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十勝の晩秋は、次の気圧の谷が近づいてくると、どことなく小春日和を思わせ る日差しがおだやかさを漂わせます。 昨日、甜菜の収穫を終えた畑で、来年に向けて収穫残渣の鋤込み作業のトラク ターの運転をしながら、当世の食事情などをつらつらと考えていました。 「どうして日本の農耕は、関心をもたれなくなってきているのだろうか」 そのとき、自分の育ってきた環境が今と幼少だった頃とでは格段に違ってきて いることに思いいたりました。 第一、今のようにインスタント食品が豊富ではなかったし、麦飯の記憶もあり ました。 今では、「麦」そのものが自然食品のコーナーで売られていたり、フロアの大 きな面積を様々なレトルト・パウチ食品が占領していたり。 よく、オーディオなんかでは「あなた、アナログ派、それともデジタル派?」 なんて話を耳にします。 時計にしたって、そうですね。 僕は、「食」の世 界でもこのことが言えるのではないかと思っています。 アナログは「連続」です。 デジタルは「刻み」です。 「当世の食事情は、大きく「デジタル指向」に傾いてきているのではないか」、 トラクターに揺られながらふとそんなことを考えました。 よく、「デジタル感覚でなきゃ!」とはしゃいだ会話を聞いた時分がありまし た。 デジタル ウオッチが出始めた頃だったかなぁ。 こきみよく変わっていく表示がすごく新鮮に見えたものです。 でも、そのずっと以前から「食」の世界でもデジタル化が起きていたんじゃな いだろうか。 ステップ運針の時計を見ながらそう思いました。 スーパーへ行くと、食品がほとんどパッケージ化されていることに気が付きま す。 そういえば、インスタント食品もいってみれば「オール イン ワン」タイプ のパッケージ商品でした。 手軽さ、早さ、清潔さにこれまで支持が得られてきた背景はいったい何なのか。 インスタント エイジ に育ってきた僕としては、「村」の衰退の一方でこう した現象が進行してきたことに目を向けずにはいられません。 なにが、「デジタル指向」なのか。 つまり、価値観の問題です。 価値観の多様化が叫ばれて久しいですが、その根っこの部分は日本の経済成長 と密接に関わってきているのではないか。 それが僕の見解です。 では「デジタル」とは、どういうことを意味するのか。 それは、「区切る」、「パックする」ということのように思われます。 よく、世代論で昭和一ケタ世代には、ワープロ感覚は理解できないとか、職場 の電子化に順応していけないという話を耳にします。 もちろん、ちゃんと使いこなしている人たちもいるわけなのですが、そうでな い人の方がメジャーです。 でも、十代、二十代の若者は抵抗なく使いこなす人が多いです。 このことと、食指向の変遷とは無関係ではないのではないか。 それが「食文化のデジタル化」なのです。 デジタルの概念を抵抗なく受け入れる素地には、ひっとすると食べ物が関わっ ているかもしれない。 ちょうどデジタル思考が台頭してきた時代に成長期を過ごしてきた僕としては、 その原因を探ることがそのまま時代考察につながるような気がします。 DATという製品が、CD(コンパクト ディスク)の次世代を担うものとし て脚光を浴びています。 それは、「音」をデジタル情報として記録し、原音を忠実に再現できるという 理由からです。 アナログ録音では混入するノイズを原音のデジタル化によって、よりクリアに するこの技術は、「夢のオーディオ」とさえ言われています。 この場合のデジタル化とは、やはり原音の「波」の成分をある時間ごとに「刻 み」こんだ値として表現することなのですが、この刻みの幅が小さけれ小さい ほど「より本物に近くなる」わけです。 考えてみると、僕たちの回りに溢れはじめたパッケージ化された「食品」も視 点を変えてみると、この「刻み」にあたらないでしょうか。 なぜ、当節「本物」がもてはやされるのか。 それは、「本物」のように見えて、実は「本物らしい」ものが氾濫しているか らに他ならないでしょう。 そのための飢えが「グルメ」というファションとなって現れてきたものと思え るのです。 僕は、ちょうど時代のデジタル化のさなかに育ってきました。 それに呼応して常に「刻み」という手段で学力が扱われ、ステップというカテ ゴリーの中に無理やり閉じ込められてきました。 考え方を表すときも、「選択」という方法を強制され絶えずどこかの「段階」 に帰属していることが当り前の環境にありました。 しかし、無限に続く点の集合の一点を「全か無か」式で判別していくこのやり かたは、あまりに「個」を犠牲にしすぎはしないでしょうか。 確かに、DATは忠実に音を再現してくれるでしょう。 でも、このデジタル化は「限りなく本物に近い」という近似なのです。 デジタルの本質は、ここにあるといってもいいでしょう。 もともとは、アナログという「連続」する世界が本当の姿なはずなのです。 時代が「デジタル感覚」に麻痺してしまい、「限りなく本物に近いもの」を 「本物」と錯覚してしまってはいないでしょうか。 本当の「食」は、ファーストフードでも レンジグルメ でも インスタント でもないはずです。 デジタル、すなわち「刻み」という時代の流れは、一見近代的でスマートに見 えますが、画一化されたファッションを生んだり、落ちこぼれを作り出したり、 そして「村」という存在を片隅に追いやろうともしています。 なぜに古来日本で培われてきた「食文化」をダサイと見るようになってきた のか、僕には「刻み」思考の影響が多分にあるような気がしてなりません。 デジタル感覚に翻弄されてしまうと、「連続的にものごとを捉えることができ ない」、「断片事象でしか理解できない」という悲しむべき現実が待っていま す。 それは、ナウいようで全然ナウくないのです。 日本の技術開発の弱点として、 「より高度な近似」はできても「独創的な技術を持てない」点が指摘されてき ました。 すべての分野がそうとも言えませんが、誕生した時から絶えず「刻み」感覚で 育てられ、パッケージ食品しか知り得ないという「食環境」に置かれていて、 果して「独自性のある思考」ができるようになるでしょうか。 幸いにして、農耕は「連続」すなわちアナログの世界です。 作物の成長も収穫物の表情も、すべてが「個性的」です。 デジタル時計のステップ運針のようにカチッ、カチッと成長することなど有り 得ないのです。 そして、その時々の表情に違いを見いだせることこそ、「村」が持ち得る「ア ナログ感覚」ではないでしょうか。 「旬」を忘れてしまった日本人、「旬」を求める日本人、この違いを時計の針 を見ながら考えて見るのも面白いかと思います。 OMP目次へ ホームページへ
都市型の生活をしている友人から、「おまえは、自然の中でのんびり暮らせて いいよなぁ」とぐちっぽい話を聞かされることがあります。 家庭と会社のシャトルライフを送っているサラリーマンにとっては、田舎暮し がそのように見えるのかもしれません。 でも、そうした話を聞くとき、僕は口にこそしませんが、内心「僕だって、自 然の中で暮らしたいよ」といつも思っているのです。 「お前さん、そりゃぜいたくってもんだよ」、きっと彼はそう言うことでしょ う。 「じゃあ、自然ってなんだい」と聞き返すのがいやなので、「そうでもないよ」 と答えることにしています。 多分、彼がいう「自然」は都市景観以外のものを指して言っているのだと思う のですが、僕の中にある「自然」はまさしく「あるがままの姿」なんです。 じゃあ、「農村に自然はないのか」と言われそうですが、あるように見えて、 それを自分の一部にしている人はどれくらいいるのか、ちょっと疑問です。 畑の周囲は、ほとんどが人工林ばかりですし、畑はもちろん「人の手」になる ものです。 それに、けっして「のんびり」でもありません。 「自然」の中で暮らすことは、「自然」を見る目と心のゆとりが必要じゃない のかなぁ。 今の「村」自体、こうした「自然」というものへの接し方がどんどん「へた」 になってきているような気がします。 その現れが「祭り」の形骸化です。 古来、自然の恵みへの感謝のためのだったこの儀式も、いまでは単なる年中行 事のひとつとなってしまってはいまいか。 そうなんです。 「感謝するべき自然」は、経済原則とかいう「いかつい」時代要請に追いまく れら、畑の中の「自然」すなわち豊かな微生物相は手痛い仕打ちを受けざるを えない状態なのです。 農作物を「生き物」として見ることができたなら、きっとその人は「豊かな自 然」を感じているに違いないでしょう。 でも、「Input−Output」という感覚で農作物を見ていると、僕の 中の自然はどんどん遠ざかってしまうのです。 シャトルライフは、農村でも同じです。 相手にするものが「作物」であるかないかの違いだけです。 わずらわしい人間関係と同じくらい「気むずかしい天候と生育」と関わってい かねばなりませんし、それ以上に「猫の目行政」と「あまりに進歩しすぎた農 民組織」といやおうなくつきあっていかねばならないですし。 ひょっとすると、都市生活者の中のある人たちの方が本当の「自然」を知って いるかもしれないのです。 毎日ということは決してないでしょうけどね。 けれど、たとえ毎日ではないにしても、自分の心の中に「自然」を感じること ができる人はすばらしい人だと思います。 僕たちは、「映像世代−ビジュアル エイジ」というコピーの中で育ってきま した。 「見たけりゃ、絵があるじゃない」とポンと本やビデオを差し出されて、感覚 として理解しているような気分になってしまいます。 それはそれれでいいのですけれど。 でも、慣れすぎると味気なさを感じませんか。 分かっているようで、理解しているつもりで、実はそこに味があり、臭いがあ り、温かさ、冷たさ、そして時々刻々変化していく表情とあたりが一体となっ た音がほんとはあるんですよね。 「見る」という、「あるがままの姿」のほんの一シーンのカットでそれを知っ たような気になっている、これは僕たちが享受している「映像文化」の弱点で はないかと思うのです。 「体験」ということでしか、「あるがままの姿」って触れることができないも のじゃないですかね。 木肌のざらつきや野生動物たちの気配、そう、「自然の摂理」が厳然とあると ころにしか、本当の自然はないのかもしれません。 友人から言われるような「自然の中の暮し」は、きっと「映像的」なもの思い 浮かべてのことでしょう。 確かに静寂の中にそっと聞こえるフクロウの声や、季節の移ろいを知らせる山 野の草花の消長はまだあります。 でも、「自然の中の暮し」と言い切る自信は僕にはまだないのです。 相手が良く見えるということは、誰にでもあることでしょう。 しかし、それは「映像感覚」で話しているだけのことです。 農業を職業としていること、農耕を生業にしていること、同じものと思われま すか。 僕のこだわりは、生業のもつ「自然とともに生きる」という響きなのです。 そして、手に入りそうで実は遥か彼方へ遠ざかっていきつつあるものなのです。 どうしたら、それが近づいてくるのか、きっとこれからの半生をかけて模索し ていかくてはならないものなのでしょうけれど。 暮しへの満足感は、きっと与えられた環境の中での取捨選択の評価の問題なの でしょうけれど、その一方で「自然の中で暮らしたいなぁ」というつぶやきは、 人間本来の持つ「野生」が言わせているような気がします。 でも、その声を押し黙らせてしまうような生活のテンポ、時代のテンポが、友 人をして「お前はのんびりしてていいよ」と言わせているのでしょう。 こうした声がまだ聞けるということは、ある意味でまだ救いがあるということ かもしれません。 「電子的産地直送」という双方向のパイプを通して、僕たちが今置かれている 時代の見落としがちな局面、お互いに知らせあいませんか。 僕は、ひっとすると誤った理解をしているのかもしれない。 でも、それを指摘してくれるのは自分じゃないのです。 「お前はあまいよ」、そうかもしれません。 けれど、「どこがあまいのか」、それが問題なのです。 僕は、僕自身とそれを戦わせて自分とこれからの時代を見つめたいと思います。 僕のこだわりが、時代の趨勢に押し流されてしまわないことを切に願って。 OMP目次へ ホームページへ
