乗っ取りの真実
TOPページへ。
語るに落ちたS。
親兄弟から言って辞めさせろ。
挿入されただけで頭がボ〜。
とんだハプニング。
住居不法侵入。それと?
語るに落ちたS。
Oが云いました。
「お客さんに特許があることを信用して貰うため、特許証を見せないといけない。だから特許証を貸しておいてくれないか」
私はこの言葉にとてもキナ臭いものを感じて、とっさに
「いや・・・その特許証は友達の処に預けてあって、今私の手元にはないんだよ」
いや、E子の怒ること、怒ること・・・
「なんだって〜?特許証がないって〜?そんなもん最初からなかったんでしょ。今まで私たちを騙してたんだ。うそつきっ。加藤さんて恐ろしい人だね〜」
それからはOとE子の「非難合奏」「罵詈雑言」です。
私は、自分の名誉を守るため「分かった、家に置いてある。貸すから取りに行こう」
Sと二人で私の家に行きました。玄関で各国それぞれの特許証を渡すと、Sは一枚いちまい眺めながら満足そうに言いました。
「ウン!ほんものだ!!」
事務所に帰ったSはE子、O達に見せ彼等は帰り始めました。一番最後に事務所から出ることになったSはドアーのところで、振り返りながら私に向かって
「いいかい!加藤さん。この事で“やられた”だとか“乗っ取られた”だとかが、一言でも私の耳に入ったら、たちどころにこの特許証を焼き捨てますからね」
とすごんでみせたのです。
この言葉はヤクザでも暴力団員でもない(らしい)た〜いへ〜ん立派なNTTの職員、しかも係長さんなので〜す。
勿論彼等は「預かり書」を書く訳でもなし、私もこれ以上のゴタゴタはやめる事にしました。
譲渡したわけでもなし、名義は飽くまで私なんですから...そのままにしましたよ。
しかし、なんですね〜俗に「語るに落ちる」と云う諺がありますが
(正確には)「問うに落ちず語るに落ちる」
『人にたずねられる時には用心して事実を隠して漏らさないが、なんの気もなく自分で語るときには、ついうっかりして漏らしてしまうものだ。』
(参考、集英社刊「暮らしの中のことわざ辞典」)
だ〜れも、な〜んも聞いてもいないのに自分から白状したようなもんです。それを「そう思うなよ」と強制する言葉が
「一言でも私の耳に入ったら、たちどころにこの特許証を焼き捨てますからね」
との気持ちが「脅しの台詞」になったのです。
やまし〜い心があるから、知らず知らずの内に自分の行動を自分で弁護しているんでしょうね〜。
先頭に戻ります。
親兄弟から言って止めさせろ。
契約を交した2日後の平成元年1月15日。「成人の日」の昼過ぎ、私は家の裏にある犬小屋の除雪をしていました。
家の前に一台の車が止りました。降りてきたのは私の母、父、帯広にいる弟の三人です。
私は驚いて
「いや〜みんな御揃いでどうした〜?」母が
「Sさんに呼び出されて、いま(花咲1丁目にある)友愛会館で逢ってきた。実は11日にも呼ばれていて今日で二回目だよ。重大な話があるので旭川に来て欲しい。 来ないならこちらから行くよ。と、ほとんど脅迫同然に言われて、いま逢ってきたんだ」
との事です。
(弟は帯広から冬道を4時間かけて旭川に出てきた)
話を聞いて見ると一回目の時の呼び出し電話はSからであったが、そのときはE子一人であったとのこと。
「私達がいくら云っても加藤さんはこの仕事から手を引こうとしないばかりか、この上更に借金をしょうとしている。これこのとうり(と出してきたのは私がE子に借金の額をぜ〜んぶ出して見てよ。と言われて書き出した借金の明細書であった)こんなにあるんだよ。これは加藤さんの為でもあるんです。加藤さんは私達がいくら言っても(KENJIの開発を)止めようとしない。
ですからこの仕事から手を引くように親戚とか親、兄弟から言って止めさせてほしい」
と言うものであったそうです。E子は私の机の引き出しから無断で持ち出していたのです。
「暴力団からも金を借りていて(本社は京都。社会問題になった中小企業向けノンバンク日栄。今はない)京都から外車で取り立てに来るし(私が乗っている)車も、間もなく車検が切れるので乗れなくなる」
等と聞かされたそうです。
(そのいきさつは11日の事も含め、母が長年書いていた日記に詳しく書かれてある)
二回目のときはSとE子二人であり、前回同様の話のあとの帰り際「300万円取り急ぎ返して欲しい」と返済を迫られたんだそうです。弟は
「返済の期限は確か、来年の8月であり期限到来の1年半前の返済要求と、借り主ではない保証人への督促の違法性など、私(借主)との関係は一体どうなっているのか分からないので聞くだけ聞いて来た」と言います。母は(E子達の言う通りなら)「筧治は頭がおかしくなったんではないか?。一度精神科医に見せる必要があるかもしれないな〜、と(弟と)話をしながら来た」と云います。
「とにかく家に入れや」と家に招じ入れ、話を聞いて見るとたった2日前の契約の話なども一切無かったそうです。契約書を見せて事の顛末を説明すると、母は
「おまえの話はなにもおかしくない。全く正常だ」と安堵していました。
挿入されただけで頭がボ〜。
