コーディネーター 大谷 貴子 さん
パネラー 笠井 正晴 さん
〃 三瓶 和義 さん
ドナー体験者 A さん (十勝在住の女性)
〃 B さん ( 〃 男性)
白浜: まずコーディネーターは、先ほど講演頂きました大谷貴子さんです。 そしてパネラーの皆様をご紹介いたします。先ほど講演頂きました笠井先生で す。そして皆様の向かって右側にお座りになっていただいてますのは、三瓶和 義さんです。三瓶さんは、あやちゃんという娘さんを七才の時に白血病で亡く されています。明日から、十勝プラザのほうで「あやちゃんの贈り物展」とい う絵画展を開くのですけれども、この贈り物展の絵を描いたあやちゃんのお父 さんです。今日は東京からわざわざお越しいただきました。そして左側お座り になっていますお二人は十勝管内にお住まいのドナー、骨髄提供の経験のある お二人です。まず、Bさんです。そしてもうひと方、Aさんです。さてこの後 は、大谷さんにお任せしたいと思います。どうぞよろしくお願いします。 大谷: こんばんは。さてこれからパネルディスカッションを始めていきたい と思ってるんですけれども、今日のテーマはですね、骨髄バンクを普及、PRし ていきたいというのはもちろんテーマの一つなんですが、その中で、皆様が疑 問に思っておられることにお答えをしたり、骨髄バンクの現状をさらにつっこ んでみたり、またどうして登録者が伸び悩んでいるんだろうと言う障害はなん だろうか、そんなことを皆さんと共に考えていきたいと思っています。先ほど 質問を休憩時間にいただきました。とても増しく思いました。これだけ沢山あ るんですね。質問が出るって言うのは、よく理解をいただき、そして協力した いただいているんだなというふうに感じましたので、これは話に中で追々挟ん でいったり、個別に質問に答えていったりしたいと思っております。まず、笠 井先生には先ほど講演でお話しいただきましたので、質問の中で答えていただ くという事で、私はまず、敬意を表して見ず知らずの人に骨髄を提供して下さっ たAさんとBさんに、まずはお礼を申し上げたいと思います。本当にありがと うございました。こう言った方々が、どこかにいる患者さんを助け、先ほどの 講演のなかで話をさせていただきましたが、また、新たな家庭を作ったり、進 学したり、就職したりするチャンスをいただいたわけです。本当に嬉しく思い ますし、患者さんになり変わってお礼を申し上げたいと思います。今日はせっ かくお越しいただいた方が、「これから登録してみたいな」、「提供してみた いな」、それから「骨髄パンクに協力したいな」ということで来ていただいて いると思いますので、是非、お二人の経験談を存分に聞かせていただきたいと 思いますので、インタビュー形式でさせていただきたいと思いますのでよろし くお願いいたします。ではまず、宜しいでしょうか、Bさんの方からお伺いし て宜しいでしょうか。まず単純な質問なんですけれど、どうして登録して下さっ たんでしょう。きっかけは、何だったんでしょうか。 B氏: 僕の場合は、丁度今から何年前になりますか、一九八八年からパソコ ン通信ていうのをやってまして、その中でですね、「北海道ボード」って言う 地域のボードがあるんですけれども、その中の一人が「骨髄バンクっていうの が日本にない。そして今、あちこちで作ろうっていう運動が進められていて、 何かできることで協力してくれる人はいませんか」っていうようなメッセージ があったわけですね。そんな中で、「じゃあ、北海道の中でその様な人たちで 情報交換し合おう」と言ったのがそもそものきっかけです。その前に、骨髄移 植っていうことついてに関心を持ったのは、一九八六年に起こりましたチェル ノブイリ原発事故がありまして、そのなかで、被爆された方々に白血病なんか が急増して、それでアメリカからだと思うんですけれども、骨髄移植の専門家 の人たちがその人たちを救済するために現地にはいった、というような新聞報 道を見たのが、そもそものきっかけだと思います。その関係で、僕に出来るこ とは何かないかなと思っていて、そのパソコン通信で、「北海道内で、北海道 骨髄パンクを立ちあげる運動に協力して下さい」っていうようなことがありま して、そこで骨髄バンクに出会ったという事です。 大谷: そうですか、さすがコンピュータ時代だなって言うふうに今、思って いたんですが。私たちがやってます「これなので骨髄パンクに!」