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第67回(01.1.21)

 ご無沙汰しておりました。「今日の常識」へようこそ。
大陸からうにょーんと張り出していた寒波もようやくその触手を引っ込めてくれたようで、ほっと一息ですね。しかしまあ今回の寒波は21世紀を迎えたということで、相当な大盛りサービスだったようです。巡業を無事終えて、東京から北海道に戻ってきましたら、風呂の水道が凍結しておりました。水抜きしていたのにも関わらず、です。水道屋さんが来て、なんかブースターケーブルみたいなのを繋いで融かしてくれました。面白そうなので柱の陰から一部始終をじっと観察していた私ですが、どういう仕掛けなんだかさっぱりわかりませんでした。そういうわけで今回の寒波による我が家の被害は3000円ちょっきりと甚大なものでしたが、雪に備えのない地域の人はそれどころではなかったのではないかと推察されます。北海道はなんだかんだ言って寒さや雪に対する覚悟も準備もありますが、東京などはちょっと積もればもう交通マヒ。車をひとぶつけしてハイ10万円。ま、それほど関係ない立場にいれば、あれはあれで心躍るイベントではありますが。

 実はこの正月休みに実家のネコ(20歳)を引き取る予定でした。年をとったペットというのは結構手がかかるもんですし、なんといっても獣医師免許を持っている人が最期を看取るべきだろう、ということで意見が一致していました。昨年、ネコはちょくちょく体調を崩して入院しましたし、そろそろ潮時と言えます。娘3人を全部ヨメに出した後、心の拠り所をネコに求め、ネコを撫でることで血圧を下げていた父も、昨年末の話し合いでは「仕方ないなあ」としぶしぶ同意していたのですが、いざ、その段になってみると、

「コイツを連れて行くなら、代わりに今度はイヌを飼う

と開き直って駄々をこね出す始末。飼うイヌの種類(マメ柴)まで決めているのが笑えます。人間誰しも、何かに依存せずには生きられないものですが、年を取るとそれがはっきりと表に出てくるようですね。ま、ペットくらいじゃ誰も文句は言えませんが。

そんなわけで、私も子供も「ネコが来る」と心の準備をしていたのに結局来ないことに。毛の生えた暖かくてかわいいモノに対する希求というものは、人にもよりますが結構強いものらしく、私の心の中にははっきりとケダモノ撫でたい欲が出来上がってしまっていました。まあ毛の生えた暖かくて飼い主の意思とは関係なく伸び縮みするモノなら身近にひとつありますが、とてもかわいいとは言い難いシロモノですし。

「何か動物飼おうと思うんだけど、何がいい?」

今、10歳以下の子供(特に女子)にこんな質問をしますと、80パーセントを超える高確率でこんな答えが返ってくることでしょう。

「ハム太郎!!!」

とまあこんな経緯によりウチにハム太郎ジャンガリアンハムスターが来て1週間になります。その昔、私はゴールデンハムスターを繁殖させすぎて、最期は共食い血塗れ地獄絵図にしてしまった過去があるので(←こんなヤツが獣医に)、当然1匹だけです。久しぶりのケダモノ観察。楽しいです。

あ「今、くしくしってしたよね」
子「違うよお母さん、今のはもひもひだよ」

「親が子供の話題についていこうとすると大抵失敗する」

テレビでホワイトベリーを観ている娘に「お、スピードだね?」と話しかけ「スピードはとっくの昔に解散シマシタ」となぜか敬語で言われてしまったり、こげぱんを見て「あらまーアンパンマンがこんなになっちゃったのお?」と大げさに驚いて白い目で見られたりと、今の親は子供と仲良くしたいあまりにこういう恥ずかしい間違いを犯しがちですね。私は違いますが。しかし「ハム太郎」と「ハムスター倶楽部」を間違えて軽蔑されるのはあまりに理不尽だと思いませんか?私は見分けがつきますが。

 さて、実家にいる間に個人的にショッキングなニュースが飛び込んできました。近所に住む親戚のおばさんが「膀胱ガン」を宣告された、というのです。なんでも旅先で血尿に気付いて年明け早々に受診したとか。本人は痛くもかゆくもないが、ガンであるのは間違いなく、手術を受けることになったそうです。血尿はもっと以前から続いていたと思われるのですが、さて、何故彼女は自宅で異常に気付かなかったのでしょう?

