ「インターネット」という言葉を地方でも盛んに耳にするようになっ てきている。 「どこどこにサブプロバイダが名乗りをあげたら、思わぬ地域からの問合わせが 寄せられた」なんて話や、「どこどこが市場調査を始めるらしい」などなど。 実際にインターネットがどういったものであるのかも分からぬまま、時代の言葉 だけに避けて通れないというあせりみたいな関心の高まりと見えなくもない。 そうは言いつつも、地方にこだわりながら情報と人のネットワークに関心を寄せ てきた僕にとっては、この「インターネット効果」は少なからぬ魅力を感じる。 昨日だったか、セガエンタープライズと日産自動車が共同でファミコンでインター ネットにアクセスできるツールを開発し、数万円でお茶の間インターネットが楽 しめる環境を提供する予定だとアナウンスされていた。 ファミコンや通信カラオケ、それから有線やCATVと、インターネットを茶の 間の画面につなごうという動きは、それを新たなる広告媒体、販売媒体としよう 画策する企業の動きと合致して、巨大なマーケットの開拓にしのぎを削るに違い ない。 なんとなく、今日様のマスメディアの崩壊を予感させる動きでもある。 しかしながら、インターネット効果は何もそうした企業群の動きに留まるもので はない。 ニューメディアの有望株として登場した「パソコン通信」が、結局は「テキスト 通信を手掛ける人たちだけのもの」になってしまったのとは違い、「インターネッ ト」はまったくオンラインインフラにつながらなくても「人と人を結び付ける」 力を発揮しそうだからである。 今、僕は仲間たちとともに地域発の情報をインターネットに載せて発信する活動 にとりかかろうとしている。 地域からの情報を個人として発信するのではなく、都市生活者と農民を有機的に 結び付けるための情報データベースを提供していこうというものだ。 一つには、インターネットで情報提供していくためのデータベースを構築してい く過程で、いままでパソコン通信のような自己をアピールしていく術を持てなかっ た農家の人たち、それも離れ離れの地域に点在していた人たちを結ぶ人的ネット ワークが誕生していくこと。 一つには、そうした人達が「地域からの情報発信」などという掴みどころのない 焦燥感に苛まれることなく、自分たちの存在そのものが「情報」なのだと自信を もってもらえること。 これだけでも十分に「インターネット効果」は発揮される。 インターネットといえども、パソコン通信としくみ自体に変わるところはないの だが、利用する側の発想を膨らませるキャパシティの大きさに決定的違いがある ような気がする。 パソコン通信では、たとえインターネット経由でメール交換が可能であっても、 やはり同じネットで通用するIDの方に手が動いてしまう。 つまり、「通信ネットに加入する」というステータスが逆に自分を「ネットの檻」 に囲いこませてしまっているわけだ。 インターネットがますますコマーシャルベースで変貌していく先に、どんな事態 が待ち受けているのかは、まだまだ未知数の部分があるだろう。 しかし、パソコン通信が曲がりなりにも「地域と世代の壁」を破っていったよう に、インターネット効果は「自治体と職域」の壁を破っていくような気がしてな らない。 地方主権が叫ばれる中、地域に新たな人の結び付きを作り出すインターネット効 果は、中央からの情報洪水とは別に、「地域とは何か、自治体とは何か」を問い 直させるきっかけとなるのではなかろうか。 今にして思えば、パソコン通信で燃え尽きることなく続けてこられたことに感謝 したい気持ちがする。 もちろん、僕たちの試みが今後、どう進展していくものなのかも未知数だが、地 域の殻に閉じこもって世情の為すがままにあった農村にも大きなうねりが起こる ような気がする。 されば、僕にとっての「パソコン通信」は文字通り「自分史」を綴る日記帳になっ ていくのかもしれない。 しかしながら、僕たちはネットワークは「人と出会うことだ」という貴重な教え をこのメディアから受けた。 インターネットがいかようにコマーシャルベースで動こうとも、情報インフラと してる基本は何等色あせることはないだろうし、それを利用する側の意識として 肝に命じなければならないことのようにも思うのだ。 「ネット」という檻に縛られないヒューマンリレーション、食と農の新たなるネッ トワークづくりに向けて、インターネットを考えていきたいものだ。 堀田誠嗣
© Seiji Hotta
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