毎回、OMP発の電直便には、購入してもらっている方々からの「おすそわけ」 のMSGをいただいています。 そしてその度に、CRT越しに「ええもんだなぁー」と感心しています。 なぜそう思うんだろ? それは、「おすそわけ」が言葉じゃなくて、「気持ち の表れ」だからじゃないだろうか。 情報社会は、見方を変えると「記号社会」ですよね。 圧縮したり解凍したり、それはそれで今日の複雑怪奇な社会構造を維持するた めにりっぱに機能しているのだけれど。 でも、その情報には利権がからんだり、あるいは無味乾燥な事務的手段であっ たり。 一頃、「一億総評論家時代」というフレーズが流行りましたが、評論家的な立 場に身をおくということは、常に傍観者の側にいたかったり、直接関わりあい たくないという意識の現れではないかと思うのです。 評論という仕事は、大変な事前調査と確固たる評論者の識見を世に問うことな ので、「見る」側の立場からとても魅力を感じます。 でも、それと「評論家ライク」なフリを混同しがちなのが、今の社会の底流に あるような気がするのです。 時間に忙殺され、事務処理の嵐にさいなまれ、それに拍車をかけるような情報 ソースの氾濫。 あまりに手軽に「情報」に接する機会に恵まれすぎてしまって、その「臨場感」 にまひしてしまい、気が付くと「どこで自分と関わっているんだろう」という 素朴な疑問に答えられなかったり。 「情報の消化不良」を起こしているんですよね。 普段は、いつでもどこでも「文字」としての言葉のプールにどっぷり浸りこむ ことができます。 でも、初めに「言葉」ありき、ではなかったはずです。 「伝える」ためのツールとして、人間が人間なりに工夫してつくり出したもの のはずです。 ところが、今日のコンプ社会(computer & complex)では、 まさしく「初めに言葉ありき」の状態になりつつあるのではないでしょうかね。 「伝える」のではなく、常に「伝えられる」側に、それも「言葉のブロック」 として。 「おすそわけ」でホッとするのは、それが「言葉」に終わっていないことです。 とりたてて、それが今の社会をどうこうするわけじゃないけれど、情報の洪水 の中にあって、「生きた表情がビンビン伝わる」響きではありませんか。 「文字の向こうに何が見えますか」という問いに、今の時代はどれほど応えら れるだろうか。 僕は今の社会が切捨てていこうとしているものを「おすそわけ」MSGを通し て、ひしひしと感じます。 そして、ホイミさんやTAMさんのやりとりに思わず声援を送りたくなるので す。 元来、言葉はもっともっとありふれた感動を伝えるものではなかったのか。 「おすそわけ」という響きに安堵感を覚えるのは、僕だけでしょうか。 OMP目次へ ホームページへ
伊勢志摩さんも、<も>さんも同じエリアなんだぁ。 ボード上での、ニアミスですか。(ミスは、ちょっとまずい表現でした) 伊勢志摩さん、ご活躍のごようすですね。 常々思うのですが、何をやるにしても先駆者の存在はたいへん重要で、それだ けにご苦労の多いものだと思います。 今の一次産業は、どこもかしこも「比較優位」と称する他産業や諸外国からの 圧力の矢面に立たされています。 そうした中で、人々は黙々と生産の日々を送っています。 自らの生産物を、ことさらアピールする個人もそう多くはありません。 でも、黙っていたのでは昨日の繰り返しをするばかりです。 昨日より今日、これがなくては進歩はありません。 こと一次産業の現状は、まさしくこうした過度期を迎えているといっても過言 ではないでしょう。 問題は、新しい生産と消費の関係をとりもつパイプや、相手の側を思いやりな がら自分たちの立場を相手に伝えていく「報道官」がなかなか出現してこない ことです。 実は、この相手の側を思いやるという事は非常に難しいことなんですよね。 それをやるには相手のことをほんとうに理解して、知っていなければならない。 でも多くの場合、それはまったく現状を知らなかったり、あるいはうわべだけ 知っているような気になっていたりです。 相手の立場になりきることができない以上、これはある程度やむを得ないこと かもしれません。 しかし、「親身に理解しようという気持ち」があるかないかでは、おのずから 相手に対するスタンスは違ってきます。 これは、生産者の側についても同じ事です。 私達は生活の糧を得ている以上、「どちらか一方の側」にいるということなど ありえないわけです。 消費者でありながら、必ず生産者なのであり、生産者でありながら消費者なの です。 でも、職業上の性格が少し違うとすぐに「どちらか一方」を名乗りでてしまい がちです。 そして、少しでも自分に有利なように「攻撃的」立場を誇示してみたり、執拗 に弱みに食いついたり。 こうした傾向って、職業の違いばかりではないかもしれません。 よく、弱肉強食なんていいますけど、本当の「弱肉強食」とは自然の摂理の上 に「見かけ上」あるものだし、 ホメオスタシス(恒常性−すなわちフィードバックによる安定性) があってのことです。 必ず循環系の一アクトであるわけですから、強とか弱などと立場の上下をつけ るべきではないのです。 悲しいかな、人間は筋違いの意味でこの言葉を使いたがります。 この社会的な「ひずみ」をどう解消していけるのか。 問題は深刻です。 それでは、お互いの側が「報道官」という代理を立てあって、当人同士が相手 のことをよく知り合っていればそれでいいのか、というとそうではありません。 「代理を立てあう」と考える時点から、もう相手のことなど眼中にない証です。 皆も考える、私も考える、こうでなければ「相互理解」なんて「絵に書いた餅」 です。 しかし、世の中には相手に対して絶えず無関心を装いたがる傾向があります。 相手のことを気遣ってやれない状態ではないなずなのに。 かえって、生活事情が苦しかった時代の方が相手の苦しみや立場を「思いやる」 ことができたでしょうね。 これが「豊かな時代」と傍証だとすれば、私達は素直に今の時代を喜ぶことは できないだろうと、すこしばかり落ち込んでしまいます。 僕が伊勢志摩さんの試みに関心を持つのは、生産と消費の関係(これって、新 しい関係じゃなくて、温故知新的関係だと思うんですよ)に新鮮なインパクト を与えてくれるような予感を起こさせてくれるからです。 とにかく必要なものは、「双方向」というパイプです。 国際問題にしたって、双方が同じテーブルにつかなくては解決などありえませ ん。 その舞台裏では、秘密裏に双方をとりもつ「補佐官」の存在がかかせないので すが。 僕たちが目指す舞台に、「秘密裏」などういうアイテムが存在してはならない ことはもちろんです。 でも、テーブルを並べるためには、まだまだボランティアが必要です。 伊勢志摩さんのご活躍を願わずにはいられません。 僕も微力ではありますが、ボランティアの一員になれたらなぁ、そう思ってま す。 OMP目次へ ホームページへ
今年も残すところあと数日になりました。 今日から大晦日まで、OMPの 「電直とこの一年」を書き連ねたいと思います。 ほとんど、独白の世界ですが皆さんの「独白」飛び入りも大歓迎です。 いつもの「電直電文」と平行して、エッセイの数日を14番地で過ごしてみま せんか。 では。 今年の2月、農産物の自由化反対の嵐が吹き荒れた十勝の片隅で、僕は「ああ、 束の間のハチマキ集会で何が変わるというのだろう」と、半ば諦めに似た思い に沈んでいた。 対米交渉の期限が近づけば、その前後に限って相も変わらずの反対集会がムシ ロ旗を立てかけて、あちこちで行われる。 そして、国内農産物を守ろうとか、自由化絶対阻止などと、声高に気勢をあげ て統一集会へ送り込む数名の代表へ激をとばす。 僕には、この集まりが自主的な危機感の高まりから行われているとはどうして も思えなかった。 全国大会へ向けて、数段階のステップをもって昇段していくようなセレモニー に見えた。 農民運動などと、地の底から沸き上がるような憤りを感じさせない少しばかり 冷めた表情の農民がそこにいた。 ちょうどその頃、僕はパソコン通信を始めようとしていた。 それは、形ばかりの農民運動にへき易していたこともあるが、外の世界を直に 知りたいという欲求に収まりがつかなくなっていたせいでもある。 何のために、反対を叫ぶのか。 誰に向かって、気勢をあげるのか。 反対集会の人混みの中で、僕は農業という産業が果たさねばならない役割を考 えていた。 「どうして、消費者への理解と対話と求めるような運動ができないのか」、こ の集会の終着点が、結局有力政治家への懇願に終わってしまうような気がして なんとなく空しかった。 それだけに、僕はパソコン通信という世界に、いままでどうしても為し得なかっ た連帯と対話の可能性を求めていたのかもしれない。 農民は話下手である。 同じ百姓同士なら、今の農政や系統組織は何をやっているんだなどと、熱の入っ たやりとりをよくやる。 特に、十勝の政治好きは北海道でも有名である。 しかし、外との話、消費者との話となると、何故かおとなしくなってしまう。 経済圏がほとんど農業という産業を中心に動いている土地柄もあるのかもしれ ない。 しかし、どうもそれだけとは思えない歯がゆさがある。 これには、売るための努力をほとんど組織に委ねるようになってきた農民の変 遷も関係しているかもしれない。 もちろん、保護農政と有力政治家の輩出に血道を上げるような風潮がなかった ともいえまい。 農業は、食料を生産する、つまり食べてもらう人がいて、はじめて真価を発揮 する産業なのである。 いつのまにか、食べてもらう人の存在を政治との取引に置き換えてしまったと いうやるせなさを思わずにはいられない。 その時、僕にとってパソコン通信は得体の知れない存在ではあったが、この産 業の持つ閉鎖性をなんらかの形で打ち破ることができるのでは、もしくは、そ のきっかけが掴めるのではという大きな期待を抱かせるものとなっていた。 なにより、僕には同業者以外との付き合い方について、一体何から切り出せば いいのか、何をどう話していけばいいのか、さっぱり分からなかったのである。 僕に分かるのは、多少の作物(植物)についての知識と生産の過程くらいなも のなのだ。 生産物が箱に詰められてから先は、ほとんど門外漢と匙をなげねばならぬ体た らくである。 むしろ、「僕には、こんな程度のことしかお話できません」と、先に断わって おいた方がよほど気楽である。 それ以上に、外の肉声がリアルに聞けることのうれしさが先にたってしまう。 僕のパソ通は「ひらき直り」で始まったといっていい。 これから、どんな人との出会いがあるんだろう。 とにかく、はじめてみよう。 そのうち、何かが始まるに違いないさ。 出会いを求めての、行くあてを決めない僕のアクセスライフがやっと始まった。目次へ ホームページへ