それは彼女の自宅の便器がワインカラーだったからだそうです。
今日の常識。

「便器は白!」

これから家を新築される方。一国一城の主となるあなたの栄えある初仕事として、間取りより外観よりもまずは力強く「便器は白っっっ!」とオーダーしましょう。それがあなたと家族を救うことになるかもしれないのですから。
ついでにだけでなく、の方にも目を向けますと、「便器は和式!」ということにもなりますが、私のようにしゃがむのが苦手(和式だとよくしりもちをつく)(目の前の排水管につかまって壊すこと数回)(特に飲んでる時は必ずひっくり返る)な人間にとって、和式便器は人間工学的な観点から言えば完璧な設計ミスと言えます。しかし洋式は「便の異常に気付きにくい」「検便の時に工夫が必要」なのも事実。ここはひとつ、洋式で、成果がすぐオサラバしない作りになっている便器を作っていただけると嬉しいのですが。排水口を前の方に付けるとか、ほんの一工夫で出来ると思うのですがねえ。TOTOさん、INAXさん、よろしくお願いします。いえ、ウチは家建てませんけども。
それでは今日はこの辺で。次回をお楽しみに。


第68回(01.2.6)

 皆様こんにちは。ようやく保育所が始まり、心の底から安らげるブラボーな時間を取り戻しましたが、北海道はここのところずっと「寒いを通り越した」日が続いております。ヒマが出来たので景気づけにチカ釣りにでも行こうと思ったら、なんとこのあたりでは凍らないはずの漁港が凍っているそうです。BBSの方にはちょっと書きましたが、こう寒いと頭も体も動かなくなってくるもんです。「鬱状態」というのは大げさにしても、本当に最低限のことだけして、あとは何もする気がせず結果的にぼーっと過ごす日の多かったこと。「頭寒足熱」は仕事や勉強がはかどる理想的な環境ですが、「頭寒足寒(オマケにフトコロ寒)」は人間の積極的な活動を抑制する、もっと言えば、人間の尊厳を損なう作用があるのかも知れません。なんというかこう「全面降伏」というような惨めな気分になっちゃうんですから。暑さの場合は反対に攻撃的になりますから、この辺面白い対比です。「衣食足りて礼節を知る」と言いますが、人間がより人間であろうとした時、快適な生活環境がいかに大事であるか、というのがよく分かりました。
 もちろん、灯油をケチりさえしなければ「頭暑足温(でもフトコロ寒)」にすることは可能です。実際、北海道の人というのは家の中をガンガンに暖房して、本人は薄着でいたりしますし。

「道産子は寒がりである」

わりと知られた常識ですね。「節約」と「快適さ」というのは常に相反するものですが、それを秤にかけた場合、北海道の人はなんの迷いもなく「快適さ」を選びます。特に「暖かさ」には非常に貪欲です。まあ、寒い寒いと文句を言って、ストーブから離れないでいるよりは、灯油代オーバーの方がよっぽどマシだということに私もようやく気付いたので、今ストーブのダイヤルを「微小」から「小」や「中」にさりげなく回せるよう血のにじむような訓練をしているところです。なかなか辛い修行です。皆さん、応援してくださいね。

 さて、我が家では夕食の時はテレビを消して世間話などしますが、当然おとうさんの仕事の話なども話題にのぼるわけです。ご存じのようにウチのおとうさんは獣医ですが、3番目の長男がこの言葉に妙な反応をするので不思議に思っていました。「お父さんは動物のお医者さん、獣医なんだよ」と言うと4才の長男は薄笑いを浮かべつつ「へえ」と鼻で笑うような返事をするのです。まあ確かに牛のおケツに手を突っ込む仕事ではありますが、一応「先生」と呼ばれる職業なわけですから、尊敬しろとは言わないまでも、そうあざ笑うことはないだろう、と私は思っておりました。

 ところがある日、長男がこう言うのです。

「おとうさんは”じゅうい”なんでしょ?じゃあ”じゅういちい”は誰?」

そう、彼は「ウチのお父さんは10位」すなわち「たいしたことないヤツ」だと思っていたのです。そういえばダンナが以前「お母さんも獣医なんだよ」と言ったことがあったので、もしかしたら長男は「両親揃って負け犬」と認識していたのかも知れません。今これを書いていてとてもくやしくなりました。ちくしょう。