なんて言っ ているところ、もうそのきっかけとして在ったわけですけれども、コンピュー タの中でやっていただいたという事で、これからは多いかも知れませんね。す ごく嬉しい事ですね。さて、そのパソコン通信の中でどれほどの情報があった かどうか解らないんですけれども、実際に提供の時、麻酔をかけたりすると言 うことは最初からご存じでした? B氏: 具体的に、どういう風なものが骨髄移植の実際であるかという事につ いては、関心を持った事がありまして、本などで読んでいたんですけれども、 僕の知人達に実際に医療関係の方だとか、関係する方々が多数おられまして、 全身麻酔であるとか、骨髄移植のドナーになった時のいろいろな問題があるん ですけれども、その問題について「こういう点がこういう風にあるよ」といろ いろと全国の人に教えていただきました。 大谷: そうですか。全身麻酔は、結局は全身麻酔をかけられた訳ですけれど、 それでほとんど知識を得ていく。でも、不安って絶対拭えないものですよね。 全身麻酔の恐怖とか不安とかをどのようにして乗り越えられて、提供していた だいたのでしょうか。 B氏: やはり、知識がないところでは、非常に不安は大きくなっていく事が あると思うんですね。僕なんかは、いろんな麻酔事故がどういうものであった か、世界でどのようなことが起こっていたかについて、教えてもらっていたり していたし、自分で自分なりに調べてたりもしまして、その上で危険性と言う ものを自分で判断して、これなら大丈夫ではないかなという、最後は決断なん でしょうけれども。やっぱり安心、安全、何て言うのかな、自分がそう言う事 故に対して、それが起こらないことが実際に行われる、そういう配慮の元に骨 髄提供の手術が行われるということを理解して、それでドナーになりました。 大谷: はい、ありがとうございました。実は先生ですね、今危険の話をされ ましたけれども、廃酔の。質問、多いんですね。席酔の質問、採取の時のリス ク、危険ですね。それから、「麻酔の危険をきっちり説明して下さい」という のがいくつも来てるんですけれども、それを先にお話しいただけますでしょうか。 笠井: 先程スライドでお見せしましたように、提供者(ドナー)の方は全身 麻酔を掛けられて、腹這いになって、骨盤(お尻の硬い骨の部分)からですね、 採取されるわけなんですけれども。問題は麻酔に伴うやはり事故というものが ありまして、麻酔はこれはアレルギー反応です。それを予測することは、まず 普通はちょっと不可能で、麻酔の事故はですね、一万件に一件とか二万件に一 件とか、そのくらいの頻度では起こり得るものです。これは骨髄採取に伴う事 故ではなくて、あくまでも麻酔に伴う事故なんです。ですから、その危険性は まるっきりは回避できない。その様なリスクもあるけれども、「ドナーとして 御協力願いします」とお願いするところが、我々としても辛いところなんです。 普通の場合はですね、ただ麻酔をかけられますと、管(くだ)を入れられます。 そうすると喉がヒリヒリするとか、あるいはおしっこのですね、尿道と言うと ころにカテーテルを入れるんですけれども、採っている間、一時間ぐらいの間 なんですけれども、その間途中で、麻酔がかっている間におしっこがしたくなっ ても困りますから、管を入れるとか、それと針を刺した部位が痛いとか、その 様な副作用と言いますか合併症がどうしても少なからずあるんですけれども、 大きな事故というのは麻酔に伴う事故です。全国的に見ましても、麻酔をかけ られて、死亡はしなかったけれども、筋肉の反応でですね、薬に対する反応な んですけれども、それで炎症を起こしたとか。それから後に、硬膜外って言っ て、全身麻酔ではなくて、背骨の脊椎の麻酔で、これは兄弟間の移植だったん ですけれども、その麻酔薬が頭にいって意識が無くなったと言うような事故が 今まで一件、 二件あります。それ以外は、普通は問題なく、針を、太い針を刺 された部位が、二週間後、三週間後でもチクチク痛いとかですね、そのくらい のことなんですけれど、やはり麻酔の事故がある一定の比率であり得るという ことが今の所、問題点であると思います。私が最後に申しましたように、骨髄 を取らないで、末梢血、こういう血管からですね、意識ある状態で針だけを刺 されて採られるんならばいいと言う方は、当然いらっしゃるんです。例えば、 血小板を献血するとか、赤血球を献血するとか、そう言うような場合と同じ様 なレベルならば、より安全に行える訳なんです。