長浜城 滋賀県長浜市公園町10番10号 |
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天正元年(1573年)羽柴秀吉は、浅井長政を滅亡させ、この地域の大部分を領地として与えられた。 天正10年(1582年)には清洲会議で長浜城は柴田勝家に譲られ、甥の勝豊が入城したが、その年の11月に秀吉は、勝豊を攻め、ここを柴田勝家との賤ヶ岳合戦の拠点とした。 天正13年(1585年)から5年間は山内一豊が在城したが、慶長11年(1606年)内藤信成(家康の異母弟)が城主となり、その子信正が元和元年(1615年)摂津の高槻城に移ってからは、湖北の支配の役割を彦根に譲り廃城となった。 今の長浜城は昭和58年(1983年)の再建で、内部は歴史博物館として当時の様子を伝えている。 |
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1998.08.02 | |||||||||||
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