「きょうだいは下へいくほど競争心が強くなる」

日本の場合、オリンピック選手は下の子であることが多いそうですが、確かに下の子というのはなにかにつけて人と争う意欲が強く、自分が負けるんだからよしゃーいいのに、それでも順位付けを好む傾向にあるようです。ウチではよく食事を食べ終わった順番などでモメております。野菜嫌いの長男は食事に時間がかかるため、大抵「6位」なのですが、それがガマンならないようで「0位」という新グレードを導入し「5位だもんね〜」と自己欺瞞を用いて満足しております。第1子の私などは「それなら張り合わなければいいのに」と思いますが、それが表出するかしないかは別として、間違いなく人間の本能に「競争」は刷り込まれているはずですし、「競争」してこそ生き甲斐を感じる、という人も多いのだと思います。

 が、皆さんご存じのように学校から「競争」が消えていきます。マラソン大会廃止の理由が「みんな一緒にゴールしてくれないから」という冗談のようなホントの話も聞きました。私の周りでは「そこまでするのは異常だよね」という意見しか聞きませんが、一体どこの誰がそんな風潮を促しているのでしょうか?なんでそんなことになっちゃったんでしょうか?実に不思議です。まあ家でテレビゲームでもすれば十分「競争したい気持ち」は満たせるのかもしれませんけどね。もちろん「それは違う」のだとも思いますけどね。

 ところで、冬休み中、ウチの子供達は「ワーナーブラザーズ」のアニメのビデオ(バックスバニーとかトゥイーティーとかロードランナーとか)にハマってました。ご存じのようにこれらはもうくどいほど「追いかけっこ」ばっかしなんですが、これが子供達に非常にウケるのには驚きました。私も「ロードランナー」は大好きだった記憶がありますが、考えてみると日本にはあまり「追いかけっこアニメ」ってないと思いませんか?この辺も「いわゆる日本人気質」の表れなのかもしれませんね。
それでは今日はこの辺で。次回をお楽しみに。


第69回(01.3.6)

 メジャーに行った新庄の姿をテレビで目にするたび、なぜかいたたまれない気持ちになって思わず視線を外してしまう今日この頃、皆様お元気でしょうか。まるまる1ヶ月ぶりです。なんだかあれこれ細かい用事が多かったのと、なぜか今さらジグソーパズルにハマってハメるのに熱中してしておりまして、パソコンを立ち上げても、まずはオークションでジグソーパズルの出物を探す毎日でした。まあ当HPの場合、1ヶ月くらいのブランクは珍しくもないですが、せっかくアクセスしているのに更新がなくていいかげんムッとした時は「あつよ(←呼び捨て)もついに更年期かー」と思っていただいて結構毛だらけネコ灰だらけでございます。今日の常識へようこそ。

 プロ野球が始まってます。今年の松坂くんの目標は「下半身の強化」だそうで、これに大笑いしてしまった自分にちょっとイヤなものを感じましたが、これも大人になった証拠なのですから仕方ないのでしょうね。なんだかんだ言ってもやっぱり人間、下半身ですもんね。皆さんもこの機会に強化してみてはいかがでしょうか、下半身

 さて、そういうワケで、今日はちょっとイヤらしいお話。と言っても下半身関係ではありませぬ。
 いつも覗いているBBSで、ちょっとした議論が起こりました。「荒らし」と言えるのかどうかはよくわかりませんが、ネットにはそれこそ掃いて捨てるほどあるような形態の、いわゆる「名無しさん」による常連さんの発言に対する批判に始まり、途中からどこが論点なのか私のような下半身強化人間にはよくわからなくなりましたが、一晩に20もの書き込みがあるくらいの結構なバトルが繰り広げられていました。他人のBBSで起こっている限り(すいません)こういうのもネットならではの娯楽のひとつであるのは皆さんも否定できないのではないかと思いますが、さて、私がちょっと反応してしまったのは「人間性と発言は別物ではないか」という「名無しさん」の発言でした。”彼”は(”彼女”ではない、と思う)どんな人間が発言しようと、事実は事実なのだから受け入れるべきである、という主張をしていたのですが、純粋な事実のみを発言している場合ですら、おそらくは正論として「正体不明である人の言うことは聞き入れたくない」という意見がありますし、逆に「尊敬できる人間性、認めてしかるべき要素を持った人の意見はすんなりと聞けるし納得できる」というのも世間一般の常識ではないでしょうか。