ですから今、その様な開発も 研究されてきておりますので、より安全にはなるかと思います。 大谷: はい、ありがとうございました。その危険を乗り越えられたお話をし ていただきましたけれど、家族はどうだったのですか。ご家族の、骨髄バンク は実は、ご家族の同意が必要なんですね。で、ご質問の中にも「どうしてそん なのが必要なのか」っていうのと、「実際どうやってご家族の反対を乗り越え られたのでしょうか」というご質問がきているのですが、Bさんの場合はいか がでしたでしょうか。 B氏: 僕の場合も、実際にドナー登録を致しますと、最初に型を調べる一次 検査というのがあります。二番目に患者登録されている方と適合するかどうか というマッチングのために第二次検査というのがあります。第二次検査を経て、 第三次検査が、ドナー提供の意思確認だとか、最終的にどのくらい適合するか という検査があるんですけれども、実際に問題になってくるのは三次検査、 「実際にドナーとしてあなたは提供するか、しないか」っていう段の場合だと 思うんですね。僕の場合も、やはり三次検査を受ける段になって、家族からで すね、反対というか、「考え直した方がいいよ」とか、「どうしておまえはそ ういうことをするんだい」というような話を受けまして。これがやはり1番今考 えてみれば、ハードルが高かったかなと言う感じがするんですけれども。結局、 それはよく理解してもらうという以外にないと、僕は思います。それで、それ は、自分なりにある程度知識の蓄えも必要ですし、それから、その知識も家族 になるべく理解してもらうための努力も必要だと言うことですね。僕の場合は、 何とか同意を得られたということです。 笠井: 今の件に関してはですね、やっぱりいくつか話ありまして、ドナーに なられる、提供者になられる方は、例えばBさんのようにですね、「私はいい です」って言って下さって、その場でご家族の方も必ず同席してですね、了解 を求めます。例えば、奥さんとか親ごさんとかですね。ところが、実際にです ね、ご本人が意志が強いので同席していてもですね、本当は、反対なんだけれ どもその場では言えないとかですね、そういうこともあってその様なことをで すね、実際にいいということで進んでたんですけれども、寸前になって、実は 親ごさんのほうからですね、「実はやはり危険なんで反対なんだ」ということ で、もうだいたい枠も決まっていて、移植の予定も決まってた段階でですね、 取り消したというのもあります。ですからやはり今言われたように、本当にご 家族の方もご理解いただいて、むしろこれあくまでもボランティアですので、 だめならだめで次の人を捜すんですけども、なまじっか遅くなっちゃうと、移 植する病院とか、ドナー、本人自身にもご迷惑がかかるということもありました。 大谷: はい、ありがとうございました。そしたらまた、後ほどお伺いしたい ことがありますので、一度ちょっとご休憩を。ではAさん、宜しいでしょうか。 同じ様な質問ですが、まず、骨髄バンクに登録をして下さったきっかけは何だっ たんでしょう。 A氏: はい、二つありまして、まず私の夫が一九八九年に白血病になったと いうことですね。それともう一つは、宗教上のことで、私はキリスト者ですの でその聖書のみことばに沿って、やはりその中の一つの言葉なんですけれど、 「自分の命を友のために、自分の命を捨てることほど大きな愛はない」という 一節があるんですよね。その言葉がすごく好きでずっと読んでたんですけれど、 たまたま夫が白血病になりまして、私の夫は骨髄移植の適応外なんですけれど、 主人の強い希望と、私の希望とで登録させていただきました。 大谷: はい、ありがとうございました。そうするとまぁ、ご家族の反対とい うのはない訳ですね。たとえば登録をする際、提供をする際のご家族の反対は 特になかったんですね。 A氏: はい、全くありません。 大谷: で、それとまた麻酔の不安も、ま、不安ないことはないでしょうけれ ども、あの… A氏: いえ、全く感じなかったんです。 大谷: ああ、そうですか。 A氏: ええ。 大谷: じゃあ、あの、本当にゆだねてということで。 A氏: そうですね。 大谷: あっ、そうですか、ありがとうございます。そうしましたらちょっと、 お二人に続けてお伺いしたいのですが、実際まぁ、それぞれのいろんなきっか けがあって、骨髄パンクに登録して下さり、提供して下さったわけですね。