パソコンをはじめて、やがて10年の年月を迎えようとしている。 思えば、デスクトップスタイルのあのPC8001からお付き合いである。 そのあいだ、一体何をやってきたんだろうと思い返してみると、これといった ものが浮かんでこない。 もちろん、もともと生業にしようなどと大それたことを考えていたわけでもな いので、それなりの惰性で続いてきたのかもしれない。 パソコンをツールとして使えるようになってきた頃から、僕の頭の中には漠然 とネットワーキングする日が訪れることをイメージしていたように思う。 いろいろと、パソコンの可能性が見えて来ると、あのシリアルポートをどうし ても電話線につないでみたくなる。 「データベースから情報が引き出せるかも」などとまったくその実態もわから ぬまま、考えてみたくなる。 モデムも高価だ。 調べていくと、どうやらアクセスポイントまでの電話料金プラス利用料金、そ して通信速度に問題がありそうなことが分かる。 僕のような情報網の地理的末端付近にいる人間にとって、やはりこの経済性を 抜きにパソコン通信に安易に飛びつくことはできなかった。 でも、やりたい。 1台こっきりで動いているパソコンが、どうにも哀れでならない。 というよりも、パソコンのコミュニケーションツールとしての威力を自分の手 で確かめたい、といった方が正しいだろう。 コミュニケーション指向に走りたい素地が自分の中にあったのだろうなぁ、きっ と。 ところが、時の流れの必然性というか、情報過疎地にも遅い春がやってきた。 安価なモデムが出回るようになり、アクセスポイントもできそうだという。 もちろん、その頃ボード上で道東アクセスポイント開設運動が行われているこ となど、知る由もなかったのではあるが。 一度はずみがつくと、いても立ってもいられなくなる。 スピルバーグの「未知との遭遇」ではないが、CRT上にコネクトされる世界 がほとんど「超空間」のような気になる。 「一人のお百姓が、手にすることのできる世界」がどれほど限られたものであ るか(あくまで、人付き合いについてであるが)、それがたまらなかった時で もあったので、「モデム」の向こうに見えかくれする「未知の世界」が待ちど うしくてならない。 おそらく、通信を始めた人なら誰でも真っ先に抱く思いだろう。 幸いにして、「書くこと」が好きだったことと、キーボードに抵抗がなかった ことが動きだした車輪を加速することとなった。 やはり、細々とでもコンプを続けてきてよかったと思う。 グローバル・ビレッジの「村おこし応援団」に投宿するようになったのは、通 信を初めて間もなくである。 このあたりの顛末は池田88の原稿にも書いたが、やはり僕がやりたかったの は「生産現場と消費(台所)との直結」であったのだ。 「中央指向」じゃなく、「全国指向」ともいうべきか。 「食文化の情報は拡散されるべきだ」という、いわばアンチテーゼ的な思いが 絶えず頭の奥にある。 それがやりたくて、PC−VANを選んだのだから。 そうした意味で、僕がグローバル・ビレッジと出会えたことは非常に好運だっ たといえる。 やがて、GV8番地で「作物の科学シリーズ」を手掛け始めた。 まったくの行き当りで、内容のスケジュールなどを立てているわけではなかっ たので、連載というにはお恥ずかしい「不定期発行」となってしまっている。 でも、僕にできるとっかかりとしては一番気が楽な内容である。 もともと自然科学を少しばかりかじりたいという欲求もあったので、身近な様 子を伝えるにはまったく都合がよかったのである。 たとえば、「馬鈴薯」の植え付けの頃には「いも」の話、という具合いに思い 付いたら話をまとめるといった感じである。 その無軌道ぶりが「休載」の最大要因でもあるのだけれど。 でも、自分がやっていることを「知ってもらえる」と思っただけで、なんとな くホッとする。 別にレスポンスなどを期待するというのではなく、そうすることによって、自 分と外との距離を近づけることができるのではという自己暗示みたいなもので ある。 もちろん、RESを返せるような文章構成ではないのだけれど、ひょっとする と「知らない世界見たさ」の欲求をいくらかでも満たしてもらえた人がいるん じゃないかなぁ、という勝手な思い込みがついつい先行してしまう。 どうも「双方向性を目指すGV」にあっては、アウトロー的な存在となってし まいそうだ。 でも、心の片隅にはどこかに「きっと共鳴してくれている人たち」がいるに違 いないという、祈りにも似た思いがあったのですよ。 ご理解のほど。 僕がGVの8番地に勝手連を始めてからの二つ目のラッキーは、池田プロジェ クトに参画することができたこと。 やはり、これは僕にとって今年一番のトピックスにあげていい。 アクティブなGVerとの接近遭遇しかり、隣に住んでいながら伺い知ること のできなかった池田町とのコンタクトしかり、そしてなにより、14番地で 「電直プロジェクト」を始めるきっかけができたのも、池田88と関わりあえ たおかげなのだ。 通信が、実はオンラインの世界のみに留まるわけではない。 いや、むしろ解放された人間関係を築いていくためのツールなのだと気づいた のは、まさに池田88からなのである。(池田88については、来年の1月に 「本」の形でまとめられることになっています) 黙っていたのでは、何も生まれてこない。 かといって、「書く」だけでも生産的な人間関係が飛躍的に向上するとも思え ない。 GVでいう「双方向性」とは、単なるメッセージのやりとりじゃなくて、人そ れぞれの魅力をお互いが刺激しあうことじゃないかなぁと、これまた勝手に理 解するようになった次第である。 言葉も、文字も、これは「手段」にすぎない。 しかし、その「手段」も使い方によっては、相手の表情や息遣いまで見えてく るような気がする。 もちろん、ほとんどの人と実際の面識などないのだけれども。 そんな気分に なれるような人間関係をどれだけ作っていけるかが、もっかの最大関心事と決 め込んでいる。 そのためのノウハウを持ち合わせていないというスリルも、これまた通信のビ タミンなのだが。目次へ ホームページへ
池田で出会ったTaniさんから、一通のメールが届いた。 池田88で手にしたOMPテトを送って欲しいとの便りだった。 その中で、Taniさんは昔、自分の手で栽培し、自分で収穫したときの土の 感触についてを懐古されていた。 うれしかったなぁー。 僕が伝えたかったことをこうして体験談までふまえてレスポンスしてくれて。 池田88の幕別班企画では、「素手でジャガイモを掘ろう」ということで、実 際に皆さんに僕のジャガイモ畑に足を運んでもらって、土と実際のバレイショ の感触を味わっていただいた。 通信をはじめて、まさかこんなに早くこうした試みが実現できようとは思いも よらぬことだったが、遅かれ早かれやってみたかったことには違いない。 それにしても、Taniさんからのメールは、それに輪をかけてありがたいも のだった。 実は、この夏、僕の町(幕別町)の有志グループが大阪の生協組合員の子供た ち二十数名をチャレンジキャンプとして受け入れた。 僕もその受け入れメンバーの一人として、子供たちに植物の観察やら星見のお 手伝いをしたのだが、子供たちの関心事はやはり広い草地の中で走り回ったり、 牛乳を搾る牛に直に触ってみたり、大きな畑で自分の手でジャガイモを収穫す ることだったようだ。 百の説明よりも、一つ体験の方がインパクトが強いことって、ままあることで ある。 こうした試み、最近ではあちこちで行われるようになってきた。 それはそれ で意義深いものであるには違いないだろうが、僕にはそのままでは片手落ちで あるように感じる。 欲張りかもしれないのだけれど。 確かに、体験のすばらしさは否定するものではない。 僕だって、視察と称してあちこちの施設を見て回ったりする機会があるのだも の。 でも、やはり「一度」きりの体験では、「思い出」だけに終わってしまうことっ てよくあることだ。 持続性に欠ける。 アルバムに閉じ込まれてしまうと、次にそのページを開けるまで、「思い出」 は冬眠してしまう。 僕のやりたかったことは、「眠らせないこと」なのだ。 「思い出」はひとりでに美しくなりたがるものだ。 歳月は人やものを一カ所にとどめてはおかないのに、「思い出」というやつは、 どうしてもあの時の「ワンショット」のままでいたがる。 じっとしていればまだしも、勝手に化粧を始めた日には手がつけられない。 「昔は、こんなはずじゃなかったのに」という、あの大きな段差。 それぞれが、一生懸命その時間を生きている。 生きているから、輝いて見え る。 きれいごとばかりじゃないこともみんな、知っている。 だからこそ、「思い出を眠らせないで」いなければならないと思う。 「ジャガイモ掘り」を終えての帰りの道すがらに、高田さんから「ぜひ、GV で『電直』やりましょう」と声をかけられた。 でも、正直、その時は返答に窮してしまった。 何をどのようにやっていけばいいのか、皆目検討がつかなかったし、それにい いだしっぺとしてやっていくだけの自信もなかった。 結局、曖昧な受け答えしかできなかったように記憶している。 日頃は、生産者はもっと消費者に近づかないとダメだ、などときれい事を口先 で並べてみても、実際に何かを始めようとするとやはり尻込みしてしまう。 池田88が終わってしばらくの間、僕は高田さんの言葉が気になって仕方なかっ た。 テクノ指向の人たちがたくさん出入りしているGVで、僕みたいな新参者が、 それも野良からそのままでてきて「電子行商」を始めようというのだから。 頭の中では、そこでの新しい出会いがとてつもなく魅力に富んだものとなるこ とを察知しているのだが、踏ん切りがつかなかった。 何か、自分がひどく拘束されていくような気がして。 でも、何と言ってもTaniさんからのメールは大きかった。 僕はその時、Taniさんが迎えにきてくれたような気がした。 Taniさん、勝手な思い込みですいません。 でも、僕はあのメールでグッと気が楽になったのですよ。 僕の「電直プロジェクト」の出発点は、八月二十日のTaniさんからのメー ルであったといってもいい。 それから四日後の八月二十四日、GV14番地「スペシャルプロジェクト」に 「電直>」のタイトルヘッダーが登場した。 ああ、とうとうはじめてしまった。 これから先、どう展開していくんだろうか。 誰も来てくれなかったらどうしよう。 高田さんからの「どうぞ、ボードを私物化してください」という言葉、やけに ズシンと来るなぁ。 ええぃ、なんとかなるさ。 「開き直り」ではじめてパソコン通信だもんね。 どうか、誰かが書き込みをしてくれますように。目次へ ホームページへ
