日時: 1995年11月29日 午後1時30分〜4時30分 会場: とかちプラザ・視聴覚室 主催/ 十勝大百科研究会:「食と農のネットワーク・とかち」 共催/ 帯広市・(財)十勝圏振興機構 後援/ 十勝支庁・十勝農業協同組合連合会・北海道農業協同組合中央会 帯広支所・十勝地区農協青年部協議会・おびひろ情報メディア協 議会・農業情報利用研究会・朝日新聞帯広通信局・十勝毎日新聞 社・北海道新聞帯広支社・HBC北海道放送・uhb北海道文化 放送帯広支社・HTB北海道テレビ ■ パネラー ■
- 悲しいお知らせ -このシンポジウムの共催団体でもあります十勝大百科研究会の会長でありま した帯広畜産大学名誉教授吉田則人氏が、1996年8月19日、69歳をもって 急逝されました。吉田先生には、闘病中にも関わらず本シンポジウム開催の ために多大なるご尽力を賜りました。本稿におきましても、先生よりのご挨 拶ならびに食と農への先生の切なる思いが語られております。心よりご冥福 をお祈りいたします。
開会の挨拶
---- 吉田十勝大百科研究会会長横谷: それでは最初に、今日の集会の主催者であります十 勝大百科研究会の吉田先生から主旨の説明を含めて、ごあいさ つを頂きます。よろしくお願い致します。 吉田: ご紹介いただきました十勝大百科研究会の吉田でご ざいます。十勝大百科研究会の活動の狙いは、明日の郷土を作っ ていくために、まず十勝全般を知ろうじゃないか、そしてこの 仕事はボランティアでやろうじゃないか。こういうことで十勝 に関わるいろいろな研究会を開いているわけでございます。昨 年は、「CoToEn」という研究会誌を発行しました。それ には昨年開催したシンポジウムの報告もしています。皆さんもご承知の下河辺 さん(国土審議会会長)を中心に、地域づくりそのものを話題にしていただきま した。 本日は、十勝大百科研究会として地域を知る第二回目のシンポジウムとなり ます。今から三十五年前の十勝は、人口はだいたい今と同じくらい、36万人前 後おりましたけれど、その中で農家の人口は十四万人でありました。今は、わ ずか四万人に過ぎません。農家の戸数も本当に少なくなり、二万五千戸あった のが、今約八千戸しかない。農家は困っておる、何とかして地域の消費者の方 たちの深い理解を得たい。そしてこの波を十勝はもちろん、日本、あるいは世 界に広げ、今日の主題であるネットワーク、情報網づくりにつなげていきたい。 今日は、これついてその道の専門家が、新しい情報発信手段である、インター ネットのデモをやっていだたきながらお話をしていただけることになっていま す。 最後まで、よろしくご静聴願いたいと思います。目次へ ホームページへ
横谷: それでは、さっそく話題に入って参ります。今吉田先生からお話が ありましたように、十勝の主要な産業である農業の環境も大きく変わってきて おります。農業が変わることで、農村の環境も非常に変わってきております。 吉田先生が三十年前のお話をされましたが、私も実は三十六〜七年までは、帯 広市八千代の東側、広野に住んでおりました。あの当時は広野でも食堂が二軒 ありましたし、雑貨屋も三軒ありました。営林署の職員の住宅もありましたし、 保健婦さんの駐在所もありましたし、近在からいろいろな方が出入りしていて 非常に賑やかだったわけです。もちろん西側にあった八千代市街の方がもっと 大きくて、旅館もありました。それが三十年代後半から四十年代に入りまして、 農業林業の生産性向上を進めていくということで、就業人口が非常に減ってき た。 確かに農家経営の規模が拡大しましたが、今後更に農産物の自由化で農業の 生産環境が大きく変わろうとしています。農村から人口が少なくなると同時に 小中学校が統合されましたので、川西村の頃の農村部の市街地は今は広野と清 川上帯広そして川西くらいになってしまいました。もっといっぱいあった市街 地も今は非常に寂しくなってしまいました。しかし最近はそこに、都会でスト レスをためた方の中から、農村で農業体験をしたりゆっくり過ごしたいという 人が増えてきております。 今日は食と農のネットワークについてのお話になりますが、この食と農とい うのは直接食べ物と農業ということもありますが、我々の生活の仕方と農村社 会のありかたということまである程度話題が広がっているという事も多少も頭 に置いておきながらお話を聞いていただければと思っております。 最初に片岡さんからお話を伺います。片岡さんは大樹で肉牛を飼育しておら れまして、入植されてから二十五年くらいになります。最近は、生体を出荷す るということに加えて、ご自分で生産された牛肉を加工して販売するという事 業も始めておられます。それから、大樹の中でチーズを作っておられる酪農家 とか、養豚農家の方、それから市街の商店の方々を含めて、大樹ファームステ イ研究会をお作りになって、都会から来る方々といろいろな交流をなさって、 いままでの牛肉の供給というパイプに加えていろいろなパイプを農業以外の世 界の方々と持とうという活動をされていらっしゃいます。 そのような活動を始めた動機とか、具体的にどのような事をなさっていらっ しゃるのかお話を伺います。 片岡: 片岡でございます。私は京都丹波福知山の出身でご ざいまして、昭和四十六年に現在地に実習に入り、同じ年に独 立して現在に至っております。経済が非常に右肩上がりで、い い状況の時に入植したものですから、今の新規就農対策事業の ようなものがなくても、なんとかやりくりできたという非常に ラッキーな時を過ごさせていただきました。 大学をでるときに恩師から、「片岡君、肉牛をやるんだったら、必ず生産だ けでなく販売をしなさい。販売をしない肉牛牧場というのはダメですよ」とい うことを聞いておったわけですけれども、なにせ片道切符で来た身で、一銭の 蓄えも出資、融資されるものもなく、多少余剰がでれば全部設備投資なり運転 資金に回してきた状態で、非常にその場その場の自転車操業(現在もそうなんで すけれども)でくぐり抜けてきたわけです。その間、肉牛相場の変動とか、オイ ルショックがありましたけれども、なんとか生き長らえてきたという状況の中 で、牛肉の自由化が大きな波としてやってまいりました。 これはもう、どうしようもない。何か手を打たなけりゃいけないということ で平成元年から、念願のハンバーグの委託製造による加工販売に着手いたしま した。ハンバーグの製造を委託してそれを販売するという形で、牛肉は私の農 場の牛肉を百%使い、そしてレシピは、製造する方の個人企業秘密で、そちら にお任せした。極力安全性の高いレシピでとお願いしてやっていただいて、そ れで販売を手がけたわけです。 知人、友人、地域、いろいろなところに販売に歩きまして、牛肉百%ハンバ ーグっていけるじゃないかという評価を頂きまして、だんだん自信を持ってき たわけです。いかんせん、委託製造というのは私どものレシピがないわけです から、何とか安全な牛肉百%を徹底しなければいけないと考えまして、独自の レシピを平成三年に作り上げました。安全性を考えたハンバーグということで、 縮み防止剤、あるいは大豆蛋白、添加剤その他化学調味料を一切使わないで天 然抽出物による内容でレシピを作りました。 おかげさんで、厳しい状況の中ながら順調に来ております。平成四年の暮れ に、工場を作りました。百平米で、精肉とハンバーグが加工ができる設備、ス ライスカッターとか、パックする施設と加工できる施設を作りまして本格的に 販売に乗り出したわけです。 販路は幸いに私が本州の出身で、学友等もおりましたので、極力そういうネ ット、コネを使って販路を広げたのと、各種イベント、十勝圏振興機構が開催 する商談会などに、積極的に参加させていただきました。今年の商談会では大 変大きな商談が成立いたしまして感謝申し上げております。それから、お客さ んから要望があれば焼き肉セット一式を持ってワゴン車で出向いて、例えば建 てまえだとか何かの家族出の食事会だとか、その他もろもろのイベント等にも 出かけて食べていただくいただくこともしています。それから、私の牧場の一 隅に、夏に外で食べていただく飲食等のサービスもやるようにしております。 幸いお客さんは、鹿児島の泉市から根室の岬の漁師の方まで、全国に渉って おります。皆さんが口コミ等でかなりPRをしていただきました。そのおかげ かどうかこれは定かではありませんけれども、売掛損と言いますか、欠損とい うものは今まで一切生じておりません。注文が入ってお届けして、お金を振り 込んで頂く時に、振り込み用紙に一言コメントを書いてくれるわけです。非常 においしかったとか、ちょっと硬かった、あるいは冷凍ものが融けていたとか、 そういったことが非常に我々の励みになります。ありがたいキャッチボールの 成果かなと思っております。 たまに「片岡さんの牛肉を食べると元気がでますので、来月もまた注文しま す」というお世辞たっぷりの内容が書いてありますとこちらも単純ですから舞 い上がりましてせっせと作る。実際顔を見なくても、電話で話するなり郵便物 で交歓をすることで、非常に有り難いお客さんを作らせていただいております。 そういうことが縁になりまして、私の所で拠点を作って、そこへ宿泊して、 酒を飲んだり、地元の産物を食べながら、ゆっくり語り合える場を作りたいも のだという声が出てきました。そういう場所が私のところに幸いにしてあるも のですから、そういうことも今、夢として持っております。 これから、ちょっと大袈裟に言いますと二十一世紀というのは、人間関係が 非常に大事になってくるのではなかろうかと思います。今までこの「情」より 「物」、あるいは経済効率至上主義でバブル時代をくぐり抜けてきましたけれ ども、それが終わってしまうと、何か空しい状況になってなってきたと。物は ありますけれども、何かそこに心といいますか人間のつながりが欠けている感 じがするわけですね。ですから食べものをただ提供するというだけでなく、そ こに人間的な触れ合い、つながりが求められているんじゃなかろうか。幸いに して私どものような零細な形でも、ネットワークを張っておりますと、人間関 係から生まれる情報がどんどん入ってまいります。そうしたことを大事にして いきたいと思います。 大樹町の仲間とファームイン研究会を作っております。例会をもっていろい ろ検討しております。大樹町は山あり沼あり川ありで、日本一の清流である歴 舟川も流れておりますし、採れる産物には非常に豊富なものがあります。こう いう豊富な食べ物を活用して大樹町全体でおもてなしができる方策を練ろう、 探っていこうということを考えております。大樹浜の近くに離農跡地がござい まして、そこを研究会のメンバーのある人が地主さんと賃貸契約を結びまして、 そこを「大樹の家」ということで、例会の場所にしたり、本州から、あるいは よそから来られた方の宿泊場に提供して交流をはかっているというのが現状で す。まだ緒についたばかりですので、成果はそれほどございませんけれども、 将来的にはじわじわと面白いファームインのスタイルにしていきたいと考えて おります。 横谷: ありがとうございます。片岡さんのハンバーグは、片岡さんのとこ ろへお願いするほかに、例えば帯広ではどこかで食べられるところはあるんで しょうか。 片岡: いろいろお誘いを受けるわけですけど、現在は私のところで卸し小 売りを全部やっております。 横谷: 片岡さんからは、牛肉百%ハンバーグ、特に安全性を重視したレシ ピで加工を始めて、それを媒介に全国に新しいネットワーク、販売を通じたネ ットワークを作っている。また、大樹に来ていただいた方々とも、交流する場 を作っている。モノだけじゃなくて心と心がつながっていく人間関係が、二十 一世紀に向かって非常に大切になる。その辺を農業をやる中から作っていきた い、そういうお話だったように思います。 片岡さんのハンバーグのように「地元で食べる」ということについては、簡 単にはいかないという面もあるわけですが、この事についてはまた後で話題に することにして、次に中薮さんにお話を伺いたいと思います。中薮さんは上清 川で畑作を経営なさっていらっしゃいます。そして、帯広農業塾の第一期の卒 業生の有志の方々が「あいあいファーム」というグループをお作りになり、帯 広市民の方々との交流の催しをやっていらっしゃいます。 なぜそういうことを始めようとお思いになったのか、中薮さんからお話を伺 います。目次へ ホームページへ
