久保山愛吉さんは、放射能症と黄疸に苦しみながら手記を書き残していた。 それは、終戦の思い出からはじまり、平和がよみがえってきたのに漁師たちはなお限られた漁場しか許されず、ついに死の灰を浴びせられたことを訴えたものであった。山ほど書きたいこと、訴えたいことを残して、それは絶筆となっている。