あ の、「これから登録しようかな」と思ってる人は、「もしかしたら痛いかなあ」 と思っておられると思うんですよね。まず、人間痛さっていやですからね、出 来る限り痛くない人生を送りたいと思ってますので。痛みについてAさんの方 からお伺いできますか。 A氏: 私は、母として出産も経験しておりますけれど、それは、痛みは出産 と同じだと思うんですよね。痛みは非常に伴いますけれど、その後の喜びって いうか、それは非常に大きいものがあったと思います。そしてその痛みも個人 差があると思いますけれど、私の場合はだいたい一カ月位で全て消えたと思い ます。 大谷: 「一カ月もかかったんじゃないか」って思う人もいると思うんですが、 どのぐらいの痛みでした、何か表現が出来れば。 A氏: そうですね、私勤めてるんですけれど、退院して次の日、出社したん ですけれど、痛くて階段登るのがちょっと大変だったかなあ、っていうのは記 憶に残ってます。 大谷: そうですか、実際、三泊四日ぐらいでしたか。もう少し長かったです か、入院は。 A氏: 三泊四日ぐらいだったと思います。 大谷: 提供前一日、提供後二日、その晩とその翌日っていうことですね。 A氏: そうですね。 大谷: でも、もう今は、もちろん、すっかり… A氏: はい、今は、あの… 大谷: 達和感なく。 A氏: はい、跡が八個ついてるんですけど、 大谷: 八カ個の穴が、刺されたということですね。 A氏: そうですね。ですけれど、今は全く何処にも異常はないと思います。 大谷: はい、ありがとうございます。では、いかがでしょう。痛みはどうだっ たでしょうか。だいたい女性の方が痛みに強いんですけれども。 B氏: あの、よく針を刺されるときの痛さを皆さん想像されると思うんです けども、全身麻酔をされてましてですね、その間、全くその痛みというよりも、 何が起こってるのかも解らないまま、目が覚めると終わってた、というのが実 際です。それで、僕の場合なんですけれども、採取された後の痛みはそれほど 感じなくてですね。ペットで横になっていて、一晩くらいですか、痕から出血 やなんかがあるんで、圧止血って言って、要するに腰をなるべくベットに押し つける様な状態を続けるんですけれども。その間でも、痛いって言うより鈍痛っ ていう感じですかね。それで、僕の場合ですと、だいたい三日日ぐらいからは、 まぁ、激しく動かない限りはそれ程痛みを感じなかったと、幸いにしてですね。 ということでして。 大谷: ということは、もう、すぐにお仕事に復帰されました? B氏: ええ、病院の先生から、僕の場合は二泊三日で、採取前日のお昼に病 院に入りまして、次の日に採取、そして翌日のお昼にもう病院を出たという様 な状態です。 大谷: すごい、短かったですね。 B氏: そうですね。もうちょっと長く… 大谷: お忙しかったから? 例えば、休みがもらいにくかったとか。何でしょ うか、お仕事の、そんなことはないですか。 B氏: あっ、そんなことは全くありません。程度問題だと言う話は聞いてい ましたけれども、僕の場合は、幸いにしてそれ程痛みを感じずに終わったとい うことですね。 大谷: はい、ありがとうございます。今ちょっと休みのことを聞いてしまい ましたけれども、休みはお二人とも会社の方で、保障があったというか、骨髄 バンクヘのその休暇制度みたいなものは、あったんでしょうか。 A氏: 私の会社の場合は、特別休暇として有給でいただきました。 大谷: あっそうですか、ご自身の有給を使われたということですか。 A氏: いえ、違います。その他にいただきました。 大谷: はい、わかりました。いかがでしょう、Bさんの場合は。 B氏: 僕は農業を自営してるものですから。 大谷: 自営業。 B氏: はい、自営業なものですから、別に休みを取りたいときに取るという ことです。 大谷: 今、農業とおっしゃいました? B氏: はい。 大谷: ということは、結構重労働ですよねえ。 B氏: ええ。 大谷: あっすいません、農業やったことないから解らないんですけど、イメー ジとして重労働ですよね。 B氏: そうですね、まあ、さほど負担はなかったとということで。 大谷: そのあともうすぐに、農業作業にでることは問題はなっかたですか。 B氏: そうですね、なるべく、まぁ、一週間ぐらいはですね、「重いものを 持ったりという様なことは控えて下さい」という話は伺っていましたので。 まぁ、その程度でして、それ程気は使ってなかったです。 大谷: ああ、そうですか。