中薮: あいあいファームの中薮と申します。僕は上清川で 農業をやって、現在四代目でございます。あいあいファームと いう名前の由来、設立の動機からお話したいと思います。 僕らが農業塾に二年間受講している時、山口県の島根県境にあ る船方総合農場を視察する機会がありました。農場の場所は山 口県でありながら雪があるような地帯なんです。そんなへんぴ なとこなんですが、そこで若者五人が始めた農場、今年で二十数年になる農場 があるんです。現在酪農を中心に肉牛・シクラメン・トマトなどを生産してい ます。そのほかに別会社を作りまして自分で生産したもの、牛肉、牛乳、バター、 チーズを販売しています。また農場に観光客を招き入れて、素朴な農場の中で 一日を過ごしてもらうということをしています。 そこに見に行ってきた反省会(集ったメンバーには農業塾以外のメンバーも数 人いました)という名目で酒を飲みまして、そのときに「このまま塾生が解散し たのでは、何にも残らないじゃないか。何かやってみよう」って始めたのがこ のグループなんです。今年で三年になります。この「あいあい」って名前は、 自分という「I」の「あい」、目という「eye」の「あい」、アイラブユーの 「あい」、最後には、作ったのが猿年で、お猿さんの歌に「あいあい」という 歌ががあるので、そういうふうに付けたという落ちがあるんです。 そういう中で、自分たちの農業を今振り返った時に、僕もそうなんですが、 作ったものが全部本州の方を向いてしか生産していないんです。要するに大量 物流の中で、相手が見えない。僕らはただ量をとって、ものを出してお金にな ればいいって状態でずーっと過ごしてきた訳なんですよ。そういう中で、船方 総合農場を見て来て、なんか自分のやっていることに空しさををみんな持った わけです。今の大量物流の流れは変わらないのですが、その中のごく一部でも 「食べてもらって良かった、おいしかった、また欲しい」という声が聞きたい。 そういう事でこのグループを結成しました。 自分達の農産物。ジャガイモ、タマネギ、長いも、豆、ごくありふれたもの ですが、ジャガイモ一つとっても穫れた地帯、品種によって味も違います。そ ういうことも農村部と都市部では、農業都市といわれる帯広の中でも、全然認 識が違うわけなんですよ。帯広市民の方でも、ジャガイモといえば「メークィ ン」、「男爵」ぐらいしかおそらく手に入らない。農家の親戚がいる方は他の 品種を食べられた方もあると思いますが、現に十数種類のジャガイモが作られ ているわけです。ジャガイモの品種にも旬があって、今食べていいもの、春食 べたらおいしいとか、掘ってすぐ食べたらおいしいとかっていう、そういう情 報が全然伝達されていない訳なんです。 そういう話しをしながら、食べる方と作る方のネットワークを作ろうと考え たのが私たちのグループなんです。今現在やっていることは、今年は「芋コン ツアー」といって、ジャガイモとスイートコーンの実る時期に農家の庭先に集 まりまして、クワを担いだりスコップ持ったりして畑に行き、自分たちで一緒 に掘って、袋を持ち帰ってゆでて食べて、焼き肉などをして昼間を過ごし、後 はいろいろな話をしてコミュニケーションする会とか、例えば春食べたらおい しいイモっていうのがあるわけですが、そういうものを食べる会とか、そうい う交流に付随してしまして、「しょうゆイモがあるなら分けてください」と言 うんで、そういうものを販売したり、あと、片岡さんのような豆腐の委託加工 を始めたところです。 今、帯広で売られている豆腐のほとんどはアメリカのウィスコンシンかアイ オワの大豆を使った物です。大豆は東洋の原産でありながら今はアメリカ、ブ ラジルで作られているものを、皆さん食べているわけです。日本の各地にそれ ぞれ伝統的な大豆がありながら、あまり生産されていない。十勝にも適した大 豆がありながら、それは全部本州に行ってしまってここでは食べられていない。 僕らの作った大豆も本州に行ってました。その中の一部を取っておきまして、 自家消費のために豆腐屋さんにお願いして作ってもらったら案外いける。メン バーの方もこれはいけるんじゃないか、メンバーのつながりで顔見知りの方に 広げたらいけるんじゃないかと、ということで現在ごく少量ながら知っている 人を中心に頒布会を行っております。 自分たちの食べる味噌の生産もやってるんですが、これは自家消費の余った 分くらいしか他には出していないんですが、今、そういうものの販売をやって みて初めて食べ物、農業について気がついたことがあります。これはまた後で 機会がありましたらお話しします。 横谷: あいあいファームは、市民の方をイベントに誘ったりするわけです が、誘われる市民の方はどのようにして見つけるわけですか。 中薮: 現在、農家が五家族で、その他にサラリーマンの方が三家族、全部 で八人いるんです。この仲間は企画して生産する立場のあいあいファームの立 場なんですが、もう一つ、「あいあいの仲間たち」というグループ、要するに 僕たちを支援してくれたり買ってくれたりするグループを作りまして、コミュ ニケーションをやっているというかたちです。目次へ ホームページへ
横谷: ありがとうございます。ジャガイモを例にとって、普通はメークィ ンと男爵までしか知らないかもしれないけれど、十勝では十数種類も作られて いて、しかも収穫した直後とか、あるいは時期をおいてとか、それぞれ食べ方 の適期があるというお話がありました。我々も産地にいながら、なかなかそう いう知識がもてない。しかし、あいあいの仲間たちに加えていただくと、そう いうことがよく分かって、地元のおいしいものがよりおいしく食べられるとい う、そういうしくみがありそうだということですね。しかし、市民の立場から するとあいあいファームにたどりつくまでが大変なんじゃないかなという気も するわけです。 十勝の農産物はおいしいと言われているわけですけれども、本当においしい のかどうかはなかなか体験できないということもあります。林さんは、帯広味 銀行という活動をされて五年目ぐらいになるそうですが、地元の農産物を使っ てできた料理を帯広市民の方とか十勝の住民の方に広げるという活動を続けて おられるわけです。その活動を始められたきっかけ、そしてどんなような活動 の中身なのか、実際それをやってみて、今どんな感想をお持ちか、お話してい だければと思います。 林: ただ今、ご紹介いただきました林でございます。私は 帯広市の清川町というところで農業をしております一主婦でご ざいます。私の家族は、主人と息子夫婦がおりまして、五歳を 頭に三人の孫に囲まれております。その中で、家族の協力を得 ながら活動をしております。息子は大学を卒業して会社勤めを しておりましたけれども、ある日突然Uターンをしてまいりし まて、私たちの跡をついでくれるようになりました。今は、慣れない農業を夫 婦二人で一生懸命やってくれております。その二人をいつまでも温かい目で見 守ってやりたいと思っております。 十勝に開拓の鍬が下り、百十四年にもなろうかと思います。昔の方々はいろ いろと農畜産物、生産物を工夫されていたと思います。私たちはこのような地 元の食文化を再確認し、新たな視点を加えて地域に広めていく活動をしており ます。 帯広の味銀行というのはその名の通り、帯広地域に引き継がれて参りました 地場産品を使った料理の銀行です。工夫をこらした料理とそれを伝える農家の お母さん方が、料理メニューを登録する制度でございます。活動メンバーの主 体は帯広市農村婦人促進協議会で、帯広市内三農協(市農協、川西農協、大正農 協)の婦人部と、酪農婦人部の四つが一緒になって結成した協議会です。 この活動は、帯広市から帯広市農村婦人促進協議会が委託を受けて、平成三 年度と四年度の二年間に渡って、料理の発掘調査を致しました。平成三年に帯 広味銀行を設置しました。味銀行は大変ユニークな名前で、地域の方々に注目 されております。平成三年、四年と発掘調査をして、メニューを登録した結果、 平成五年の三月までに登録人数は百十六名、登録メニューは地場産品やジュー ス、漬け物、豆腐、その他加工類を含めて百八十七種類になりました。現在は 二百以上も登録されております。 その中で、私は有志で「実りの会」というグループを作りまして、いろいろ なイベントで活動をしてきました。地場産品の素材を活かし、それぞれの持ち 味を消費者に料理とともに普及を図ろうと活動してきました。そのような活動 を通じて農村婦人活動の範囲は、各農協から市内全域、十勝に拡大していきま した。生産者と消費者の交流、情報交換も、平成三年頃はそれほど進歩はしな かったんですけれども、五年経ちましたら大変消費者と生産者の交流が進歩し てきました。 この活動で、特に都市部の消費者の方々との交流を通じて、今まで私が気付 かなかった事がたくさんあります。その一点を申し上げますと、私自身が農業 をしておりまして、食生活の豊かさ、そして自然環境の良さ、すばらしさを感 じていなかったんですけれども、イベントなどで消費者の方と交流をする中で、 いろいろと再確認することができたんです。いろいろな交流を体験して、それ ぞれのライフスタイルへの意識が高まりまして、様々な分野でグループ活動が 芽生えてきたと思います。私はこの消費者と生産者のネットワークの絆をいつ までも大事に大切にしたいと思って活動しております。 活動歴を申し上げますと、平成三年から帯広の味銀行として活動してきまし た。主な活動内容は、各種のイベントにでかけて料理教室を開催することです。 本年九月、十月、十一月とハピィオ木野で料理教室を開催しました。昨日、そ の第三回目を終えて参りました。 ボランティアなんですけれども、昨年、市内の老人ホームに行きまして、イ モのお団子を作りました。老人ホームですから大きく切って喉にひっかかって も困りますから、小さく一口で食べられるくらいにの大きさにして、お汁粉も 食べていただきました。ちょうど二月十四日でしたので、バレンタインデーと いうことで私たち実りの会が作ったクッキーを袋に入れ、実りの会のシールを 貼ってリボンを付けて、お年寄りに一人一人、百人の方々にプレゼントしたと ころ大変喜ばれて、毎年このようなボランティアをやって下さい」ということ で、大変好評だったんです。 毎年行われている十勝ファーミスカレッジの料理講習会にも行って参りまし た。三十八名くらいですか、若い農村女性の方々と勉強させていただきました。 帯広の味銀行のメニューの中で、帯広の学校給食センターでも三点くらいメ ニューに取り入れて頂いております。 また、十月十日に帯広市農業技術センターのオープン式がありました。その 時に、味銀行から二十二種類のメニューを推薦して、ふくいホテルの長屋料理 長さんのアドバイスを受けながら、試食会用として百五十人分用意させていた だきました。大変うれしいお言葉をいただいて、私たちもやる気がますますわ いてきたわけです。農業技術センターをオープンの日に見学をさせていただい たんですけれども、大変すばらしいセンターです。皆さんも、どうぞご使用な さって下さい。 十一月十日に、NHK教育テレビの「今日の料理」に出させていただいたん です。その時、川西のながいもを取材したいということで、十月二十八日、二 十九日、三十日の三日間取材を受けました。ながいも料理を味銀行の中から出 して欲しいと言われまして、メニューを四つ選びました。 テレビ放送が終わって、今も続いておりますけれども、全国からFAXや電 話の問い合わせがどっか穴があったら入りたいくらい届いて、なんか職業が変 わったような感じも致した。 十月十六日から二十一日まで十勝の物産展が藤丸で開催された時にも、試食 のキャンペーンをしたんですけれども、各農協、各地方からながいもが出され ていたんですが、なぜか川西のながいもに列になるんですよね。「この間のな がいもの料理はおいしかったですね」とか「おいしそうだったですね」とか言 われまして、あの、宣伝ってすごいですよね、テレビの宣伝って。私も初めて でございまして、本当にびっくりしました。今現在でも、びっくりしておりま すけれども。本当にそのときにお世話になった関係機関の方々には、ありがと うございました。 今後は、今まで以上に勉強して、「カロリー計算もできたらいいかなぁ」と 思っております。そのような勉強もさせていただいて、試食会の講師にいけた らと思っております。イベントで関西の方にいきましても、食べ方が分からな いって言われるんですよね。包丁もまな板も無い所へ行って指導するは本当に 大変なんですよ(笑)。皮引きを持っていきますと、「それは何する機械です か」とか、包丁は「どうやってその皮をむいたらいいんですか」とかって聞か れて、生産物をただ送ったり、向こうから送ってもらったりするのも本当に大 変だなぁと思っております。生産者の方々もお友達に送る時でも、荷物の箱の 中にこの料理のメニューを一つつけ加えていただければ、一層交流が広がるん じゃないかと思っております。 昨年からこのようなメニューカードを作成致しました。全部の料理がまだカ ードになってはいませんけれども、今年で十五メニューですか、帯広市の農林 課のほうで印刷をしていただきまして、これを持って料理講習会に行くわけで す。これはメニューとその登録された人の顔が写っております。こういうもの をこれからもどんどん広げていきたいと思っております。 帯広の味銀行は、帯広の味、お母さんの味として地元で穫れた農畜産物を使 って身近な料理として広げていきたいと思います。もう一度、皆さん、足下を 見つめ直して下さい。皆さん、足下を忘れているじゃなかろうかなと思ってお ります。先輩の築いた食文化を大切に育てて、水と空気のおいしい、この寒暖 の差のある帯広・十勝で生産した産物の味を十勝、北海道、夢を大きく持ちま して全国に帯広の味として伝えていきたい、また農業の良さや楽しさの文化を 伝え、地域の活性化に貢献したいと思っております。 私が活動できるのも、家族の協力、そして関係機関の方々がご支援やらご協 力、いろいろとご理解をいただいてできるものと思っております。私は、この 料理は親からもらった一つの財産として大切し大事にして、これからも活動に 頑張っていきたいと思います。目次へ ホームページへ