「同じ言葉でも言った人間によってその価値は変化する」

ま、いわゆる「影響力」「発言力」ということですね。
 ところで、私のHPはおかげさまで「アクセスの多い人気サイト」ということにいつの間にかなってます。「今日の常識」を書くようになって、劇的にアクセスが増えました。このコラムは私がいかに「聡明な女性」であるかを世間に知らしめたいがための、本やマスコミからのウケウリを極力もったいぶってカタるコーナーですが、もし私が「獣医師の資格を持っていなかったら」得意の「生物学的洞察モドキ」の信憑性は薄れるだろうし、もし私が「子供を一人しか産み育てていなかったら」、これも得意の「子供の観察とエセ考察」は、少なくとも3児のお母さんに対してはほとんど説得力がないのではないか、すなわち、これほどアクセスは伸びなかったのではないか、とふと考えたことがあります。そしてそれは多分、当たっていると思うのです。

「人間はそのバックグラウンドである程度評価されてしまう」

 さて、ここからが本題。持っているに越したことはない「資格」はともかくとして、一見意味のないように思える、「履歴としての高学歴」は本当に不必要でしょうか。資格や経験や技術や才能や友達や財産や人間的魅力を持ち、それでメシを食っている人には全く意味のない場合もあるでしょう。しかし不幸にもそういうアドバンテージに恵まれなかった人の場合、せめてもの「高学歴」はなによりも本人にとって大きな意味を持つ場合もありうるのではないか、結論として、ないよりあった方が、いい悪いではなく、おトクなのではないか、と思います。
 なぜそう思うか。ここで恥をしのんで告白しますと、実は私、「一流大学卒」とか「有名な会社に勤務」とか「お金持ち」とか「22センチ」(←?)とか言われると、それをハナにかけているのが見え見えのトンチキ野郎や明らかに変な人は別として、どーーーしても相手に対する「好感度」がアップしてしまうのです。数年前でしょうか、そういうことに全く価値を認めないダンナとの対比で、自分が実はどうしようもなく俗物である、ということを不本意ながら認めざるを得ませんでした。
 もちろん、私のような人間がおそらく多数派で、だからこそそういう「付加価値」を求める人も多いわけです。最近の予備校のCMにもそういう現象をパロったものがありますが、まあ突き詰めて考えれば顔も体型も学歴も恋愛経験もすべてひっくるめて「その人」になるわけですから、私のように他人に対する好奇心が旺盛な人間がそういう「わかりやすい」情報をついつい「評価」してしまうのは当たり前のことだとも言えます。そういえば、ウチのダンナは他人にあまり(というかほとんど)興味のないタイプですもんね。
 こんな俗物かーちゃんでももちろん、我が子には「人間、肩書きではない」というタテマエを教えていくつもりです。が、おそらく「親の価値観」というのはわりとストレートに子供に染み込んでしまうのでしょう。ま、ウチの場合は父親が逆のタイプですから案外いい具合になるのかも知れません。

 しかしだからといってウチの子供らが「とりあえず大学へ行く」などとへろいことを言い出した場合、「そうね、それが正解ね」と承諾するかと言えば、これは絶対にNO!です。

「そんな金はない」

ウチの場合は「やりたいことが”大学へ行かなくては実現できない場合”のみ、学費を出す」「やりたいことが決まっていれば中卒で働くもよし」といった感じで教育方針が固まっています。とはいえ、10代で「やりたいこと」を見つける、ということ自体が人によっては非常に難しいことであるのも承知してますから、4人のうち1人2人は「フリーター」とかいうへろい職業になっちゃうのかも知れません。娘3人は「農家と漁師と酒屋」に嫁に行って欲しい、というひそかな願いを持っていますが、それまでに「なにか資格を取るといいゾ!」とアドバイスするつもりです。長男はあまり大柄にはならないと思うので「ジャイアンツの2番ショート」あたりを目指し、親が出来ることとして、まずは下半身の強化寝ている時に耳元で「野球は楽しいぞ〜」「野球選手はいいぞ〜〜」「ジャイアンツの選手は特にウハウハだぞ〜〜〜」とささやくことから始めようかと思っています。ダンナも、携帯電話のメール着信音をいやいや「闘魂こめて」にすることで協力してくれています。子育てはこのように夫婦2人で一致協力してするのが理想ですね。あらあら、見倣いたいだなんて、そんな。
 それでは今日はこの辺で。次回をお楽しみに。


第70回(01.3.14)

 皆様こんにちは、スノッブあつよです。3月も半ばとなりましたが、ここへきて風邪が流行っているようです。洞爺湖温泉のとあるホテルで「子供は一泊二食500円」という、ウチにとっては超破格となるサービスをやっておりまして、正月帰省以来どこにも遊びに行くことのなかった我が家では、とうちゃんの最後の連休(4〜7月は休みなし)はこれしかないね!決まりだね!と一家の宿泊料金を計算してはその安さにほくそえんでいたのですが、その計画も見事に妖怪発熱娘(←無敵)に潰されました。えーん。

