ベースを語るページ
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僕はその昔、歌謡曲しか聴かない子供でした。(普通かな?)まして、低音なんかには耳も傾けたことのない、いつもドンシャリ野郎でした。小学校時代は、AMラジオのベストテン番組を、中学校時代はFMラジオの歌番組をエアチェックする程度だったと思います。誰のファンだったかというと、小2で松田聖子、それ以降は何でも良くて、中2でTMネットワークを聴くようになりました。始めて買ったレコードもTMでした。TMは打ち込みが多く、まだ楽器演奏には魅力を感じていませんでした。
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そんな僕に生演奏のかっこよさを教えてくれたのが、高校時代に友人から借りたTHE SQUAREの「F1 GRANDPRIX」です。フュージョンというジャンルも知らなかった僕には衝撃的でした。ベースという楽器に興味を持ち始めたのもこれがきっかけです。これがベースか!というぐらいチョッパーソロに感動し、低音を上げて聴くようになりました。そのころ、友人が学校祭のバンド演奏でベースとして出ることになり、爆風スランプの「RUNNER」を弾きました。これを見て、またベースにはまってゆきました。でも、楽器を買おうとか、バンドやろうという勇気はありませんでした。
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そんなとき、家の物置からすごく古臭いベースを見つけたのです!今見ると、とんでもないボロなのですが・・。とにかく、それを引っ張り出して音を鳴らして見ました。アンプなんてなかったし、プラグも壊れていました。それでも、雑誌を買ってきてはスコアを見て練習をしていたわけです。初めて1曲弾けるようになったのが、プリプリの「DIAMONDS」だったと記憶しています。
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まあ、そんなこんなで高校も卒業し、大学で音楽サークルに入ろうと思っていた矢先、軽音学部とJAZZ研を発見し、フュージョンやるにはどっちがいいのかなーと迷っていました。こういう時は、最初に勧誘されたほうに入るもので、軽音学部に入部したのです。まだ、バンドを組めるほど技量がなかったのですが、ベーシスト不足の年だったらしく、飛び入りさせられました。オリジナルをやっているバンドでしたが、いいんだか悪いんだかわからないうちに解散してしまいました。次に組んだのは、念願のフュージョンバンド「CAPTAIN 1991」でした。これは、編成がギター、ベース、キーボード、ドラムの4人だったので、SQUARE系ではなくCASIOPEAのコピーとかオリジナルをやっていました。
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その後、歌ものバンドをいくつか経験し、後ろで支えるベースを少しずつ理解していきました。その間、僕がずっとポリシーとしてきたのが、「ベースは指で弾くものだ」ということでした。ギターを経験していないので、ピックが苦手だったのも理由の一つなのですが、直に弦に触れるためニュアンスが出しやすいのと、和音奏法やスラップなどのおもしろさがあるからです。それを自らくずしてみようとしたのが、学生時代最後に組んだバンド「TRIUMPH」の中で弾いた曲です。ピックで弾いてみて、アッタクの強さや空ピックの効果が良く分かりました。
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98年3月に入って、東京に出張がありました。その時に、昔の軽音楽部の仲間に再会し、「ベース弾いてくれない?」という誘いを受けました。何かやりたくてうずうずしていたので二つ返事で引き受け、新しいベースを求めてお茶の水に出るのでした。そこで、目にとまったのがフェンダーJAPANのJAZZベースでした。木目調のUSオリジナルPICKUPのやつ・・・。その後、5月からバンド練習を始めてライヴも一回やりました。そんなわけで、結構充実した音楽活動を送れている次第であります。
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さて、それから4年近く経ち、今は東京に在住してます。新しい出会いがたくさんありました。まず、僕の大好きなゴダイゴのファン仲間。バンド関係から広がった音楽仲間。そして、芸術館との出会い・・・。音楽を演奏する人には、音を感じるチカラが必要で、音を鳴らす道具も楽器の一種として考えなければなりません。アーティストの伝えようとする音を、忠実に奏でてくれるアンプとスピーカを手に入れました。これから一生、僕の強力な味方になるでしょう。偉大な芸術家達の残した音楽を探して聴く楽しみも増えました。こうして日々成長していけたらと思う今日この頃です。
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