横谷: ありがとうございます。非常に感激的なお話で、やはりきちんと足 下を見つめればいっぱい宝物があるんじゃないか、の先輩から受け継いだもの を文化として地域に広げていく、それが非常にこれから大切なことだというこ とでした。 NHKのテレビで紹介されて全国から問い合わせが来て、大変な思いもされ ているようですけれども、地元のものがそういうかたちで広がっていくという のは、五年間の活動の成果が出てきたということでしょう。ここまで続いてき た活動ですので市民の方々とのつながり中で、ぜひ広げていっていただければ と思います。 今まで、農業をしている側から、農産物、そして食を作る、それを通じて人 と人のつながりを作っていくというお話をしていただいたわけですが、今度は 横田さんに、都会の側から農家の方々に伝えていきたいことを伺いたいと思い ます。横田さんは帯広に移り住まれて何年目ですか。 横田: 定住を始めて 三年目になります。 横谷: 十勝に住まれてどういう感想をお持ちか、それから今まで三人の方 のお話を聞いてどのような感じを持たれたか、お話していただきたいと思いま す。 横田: 私はやはり十勝に来たのは農家の皆さんと近くなって、農家の人と 知り合いになって、そして身も心というか、お腹も心も豊かにしたいなってい うのがとても大きかったんです。ただ来てみて、案外都市にいた方が、例えば 共同購入とかいろいろ組織的なやり方がありますよね、そういった中でやって いた方がより十勝の産品に触れられたのかもしれないと思ったこともありまし た。 実は、農村には住んでいるんですけれども、自分から積極的に出ていかない と、地場の産品にはなかなか出会えないな、というのが最近の実感です。こち ら来まして三年ほどなんですが、私たち家族の変化とその中で感じたことをお 話させていただきたいと思います。 私は子どもが、二人いまして、四歳と一歳十カ月の男の子で、手のかかる盛 りです。夫と四人暮らしで、定住を元々考えていまして、たまたま大正に土地 がありまして、念願の農村に住むことができたというわけなんです。なぜ十勝 に来たかと言いますと、もともと転勤族でした。夫の転勤であちこち移ってま して、帯広にも転勤族として三年間、その前に住んでました。その後東京に転 勤になりました。東京に行ってから上の子が生まれたんですけれども、二十七 階建てのマンションに住んでまして、周りにまったく知っている人がいなくて、 おまけに夫はとても忙しい仕事をしていましたので、夜も明け切らぬうちから 出ていって夜中にならないと帰ってこない。 子育ては私は本当に生まれた瞬間からようやく子どもに接したみたいなもの で、まったく知識がなかったので、子育てに追われてノイローゼ気味になり、 そんな時に何が頭に浮かんだかというと十勝のどこまでも広がる青い空とそれ から畑、そしてそこからどんどん伸びてくる作物、そのエネルギー。あの景色 が頭に浮かんでくると、もう懐かしくて懐かしくて、そして子どもが生まれた のが大きかったのですが、子どもと何をしたいかというと高層マンションの中 で遊びたいんじゃなくて、やっぱりそういったその自然が生きている、自然が とにかく自分の力で生きているところの中で子どもと遊びたいという思いが非 常に強くなりまして。夫も仕事でちょっと疲れて体を壊しかけていましたので、 「こりゃぁ、もう決断の時だ」ということで仕事を辞めて、十勝に移り住みま した。十勝にはまったく親戚もなかったんですけれども、やっぱりその転勤族 として三年間住んだ時の印象がとても大きかった。 最初に住んだのは帯広市内の自由が丘というところで、とにかく最初は十勝 に来たというだけで満足で、ここの空気を吸っているだけでうれしくてって感 じだったんです。確かにスーパーとかに行きますと、最近は幕別産とか札内産 とか、産地がちゃんと入っていますよね、こういう所で穫れたものだ、そうい った作物に触れることもできます。ただ、だんだん月日が経つうちに、何かや っぱりそれだけじゃ寂しくなって、私たちがここに来たのはもっと、その作物 を作っている人たちと近くなりたかった。で、その作物にもっと触れたかった、 それがあったんだけれども、自由が丘にいますと回りはまったくの住宅街で畑 も何もありませんし、なんかやっぱり違うんじゃないかなという気がしてきた 時に、もともと家を建てるつもりだったので、ぜひ農村地帯にということで大 正に家を建てました。 大正に住みますと回りはまったく畑ばっかりで、牛もたくさんいます。とて も豊かな自然で、畑もあるし、本当にやっと私たちが念願した生活空間に入れ た、それはもう間違いないんです。だけど、入ってみたんだけれども、入った だけではやっぱり農家とお友達にはなれなかった。突然、そのへんの農家の軒 先に入っていって「すいません、横田です。お友達になって下さい」っていう のはやっぱりちょっと、よっぽどほんとにね、頑張る人じゃない限りできない のじゃないかっていう気がします。せいぜい街場のクリーニング屋さんとか商 店街のおばちゃんとか、その程度止まり。「なかなか他の人たちには行き当た らないなぁ」っていうのが引っ越した後の感覚でした。「でも、何とかしなく ちゃ」と思わせてくれたのが次男の誕生だったんです。 十勝に住んでいると私がすごく雑に考えちゃったんですが、十勝にいると多 少体に悪いもの食べても、この空気と水が浄化してくれるんじゃないかなみた いな、結構そんな感じがあったりして。妊娠中からも随分甘いものや油っぽい ものを食べて、そうしましたら生まれてきた子が見事なアトピっ子で、二カ月 の頃から顔中湿疹だけらで、もう痒くてかきまくりますよね、そうすると顔中 血だらけになる。で、子どもは泣きますよね、泣くと体の中から体液がぱぁー っと出るんです。顔中汁だらけになって、毎日毎日ガーゼで拭いて。こんな状 態で、薬は使いたくなかった。何をしなくちゃいけないかっていろいろ友達に 聞いて、やっぱり食事を変えるべきだ。母親の私が母乳だったので食事を変え ることにして、ほとんど人参、ダイコン、ゴボウ、ジャガイモ、あと青菜、そ れから海藻類、それからシラスぐらいですね、それだけの生活でした。それが 三カ月か四カ月続いた。 それだけ野菜の比重が高くなりますと、しかもアトピーですから、やっぱり もっともっと安心できる、私たちが納得できる野菜に当たりたい、というふう に強く思うようになって、強く思ったおかげでいろいろ友達に聞いて聞いて、 結局とてもいい農家に出会うことができました。車で5分くらいのところで、 ずっと前から、三十年くらい前から農薬をほとんど使わないで作っている農家 で、でも結構規模は大きい。小売りというか、要するに私たちのように「一軒 分下さい」っていう、そういう需要にも一応応じてくれる。 おかげでそこの農家と付き合うようになって、一週間に一回、千円から千五 百円ぐらい、その時の出来たものをパッケージにしてもらって頂いてきていま す。とても安心できて新鮮で安くて、もう大満足なんですが、まぁ手間と言え ば毎週一回、そこへ取りにいかなくちゃいけない。それから、旬のものが来ま すから、ほうれん草がたくさん出るとほうれん草ばかり五束も六束もどとんと 来るし、かぼちゃもそうだし、やっぱりどうしても偏る。でもそういった事は 確かに手間ではあったんですけども、それでその時の「あっ、今こういうもの が穫れているんだ」っていうのが。私、実は昔笑われまして、ダイコンの葉っ ぱがわかんなくて(笑)。とてもとても笑われて、これは結構話しのネタにさ れたんですが、それ位農作物とは縁がなかったんですが、でもその農家のその 時、その時の姿が見えてきた。だから「手間もやっぱり、プラスになるんだな」 っていうのが、ようやく私もそこで分かってきたような気がします。 もう一ついいことがありました。例えばイチゴとかトマトとか、どーんと生 りますよね。そうすると、子どもを連れていくと「おいで、おいで」と言って、 とにかく一緒に穫ろうよと言ってくれるんです。で、そのおばあちゃんに「い やぁー、すいません、こんなにもらっちゃって。お金も払っていないのに」っ て言うと、「いいよ、いいよ、あんたんとこの子どもなら、孫みたいなもんだ から」。「ああ、私は全然ここに親戚もなかったけれども、これでなんかここ の農家のおばちゃんと少し、親戚とまではいかないけども、随分と頼れるとい うか、近い存在になったんだなぁ」と、とてもうれしかったのを覚えています。 そういうことでとりあえず私は農家に行き当たることができたんです。ただ、 これはなかなか難しいっていうか、「よっぽど願っていないと手に入らないな」 っていうのが最初にお話したような実感です。今、上の子は保育所に行き始め まして、保育所は農家のお母さん、農家の子どもが八割方なんです。だけど、 入ったばかりの頃、もう保育所歴何年ものお母さんから、「いやー、確かにね、 農家のお母さんたち、いっぱいいるんだけれど、どうしてもね、敷居が高いの よね」。やっぱり、街の人間、農家の人間っていう、保育所の中ではそういう 色分けが出来てしまっている。運動会とか遠足とかでは一緒になるんだけれど、 せいぜい世間話っていうか、まぁ「天気がいいですね」とか「今日は良かった ですね」みたいな程度で、もう一歩中には入れない。 農家は特に若妻会とか、あと、もっと小さい頃から長いつきあいっていうの が結構皆さんあって、同じくらいの年齢でみんな同じくらいのお子さんがいて、 結局皆さんとっても結びつきが濃いんですよね。どうしても、そこの中に来た ばかりの人間がっていうのは、ちょっと無理があるとは思うのですけども、で も何かやっぱりそれを聞いてすごく寂しいなって。せっかく大正っていう同じ ところに住んでいて、それぞれ違うものを持っていて、「何か、お互いもっと 近くなる方法があればいいな」というのが最近の考えです。まぁ、意識の違い とか経験の違いとかきっとね、いっぱいそこの間にはあるから、それは理屈で はなくて感情なんだと思うんですけれども、その感情をなんとか変えていく手 段がないかな。例えばそれは、いわゆる学生の合コン(合同コンパ)みたいに 「こっちが農村、こっちが街」とか言ってドーンと集めて、「じゃ、仲良くや って」って訳にはとてもいかないと思う。やっぱり、そこでたとえ知り合った としてもそれはそれまでで、そうじゃなくて、同じ子育ての悩みがあったりと か、同じ趣味があったりとか、なんかもっと個人と個人が「友達になりたいな」 っていう、そういうその意識がないときっとダメだろう。 それは、マニュアルがないからとても難しいんだけれども、でもきっとその 方が近道だろうし、そういうことをこれから一人一人、出来ていけばいいな。 私もまだ大正に住んで2年ほどですから、本当に新しい住人で何にもまだ動い てはいないんですけれども、ただ願いとしてはもっと気楽にね、農家の軒先に 「こんにちわ」って行けるような雰囲気が作れたらとても嬉しいなと思ってい ます。今のところは、そんな話です。 横谷: ありがとうございます。最近十勝に移り住んでこられる方が増えて、 農村地帯に都会でずっと生活してきた方が住むという事が段々進んでいくのか なと思うわけです。十勝の産品に当たるのは都会にいて共同購入とか、そうい う事の方がよく当たるのかなというお話がありました。それから、農家の方と 率直にお付き合いしていくということは、たまたまお子さんのアトピーの問題 があって必死で探したから交流ができているけれど、なかなか難しい面もある というお話もありました。帯広でも田舎に入るあたりで線があるんじゃないか というお話を以前に中薮さんとしたことがありましたけれど、中薮さんから見 た「田舎の線」ていうのは何なのかというお話をお願いします。 中薮: 「田舎の線」ていうのは、今の帯広市、川西村と大正村と帯広市が 合併して今の帯広市があるんですが、ちょうど帯広農業高校の所から市街化地 域と農村地域と、見えない壁というか隔たりがあると思うんです。 さっき言ったように、メークィンと男爵しか皆さん知らない、ジャガイモに 旬があることを知らない。ジャガイモはもうお盆過ぎから収穫されるんですよ ね。ジャガイモで皆さん、ワセシロというイモをご存じですか。皆さんは名前 とイモを知らなくとも食べていらっしゃる。カルビーのポテトチップスの北海 道限定の一番最初に出るジャガイモっていうのはワセシロっていうジャガイモ を使っているんです。そのイモは日持ちがしないんで、その場限りのジャガイ モなんです。その時食べなきゃおいしくない、そういう情報を帯広にいながら 分からない。それはカルビーのポテトチップスにしなくとも、煮て食べてもサ ラダにしてもおいしいんです。そういう事を知らない。あの道路からすぐ南側、 農村部に行ったら作っているんですよ。 さっき横谷さんが言われた「そこに線があるんじゃないか」っていうのは、 ジャガイモ一つ例にとってもそういう事なんです。目次へ ホームページへ