 最近発売された赤い缶の発泡酒がずいぶんと売れちゃったみたいですね。8才を頭に4人の子供、母ちゃんアル中、父ちゃん競馬狂い、という我が家では当然発泡酒を「ビール」と称して毎晩飲んでおりますが、この新製品、確かにうまいです。市場価格もいきなり底値だったため、品薄になるほど売れるのもわかるのですが、ダンナ曰く、
「じゃんけんの後出しみたいで、なんかズルい」
確かに言えてます。これだけ後出しすれば勝って当たり前なのかも知れません。しかしどうして「スチール缶」なんでしょう?我が子供会の廃品回収ではスチール缶は集めないので、全部ゴミになってしまうのです。「大量の発泡酒の缶をゴミとして出す時の恥ずかしさ」が分かる方、あなたは私の「心の友」です。お友達になってください。

 さて、幸いにも私には「心の友」が少なく見積もっても全国に1万人くらいはいるかと思われますが、世の中には「大量の発泡酒の缶をゴミとして出しても全然恥ずかしくない」もしくは「ウチは本物のビールだもーん」といった「アンチ心の友」(←なんじゃそりゃ)もいるわけです。つまり世間には「そりゃーもー色んな人」がいて、どんな人にも長所と欠点があり、好き嫌いがあり、それ故に人と人との間には、目には見えないけれども「相性」というものが厳然と存在しています。自分と相性のいい人ばかりで周りを固められたらどんなに楽か知れず、でもそんなことは到底不可能で、トラブルを避けるために人間関係自体を希薄に設定する、というのが可能であればそれが正解なのかもしれません。しかし、ほんの少しでも「マトモに生きよう」とすれば、やっぱりイヤな人ともつき合わなければならなくなるのはご存じの通り。

 ところで、生物の体というものは、体内に取り込んだものを分解して必要なものは吸収し、不要なものは排泄するように出来ていますが、人間の脳も入ってきた情報を、いわば「消化」しようとする能力を持っているように思えます。

「人間にとって”納得すること”は生理的浄化作用である」

 自分にとって無視できない理解不能な情報が入ってきた場合、人間の脳や心はなんとかしてその情報を「消化」しようとします。「曲解」でも「すり替え」でも「諦め」でも、なんでもいいからとにかく処理をして無害なものに変えようとする。すなわちどんな形であれ「納得」しようとします。これが得意な人は人生が非常に楽でしょうし、苦手な人は「脳の消化不良」から心や体に不具合を生じてしまう「損な人生」を歩みがちですが、さて。

 どおおおおぉぉぉぉ〜〜ぉぉぉおおしても!!!好きになれない人と日常的につき合っていると、自分には受け入れ難い相手の言動が結構なストレスになるものですが、これは会社勤めのお父さんや3世代同居のお嫁さんや子供のいるお母さんにはごくあたりまえの「不可避な」ストレスですし、そもそも「結婚」自体、そういう状況の宝庫です。いくら「相性がいい人」と思って結婚しても、いわば結婚とは1億ピースのジグソーパズルから2つ取り出してハメてみる(←まだ言ってます)ような作業ですから、ぴったり合うわけがないのですね。あーもーこの人、どうして結婚式の当日まで競馬新聞読んでるのかしら!あーもーこの人、陣痛が始まってるって言ってるのに、なんでのんびりタバコ吸ってるのかしら!なんで箸の持ち方はほれぼれするほどキレイなのに、使う時になると変によじれるのかしら!なんでスピリッツで「ほりのぶゆき」のマンガをとばすのかしら!、キリがないのでこのへんでカンベンしといてやりますが、そんな時、こう思えるかどうかが「楽な人生への分かれ道」なのではないでしょうか。

「仕方ないか。だってこの人B型だもん」

 身も蓋もない上に根拠も全くありませんが、というか、滅茶苦茶ですが、理屈で解明できないものと折り合うためにはこういう「だから何?」的なモノに頼るのがてっとり早いわけです。血液型の話をおおっぴらにする人というのは一般的に「悩みのなさそうな人」ですが、それはその人が血液型人間分析を、上述したように最大限に正しく有効利用しているからなのだと、私は思います。

