ご存じ、丸元本の紹介です。 「いま、家庭料理をとりもどすには」 丸元淑生 中央公論社 1,010円 それと、関連してもう一冊。 「天然の食卓をつくる本」 − 微量ミネラル元素と、たとえば健康の話 高木亜由子 情報センター 910円 この2冊の本と、今の日本の農業の行われかたについては、実は密接な関係が あると僕は考えます。 丸元本には、食品を3つの要素、すなわち「ビタミン、ミネラル、アミノ酸」 という要素から眺め、そのバランスを詳しく解説しています。 丸元さんの著書の根本にある「健康に生きるためには」という考え方、そのた めに科学的な情報の収集に基づいて「人間が健康に暮らすための食品のあり方」 が実践を交えて公開されているのですね。 科学がすべて万能という考え方、これは知識がたえず今まで見えなかった分野 を探し求めて、新発見につながってきていることからみても、それを鵜呑みに することはできません。 かといって、それじゃぁまったくあてにしなくてもいいか、といえば、それは あまりに原始的です。 「おいしけりゃいい」とか「簡単に料理ができるから、便利でいい」だけでは、 食が直接つながりを持つ「健康に生きる」ことにはなりません。 僕はお百姓さんですから、作物にどんな肥料を与え、どれだけの量を施すかに ついては、たえず関心をもって作物を育てています。 でも、植物にしても動物(もちろん、人間も含めてですよ)にしても、無機物 をダイナナミックにとりこんで成長することになんら違いはありません。 ただ、植物は動物にはない特性、すなわち、「太陽エルネギーを固定する」力 をもっているわけです。 動物は、基本的にはその「固定されたエルネギーを利用する」ということで、 走ったり、食べたり、寝たり、あるいは「考えたり」できるわけですね。 作物にとっとは、「肥料」であっても、「生き物」としての植物にとっては、 人間と同じ「栄養」なのです。 科学が急速に、しかも加速度的に(もう64MビットのDRAMが実用化を迎 えてる時代なんです−指先ほどのチップに音声で1時間ほどの情報が記憶され てしまうなんて!)進歩を遂げているというのに、僕たちの目はついついそん な「新しい発見、発明」にばかり向いてしまいがちです。 でも、斬新なデザイン、未来感覚のシェープにばかり気をとられているさなか、 PH3〜4なんていう強い酸性の雨や霧が都市空間を襲っていたり、樹齢が百 年を越えるような大径木が枯れていったり、昔はあまり注目されなかったよう な病気(たとえば、アトピー性皮膚炎とか、日本にあっては大腸ガン、肺ガン、 乳ガンの増加など)がにわかに注目されるようになってきています。 数日前、僕が話を聞いたK老人の言葉にも、いみじくみもそんな内容がありま した。 「科学は、たえず新しい発見、発明をしてきたが、実はその一方でその発明、 発見のために発生した問題もたくさんあるのだ」 「科学は、前ばかり見ていてはいけない。とりこぼしたもの、犠牲になったも のへのフォローが伴っていなければ、本当の科学とはいえない」 「たとえば、河川改修で降った雨を短時間のうちに海へどんどんと流し去ると いう事を、どんな小さな流れのあるところでもやってしまっている」 「昔は、洪水で河川が氾濫して、富沃な土が河川の回りに堆積し、それによっ て土のミネラルバランスが確保されていたんだ」 「日本くらいだよ、堤防のすぐ近くまで住宅を立ててしまっている国は」 「ところが、今は降った雨が海へ直結してしまって、その流れで運ばれる養分 がどんどんと陸地から失われてしまう」 「アメリカの塩害(耕地の乾燥化で起こる)を笑っているが、日本の土だって 実は同じことが起こっているんだよ−ただ、降水量が多いだけの話で、植物に とっての、あるいは人間にとってのミネラルは溶脱、収奪の一方だ」 「家庭廃液(洗剤など)や炭酸飲料に多量に含まれるリン酸も、河川に流れこ み、それが海に直接入るので海の富栄養化がおこる。赤潮の大きな原因も、元 をたどれば直線的にコンクリートで改修された河川にあるんだ」 この話の中で、実はいまの農業の抱える問題点、健康が脅かされているという 問題が間接的に提起されているんですね。 植物が必要とするミネラルには、およそ90の元素が関与しているとされてい ます。 このミネラルバランスを確保するためには、それが「土」の中に適量存在して いなければなりません。 しかし、戦後急速に使われはじめた「化学肥料」は、植物の健康よりも「収穫 量」に重きをおいてきたために−つまり例の「窒素、燐酸、カリ」という3要 素です−やがて微量元素が収穫されつくされてしまうとそのバランスを失って しまった状態になるわけです。 そして、河川の改修によって、土に微量元素(この定義は、生体中にごく微量 −10グラム以下−に存在する元素(trace element )です)が補給されなく されてしまった今、日本の畑は「ミネラルの乾燥化」がどんどんと進行してい るのですね。 これは、とりもなおさず「人間の微量ミネラル不足」を意味し、日もちの悪い 野菜、水っぽい味の野菜、そして、昔はあまりなかった病気の増加を招いてい るのですよ。 そこで、なぜ今、「有機農業」とか「無農薬栽培」が声高に叫ばれるようになっ てきているのかが、少しお分かりいただけるのではないでしょうか。 戦前の農薬といえば、ボルドー液とかマシン油といった、ほんの数種類のもの しか普及していなかったのです。 というよりも、使わなくても「穫れた」のですね。 ところが、河川氾濫がなくなったり、森林が伐採されて降った雨がドッと川を 下って海に流れこんでしまうようになり、微量ミネラルを吸収した作物を畑か ら持ち出す一方で「化学肥料による窒素、燐酸、カリの補給」にばかり傾注し てしまえば、健康のはずの作物も病気にかかりやすくなったり、味が落ちたり するのは「当然の帰結」なのです。 直線的に河川を改修することが、果して本当によい面ばかりをもたらしたのだ ろうか? 昔、僕が魚釣りをしていた小川も今ではきれいにコンクリートの川となってし まっています。 もちろん、今の子供達は僕がやったような魚釣りなどできるはずもありません。 一見、なんの関連もないような河川改修と野菜のおいしさ、そして人間の健康 ですが、僕には密接な関係で結ばれているように見えるのです。 最初に紹介した2冊の本、それはなにも「食事」をどうすればよいか、という だけの内容ではないのです。 ここでぜひ考えていただきたいのは、都市の農村、生産と消費が、自分達の健 康、子孫への財産という考え方から共に手を携えてこの問題に取り組んでいか ないと、21世紀へ大きな禍根を残すことになってしまうということです。 一部の農民が「有機栽培」に取り組んでいても、それでは問題は解決した事に はならないのです。 人間の体は、その96.6%は酸素、炭素、水素、窒素からできているのだそ うです。(「天然の食卓をつくる本」より) でも、人間の思考や行動を支えるには、実は残り数パーセントのミネラルの存 在が不可欠なのです。 土に健康を取り戻すためには、自分の健康の問題として生産、消費双方の側が 関心を持つ必要性を強く感じます。 土の健康、それは作物が健康に育つことができる土壌環境を意味します。 過度の除草剤散布は、せっかくの土壌微生物までも殺してしまいます。 「グルメ」も単なるトレンドとしてじゃなく、今の科学の時代が置き去りにし ようとしているものに、「食べる側」からもスポットを当てていって欲しい。 みんなで考えようじゃありませんか。 そして、僕たちが目指す「当り前の農業」を多くのシトたちに「おすそわけ」 しましょうよ。 堀田誠嗣目次へ ホームページへ
どうも日本という国は、「白」が異常に好きな国ではなかろうか。 それも、くすんだ白ではなく「純白」でなければ我慢できないとでもいうかの ように。 こんな事を丸元本を読みながら考えてしまう。 戦後、アメリカの進駐軍政策によって、アメリカから多量の小麦が日本に入っ てきた。 学校給食が脱脂粉乳とパンになったり、「米文化」から「小麦粉文化」へと食 を巡る情勢は敗戦を機に一変してしまったのではないかと、そんな感じさえし てしまう。 でも、実は米から小麦粉という穀類環境の変化と同時に注意しなければいけな いのは、「色つきから純白へ」という嗜好の変化である。 嗜好というととりとめのない言葉だが、物販の様式がファッショナブルに、し かも人手を省くという大量販売の方向に傾くと、いかに人の目を集めるかとい う「ディスプレイの仕方」がいつの間にか「作られた嗜好性」を生み出してし まう。 風呂好きで清潔好きな国民性、それと関係あるのかないのか、いづれにせよ白 が好き、それも純白が好きという消費性行を巧みについて、食の世界でも脱色 という手法が幅をきかせている。 たとえば、「白いお米」。 玄米を精米して、炊きあがりのきれいなお米にするのはいいが、その過程で貴 重なビタミン、食物繊維が本来の「米」からなくなってしまう。 わざわざ手間暇かけて、高いコストを支払って、栄養がなくなってしまった米 を口にしているわけだ。 小麦粉にしても同じ事が言える。 欧米の食パンに比べて、日本で市販されている食パンがあまりに白いというこ とが、丸元本「いま、家庭料理をとりもどすには」で触れられている。 米と同様に、小麦粉も精白の過程で穀粒の回りの食物繊維が「ますま」の形で 取り去られてしまう。 欧米のパンは、白くないのだそうな。 それというのも、欧米では製粉業者と消費者との長い間の交渉が「白の神話」 を打破してきたようなのである。 (「いま、家庭料理をとりもどすには」、193ページ) では、日本ではどうだろう。 今、国内小麦は内外価格差のために毎年のように政府売り渡し生産者価格の 引き下げ諮問がなされている。 それと同時に、品質の向上、生産コストの低減を求められてきているわけだ が、この「品質向上」という言葉が実はくせものなのである。 国内生産小麦は、製粉業者の手によって小麦粉となるのだが、この品質の話 が出るたびに引合いに出されるのが、実は「白さ」なのだ。 比較のために持ち出されるのが、「ABW(オーストラリア スタンダード ホワイト)」という小麦の品種である。 小麦粉は小麦の粒の外側を被っている種皮を機械的に取り除いて、製粉され ている。 ところが、国産の小麦では種皮の色が濃く、どうしても製粉するとくすんだ 小麦粉となってしまう。 その点、ABW(輸入小麦)は「日本人好み」とでもいおうか、いやいや、 製粉業者好みといった方が適切だろうか。 日本が「ゆとりとか質を求める時代の到来」を声だかに叫び、やれ余暇の時 代だのリゾートだの、高級品志向だのとラッパを吹いてみても、それが本当 に「人間本来の健康的な生き方、暮し方」に結びついていないのなら、まさ に「絵にかいた餅」になってしまう。 玄麦に含まれていたバランスのよい栄養、それが精白の際にせっかく含まれ ていたビタミンB群を中心として、すっかりズタズタに寸断されてしまって いる。 全粒小麦粉を使ってパンを焼こうという、というシトたちの増加はなにもそ れがトレンドだからではないのである。 しかるに、諸外国から安い原料麦を輸入し、せっせと精白して、白いパンの 原料を提供している製粉業者はあくまで「白」に固執する。 では、どうしたらこの「白の恐怖」から逃れることができるだろうか。 それはやはり、「生産と消費」の両方から、自分たちの健康を確保してため の働きかけをしていくしかないだろう。 例えば、地方の小さな製粉業者に頑張ってもらって、「白い小麦粉はいらな い」という運動を展開していくのである。 「えーっ、まだ白い小麦粉使ってるの?」という井戸端談義があちこちで起 こるくらいでなければ、「白いファッション」は当分廃ることはないだろう。 砂糖にしても、米にしても、小麦粉にしても、素材のよさが見た目のために 切れ捨てられてしまって、それでもって大腸疾患、循環器疾患の増加という 病気の洋風化が進行中というのはなんとも愚かしい話ではあるまいか。 「おしろい」にばかり気をとられていないで、「素顔」の美しさを見極める 「目」がいま、われわれに求められているのではなかろうか。 「純白」はウェデングドレスだけにして、お金を払ってまでして捨ててしまっ ているモノ、ココロを見つめなおしてみたいものである。 堀田誠嗣目次へ ホームページへ
食のエッセイ>speax3がやってきた その1 1990/ 8/11