横谷: なかなかそこから伝わらない情報、知りたくても知り得ない情報と いうのがあって、都会の人が市街地に住んでいると、農村にもいっぱい情報が ありそうだと思う、農村の人は、中薮さんがおっしゃったように中薮さん自身 もいっぱい知っていることを「帯広市民の人は知らないなぁ」というふうに思 いながら、しかし、伝えていくといっても自分の知り合いを集めるというぐら いしかやっていないので、なかなか私のところにまで伝わってこない。 今、顔と顔でお互いの心を伝えあう新しい関係を作っていこうと思っても、 地元の中でもつながりが難しい面とうのがあります。 そういう中で松山さんは十勝圏振興機構(とかち財団)で十勝の産物を外へ 出していく、紹介していく、それに加えて地元の加工品を地元で消費してもら う、あるいは地元の農産物を地元の小売り店の店頭にどんどん並べて地元の消 費者も接しやすくしていく事業を始めているわけが、そういうような事を事業 化していかなければならないという気運が盛り上がってきたきっかけとか、現 状をどう見ておられるかお話して下さい。 松山: まず、今お話がありましたとかち財団を知ってる方、 手を上げていただけますか。わずかですよね、身内の人しか知 らないわけです。私どもを一番PRしてくれたのは片岡さん、 「最初にとかち財団で儲けさせてもらいました」と。これが私 どもの仕事です。「ものを作って、農業から生産されましたも のをどうやってお金に換えていくのか」っていうのが私どもの 仕事ですから、利用した方がお得です。だいぶ売れたですか(片岡さんに尋ね)、 来年もやりますんで。 それから、あいあいファームですか、儲かってますか。儲からなかったらだ めなんです。それから味銀行。私と味銀行の出会いなんですけれども、一昨年 でしたかね、帯広市の八広地区で「しばれ談義」というのをやりましたね、デ ザイナー呼んできて。「あんた達、何が困ってるのさ?農業地帯で困ってる、 困ってる、って言うけども、何が困ってるの?」っていうシンポジウムをやっ たんです。結局「何も困ってなかった」っていう結論になったんだけれども、 「困っている、困っている」っていうのはお上が困っているというだけの話で、 そこに住んでいる人は何も困っていない。 最後に農協青年部の人が、「私たちはスローガンがあります」、「何ですか」、 「今日やることは、明日やれ」って言われましてね、がっくりして、その東京 のデザイナーもがっくりきまして、「お前達、俺は(東京から)何のために来 たのかね」ってな話の時に、初めて帯広の味銀行の料理を出していただきまし た。ひどいもんでした。甘いばっかり甘くてですね、量はいっぱいあるし。「こ れでもか、これでもか」って「食え、食え、食え!」状態でした。デザイナー の人が「もういらんよ」みたいなことで帰っちゃったんですけども、今年の十 月十日、再発見しました。すごい料理でした。これはもうプロ顔負け。 先ほども、もう完全にプロになってますから「レシピ」なんて言葉が出てく るとね、これ完全にプロですよ。分かります?「レシピ」って。実は私もわか んないんですよ。そういうような言葉が出てくるということは、もうプロ化し ているってことです。ですから、もうただでものを与えてちゃいけません。ボ ランティアの世界じゃないんですから。お金をとって料理を売って下さい。そ れでないと、アマチュアで終わってしまいます。 なぜプロになったのかということは、一つは自信になります。何が変わった かですね。一昨年と今年の十月では何が変わったのか。一つは料理を作る自信 とそれからメニューの多さ、それからディスプレイです。食べていただく雰囲 気作りをしたということです。雰囲気のないところに料理をお出ししても、食 べる気になりません。そういう雰囲気づくり、もてなしの世界の中で、料理を お作りになっている。これは非常に楽しいことです。ですからこれからはもっ と自己主張をして、帯広の味銀行を育てていただくことをお願いをしたいと思 います。 先ほど片岡さんのお話をしましたけれども、片岡さんの品物が売れました。 本当にありがたいことなんですが、要はものが売れていくためには、消費者の 目と、それからそれを金に換えるバイヤーの目というは絶対に違うということ なんです。なんぼ消費者が「これはうまいよね」と言ったって、買う側の流通 のプロセスの中で「うまい」というものがなければ、ものは流れていかない。 みんなが「うまい、うまい」とお世辞ばかり言ったものが売れるかといえば、 そうじゃありません。やはり自信作と、一つ一つのパッケージデザインですと か、まぁ、もちろん本物指向であることは確かであります。 私どもの財団というのは先ほども言いましたように金に換える仕組みづくり、 それから人づくりをやってます。道立の食品加工技術センターが出来ていまし て、かれこれ約二年を迎えるわけですけども、非常にその、これはPRでござ います、非常に来られる方が多くなっております。去年に比べると、相談件数 が三倍から四倍に膨れ上がっている。これはPL法の絡みも恐らくあったんで しょう、あったんでしょうけれども、それだけもの作りに対する意欲が出てき ているということだと思います。これからは、帯広市で出来ている農業技術セ ンターと道立の食品加工技術センターというものをきちんとネットワークを張 って、そしてもの作りにあたっていくことがやっとできるんじゃないかなと思 っております。 愚痴だと思って聞いて下さい。私、イベントばかりやってまして、先週は「バ イオステージ」、それから「やさしいバイオ」。これは通産局と道とでやった んですけども、それから我々の委員会をやったり、昨日、一昨日の農業機械の デザインの問題をやったり、四つか五つつ、バタバタバタとやったんです。で、 こういうフォーラムだとかイベントで聞いていたって、帰る時、忘れちゃうん ですよ。こういったイベント、やっても疲れるだけです。「バイオステージ」 (というシンポジウム)で何をやったのかと言えば、農業の産業廃棄物の現状 はどうで、どうしましょうやって話なんです。結局、誰もやる処がないから二 十年も三十年も放って置かれているわけですよ。やる仕組みづくりをしなかっ たら、四十年後だってこんな状態でシンポジウム、開いているということです。 だから、もういい加減に実際に動いて下さい。そうでもしないと、物事いっ さい進んでません。幸いなことに、味銀行も動いてきてますし、あいあいファ ームも動いてますし、片岡さんもものが売れてます。ですから、動きがあって 初めて地域というのが活性化するわけですから。 最後はとにかく自分の活力っていうのかな、行動しか地域を救える道はない ということです。だって、人口、増えないんですから。大体、結婚しない人が いっぱいいるんでしょ。女性は結婚しない族が増えていて、これで人口が増え わけないんです。景気は悪いし、企業誘致で十勝に人をもってこようったって 絶対に無理なんです。ですから人口のものさしで地域の活性化を語る時代は終 わったんです。 いかに地域の人たちが生き生きと暮らしているか、そこに食と農があるんだ、 やっぱり、十勝帯広は農業から逃げ切れないわけですから、それをどうやって 利用しあうか、どうして楽しんじゃうかというネットワークを張るべきで、「自 らの地域の特性をどうやってもてあそびながら産業活動をしていくのか」、と いうことに気がつかれた方が私はよろしいということを申し上げて、私の話を 終わらせていただきます。目次へ ホームページへ
横谷: ありがとうございます。十勝の農村の中に片岡さんとか、中薮さん、 それから林さんのような方が多分たくさんいらっしゃって、新しいネットワー クづくりが始まっているんだろうと思うんです。そういうのをもっとみんなが 分かるようにシステム化して、きちんと儲かるようにやっていかなければダメ だ。多分、そういうお話をなさったんだろうと思うんですね。 そこで、どうやって中薮さんが見つかるんだろうか、どうやって片岡さんが 見つかるんだろうかという問題もまだ残されているわけですね。そういう人と 人と知り合うというのも、十勝という身近な側にいながらなかなか難しいとい うこともあります。それを効率的に進める手段になりうるかどうかということ で、最近の情報化、情報手段の話に移っていくわけですが。 十勝の農業をここまでの実力に仕立て上げてきたのには、皆さんご承知のよ うに十勝農協連の農業情報システムがあるわけです。農家に天気の情報や技術 情報が提供される。農家に情報端末が置かれて、リアルタイムで情報のやり取 りができるう、そうした事が農家の生産性向上に寄与してきたということがあ ります。 しかし、それだけの情報ネットが農家の中だけで使われていて、それが農家 と農家以外の十勝の住民が会話をしていく手段として使われていない。これか ら使えるようにならないのかな、という希望を持っているわけです。 その情報手段が果たした役割、これからそれが、どういう方向に発展してい きそうなのか、その辺のところを福井さんにお話していただきたいと思います。 福井: 十勝農協連の電算の方を担当しております福井と申 します。本日は一般消費者の方もいらっしゃいますので、特に 「なんか新聞にちらちら出るけども、どんなふうになっている かよくわからんよ」という話もありましたので、農業情報シス テムについて若干ご紹介して、それがどんな形で将来に向かっ て活用できるかということも含めてお話をしてみたいなと思っ てます。 十勝農協連の農業情報システムは十年前から始めています。ただ生産技術に 関わる対策ですから、製品の物流、または消費等に関わる部分には、一切機能 していないのが実態です。具体的に言いますと、一頭の牛からいかに良い牛乳 を搾り出すか。良い牛乳というのは例えば雑菌が少ない牛乳をいかに搾り出す かとか、肥料をいかに減らしてたくさんものを穫るかというようなことですね。 お天気をよく見ながらうまく管理作業をやって、なるべく無駄のない経営をす るとか、最近特に税務署絡みで、きちっと経営の実態を把握しなきゃいけませ んよというようなご指導もありますんで、そういった情報を使うとか、そうい った事を中心にやってます。 都市に向かっての情報発信、または地元でも帯広市内に向かっての情報発信 というツールにはほとんど使われていないというのが実態じゃないかなと思い ます。 先日も、事前の打ち合わせの中で、ツールとしては有効な手段であるかもし れないのですが、ただあるだけでは全く情報発信ができないわけでして、これ をどのようにやったらいいのかという事でだいぶ論議も進んだわけです。林さ んのご意見にもありましたような、いろんな食材の特性なり料理の仕方、それ から十勝でしか得られないようなすばらしい食材についてPRする仕組みを地 域ででまとめて作たらどうなのか、ということを論議いたしました。これは生 産者段階だけじゃなくて、当然、卸売りの関係の方、小売店の方も含めて共通 なデータを集めて、気軽に消費者の方が覗き込んで見られるような、情報の共 有化に活用できたらいいなと思っています。 今の所私どもは先ほど言ったように泥臭いようですが、いかにコストを下げ てたくさんものを穫るかというな程度にしか使っていないという現状ですので、 是非特にこうすべきだというご意見があればお知恵を拝借させていただきたい ということで、終わらせて頂きたいと思います。目次へ ホームページへ