翌日会社に出向きましたが、今さら非難したところで今更どうにかなるものでもなし、知らん振りをしていました。会社を「解散」するか「清算」するかの残務整理の為に、取り敢えずの出社です。そのときE子が云いました。
「加藤さん、何かと忙しいでしょう、事務関係は私がやってあげる。領収書とか請求書に必要だから代表印を2〜3ケ月貸しておいて」
というのです。歩止りがわずか5%ながらも手直しをして販売していたのがあったのですが、その売掛金をも返済にあてる事にしてありましたし、まあ〜その時もまだ心のどこかにE子をわずかながらも信用している部分があったんですね。ですから会社の代表印を貸しました。
階段を降りるとE子が後ろから声をかけてきました。
「加藤さん、あのテープを全部捨ててくださいね」
「分かったよ」 この「テープ」というのは例の録音テープの事です。
私には普段何でもない場面をなんとなく録音していました。
これは内緒でもなんでもないのでE子も知っており、いつも机の上で録音していました。
そのテープの数は相当な数になります。ですからE子が日頃云っていた(ウソか本当かも分からない)話が沢山(証拠として)残っていてはまずいからでしょう。
例えば
*「以前はお華の先生でお弟子さん10人分の「権利料」が毎月10万円が入ってくる」
*「自宅には温室があり、いつも種類の違う花ばなが咲いている」
*「夫(S)はSEXが終った後も「感じていて」首の回りを触ると「やめてくれ〜」と
ベッド(現実にはないとE子の友人が証言)からころがり落ちる」
*「私も感じ過ぎなので挿入されただけで頭がボオ〜として分からなくなる、だから動かないように言うと夫は怒る」
*「荻野式で排卵日に『ビッ』と(SEX)すると一発で妊娠する、だから兄弟の誕生日は同じ」
嘘?本当?とりまぜて、ざっとまあ〜こんな調子です。
それもこれもみな信頼関係にあったからこそ、の会話である・・・と思っていたわけです。
でも、それは甘かった。私を油断させるための一手段に過ぎなかったんです。
そうと分かった今、こんな面白いテープを「分かったよ」の一言で棄てられますか? ^-^;アハ
先頭に戻ります。
とんだハプニング。
また、こんな事もありました。毎週土曜日、朝9時から夕方の5時までSTVラジオ。ウイークエンド、バラエティ「日高吾郎シヨー」と云うのがあります。日高さんは「歯に衣着せぬ」語りとウイット、博学、芸の深さ、頭の回転の早さ、どれを取っても一日が「アッ」と云う間に過ぎてしまいます。絶大なファンである私はこれを録音したかった。
会社の私の机の上にカセットレコーダーを置いてラジオを録音状態にしておきました。
それは毎週土曜日はわが家の買い出しですので、録音していたのです。
あとで「再生」してみて驚きました。なんと「ラジオ録音」ではなく「E子とOの会話」が入っているではありませんか。Oいわく
「社長を誘惑しろ。誘われたら断われ。」
等など、聞くに耐えない会話の羅列です。
Oを車で郊外に連れ出し、会話テープを聞かせて詰問しました。
Oは、ばれりゃ〜しゃ〜ないと観念したのか
「留守だからと思ってつい安心した。本心ではない」
私の留守中、会社の中でこんな会話が交されていたんです。しかし彼を許しましたよ。
とんだハプニングでした。
そんな諸々の会話テープが残っていてはE子にとっては大変都合が悪い訳です。
住居不法侵入。それと?
話がわき道にそれましたが、それから2〜3日して社長室に私物をとりに行きました。
会社に入るとOとE子が居ました。Oがえらい勢いで言いました。
「おまえはもう関係ない。おまえの荷物はそこに出してあるから社長室になんか入る必要ない。2度と再びここに足を踏み入れるな」
なるほど廊下の隅には縄に巻かれた大きなダンボールが無造作に置かれていました。
彼等二人は無断で社長室に侵入し、机の引出しを開け、私物の一切合財をダンボールにガラガラと放り込んで廊下に放り出していたのです。
無断で私物に手をつけたのですから、これは明らかに「犯罪」です。仮に私が「金品がなくなった」と云いだしたならどうなるのでしょう。この種の行為は住居不法侵入の他、どんな法律に抵触するのでしょうか?
しかし私は黙って荷物を持って帰りましたが怒りよりも、その「勇気」に感心しました。
よくもま〜ここまで出来るもんだ・・・と。
そのときの私の財布には25円しか入っていませんでした。借金の返済があります。回りの人に大変迷惑をかけてしまいます。「途方に暮れる」とはこのことです。平成元年1月。土曜日の買い出し。北海道旭川の冬。ちらちらと粉雪です。私は買い出しに同行した母を道の脇へ呼びました。
「オレ、もうだめだ、この世におさらばしようと思う。時期とか方法も俺なりに決めた。しかし、お袋だけには黙って先に行けない、」
母は
「あと、もうすこしだけ頑張ってみないか?それでも駄目なら止めない。しかしその事こそSやE子Oの願う事ではないのか?」
それで思いととどまれたんです。なるほど、このままでは死ねない・・・と。
しかし、そのときの街の風景はどこをみても本当に素敵でした。雪も...犬の鳴き声も・・・・なんでも・・・です。
TOPページへ。 先頭に戻ります。 物語りの目次へ 続き。