ついに、FAXをいれてしまった。 というよりも、FAXがこれからの【電直】の作戦遂行上、どうしても必要に なってきたからである。 【電直】とFAXの関わりは、1989年1月に始まった「ヒロミ作戦」に遡 る。 このヒロミ作戦とは、ソンチョの知人である愛媛県は広見町のシゲルさん、そ してGV3−12、14でおなじみのタケシさんをGVの仲間たちの総力をあ げて支援し、パソコン通信の世界へお誘いしようというものだった。 もちろん、当時のシゲルさん、タケシさんはパソコン通信とはまったく無縁の 世界にそれぞれ力の入ったお仕事をされていたのである。 シゲルさんは、ヒロミで醸造業をされている方で、地域特産の柚を用いた製品 の開発を通じて、独自のポリシーのもとに地域問題、農業問題に取り組んでい らっしゃる。 タケシさんは、ご存じ「野村学園の版画詩カレンダー」を通じて、僕たちがつ いつい見失ってしまいそうな人間のやさしさ、あたたかさ、そして純真な目を 問いかけて続けていらっしゃる。 ソンチョは、そんなお二人をなんとかして通信の世界へお誘いすることによっ て、そこに広がる人間味溢れるネットワーキングの成長を心秘かに画策されて いたに違いない。 そんなヒロミ作戦で、GVとヒロミを結んだものは、実はプリントアウトマラ ソンとFAXボランティアだった。 今にして思えば、FAXとパソコン通信のブッキングノウハウは、すでにこの 時できあがっていたのかもしれない。 岡山の潜子さん、広島のシンヤさん、ヒロミのFAX交流の時には本当にお世 話になりました。 パソコン通信には、時間と地域を越えたネットワーキングの無限の可能性があ る。 しかし、それを享受できるのは「ネットワーカー」と呼ばれる一部の人たちに 限られてしまっている。 本来、ネットワーキングはより多彩な人間交流をさしているものだろうけど、 「パソコン通信ネットワーキング」だけが先鋭的、独走的に見られてしまうの は、まだまだ通信人口が少ないせいかもしれない。 GVというグループがやるからには、「パソコン通信ネットワーク」ではいけ ないと思うのである。 あくまで、「人間ネットワーキング、万歳!」であって欲しい。 僕たちは、パソコン通信の啓蒙のためにアクセスしているんじゃないし、それ は単なる手段の一つではないだろうか。 ヒロミの劇的な展開を体験した僕は、この時から「パソコン通信」という見方 を一つ乗り越えて、「人間ネットワーキング」という目標に向かって走りだし たような気がする。 PC−VANがFAX送信のサービスを提供するようになり、僕たちのアクセ スエリアはパソコン通信環境を持たないところにまで拡大した。 ところが、リアルタイムに近い双方向性といった点からすれば、情報のリター ンに弱点を抱えている。 そんな思いが積み重なって、念願のFAX導入となった。 マルチメディア研究のテーマかもしれないが、FAXはパソコン通信とパソコ ン通信環境をもたないシトたちとの架け橋として、はかりしれない魅力を秘め ているような気がする。 特に、【電直】のようなプロジェクトには、うってつけのメディアではないか と思っている。 僕にとってのFAX作戦、始まったばかりではあるが、胸騒ぎ、夢膨らむ、そ んな感じである。 堀田誠嗣目次へ ホームページへ
食のエッセイ>speax3がやってきた その2 1990/ 8/12
電子的産地直送【電直】が産声をあげたのが1988年11月7日だから、か れこれ3年の時間が経過したことになる。 ボード開設当初は、まるでおっかなびっくりで、さまざまなトライアルとノウ ハウの確立にGVの心ある仲間たちが手を差し伸べあっていたように思う。 僕が【電直】実験に提供できる作物があるうちはいいが、その後はどうしよう か。 また、【電直】での話題が途切れてしまったらどうしよう・・・ ボードが閑散としてしまったらどうしよう、と、そんな不安を心の片隅に抱え ながらのスタートだった。 もちろん、そんなそぶりは表に出してはいけないのだが、時間が経つうちにそ れも無用の気遣いであることがわかってくる。 【電直】は、OMPがやっているわけじゃないのである。 確かにGVでの「いいだしっぺ」には違いないが、【電直】への思いいれ、愛 着、そして期待は参加している仲間たちそれぞれの中にしっかり根をおろし、 そして成長をはじめている。 3年たった今、このボードには一人一人の農家と都市生活者、消費者というつ ながりと平行して、大規模生産と資本蓄積の追求とは少しばかり次元を異にし つつ、生産の規模よりも「食」文化と真正面から取り組む良心的メーカーとの 直接交流という芽が育とうとしている。 こんなことは、【電直】がスタートした当初にはまったく考え及ばなかった事 だった。 法人という組織、機構じゃなく、あくまで「個人(パーソナル)」という人間 性を機軸に据えた生産と消費、そして食にまつわる情報交流の延長上に、この 新しい流れが脈動を始めたのである。 パソコン通信に育った人間がFAXを使うとどうなるのか、今の僕の最大関心 事である。 ネットワーキングとは、「意のある人間のコンセントレーション」の過程であ るのかもしれない。 であれば、そこにはまじめに「食」を考え、工夫し、知恵を出し合うシトたち すべてが手をつなぎあっていけるだろうし、一農家であろうが、一消費者であ ろうが、あるいはメーカーに身をおく個人であっても構わないのである。 そして、どんなシトがこの【電直】ネットワーキングの場においてシンパシィ を持ちうるのか、それは互いにメッセージを交わしていくうちにはっきりして いくのではあるまいか。 神戸のMAKOTOさんの積極的、献身的なサポートによって、僕たちは灘の 酒蔵「菊千歳」、そこの谷専務との細くても長いつきあいをお願いすることが できるようになった。 もちろん、谷専務はパソコン通信などとは無縁の世界にいた方である。 ところが、一台のFAXが全国の仲間とのつながりをとりもってくれた。 これはすごいことじゃないだろうか。 FAXといえば、業務上の連絡という使われ方がなんといってもポピュラーな マシンであったはずなのだ。 これは、一昔前まで、コンピュータの使用が一般家庭ではおよそ考えられなかっ たのと非常によく似ている。 ところが、技術革新とそれに伴う低価格化が「民具」としてのパソコン、パー ソナルファクシミリを出現させたのである。 どう使うかといった野暮な能書は、僕たちには無用である。 なんたって、パソコンを高級ボールペンとして使う人種なのだから。 パソコン通信ネットワーカーがFAXを使うと・・・、これまた思わぬ使い方 が生まれるのじゃないだろうか、これである。 僕たちは、いわばアメーバとかニューロンといった、絶えずコンタクトを求め る触手を八方に伸ばしながら、そこに手を携えあえる仲間を求める存在なのか もしれない。 縦社会の階級構造じゃない、あくまでシンパシィを連結機とした縦横無尽の球 形社会、そこにはパソコン通信をしていようがいまいが関係あるはずがないの ではないか。 だから、その切口にはFAXという接着剤が威力をはっきするんじゃないかと 思うのである。 これはひょっとすると、「成長する【電直】論」の一つの証なのかもしれない。 堀田誠嗣目次へ ホームページへ
食のエッセイ>speax3がやってきた その3 1990/ 8/13
FAXを設置してみて、少しばかり感じたことがある。 それは、「電子メール気分」である。 一見、封書の手紙を受け取って、中にどんな内容が書いてあるのかワクワクし ながら開封するような、そんな期待なのだ。 前触れもなく、「【到着】」のサインで発信者を見に行く、そんな楽しみであ る。 ところが、しばらくメールがなかったりすると、急にもの寂しくなって自分が 孤立してしまったような、そんな気分を体験することがある。 電子情報という便利さ、手軽さの裏には、ひょっとするとこうした使えるが故 にそれを享受できない時の不安、孤独が存在するのかもしれない。 PC−VANが10万人を越える会員を抱えたネットであっても、だからといっ て会員になれば電子友人がたくさんできるというものでもない。 「持っている」とか、「所属している」といったステータスを誇示してみたと ころで、それだけで自分の世界が広がるというものでもないだろう。 FAXにしても同じである。 黙っていたのでは、いつまでたっても「沈黙の利器」でしかない。 沈黙の利器を本当の意味での利器として使うためには、やはり自らがそのパワー を引き出す努力が必要となる。 それが「ネットワーキング」につながることは、明白なのだ。 FAXで情報のやり取りを経験してみて感じたことは、まさに電子メール感覚 そのものなのである。 ただ、FAXにはどことなく肉筆の味わいを予感させる魅力がある。 電子メールとはいっても、それはプリントアウトしない限り、いつまでたって も電子ファイルでしかない。 電子ファイルだからこそできる保存性、加工性も捨てがたい魅力ではあるのだ が、「face to face」的なメール感覚という意味では、FAXに 軍配をあげてしまいたくなる。 要は、「コミュニケーション ツール」という同じ仲間なのだが、包丁さばき 次第で出来上りの味わいは旨くもなればまずくもなってしまう。 到着したばかりの我が家のFAXは、いまのところ「沈黙の利器」を余儀なく されているのだが、これはまさしくOMPの包丁さばきがおぼつかないためで、 かわいそうな思いをさせてしまっている。 我が愛機を活き活きと働かせてやるためには、目いっぱい料理の腕を研かねば なくちゃね。 FAXとパソコン通信のドッキング、そして【電直】という情報プラス食文化 のネットワークとのリンクによって、果してどんな料理ができあがるだろう。 見た目の料理じゃなく、食べることを心底楽しめるような、そんな料理を作っ てみたいのだが。 堀田誠嗣目次へ ホームページへ
農業というものを産業の分類の目でみてしまうと、そこにはどうしても生産性 とか効率といった算術計算の比較が持ち込まれてしまう。 「農」と「業」が、どちらがどれだけの比重を占めているのか、最近の目まぐ るしい農業情勢の変化とその際沸き起こる議論に接するにつけ、やはり考えて しまう。 社会分業と人口の一局集中、それに伴うエネルギー消費の増大がもたらしたも のは、自然環境と人工的居住空間のアンバランスであったり、文明の利器をし てそれがない時の暮しを考えることができなくなってしまった新人類の出現で はなかろうか。 今の農業がまだ幸せだと思うのは、実はそうした「文明の利器がない時」とい う環境の追体験が簡単にできてしまうというところである。 手作りでせっせと堆肥を作ることもできれば、無農薬で収穫を迎えさせること も、あるいは穫れた作物をまったく原始的手法で貯蔵加工することもできる。 ところが、それをやることがどれほど大変なことか、実行する農民がほとんど いないという事実が如実に物語っている。 後戻りを困難にするような技術革新を単なる「進歩」という言葉で片付けてし まってよいものなのか、ひょっとするとそれは「後退」であるかもしれない。 その評価を便利さを享受している時に下すことには、やはり問題があるのでは ないだろうか。 農民をやっていて、ときどき「自給自足で生きていけたらなぁ」と思うことが ある。 「単位面積当りの収量をいかに上げるか」なんてせせこましい算段にあけくれ る農業を放り出したくなってしまうことがある。 ところが、農民の中にはもはやそうした回帰志向すら放棄してしまっている者 もいるところが恐い。 テクノロジーをすべて「進歩」と鵜呑みにし、場当り的な利便性のみに目を奪 われてしまっていたのでは、最先端という美酒に酔いしれた流浪の民になって しまうのではないだろうか。 そんな人類には、安住の地などはどこを探しても見つかるはずがない。 絶えず「最先端」に身を置かねば、落ち着くことができないのだから。 「農」と「業」の関わりが「業」に傾けば傾くほどに、そんな「最先端」を憧 れる農民を増大させていくような気がしてならない。 ただ、それを一重に農業者だけの問題としてしまえないところに、今の時代の 難しいところがある。 農民がすべて、「無肥料、無農薬、無化石燃料」で農業をはじめたら、おそら くは石油ショック以上の経済パニックが起こってしまうことだろう。 国内自給ができなくなった日本に対し、食料提供国は法外な値段で食料を売り こんでくるに違いない。 もちろん、こんなシュミレーションができるほど、日本という国が病んでいる とは思えないが、一つ、農業が「業」の比重を重くしながら今の食料情勢があ ることだけは間違いない。 時代の流れといったものが、いやがおうにもその社会構造を一つの方向に組み 込んでしまうように働かせることは、あまり幸福なこととは言えない。 