『ケンジースプーン』精密な商品の量産化で契約。
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                     札幌 三越デパート の課長 参与の 紹介でN社が商品化。
                         ケンジースプーン   ヨークマツザカヤ 札幌テレビ ショッピング 
                  既に製品化(販売)していた(ケンジースプーン)証拠。 斉藤工業との契約五年前。
                          猛吹雪のなか新潟へ。
                      水割りが旨かった。フェリーのバー。
                                      紹介された「燕市新産業誘致開発機構」

                           
ケンジースプーン、精密化と量産に向け斉藤工業と契約 
                               
今迄販売してきた製品とパンフを見せて説明。    (国内発明展3連覇)
                     キャッチコピーも      斉藤社長と名刺交換。   
               
斉藤社長の希望により司法書士が作成した契約書(覚書)にサイン。 

                                                   
                           斉藤社長の妻営業部長「斉藤妃早子(愛称チャコ)氏」立会い。
                       
契約に際し2社から受け取った契約金の実績披露。 
                       怖い「燕市のコピー体質  今は時代が違います その時はお願いしますよ。 
                                                              
     これは斉藤社長の言葉です。
          
                                   
新潟港近く。銭湯での話。 越後衆の通ったあとは草木も生えない。


札幌 三越デパート の課長 参与からの紹介でN社が商品化。


 ヨークマツザカヤ 札幌テレビショッピング でケンジースプーン。
 
         

 12月。毛皮コートとの 2種類。「新型スプーン」など初めてのことであり、あまりi期待してしていなかったが「面白いから」とのこと。

 和久井さんが言いました。「年内お届けをお約束します」 私はビックリ  (; ̄Д ̄)なんじゃと〜?
テレビショッピングなど初めてのことであり、 どれだけ注文がくるか分からないのですから。

放送が終わりました。担当課長さんがオペレーター室に  売れてる それもケンジースプーン断トツ 
(”ロ”;)ゲゲッ!!
30分で150本。 さあ〜大変。N社商品は手直し商品。平ヤスリと棒ヤスリで三日間。 年末ギリギリ 漸く札幌配送センターに。

既に製品化 販売していた証拠1986.3.30 昭和61年3月30日発行「週刊読売」。 
                        ケンジースプーン。

   当時  1本1.500円
                                                                     名前は自分の名からとって「ケンジー」 
  


猛吹雪の中新潟へ。

さて、ケンジースプーンですが、世に受け入れられる為には機能保持は欠かせません。

そうなると、もう黙っていられません。もう一度「理想に近い商品」を世に出したいとの想いが強くなりました。それには堅牢性・バネ度の均一・精度の均一などの難問を解決しなくてはなりません。しかし、「技術の国日本」です。新潟・燕市にそんな技術はないとのI氏の意見に「やっぱりそうか」と思っていましたが、縁がなかっただけではないのか?と考えるようになっていたのです。 人類が月に行く時代です。出来ない訳がない。頑固(石頭)にそう思いました。
私の頭はマサカリに勝った石頭ですから、当然と言えば当然です。神は私を生かしたのです。出来ない筈はありません。平成3年11月末。再度フェリーで燕市に。旭川から小樽までの裏道は吹雪で凍結。少し高く盛り上げた道路に横殴りの突風。ツ〜ツ〜っと対向車線に滑って行きます。おおお〜っと〜・・・ってんで、そろ〜そろ〜っと軌道修正。ブレーキは禁物。そこはタクシーに乗務した経験が生きる。マイカーに夜具、資料を積み込んで「納得する商品を作る人に出逢うまで旭川には帰らないぞ」の覚悟です。


水割りが旨かった。フェリーのバー。

小樽港のはずれで車中泊。朝食はカケソバ。車と一緒に入船。一人ですから退屈そのもの。日中は左舷右舷をうろちょろ。夜になって、さてどうしたものかと先ずは耳栓・アイマスクをしてゴロゴロ。我慢出来なくなってフェリーのバーへ。リザーブの水割り。旨かった〜。 ^-^;アハ
翌朝新潟港到着。地図を頼りに燕市に。途中道を間違うなどしたが、気がつくと朝食は?どうりではら〜空いてんだよね。コンビニで寿司弁当。
店前でゆっくり食べながら道順点検。まずは・・・と以前尋ねた会社。

私の顔を見ると
 「ア〜あのスプーン。いくら金を積まれても駄目です。無理です。」
「どこか相談出来る所はないでしょうか?」
 「組合がありますから、そこで相談してはどうですか?」

紹介された
のは「燕市新産業誘致開発機構 次長の 早川 不知男 さんです。

                            「つばめ広しと言えどあの人しかいません」
               

元気が出てきました。ヒョッとすると案外早く帰れるかな?