さてその質問の中にですね、ちょっとこう金銭に まつわることが書いてあるので、ちょっとお答え頂きたいのですけれども。提 供するのにどれだけ費用がかかるんですか。提供の方ですよ、患者さんの方じゃ なく。「提供するのにどれだけ費用がかかるんですか」という質問がちょっと 二人ほどあるんですが、実際提供するのにお金かかりました? (少し間をおいて) A氏: いいえ、かかりません。 大谷: かかりませんよね、ピックリしました、はい。かかりましたか、どう でしたか? B氏: あっ、かかりません。 大谷: そうですね、一切の入院費用、それから、例えばあとに、入院以外何 がかかるかといえば、例えば、交通費、採取病院に行くまでの交通費とか、北 海道のことですから道内広くて、お家から採取病院まで遠かったかも知れない んですが、そういった交通費はどうでしたか。 B氏: これは財団の方から、いただくようなシステムになっています。 大谷: 骨髄バンクの方から出ましたですね。だから特にご自身でこう拠出さ れたものというのは? B氏: あっ、ないです。 大谷: なかったですね。お二人とも「はい」ということで、ご質問いただい た方、提供するには一切の費用はかかりません。それからですね、それはちょっ と私が答えにくいので、こんなことを提供者の方に聞くのは失礼なんですが、 質問がきているのでちょっと答えて下さい。「骨髄バンクで提供してもらうの に有料にして、お礼を払ったらどうか。それでこう啓蒙したらいかがか」って 書いてあるんですね。あくまでも「ボランティアで」というふうに私たちはお 願いをしてるんですが。えーと、もしかしたら患者さんのご家族かなと思うよ うな質問が他にも、一、二、三、四、と質問がありましてね。他の内容がちょっ とこうご家族かなと思うんですけども、ご家族にしてみれば、もしご家族であ れば、患者さんのご家族としては、本当にお金を払ってでも、とてもこんなに 崇高な気分で提供していただいているお二人に質問するのは失礼なんですけれ ども、そうは思ってしまう人はいるんですね。お金を払ってでも提供してもら いたいと。だからそういうシステムに骨髄バンクをしてしまったらどうだろう か、というアイデアなんですが。いかが思われますか。 B氏: 骨髄バンクの制度っていうのは、提供する側も提供される側も一切お 互いの関係が解らない様な仕組みになっていまして、そういう元に成り立って いるシステムだと思います。で、僕もその方がいいんじゃないかっていうか、 それで、金銭にまつわる問題と言われましたけれども、一方的に提供するって 思われがちなんですけれども、これはある日逆転することも可能性としてはあ るわけで、健康に暮らしてた、でもある日突然そういう病気になってしまった、 という自分を考えた場合に、それはお互い様であるべき何じゃないかなと。僕 は長い間献血を続けてまして、そういう事に対して抵抗は全くないせいもある かも知れないんですけれども、まあ気持ちとしてはそんなところです。 大谷: はい、ありがとうございました。Aさんはいかがでしょうか。 A氏: よく解らないんですけれど、昔、血液を売ったり買ったりって言う制 度があったと思うんですね。それで、非常に肝炎とかって言う病気がでまして、 それでそういう制度がなくなったと思います。それであの、やはりそういう、 よく解らないんですけど、気持ちと気持ちの問題ですのでね、やはり金銭はか らまない方がいいと思います。 大谷: そうですね、そういうふうに私どもは思いながら活動を続けておりま すので、どうかこのご質問をいただいた方、そして、そんなことは皆さんも思っ ておられないと思いますけれども、まぁ、私たちはこういう気持ちでさせてい ただいておりますので、ご理解をいただきたいというふうに思います。あの、 お二人ありがとうございました。また、のちに、私最後にまた質問したいこと も出てくると思いますし、途中でも出てくると思いますので、いつマイクを振 るか解りませんので、よろしくお願いいたします。さて先生、その金銭にまつ わる話ですが、「患者さんとしてどれくらい費用がかかりますか」という質問 結構多いんですね。ちょっとこの中に患者さんのご家族、何人か来ていらしゃ るのかな、と思うんですが。患者さんは実際、骨髄移植の費用ってどれくらい かかるのでしょう。 笠井: 基本的には、普通の医療費、例えば高額医療であれば、月入院してい て、例えば百万かかっても一応五万九千円ですね。