産地直送をパソコン通信でやったものが、「電直」? いやいや、僕のやりたかった電直プロジェクトは、けっして「売ります、買い ます」ではない。 「直」とは「直結」を期待したものだし、それにはどうしても結ぶための手だ てが必要だ。 それが「電」である。 ここ数年、僕は農業とそれを取り巻く環境に疑問を持ち続けていた。 「農業」は、食料生産をするための職業。 確かにそうなのだ。 ところが、自分たちはその使命にどれだけ貢献しているのか。 こうした疑問を起こさせるものの一つが、国産農産物の自給率の低下なのだ。 カロリーベースでの自給率がとうとう50%を割ってしまった。 もとより、エネルギー資源を原油輸入にたよらねばならない資源環境なら海外 依存もしかたない。 ない袖を振るわけにはいかないのだから。 今のモータリゼーション社会と石油関連産業にとって、まさに原油は存続に不 可欠のエネルギー源である。 でも、こうした産業なり社会構造を支えているのは、「人間」だ。 その人間のエネルギー源は、「食料」である。 穀物自給率が3割を割り込みそうな今の日本は、なにからなにまで海外依存で 成り立っていかねばならないのだろうか。 GV8に「作物の科学シリーズ」を書き始めたり、電直を呼びかけたりするよ うになってから、僕の読書量はいままでになく増えた。 もちろん、ありまるほどの時間があるわけではないし、農繁期にそれをこなす だけの労力的な余裕も僕のところにはない。 でも、一年を終えようとしてる今、僕の「食」にまつわるライブラリーは今年 だけで数十冊にも及んでいた。 「思えば遠くへ来たもんだ」じゃないが、パソ通によっていろいろ勉強するよ うになったことは、自分自身びっくりしている。 学生の頃よりも、真剣だったかなぁ。 まだ、全てが見えてきたわけではない。 おそらく、一生かかって自分なりの捉え方をしていくものだろうなぁ。 とにかく、今の時点では、という価値判断をするのがやっとである。 ニュースでは、ことさら農産物の輸入自由化がとりざたされていた。「高い農 産物」との見出しもずいぶん目にした。 きっと、多くの人が「国産農産物はねぇ・・・」という印象をもたれたに違い ない。 でも、それを他人事のように、あたかも新聞の一読者の感じで見ていた方々が どれほどいたことだろう。 毎年、どんどんと小さくなっていく「自給率」の数字の後ろに、実は経済単位 では値踏みできないような「旬のこころ」とか「四季をめでる」とか、無形の 庶民文化が失われていくような気がしてならない。 来年の年賀状には、敢えて「温故知新」を使ってみた。 これは、自分への問いかけでもある。 そんなことをいいつつ、わが家の食卓を見れば、けっして大きな口をたたける ほどの拘りがあるわけではない。 すべてを自給しているわけでもない。 だけど、なんとかしていこう、という気持ちだけはしっかり持っているつもり だ。 僕一人だけじゃなく、皆と一緒に人間活動のみなもとである「食」について考 えていれたらと思う。 「食」は、けっして経済原則だけで捉えてはいけんのだ。[強勢] 僕は、どうしてこうも自給率の低下を憂慮しない風潮(はきついか)なのかい ろいろと分析してみる。 まず、貿易不均衡。 国際収支黒字。 貿易の対米比率が大きいこと。 これは、確かにあるなぁ。 加工食品、外食産業、ファーストフード化。 これも確かに大きい。 土地事情の悪化、核家族化、兼業農家の増加。 うんうん、これは大事だ。なんといっても、食文化を受け継ぐ場所がなくな ってきている。主婦のパート増加で、子供たちはどうしてもファーストフー ドとかインスタントに近づいてしまう。それというのも、日本の経済戦士と して確実な地位を確保せんがための「教育環境(塾通い)」確保のためだめ という。社会のソフト化によって、この方向はさらに加速されるかな。 生活の中での「食」そのものの比重が、社会構造の変化によって着実に侵食 されてきている。 流通。 私、作るシト。私、運ぶシト。私、売るシト。私、食べるシト。 もう、これでは「ありのままの食べ物」が食べるシトに伝わることなど無理 になってきている。運ぶシトが、外国からもってこようが、国産品を扱おう が食べるシトにとっては分からない仕組みが大手を振ってまかり通っている。 作るシトは、自分以外のパートがどうなっているのを伺い知ることができな い。 sigh・・ こうしてみると、「食」を考えていくための視点が、もうバラバラでまるで間 接税みたいに「広く薄く」分散されてしまっていて、トータルで捉えることが できないところが一番の問題に感じる。 自給率が低下しても、無関心なシトが多い理由は、このあたりにあるのかもし れないなぁ。 この一年、僕は「飽食・・・」に関する本を何冊か読んだ。 どれも、けっし て今の状態を「飽食」とみてはいない。 「飽食と言われている陰に・・・」が原題のようだ。 その陰には、ガンの増加や心疾患の増加、ストレス、アトピー、アレルギーと いった、「食」に関わる問題がいかに増えてきていることか。 「電直」をはじめて、僕はやはり一人でも多くの人がこの「構造的食文化の荒 廃」について語り合うべきだと思っている。 それは、もちろん自分たちの暮しを見つめ直すことだし、これからの子供たち にいかに好ましい環境を提供してやれるかに関わることだからである。 もちろん、普段のメッセージ交換の中でそれを声高に叫んでも、おそらくは相 手にされることがないかもしれない。 僕も、観念論に終始するつもりなど毛頭ない。 これは、あくまで僕の「こころの中」にあたため続け、「道標」とすべきもの なのだが。 なぜ、今「電直」なのか。 多少のこだわりをもって、ようやくワンステップを踏み出したばかりだ。 書き込みをしてくれる人が本当にうれしい。 そして、ありがたい。 最初は何をどう始めるとよいのか、不安ばかりが先にたっていたが、なんとな く今は落ち着きを取り戻しつつある。 今年も、残すところあと1日。 今年の総括、一体何点をつけることにしようか。目次へ ホームページへ
「電子的産地直送【電直】」も大晦日を迎えている。 今年は、まったくの試行錯誤だったので、やること為すことすべてが手探りだっ た。 そうそう、U口座だけは<S>さんやminoさんという先達がいらっしゃっ たので、すっかりおんぶにだっこしてしまった。 でも、U口座という発想は共通のツールを持ち会うという意味で、ほとんどP DSと同じではなかろうか。 電直がU口座という屋台骨をもったことで、どれほど共通意識を持てたことだ ろう。 U講座一つとってみても、ずいぶん「賢く」なったなぁと思ってしまう。 要するに「知らない世界を教えてもらえた」ということなのである。 僕は、U口座のminoさんの講座を聴講していて、あるいはホイミさんの体 験記を拝見していて、つくづくパソコン通信のありがたさが身に沁みた。 それとともに、僕が期待していたものがここに実現されているといううれしさ もあった。 自分にできることを惜しまず提供すること、これなのだ。 見返りを期待するのではなく、「共有していこう」という雰囲気、姿勢。 世の中が混沌として、把握できる場所がほんの身の回りだけに限られてしまっ ている今日、なぜネットワーキングなのかがここにあるような気がする。 僕たちは、絶えず自分にないものを意識し、その新鮮さに感動し、あるいは嫉 妬し、あるときは目標ともする。 人に限らず、「師」を求めることが「成長」であるのかもしれない。 「師」は最初から「師」であったはずもなく、教えを請うという存在があって 「師」たらしめている。 いかに良き師を求めるか、これこそいかによく生きるか、ではないかと思う。 「師」は、与えられるものじゃなく、つまり自分が求めるものだろう。 僕になくて、僕が欲しているものが「師」である。 通信をはじめて、僕は普段着のままの「師」にずいぶん遭遇したように感じる。 とりも直さず、それは僕自身の盲目の証明に他ならない。 通信をするようになって、急に気になり始めた「双方向性」。 この言葉も、それまではまったく意識する言葉ではなかったのに。 意識するようになったということは、知らないうちに「師」がいたことになる。 それはなんだろう。 ひっとすると、それが「双方向性」の証なのかもしれな い。 僕は、CUGやGVで、「電直」で、そしてメールで、「双方向性」がいった い何であるのか、おぼろげな輪郭が見えはじめたような気がする。 通信をはじめた頃、厚かましくも「通信は、GIVE & TAKE」などと 高をくくっていた。 でも、それはどうやら間違いだったと思うようになった。 minoさんやホイミさんの話には、そんな「打算」なんて恥ずかしくなるく らいの説得力をもっている。 双方向性とは、「献身的であること」と「打算のないこと」がなくては成立し えないのでは、というのが実感である。 絶えず普段着の「師」を求めること、「電直」をはじめてからの大きな収穫の 一つであり、教訓でもあった。 当初、「頬よせて台所からアクセス」を目標においた。(実は、これは僕自身 の切なる願望でもあるのだ) 「頬寄せてアクセス」、この言葉を知ったとき、本当にいい響きだなぁと思っ た。 もちろん、MSGも感動的だった。 欲張りの僕は、このアイテムをどうしても「電直」でやってみたいである。 それは、ネットワーキングが家庭のいざこざのタネにならなくてよいというこ とだし、「食」をどちらか一方の無理解に終わらせることなく楽しむことがで きるのではという理由からなのだ。 と、かしこまった理由づけをしてはみたものの、実際は皆でネットワーキング ができたらなぁ、という至極あたりまえな発想なのだ。 「食」を見つめるためには殿方だけではいかにも頼りない。 「OMPさん、何が分かるのよ」と言われると、僕には返す言葉がないのであ る。 そんなこと言わずに仲間に入れてよ、というような感じでやっていける日、ぜ ひとも実現させたい。 「電直」では、ものとこころのシャトルアクセスをテーマにしている。 「人」の存在感を感じないようなやりとりでは、「電直」の意味がない。 人間疎外というと、すこしばかり仰仰しいが、普段の生活でなんとなく疎外感 を感じている人たちは結構いるんじゃないだろうか。 田舎に住んでいる僕自身、それでもなんとなく疎外感を感じる。 それは、僕自身の姿勢の問題かもしれない。 しかしながら、ほんとうに気を休めて話ができる場があまりに少ないような気 がする。 通信に何を求めるか。 案外、そんな場が欲しくて始めた人も多いんじゃないかなぁ。 僕の場合は多分にそれがある。 「電直」を通して、僕は「食文化」や「食」を仲立ちとしたあたたかさを求め ようとしてきた。 そして、この主旨に賛同してくれた仲間によって、着実に「電直」スタイルが 築かれつつある。 ネットワーキングだからこそ可能な「情報の共有」、「相互啓発」、「信頼」。 「電直」のあり方も、いろいろな可能性を秘めているだろうけれど、問題はい かにお互いが絆を深めていけるかにかかっているだろうと思う。 アンチ人間疎外、アンチ食破壊、アンチ村崩壊にむけて、それぞれの参加者が 持ち寄れるものを提供しあえるような、そんなフォーラムになればいいなぁ。 ボードの名前が変わった日、仕事から帰ってログインしたとたん、「ついに、 始まってしまった」と思った。 これから、どんな人がこのボードに参加して くれるかが、まずもっての心配だったことを覚えている。 そしていま、僕は一人じゃないことを幸せに思っている。 「電直」参加の皆 さん、今後とも宜しく。 来年は、「電直文化村」を目指しましょう。目次へ ホームページへ