横谷: ありがとうござます。今、福井さんがおっ しゃった、味銀行の持っている地元の料理のデータ ベースを、通信手段を介してみんなが見に行けるよ うな情報の共有化ができればいいということですが、 最近、人と人とのつながりを作っていくために情報 の共有化ということが、新しい媒介になりうるのではないか、情報を介してい ろんな人と人とのつながりを作っていく可能性が出てきたと言われておりまし て、今日、これから最近話題のインターネットで、WWW(ダブリュスリー) のホームページを覗いてようと思っております。 お手元に”What is Internet?”というA4横の写真があ ると思いますが、その四枚目に「インターネットの利用例」がございます。イ ンターネットには、「電子メール」、「WWW」、「ネットニューズ」、「フ ァイル転送」といったようなメニューがあるんですけど、今日は「インターネ ットの利用例」の1にある「WWW」(ワールドワイドウェッブ)、これを見てい ただこうと思います。 それと、お手元の「食と農のネットワーク・インターネット接続環境」とい う資料に、今日ここに設置してある機器が書いてあります。それから、後ほど 茨城のつくばにある農業情報利用研究会のサーバーに行きますけれども、そち らの方の機器の構成もここに書いてありますので、参考にしていただきたいと 思います。 実際に眺めて見る方が早いので、こちらでやってみたいと思います。インタ ーネットにアクセスするにはプロバイダという、インターネットの回線と電話 回線をつなぐ役目を果たしている事業者があるんですが、今日は東京インター ネットというプロバイダのご協力で、インターネットにアクセスしています。 今モニターに写っているのは、東京インターネットのホームページの画面です。 それでは、筑波にいきましょう。速いですね。もう筑波の農業情報利用研究 会のホームページにきています。今日は農業情報利用研究会の事務局長の田上 さんのご協力をいただいております。農業情報利用研究会のこのホームページ には、農業情報利用研究会がどういう研究会であるのかということとか、農業 情報が検索できるデータベース、世界の農業情報、それから農業情報利用研究 会のスタッフのページ、そういうさまざまなページがあります。今日は、We b産直ページに行ってみましょう。これは、全国農産物産直農家検索システム ということで、産直をやっておられる農家でここに登録されている方がいらっ しゃって、それらの方々のホームページに行くわけです。ちょっと色の替わっ たところをマウスでクリックしますと、そちらへページが替わっていきます。 「うちは、トマトが得意です」とありますが、これは、トマトをつくっている 農家でしょうか。トマトの産直をやっているということで、「ミニトマトって 何だろうか」とか「どうしておいしい私のトマト」、「注文はどうやってする の」、その下に「注文票の記入」ってありますね、こういう風にインターネッ トを通じて注文できるシステムが作られてきていますが、まだ安全性に問題が あるということで、誰でもやっているという風にはなっていないようです。し かし徐々にその問題も解決されつつあるということです。 産直では幕別の養蜂家がすでにホームページを立ちあげていらっしゃいます。 成瀬さんという方です。「ようこそ、成瀬養蜂場のホームページへ」というこ とで、「いろいろなハチミツ」「ハチミツQ&A」、「北海道でとれる主なハ チミツの紹介」「アカシアのミツ」「クローバのミツ」が写真入りで紹介され ています。「ハチミツQ&A」に行きましょうか。「ミツバチの社会」「ハチ ミツはどうやって作られるのか」「ハチミツの結晶」「ハチミツはみな同じで はない」「どうやって一種類のハチミツを集めるのか」、こういう説明があり ます。まだ情報量は少ないですけれど、そのうちたぶん成瀬さんの顔も載って くるんじゃないかと思いますけれども。こういうふうに、個人で簡単に自分が 持っている情報を提供していくことができるというのが、このWWWのホーム ページの特色です。 成瀬さんはASAHIネットというネットワークのサーバーを使ってこのホ ームページを立ち上げているわけです。そのASAHIネットのホームページ に行ってみましょう。このホームページの一番最後の方に、ASAHIネット 個人ホームページってありますね、ASAHIネットを使って個人でホームペ ージを立ち上げる方がいっぱいいらっしゃるわけですが、どれくらいいらっし ゃるか見てみたいと思います。そうすると、「ASAHIネット会員の個人ホ ームページ一覧」がアルファベット順に並んでます。ずいぶんいっぱいいらっ しゃいます。それぞれご自分の趣味のホームページを立ち上げていらっしゃる わけですね。下の方にゴジラのホームページというのがありますが、ゴジラの 好きな方同士がこれを見て仲間になったりするのかなという感じですね。個人 で自分の情報を提供しようという方が非常に増えております。自分の趣味で仲 間を集めたいという時は、WWWのホームページを立ち上げるのが非常に手っ 取り早いということになっています。 美幌の中江さんという方が、「馬鈴薯Webへようこそ」ということで、馬 鈴薯のホームページを立ち上げています。メニューを覗いてみると、「バレイ ショ料理」「バレイショクッキング」「バレイショ図鑑」「バレイショトピッ クス」とかバレイショに関する情報が出ています。先ほど中薮さんもバレイシ ョはいっぱい種類があるとおっしゃってたので、「バレイショ図鑑」を見てみ ましょう。「ポテトライブラリーページ」が出てきました。北海道でよく知ら れている品種が九つでています。「男爵」「メークィン」「トヨシロ」「ワセ シロ」「紅丸」「エニワ」、先ほどトヨシロの話題が出てましたが「トヨシロ」 を覗いてみましょう。「トヨシロ」の写真が出てきました。説明がありますね。 他の品種も、分かるようになっています。ジャガイモの種類は十八種類くらい 出てますね。北海道で比較的新しい品種ですね。「粉無双」「ベニアカリ」「さ やか」とありますが、まぁ十八種類くらいは北海道で食べようと思えば食べら れる、自分の食べたい料理に合わせて選ぶこともできるんだということです。 料理に行ってみましょうか。「バレイショクッキング」というメニューです ね。「バレイショは食卓で普通に見られる食材ですが、食卓の主役になれない 不遇の存在だと言われてます・・・」とありますが、私は中江さんの偏見のよ うな気もしますけれども(笑)。クッキングメニューが写真付きででておりま す。写真をクリックするとレシピがあるのではないかと思いますが、どれかい ってみましょうか。これはさらに細かい分類に分かれていますね、ジャパニー ズスタイルの和風のジャガイモ料理で「バレイショとわかめの和風サラダ」と か、かなりきめ細かく料理が紹介されてます。 大分のコアラというネットワークに行ってみたいと思います。大分のコアラ というのは地域のパソコン通信システムとして非常に早くから始めておりまし て、県も積極的に推進してきているもので、そういう実績があったものですか ら、いち早くインターネットのネットワーク拠点としても成長しておりまして、 コアラを使って自分のホームページを立ち上げている方もいらっしゃいます。 バーチャルショップで一村一品バーチャルショップというのがありますが、こ れをちょっと見てみましょう。臼杵製薬という会社のホームページで、臼杵製 薬の製品案内が出ました。これは霊芝飲料「キキマンネン」、健康飲料三十本 セットで九千円ということで、なかなか立派なものなんですが。これは注文な どがまだできないんですね。「ご注文」があるけれどもまだ「ご注文」のとこ ろが青い枠がありませんので、注文システムまでは出来上がっていないようで すね。 コアラのホームページに行ってみましょうか。十一月一日以降、このコアラ のホームページを覗くのが我々で今一万九千五百六十四人目ということで、三 十日で二万人くらいということですね。 今、見ていただいたように、まだ販売システムのところが十分に機能するま でにいってませんが、気軽に個人情報を立ち上げることができる、地域情報を 立ち上げていくことができるという意味で、インターネットの中ではこのWW Wのホームページが非常に注目されているわけです。 また例えば、ガバメントUSA、アメリカの政府関係の情報を見ていこうと 思えば、来年のアトランタオリンピックの情報も見ることができますし、ホワ イトハウスのホームページに行くこともできます、CIAのホームページにも、 FBIのホームページにも、それからNASAのホームページにも行くことが できるということですね。 世界中のホームページの情報を一番集約していると思われている「Yahh o」という、ホームページの検索をするページです。冒頭で分野が分かれてお りまして、アースですとかビジネス&エコノミー、コンピュータ&インターネ ット、エジュケーション、エンターテイメント、ガバメントなどとさまざまな メニューが分かれております。 例えばリージョナルをみますと、これもまた、カントリー、ジオグラフ(地 図)、リージョン(地方)、それからUSステーツとかに分類されています。 カントリーには世界の国が網羅されていますが、アフガニンタンから始まって います。 「日本」に行ってみましょう。「日本」で四百六の情報があると出ています。 「シティーズ」を見ますとで、「水沢」、「広島」、「神戸」、「京都」と七 十四シティーズがホームページを立ち上げている。「山形」に行ってみましょ うか。「山形」には「教育」と「イベント」があります。地域でホームページ を作って自分の知らせたい情報を提供するということなんです。 今日は、東京インターネットというプロバイダを介して繋がっておりますが、 実は帯広でもプロバイダの準備が進められておりまして、私も今は東京のプロ バイダを通じてアクセスしているので電話代が高いのが悩みなんですが、帯広 でも早くやって欲しいと期待しております。では、WWWのサーフィンはこれ くらいにして、またお話に戻りたいと思います。どうもありとうございました。目次へ ホームページへ
横谷: 今畜産大学の辻先生からインターネットのWWWを覗いて、「どう して十勝を紹介しないの」とお叱りをいただきました。養蜂の成瀬さん一件だ けしかご紹介しなかったのですが、実はまだ十勝でホームページを立ち上げて いる方の情報が成瀬さんのホームページしか私どもに届いておりません。他に もあるのかもしれません。 先ほど林さんが「味銀行」のお仕事でカラー写真で料理のメニューの紹介を なさっておられましたけれども、あれだけ情報の内容がまとまっていますと、 それを「味銀行」のホームページ用にいつでも情報の転換をしていくことが可 能だと思うのですね。林さんのところにファックスと電話が洪水のよう殺到し て大変だということでしたが、ホームページが立ち上がっているとある程度は 詳しい内容を知っていただくことができる。それより詳しく知りたい人が林さ んのところに電話をしてくるということになっていくんじゃないかと思うわけ です。 いずれにしても、もっと幅広い人に情報に接する手段を提供していくことが できるわけです。しかし、問題はこれはあくまで手段でありますからもう少し 地元で、生産者と市街地の住民が知り合っていくことによってどういう地域づ くりをしていくのかということをきちんと考えて、その上でネットワークを作 っていくことを構想する必要があると思います。もし気軽に情報発信できるよ うになって、全国の人が十勝の情報に接することができることになっても、十 勝の特色、十勝の独自性、十勝の良さをどう表現していけるかということも問 題になってくると思うわけです。新しい情報手段が身近になればなるほど、逆 に「フェースツーフェース」の交流の深まりが求められるということもありま す。 生産者の方はご自分がやられていることを、このような情報手段とどうリン クしていくとお考えなのかかお話を聞かせていただければと思うのですが。片 岡さん、いかがですか。 片岡: 私のところは今年の八月にやっとパソコンを入れましたので、これ から鋭意勉強して、前向きに取り組んでいきたいと思います。 横谷: 中薮さん、いかがですか。 中薮: 今、僕らの生産したものが流通業者を介して消費者に行っています ので、僕らの思いが伝わらない部分が一杯あります。その辺でこういう情報網 を使ってみたいとは思っております。 横谷: 十勝の加工食品の情報や、無農薬の有機農業で生産されている方の 紹介がされているサーバーがあると、きめ細かい情報を知った上で買い物がで きるんじゃないかと思うわけですね。 松山さんにお聞きしたいのは、その辺の情報のギャップということが生産者 からのアンケートでも、それから消費者からのアンケートでも来ている。とか ち財団としても地域内での小規模な生産で出てくる物をどういうように物流さ せていくかということではなかなかご苦労なさっているところなんですけれど、 非常に小規模で、安全で、付加価値の高いものを特定の人に流通させる回路を 作ることによって、十勝全体の産物のイメージを上げていくこともできるわけ です。十勝ブランドの先兵の役割も地域内の小規模な物流商品が果たしてくれ るかもしれないという期待もあるあるわけです。大きな物流と地元のきめの細 かい物流をどう繋ぐことができるか、今多分模索中だと思うのですが、お話し ていだきたいと思います。 松山: 「あいあいファーム」のパッケージがそこにありますよね。面白い となと思ったんですよ。なぜ十勝ブランドが使われていないで、「あいあいフ ァーム」でいくのかみたいなところがちょっとありましてね。それはそれで「勝 手におやりなさい」と言いたいんだけども、そこが売りどころじゃないかとい う気がしたわけですよ。