「そんな事を言ったって、一人じゃどうにもならない」という場面は、だれし もが体験することじゃないだろうか。 例えば、いま流行の「有機栽培、無農薬野菜」、これを採算ベースを無視して やりたい農家はいったいどれほどいるだろうか。 「やりたい」のだが、「やれない」のはそこに「業」が深く入りこんでいるか らであり、マーケットとしての器が消費圏にできあがらないからであろう。 ここに、情報化社会の可能性が見えてくる。 「情報化社会」の機能が、時代の趨勢と思い込まされてしまったシトたちの頭 の中に、いままで思いもよらなかった選択枝を提供してくれるかもしれないの である。 それも、「ぜひ、やってごらんよ」という、心強い励ましの言葉を添えて。 そんな言葉をもらった時、束の間かもしれないが、頭の中の算術回路はフッと 姿を消してしまうかもしれない。 市場原理で動く経済構造の中にあっては、農の占める比率が下がれば下がる程、 「身動きできない農民、兼業割合を高めた農民」によって、農地の疲弊が進行 していく。 農民は、「農を業とする民」の前に、「農に生きる民」であって欲しい。 自然のリズムの中にあって、その存在を忘れては生きてはいけなかったのが本 来の農民であったはずなのである。 水耕栽培などの施設農業を除いて、いま尚、多くの農民は「一年一作」という 作物の成長パターンにそった栽培をしている。 一日何千個、何万個というペースで機械的に行われていく生産様式とは違い、 一生かかって、たかだか5〜60回の収穫しか体験できないのである。 だから、一回の、つまり一年の収穫がどれほど貴重なものであるのか、これは 経済とか効率といったものをまったく抜きにして、農民が味わうことのできる 自然からの恩恵、特権といってもいい。 それを忘れさせてしまうような「業」の侵食は、農村はおろか、都市消費社会 にも将来に渡っての禍根を生むことになりはしないか。 情報化という「最先端」が、僕たちにとっての「進歩」につながっていくため には、一刻も早く「孤独なマネーゲーム」から農業を救う手段として活かされ ていくことが必要である。 そして、一年の収穫の喜びを都市生活者と農民がわけ隔てなく享受できる情報 網こそ、歪のたまったいまの社会、これからの社会にとって大切なものになっ ていくのではないだろうか。 堀田誠嗣目次へ ホームページへ
秋の風景、農家をやっている僕の回りでは、作物たちが黄色く色づいてくるの がなんとも爽やかに感じる。 そうした色づきを目安に、農家は収穫の準備を始める。 真夏の日差しを浴びて青々と繁った作物たちが、めっきり涼しくなって虫の音 が聞こえる頃になると、まるで蝶が羽化をするかのように色づき始める。 専門用語では、黄変期と呼んでいるのだが、葉や茎にたまったでんぷんを子実 に転流させ、次世代へのバトンタッチの仕上げを行う成熟のサインである。 食べ物といえば、本当はどんなものにも「おいしい時期」というものがあるの が自然の恵みである。 そして、そのどれもが確かに成熟の色と香りと音をもっている。 「旨い」とか「まずい」といった当りはずれがあるのもやはり自然の恵みなら ではである。 刈り取りを目前に控えた菜豆の畑を眺めると、そこには何万本という個体が育っ ているのだが、近づいて良くみると、それぞれ熟し方に個性があるのが分かる。 さやの数や黄色の葉の色づき具合い、なるほどこれはまさしく個性である。 食品がどんどんと加工され、人工物が添加されていけばいくほど、より均一に 当りはずれのない味が作られていくのだが、そんな食品が増えれば増えるほど 僕には自然の恵みが輝いて見えてくる。 農家をやっていると、その毎日が作物たちとの対話である。 表情の変化があるから、その日の仕事が決っていく。 それが性にあっている。 「熟する」というのは、「腐る一歩手前だ」なんて話もあるが、それがいかに も自然の恵みらしいではないか。 今の加工食品ときたら、とにかく保存第一でなかなか腐らない。 どこの店で買っても、パッケージの中身ときたら同じ味ときている。 ところが、自然の恵みには食べごろというのが必ずあって、何がしかのサイン を見逃すことができない。 「旨い頃食べるのが旬」である。 そして、その「旬」を口にする時、今年もこの時期がやってきたなぁ、なんて 妙に年寄りじみた感慨にふけってしまう。 作物にも熟期があるように、人間にもその時々にきっと彩りがあるのかもしれ ない。 でも、人工的な環境で栽培された野菜たちに、いま一つ味の物足りなさを感じ るように、「旬」のない食の中で暮らしていくと人間の彩りもひょっとしてあ せてくるんじゃないかと、武骨な百姓は考えてしまう。 いつ、どこで食べてもそれなりにうまい食い物、そりゃ化けもんじゃないか。 まずさがあるから、うまさが分かるのが自然だし、食べごろがあるからその季 節が待ちどうしいのである。 古来、日本人は四季の変化に実に忠実に暮らしてきたし、だから「旬」なる言 葉が生きているのだろう。 「旬」はあくまで食卓での話だが、実りの秋を迎えた黄色く色づいた畑を見る につけ、自然の恵みに感謝したい気持ちになるのは、人生の「旬」が少しは見 えてきた証拠だろうか。 堀田誠嗣目次へ ホームページへ
畑の豆たちがちょうど収穫の適期を迎えている。 小豆は、かっこうの声を合図に種蒔を行い、菜豆(金時豆)はそれから1週間 ほどたってから種蒔を行う。 およそ三カ月半ほどで刈り取りを迎える計算になる。 一年365日、豆たちの一生はそうしてみるとずいぶんと短いものである。 しかしながら、その短い一生にもかかわらず、一粒の種から40〜50粒もの (菜豆)世継ぎを生み出す力には、なんとも生命のたくましさを感じる。 一粒の豆の重さなどはしれたものとバカにしてはいけない。 刈り取った豆は、天日で乾燥させた後、ニオというものにして積み上げるのだ が、ドッシリと莢(さや)がついた豆を積み上げると、一晩もたつと高さが2 〜3割も下がってしまう。 このつぶれ方が大きい年ほど、豆が豊作といえるのだ。 農家は、このニオの高さでその年の豊凶を実感する。 そして、この重さはまさしく太陽と土と水、そして命の営みの重さでもある。 僕たち人間は、この大事な命のエッセンスをいともたやすく口にしてしまうが、 モノとしての豆じゃなく、命の詰まった豆として見るならもう少し自分に謙虚 になれるのではなかろうか。 自然崇拝がいかにも原始的で、科学万能の時代にあってはなんとも馴染まない 宗教観のように思ってしまう訳だが、一粒の豆が作り出す命を糧に人間は文明 を築いてきたのだし、未だ光合成を人為的に再現するすべを人間は持ちえない のである。 人間の作り出すものは、いよいよミクロンの領域に及んでいる。 そして、精緻を極めたものこそ価値あるものとするような、そんなテクノロジー 崇拝的価値観に入り浸ってしまう。 雇用を生むものこそ貴重であり、人為的生産物の尺度で無理やり農業生産物を 計ろうとしたがる。 でも、こうしたモノの見方は、一粒の種からの成長とともに生きている農民に とってはなんともやりきれない思いがする。 ICのチップの重さと、豆の一粒の重さを果して同じ計りにかけて計ってよい ものなのだろうかと。 ICやLSIは確かに生活のしやすさに一大変革をもたらしている。 その設計、生産、組み込み、流通、小売と、計り知れない雇用を生み出してい ることは間違いない。 だが、そうした人の流れもモノの流れも、「生きる」という土台の上に成り立っ ているのだし、「暮らす」という階層はその上に存在するものではないか。 流通という場面で、人間は「重さ」に値をつけてしまうが、値がつけばそれが 同じようなモノとしての扱いで見つめられてしまうのがなんとも寂しい。 一粒の豆をモノと見るか、命とみるか、僕は手の平に豆粒をころがしてみる。 堀田誠嗣目次へ ホームページへ
人間の生き方にはいろいろな選択がある。 生き方というのは、何を生活の糧とするかという選択の仕方でもあるし、何に 生きがいを見いだすかという人生観でもある。 農業のような職業を選択する場合、これは飯のタネという割り切り方だけでは 済まないものがあるとつくづく感じる。 時間の強制があるわけではない。 かといって、あり余る程の自由な時間があるわけでもない。 自然の営みが相手だから、寒暖晴雨のきまぐれにも真正面からつき合わねばな らないし、諸外国との経済摩擦が問題になれば、たちどころに内外価格差をひ きあいに農産物価格引き下げの嵐がやってくる。 「きつい、危険、汚い」場面だって、ないわけじゃない。 じゃ、いったい何のために「ホワイトカラー」を蹴ったのか。 「そこに山があるからさ」とは、山男たちの言葉である。 僕も学生当時、実際に日高山系の山登りもやってみたし、あの頂上へ続く長い 山道を重い荷物を背負いながら一歩一歩踏みしめてみて、なんでシトは山に登 るのかという意味を実感した一人でもある。 登ってみなければ、絶対に分からないこと、例えば同じ山道沿いにもその時々 に違った美しさを魅せる「お花畑(といっても、野生に咲き乱れる天然の花園 ですよ)」存在、ショウジョバカマ、ハクサンイチゲ、チングルマ、ヨツバシ オガマなどなど。 晴れた日には晴れた日の表情で、霧の日には霞の中の幻想的でしっとりした表 情が登山者の目をいやす。 林道あり、沢歩きあり、山荘でのホッと一息あり、岩場と切り立った断崖をす ぐ脇に見ながらの稜線あり。 山頂に立ち、そこに広がる眺望を目にした時、「ああ、僕たちはあそこに生き ているんだなぁ」と、悠々と流れる十勝川の蛇行に毎度感激したものである。 時間軸、天候軸、高度軸、そしてパーティの輪という人間軸のマトリックス的 バリエーション。 小さい頃から親の働く姿を見、そしてそれなりに手伝ってきた体験から、天職 というものを物心がついた頃から意識していた自分。 山登りをやってみて、僕の職業選択はまさに「山登り」そのものだと思った。 今でもそう思う。 一度、前線通過を山頂付近で迎えた山行があったが、冷たい雨と横殴りの強風 をあびながら、稜線沿いの細い岩場の山道で「本当にこのまま生きて帰れるん だろうか」と思った。 あの体験以来、僕の自然志向は一層高まってしまった。 「あるがまま」の生き方とは、実はとても謙虚で「お金」では計りようのない 喜びを内に秘めたものじゃないだろうか。 その道程は実に単調なものかもしれない。 でも、「アクセク働いて何を残すか」じゃなく、「アクセク働いてどんな満足 が待っているか」だろうと思う。 「食」を生み出すことの充足と、かけがえのない自然が身近にある生活環境。 自らが作るものを食べ、加工し、貯蔵する生活の知恵。 自然の恵みにあずかるこの職業には、やはり「生きるもの」を引き付けてやま ない何かがある。 それを「生きがい」の物差しと呼んでよいものなのかどうかは、若輩の僕がい ま語るべきものではないだろうけど、自分にとっての定規になっている事は確 かである。 日本における農業の産業的位置づけと土地事情、若者が農業を嫌い過疎と高齢 化の進む農村は枚挙にいとまがないが、ある意味で僕はすごく好運に恵まれて いるんじゃないかと思うことがある。 今の日本における「土地」と密接に結び付いた就農環境から見て、余程のチャ ンスにでも恵まれない限り、まったく農業とは無関係の世界からこの職業に骨 を埋めることはかなり困難なのが実際である。 たとえ僕のような「生きがいの定規」をもって生きようとしても、この「土地」 という問題はそれを資本として持たないシトにとっては克服しがたい難題となっ てしまう。 「案ずるなかれ」、そんな土地にしがみついた若者など、そうはお目にかかれ ないご時勢ではあるのだけど。 肉体的な労働よりも、きれいでスマートな頭脳労働へとシトが流れていく時代 の潮流は社会のソフト化で一層加速されてきているような気がする。 きっちりと時間通りに働き、余暇を家族とともに楽しむ。 仕事一辺倒のビジネスマンから、仕事と余暇をきちんと割り切って過ごすよう なライフスタイル、どうやら農業を継ぐ若者が減少する理由にはそんな余暇志 向への憧れもあるのかもしれない。 3K(きつい、危険、汚い)を避ける男、3H(高身長、高学歴、高収入)を 望む女、ハイテク全盛の経済国家においては、どうやら「生きがい」の感じ方 も様変わりをしはじめているらしい。 経済三要素、すなわち「土地、労働、資本」にあって、労働と資本は動いて回 るものだが、唯一存在し続けるものが「土地」なのである。 いってみれば、日本が最後まで「日本」であり続けるための条件が「土地」、 すなわち古来の伝統、文化を今日まで息づかせてい山河であり、田畑であると 言ってよいのではないだろうか。 「生きていくための条件」には、もちろん安定は欠かせないものである。 でも、「安定」と「安楽」とはやはり違うのではないだろうか思う。 四季の移り変わりに迅速に対応した仕事をしなければならないこの職業にあっ て、一時の判断の狂いが後に大きなツケとなって回ってくることはよくある話 である。 でも、最終的にそのツケを払うのはやはり自分なのだ。 実は、今の僕にもそのツケを覚悟しなければならない事態が訪れている。 それは「よき伴侶」が不在な事である。。 農村の嫁不足は農業問題の一つにも掲げられるが、嫁不足なんて他人事じゃな い、僕にとってはまさに「嫁不在」問題なのだから始末が悪い。 自分がいかに「こう生きよう」と思っていても、やはりそれを身近で理解して くれるシトの存在がなければ、パワーは半減してしまう。 脈々と大地に根ざした生活圏を作り上げるためには、その意志を語り継がせた い子供たちだって必要なのである。 ところが、今もって「生きがい」を終生分かちあえるシトが僕にはいない。 うーん、さすがにこれには参ってしまっている。 大地に汗し、太陽の恵みと収穫に感謝し、あくまで在野の豊かさを分かちあえ るような女性に巡りあえないものだろうか。 「生きがい」の物差しを汗とともに計りながら、この空白にだけはいつもなが ら頭を抱えてしまう。 堀田誠嗣目次へ ホームページへ
