仙台城(青葉城) 宮城県仙台市青葉区川内 |
|||||
仙台城は慶長15年(1610年)、62万石を与えられた伊達政宗によって築かれた居城である。現在は城は残っていないが、資料展示館で、コンピュータグラフィックによる仙台城復元映像を見ることができる。この城のシンボルである政宗公騎馬像、仙台の歴史を学ぶことができる仙台城資料展示館などがここでの見所である。 また、展望台からは仙台市内を一望することができる。 | |||||
伊達政宗 | |||||
「奥州の独眼竜」と呼ばれていた伊達政宗は永禄10年(1567年)米沢城(山形県米沢市)で生まれた。幼名は梵天丸、父は米沢城主伊達輝宗、母は出羽山形城主・最上義光の妹、義姫である。 5歳の時に疱瘡(天然痘)にかかり、右目を失明。11歳で元服し藤次郎政宗と名乗る。 母義姫は次男の小次郎を溺愛し、家督相続問題が持ち上がっていたが、家中のもめ事を嫌った輝宗は天正12年(1584年)家督を政宗に譲る。政宗18歳の時である。 翌年父輝宗が二本松家に暗殺される。それに伴い、政宗は天正17年(1589年)には摺上ヶ原の戦いで芦名義広を破り、24歳の若さで奥州の覇者となり領地を拡大していった。 後に時代は秀吉に流れ、秀吉に従うことになり、北条氏との交戦に参戦。秀吉の死後は、家康につくことになる。 関ヶ原の戦いでは東軍につき、上杉と交戦。その戦績として刈田郡が与えられ62万石の大名となる。 その後、ヨーロッパとの通商を求め支倉常長をローマに派遣するなど、外交にも力を入れたり、検地や治水などを行い仙台藩の基礎を築くが、1636年江戸幕府徳川家光の代に江戸桜田屋敷にて食道ガンにより、70歳で人生の幕を閉じた。 |
|
1997.08.06