駿府城 静岡県静岡市追手町 |
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ここ駿河の国はもともと今川氏の領地であった。義元の時代には徳川家康が人質として19歳までの12年間ここで生活をしていた。 後に永禄11年(1568年)武田信玄に攻められ、駿河の国は焼き払われるが、天正10年(1582年)徳川家康が武田勢を攻め、駿府に入り城の造営をはかった。 しかし、天正18年(1590年)国替えにより、家康は関東に移封され、豊臣の家臣中村一氏が城主となった。 関ヶ原の合戦後、征夷大将軍に任ぜられ江戸幕府を開き、すぐに将軍職を秀忠に譲った家康は、慶長12年(1607年)には隠居城として天守、御殿を造営し、元和2年(1616年)に没するまでここで「大御所」として天下の実権を握っていた。 家康の死後は徳川頼宣、徳川忠長が城主となったが、それ以後は駿府城代がおかれ幕末に至った。 寛永12年(1635年)の火災で天守閣は焼失、他の建物も明治維新で取り壊され、現在の建物は復元されたものである。 |
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2000.07.31 | |||||||
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