食のエッセイ>「ブルータスよ、お前もか・・・」 1990/11/20
このところ、同業者のあまりの意識の荒廃ぶりにすっかりめげてしまっている。 この夏より、僕の住んでいる町のとある委員会に「町づくり」の10年を考え ていく委員の一人として出席しているのだが、会合のたびに落ち込んでしまう ばかりなのである。 「国破れて山河あり」、ひょっとするとこのままでは「山河」もなくなってし まうのではないか・・・ と同時に、今の農業という産業が直面している行き詰まりの深刻さをさながら 「ブルータスよ、お前もか・・・」との思いで痛感させられる。 河川の氾濫によって肥沃な土地ができあがることは、世界のほとんどの文明発 祥地がそこに生まれてきたことから見ても明かである。 ところが、今は違う。 肥沃な土地で農業をやるよりも、宅地開発などの不動産運用をされて農地でな くなってしまった方がイイというご時勢らしい。 北海道にそこかしこに刺さり込んできている「リゾート開発計画」のほとんど 全てはゴルフ場開発ばかりである。 安い農産物にしがみついているよりも、手っとり早くゴルフ場用地として山林 を売っぱらってしまった方がいいと考える農民がいかに増えたことか。 ゴルフ場開発が今後何をもたらすのかということよりも、目先の不動産所得が 得られればいいという風潮、これには何かしら世紀末の前触れといった恐ささ え感じてしまう。 僕が心配するのは、こんな目先のあぶく銭に気をとられてしまい、農地が単な る金銭評価でしか見られなくなってしまうという農業の行く末なのである。 もう60の声を聞こうかという同業者、それもりっぱな公職をやっているシト の口から、「開発、開発!」なんて言葉を聞かされると、田園の町づくりを心 から願っている純農村の町に住む一人としては、なんともやりきれない気持ち になってしまう。 初代が苦労して開墾し、二代目がその上に基礎を築いた。 そしていま、北海道の農業は三代目、四代目の時代を迎えている。 畑を切り開くために、切り倒した大木の巨根を一本一本、素手で掘り起こした という事実も、百馬力以上のトラクターが走り回る今の農地にあっては昔話な のかもしれない。 焼き畑農業に依存していた本州の小農の人たちが、新天地を求めて過酷な気象 条件にもめげずに切り開いた畑である。 果たせなかった思いを二代目、三代目に託した先代たちの労苦も、国内農業不 用論に始まり、農業保護撤廃、農産物自由化、安い土地、広い土地に群がるリ ゾート資本のかっ歩と、農地へのしがらみを捨てさせていく揺さぶりの種は尽 きることがない。 農業の持つ生活観、人生観、そして自然観に今の時代の救いがあるのではとい う切なる願いも、こうバタバタと身近なところから切り崩されてしまっている 現実を見ると、「三代目が身上をつぶす」という故事にため息をついてしまい たくなる。 水質問題があるからと上水道の普及を叫んでみたり、治水環境がよくないから と河川の底下げばかりを懇願してみたり。 その一方では、せっせと保水能力を発揮してきた山林を開発の手に委ねて、一 度大雨に見舞われると土砂災害やら畑地冠水を引き起こしては災害復旧を繰り 返すというこの悪循環。 市街地のシトたちには、なぜ水質の悪化が起こるのか、なぜ頻繁に河川改修が 行われなければならないのか、どうもよく分かっていないんじゃないだろうか。 ただ対症療法的にその場、その場の問題が解決されればそれでいい、これは今 の農業の体質にも言えるものかもしれない。 これからの町づくりのたたき台作りには、とある本州資本のコンサルタント会 社があたったという。 美辞麗句の羅列の割には、おヤッと思いたくなる時代認識、たとえばこれから もあくまでこの町の農業が生き残っていくためには「規模拡大」が必要であり、 スケールメリットを発揮させていくことが必要である、なんてことが挙げ連ね てあるのである。 規模拡大によって、国際価格に対抗できるような国内農業が可能だと本当に考 えているんだろうか。 この「規模拡大」による農地の適正利用という話は、いまだに教科書の決まり 文句のように語られることが多いのだが、実際はというと昭和30年代後半か ら40年代にかけての離農によって、今の北海道の一戸当り耕作面積があると いう歴史的背景、大型畑作機械の導入による省力化農業が可能になったという 技術的背景があったのである。 ところが、今あちこちでこの「大型農業」の歪が表面化してきている。 人手が確保できないから、化成肥料などの金肥(きんぴ−金で買う肥料の意味) や除草剤、殺虫剤、殺菌剤といった農薬に依存しなくてはやっていけなくなっ てしまったし、作物の品種改良もこれらに適応したものがつくられてきている。 広い畑を決まった時期に片付けるために入れた大型機械によって、畑の土はど んどんと踏み固められて(車輪による踏圧問題)しまって、作物の根の成長が 阻害される事態が深刻になってきている。 その踏み固められた土を砕くために、さらに大型高出力のトラクターが入れら れてきているという実態。 そして極めつけはなんといっても「農産物の輸入自由化」である。 農業諸資材が人件費、材料価格の高騰を理由に確実に上がってきている中で、 国際価格との格差是正という大義名分で、農産物価格は据置き、引き下げはあっ 農産物価格の低迷は、いま土壌連作障害、地力減退に歯止めをかけてきた輪作 という農法に危機的な影響を与えはじめている。 広い畑に、植える作物がないのである。 規模拡大に負債を背負って臨み、大型機械化で多大な設備投資をせざるを得な い状況にあって、もはやスケールメリットを活かしての継続的営農が可能な作 物はどんどんと狭められてきているのである。 一人の農夫(婦)が管理可能な農地というのは、およそ6〜8ヘクタールが限 度と言われている。 それ以上の農地管理には、新たな雇用と機械投資が必要となり、規模拡大が自 ずから限界を持ちうることを示している。 「大きいことはいいことだ」という多消費時代のキャッチフレーズは、農業に はそのまま当てはめるべきものではないのである。 町づくりの指針を打ち出すという場で、地元の人間がいかに充実した生活をし ていけるかということよりも、外から「これからの時代はだねぇ」なんていう 目先の講釈に「フムフム、なるほど」と素直にうなづく雰囲気、これで果して 自分達の手で自分達の地域に根ざした町づくりができるのだろうかと心配になっ てしまった。 一体誰のための地域なのか、何が残していける財産なのか、僕は最近新聞で読 んだ「もう労働運動の時代は終わってしまって、市民運動の時代なのかもしれ ない」という辞任したある自治労役員の言葉を噛みしめていた。 堀田誠嗣目次へ ホームページへ
「国産の農産物は高い」という話しを輸入農産物の価格と比較して持ちだされ る時、あなたはどんな感想を持つだろうか。 その人が生産者の立場だったら、「どうせ弁解してみても、そう易々と分かっ ちゃもらえないさ」と、半ばあきらめ顔に話す人が多いんじゃないだろうか。 同じ生産者の一人として、特に若い世代の後継者仲間とこんな話しをする時が、 僕にはたまらなく重苦しい気分になってしまう。 理解されない、聞いてもらえない、言葉を話す人間にとってもっとも悲しい場 面の一つである。 食事のスタイルが日に3食から、朝食抜きとか、ご飯抜きというファーストフ ードがぴったくくるようなスタイルに置き変わりつつあるというご時勢。 「水」をわざわざ缶入り、ボトル入りで買い、フッションとして楽しむ「銘水 ブーム」が起こっている中、今の時代の「食」に対する価値観の変貌には何か しら理解できないものを感じる。 これすなわち、時代の乗り遅れだろうか。 乗り遅れというよりも、ついていけない、ついていきたくないのである。 価値観の多様化が叫ばれる昨今だから、こんなモラトリアム症候群に侵された 農民が一人くらいいても、きっと時代は許容してくれるに違いない。 でも、そんな偏屈な農民にしてみれば、今の時代はあまりに「食」に対する一 人一人のポリシーがなさすぎる、そんな感じがする。 待てよ、そんな自分だって、知らず知らずのうちに「これが当たり前の姿だ」 と思い込んでいることがあるじゃないのか。 開拓当時の茅ぶきのほったて小屋があったのは、何も1000年も2000年 も前の話しではない。。 たかだか60年前までは、つまり祖父母の若い頃なら、十勝では珍しい光景で はなかったはずなのに。 それがどうだろう、僕達の暮らしには一人一台の感覚で車が普及してしまい、 風の強さも、冬の寒さもまったく意識せずに生活している。 これを何の不思議とも思わず、やはり平然と生きている。 仏間に掲げてある曾祖母の写真、そのしわだらけの顔を見るたびに、あのしわ の一本一本に今の農地を切り開いた手のまめと、満足な暖房もない小屋で遠い 春を待ちわびた苦節がしのばれてならない。 そうだ、僕の子供の頃にはまだ馬車が運搬の主役だった。 馬が農家から姿を消し、身近な農村風景がどんどんと都市から遠ざかっていっ てしまった。 そんな田舎の原風景には、これほど便利に、スピーディに事が進んでいく現代 にも十分説得力を持つ問いかけがあるように思える。 確かに、時間はゆっくりと流れていたかもしれない。 生活も今ほど便利であったとは、とても言えない。 でも、のどかさがあったし、生き物へのいつくしみがもっともっと強かったよ うな気がする。 スーパーファミコンに熱中する子供達が、果して「子供らしい」だろうか。 子供のころ、母の実家に泊まりにいった日、朝食のご飯茶碗に手をあわせてい る祖母の姿はいまでも鮮明だ。 もちろん祖母はいまでも健在だが、まだ藁ぶき屋根のたたずまいだった当時の 実家にあって、そんな記憶が随分と印象に残っている。 今の子供達のうち、いったいどれくらいの子がご飯茶碗に向かって手をあわせ ているだろうか。 宗教の規律という次元の話しではない、日々の糧を口にすることのできる幸せ に感謝するということは、時代の移り変わりとともに色あせてしまうことだろ うか。 都市から毎日捨てられる残飯で、野良ネコが糖尿病にかかる程の無駄がまかり 通っている。 日本固有の文化というものは、水田のある風景とコメ主体の食習慣に深く根差 してきたものだろう。 それは、日本の風土に、気候に、もっともふさわしい形の生活様式が長い歳月 を経て、土地に根差して獲得されていった遺産でもある。 ところが、その根底である「土地」が大きく変貌してしまった。 土地に対する執着はあるが、「愛着」はない。。 そんな日本人が随分と増えてしまったのではないだろうか。 昔を知らないということ、それは幸せな時もあるし、逆に不幸な場合もある。 昔の親は、よく子供達に昔話しを聞かせたものだが、今の親は語り聞かせる昔 を語っているだろうか。 確かに僕は「戦争を知らない世代」ではあるが、「戦争を語り聞いた世代」で はあった。 ところが、今の日本は昔を語ろうとはしない。 とにかく「前だけを見つめて」森羅万象が動いてきたのではなかろうか。 コーヒー一杯350円の時代感覚と同居する、茶碗一杯19円のご飯の割高感。 それでも、ト−スト2枚50円の暮らしには何の疑問も感じない。 わずか750gの8ミリビデオに十数万円ものお金をかける一方、わずか数円 の野菜の価格差に翻弄される消費感覚。 確かに外国で生産される食べものは安いかもしれない。 しかるに、数百円を払ってまでQダイアルに殺到する人たちがいることも事実 だし。 今の時代は、いったい何を求めているんだろう。。 真剣に「食」を考えようとしている若き、数少なき農業後継者たちに失望を与 えるような時代の選択だけはして欲しくない。 一粒のコメに、僕達はどれほどのイマジネーションを膨らまれることができる だろうか。 堀田誠嗣目次へ ホームページへ