昨年の秋だったか、僕の畑に隣接するカラ松の山林がほぼ40年ぶりに伐採 された。 他人の山林だったが、十数メートルはあろうという木立が一月足ら ずの間に姿を消してしまうと、緑に被われた景観の中とはいえひどく寂しいも のとなってしまった。 人工林だから伐採は時の必然なのだが、ほんの少しの景観の変化に、いかに 自分たちの環境がのんびりと構えていたかが分かる。 人工林は成長の早い樹種が選ばれている。 十勝では圧倒的に「カラマツ」 が植林されている。 規則ただしく、まさに整然と植えられ、30〜50年の スパンで伐採を繰り返していく。 おそらく、経済的に生き物を育てていく仕 事の中では、もっとも粗放的でそして息の長いものである。 場合によっては、 数世代にわたっての仕事となる場合もある。 自分の仕事の成果が、自分の代でわからない仕事。 森を扱うということは そんな一面がある。 畑の仕事はそれほどでもないが、やはり半年、一年とい った流れで進行していく。 生き物を相手にする仕事。 それは、人間が自然の流れに連れ添っていく道 程でもある。 エゴが許されるのは、種を蒔く時と収穫するときだけである。 その間は、ひたすら自然の従者として生き物に接しなければならない。 それ は、いかに機械が進歩しようと、いかに品種が改良されようと、けっして踏み 越えることのできない法則でもある。 その最後のエゴを切株に見つける。 伐採された場所に足を踏み入れると、 うっそうとした山林を支えていたはずの切株が寒風に吹きさらされている。 さし渡し60〜70センチはあろうか。 切株は南側の成長がはやく、北側 の成長が緩慢であるため、年輪が非対称に向き合っている。 その本数を数え ると、昭和の歴史がすっぽりと収まってしまうくらいの歳月を生きてきたこと になる。 この木は、一つの時代の変遷を確かな年表にして今に及んだのだ。 「ここで、ピリオドが打たれてしまったんだ」 払い出された側枝がうず高く積まれた場所があちこちに点在している。 カ ラマツといえども、人工林である以上は経済の一つの単位として「栽培」され ている。 不用な枝が取り残されるのは当り前ではあるが、その景観はやはり どことなく寂しい。 植物としての「カラマツ」と材木原料としての「カラマツ」。 僕は、二つ の表情を見つめている。 「栽培」というものの本性に通じるものを感じる。 人間と植物、この関係をややもすると「主と従」、「金と物」としか見るこ とができない人間は好きになれない。 生き物と接する人々は、絶えず生き物 に学んでいる。 それが結果的に家計を潤してはいるのだけれども、「金」で すべてが割り切れるほど甘くないことをみんなは知っている。 田舎暮しには、収穫の喜びもあるがちょっと寂しい別れもある。 純朴とい えば聞こえが良すぎるが、育てることの慈しみあってのことである。 こうし た風景は、きっと昔から変わる事なく続いてきたものだと思う。 切株のでき た伐採跡地に、雪解けとともに新しい苗木がまた植えられようとしている。 OMP目次へ ホームページへ
自分達の回りには、公表されない(しようとしない)危険がいっぱいあるって 感じです。 よく、知人にポストハーベストの話をすると、 「そんなに危ないモノをみんなが毎日の食生活で口にしているわけで、 気にしていたら何も食べられないし、それに自分の健康がとりたてて 損なわれているわけでもないし」 という応えが返ってきます。 受け止め方の違いと言ってしまえばそれまでですが、少なくともそうした危険 性などを自分の身近な問題として考えることができるシトどうしが手をつなぎ あっていくことの必要を感じます。 危険性は、100万人に一人の影響でしかないから、気にする必要はないとい う問題ではありません。 この議論は、「交通事故が恐くて車に乗っていられるか」という危険性の議論 としばしば同質に語るシトもいますが、僕は違うと思います。 つまり、ポストハーベストには「危険性の蓄積」があるわけです。 毎日の摂取量は、ppmレベルであっても、それが様々な形に姿を変えて連続 する食生活の中から排除できないということは、「不慮の事故」と同じではな いのですよね。 南海の孤島で、旧日本兵が見つかったとき、毛髪中の農薬蓄積が話題となった こともありました。 僕たちは、目に見える危険に対しては、過敏に反応しますけど、目に見えない 危険に対しては、たいてい楽観視してしまいます。 自分に直接関わりがないものには、無関心を装おうとします。 (でも、案外実生活に心得があるので、自分自身への自責の意味もこめて) 「日本の経済は、工業製品の輸出によって潤っているのだから、ポストハーベ ストだかなんだか知らないけど、農産物は輸入しても仕方ないんじゃないの」 こうした話もよく耳にします。 でも、貿易と食生活を天秤にかけて計ることって、できるんでしょうか。 きっと、そんな事をいうシトも輸入穀物に毒々しいマーキングがされているの を自分の目で見たとしたら、「これが口に入るのかな?」と思うでしょうね。 でも、実際にはそうした危険性は「無色」や、「無臭」の場合がほとんどです し、そうだから、異質のものでも同じ秤で計ろうとするんじゃないだろうか。 これって、エイズという病気にもいえるんじゃないかな。 エイズの原因といわれるウイルスは、それ自身が病気をおこしているわけでは なくて、カリニ肺炎などに見られるように、普通ではまったくありふれた菌が 病原菌となってしまうわけでしょ。 僕たちは、目に見えない「ウイルス」によって、抵抗性を失ってきているんじゃ ないだろうか。 発病にいたるまでには、ウイルス自身の増殖が必要なのだけど、この過程は普 段なにげなく食べている物の中に、ごくわずかづつ含まれている物質が除々に 蓄積されていくのと同じではないかな。 そして、「安全」と思っていたものが、ある日突然たちふるまいを変えてしま う・・ 小麦粉の残留農薬、生産国ではきちんとした残留規制値が決められているので す。 でも、輸出されるものについては、これがあたかも「工業製品」でもあるかの ように自国では使われないような農薬をかけてよこします。 同じく、日本子孫基金のリポートでは、アメリカ環境保護局(EPA)の「食 品中の農薬に関する規制」が昨年、農薬メーカーからの規制緩和の声に応じて 改定が行われたとのことです。 それまでの基準では、加工農産物に使う農薬の登録に際しては、動物実験でまっ たく発ガン性がないことを必要としていました。(デラニー条項) しかし、昨年の改定では「全ての農薬と食品添加物について発ガン性の確率が 百万人に一人より低ければ無視しうる危険」と方向転換されました。 つまり、危険性の高いものは排除される一方、決められた(ここが重要です) 基準以下ならば危険性があっても使ってもよろしいということなのですよ。 これは、もちろんアメリカ国内での規制緩和でして、この基準が輸出農産物に 適用されるわけではありません。 なにしろ、アメリカ国内で使用できない農薬も輸出用の農産物には、農薬とし てでなく、腐敗防止剤とか妨カビ剤として「添加物扱い」で使用されているの ですから。 最近の農薬の使用量が国内でも多くなっている原因の一つには、農薬の低毒性 化がはかられているからなのです。 つまり、「病気に効きにくくなった分、回数を増やす」という道をとらなくて はいけない農薬開発が行われているわけです。 低毒性だから、安心なのでしょうか。 基準以下だから、安心なのでしょうか。 「そんな事に気をつかっていたら、何も食べるものがなくなってしまう」 確かにそうなんですが、「だから黙っていていいのか」、それとも「だからな んとかしなきゃ」と思うのか。 食に対するファッション感覚も結構ですけど、薄められた危険だから僕たちは 健康に暮らしていけるわけでもないでしょう。 「手作り」とか、「低農薬」志向もファッションとしてではなく、自分達の生 きるという感覚とより密接に結び付いた次元で考えていきたいものですね。 ポストハーベストは、ひょっとすると長期的なアメリカの食料戦略なのではな いか、あっ、これはちょっと考え過ぎでしたか。 OMP目次へ ホームページへ