要はシールが貼ってあるものですけれども、恐らくこ ういった種類のものが十勝管内に二十も三十もあるんでしょう、農協も含めて いきますと。農協は今、何者かで組んで同じブランドの名前で出すようになっ てきている。 物の売り方として、果たしてこういったパッケージングでいいのかなと思う わけです。十勝の方に売るためにはそれでいいのかもしれません。地域の方は 地域を理解しているところがあります。ところが、首都圏から見た時に「あい あいファーム」って何でしょうねと言われた時に、そこに届くメッセージがな いような気がるすんですね。自分たちの自己満足で「あいあいファーム」とい うものをPRしているけれども、全国発信をするためのネーミングバリューが あるのかどうか、 これは私も関わった失敗例なんですが、昔、帯広市で焼酎を作りました。名 前は「グリーンパーク」です。「グリーンパーク」という名前は帯広市に住ん でいる人、十勝に住んでいる人は分かりますね。それを東京へ持っていって下 さい。東京の方は、「グリーンパーク」は分かりますか。全然わかんない。そ んな世の中だと思うんです。そこをインターネットという魔術でどうやって地 域のイメージを高めていくのかというところじゃないかと思うのです。 私はインターネットは信じていません、分かりませんから。ただ、インター ネットの世界、いわゆる情報化社会というのは、知らず知らずに来るというこ とです。日本経済は自動車を作ったりコンピュータを作ったり、いろいろな面 で物を作って経済成長を遂げてきました。「この次は何でしょうかね」と言っ た時、やはりこの世界でしかないんですよ。これからの雇用が少なくなって、 日本経済を誰がどうやって支えていくかと言えば、こういったソフト産業の中 で経済成長を支えていくしかないんじゃないだろうか。我々がパソコンだとか ワープロを百パーセントのうち二十パーセントしか使っていない現状でも買っ ているわけですから、良い悪いは抜きとして使われていく。使わざるを得ない 時代が来るであろう。その時にどうやって我々が地域から自己表現していくの かというところであります。 物を売るしくみを作る前に、十勝のイメージをどうやって全国に発信をして いくのか、「十勝はいいものだ」と、これは一つのPRです。 「十勝のものはいいよ」というのはもはや幻想なのかもしれません。という のは、「北海道のものはいいものです」、「十勝のものはいいものです」とい うのは、科学的に証明されていないからです。例えば「ここのダイコンがいい ものです」と言われても、これは、イメージの世界の「いいもの」です。これ からは「これだからいいものです」ということをきちんと科学的に立証してお かなければならない時代が来ている。 この両方のこと、「十勝のイメージ」と「十勝のものが絶対にいいのです」 という神話を作り直しておいた上で、次の物流の展開が出てくる。ですから、 その時には「あいあいファーム」というブランド名というのは意外と違うかも しれない。今までは、このお米は誰々が作ったと生産者の名前を入れて、そし て「だからいいのよ」の世界でした。だけども、これからはやはり違う。 もう一つ例を出しますと、十勝でアイスクリームをいっぱい作ってますね。 大樹町農協でも、川西農協でも作っている、二十くらいのアイスクリームが十 勝で揃います。で、売る時「どうしましょ」という話になるんです。これは私 どもの失敗例なんですけれども、「アイスクリームをデザートで使って下さい」 と東京のレストランに行きました。「松山さん、どれがうまいの」って聞かれ るんですね。レストランにすれば、おいしいアイスクリームは一つあればいい わけですよ。二十もアイテムはいらないんです。で、それを一つにして、「十 勝のアイスクリームです」という売り方がマスプロダクトの世界じゃないか。 地域で食べる物が、地域にいっぱいあっていいんです。だけども、売るために は二十もアイテムはいらないということです。一つのブランド名があって、そ れが十勝のアイスクリームです。これは売るための手段ですから、誤解しない で下さい。そういう時代に来ているということです。 それからもう一つの例です。「作れますか」という問いかけです。ある豆屋 さんが行って、本当に一年間通じて扱いますよと言ってくれた時に、「本当に 作れるの」。これは片岡さんの世界です。Aというレストランが、片岡さんの ハンバーグがいいものですから、「一年間、何キロか通年で出して下さい」と いった時に、片岡さんの製造プロセスでは、それは仮にできない量だとしまし ょう。では、今までのお客さんの量を切ってそこに届けるか、それとも断念す るかのどちらかなのです。 恐らく、今の片岡さんの世界では、それほど量ができないわけですから、通 年なんて無理だと、消費拡大というのは良い物でもお届けできないという事に なるわけですね。 ですから、やはり共用化するもの、差別化するもの、それぞれの品物の役割 分担を考えていかなければ、と流通の世界で金に換えるしくみは難しい。そう なると地域内で消費を拡大する、当面はそこしかない。十勝のいきかたとして は、当面は地場のものを愛しながら消費拡大をしていく以外、ない。そこで力 を付けていって、広い市場に出していくなやり方しかないのかなという気が最 近します。 いずれにしても、「インターネットを利用しない手はないな」というのはこ れはもう絶対否定はしません。ただ、それだけではない、フェツーフェーとい うのは、これからも物の売り買いの時には絶対に付いてくるものです。それは それとしてインターネットを使っていく手を考えださざるを得ないと思ってい ます。 「あいあいファーム」のパッケージを引き合いに出してすいません。いろい ろとあると思うのですけれども、もっと自己主張して下さい。よろしくお願い します。 横谷: ありがとうございました。インターネットのホームページもそうで すが、まだまだ供給側からの情報提供という事情がありまして、消費者の側か ら自分でホームページを立ち上げて「私はこういうものが欲しいから、こうい うものを売っている人は連絡してくれ」というものはまだないわけですね。特 に十勝は農業地域で、経済の根幹でもあるということで供給側の思いを伝える というところが非常に目立っている訳です。しかし、それが受け止める消費者 側のニーズに合っているものなかかどうか。しかし、消費者の方からのこうし たお付き合いがしたいという声は生産者になかなか届かない。 横田さん、物を介するけれども、しかしそこに心がつながるというお話しが あったんですけれども、心がつながってそこから何を本当に大切にしたネット ワークができていって欲しいか、その辺をお話していただければと思うのです が。 横田: インターネットのデモンストレーションを見まして、ああ、こう(マ ウスボタンを)押すだけでいいのかなぁと、ちょっと安心しています。やはり、 ああいうシステムに非常に不慣れなのが主婦ですから、あれを使いこなせるか どうかというのが一つあると思います。 こちら側が欲しいものが何かというのを出すそういう方法と言いましょうか、 取り組みをしていって、実現できればとてもすばらしいなぁとは思うんですが、 実際私が近くの農家で野菜を買うときに、非常にちょっと躊躇したことがあり ます。十勝といいますと非常に広いところでたくさん作って、それを大消費地 にどんと売るというシステムが多いと思うのですが、私みたいな一家で使う量 なんていうのは本当にダンボール箱一箱あったら一週間は十分で、「そういう ものを作って下さい」と、そしてそれをこれは誰々さん、これは誰々さんと、 一箱づつ相手が違う、そういう細かい作業を農家の方は面倒ではないのだろう か。手間ばかりかかって、労ばかり多くて益が少ないことなのではないかと、 非常に私の中でひっかかってまして、声かけるのに大分躊躇したんです。 で、「本当にいいんでしょうか、いいんでしょうか」と何回か聞いて、で、 「いいよ、いいよ」という奥さんの人柄もあったんですけれど、甘えて始めさ せていただいたわけなんですが。果たして十勝の中で、そういうインターネッ トとかそういう情報を使ってコンタクトしたとして、そういう細かい相手に細 かく売るというのは商売として可能なのかどうか。まぁ消費者としてあまり考 えることでは・・・、でもたまにはそういうことも考えおかなくちゃならない 事だと思うのですが、その辺が私はまだ分からない。 それともう一つは、友達で有機栽培とか無農薬で作った野菜を小売り販売し ている方がいらっしゃるんですけれども、その方がどうも帯広・十勝では売り ずらい。あまりに近くに良い物がありすぎる、良い物というか、非常に質の高 い農産物がありすぎて、それに対する意識というのが非常に麻痺してるんじゃ ないか。あまりかえりみてないんじゃないか、他に地域に比べるといくらそう いった事をアピールしてもどうも反応が鈍いというのがあるんですね。果たし て、そういう良い物を作って、良い物を自分のところで食べていこうという意 識を本当に井戸端というか、台所というか、本当の小さな単位の中で自然に培 われているのかどうか。十勝、帯広の人たちの中にそれがあるのかどうか、と いうのをちょっと省みた方がいいかなというのも感じてます。 横谷: 「食と農のネットワーク」ということで、ネットワークという以上 は、そのつながりの中から十勝で何かを生み出していく必要がある、何かを生 み出していく時に一番考えておかなければならないことがあると思うんですが、 辻先生、何か思いがおありでしたら、お話をしていだたけると有り難いのです が。 辻: 今回のシンポジウムは、生活者の時代、それから情報の時代というこ とを企画の一番目の狙いとしているわけです。パネラーの方々、大変勉強にな るお話をいただきまして、まず感謝を申し上げたいと思います。ただちょっと 私、気になりましたのは、やはり生活者の時代というよりも生産者の声なんで すね。先ほど松山さんが「お金に換えるしくみ作りを(とかち)財団ではやっ て、いかに儲けるかということが自分たちの一つの狙いだ」と。それから福井 さんも「コストを下げて、いかに儲けるのか」とおっしゃいました。 我々にとりますと、いかに儲けるかというよりも、いかに良い物を、安心し て食べられるものを安く買えるかということが生活者の希望なわけです。いか に儲けるかという視点、経済ですね。生活者の方も、それは経済の部分ですけ れども、私はやはり農業というものを、もちろん十勝の経済のベースにあるも のなんですけれども、十勝が独自性とか個性ということをうたうのであれば、 農業を文化として見られないかということなんです。 先ほどから「食文化」とか「生活文化」とか、頻繁に言葉として出てくるで すけれども、まだどうも十勝は、食文化も確立していない、あるいは農村文化 を確立していないわけなんです。 私は「あいあいファーム」だとか、片岡さんの農場ですね、個々人で大変結 構だと思うんです。もちろん、十勝全体での大量物流ということも考えなけれ ばいけないと思うんですけれども、文化ということを考えますと、それは個々 人がそこの地域で作っていくこと、それこそですね、土地の条件の違うところ で生まれてくるもの、産物も違う、それを食べるものも違う、そしてその食べ 物の中から交流も生まれてくる。私は、本当に十勝という狭い中でも、本当に 地域毎、個々人の差別があってこそが文化だと思うんです。 ちょっと、とりとめのない感想になってしまいましたけれども。 横谷: ありがとうございました。辻先生から、生活者としては、良い物、 安全なものをいかに安く提供していただけるかが問題である、生産者の場合に は経営が成り立つような形で流通が行われていく必要がある、確かにそういう 二つの問題があるわけですけれども、地域の中でそれがうまく成り立っていく ためには、お互いに歩み寄っていくためには、やはり地域の中で文化としての 農業、そういうものに対する相互理解があって、だからこそお互いに心が通じ 合って歩み寄っていける。お互いの立場を理解しあえる、そういう回路が必要 で、この辺がまだ欠けているところがあるのではないかというお話でした。 松山: ちょっと待って下さい、辻先生に誤解があるようなんで。私は全て 金儲けをしようという意味じゃなくて、話を分かりやすく言うために、ただき れい事を言ってたんじゃ経済は循環しないという意味なんでそこを誤解しない でいただきたいのと、それからその文化論が出てました。 これは文化論ですから、それぞれ考え方が違う。ただ、たかだか北海道は百 年の歴史しかない、その中で今、「文化、文化」というほど全面に出してやっ ちゃうと、なかなかこれは難しい面がある。やはり片岡さんのグループである とか「あいあいファーム」のグループだとか、味銀行の皆さんだとか、それぞ れの団体の方々が仲間内で、アクティブに活動していく中で、それこそネット ワークですから、将来的に生まれてくるんだろうと、僕はそう思います。 