大学の同期で、東京で食品流通の仕事をしている友人から電話がきた。 昨年、5年ぶりくらいで十勝を再訪してくれた彼だが、その折、僕が【電直】 を手掛けていることを聞いて、「暇になったら、資料でも送ってくれないか」 と頼まれていたのである。 新年、多忙で年賀状をだせずじまいで「松」が明けてしまった彼だったが、賀 状の礼を電話で伝えてきた。 「そうそう、農産物の流通を手掛けている職業柄、例の【電直】の話し、よかっ たら資料を送ってくれないか」 そうだった、昨年頼まれていたのだったっけ。 「わかった、さっそく送るよ」 僕は、「電子的産地直送論」の縮小印字版を作って、すぐさま彼に郵送した。 しばらく返事のないまま、そんな事もすっかり忘れかけていた今日になって、 友人が会社から電話をかけてくれた訳である。 うーん、こんな時間に電話をかけてくるということは、残業だな。 電話の向こうに事務所のざわめきが聞こえてくる。 「どうもありがとう。読ませてもらったよ。あれ全部を講義したわけじゃない だろ、結構なボリュームだったよ」 「ああ、全部はとても時間内で話しきれるものじゃなかった。学生に話す、と いうよりも、自分にとっての【電直】とは一体何なのかをまとめるって意味も あったからな。見ての通り、パソコン通信でみんなに読んでもらったものだよ」 「とても面白かった」とのコメントだった。 その後に続く話しを聞いて、なぜ彼がその気持ちを伝えたかったのかが僕には 分かる気がした。 「東京なんて町は、生き馬の目を抜くような街だから、信じられないことがいっ ぱいあるよ」 「今は、無農薬野菜とか有機野菜と名がつけば、とにかくよく売れるんだ」 「でも、ひどいやつがいて、市場でクズ同然の形の悪い野菜、曲がった野菜を 安く仕入れては、有機野菜とか無農薬野菜として偽って売ってるやつがいる」 「買う方も買う方で、有機とか無農薬という名前がつけば、何の疑いもなく買 われていってしまう」 ああ、そうなんだ、友人が僕に伝えたかったのはこれなんだ。。 流通の現場を直接目にしている彼には、こんな悲しむべき現実が平然とまかり 通っていることに、いたたまれないでいるに違いない。 クズのような野菜、変形した野菜だと、「有機野菜」「無農薬野菜」といわれ て納得して飛びつく消費者。 安全志向の高まりで、有機的栽培とか無農薬、減農薬に関心が集まるのは分か る。 それをいいことに、クズを有機野菜に仕立てるやつもしたたかだが、何の疑問 も感じないで「安全な野菜」と信じ込んでしまう消費者も哀れだ・・・ この話、童話の「裸の王様」にどことなく似ていないだろうか。 どうして「裸の王様」が生まれてしまうのだろうか。 友人が【電直】を面白いと言ってくれたのは、きっとそんな悲しむべき現実が 大都市「東京」にあるからなのだろう。 いやいや、ひょっとすると東京ばかりではないかもしれない。 他人ごとのように聞いている自分だって、偽を真と思い込んで暮らしている裸 の王様の一人かもしれないのだ。 この話を彼から伝えられて、僕は「飽食列島日本国」をあらためて考えてしまっ た。 虚飾に彩られた「まやかし」がかっ歩する農産物流通。 一方の端には自分がいるし、もう一方の端には買い物カゴにせっせとクズ野菜 を有機栽培野菜と思い込んで買い込む主婦たちがいる。 でも、その端々をつなぐ糸はいつの間にか色違いになってしまっている。 僕には、友人からの電話が口には出さない励ましのように思えた。 裸の王様は、いつになったら自分が何もまとっていない事に気付くのだろうか。 【電直】が意味を持つ時代、友人の「期待してるよ」という言葉が耳に残って いる。 堀田誠嗣目次へ ホームページへ
山形のTAKA2さんから、「地卵」を送っていただいた。 地卵とは何か、聞き慣れないこの言葉には、実はこの卵を生産している篠原養 鶏場の信念というか、ノウハウというか、確たる思い入れがこめられているよ うな気がする。 ようするに、ニワトリの「卵」なのである。 だが、そんじょそこらの「卵」とは中身がまったく違う。 これには驚いた。 鶏卵は、食生活の中に必要欠くべからざる存在であることは、言うまでもない。 どこのスーパーでも売っている。 農業という職業ジャンルの中にあって、養豚とならんでこの養鶏の分野はまさ に戦後もっともシェープアップされた業界といっていい。 農業といっても、「卵」生産ラインといった、いわば工場生産的な管理の元に 企業的経営が成立している分野でもある。 そんな鶏卵をワンパック百数十円で購入しては、さしたる味へのこだわりもな く胃の中へ流し込んでいるのが、これまでの「卵」だった。 実は、我が家でも今から20数年ほど前までは、白色レグホンというニワトリ を家の回りに放し飼いにしていたものだ。 子供の頃は、牛舎の二階の藁の中とか、鶏小屋の片隅とか、あっちこちっちに 生みつけられた卵を定期巡回して回っては、食卓の用に供するのが子供たちの 仕事であった。 「卵を買う」なんてことは、まったく考えもしなかったものである。 ところが、我が家からニワトリさんたちがいなくなって、食卓にはパック入り の卵がそれ以来、ずっと君臨しつづけている。 小さい時には、あちこちにあった鶏舎も今となってはなかなか見る機会がなく なってしまった。 規模の小さい養鶏場は、すっかり淘汰されてしまったわけである。 LS2(Live Space Sharing)構想という、いってみれば 経済社会にどっぷりつかった食生活をより人間的な、そして健康的な生活者の 立場で見つめ直そう、という仲間作りを始めた矢先、山形のTAKA2さんか ら耳よりな情報をもらった。 「たかが卵、されど卵」、とにかくうまい「卵」があるから一度味わってみて 下さい、とのことだった。 もちろん、これも「LS2」という僕たちの運動に無関係なことではない。 TAKA2さんからは、今から4年前にこの卵を生産している埼玉県の篠原養 鶏場の訪問記を綴った、氏みずからの手によるミニコミ誌を卵に先だって送っ ていただいた。 だいたい、それまでに「地卵」なんて卵のジャンルがあることさえ知らなかっ た自分である。 その取材記を読んでいるうちに、「こりゃ、タダモノではないなぁ」と心にと きめくものを感じる。 と同時に、今では水みたいにありふれたものでしかなかった「卵」が、実にこ だわりの目で見たくなるのだから、TAKA2さんの筆力と篠原さんの実践に は頭が下ってしまう。 鶏卵を「地卵」と銘うってはばからない値が、確かにこの「卵」にはあるので ある。 これまでの卵についてのイメージといえば、「たかが卵」であった。 どっこい、そんな生産ライン感覚の大量生産タマゴが新鮮タンパクの摂取源と して冷蔵庫に陣取っている時代に、「されど卵」といわせるような芸術品を作っ ている人がいるのである。 埼玉県東松山市の篠原養鶏場。 TAKA2さんからの事前情報で、ある程度は「違うな」と思ってはいたのだ が、そこは長年、パック入り卵にさしたる味など感じないまま暮らしてきた人 である、「たかが卵」なのだ。 でも、宅急便で「地卵」が届いた。 「卵が宅急便で届く」というのも不思議な感覚だが、昔懐かしい紙製のケース (といっても、昭和40年代以降に生まれた方には分からないだろうか)に収 められた茶色の卵、これはすごい! さっそくアジ味をさせていただくことにする。 パッと割ると、まず黄身がなんとも言えない滋味豊かな色をして、盛りあがっ ている。 そうしてみると、スーパーで日頃買っている卵の黄身ときたら、なんともひ弱 で色白に思えてくる。 決定的な違いは、味にある。 前口上で、そんな気になるのではない。 恐らく、何も知らせずに食べ比べをしてもらえば、ためらわず「おやっ?!」 と声を出してもらえる、それ程の違いがこの卵にはある。 もちろん、グルメ志向で人の口になかなか入らないものを珍重するような意味 での「おいしさ」をここで取りあげようというのではないのである。 それでは、LS2を何のために呼びかけて回っているのか、まったく意味がな くなってしまう。 この卵がいかにして作られているのか、そして、卵が本来もっているパワーと 味、それがなんとも「生活者」としての舌と心を刺激してやまないのである。 僕たちの暮らしというものは、「ありふれた日常」に新鮮な驚きを感じる機会 がだんだんと限られてきているような気がする。 食生活をみても、あふれかえる加工食品の人工的な調味に、味への感覚がワン パターン化してきてはいないだろうか。 ところが、その「味」は何も加工食品ばかりじゃなく、生鮮食品の領域にまで 侵食されてきていることをこの「地卵」が教えてくれたような気がする。 「おいおい、お前だって農家として作物を作っている人間なんだぞ」、そんな ハッとするような問いかけをぶつけられたような感じがする。 それに気付くには、やはり「本物に出会った時の新鮮な驚き」を味わい、あら ためて「いったい今口にしているおいしさとは何なのか」を問うてみることで はないだろうか。 篠原養鶏場の卵つくりに対するポリシー、ノウハウは、「グルメ」感覚よりも もっと別の次元、「たかが卵、されど卵」で見るべきだと思った。 たち返って、一人の生産者として、自然なおいしさ、健康的なおいしさを込め られるような農業を実践したいし、それがそのまま受け取ってもらえるような 作物つくりをやりたい。 「たかが農業、されど農業」、食文化に汚点を残さない生産とその姿勢こそが、 精神的に、肉体的に健康な日本の土壌を育む、そんな生産者でありたいものだ。 堀田誠嗣目次へ ホームページへ
目にみえて残雪の量が減ってくる今の季節、十勝の農家の仕事といえば小麦畑 の融雪剤の散布とビートのペーパーポット作業である。 融雪剤といっても、なにも怪しい物質ではない。 なんのことはない、火力発電所から出る石炭の燃焼灰を袋詰めにしたもので、 業界の廃物利用みたいなものである。 捨てるとゴミ、分けると資源、さすがに業界である、袋の印刷には「灰」とは 書かれてはいない。 あくまで「融雪剤 − 土壌改良資材」なのである。 まぁ、「微量要素が入ってますよ」という表示もあながち嘘ではないので、不 当表示呼ばわりすることもできないのだが。 小麦栽培が大型コンバインの普及によってあらためて脚光を浴びるようになっ てから、この融雪剤の散布という雪中の仕事が農家の年中行事になってしまっ た。 小麦というやつは、雪腐れ病という厄介な病気にとにかく弱いのである。 これはイネ科の越冬作物について言えることで、牧草のオーチャードグラスな んていう品種でも、大雪の翌春には「冬枯れ」として問題になることがたまに ある。 この菌(つまりは、きのこの仲間)は、雪の下で作物にとりつきやすい性質が あるので、雪の下に埋もれている期間が長ければ長いほど、被害が大きくなる わけである。 3月も半ばを過ぎると、いかに高緯度の北海道とはいえ、さすがに日中の日差 しも春めいてくる。 菜の花が咲き乱れるという早春の情景にはほど遠いが、吹雪に舞っていたよう な緻密な雪がザクザクとしたザラメ雪に変わり、それが明け方の気温で氷結し て「カタ雪」と称する歩いても埋まらない状態となる。 明け方の温度にもよるが、冷え込んだ日には8時を過ぎてもまだ雪の上を歩い てわたることができるのだ。 今のようにゴム性のクローラ式の融雪機械がなかった頃は、農家の融雪作業と いえば、花咲かじいさんよろしく、このカタ雪の上を早朝から融雪剤を抱えて はパァーっ、パァーと一歩一歩振りまいて回ったものである。 一朝かかって、家族総出でおよそ2ヘクタール(6600坪)をやっつければ 上出来である。 この作業には、風の向きと強さが微妙に影響する。 機械化された今でも、これは同じだが。 なにせ扱うのは「灰」である。 風がなければ飛ばないし、強すぎてはほとんど流されていってしまう。 適度の風が必要なのである。 手で撒いていた頃(今から10年ほど前)は、この作業を終えて家に帰る頃に は、顔中が灰で真っ黒、なんてしょっちゅうだった。 いまは、自走式の散布機が手の5〜6倍の能率で仕事をやってくれる。 とはいっても、相手はきまぐれな風との戦いである。 南北に長い畑に北から風が吹いた日には、短辺を何度も往復せねばならない。 もっと始末が悪いのは、時間とともに風向と風の強さの変わる日である。 いくらじたばたしてみたところで、どうすることもできない。 百姓というものは、やはり自然のなすがままに生きてきた人々なのである。 小麦も粉となってしまえば、モノ語らぬただのコナである。 あの白さの秘密が、実は残雪から一刻も早く救出してやらねばという農民たち の努力によって生みだされていることはあまり知られていないのではなかろう か。 融雪剤散布のシーズンも終わろうとしているが、ASWという純白の輸入小麦 を横目に、多少色あいの落ちる国産小麦には収穫を待ちわびる農民たちの切な る願いが込められている。 純白よりもいぶし銀のようなしぶさのある国産小麦の方に愛着を感じるのは、 判官びいきかもしれないな。 堀田誠嗣目次へ ホームページへ
