1996年1月

視察研修旅行は飛行機で。しかも・・・

 なぜ、静岡に行くことになったのか。それは決して私自身の意志ではなく、同僚が決めたことだった。

 本当は一人旅がしたかった。だが、私が本州へ行く事を知った50代の同僚が「よし、俺も自費でついていく!」
「おい!静岡に行くべ!!一回行ってみたかったんだ。なかなか行く機会がなくてな。ちょうどいい機会だからな」
なぜかその人は行く気満々。結局断ることができず、一緒に行くことになってしまった。
 
 このとき、前回の旅の経験から、ぜひ、初めて車での本州上陸を果たしてみたいと考えていた。
しかし、50代の人と一緒に車で行くわけにいかなかったので、結局飛行機で行くことにした。
 その後の宿泊や飛行機などの予約は全部私が2人分やる羽目になった。その同僚は、お金を払うだけ。はあ・・・
 しかし、なぜ静岡なのだろう・・・

でもやっぱり車を走らせたかった

 羽田まで飛行機で行き、そこからタクシーで横浜のホテルへ。
その夜は、同僚の「おい!俺の知り合い近くで寿司屋やってるからそこ行くべ」という誘いでそのお寿司屋さんへ行った。
大変おいしかったし、次の日の旅行案内までしてもらった。

 次の日は、やっぱりどうしても車を走らせたく、レンタカーを借りて静岡へ向かった。
初めて自分の運転で走る本州。車の多さにはびっくりしたが、青空の下、知らない土地をドライブするのは、かなり爽快感でいっぱいだった。


ちんたらちんたら国道1号線

 北海道の感覚で考えていたのが間違いだった。
北海道は、国道であればびゅんびゅん走ることができる。1時間で、60km以上は走ることができる。
でも、そこは違った。渋滞渋滞で走れたものではない。

 横浜から約6時間かかって、ようやっと静岡に到着した。朝に出て、もう日は西に傾いていた。

 箱根の山道を通り、山を越えると海が見え、富士山を右手に長い時間はかかったものの、ちんたらちんたら走ることで、ゆっくりと初めての風景を楽しむことができた。


登呂遺跡

 静岡は登呂遺跡へ行った。長い時間をかけて来た割には、登呂遺跡を見学した後、すぐに戻った。
 でも、はじめて本物の歴史に出会ったような気がした。
 北海道は日本としての歴史が浅く、せいぜい歴史に出会うのは函館での幕末や、あちらこちらにある義経の碑くらいなものである。古代日本の歴史に初めて触れた自分は、さらに旅というものにはまっていくのである。

 同僚が強引に誘った静岡だったが、結構そのことが、自分のこれまでの考え方を変えるきっかけとなったのである。


箱根までまたちんたら・・・

 高速道路があるのは知っていたけども、北海道では高速に乗っても、乗らなくてもさほど時間の差はない。
高速に乗ったら乗ったでお金がかかるだけ。だから、北海道では、ほとんど乗ったことがないため、その感覚で走ったら大間違い。地図で見ると宿泊先の箱根はそんなに遠くはない。(これも北海道感覚)
 だが、箱根の小涌園についたのはもう夜の8時くらいだっただろうか、かなりな時間がかかったのは確かである。

 はあ、疲れた疲れた。でも、夕日に映った富士山の姿は今でも忘れない。


川崎の友人を呼ぶ

 「さとしん」と呼ぶ友人が当時川崎に住んでいた。ここまで来たものの、残りの1日何を見学すればよいのか全くわからなかったため、ガイドブックなどで明日行くところを探していた。でも、ガイドブックだけではそう簡単に行きたい場所が見つからないもの。
そこで、良い案が浮かんだ。「さとしんを呼ぼう!!」すぐに電話した。

 「温泉に泊めてやるからこないか」
 夜中になったがその友人は川崎からわざわざ電車に乗って箱根まで来てくれた。
自分の感覚では川崎ー箱根間は(地図上で)近かったので、すぐくることができるだろうと思ったものの、3時間も4時間もかかったそうだ。申し訳なかったけども、それが自分にとって旅行を楽しむためのベストな方法だった。(なんて自分勝手なんだ・・・)


伊豆半島一周

 結局さとしんの宿泊費は2万円。自分の分と4万円を払うことになった。なんと高い宿泊費だったことだ。

 次の日は、熱海、白浜海岸、そして下田まで行き、沼津に出て東京へ戻った。
 冬の割には暖かく、北海道感覚で言う春の陽気そのものだった。
空は青く、海もすごくきれい。すがすがしい気分でいっぱいだった。「これが熱海か・・・」
友人の分の2万円は高かったが、それ以上に値するものを得ることができ、満足感でいっぱいだった。


東京までは高速で

 レンタカーを返す時間が迫っていた。でも、さとしんは全然焦っていない。
「来るときはここまで、かなり時間かかったんだぞ」そういうとさとしんは「高速で帰れば余裕だ」
「え!!!高速に乗るの!!!」本州での高速の体験はなく、それを聞いたときはもうドキドキ。「どうしよ〜〜。大丈夫かな〜。運転できるべか〜(北海道弁)」

 意外に車は混んでいたものの走ることができた。でも、やっぱり首都高はドキドキもの。
左車線を走っていたら、いきなり「ここ右」とか言うし、合流地点では冷や冷やものだし・・・もう大変。
でも、あっと言う間に品川に着いていた。ちゃんとレンタカーを返す時間ピッタリだった。

 さすが、現地の人は違うね。さとしんには感謝。おかげさまでいい旅ができました。


また旅のとりこに・・・

 その日は品川のホテルに泊まり、次の日には飛行機で北海道へ。
真新しいものばかりを見た4日間。すべてが新鮮ですべてが印象深かった。この文を書いているのはこの旅から6年たっているのだが、その記憶が鮮明なほどである。
 この旅でさらに旅に対する魅力が深まり、もう自分にとって旅をはずせば何も残らないくらいの大きなものとなった。

 「また、旅をしたい」そんな気持ちが、さらに、自分を行動的にさせたのでした。

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