先日、とある陶芸家の方とご一緒する機会に恵まれ、いろいろと普段はするこ とのない話に花を咲かせることができた。 その方は、北海道の浜益村に数年前に移住され、ほとんど自給自足の生活を送 りながら、陶芸に打ち込んでいらっしゃる。 離農跡地に入り、雪が降る数日前に自力で建てていた住居が完成し、間もなく 訪れた冬将軍に、「完成があと数日遅れたら、家族ともどもどうなっていたこ とやら」という話やら、無農薬で稲を作ったらその害虫退治(ドロオイムシ) に翻弄されたことなど、今の生活ではほとんど考えられない世界をくぐり抜け てこれられたとのこと。 やはり、実践を通しての談は迫力を感じる。 それを笑みを浮かべながら話さ れるのだ。 すごい人だ。 僕の職業が農業であることから、自然に話がはずんでしまう。 でも、ひっとするとこの人の方が僕よりもずっと「農業らしい農業」をしてる んじゃないだろうか、ちょっとうらやましくなってしまう。 農業には、「作る喜び」がなくちゃいけない。種を蒔くときの祈りと期待。収 穫の感謝と喜び。 それは、本来農業が明日の生活、明日の糧を与えるものという、おのれの生活 に根ざしたものであって、「食」に密接に関わってきた証でもある。 いや、「あった」というべきか。 でも、今の農業はどうだろう。金肥を大量につぎこみ、大型機械でまさに機械 的に作業を片付け、収穫されたものは「商品」として販売に回り、農家は代価 で食品を買って生活をしている。 このどこに本来の「農」の姿があるというのだろうか。様変わりと言ってしま えば実に味気ない変わりようではあるまいか。 だから、たとえ規模は小さくとも「自給のための農」を実践されている人をみ ると、かえって新鮮な感動を覚えてしまう。 その方が、「作っている米は、あんまりうまい米じゃないんだけど、とにかく 量が穫れる」と教えてくれた。 当世、「うまい米」ばかりが何故かもてはやされているのだが、病気に弱い品 種、多量の肥料、農薬、機械乾燥の結果生み出される「銘柄米」をひたすら生 活の質と称して求め続ける姿がどことなく侘しいものに思えてきた。 「うまさ」は、そりゃ「ササニシキ」よりも劣るかもしれない。けれど、自分 で手塩にかけて栽培したものを自らが脱穀し、精米して食べるという「うまさ 」は、決して「銘柄米」を物色する人には味わうことができないものだろう。 「なにせ、素人が始めた農業だから、試行錯誤の連続で失敗もあったけど、 やってみていろいろとコツが分かってきてねぇ」 もちろん僕たちが農業をやっていても、それは毎年が反省の連続で、一年一年 が勉強の積み重ねには違いない。一年一作の農業をやっているのだから、一生 のうちに経験する収穫は、せいぜい四〜五十回という程度である。 共感を覚えるのだけど、それ以上にどことなく羨ましさを感じる。何故だろう。 話が白熱してきて、「ドブロク」談義になってしまった。もちろん、禁制品で ある。 でも、ドブロク談義と日本の食文化の関わりはどうしても切り離せない。 彼は、陶芸家であり、土偶を焼いている。だから、縄文、弥生などの土器につ いても造詣が深い。土器の変遷は、食文化の変遷でもあるという。 もともと、土器は器の一種であった。土偶は当時の信仰に基づいたものとされ ている。 その「器」が、食器としての器から、「貯蔵」するための道具として用いられ るようになり、時代が一つ脱皮する。 貯蔵によって生み出されたものは、経済(貨幣社会)の始まりであるという。 稲作の普及、国の成立、「神」の出現。社会の階層化が始まった時期でもある。 そして、農耕を主とした「国家」が「米」という土台のもとに以後発展をとげ てゆく。 その中で日本の「米文化」が培われてきたのだという。 ところが、その流れが明治維新でプッツリと断たれてしまった。「酒の禁制品 化」である。 たかが「酒」と片付けてしまってはいけない。「酒」には、実に味わい深い歴 史が刻み込まれている。 それが、「発酵食品」文化である。 もちろん、ドブロクは米という日本の食文化の中で深く浸透してきたものであ るし、「麹」という実に巧妙な食品加工の技術が活かされたものである。 また、人類は世界のいたるところで独自の「酒」をつくりだしてきた。それは、 偶発的というよりも必然的といっていい。どこの食文化も、自前の「酒」を持 っている。 それは、農耕と密接な関わりを持ち続けてきたという証拠でもあるし、その技 術を語り継いできたところに「食文化」が形成されてきているのである。 話が横道にそれてしまった。 明治維新、時の政府はどんどんと洋風化をはかった。米の文化に「粉(小麦粉 )」の文化が乱入してくる。 それは、食の自給の放棄のはじまりであったともいえる。 なぜ、「こうじ(麹)」がそんなに重要なのか。それは、今の私達の食生活を 考えていただければ少しは理解されよう。 まず、「麹を自分で使う人はどれくらいいるか」である。もちろん今でも、漬 物をつけていらっしゃる方ならお使いのことと思う。さて、皆さんのご家庭は どうだろう。 漬物といえば、スーパーでパックに入っているものしかお目にかかっていない ご家庭も多いのではなかろうか。 ここで申し添えておくが、あれは本来の「漬物」ではない。日本の漬物は、 「発酵食品」としての漬物である。スーパーで売られているのは、「調味液」 に浸して作った「お浸し」である。 (むろん、本物がまったくないわけではない) そんなことも知らない人が多いのは、日本古来の食文化が大きく侵食されてい る証拠に他ならない。(僕はゆゆしきことと思っている) つまり、自ら作ることをしなくなったということである。 自ら作らなくなったということは、「語り継いでいけない」ということであり、 「作る喜びも知ることができない」ということでもある。 「語り継いでいくもの」がないものを果して「文化」と呼べるだろうか。 麹をいま手に入れようとすると、「こうじ屋さん」にいって買わねばならない。 ところが、それほど遠い昔でなくとも、ちゃんと自前で「麹」を作る技術はど こへ行っても「語り継がれて」いたのである。今は、明治生まれのおばあちゃ んくらいしか、そのすべを知らないのではなかろうか。 発酵食品は、その風土が長い年月をかけて育ててきたものであり、自然の恵み、 身近な産物を貯蔵保存するための知恵でもあったわけである。それは、現代の 科学で解きあかしても実に合理的で、無駄と害がない。 ところが、「ドブロク」がとりあげられてしまってからこの方、人々は自ら作 る喜びを味わう道を断たれてしまったばかりか、不必要に有害な「食」の洗礼 を受けることに相成ってしまった。 「こうじ」を使うというには、少なからずノウハウが必要である。つまり、 「生き物」を扱うのだからコツが必要なのである。 語り継がれてきたノウハウは、知ってしまえばなんのことはない。 ところが、「こうじ」が手に入っても使い方を知らなければおいしい手作りの 漬物はいただけない。(むろん、ドブロクも、である) 「食」を考えることは、自らが口にするものに関心を払うことに他ならない。 そ うして、「作る喜び」を楽しみ、語り継いでいくことではなかろうか。 OMP目次へ ホームページへ
片田舎で暮らしていると、「穫れたて」の感動がついつい当り前になってしま う。 トマトでも、熟したやつの色で頃合を見計らって食べるのが普通の生活をして いる。 でも、こんな食べ方って、ひっとするととても贅沢な食べ方なのかなぁ、など と思ってみたりもする。 「贅沢って、いったい何だろう」 可処分所得が多いこと、そう考えるシトもたくさんいろだろうな。 「ちょっとリッチな食事」なんて言うと、たまの休日に家族とか恋人と連れだっ て、しゃれた郊外レストランなんかで少しばかり値のはった夕食を楽しむこと を思い浮かべてしまう。 そうしてみると、「リッチな」という感覚は手の届く範囲での、日常からの脱 出といえなくもない。 その点、「贅沢」というのはもう少し手の届かないところにあるものを指して いるものだろうか。 金銭的、即物的な「贅沢」。土地付き、庭付きの一戸建て住宅とか、数百万円 もする高級車のオーナー(最近は、数百万では高級車とはいわないか)。 でも、きっとこの手の「贅沢」はピラミッドの上の方のシトにしか使いこなせ ない「贅沢」なのだろう。 事ある毎に「そんな贅沢な」なんて言われている我ら庶民にとっては、つりあ いのとれない世界かもしれない。 今の自分には、簡単には望めない世界、非現実的な世界、それが贅沢というも のだろう。 しかしながら、大衆の僻みかもしれないけど、物欲に走る贅沢は何処となく寂 しい気がする。 人の真似できない暮しぶりをして、優越感を楽しんでみたところで、それがい つまでも続くとは到底思えない。 そんなシトを見おろすような気分をもてあそぶのは、心の貧困を哀れみたくな るような「贅沢」である。 「贅沢」は、自分がするものではなく、他人が眺めるものかもしれない。 蜃気楼みたいに、近づけばまた遠のいてしまうような、まぼろしかもしれない。 なぜ「贅沢」に拘るのか、問題はそこにあるのだ。 例えば、「俺には贅沢なんか関係ないさ」なんて言いながら、手作りのログハ ウスで自給自足に近い、野生的な生活を送っているシトを見るにつけ、僕は 「贅沢をしてるじゃないか」と言いたくなってしまう。 他人に羨ましがられることには、どうも2通りのタイプがあるような気がする。 一つは「やっかみ半分」を伴うもの。この手の「贅沢」は、あまり好きになれ ない。 もう一つは、「心の広さ、豊かさ」を感じるもの。「人間してるなぁ」って、 ひしひとと感じるやつである。 これは、ほとんど価値観の問題でもあるのだけど、僕は後者の贅沢を目指した い。 四季の移り変わりを肌で感じ、太陽と土と水の恵みに浴し、絶えず自分と自分 のいる環境との関わりについて感じとっていけること、これこそが僕が田舎で 百姓をやっている理由なのだ。 数々の電子部品を集積した空間に住まうもよし、居ながらして古今東西の情報 に敏感でいられるもよし。 そうした文明が作り出す未来が、水面下でじわじわとハイテク汚染を進行させ、 弱者を置き去りにし、住環境を悪化させ、常に放射能のベクレル値を気にしな がら食べ物を選択しなければならないのなら、僕は敢えてそのような「贅沢」 を望もうとは思わない。 バラ色の社会の後ろで、「弱肉強食」なる原理を社会原則そのものみたいな風 に強要し、負け犬は去れ(農業もそう言われてるみたいだけど)と説く高度経 済成長国家が、果して高度な文明を持った国と言えるだろうか。 何かが欠落しているような気がする。 それは、「食べるために働く」のか、「働くために食べる」のかというアイロ ニーを噛みかえしていないために起こっているのではないかと思う。 だから、「贅沢」はお金で買えるなどという妄想にはまり込むあまり、犠牲に しているものの大きさが見えなくなってしまう。 僕は、今の日本はパック詰めの国だと思う。 実にきれいに包装され、きちんと計量され、店頭に並べられている。 ありきたりの「品質表示」で、いかにも購買意欲を駆り立てるような宣伝をし、 パックされている。 でも、その中に閉じ込められている「人間」が、はたして人間らしく振舞える かといえば、疑問符を打たざるをえない。 少なくとも、僕はパック詰めにだけはなりたくない。 「食べることができて、生きていける」のだし、「生きていられるから、働け る」という図式に立つと、「食」をファッションのように飾りたてて、お金持 ちこそが至上の幸福などという感覚には到底なれない。 だから、僕は高度な文明を築きあげた国というのは、決してハイテクに充満し た、あるいは国際経済で優位に立ったという視点だけで判断してはいけないと 思うし、自らの生存と子々孫々に至る衣食住の環境をきちんと保障していける だけの英知をどれだけ発揮しうるかが不可欠だと思っている。 個に立ちかえって、今の僕にはそのために何ができるだろうか。 うーん、やはり微々たる存在には違いないが、「食」を提供するものとしての 側から何等かの働きかけをしなければいけないのだろうなぁ。 一人じゃ心許ないから、たくさんのシンパを捜すことも必要だし。 案外、ぼくのネットワーキングはそのためのツールになっているのかもしれな い。 危機的な未来を招来する「贅沢」は、僕の辞書には載せたくありません。 OMP目次へ ホームページへ