電子的産地直送【電直】、このプロジェクトがスタートした時、僕たちの関心 事はオンラインによるモノとココロのつながりを実現することだった。 生産と消費という生活の場の今日的な隔たりを電子掲示版という共有スペース によってつなぎあい、ある時にはお互いの暮らしの意識、問題点をぶつけあい、 お互いがU口座(郵便振替口座)を開設しあって、誰もが生産者、誰もが消費 者として生きていこう、それが僕たちの【電直】である。 ところが、その【電直】もともするとオンラインショッピングの亜流に傾いて しまったり、あるいは肝心の「送る前、届いた後」が瞹昧になってしまうとい う、「まぁ、まぁ、いいじゃない、かたい話は」現象に陥ってしまう。。 「共通のトーキングスペースを持っている」ということで、いろいろな可能性 が開けてくるような錯覚にも陥ってしまう。 「場所がある」ということと、「場所を活かす」ということ、これは【電直】 が単なるオンラインショッピングと同列になってしまうか否かの分かれ目でも あると思う。 「あなた書くヒト、私読むヒト」、「あなた売るヒト、私買うヒト」、言い旧 されてしまっているようで今もって鮮度を失わない困った問題でもある。 何をするにもついつい「受け身」に回ってしまう、【電直】が言葉のイメージ からなかなか脱却できない理由も案外そんなところにあるのかもしれない。 それでも、「やはり【電直】は輝きを失うことのない大陸横断鉄道だ」と信じ て、恐らく数万バイトにも及ぶであろうOMP発の列車を走らせてきた。 熱烈なるネットワーカー諸氏だって、きっと同じような気持ちで黙々と列車を 走らせているに違いない。 僕は片道キップの旅をするために【電直】プロジェクトのいいだしっぺになっ たのじゃないし、【電直】が何処にでもあるようなオンラインショッピングの ように利用されるのなら、もはや一つのボードとして存続させる価値を見いだ すことができなくなってしまう。 その一方で、どうして一人の生活者の目でみた生産、消費の毎日でこのボード を賑わせられないのか、というボードOPとしての力なさも感じてしまう。 それができないのなら、いくら【電直】だ、LS2だ、といってみたところで、 絵に描いたモチではないか。 モチは食ってみて、初めて「餅」なのだ。 眺めてみたって、何も変わることはない。 僕は農業を生業としているシトだから、なおさら食えないものには興味が湧い てこない。 【電直】が各地にちらばる生活者たちを複線で結ぶこと、その意味を初心に戻っ て実行したいと思う。 一つ提案がある。 折にふれ、僕は気ままな独白形式の「食のエッセイ」を書いてきている。 「食」とは、食事のことではない。 それが生みだされ、僕たちの血となり、肉となり、やがて子孫に受継がれてい く、そんな生命の循環を指しての「食」のつもりでいる。 野良仕事をしながら、ふと思いついたこと、感じたこと、口はばったいけれど、 やはり一人の生活者として、その暮らしの中から浮かんできた一コマのエスキー スである。 レスポンスが次のレスポンスを呼ぶ双方向的ダイナミズムもあれば、こうした 暮らしの一コマから、それぞれの生活の地で感じていること、観察したことを 淡々と伝え合うことも、りっぱな双方向通信ではなかろうか。 どうか皆さんも、「ある日の食のエッセイ」をここにしたためてみてはいただ けないだろうか。 もちろん、「送る前、届いた後」の毎度おなじみの【電直】メッセージと平行 してである。 田舎人の思い込みもいいところなのだけど、人間はやがては田舎に帰ってくる、 精神的な意味で、あるいは生き物の本能として。 それが「耕す文化の時代」なのだろうと思うのである。 カウチポテトからは、何も生まれてはこないのではないだろうか。 LS2(Live Space Sharing)というという身の回りの生 活空間、生存空間、そして食の環境をめぐる問題を提起し、じゃぁ一体僕たち に何ができるのか、そんな一歩一歩の足取りを歩み始めた【電直】である。 今、自分にできること、今、自分が記すことのできること、今、自分が伝える ことのできること、それがつながらなければ、僕たちの「耕す文化の時代」は いつまでたっても蜃気楼の世界かもしれない。 堀田誠嗣目次へ ホームページへ
先日、札幌の青果市場の視察に参加してみた。 早朝から、市場には各地から送られてくるさまざまな野菜たちが、広い敷地に うずたかく積まれていく。 130万人の胃袋に、これだけの野菜たちが毎日おさまっていくわけだ。 野菜たちは、品物の種類ごとに決められたコーナーに並ぶ。 産地でダンボール箱に詰められ、トラック輸送されたものやら、五tコンテナ で運ばれてきたものやら、とくかく、セリ前の市場はダンボール箱で溢れかえ る。 ダンボール箱には、生産された農協名、あるいは生産組合名、農場名が印刷さ れている。 それぞれのコーナーが一つ一つ、さながら品評会場にも見えてくる。 最近の傾向として、ダンボール箱を一目見ただけで、何処の農協のものなのか がわかるよう、それを印象づけるようなデザインに工夫を凝らしたものが多く なってきたとのこと。 ここにも、産地間競争のし烈なせめぎあいを肌で感じる。 朝7時をすぎる頃から、あちこちでセリが開始される。 独特のしゃべりは、まるで異国語を聞いているかのようだが、セリ人の声は、 かん高くあたりに響きあっている。 セリ人の前には、10数名の仲買人が番号の入ったプレート付きの帽子をかぶ り、セリ値をあらわす指使いをせわしくぶつけあっている。 セリの仕方は、品物の並べられた端から順番に、一つの生産農協ごとに、それ ぞれの規格ごとのセリ値がつけられていくのだ。 この品目、生産地、規格、数量は、しっかりとコンピュータ管理されていて、 値がついたものから、専用の用紙がどんどんと箱につけられていく。 品定めがあってのセリだが、生産地、規格ごとに積み重ねられたダンボール箱 の前列上段の一箱が開封され、事前に仲買人たちはその品物を見て歩いている のである。 市場で働く人達は、各地から送られてくる品物をコンテナなどからパレットと 呼ばれる台に乗せ換え、所定のコーナーまで運んではまた並べる。 仲買人たちが品定めするためのダンボールの一箱をそれぞれ開けて回るだけで も、大変な作業である。 「3Kは嫌われる、というが、ここの仕事は7K、8Kですよ」 朝早くから、品物の搬入、並べ換え、開封、セリ終了後の搬出、まさに野菜と の格闘である。 もし、ここが機能しなくなると、都市機能は朝の食卓からパニックに陥ってし まうだろう。 でも、こうした市場の姿を知らない買い物客は、いつものように買い物カゴを 下げては、平和な消費生活を送っている。 舞台裏とは、どんなものでもこんなものなのかもしれない。 「ご多分にもれず、人材難でしてねぇ、まして、7K、8Kでしょ」 セリは、とにかく早い。 これで、本当に値段が決まっていくのかと思えるくらいだ。 最初はわけがわからなかったが、しばらく見ているうちに、いや、聞いている うちに、といった方が正しいかもしれないのだが、値段のセリ上がりの様子が なんとなくわかってくる。 セリの仕方にも上から値を下げてくる市場と、値をセリ上げていく市場がある とのことで、この市場では値をセリ上げていく方式で価格が決められてのだそ うだ。 そのセリも、「1,2,3」ではないが、ほぼ三度のセリ上がりで値がついて いく。 セリ上りの単位は、五十円単位だったろうか。 とにかく、あっけないくらい簡単に値がついていく。 これが、自分たちの生産物の価格決定の瞬間かと思うと、なんとも言いがたい 複雑な心境になってしまう。 札幌の市場の場合、仲買を専門とする会社は35社、その仲買から品物を分配 される小売りが、およそ1,000社とのことだった。 しかも、各野菜にそれぞれ専任の仲買人がついているとのことで、市場価格の 大元は、この35人が握っていることになる。 小売り業者は、仲買業者に必要数量を発注し、それに応じて仲買人が必要数量 を買い付けていくのである。 その際、小売り業者の発注量に応じた手数料のペイバックが為されるわけであ る。 見学の後、市場の担当の方との懇談の場がもうけられ、いろいろとお話しを伺 ってみた。 以前は、いわゆる八百屋さんという対面販売の形態の小売りが7割をしめてい たのだが、スーパー、コンビニエンスストア全盛の今では、比率が逆転し、3 割そこそことのことだった。 その対面販売も、急速にコンビニエンスストア形式に転換がはかられているそ うだ。 こうした実際の市場メカニズムをつぶさに説明されると、生産者の顔が見える 野菜などという生産と消費の関係は、まったく遠い世界の夢物語にも思えてく る。 市場で求められるものは、まさに見た目の美しさ、継続的に安定量を出荷して くれる生産地なのだそうだ。 見た目が通用しないのは、スィートコーン、アスパラ、カボチャの三つだけ、 なんて話もされていた。 ということは、それ以外はいくら有機野菜、減農薬野菜と歌われていても、価 格決定の要素にはならないというのである。 ここでも、生産者の熱き思いは、こと市場流通においては見事に断ち切られて しまっている。 巨大な胃袋を養うためのシステム、その中で合理的に必要量が分配されていく ためには、市場流通という中継点はなくてはならないものなのだろう。 でも、資源分配の合理性が本当に最良のメカニズムを産み出しているかといえ ば、僕にはそうは思えない。 市場から流れ出ていく野菜たちは、年々加工業者に引き取られていく比率が増 加しているという。 大手小売り店では、パッケージ業者に、店頭陳列寸前までの「製品」化を委託 している。 あのパック食品は、ラップの中に実にさまざまなものまで封じ込めてしまって いるような気がする。 「みなさん、頑張って、いいものをたくさん作って下さい」 「私達は市場価格の3.5%の手数料で食べているわけですから、あなた方が 儲かれば、私たちも儲かるのです」 おっしゃることは本当によくわかる、が・・・ 隣町同士の農協のダンボール箱に、しっかりと価格差がつけられていく様を眺 めながら、これが農業の飯のタネかと思うと、何かしら割り切れないものを感 じてしまった。 いや、こうしたシステムが都市機能として組み込まれているのなら、今の農業 には「割り切って」生きていくしか道はないのかもしれない。 割り切れないものを感じることは、少なくとも、この場では通用しない。。 僕たちが、生産と消費の間に、【電直】という「ヒト・モノ・情報」のパイプ 作りを目指すのも、裏を返せば「割り切れないものをどうにかしたい」からか もしれない。 少なくとも、今の市場メカニズムでは、正確な、そしてヒューマニックな情報 は通いあうことはないだろう。 もちろん、僕が割り切ってしまえば、ひたすら「市場」の奉仕者に徹して、個 の存亡に命を賭けるに違いない。 ところが、農業は生命のパーツを日常的に提供するという最大の使命を担った 産業であり、文化の源でもあるのだ。 この使命を忘れて、農業が存在することはやはり病的と言わざるを得ない。 片やわずか700gそこそこのビデオカメラに、十数万円もの価値を納得でき る現代日本人が、生命のパーツに対しての価値意識を熟成できないのは、なん とも皮肉な話ではあるまいか。 人間は、ロボットではないと思いたいのだが。。 堀田誠嗣目次へ ホームページへ
