銀閣寺
京都市左京区銀閣寺町2

 銀閣寺は臨済宗相国寺派の禅寺で、文明14年(1482年)室町幕府8代将軍足利義政によって建立されたものである。正式には東山慈照寺(とうざんじしょうじ)といい、義政の死後法号慈照院にちなんだものである。
 銀閣寺は銀箔が貼られているわけではないが、江戸時代、義満の金閣寺に対し銀閣寺と言われるようになったらしい。
 銀閣寺は一度も火災に遭うことなく当時の優雅な姿を今に残している。(国宝)

拝観時間 8:30〜17:00
拝観料 一般500円:小中学生300円
駐車場 市営駐車場を利用
足利義政(1436〜1490)
 6代将軍足利義教(よしのり)の次男。義政の兄義勝が7代将軍になるが、二年後病死したためその後を継いで義政が8代将軍となった。宝徳元年(1449年)義政14歳の時である。
 義政ははじめは政治に力を入れたが、後には正室日野富子が政治に口を出しはじめたため、次第に政治から遠ざかるようになっていく。
 義政は将軍職を弟の義視(よしみ)に継がせようとしたが、やがて富子に実の子義尚(よしひさ)が誕生したことで山名持豊を頼り、世継ぎを変更させようとした。このことが山名と対立していた細川勝元に火を付け応仁の乱(1467〜1477)が起こることになる。次第に政治が乱れ、幕府の力は衰え、各国の大名がそれぞれの政治を行うようになり戦国時代へと突入していった。
 義政は応仁の乱のさなか、将軍職を子の義尚にゆずり、東山に銀閣を建て隠居。能楽・茶の湯・生け花などの趣味に明け暮れ東山文化を育てていった。
1996.12.27
戻る