僕は川西とか大正地区を社会教育に勤務していた時代に歩いてきました。ま だ入植前の故郷の雑煮が残ってるんですね、まだねぇ。今、正月に雑煮あまり 食べなくなりましたし、飯寿司の文化もなくなったし、漬け物だってこの中で 何人漬けてらっしゃいますでしょうか。恐らく、漬け物でさえ漬けられない時 代になってきている。ですから、今生活している方々の日常生活から文化が生 まれてくる。それは個人としての活動であるし、それが仲間内で広がっていく、 そうしたグループがいっぱい出来てくる。そして、ネットワークが張られて、 十勝、北海道の文化が生まれてくるだろうということは僕は考えてますし、あ まり急いじゃいかんな、というのが私の感想であります。 横谷: はい、それじゃ片岡さんに伺います。 片岡: 辻先生がいみじくおっしゃいましたが、私も常日頃よく言ってたも のですから、意を強くして言わせていただきたいと思うんですが。先ほど私の 話の時に、これからは人間関係が非常に大事になるだろうと申し上げました。 人と人とのつながりを非常に大事なキーワードとして考えております。それを つなぐ大きな要因として、私の場合であれば食べ物があったということかと思 います。先ほど、私のところに仲間達が集まれるような場を作ろういう雰囲気 が今盛り上がってきているわけです。 これから高齢化社会になって、「老後が不安だ」という問題がありますけれ ども、例えば本当の気の合った仲間達が私の土地に、住居を構え、そこで生活 をすと、そういう仲間が十数世帯でも出来れば、一つのコロニーといいますか、 集合住宅ができる。それを具体的にされているのが鹿追町だと思います。農村 住宅を町営で建てられて、農家で共同的に経営をやられるところに町営で住宅 を建てる、そういうのも一つのあり方かと思います。 いずれにしてもね、人間関係をこちらから呼び込む形で、農村がこれから新 たな動きを作っていくんんじゃなかろうか、という気がしております。そのつ ながりの一番手っ取り早いのが食べ物である。もちろん良心的であるとか、安 価であるとか、安全性、それはもう十分に分かります。ただ、それだけではま だいけない、もっとこう、人間が好きであるという、そういう視点も大事でな かろうかなという気がするんですね。開発だとか文化というとすぐにこう、コ ンクリートにするというふうなイメージがありまして、舗装にすればいいんだ とか、あるいは有名人を連れてくればいいんだとか、あるいはちょっとしたペ ンションを建てればいいんでないかと言われる訳ですけども、私はそういうも んじゃない。基本的にもっと人間的な温かい部分がなければいけない。それが 食べ物に反映されて、ネットワークとして機能していけば、私は十勝はものす ごい可能性を秘めているところだなぁと間枷得ています。 先ほど辻先生がおっしゃったように、十勝二十市町村ありますけれども、そ れぞれ特色があると思うんですね。それを画一的にするもんでなくですね、こ れをあまり言いますと松山さんに反発するようで、非まだ誤解があるかもしれ ませんけれど、十勝ブランドという全体的なものを考えるよりも、やはり私は 個々の生産者なり個々の人たちが、これからどういうふうな働きかけをするか ということが非常に大事だと思うんです。これは今始まったところじゃないか と思うんですね。 今まで農協組織とか、道庁組織とか中央集権的な形が、非常にきめ細やかに 入り込んでおりまして、個々の主義主張がなされなかったという中で、やっと こういう個々の人が発言発信するようになってきた、これからだと思うんです ね。まぁ例えばちょっと飛躍しますけども、フランスのチーズに見られるよう な個々の農家で独特のチーズが生産されている、チーズの味が全部違うように ですね、その農畜産物の生産物が全部それぞれ味がある、特徴があるという、 それが発信されているということが、まずできることが最初でなかろうかと思 います。 それから次に、いろいろな問題が発生してくるかとかと思います。その段階 において例えば十勝ブランド、あるいは一つの規格品というふうなことになっ てこようかと思います。今までのように、系統が一元集荷してそれを全部販売 した、全農という大問屋組織に売れば、スーパーなりデパートなりに、大量に さばけていったということではない新たな動きが出てきた。これは緒についた とこだと思います。これは、大いに歓迎するべきことじゃないかと思っており ます。それから、例えば先ほどインターネットに出ていた上湧別町に対しては 非常にいいイメージを持つ人が出てくるでしょう。そしたら、私はあそこへ行 きましょうとか、あそこの人と交流してみようとか、そういう動きが出てくる と思うんですね。今やっとそういうきっかけが出来たんじゃないか。 私事で申し訳ないんですが、横浜ブルーウェーブズというと人気では非常に マイナーなチームかもしれませんが、熱烈なファンがいるようにですね、私の ところがいいぞと言ってくれる仲間を大事にやっていきたいというふうに考え ます。そういう人達がどんどん出てくれば、私は情勢は変わってくるだろうし、 ちょっと大上段に言いますと、それなりの文化というものが創りだされていく のでなかろうかなと思います。やっと個々の主義主張というか、発信が始まっ たんじゃないなという気がしております。 横谷: ありがとうございます。片岡さんは、文化というのは個性がきちん と発揮されるような環境のなかで、自分が個性を出していんくだという人が増 えていく。その個性と個性がいろいろぶつかりあって、そこからいろいろなも のが始まっていく、そういう歩みが今始まった段階じゃないか。そこから、独 特の十勝らしさが生まれていくという、そういう展望をお話されたわけですけ れども、中薮さん自身はネットワークにどういう思いを込めていきたいと思わ れているか、お話願いたいと思います。 中薮: 夕べ、そこにある箱、「あいあいファーム」のパッケージを作りま して、今日ネットワークのシンポジウムがあるんで、みんなでどうだろうとい う話をしたんです。僕は今年で二十年川西で百姓をやってるんですが、川西も 稲田から岩内仙狭のあたりまで、南北に細長くて地域差は異なるんですけど、 そういう地域でで行政、農協の指導の中で一律のものを作ってきた。要するに 畑作三品を作ってきた中で、地域に根ざす食文化があるのかといったら、果た してどうなのかなと思う部分がいっぱいあります。私もジャガイモとかビート と小麦とか豆とか作ってますが、ビート以外は食べてみることにしています。 農家の方でも農協に出荷するだけで、自分達が食べていない。でも、人にはお いしいよとか、自分自身で試してもいないでやっていくという部分があります。 そういう中で、高々帯広は百年足らずですから、食文化がないというか、テ レビで流れてくる宣伝そのものが、農家の食事になっているという部分もある わけです。バブルがはじけて、ただ農協に大量物流でものを押し込んでいく時 代から、もう少し考えなくちゃならないなという時代になってきて、僕達自身 の生活の中にも二局分化が出てきたと思うんです。自分のところでものを作っ て食べる人、片や農家でありながらスーパーへ行って、サラダ、惣菜まで買っ てきて食べている家、こういうふうになってきていると思うんです。 そういう中で、うちらのメンバーは自分のうちに年寄りがいまして、そうい うものを伝えてくれるという、大家族の中で伝えれるものがあると思うんです よ。そういうものはこれからもうちょっと大事にしていきたい。そういう思い も少し、うちらのグループの中から外に伝えていきたいという部分もあります。 横谷: ありがとうございます。極めて常識的な話で恐縮ですけれども、英 語のアグリカルチャー、農業は、生産から派生した文化、カルチャーと、語源 的に複層になっているわけですが、十勝の農業が西洋式の農業だからというわ けではありませんけれども、やはり生産と文化、そこの奥深さにに惹かれて消 費者が農業に信頼を寄せていくと、そこが一番望ましいところだと思うんです。 先ほど林さんが、食文化ということで、最初は地元の料理を発掘する事業か らお始めになった。確かに、地元の人が本当にまだ消費していないかもしれな いけれど、NHKのテレビに紹介されると、全国からやはりそういうものを知 りたいという人が声をかけて来るということがありますよね。だから、地元で 自分達が生活の中で持っているものが、もう少し地域の中に紹介されていく、 皆の持っているものをお互いに持ち寄ると、その中からまた新しいものが出来 て、先ほど林さんがおっしゃられたような文化、先輩から引き継いだもの、そ れをまた次に引き継ぐ、そこで文化に味が深まっていくという、そういうつな がりが期待できそうな気もするんです。おいしい漬け物を作る方もまだたくさ んいらっしゃるということですので、我々の知らないものがきっと農村の中に にいっぱいあるんだろうと思います。林さん自身の生活されている実感として はいかがでしょうか。 林: 私も祖母から引き継がれてきたお味噌とか、漬け物は、やはり娘に引 き継ぎ、嫁に引き継ぎ、孫に引き継いで、それをずっと続けて欲しいなと思い ながらいます。少しずつではあるけれども、嫁いだ娘に、息子の嫁に伝えてい ます。うちの嫁も大変興味がありまして、私が一つ一つ料理するなり、漬け物 を漬けるなり、お味噌をするなりの時には、メモ用紙を持ってきて私の側から 離れないようにして、こうメモをするんですよね。ですから、やはり今、いろ いろネットワークって言われますけれども、私は地元を大事にして、その次に だんだんと広げていきたいような気もします。今はまだ地元が徹底していませ んので、足下からいろいろな、そういう活動にしていきたいと思っております。 あくまでも、窓口は役所に置かせていただいても、後はこっちに任せてしただ く。もっともっと本当に農は農でやってくれる人がいますから、私は食は食の 方で頑張って活動していきたいと思います。 横谷: ありがとうございます。先ほど片岡さんもおっしゃったように、今 始まったばかりだで、始めた方は「こうやっていくんだ」という目標をお持ち になってらっしゃる。そういう個性的な活動の広がりをできるだけサポートし ていくことが、非常に重要な事だと思います。それがネットワークの果たす役 割になっていくんだろうと思うわけです。 先ほど辻先生に「せっかくインターネットにつながったのに、十勝のものが どうして紹介されないの」と文句を言われてしまったんですが(笑)。十勝農 業情報システムは、非常に大きなシステムで、データベースとしてはかなりの ものをお持ちになっていらっしゃるわけです。これは大変大きな資産だと思い ます。先ほど日本のホームページをいくつか見ていただいても分かるんですが、 データベースとして評価できるものって、まだまだホームページとしては全然 立ち上がってきてませんね。情報の奥深さ、その辺でまだまだ欠けているとこ ろがあるという感じがします。しかし、実は十勝農協連のように非常に奥深い 情報をきちんと持っていらっしゃるところもあるわけです。そういうものが、 今後は十勝の農業に対する評価を広めていくために使われていく可能性がある のかどうか、お話していただけるとありがたいと思います。 福井: さっき、松山さんから科学的に良いんだということを実証しなさい と言われました。その意味で科学的な数字はかなり、うちの方に貯まっている ことは事実ですけれども、それをどのように加工して出したらいいかという、 そこんところの知恵がまったくない。ちょっと情けない話ですけれども。 お話し全体を聞いてまして、ご承知のような新食糧法の関係もありますし、 先ほどから皆さん言われているように、今までは農協系統の一元集荷・多元販 売で、なるべく農家間では競争しないという事で、ずっと戦後、特に昭和三十 五年の基本法農政以降きたと思います。日本は、資本主義の国ですから、いろ んな産業を見ていても、まず国内で戦って、それで残った企業が今度海外にい って頑張る。どう考えてもこの一連の流れは崩れようがないというふうに私は 思ってます。そういう面では今まで国内の農家同士で喧嘩しないで、なんとか なーなーでやってきたわけですけれども、これからまず一般的な大量物流の面 においては、国内他産地は叩きつぶす。ここから始まっていくのが普通の経済 的パターンです。ただ、それだけで消費者が満足するということは私はないと 思います。お米の今年の動きを見ていても、今までの新潟産コシヒカリが段々 細分化されて、地域のいろんな銘柄が付いて出てくる、そういうものを求めて いるという動きからしてもですね、片や安くて安全ならばという程度の人と、 いや、顔が見えないと納得しないといういろんな消費者の方が出てくる、とい うふうに思います。しかし、大量に物を持って市場を制覇する、これは変わら ないだろうなと私は思ってます。 