医学における東洋と西洋、病をどう捉えるかというアプローチには、そのどち らにも今日に至るまでの長い歴史が刻まれている。 最近になって、東洋医学が注目を浴びているのは、病気を疾患を抱えた部位だ けの問題としてみるのではなく、正気の乱れという生命体の内部バランスに関 心が向けられてきているからに違いない。 生命秩序を支配する「気」の流れ、鍼灸の不思議が科学的な解明によって説明 されようとしているが、今もってそのメカニズムを解き明かすには至っていな いという。 そこで僕は考えてしまった。 暮らし方にしても、生産様式にしても、それから食習慣にしても、なぜか明治 維新以降の日本には、西洋医学に代表されるような分析、メカニズムにのめり 込んだ科学万能の潮流が支配しているのではないだろうか、と。 味のメカニズム、だしの秘密、つきつめまくって最後に行き着くのは味の「素」 たる化学物質の結晶だったりする。 すると今度は、化学構造のよく似た、あるいは人為的に合成された化学物質に よる代用に目が向いていく。 そのどれもが、「金の成る木」として先進諸国の下支えになってきた点も見逃 せない。 農業においてもそうだ。 植物を育てる力を3種類の無機物質(窒素、燐酸、カリウム)に代表させてし まい、見ようによっては畑がふりかけご飯のドンブリ扱いである。 化学肥料は、確かに増収に貢献したかもしれない。 その後を追うように、化学肥料の多用に適応するような品種改良も進んできた。 ところがどうだろう、農産物が在庫を抱えるくらいの食料事情(国内生産量の せいばかりではない、輸入農産物プラス国産農産物という意味)となるに至っ て、今度は風味とか味わいという微妙な品質が求められるようになってきてい る。 さらに、食品の安全性への関心の高まりとともに、無農薬、有機(勇気?!) 栽培というステータスが人々の心を捉える。 その背景には、食品によるアレルギーが昭和30年以降に育った親から生まれ た子供たちに急増していることもあろう。 この年代は、食生活にインスタント食品が取り込まれるようになった時期でも ある。 食品ばかりではない、農業の生産現場においても化成肥料の使用量が激増し、 同時にトラクターをはじめとする機械化農業の時代が幕をあけた。 金肥や機械化投資のできない農家は、どんどんと離農を余儀なくされ、労働人 口の産業シフトが加速され、経済高度成長に向けて人も畑も食生活も激動した。 農業基本法が目指した想定農業人口とは、暗黙の農業人口淘汰と二次産業への 労働力投入の側面があったことは見逃せない。 少なくなった農業労働力を機械化と農薬、化学肥料によって補完するという構 図、旨味の素が数種類の化学物質の結晶に帰着させるのと同様、村の解体プロ セスを突き詰めてながめることのなんとも味気ないことか。 農薬と化学肥料に依存する農業が本当に科学的な農業なのだろうか。 その収穫物が「金のなる木」と言えなくなってきた今、僕は東洋医学が脚光を 浴びているのとまったく同様、農業生産の土壌にも東洋感覚の導入が必要なの ではないかと、そう思わずにはいられない。 個々の化学成分だけの問題ではないのである、生命秩序を支配する「気」の流 れが土の中や生育中の作物の中で乱れてはいないか、それが乱れていれば、当 然その収穫物を胃袋にいただく人間の「気」も乱れる。 僕達は、深く瞑想することによって、その「気の乱れ」が実は分析と単純化、 そして置換を繰り返してきた「西洋科学万歳」とは無関係ではないことに気が つく。 農産物の安全性や風味を「物質の出入り」で捉えようとする前に、それを作る 側も取り込む側もゆったりと瞑想してみようではないか。 野の草はあるがままに育つ、この「あるがまま」が多分、今の僕達の食を巡る 環境にあっては見えていないに違いない。 「化学肥料はよくないから、有機栽培に切り替える」、こんなマルバツ式の展 開をやってしまいがちなのが、戦後教育生まれ、インスタント食品育ち、経済 成長飽食文化住宅暮らしの住人ではなかろうか。 「農業に東洋医学を!」、さて、まずは畑のツボ探しから始めねばならぬ。 堀田誠嗣目次へ ホームページへ
古代の文化に大きな関心を持っている僕は、遺跡発掘の仕事をあれこれ手伝っ ては、一片の石器や土器に当時の人間たちの暮らしを思い巡らしてみる。 この道具の一つ一つが、獲物を追い、山野を駆け、射止めた獲物を解体し、そ の肉や毛皮がコロニアルな社会を支えていたものなのだ。 もちろん、古代人の暮らしとはこうした遺跡などの情報に基づき、想像するし かないのだが、少なくても「食べること」が社会の基本を成していたことは間 違いのないことだろう。 どんな暮らしがそこにあったのか、さまざまな石器や住居跡、墓坑、やがて出 現する土器文化、遺物を手にして、僕は古代人のイメージを膨らませる。 どんな言葉を話していたのだろうか、食料はどのように分配していたのだろう か、子供、老人たちは社会の中でどう位置付けられていたのだろうか。 学問的な興味はさておき、僕は捉えた獲物を分かちあう家族の姿を想像してし まう。 そして、「食」を共にする姿に何ともいえないほほえましさを感じてしまう。 食べることが「生きること」を意味する、そんなあたりまえを連綿と辿り、今 の社会が存在している。 飢えと寒さとの生死をかけた「食」から、人間たちは徐々に暮らしの安定、す なわち食料の安定確保を行うようになり、「食」にさまざまな彩りをそえる豊 かさを食文化として育んできた。 そこで忘れてならないのは、家族、親族、地域といった社会単位に文化として の食が受け継がれてきているということである。 しかるに、その末裔たる現代社会は、果たして食文化の継承者を自負できるの だろうか。 さまざまな食品が所狭しと並びひしめくスーパーで、あるいは電子レンジでチ ンする手間いらずの食卓で、物の豊かさは感じられるのだが、はたしてそれを 食文化と呼べるかというと、僕にはいささか疑問がわく。 与えられたものを出来上がり説明通りにしか作れない、味を決めるプロセスに 関与できない、こうしたインスタント食品に囲まれた食生活では、僕達は餌を もらう飼犬も同然ではなかろうか。 食文化とは、主体的な食品加工のプロセスであり、風土に根差したものであり、 「作る楽しみ、味わう楽しみ」を伝承しうるものであろう。 なにも、逸品たる芸術性を求められる職人の巧みでもなければ、秘伝のように 珍重されるべきものでもない。 風土に根差す、つまり地域性とは切っても切れない縁で結ばれているものでは なかろうか。 ところが、過疎化に伴う地方の衰退、既製品からの選択消費に大きく依存せざ るを得ない生活様式の浸透、これは「風土が食を生む」働きにすっかりブレー キをかけてしまう。 マスプロ食品が食卓を占領するということは、それだけ「孤食」が進むことを 意味するような気がする。 獲物とか収穫物を分かちあって食事を共にした太古の家族と、慌ただしく朝食 を駆け込み、ある時は「電子レンジでチンして食べなさい」なんていう忙しさ の家族、どちらが食べることの豊かさを持っているだろうか。 土器の底のこげた跡に、煮炊きのクツクツという音が聞こえてくるのは、きっ とその温もりのせいかもしれない。 堀田誠嗣目次へ ホームページへ
アレルギー、特に食物アレルギーについて、このところ益々関心が高まってき ている。 アレルギーの皮膚反応については、1921年発表のプラウスニッツ・キュス トナー反応に遡るが、自覚のある無しという程度問題はあるにせよ、長い人類 の歴史とともに、寄り添ってきた病気の一つかもしれない。 では、なぜアレルギーへの関心がそれほど強くなってきているのかといえば、 これがまた、パソコン通信と僕との係りに端を発するのだから、奇縁といえば 奇縁である。 それは、自分の手掛けた作物がその行き着く先で、どう評価されているのか、 折しも農産物自由化反対の現地集会があちこちで気勢をあげた時、むしろ旗で 反対、反対という群集の一人として、「これは誰に理解を求めるセレモニーな のだろうか」という疑問に始まった。 「団結の力」を掲げる割に、組織動員されたみたいな農民一人一人の今ひとつ 焦点の定まらぬ思い、しらけみたいなものが、そこかしこに見られた。 僕もその中の一人だったわけである。 同類がお互いに「困った、困った」を繰り返していても、何一つ先が見えてく るわけではないし、時間がたては経つほど不安とかあきらめばかりが大きくな っていく。 ニューメディア時代だっていうのに、こんなバカげた話があったものか。 そこで、いわば「外の声」を自分の目で、耳で聞くために飛び込んだのがパソ コン通信の世界だった。 以来、電子的産地直送【電直】という場を通じて、僕なりのアプローチが続い てきている。 そこで賢くなってきたの感じるのは、今までまったく無頓着だった食品流通に 目が向くようになってきたこと、食品がどんどんと姿を変えた形、つまり加工 食品として出まわることへの関心、輸入農産物におけるポストハーベストアプ リケーションとの遭遇、食文化喪失の危機感、今子供たちが危ない、とまぁ、 時系列的に並べるとそれなりの成長の足跡が伺える。 片田舎のお百姓が、ポストハーベストからアトピーに至るまでの関心を抱くに 至った道程は、一重にパソコン通信のおかげと言える。 いやいや、人あってのパソコン通信、その中でさまざまな刺激を与えてくれた 電子友人たちには深く感謝している。 そんな強烈な刺激の一つ、そうそう、丸元本との出会いは、やはり筆頭株主も のである。 食べ物を供給する農民なのか、高く売れてくれればそれでいい「農産物」を作っ ているだけの農民なのか、そんな事に存在の疑問を抱いてきた自分が出会った 思慮深きパートナーである。 アトピー性皮膚炎、このアレルギー問題に農産物自由化反対のむしろ旗群集の 中の自分が行き当たったのも、まさに風が吹いて桶屋が儲かる式の奇縁である。 百姓の学問といえば、世間一般では「農学」と一括されるわけだが、そこには 植物学あり、動物学あり、土壌学、作物学、気象学、土木学、工学、経済学と いった具合に、まさに総合学であることがわかる。 ところが、大方のお百姓さんに聞いてみればわかることなのだが、「学」と名 のつく「農」にはあまり関心がない。 それは何故かというと、手掛けているものが「業」であるから、これである。 ある意味で、お百姓さんは総合学問の大家なわけだが、それは「鶏が先か卵が 先か」の問題であって、すべてが農民として生きていくための経験と知識によ るものなのだ。 ところが、さしもの農民も、どうやら「栄養学」のジャンルには大きな弱点が あるように思えてならない。 別に意識する必要もなかったし、必要に迫られることもなかった。 ただし、「これまでは」というオプションが付いていることを嫌がうえにも意 識せざるをえない状況、それが今の食環境と農である。 日増しに高まる「安全な農産物」の関心、そして、「無農薬・有機栽培」への 期待、食べ物が命のパーツであることを考えれば、こうした欲求が時代の要請 となるような食環境の異常さを感じないではいられない。 「安全であること」が当然のデフォルトが、当たり前でなくなってきたために 世の関心が高まる、そこには必ず転換点があったはずなのだが。 その転換点に気付いた農民は、いったいどれくらいいたのだろうか。 農民ばかりじゃない、食べる側にしても、食材は安全性が保証されているとい う大前提の一角にほころびが指摘されるようになってきたから、そうした関心 が高まってきているのだろう。 その切実な事例が、食物アレルギーを持つ子供の増加である。 大抵の人は、自分が余程の自覚症状を感じない限り、自分を不健康とは思わな い。 むしろ、暗黙の了解事項のように「いや、自分だけは大丈夫」という空念仏を 唱えているのかもしれない。 そして、「大丈夫に違いない」と思いつつ、100%の健康を確信できないで いる自分の影にびくびくしているしているのだ。 何一つ病気らしい病気もせずに成長した自分、そんな自分たちに生まれた子供 が、アトピーになったなら・・・ 健康であったはずの自分たちに、どうしてこんな事態が訪れたのか。 原因は、特定されているわけではないが、昭和30年代以降に生まれた世代の 子供たちに増加の傾向が見られること、食物のアレルギーが大きく関与してい るらしいこと、この二点には大きな意味があると考えられる。 飽食の時代、日本人の食事の内容が炭水化物主体から、脂肪、蛋白摂取量の増 大、とりわけ脂肪摂取量が著しく増加し、さらに合成食品添加物入りの加工食 品の洪水、ポストハーベストアプリケーションを施された輸入農産物の増加な どなど。 なぜ、農業に「栄養学」の視点が重要度を増しているかといえば、社会の第一 線で働く世代に、命のパーツの危険信号が点灯しはじめているからである。 アレルギーとは、過剰免疫反応、つまり本来、自分の体を守るために備わった 防御機構が過敏に反応してしまうものだが、その意味からしても、アトピーの 子供たちの増加は、飽食時代への黄色のシグナルとも言えよう。 農産物の価値を、値段の高低でしか判断できないところにも、危険信号が点灯 する素地があったに違いない。 「農産物は、命のパーツ」、そして「農産物は、みんなで作るもの」という事 前合意がなければ、高齢化社会、そして、次世代を担う子供達の健康が脅かさ れている今の食環境を改善することは難しい気がする。 堀田誠嗣目次へ ホームページへ