それとあと食費が今三万円 位とかですね。丁度今十万円位、普通の病気で入院されているのと同じ分だけ しか基本的にはかかりません。ただ、幾つかの実験的な治療をする場合に、普 通北海道ではお金取ってないし、使ってないんですけども、特別なですね、免 疫抑制剤とか、今まだ認可になっていないようなものを使う場合にはですね、 余分に二十万円とか三十万円位かかる事があるんですけれども。基本は、普通 の病院に入院して治療受けると同じなだけしかかかりません。ですから、その 場合ですね、治療法にもよりますけれども、まずお話を病院でお聞きして、余 分にお金がかかるかどうかそこをお聞きになったらいいと思います。基本的に は、普通の保険の範囲内で出来るというのが原則です。だだ、費用はですね、 やはりかなりかかるんです。例えば、移植を行うと、移植月はだいたい五百万 円程度かかります。ですから、保険に入っているとですね、当然高額医療になっ てしまいますので、普通の保険ですと頭打ちが六万円前後ぐらいで、頭打ちが あります。それとまあ食費、三万円くらいですね、そのくらいしかかからない。 あくまでも骨髄移植だから高いということはありません。医療費は高いんです けども、保険でカバーしてくれるということになります。 大谷: はい、ありがとうございます。あと幾つか質問はでて来ていますが、 ちょっと、とりあえずおいておきまして、せっかく、東京からいらしている三 瓶和義さんにマイクを向けてみたいと思います。最初のご紹介にありましたょ うにお嬢さんを白血病で亡くされました。そして今日のパンフレットの後ろに ありますけれども、三瓶稜子ちゃんの写真があります。あやちゃんの贈り物展 が明日から二十三日まで、十勝プラザアトリウムと言うところで行われます。 今日も少し飾ってありますけれども、実は本が出来ております。「あやちゃん の贈り物」という、こういう画集、今日も売っておりますけれども、この画集 と、それからですね、あやちゃんの絵はがきを作っております。実はあやちゃ ん、本当にかわいい子だったんですね。私は、あやちゃん闘病中から知ってお りました。お父さまとお話をさせていただいたり、お母さまとお話をさせてい ただいたりしまして、願ったんですけれども、元気になることを。残念ながら お亡くなりになりました。私も少しあやちゃんから学ぶものと言うことで、こ こにコメントを書かせていただきました。そんな経緯で三瓶さんの御家族とは とても仲良くさせていただいております。今日、来ていただきましたのは、明 日からのPRと、それから、骨髄バンクに対する思いを子供さんを亡くした立 場から、とてもおつらいでしょうけれども、ちょっとお伺いしたいと思って今 日は座っていただきました。白血病であると言うこと、私もとても辛かったで すし、Aさんもご主人様がそうである言うことで、今話を伺いました。こんな 事を聞くのは本当に申し訳ないんですけれども、病気になられて、そして骨髄 バンクが充実することを願っておられたわけですけれども、その過程でどのよ うなことを考えられて、今、どのようなことを願っておられるかと言うことを お話しいただけますでしょうか。 三瓶: 皆さん、今晩は、三瓶です。あの、お話の前にですね、実は私も北海 道の生まれでありまして、田舎はですね、芝桜の最近ちょっと有名になりまし たが、北見滝ノ上と言うところの出身です。今、東京にでてから三十年近く経っ てですね、東京の暮らしも長くなったんですけれども。今ですね、東京の三鷹 市に住んでいます。現在のですね、ボランティア団体の所属は公的骨髄パンク を支援する東京の会の会員で、相談室の担当っていうふうになっています。今 年の七月からは全国協議会のほうがですね、毎週土曜日に白血病フリーダイヤ ルというのを開設したんですけれども、月一回担当しております。それで今、 骨髄バンクに関わる私どものボランティアの活動を言ったんですがね。あやちゃ ん贈り物展なんですけれども、綾子が亡くなったのはですね、平成二年の二月 の末でありました。で、骨髄バンクがですね、ドナーを募集し始めたのは、今 の財団が募集をし始めたのは平成三年なんですね。ですから、一年半くらいも 前でもあったんですね。その前にも大谷さん達が一生懸命やっておられた東海 骨髄バンクは稼働していたんですけれども、東海骨髄バンクにはドナーがいな かったんですね。この綾子がですね、ちょっと絵の紹介なんですけれども、あ りとあらゆるところで措いた絵ですね、家で描きました、学校でも描きました、 保育園でも描いたし、入院中にも描きました。