ケンジースプーン、精密化と量産に向け斉藤工業と契約。

紹介されたのは(株)斉藤工業です。意外と小さな会社に一寸不安になりました。 ゴメンネ m(_ _)m )

今迄大きな会社ばかり見て来たからそう思ったのでしょう。


今迄販売してきた製品 と  パンフレット を見せながら今迄のいきさつを話しました。
このスプーンは今迄の食器具とは違い、通常のスプーンをふたつに割って開閉するというアイデアによって1本に7機能を持たせることに成功したスプーン、食器具であること。


それは「1、小さい(ものをつまむ)、2、細いものをつまむ3、薄い(ものをつまむ4、逃げる(料理をのせる=ケンジー独特の機能) 5、掴む、6、柔らかい料理を切る(カット)の6機能以外に食物落下防止機能料理を落とさない」の計7機能

しかも、右手・左手、自由自在。使い方簡単、閉じるだけですから食事に革命を起すであろう事。
名前はケンジースプーンと言います。お皿に少し残ったスープ、カレー、チャーハン、豆など「逃げる」料理もケンジーを開き、はさみつけるようにすると
「料理が自動的にのって(載って)くる」のです。通常のスプーンとして「液体をすくう」事も出来ます。軽く閉じれば良いのですから口中の違和感もありません。


その条件として精密であり、そして均一性が難点であり不可欠である事。つまり、左右の「船底」を軽く閉じ、ピタリとフイットさせることが必須の要件、それがあるから表面張力で液体を漏らさない事。
ここからケンジースプーンのキャッチコピー独特の機能を表現する
文言なんでもつまめる魔法のスプーン。液体がすくえる魔法のおはし。1本6役。右手・左手自由自在。使い方簡単・閉じるだけ」さらには「のせる」機能は従来の食器具にはない機能であることも詳しく説明した。


           パンフレット                                                                                                                         携帯用ケース 通常サイズ 小児用サイズ
  


                             当 然  外 国 特 許 の写しも提示した。


齋藤社長との出会い。
2階の事務所で斉藤社長と名刺交換。現物を見せながら今迄のいきさつを話しました。このスプーンは今迄の食器具とは違い、誰でもどんな料理でも意のままに食べられるので、食事に革命を起すであろう事。その条件としての機能・規格の均一性が不可欠である事。樹脂でもアルミダイカストでも出来なかった事。
                               最大の目的は社会福祉に貢献する
事です。

黙って聞いていた斉藤社長。

「分りました。やりましょう」
 「ロボットでスプーンを生産している**社にはいくら金を積まれても駄目だと言われました」
「それは多分私が作ったロボットです」
 「え〜?」
「アポロ宇宙船が月に行く時代、韓国中国が安いスプーンを作りはじめました。これに対抗するには自動で量産するしかない。と言うと『スプーンを自動生産で?』と相手にされなかった。じゃ〜俺が。と3年がかりで作ったのがそれです」

元気が出ました。今迄とは違う手応えです。翌日仮契約。サンプルは3〜4カ月後。あとは現場第一。執行部一任。今迄これでどれだけ騙された事か。しかし、斉藤社長には今迄にない魅力を感じたのです。もう一度信じよう。そう思いました。

   2階の事務所で斉藤社長と名刺交換。    その後斉藤社長の希望で司法書士 佐藤泰男 氏による契約書作成。
         因みに
「迅市朗」は実名ではなかった。 占い師の提言で変えた。 
本名は「新一郎」
        

                                 ↑愛称 チャコ
               斉藤社長の希望により司法書士「佐藤泰男」氏作成の契約書(覚書)にサイン。
               
斉藤社長の妻営業部長「斉藤妃早子氏立会い」

本来なら、ここから契約金などの話しになるのですが、今までの燕市の体質を考えると「下請けではなく、製造元」であれば真剣に、真面目に取り組めるだどうと考え、契約金を辞退し、サインした。それは、燕市新産業誘致開発機構 からの推奨でもあるから、ここは信用することにしたからである。

翌日、斉藤社長からの要望で新潟県三条市林町二丁目15番16号 司法書士「佐藤泰男氏」が作成し、斉藤社長の妻営業部長 斉藤妃早子氏立会いの上で「覚書」締結 

参考 第2条B 第3条 第6条 
第7条 契約書 覚書とは) 

     


(その2)
   裏面 ↓


二枚目につき「割印」あり。            (注)平成3.11.27. 「加藤物産」から「旭川オリジナル」に変更 
     
1斉藤工業が「下請け」では張り合いがない、意気込みも違うであろうと思い、「独占的製造販売権」を与えることとした。
  私と加藤物産、(その後旭川オリジナル)が一歩引いたのである。