今年の北海道は、5月の下旬からほとんど日照に恵まれない毎日が続いている。 例年になくオホーツクの高気圧が優勢で、しかも日本に冷夏をもたらすといわ れるエルニーニョ現象が未だに終息していないという。 今世紀最大規模の火山噴火といわれるピナツボ山の噴火に伴う粉塵が成層圏に まで到達し、直達日射量を減少させていることも、例年にない寒気団の強さの 一因となっているという。 デパートでは夏物商戦がさっぱりだと言うし、バブル経済がはじけた余波かど うか知らないが、観光地の入りもパッとしないという。 冷えこんでいるのは経済ばかりではない。 十勝では、ぐずついた天候と低温のために、小豆(あずき)の播種作業が遅れ たり、せっかく蒔いた種もなかなか発芽してこない状態が続いた。 芽を出したデントコーンは、日照不足のためにさっぱり大きくならないし、な により鮮やかな緑色のはずの芽生えが、黄色くかじかんでいる。 小雨の日が続いたり、畑はじめじめとしてさっぱり乾く暇がない。 こんな時に元気がいいのは、雑草の芽生えくらいなもので、中耕除草の機械が 畑に入れないことも手伝って、農家のため息もそこかしこから聞こえてくる。 6月も中旬となると、4月の下旬から5月の初めにかけて植え付けられた馬鈴 薯がそろそろ着蕾期(つぼみが顔をだす時期)を迎える時期となる。 この時期、馬鈴薯畑では培土作業といって、馬鈴薯の肥大に備えての土盛りを 行わねばならないのだが、畑が軟弱でトラクターが作業に入れない。 特に、湿性の畑を抱えた農家では、日に日に大きくなる馬鈴薯に気をもみなが ら、ひたすら太陽が照ってくれるのを待つばかりなのだ。 我が家も、昨日からやっとのことで培土作業にとりかかり、なんとかすべての 馬鈴薯畑の培土を終えた。 馬鈴薯は、茎が地下部で栄養貯蔵器官となったものだが、今頃はストロンといっ て鍵形の先端をもった白色の茎を土中にさかんに伸長させる。 その鍵形の先端がいわゆる「イモ」となって肥大していくのだが、畦の断面を かまぼこ状にしておかないと(これが培土である)、ストロンは水平方向に地 中を伸びまくる。 畦立てしておくと、土の壁ができあがるのでおもむろに壁の手前で芋を肥大さ せはじめるわけだ。 培土作業が遅れると、壁がつくられる前にストロンが伸びてしまって、作業機 を入れると畦間から白いストロンが顔を出してしまう。 地面の中にあれば芋をつくる茎だが、地上に顔を出してしまえば葉が生い茂る 本来の茎に戻ってしまう。 培土作業が遅れるということは、イモをつくるべきストロンをだめにしてしま うことなのだ。 とはいっても、畑に作業機を入れられない状態では手のつくしようがない。 たっぷりと水分を含んだ土を手にとっては、重たくと垂れこめた曇天をうらめ しく思うばかりなのだ。 長い百姓人生には、いろいろな年があるものなのだろうが、農家にとって天候 不順(冷害)と価格下落ほど気持ちを落ち込ませるものはない。 参議院選挙が近くにあるために、今年の生産者麦価は引き下げ諮問に対し、据 え置きという政治決断が下された。 これをせめてもの救いと見るか、それともいかにいい加減な価格算定と憤慨す るか、モノ言わぬ農家は複雑な心境にかられる。 食料自給率三割バッターの日本の農政、その農政がつい先日発表した「新しい 食料・農業・農村政策の方向」を読んでも、具体的ビジョンが明示されないば かりか、「消費者の視点」と「市場原理・競争条件」を随所にちりばめて、あ たかも「農林水」の名を借りた「消費省」の印象すら受ける。 この新政策の行く手には、安い輸入農産物をてぐすね引いて胃袋に流し込もう とする影が見え隠れしていることは言うまでもない。 だのに、地にはいつくばって雑草と闘う農民は、ただただ天の恵みを祈るばか りなのだ。 「二千人にも満たない新規就農者たちよ、けれど僕達は太陽エネルギーの橋渡 し者として、自らの大地に根を張って生きていこうではないか。 確かに僕達の回りには、冷たい寒気団や雨雲がたちこめているかもしれない。 でも、僕達はその向こうに命を支える陽光が降り注いでいることを知ってい る。 一つかみの土に宿る命の素が、その日差しによっていつまでも鼓動を支えて くれるよう、 僕達は太陽と命の橋渡し者なのだから」 堀田誠嗣目次へ ホームページへ
久しぶりに僕がパソコン通信を始めるきっかけをつくってくれた恩人ともいう べき人と再会した。 彼は北海道庁のお役人なのだが、とてもラジカルで農業の現状をスパッと言い 切る明晰さを持っている。 行政が手掛けるインフラ手法に、パソコン通信という人材交流のツールの有用 性を唱え、しかも実践させた数すくない「情報の本質を理解している」行政官 でもある。 彼が手掛けたインフラ手法のおかげで、田舎人の僕が自宅に居ながらにして全 国に大切な友人を多数得ることができたし、情報発信することにより自らがそ の姿勢を振り返り、振り返ってはまた情報受信と発信を行うという再起的成長 の恩恵にあずかることができたのだ。 「行政に係る側の中には、今なお情報は管理するものと思っている者が少なく ない」と彼。 つまり、情報を握っているのは自分達であり、それを縦社会流に上から小出し に分け与えてやる、そんな意識を持った役人がいかに多いかを嘆くのである。 そんな行政感覚が「情報化推進」のインフラ整備を事業化した時、すぐに登場 するのが「求められるデータベースとは」という決まり文句である。 データベースとはデータの集合なのであって、イコール、「情報」ではない。 情報は「情けに報いるもの」、すなわち、「伝える側、伝えられる側」という 人間的な関係がなくして、到底存在しうるものではないはずなのだ。 彼は言う、「データベース、データベースといったって、いったいどれだけの データベースが有効に働いているというのだ」と。 そもそも「情報は管理するもの」というセンスでは、縦に流れるデータは理解 できても、個と個の関係を基本に限りなく開放的に流通する「情報」はきっと 理解できないのではないか。 だから、「管理する情報」の管理者意識についつい役人としての使命を誤謬し てしまう、もしそんな評価は心外だと思われるお役人がいらっしゃれば、お詫 びする。 「情報とはベクトルなんだよな」と彼は言う。 単なるデータの集まりとは違うのである。 キャッチボールが成立しない「情報」を情報とは言えない、僕はそう思う。 そんな彼から、僕は「情報の資源経済学」ともいうべき考え方を聞かせていた だいた。 話しの発端は、「最近わが農場の作物が野生の鹿(エゾシカ)の害を受けるよ うになった」ということに始まる。 十勝においても、野生の鹿による作物への食害は山麓地帯では珍しい話ではな かったのだが、近年、内陸部においてもその増加が目立ってきているのだ。 山に食べ物が少なくて人里近くに現れているのではなく、人里近くで数が増え ている、しかも都市の中にも出没するようになってきているのである。 僕のところでも、小豆(あずき)の若芽が軒並み食害を受けてしまった。 もちろん我が家ばかりではない。 黄緑色に、まさにこれから大きく伸びようとしている部分だけを好んで食い回 るのだから、たまったものではない。 しかも、通常は3〜6頭の群れで歩き回るのだから、遠巻きにもシカの入り込 んだ部分はすぐそれとわかる。 「お前たちがシカのテリトリーに勝手に入り込んで農業を始めたから悪いのだ」 野生動物と人間の話になると、すぐにこうした動物愛護論が農民を叩きたがる。 駆除についてものを言うと、すぐに反対の声があがる。 「かわいそうだ」という気持ちは、僕にもよくわかる。 彼はこう言った、「OMPさん、豚を殺したことがあるかい」。 僕は鶏は肉にしたことがあるが、豚は家畜人工受精師の資格を取るときの実習 で、解体のもようを見学しただけだと告げた。 「俺はね、豚も食ったし、犬も食ったよ」、もちろん自ら手をかけての話。 肉といえば、真っ白なトレイの上にきれいにカットされた肉しか手にしない今 のほとんどの人たちには、「殺すことの残酷さ」は理解できても、自分達の食 生活における肉との結び付きは浮かんでこないのではないだろうか。 みんな、自分たちに見えないところで誰かがやってくれていることに何の疑問 も感じないまま、殺生には「人間のおごりだ、かわいそうだ!」とやりたがる。 少なくとも、いまの「食」のしくみは限りなく生産現場を遠ざけるしくみになっ ている。 だから農民がエゾシカの駆除についての正当性を理解せよ、といっているので はない。 農民、いや現代農業にだって、多くの消費者と同じ様な「無知」がまかり通っ てきているのだ。 彼はこう説明してくれた。 人間がその社会を発展させてこられたのは、自然の恵みがあってのことだ。 そこには、必然的に自然破壊がおこるのだが、そこには残った自然への配慮が 必要なのだ。 人間界と自然界の境界を設定することが配慮なのではなく、自然と共存してい くことが大切なのだ。 そこには、自然の利息で人間が生かしてもらっているというしくみをわきまえ なくてはいけない。 増えすぎたシカは、自然の利息なのだ。 だからといって、人間が駆除することを際限なく拡大解釈することが許される ものではない。 人間は、自然の利息において生かしてもらっているのであって、元本まで食い 込むような「おごり」をしてはいけない。 今日農業が間違った道を歩んでいるのは、利息で農業をするのではなく、地力 という元本を食い散らかしてきたからなのだ。 利息でする農業とは、とりもなおさず堆肥の還元による農業のことだし、いま 盛んに話題となっている有機農業のことなのだ。 無肥料、無農薬が「有機農業」の代名詞のように言われているが、本来農業と は「利息でやる農業」、つまり有機農業なのだよ。 僕は「なるほど」とうなずいた。 この思想は、けっして自然と対峙することのないアイヌ文化の思想、つまり自 然との共存の思想なのだ。 戦後の日本は、アメリカ式の農業を食料生産の模範として導入してきた。 そのアメリカが今、利息はおろか元本の食いつぶしのつけに苦しみ始めている。 モノとしての食料生産で自然の摂理を無視した経済学を適用したつけでもある。 明治維新当時、ヨーロッパ人は日本の下肥の田畑への還元に驚き、そしてそれを 自国に持ち帰った。 アメリカ式の農業導入から、食の安全性への関心の高まりとともに有機農業が見 直され、かつて日本からヨーロッパにわたった有機農業を今度はヨーロッパから 日本が学ぼうとしている。 なんとも歴史の皮肉としか言いようがない。。 以前の北海道農業は、そのほとんどが有畜農業だった。 高度経済成長期を境に、規模拡大と経営の単作化傾向がより求めれるようになっ てきてしまった。 この選択は間違っていたのだ。 もし、その頃に「農業は自然の利息で行うもの」という哲学がきちんとあったな ら、おそらく今の消費者運動が求める「有機農産物」なるものは生まれてこなかっ たに違いない。 頑なな保護一辺倒の野生動物愛護を唱えながら、平然と肉料理をほおばる人達に、 あるいは消費者が求めるから「有機農業だ」と走るたがる農民に、僕は一緒になっ て「利息と原本の資源経済学」を勉強してみませんかと言いたいのである。 彼はこうも付け加えた。 人間だって「牛」になれるんだ、と。 ご存じのように牛は草をはみ、それでいて動物性蛋白はきちんと賄われている。 これは反芻(はんすう)胃(ルーメン)の中で微生物が植物繊維を分解し、牛は その微生物を動物性蛋白として補給しているのだ。 菜食主義の文化圏の人々は栄養失調かというと、そうではない。 腸内には菜食オンリーでも動物性蛋白を補給できるような微生物のメカニズムが あってのことなのだ。 彼からもたらされた「情報」に、僕はどう報いればよいものかと次のベクトルの 準備をするのである。 堀田誠嗣
© Seiji Hotta
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