太宰府天満宮
福岡県太宰府市

 ここは学問の神様、菅原道真公が祭られている全国天満宮の総本社である。合格祈願に来る受験生や、参拝する観光客で連日にぎわっている。
 平安時代道真公は左遷された2年後になくなるが、遺体を載せた牛車が急に止まり動かなくなったところに遺体を埋葬しその墓の上に天正19年(1591年)に本殿は再建された。
 本殿のすぐ隣には梅の木があり、これは道真をしたって飛んできたという伝説の「飛梅」の木である。

菅原道真 飛梅
 平安時代、学問に励み、貴族に学問を教える文章(もんじょう)大臣となった道真。そしてそれが、宇多天皇に認められ右大臣までに出世する。
 ところが、実権を握りたがる藤原時平は、学者上がりの道真の出世をねたみ、後醍醐天皇に仕組み昌泰4年(901年)都から太宰府に追放されてしまう。
 その後、道真は権力だけで、罪もない自分を家族から引き離し遠く後に追いやった藤原氏や、後醍醐天皇らを憎み、恨みながらも、とうとう都に戻れることなく太宰府の地で生涯を終えてしまう。
 道真の死後、都では日照りや伝染病、大嵐などの災害が続き、たくさんの豪族が死に、館も雷に燃やされ、それをきっかけとして後醍醐天皇が病気でなくなってしまう。それ以来、人々は「道真の怨霊だ」と恐れるようになり、霊の力を沈めようと太宰府天満宮や、京都の北野天満宮にまつった。
 それからも、道真のことを「天神様(雷神様)」と呼ばれ、さらになおも恐れられていたし、鎌倉時代になってからはその学問に励んだ生前をたたえて、「学問の神様」としてまつられるようになったのである。
 道真が京都から太宰府に出発する際、離ればなれになる愛する妻子との別れを惜しみ、梅の花に思いを込めて詩を詠んだ。

東風吹かばにほいおこせよ梅の花
  あるじなしとて春な忘れそ


意味:梅の花が咲く季節になったら、おまえの梅のような匂いを東風にのせて私のもとまでおくってくれ。梅の花よ、主人がいないからといって春を忘れてはいけないよ。

 その梅は道真を慕って、一夜のうちに京より太宰府まで飛来したといわれる。今でも、妻子の道真を思う気持ちが東風にのって太宰府まで届き、花を咲かせているといわれている。
 それが「飛梅」である。
太宰府天満宮公式サイト http://www.dazaifutenmangu.or.jp/home.htm
1997.07.29
1998.08.05
1999.11.00
2000.08.03

2001.08.04
2003.08.05
2006年8月5日
 Yunoは初めての太宰府天満宮。Yutchiは2回目。いつものようにお参りをし、そのあと生石茶屋へ行きいつものように梅が枝餅を食べました。そこでYutchiはおもちゃをせがむ。仕方がないのでYahaが買ってあげました。買ったのは昔懐かしの紙風船やら吹き付けると巻き付けてある紙が延びるやつ?や、ブーとなる風船などが入っていました。子どもらは喜んで車の中でも遊んでいましたが、すぐに破損。そんなものか・・・。
 生石茶屋を出て股境内を戻り、Yunoに健康お守りを買って戻りました。
 Yayoは昨日のムーバレーでやられたのか熱を出してしまい、つらそうでしたが、暑い中頑張って歩いてきました。
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