ありとあらゆるところで描いた 絵ですね。亡くなった後にちょっと整理をしてみたらですね、なんとだいぶ高 さがつもってしまってですね、五百枚くらいの束を作って重ねてみたらですね、 八千枚位もあったんですね。中を一つづつ、 一枚一枚見てみたらですね、親と 言えどもですね、入院中、闘病中にはですね、なかなか見れなかったんです。 重ねて持ってきてはですね、どっかにおいてあった、家の奥のどこかにおいて あった、それを集めてみたわけですけども。見てみたらですね、親の知らない 絵も相当沢山あるんですね。これはですね、本当に命を削って措いた絵なので、 このまま放置していいわけないなというのは、女房とですね話した時の内容で すね。何とかですね、一つにまとめておきたいなと考えてですね。それが、供 養と一緒にですね、まあ今、大谷さんにも原稿いただきましたけれども、骨髄 バンクがですね、その時には、本を出版するときには稼働しておりましたので、 もっともっと沢山のドナーが登録されれば、綾子のような子供はいなくなるっ ていうかですね、いて欲しくないっていうかですね。私たちがこういう思いを したのでですね、他の人たちには、こんな惨めな思いはさせたく無いなという のが、私たちの骨髄バンクのボランティアとして残った出発点なのですね。あ やちゃんの贈り物展ですが、現在ですね、全国協議会の方の統計ですと百カ所っ ていう詰もあるんですけれど、私の記憶ですとですね、七十カ所をちょっと超 えたところではないかなと思うんですけどね。ちょっと、どうして誤差がでた のか解らないんですけれど、私もちょっと正確な回数は、数え切れないですね。 最初にやられたのがですね、一昨年になりますけれど、七月にですね、板橋区 の教育委員会、三鷹の学校にお世話になっておりましたので、丁度本を出版す るときに、教育委員長さんにご挨拶に伺いました。その時にですね、本をお渡 ししたのがきっかけなんですね。その一カ月くらい後ですが、教育委員長さん が家までみえまして、夏休みの期間中にですね、是非子供たちに見せたいと言 うことで、まだ出来上がったばかりの市の美術ギャラリーを使って、七月の十 九日から八月の二十一日までだと思いましたけれども。大谷さんには確か四回 か五回くらい足を運んでいただいて、当番していただいたんですけれども、そ れがきっかけで、その時ですね、全国協議会の関係者の方がですね、「三年ぐ らいかけてこれを全国の人たちに見ていただいたらどうだろうか」って言う話 になってですね。たまたまですね、その後、福島県のボランティアをされてい る五島健司さんっていう写真家、アマチュアの方なんですけれども、本当にプ ロみたいな方なんですね、その方が自分の個展をですね、あやちゃんの贈り物 展に切り替えてですね、その方が、今、帯広に今回来ているのはBセットって 言いまして、八月から新たに出した物なんですけれどね。あっそうですね、五 島さんは、全国協議会の方へですね、写真を提供なされてるんですね。葉書も 出来上がっているんですね。それはですね、最初にAセットをですね、五島さん が額装を全部やっていただいたんですね。福島で始めるとき、福知山の関西の 藤岡さん、骨髄バンクの生みの親の一人と言われている藤岡さんですね、その 方が福知山に持っていって、それがきっかけになって、今までに百カ所とか七 十カ所とか解らないんですが、やっています。私ですね、この巡回展に三十カ 所ほど、現地に足を運ばせていただきました。そこでいろいろ見たり何かして 来たことをつぶさに思うって言うことはですね、現在の骨髄バンクの現状、私 は詳しいこと、細かいことは分かりませんので抜きにしてですね、全国協議会 を始めとするですね、ボランティアの方々の活動にやはり支えられている部分 というのは非常に大きいと思うんですね。啓発普及なんかは、本当にボランティ ア団体がやっている部分って言うのが本当に大きいものがあるかというふうに、 逆に言ってですね。このあやちゃんの贈り物展によってですね、見た方が本当 に感動されて帰って行くわけなんですけれども、ボランティアの方がですね、 やはりあの、絵を見たりですね、人が足を運んで見にこられる、こういうとこ ろを見てですね、本当にこう元気づいたっていう事が一番大きいんじゃないか と思います。