この間、東京の神田で泊まって、夜、酒を飲んでましたら、「どっから来た の」って言うから「帯広から」って言ったら、「ああ、あの北方領土の方ね」 っていうことでですね、まず多分中標津の事を言ってるんだろうと思うんです が。「いや違う違う、あの池田のそばだよ」、「ああ、池田の隣なの」という 話になりましてですね。「お姉ちゃん、どこから来たの」と言ったら、「埼玉 県の行田市」だという。これまた私はまったく分からないん。これはお互いに 非常に不幸だなと、向こうも市だ、こっちも市だって言うんで、分かんないの、 分かんないという事になりまして。 どの辺にあって、どんなものが穫れたりするのかという情報は、これは食い 物の大小に関わらず、これから必要な事で、今まで全くそういう面では道具が なかった。先ほど言われた「科学的に良いものだよ」ということを情報発信し なさいという事については、かなりのデータを持っていますので、その辺、こ れからです、お知恵を拝借しながらどの様に発信していったらいいのか、いろ いろ考えながらやっていきたいと思います。 特に、今さっき具体的に市場制覇の話をしたのは牛乳であります。これは絶 対、まぁ、十勝だけっていう訳にはいかないかもしれませんけれど、言葉は悪 いですが、本州の酪農家の方にはお引きとりをいただいて、北海道で全面的に 生産するようなしくみを是非作って参りたい、そういう方向で作って参りたい というふうに常々考えております。答えになってますかどうか分かりませんけ れども。 横谷: ありがとうございました。福井さんは農協の戦士でいらっしゃるの で、大変厳しく、力強いお話でした。会場の方で、私もこれだけは言いたいい う事があれば、ご発言を受けたいと思いますがいかがでしょうか。芽室からい らしている坂東さん、ぜひ一言。彼とはパソコン通信仲間です。 坂東: 情報化ということですけれども、私自身も今、パソコン通信で都市 住民の方といろいろコミュニケーションをとっているわけです。そうした中で お互いの情報を知らない、その前に何が分からないのかが分からないっていう のかな。そういうのをつくづく感じているんですよね。そうした中で、横田さ んが大正に住まわれて、農家と接してそういうところはいかがなものかなと思 うのですけれども。 横田さんは札幌、帯広、そして東京とそれぞれ住まわれたんですけれども、 その辺どういう感じがあったんでしょうか、すいませんけれどもお願いします。 横谷: では、横田さん。 横田: えーと、何が分からないか分からないというのは私も分からなくて (笑)。実はこの会場に大正の以平の方がいらっしゃって、今、休憩の時間に 分かったんですが、うちのお兄ちゃんの保育所、同じクラスのお母さんがいら っしゃって、また後でまたごゆっくりという話になってとても嬉しいんですけ れども。結局、生活時間とか、暮らし方とか、分からないんですよね、農家の 皆さんの。例えば、子供連れて遊びに行こうとかなと思っても、一体いつ行っ たらいいんだろうとか。それとか、お互いに生活自体がまったくスタイルが違 うんで、何か遠慮してしまうっていうかな。何かとっかかりを何処へに持って いったらいいのか分からない、何処まで踏み込んで聞いていいのか分からない。 何かあの、消費者の方も農家の方に何を言ったら、どんな話をしたらいいのか、 何を言ったら失礼なのかとかね。何かそういう自分の物差しで計れないところ がいっぱいあって、とても躊躇しちゃって、それで段々、足が遠のいちゃうっ ていうのかな。だから、もっと遠慮がなく話ができれば、本当はきっと何も問 題がないんじゃないかと思うんですよ。壁があるようだけれど、きっとこれは 作った壁。作ったっていうか、意識が、自分達が勝手に作っている壁で、本当 は何にもなくて、話をすれば同じ様な悩みとか同じ様な感動をもっていると思 うんですけれども、何かその手前で止まってしまうというのが私の感じです。 何かよく答えになっていたかどうか分からないんですが。 坂東: やはり同じことを思ってるんですけれどもね。ベルリンの壁が崩れ ると同じように、その辺のギャップをいかに埋めていくかっていうか。普段、 顔と顔を接してなくても、全ての面でコミュニケーションとれていくような体 制がこれからどんどん出来てるんじゃないかと思います。 横谷: 今の坂東さんのお話を聞いていて、先ほどの中薮さんが言われた壁 のことを思い出しましたが、ここ三十年くらいの農家の減少で、農村集落でサ ービス業をしていた非農家もいなくなっちゃって、非農家と農家がどうやって コミュニケーションをするのかという、そこの回路がすっかり失われてしまっ たということを感じます。失われたものをもう一度回復していく、当面はそれ がこのネットワークの目標になるのかなという感じを持ちながら、今お話を聞 いておりました。 十勝の中で、まず地元の中で農家と非農家が新しく会話の回路を回復してい くことが、食と農のネットワークを名実ともに作っていくことになるんじゃな いかなという気がしております。 時間が来てしまいました。せっかくこの議論の入り口にたどり着いたという 感じで、私の進行が心許なかったなという気がするんですが。 最後に吉田先生に今日議論の評価をいただいて、少し課題もご提言いただけ るとありがたいなと思っております。 吉田: 私は酪農の方が専門でございまして、ただ今、福井さんから大きな お褒めの言葉をいただきました。私が十勝の農業を見る限りにおきましては、 技術的にはトップのトップにたどり着いているというふうに思っております。 これ以上何をすればいいのか。私は、これ以上はやはり政治とそれから経済、 これを農業を含めた考え方をもって政治家が本当に考えてもらいたいことが山 積してございます。それが第一点でございます。 それから第二点は、消費者、驕っておるんでなかろうかというふうに思って おります。消費者は知識がまったくない。食品に対する知識というのは、ほと んどない。私が現職の時に、灘生協というところから視察団がお見えになりま した。その時に、「先生、けしからん話だ」と。「何ですか」と言ったら、「牛 が食っている、その草に肥料をやっているんでないですか」という。「肥料っ て何ですか」って言ったら、「化学肥料をやっておる。こんな牛乳は子供たち に飲ませられない」。こんな非常識な発言を聞いた記憶がございます。という ふうに、消費者は非常に無知である、食に対する、素材に対する無知である。 こういうふうなことから、今回の食と、食というのは消費者、それから農、生 産者、このネットワーク、これをもっともっと緊密にして、消費者はその栄養 学をもう少し学びながら、農業のサイド、これを見ていただきたいと思ってお ります。 十勝の農業は本当に努力しております。何回も言いますけれど、もう最先端 まで行っている、収量の最先端まで行っている。「これ以上、穫れ」、「これ 以上生産を上げろ」、これ以上ということになると、土地を伸ばすか、生産力 をもっと上げるかというどっちかにならんきゃならん。そうしたら、必ずバラ ンスが崩れてくる。養分、成分が違ってくるものが出てくる。こういうふうな ことをよくご理解願いたいというふうに、私は消費者の皆さんに農業関係者の 一人として申し上げたいと思います。以上でございます。 横谷: ありがとうございました。それでは、最後の最後に今日のシンポジ ウムの本当に仕掛人である堀田さんからお話していただきます。彼は、地元で はあまり知られておりませんが、パソコン通信の世界では全国に有名な人物で ありまして、都市と農村の共生であるとか、それから生産者と消費者の連帯で あるとか、そういう事をパソコン通信を通じて、過去数年、ずっと訴え続けて きた人です。いよいよ地元でこういうシンポジウムを企画なさった訳で、ここ はやはり堀田さんからシンポジウムがどんなものであったか感想を聞いておき ます。 堀田: 今回、十勝大百科研究会とこのシンポジウムを企画させていただき ました『食と農のネットワーク・とかち』というグループの代表をしておりま す堀田と申します。今回のシンポジウムの開催にあたりまして、関係機関の方々 から、「この手のシンポジウムはすでに何回も行われておりまして、あなたた ちがやる意味が果たしてあるんでしょうか」というきついご指摘をいただいた 経緯もございます。でも、私たちとしては本当に生産団体だとか生産機関とか 経済団体だとかいうレベルでのお話と、個々の農家、それから街で暮らしてお られる主婦の方々のレベルで話をする場がいままでにあったかなということを 考えた場合、ひょっとしたらお目にかかったことがなかったんじゃないかとい うことがスタートとしてあるわけです。 私たちのグループはパソコン通信という、今まではちょっとお宅っぽい人た ちの趣味の領域だったかもしれませんけれども、パソコン通信を通して、実際 に離れていて、普段なかなか会うことのできない人同士で意見交換をすること にどれだけ可能性があるかということについて関心をもった人たちの集まりで、 活動を行ってきております。 その中で北海道外の人たちとも交流が芽生えたり、いろいろと語り合うこと があります。振り返ってみて、地元で、それも十勝のような真ん中に帯広市と いう大都市を抱えるながらその回りに田園地帯が広がるというところにあって、 足下にそうした交流の機会が本当にあるだろうか。先ほど横田さんが農村地帯 に住まわれて、その中で実際に農家と接しようとした時でさえ、ちょっとした 壁のようなものを感じられていた。では、本当に街の中に住んでいる、農村に 住んでいる、普段接する機会のない方々が、口で言うのは簡単な「都市農交村 流」であるとか「生消提携」という言葉で、本当にそれが成しえていくのかと いう疑問から、こういうシンンポジウムを企画させていただいたわけです。今 回のシンポジウムも何らかの形で、この会場にみえられなかった方々に伝えて いこうと考えております。今回お集まり下さった皆さんにお礼を申し上げてご 挨拶に換えさせていだだきます。ありがとうございました。 横谷: ありがとうございました。堀田さんが中心になって、ニフティーサ ーブに『食と農のネットワーク・とかち』というホームパーティを設置してい ます。ニフティのIDをお持ちの方、あるいはちょっと覗いてみようという方 はニフティのIDを取って是非見に来て下さい。ホームパーティIDが TEA00736、パスワードが LS2、それで食農ネットのホームパーティに入るこ とができます。か自分の言葉をそこへ書き込んで、他の人からの反応を待つ、 やってみると面倒臭いなと思うかもしれませんが、しかし自分が何かを言うと、 何人かからそれにバラバラバラといろんなことを言ってくるという、そういう 楽しみもあるので、興味のある方は是非、食農ネット・とかちのホームパーテ ィーに遊びにきていただきたいと思います。 それから、インターネットにアクセスするアクセスポイントが十勝でも来年 (一九九六年)一月から立ち上がります。今まで、札幌とか東京に、電話代が 高いからちょっと面倒かなと思われていた方も、いよいよい〇一五五(の市街 局番)でプロバイダが立ち上がります。レインボービレッジにあるアイ・シー・ エヌという会社が窓口になって、東北海道インターネット協議会というのを、 十勝、釧路、網走、根室の市町村とかマルチメディア協会、そういう団体や企 業が集まって出来上がっております。これもどうやったら接続できるのか、ご 関心のおありの方は、アイ・シー・エヌの方にお問い合わせいただきたいと思 います。 食と農のネットワークというのは冒頭申し上げたように言葉としてはそれぞ れ、我々に非常に馴染みの深い言葉なんですけれども、「食と農のネットワー ク」というふうにこうして一まとめにしてみると、非常に課題が多い。私も今 日はどういうふうに進行しようか迷いに迷って、また最後まで迷い続けてここ まできてしまったという感じで、聞いていただいた方には、申し訳ないなと思 っております。しかし、パネリストの方々からいろいろお話が出てきたように、 やはり個性的な農家の活動、地域の活動、これから始まったばかりであります し、そういう地元の個性的な活動と地元の消費者、地元に生活している人たち とのつながりが作られていない。 先ほども申し上げましたけれども、三十年間で崩れた農家と非農家とのつな がりを、地元でもう一度これからまた二、三十年かけて作っていって、本当に 十勝らしい文化が出来ていけばと感じております。いずれにしても、食と農の ネットワークという試みは、これから始まるという感じが強くいたしました。 今日のシンポジウムを契機に、これをどの様に持続的に作り上げていくか、各 地で皆さんが話題にしていただければと考えております。今日はつたない進行 で大変失礼いたしました。 パネリストの方々に、皆さんから拍手をいただきたいと思います。それでは 終わりたいと思います、どうもありがとうございました。目次へ ホームページへ
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