 血液型に限らず、さまざまな占いや方位学、宗教などもすべては「世の中の不可解な現象に納得するため」イコール「内面的に幸せになるため」のものであり、他人の人間性やアクシデントをこういうものを根拠にして断じたり、こういうものを必要としていない他人にしつこく勧めたり、これで金儲けをしようとしたり、地下鉄に毒ガスを撒いたりさえしなければ、どれがいい悪いということもないと思うし、利用出来た方が幸せだ、と私は思います。
ましかし、こういうのは実に向き不向きがあって、私は血液型や占いは好きですが、宗教色を帯びるととたんにダメですし、一般的にこういうのは「女性のもの」であって、男性は苦手な人(というかバカにする人)が多いように思います。しかしそういう男性が「この世の理」に関して信じるべき指針をなにも持っていないのかと言えばそうではないのですね。

「人間は何かを信じずにはいられない」

 科学を信じている人。特定の他人を信じている人。世の中は悪意でなりたっていると信じている人。何よりも自分の感性を信じて疑わない人。どんな「信仰対象」も世の中に「納得」するためのツールに過ぎず、その体系はそれぞれ相容れることがなさそうに思えますが、考えてみると人間のアタマのなかでは、どれも同じように作用しているところが非常に面白いと思います。こういう理屈でいけば、オカルトと科学は同じレベルに並んでしまうわけで、よく言われる「科学的根拠」という言葉自体が矛盾していることになってしまうのですね。

 ところで、血液型の話を嫌う人にはB型の人が目立つように思えますが、B型の人ってやっぱりしょっちゅう「B型だから」 って言われてしまうんでしょうか?ちなみに私は、

こういう家系な上に、友人にも偶然の確率を大きく超えてB型の人間が多いもんで、このセリフは「合い言葉」(←なんのだ?)みたいなもんだと思ってますけどね。いえ、血液型と人間性は関係ない、という結論を出した上で言ってるんです。誤解なきよう。

 最後に、皆様にお願い。10年以上前の深夜番組なのですが、個性的な男性俳優(芸人かも)が3人で「有栖川探偵事務所」とかいうミニドラマ(有栖川公園で撮影していた)をやってた番組の名前、出演者の名前、ご存じの方いらっしゃいましたら掲示板の方で教えてください。よろしくお願いします。思い出せなくて時折絶叫しながら頭をかきむしるヘビの生殺し状態から救ってくださった方にはかっこいい「藪塚温泉Tシャツ」を差し上げます。ホントに差し上げちゃいますから覚悟しろよ。(注:この番組は「ウソップランド」でした。情報ありがとうございました)
それでは今日はこの辺で。次回をお楽しみに。


第71回(01.4.9)

 皆様ご無沙汰しておりました。保育所も小学校も始まり、ようやく(←画像使いまわし)を取り戻しました。いくらか暖かくなったので、と釣りに出かけてみれば、ハマはものすごい風で激寒、しかも全く釣れません。それでも確実に春にはなっているようで、今日はついに霧がかかり、いつの間にか加湿器と除湿器を交替させる時期がやってきています。子供たちもそれぞれ進級、小学生が2人になり、「あと半分」まできました。本当に時の経つのは早いものです。

「30代は”駆け抜ける”ようなもの」

 40になると人は振り返るものなのでしょうか、諸先輩方はこう言います。もっとも時が早く流れる年代だ、という意味でしょう。確かに私の場合は20代後半から30代前半は日夜「増殖」に専念。「あ〜、増えた増えた」とお腹いっぱいでふと気づけば30代後半。一体誰に断ってこんなに時が流れてるんじゃい!とつい暴れたくなってしまう今日この頃なのでした。

 さて、「健康グッズおたく」として知られる私ですが、先日ついフラフラと「足裏樹液シート」を買ってしまいました。お試しパッケージで3セット入りでしたが、それを貼って眠った3晩とも「ダンナに女が出来る夢」をみました(本当)。「老廃物が出る」という効用を謳ったこの「足裏樹液シート」ですが、私からは一体どんな老廃物が出たというのでしょうか?ちなみに朝起きてシートをはがすと茶色くなっていますが、「茶色いモノが出た」と喜んではいけません。あれは化学反応なハズですからね。