2、契約には(通常は)契約金などがあるが、「開発には資金がいるでしょうから」・・・と契約金を辞退した。
3、
その代償として下記の文言が入れられた。

                  多機能スプーン「ケンジー」の
                   製造販売に関する覚書
 覚書とは

 加藤筧治(以下、甲という)と斉藤工業株式会社(以下、乙という)とは甲が考案した 多機能スプーン「ケンジー」(以下、ケンジーという)の製造販売に関し、次の通り合意した。

第1条
「ケンジーの売上額(乙)の工場出荷額で算定するものとする)のう3パーセント相当のロイヤリテイーを甲に対し支払うことを約した。

第2条A 
乙は、丙に対し、北海道地区における販売代理権を付与し、かつ、本契約締結以前に甲が丙に対し付与した、国内におけるフリー・エージェントとしてケンジーを販売することができる一身専属的権利を承認した

第3条
第2条の甲及び丙がフリー・エージェントとしてケンジーを販売することができる一身専属権利は、
本契約実施中の間は甲及び丙ともに乙の承諾がなければ第3者へ譲渡もしくは賃貸あるいは無償貸与できないものとする。

第7条

本契約実施
に際し、本契約に定めのない事項及び本契約に関する疑義等が生じたときは、甲及び乙並びに丙は信義に則り誠実かつ迅速に協議し、取り決めるものとする。

  
以上の合意を明確にするため、この覚書3通を作成し、甲及び乙並びに丙は次に署名捺印し、各自各1通を保有するものとする。

               平成3年11月27日午前10時
       乙の本店事務所において。



    参考 過去、契約に際し2社から契約金を受け取った実績

                       第四条 実施契約金として「一金壱拾万円」 (昭和57年2月15日)  

              

怖い「燕市のコピー商品体質」 これは斉藤社長の言葉です。 |||(-_-;)||||||ぞ〜

   覚書に署名捺印したあと、斉藤社長曰く

 
燕の業界はどこかが新製品を作ると早速コピー商品を作るのです。例え近所であってもです。それが怖い。

私は資料

新聞   道産子ばんざい 1981(昭和56年3月6日 金曜日) 朝日新聞に掲載 『第四の食器具』の味は

雑誌    昭和61年3月30日発行「週刊読売」

発明展
 ☆
第21回全国暮らしの発明展 日本放送協会 
特賞
    

           ☆
社団法人 発明学会 第653回東京発明研究会発表会 トップ
                

           ☆
実業之日本社 第8回オール生活誌上発明コンクール
発表は最優秀発明賞
       
選評 発明学会 会長 豊沢豊雄 様 
最優秀作 とした。
    

        資料コピー 
を見せながら こう言いました。
今は時代が違います。これからは情報の時代ですからすぐ分かります。
ケンジーは 既に販売してきた実績がある 公知されている著作物ですから著作権侵害の対象になります。
それにコピー商品を取り締まる法律、 不正競争防止法 もあります。いずれも刑事事件の可能性もあります。

  第一そんな会社は社会的信用を失いますよ

これに斉藤社長は安心したのかこう言いました。

「その時はお願いしますよ」 <(_ _)>

サンプルは3〜4カ月後。あとは現場第一。執行部一任。今迄どれだけ燕に騙されて来た事か。
しかし、今度は
「燕市新産業誘致開発機構」からの紹介でもあり、ましてや斉藤社長からの希望で司法書士も交えた「覚書」(契約)などもあり、斉藤社長、燕をもう一度信じよう。そう思いました。
(ところが社会的信用 失うどころか 名誉を得た
 (-_-;)ホントカ・・・オイ ホントだよ


新潟港近く。銭湯での話。

帰りも新潟港近くで車中泊。大好きな銭湯に。ほそ〜い路地を入ったところにある銭湯。(ナマエ? ワスレタ)

番台で女将さんとの話
「このお風呂屋さん聞きながらやっと辿りつきましたよ。面白い所にあるんですね」

 「おや、どちらからこられました?」

「北海道は旭川からです」

 「へ〜それはそれは遠い処を。なにかお仕事で?」

「燕に用があったんです。今迄は東京から新幹線でしたが今度は船です」

 「燕に〜・・・あそこは食器ですね?」

「何年も何回も通ったんですよ?約束した商品が出来なくて〜。約束は勿論、3年経っても駄目だった事もありました」

 「燕は難しい所です。なんとかの全国大会があってお土産を決めても、当日になってから『数量が確保出来ない』と言って平気で違う商品を持って来るんですから」

「そのようですね。初めて行った会社に貼ってあったポスター。『コピ−商品は止めましょう』
 
これにはビックリしました。俗に越後衆の通った跡は草木も生えない、と言います。
でも今回は違うと思います」 何と言っても
 「燕市新産業誘致開発機構」 の次長さんからの推薦ですから。

ひとり、酒とビールで ( ^_^)_∀ カンパーイ。波の音とラジオを聞きながらの車中泊。



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