僕が農学系の大学を出てやがて10年ほど経とうとしている。 実学の府から、実践の現場に足を踏み入れ、その間に肌で感じてきたものは、 「知識」と「知恵」の関係についてである。 農学というのは、実に守備範囲が広い。たくさんの自然科学の分野が密接に絡 み合った総合学問ともいえる。また、自然科学ばかりにとどまらず、農畜産物 の市場原理や農業政策といった社会科学の分野までもその範中に入ってしまう。 例えば、僕が専攻した飼料作物という分野では、もちろん植物学の知識や植物 栄養、栽培、育種、家畜栄養といった諸分野が密接に関わってくる。 しかし、そこで学ぶものは単なる「知識」にすぎない。 つまり「専門用語と過去の研究成果の見聞」に終始するわけで、プラモデルで いえば、「構造模式図」の見方がわかった(つもり)になっているだけのこと である。 ところが、研究の場から実践の場へ足を踏み入れると、「知識」だけでは到底 立ちいかない場面に数多く出くわす。 食べ物についても同じことが言える。 「この食物には、これこれの栄養が含まれています」なんていうことは、理論 として(知識として)は理解されていても、それだけでは「うまさ」は語れな い。 学歴偏重社会が言われて久しいが、偏重してきたのは何も学歴ばかりではなく、 「知識(机上の理論)」でもあったのではなかろうか。 そして、学問をするということが、あたかも「知識」を詰め込むということと 勘違いをされて、多くの学士を輩出してきてはいまいか。 ところが、いらく栄養素の含有量を分かっていても、「こく」とか「うまみ」、 「さばき」についてはどうにも手が出ない。 これらは、科学なんてものが登場するずっと前から生活の中で育まれてきたも のだし、道理云々以前の「知恵」である。 ところが、学問が大手を振ってまかり通ると、ついつい「知恵」がなおざりに されがちになってしまう。 ひどいのになると、「なんて非科学的な!」なんて言葉で罵倒されてしまう場 面も起きてくる。 しかしながら、科学で扱うものには必ず「条件」がついて回ることを忘れてし まっているシトにとっては、「科学万能」が真理に思えるのだろう。 条件なんて、そうそう実験室の中で行うようにきっちりとしていることなど、 実際には希といった方がよい。ところが、「知識偏重」教育を施されてしまう となんでも「知識」で順を追って考えないと理解できないこととなる。 食べ物には、「知識」と「知恵」がなければ「おいしさ」は生まれてこない。 そして、「知恵」は試行錯誤の中から獲得したり、または獲得され伝承されて きたものである。 その最たるものが「アク抜き」とか「さらし」といった料理技法であったし、 「ドブロク」などの酒の技法であったし、「漬物」「味噌・醤油」などの発酵 の技法であった訳である。 また、最近強く関心を持つようになってきている「アイヌ民族の食文化」など は、まさしく「北辺に生きる人たちの知恵」のかたまりといっていい。 そこには、自然の恵みに深く感謝するという独自の宗教観が裏打ちされている し、まして「知識」ですべてを片付けるなどという今日的なあさましさなどは ない。 僕たちが「学ぶ」ものは、何も「教科書」や「学術書」ばかりでなくてもいい のだし、それよりもまず「先人」に学ぶという姿勢が必要なのではないかと思 ってしまう。 ところが、その「先人」もどんどんと減ってきてしまっている。 僕たちは、「書」の功罪にも目を向ける必要があるのではないだろうか。 アイヌ文化は文字を持っていない。だから、口承文学が代々語り継がれてきた のである。僕は、この「語り継ぐ」というシステムは実にすばらしいものであ ると思う。 何も、「記述」が万能ではないのだ。すべてを「記述」に頼ってしまったので は「記述」以外の事象は過去に存在しえないことにもなりかねない。そんな危 うさを持ち合わせている。 家族のあり方が、核家族を基本とするようになったり、食品が「自ら作る」と いうことから「できあいを調理する」といったものへと替わってきている。 そして、その中心は「知識」至上主義の世界をくぐり抜けてきた「科学万能世 代」なのである。 僕たちが今、そして今後、賢明な食生活を行っていくためには、まず何をしな ければならないだろうか。 過去数千年の歴史の中で、先人が蓄積してきた膨大なノウハウをいかにたくさ ん「語り継いでいけるか」が鍵であるような気がする。 でも、その先人の口も僕たちの前から立ち去ろうとしている。 OMP目次へ ホームページへ
最近、野菜(葉もの)などが水耕栽培によって「工場的」に出荷されるように なってきた。 ミニトマトなどは、施設農業のエースとしてスーパーを賑わせている。 もちろん、ミニトマトは水耕栽培じゃなくたって作れるし、どちらで作ろうと 見た目の側に違いはないかもしれない。 でも、作る側にとってみると「農業」というものの捉え方が随分と変わるので はないか、そんな気がする。 この頃、児童虐待にまつわる忌々しい記事を目にすることが多くなった。 また、陰湿ないじめや暴力のニュースを見るにつけ、「どうなってるんだろう」 と思ってしまう。 「それと水耕栽培がどう関わってくるんだ」と言われてしまいそうなのだが、 「生き物」と生活を共にしていると、何故か無関係にないような、そんな気が してくるのである。 生き物のへのいつくしみ、これを鮮烈に感じる時は「生の瞬間と死の到来」を 自分の手にしたときではなかろうか。 農業という職業に従事している立場上、生き物との出会いと別れは避けること ができない。 植物でも動物でも、「言葉」を話しあえるものではないが、「表情」を読み取 ることはできる。 例えば、かわいがっていた「動物」の死は、単に無生物になってしまったとい う現実よりも、深い悲しみとともに「魂」の存在すら考えてたみたくなる。 また、出産は生命の誕生という現象ばかりか、人間としての自分を忘れてしま う、「生むもの、生まれるもの」への励まし、応援を無意識のうちに感じさせ てくれる瞬間でもある。 でも、こうした「瞬間」に直に立ち会える子供達が今はいったいどれ程いるだ ろうか。 農家の子供達は、大抵、犬とか猫、或は鶏、兎などをペットとして飼っている。 こうした動物たちと一緒にいることに何の不思議も感じていない。むしろ、そ れが当り前と思っている。 だから、誕生とかやがて訪れる「死」についても、小さい頃から接して育つ。 そこには、友達としての「動物」がいるのであり、悲しみの対象としての「別 れ」がある。 経済動物としての「子牛」の世話を任されていた子どもたちが、やがてその用 途のために売られていく日を迎えた時、泣いて親を困らせることは家畜飼育農 家では少なからず経験する話である。 その辺りを割り切っている親にしても、自ら手をかけた家畜の「肉」を進んで 食べる気はしない。 でも、こうした気持ちは恐らく都会で暮らす子ども達には理解することができ ないのじゃないかなぁ、そんな気がする。 いやいや、ひょっとすると大人たちもかもしれない。 いくら人間が特別な生き物だと思っていても、食べ物を食べて生きていくこと は他の動物たちと何等変わりはない。 その動物が生きていくためには、それを育む植物がなくては生物界は存在しな い。 ただ、人間が他の動物たちと違ってずる賢くなったのは、「理性と感情」を発 達させたからだろう。 知恵によって、独自の社会構造を発達させ、自然の循環の中の存在から人工的 循環を作り上げてきた人間だが、あまりに人工的循環の比重を高めてしまった ために、本来の「人間性」すら喪失しかけているのが現代じゃなかろうか。 肉屋で肉を買って、あるいはスーパーで既製のハンバーグを買って、食べ物は これが当り前と思って育った子ども達は、テレビで放映される優雅に草をはむ 肉牛たちの映像がどう自分達とかかわっているのかを理解することはできない だろう。 「食べ物はお金さえ出せば手にはいる」、これが理屈となってしまっているの かもしれない。 そうした環境で成長してきた大人たちには、「食べ物は自然の恵み」として感 じることができないシトもたくさんいるかもしれない。 生き物へのいつくしみ、食べ物は自然の恵み、そして現代社会の「いじめの構 造」、これらを直線で結び付けることは難しい。 しかしながら、「お金では買えないもの」の存在がいつの間にか感覚まひして しまってきているという危機を最近の凶悪犯罪を見ていて感じる。 農業という「生き物」を扱う職業にありながら、「工場感覚」で生産されてい くミニトマトを見るにつけ、感覚まひの毒ガスがひたひたと忍び寄ってきてい る気がしてならない。 狩猟時代、人間が祈るような気持ちで「獲物」を追い、苦痛を極力与えないよ うに「死」に至らしめ、無駄なく肉と皮と骨を利用し、自然の恵みに感謝した こと。 この時に生きていた人たちは恐らく今の僕たちの何倍もの「ヒューマニティ」 を持ち合わせてしたんじゃないだろうか。 いまの「食」を巡る社会の表情が、どうも次元の低い「飽食症候群」によって いたって病的に見えてしまうのは僕だけだろうか。 OMP目次へ ホームページへ
いま、僕は十勝という地域に根ざした百科事典作りに参加しているのだけれど、 そのスタッフたるや僕を含めて全くの素人集団。 そこで、各部門に分かれてそれぞれの分野の勉強会を行っている。 この間も、十勝の林業についての学習会ということで、地元の林業業界の方を お招きして、いろいろとお話を伺った。 形式はフリートーキングで、素人ならではの珍問も含めて、非常に考えさせら れる内容のお話を毎回伺っている。 今回の話で、「これはなにも林業だけ言えることじゃないなぁ」と感じた話が あった。 十勝の植林の歴史について伺っていたとき、「今、一番深刻なのは雑木の種子 がないことなんですよ」との話が出た。 人間が、単に経済的に有利からとの判断で、成長の早い「カラマツ」ばかりを 植林し続けた結果、「雑木林」が瀕死の状態にあるという。 「雑木の種子ならいくらでも採れるでしょうに」と尋ねると、「種子は採れて も、いい種子はもう手に入らないのですよ」との返事。 最初は何の事だか、さっぱり分からなかった。 つまり、人口林をどんどん作っていく過程で、長い年月が育て上げた立派な大 木は真っ先に切り倒されて、遺伝的に価値のある木はすでに存在しなくなって しまったというのである。 僕は、遺伝資源の問題は耕地の作物ばかりだと思っていたのだが、この話を伺 っていて、自分の見識の狭さをあらためて痛感した。 林業を語るこの人たちは、本当に「生態系」についての考え方をしっかり持っ ている。 砂防ダムを作るくらいなら、しっかりと森林を育てた方がよっぽど効果的だと か、森林が魚を育てるという話。 これもこの時初めて知ったのだけど、川べりに森林があると、木から川に落ち る虫が魚の餌になって、魚相を豊かにするのだという。 「そうか、木は昆虫も育てているんだ」 そうかと思えば、「いろいろな樹種があることによって、そこにやって来る鳥 たちもさまざまになる」。 十勝では、エゾリスという小さな野生動物の保護が話題になっている。 「エゾリスのために、その餌となる松の実をつけるチョウセンゴヨウマツを増 やそう」と保護の人たちは訴えている。 十勝といえば、耕地防風林、その防風林のほとんどは、リスの餌とならない松 傘しかつけない。 