ecoism

2011年12月
萩往還の道標は三者三様だった

11月11日〜15日の日程で山口県の萩往還を歩いてきた。日本海に面した萩から三田尻(現防府市)に至る53kmのコースである。関ヶ原で敗れた毛利氏は広島から当時はまだ辺鄙な萩へ移されてしまった。大阪、京、江戸へ出るには瀬戸内海がはるかに利便性がよい。その拠点が三田尻だった。萩市〜山口市〜防府市を通る道には吉田松陰、高杉晋作などを顕彰する銅像、石碑が点在していて、幕末維新を肌で感じることができた。本州の他の旧街道などと同様、平地の往還は国道、県道とかぶっている個所が多いのはやむを得ない。山すその農道、林道の周辺は昔とそれほど変わらない佇まいなのだが、ほとんど舗装されているのも、またやむを得ないだろう。
歩いていておもしろいことに気がついた。萩市内のコース案内は完璧といってもよく、分かれ道や住宅地に必ず設置されていた。だから迷う気遣いは全くない。山口市に入るとやや不十分なところもあって、土地の人に確認する場面が何回かあった。ゴールの防府市は気まぐれに標識がある程度だった。ルートが長いとよくあるケースだ。
道内でもロングトレイルの動きが出てきただけに他山の石としなければ、とおもったものである。


萩市内の萩往還。道も整備されている。


防府市内の萩往還。ほとんどが舗装道だ。

エコ・ネットワーク代表 小川 巌


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