 また「帳簿・書類アレルギー」としても知られる私ですが、この春から保育所の会計係をやることになりました。「お小遣い帳レベル」だろうとタカをくくって気軽に引き受けたのが運の尽き。保育士さんの給料計算や「げんせんちょうしゅう」や「のうぜい」や「ねんまつちょうせい」果ては「じっせきしょ、けいかくしょのていしゅつ」などもやらねばならんとは知りませんで、引きつぎ後数日は「アレルゲン」と濃厚に接触したため、泣きたくなるわ胃はおかしくなるわ50過ぎてからパソコンと格闘するハメになったおとうさんの気持ちがわかっちゃうわで大変なストレスでございました。そんなワケで、今日は「苦手意識」を取り上げてみましょう。

 「できない」「わからない」とやってもみないで投げ出してしまう人がいます。投げ出さないまでも、「だってわかんないんだもん」と始終ふくれっ面で人の説明を聞いている人がいます。私はそういう甘ったれた人間とはあまりお付き合いしたくないと思っていましたが、いざ自分が自分の「苦手」と対面してみると、受け入れるまでにはふくれっ面をしたり、投げ出すフリをしたりという行動を織り交ぜた多少の「慣らし期間」が必要である、ということがわかりました。面白そうなことであれば、わからなくても積極的に調べ、理解しようとする努力そのものが楽しいものですが、最初に「わ、つまんなそう」「げ、難しそう」と思ってしまうと一通りわかるまでの過程を全く楽しめなくなってしまう。こう考えると「苦手意識」は本当にやっかいなものです。

 まあ、友達や隣人に出来ることであれば、まず自分に出来ないわけはなく、大抵のことは始めてみれば「なーんだ、簡単」というのがごくごく一般的なケースであり、さらに「苦手意識を克服した」という達成感もオマケについてくるわけで、「苦手なことにこそチャレンジ」してみるのが積極的な人生への一歩ではないかとも言えそうです。ですからこの「苦手意識」のせいで世界が狭くなってしまうのは非常にもったいないことなのかも知れません。もちろん敢えてそんな挑戦をせずとも、十分幸せに暮らしてはいけるわけですが、私のようにある日突然「苦手なことをやれ」と言われた場合は、

「苦手の向こうにはなにか素晴らしいものがある」

と希望を持って、どっちにしろやるしかないわけですから、ま、がんばってみようではありませんか、ね、おとうさん。

 さてもうひとつの「苦手」に「人間」があります。「あの人ニガテ〜」というヤツですね。前回もそんなことを書きましたが、人間には「相性」というものがあります故、こういう「苦手意識」はあって当たり前とは思いますが、ここでちょっと考えてみましょう。

 帳簿が苦手だパソコンが苦手だという場合とは異なり、ある特定の人が苦手、という意識は実はある特別なきっかけによって生じることが多いように思えます。そのきっかけとはそう、「悪い噂」なのですね。
 普通にあいさつをしたり、2こと3こと交わす程度のお付き合いでも、別な人から「あら奥さん、あの人と仲良くしない方がいいわよ。あの人ってねえ‥‥‥」などと吹き込まれると、なぜかとたんにその人が「苦手」になってしまう、なぜかその人の悪いところにばかり目がいくようになってしまう、そういう経験ってありませんか?私はあります。しかしそういうきっかけでなんとなく「苦手」と思っていた人と少々話しこんでみれば、全然「苦手」ではなかったりして、やっぱり、

「人の噂はアテにならない」

こと人付き合いに関しては、個人差が大きいもの。人の噂で人間を判断することの愚かさと恐ろしさ、「噂」の罪深さを感じます。もちろん、悪く言われる人というのはそれなりに目立った欠点があるものですが、欠点のない人間なんかいないわけで、みんなと仲良く生活したい平和主義者(本当)の私としては、

×欠点
○個性

という風にすり替えを実施しつつ、なるべくアドレナリンを出さないで人とつき合っていけたらいいな、と思います。もちろん私にも嫌いな人はいますし、その人の悪口で盛り上がりつつ酒を飲むのはえれー楽しいのですが、私も30代後半だし、これからは酒も噂話も控える方向でいかねば、などと殊勝なことを考えてみる春うらら(でも寒い)なのでした。
それでは今日はこのへんで。次回をお楽しみに。


第72回(01.4.20)

 皆様こんにちは。ダンナが携帯電話のメール着信音を「闘魂こめて」から「愛と青春の旅立ち」(←なんで?)に変えてしまい、いくら言っても元に戻さないので最近夫婦仲がぎくしゃくしているバツイチ間近のあつよです。趣味は「僭越」、特技は「スタンドプレー」。鼻持ちならないおばさんですが、今後ともどうぞよろしくお願いいたします。今日の常識へようこそ。

 ダンナの給料は農協に振り込まれるのですが、そこのATMが新しいヤツに替わりました。新しいだけあって今度のATMは処理速度がものすごくアップしているのですが、通帳を差し入れるとまるでひったくりのようにささっと持って行かれるのが気に入りません。接客機械のくせにあれは失礼だと思うのですが、皆様いかがお考えでしょうか?

