乾燥した10月の空気を伝わって「ふるさとの 海荒れて 黒き雨 喜びの日はなく」 「原爆許すまじ」のうたごえは、街に海に伝わっていったのだった。葬儀に参列した静岡大学の学生が腹の中から絞り出して歌うその歌声は、久保山さんの願いを中心に、この焼津の港から波紋のように広がっていった。