でも、そんな話をこの人たちに向けると、「そんな事だけではいけないのです よ」と言われてしまう。 動物は、一年を通して餌を捜し続けるのであって、松の実はある期間の餌にし かならない。 雑木があることによって、ある時はハルニレの花を、ある時は桜の実をという ように季節を通して求餌することができるのだと言う。 そんな話を次から次に聞かされると、一体今の人間は何をしているのだろうか という気がしてくる。 例えば、品種改良と称してどんどんと野生からかけ離れた「製品」を作り続け ている。 その時代のトレンドに合わせて、色を変えてみたり、甘さ、酸味を変えてみた り、長さを変えてみたり、重さを変えてみたり。 そして、さまざまな病気に対する抵抗性が弱体化するのを「農薬」という人工 物質で補い続けている。 「より純粋なもの」という化ものを当り前のものとして平然としている。 僕は、単一樹種の人工林がいかに脆いものかという話を聞きながら、たち返っ て今の自分たちの食の脆さを思っていた。 食材として生産される作物たちは、すでに野生の強さを失っている。 自然の営みは、すべて循環の中で進行してきた。 この循環には「無駄」がない。 話を伺った方の口から、「これからは経済林じゃなく、環境林に目を向けてい かなくちゃ」という言葉が出た。 一時の栄華を誇っているように見える今の社会も、考えてみれば「無駄」の連 続じゃないか。 「大いなる無駄が経済社会を成り立たせている」時代だとも言える。 でも、いかに近代建築の華麗な都市空間を演出しようと、あるいは一体何が材 料なのかも分からないような食べ物に魅力を感じようと、そこには純粋さを追 求するあまりの脆弱さがほくそえんでいる。 循環が絶たれた環境は、いくらお金をかけようとも復元しがたい傷跡を際だた せるばかりである。 「一本の木じゃ、成長はよくないんですよ、たくさんあって森林は育つのです」 この言葉は、今の僕たちの社会を、食文化を痛烈に批判しているような気がし てならなかった。 OMP目次へ ホームページへ
「おぼろ月夜」はとても美しい日本の情景をさりげなくちりばめた唱歌として 愛唱されてきました。 きっとメロディーを口づさまれた方も多いと思いますが、あの「菜の花」の情 景を歌詞通りに想い浮かべることができる人は、今の時代にどれだけいるでしょ うね。 僕は、田舎に住んでいるわけですけど、最近菜の花を見ることがめっきり少な くなりました。 水田が転作によって畑に代わってから、「蛙」の鳴く音もすっかり小さくなっ てしまったり。 それでも、僕なんかはまだなんとなく「おぼろ月夜」の世界が雰囲気として分 かる世代だとこだわってみたくなります。 そう、確かに今から2〜30年前の日本には、まさに「おぼろ月夜」の世界が ありふれた景観としてあったんですよねぇ。 田舎の僕でさえ「菜の花」を見る機会が減ってしまったのだから、きっと都市 空間では野生の菜の花なんて、ほとんど見ることができないのではないのでは ないでしょうか。 最近、僕は「一番家畜化された動物が実は人間」なのじゃないかと思うように なりました。 僕も実際に家畜を飼っているのですけど、与えられた空間に与えられた食事で 生活する様は、妙に同類の憐れみを感じてしまったり。 先ほどの菜の花じゃないけど、あるがままの自然の中で伸び伸びとした生き方 をしてみたいと思うのは、きっと鎖に繋がれた家畜たちも同じなんだろうなぁ。 自然回帰の夢を追い求める姿は、裏を返せば「野性喪失」のあがきかもしれま せん。 自分がどんどんと「家畜化」されていくのを歴史の必然みたいに見つめること は、ある意味ですごく自虐的なことかもしれません。 でも、そうした犠牲を払ってまで手にいれた今の時代が、本当に僕たちや僕た ちの子孫にとって望ましいものなのかといえば、僕は少しばかり悲嘆してしま います。 「野性」がどういうものなのか、ちょっと聞いた話をご披露しますね。 動物には、本来知らず知らずのうちに備わった能力が秘められています。 例えば、山野には食べられる草もあれば、食べられない草、すなわち毒草もあ ります。 野生動物は、毒草で死ぬことはめったにありません。 それは、食べられる草と食べられない草を嗅ぎ分ける能力を「野性」として持 ち合わせているからです。 家畜化された動物にだって、生死に関わるこうした「野性」はちゃんと備わっ ています。 原野に放牧された馬は、毒草である「バイケイソウ」という草を食べることは ありません。 でも、これを人間が草刈機で刈って、乾草の中に紛れ込ませてしまうと、せっ かくの「野性」もどうすることもできなくなってしまいます。 ありふれた野草である「バイケイソウ」が中毒の汚名を着せられる瞬間です。 「野性」はあるがままの状態、すなわち自然の状態で働くようにできているの であって、「人為」という環境では盲目となってしまうのです。 人間が手を加えてしまうと、「分かるはず、見分けられるはず」のものが「見 分けられなくなってしまう」状態に陥ってしまい、野性は喪失します。 振り返って、僕たちの日常はどうでしょう。 巨大な流通網が世界を網羅し、生鮮食品でさえ輸入されて食卓に登場していま すね。 また、「*カ月保存可能」なんて表示が小さく書かれた加工食品を「便利な時 代になったもんだねぇ」と関心しながら使っています。 でも、これは「野性の喪失」であり、「家畜化人間」の序章ではありませんか。 産地直送のアスパラが3〜4日でみずみずしさを失ってしまうのに、何故海外 から数週間もかかって日本に入って来るアスパラがしゃんとしてスーパーの棚 に存在するんでしょうね。 また、ファーストフードのフライドポテトも、日本では0.5PPMという残 留基準で使用が制限されている農薬が、アメリカでは発芽抑制のための「食品 添加物」と名を変えて、実に500PPM、つまり1000倍の濃度で使用が 許されているという現実。 僕たちの「野性」は、どこにいってしまったのでしょうか。 OMP目次へ ホームページへ
農業をやりながら、職業人としての生き方とヒューマンビーイングとしての生 き方に自己矛盾を感じる時がある。 あるがままに生きたい、自然に逆らわずに生きたい、野生的に生きたい。 小さい時から、絶えずそんな事ばかり思いながら育ってきたので、今の農業に 経済的な合理性と商品性、さらに国際競争力なんていう脅し文句をあたかも集 団催眠にかかるがごとく浴びせかけてくる世の中に、いささかうんざりしてし まう。 さりとて、いくら「エコロジカルに生きたい」なんて思い続けてみても、差し 迫った「生活」という現実の前に、それなりの妥協を余儀なくされてしまう。 あまり使いたくない農薬だって、病害虫の発生を間近に見て使わぬ訳にはいか ない。 もちろん、使用基準という目安以下での使用なのだけど。 農家には、防除暦なるものがあって、農協とか農業改良普及所などの指導機関 が、病害虫対策としての農薬使用基準を農家に呼びかけている。 生活の安定のためには、農業収入を確保せねばならない。 そのために高品質、多収穫のための栽培技術マニュアルができあがってしまう。 作物病虫害を最小限にし、発生の前の予防を絶えずふれて回る。 しかし、実際に指導されている通りに農薬を散布し続ければ、5〜6品種もの 異なった作物を作っている畑作地帯では、毎日が防除の連続になってしまう。 もちろん、そんな「指導」を間に受けて実行しているシトはほとんどいない。 指導する側のシトは、「基準」という原則論と「穫れなけりゃ、もともこもな いですよ」という究極の殺し文句で庭先講釈をして回る。 経済性の話はよくするが、安全性の話となるとガクッとトーンが落ちる。 そうなのである。 今の農業には、安全性を優先して営農を行うだけの物心両面の余裕などはなく なってしまってきているのだ。 成長を続ける二次、三次産業の尺度では、「基準」という上限ぎりぎりの限界 線にどこまでも迫り続けなければ、存在してはいけないというような「農業」 のあり方がまかり通っている。 もちろん、こんなばかげた挑戦を望む消費者など、誰一人いるはずはないに決っ ている。(いや、「そうあって欲しい」と言うべきだろうか) 僕だって、「こうありたい」と願う農業像と、現実に直面し、対処せねばなら ない農業との間には、頭を抱えてしまうようなギャップがある。 第一、環境破壊とか自然破壊などといいながら、その破壊の最たるものが農業 なのだし。 よく、環境問題について仲間と話をするときに、この話が話題に上る。 「十勝の農業、これ、既得権みたいな口ぶりで語られる事が多いけど、開拓な んて行為は自然破壊の最たるものじゃなかったか」 そこで農業をやっている僕には、この事を「過去の過ち」とするだけの潔癖さ はない。 人間が生活圏を広げるということ、これすなわち「自然破壊」なのだから。 でも、その自然破壊の結果として、新たなバランスが作り出されて、「食」と いう生存に欠かせないプロセスが生み出されていくなら、ある程度の正当性を 自分に言い聞かせられるかもしれない。 ところが、今の世の中が要求している「国内農業」とは、表向きには自給の確 保などと言いつつ、後ろ手で「農薬の漬物農業」へと追いやり、挙げ句のはて には外貨と引き換えに「存在の必要性を問わない」農業へ衣装替えをさせよう としている。 人口集中が生み出した恒常的な土地不足、そして地価の異常高騰。 いま、畑は「食糧を生産する場所」から、宅地供給予備軍としての注目を浴び ようとしている。 それにひきづられて、農業そのものが「食糧生産」とは違った次元で注視され、 シトの心はすっかり「農」から離れようとしているんじゃないだろうか。 日本の農業が苦しい理由の一つには、地代の高さがある。 農業人口がこうまで減ってきているのに、農地価格はやはり高い。 地代が農業生産による経済価値で売買されるなら、こうも実勢からかけ離れた 値段をつけるはずもないのに。 ここにも、一つの「離農」の姿があるのだと思う。 「開発」という名の青天井の付加価値原理が、「農地」も「農民」も、それか らシトの心までも変質させてしまったのではなかろうか。 でも、僕の中に朽ちきらない「農」があるように、激変の消費社会の中にあっ て、その歪みに疑問を抱きながら、人間らしく生きていくということに、ある いは子供たちに恥ずかしくない未来を残していきたいという仲間が声をあげは じめた事、これは救われるような気がする。 そうした「振り返り」の声こそが、その日に追いまくられた農民たちや都市生 活者に「共生」のきっかけを与えてくれるに違いない。 僕の自己矛盾も、「精神的帰農」があってこそ「明日」という希望に昇華させ られる。 みんな、もっとエコロジカルに生きようよ。 シトをあてにしていたんじゃ、決して「安全な食」なんて手に入らないよ。 だから、みんなで帰農しようじゃない。 土に帰ろうよ。 OMP
© Seiji Hotta
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