 末っ子が2歳10ヶ月になりました。保育所の先生が「オムツはずし」を申し出てくださったので、今週始めから「トレーニングパンツ」で暮らしています。パンツにしてから4日後、おしっこが出る前に教えたそうで、「わ、思ったより早く取れるかな?」と期待していますが、過去3人の経験からヌカ喜びにならないよう、ダマされないよう心がけています。ぱっと取れる子もいますが、一般的にトイレトレーニングは「3歩進んで2歩退がる」というまるで「人生の縮図」のようなものです。決してあせってはいけないのです。しかし、この日本の常識をくつがえす理論がアメリカにはあったのですね。

「1日でオムツが取れる本」

という翻訳本があるのです。私は7年ほど前、友人から実際に1日で取れた人がいるというこの本の話を聞き、わざわざ妹に頼んで取り寄せたのでした。なにしろオムツはずしというのは母親にとっての大きな気がかりですし、その頃はまだ「1児の母」でしたから、「自然にまかせる」という発想が希薄だったのだと思います。で、その本の内容なのですが、要するに、「調教」です。子供という動物に、自分でおしっこをするという「芸」を仕込む、それ以外の何物でもない、というノウハウだったのです。具体的には「ポテトチップのようなスナック菓子をいっぱい食べさせ、ジュースをたくさん飲ませて尿意を催させる」「自分で出来たらご褒美に甘いものを与える」といった、通常の感覚ではちょっと違和感を覚えるものでした。

 一般に欧米では子供をきっちりとしつける、と聞きます。レストランで騒ぐ子供などいないと言いますが、本当でしょうか?また体罰にも寛容で、その分虐待も多いようですが、その根底には「性悪説」があるのだといいますね。日本はその逆で「性善説」らしく、昔は「7歳までは神のうち」とか言ったそうですが、果たして人間のベースにあるものは「善」なのでしょうか?「悪」なのでしょうか?

 3歳くらいの子供を見ていると、エゴイストで、残酷で、強欲で、「このまま大人になられたらタマランぞ」と思います。私ははっきりと「悪」だと感じているのですが、しかし同じ現象を見ても「素直で、好奇心が旺盛で、生命力にあふれている」と取る人もいます。ま、そういう人が「保育士」とかいう奇特な職業に就くわけですが、要するにこの場合は、

「善と悪とは表裏一体」

というのが正しい解釈なのだと思います。欧米の子供も日本の子供も同じですが、どっちの面を見ているか、ということが大きな差になっているのでしょう。

 ちなみにウチの子供達は周囲の人から見ると非常にお行儀がいいらしいのですが、それはやはり私が子供に「悪」を見ているからなのかも知れません。私は「しつけに厳しい母親」ではないと思っていますし、すぐに「まいいか」と思う「一貫性のない親」ですが、ご飯の最中に席を立つとか、食べ物を残すとか、そういうことは「いくら子供でも」やはり許せないと思います。その「念」が子供に伝わっているのでしょう。逆に考えると、いくら口やかましく言っても、親がしつけを本心から欲していなければ、子供はそれを敏感に察知しタカをくくってしまうのではないでしょうか。

「子は親の鏡」

怖いです。ウチは「4面鏡」です。いいところも悪いところも、前後左右から容赦なく映し出されてしまう「恐怖の鏡」を製造してしまいました。なにしろ「鏡にウソはつけない」のですから、いくら自分自身を取り繕っていてもその本性はきっちり子供に表れてしまう、というわけです。ましかし、私はご覧の通り長所だらけの人間ですし、どこがどう映っても別にかまいませんけどね(←大きな欠点)。

 さて、このHP、めでたく「開設5周年」を迎えることができました。これもひとえに私の才能と根性の賜物なわけですが〔←だから、欠点)、なにしろ私は日々アクセスしてくださる皆様にも感謝を忘れない謙虚な人間ですので(←)、その尊大な感謝の気持ちをこめて、「5周年感謝企画」を作ってみました。私の心を揺らしてくださった方には素晴らしい賞品をご用意しましたので、ぜひ皆様ご参加ください。よろしくお願いします。
それでは今日はこの辺で。次回をお楽しみに。

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