例えばですね、沖縄は二十二日から、北海道と沖縄と同時開催っ ていうのは、かつて無かったことなんですけれども、二十二日には、また沖縄 に行きますけれども、沖縄は二年前に一度やられてるんですね。その時にです ね、次から次へと会場に足を運ぶ姿、人の波を見てですね、ボランティアの方々 が「本当にこれをやって良かったんだなっていうふうに今思ってます」という ふうな事を言われてたんですね。そういう言葉に象徴されるようにですね、本 当に運動、今の骨髄バンクっていうのは、ボランティアの方を抜きにしてです ね、なかなか語れないって言うことがあると思うんで、そう言ったことが一番 大きかったなと思います。もう一つはですね、先ほどお金の話が出ましたけれ ども、佐藤きち子患者支援基金っていうのをご存じの方はいらっしゃいますか。 佐藤きち子さんはですね、このあやちゃんの贈り物展が今全国巡回してるんで すけれども、これに資金提供してですね、実現可能にした方なんですね。この 方がですね、去年の五月でしたけれども、未頃にですね、確か五月の二十六 日 だったと思いましたけれども、私の家にちょっと居りませんでしたけれども、 何かこう元気のなさそうな声でですね、「私も長いことないので、お金を早く 取りに来てほしい」というようなことを言われてたんですね。二日後に、二十 八日ですね、私行ったんですね。で、佐藤さんはですね、ちょっと目が不自由 な方で、一人暮らしの方で、盲老人ホームって言うところに、東京の青梅市に、 埼玉県よりの方にある老人ホームなんですけれども、そこで暮らしていた方な んですね。私、老人ホームに入ってですね、部屋まで行きました。そしたら、 ごそごそ動いているような気配がありましてですね、どうしたのかなと思った んですね。ところがなかなか出てこないものですから、中に入ってみたんです ね。そうしたら、なんか心臓発作を起こされてですね、薬を飲んだばかりだっ たんですね。「じき落ちつくので、下のロビーで待っていなさい」っていうこ とでですね、待ってたんですね。その間に、お金を渡していただいたんですね。 佐藤さんはその後いくら待っても降りてこないので、私は職員の待機している 部屋まで行ってみたら、「医務室の方へ運ばれました」っていうことで、医務 室で手当をしてる、その後ですね、「お帰り下さい。いてもしょうがありませ んので、お帰り下さい」と言われちゃいましたので、後ろ振り返り振り返り歩っ て帰ったんですね。丁度、駅が東青梅っていう駅、青梅の一つ手前の駅なんで すけれども、そこの駅の近くに来たらですね、どうも方角がですね、佐藤さん が入って居られた老人ホームの方から、救急車が走ってきたような気がしたで すね、青梅市立総合病院のICUに運ばれていったってね。駅は一つなので、 すぐに次の駅で降りてですね、行ってみました。そしたらやっぱり、あの外来 に、救急外来に佐藤さんが運ばれて手当を受けていました。私、佐藤さんって 呼びましたら、見てた先生はですね、「もう意識ないかも知らんよ」って言っ たんですけれど、骨髄パンクの関係者と言うことで、特別に面会させてくれて ですね、呼んだらうなずいて、「佐藤さんこのお金受け取りましたよ」ってね、 大きな声で言ったんです。そしたら二回ほどうなずきましてね。それっきり、 そのままICUへ運ばれて、私の方も居る場所がなかったので、二時間ほどつ いていたんですけれども、帰ってきました。その二日後にですね、佐藤さんは 他界されました。本当はですね、葬儀とか、いろいろなことが行われるはずだっ たんでしょうけれども、佐藤さんはですね、ある大学病院に献体されておりま した。それっきりですね、静かに、静かに、どちらかの大学病院におられるん ですね。青梅の方に向かって手を合わせるっていうことしか、私たちには出来 なかったんですね。その時にですね、佐藤さんが寄付されたお金が三百万円で すね。その後、全国協議会の方へ移管になりまして、佐藤さんの遺言はですね、 「このお金は、骨髄移植を受ける方で金銭的に困難のある方に、役立てて欲し いんだ」と言うことをはっきり言われたんですね。で、今、佐藤きち子患者支 援基金っていってですね、運営委員会が出来上がっていて、私も、運営委員の 一人なんですけれども、今までにですね、確か二人の方にですね、該当されて ます。そんなこともですね、あやちゃんの贈り物展をきっかけにですね、生ま れているということです。長くなりましたので、一回切りたいと思います。 大谷: ありがとうございました。あのちょっと言葉の中で、いきなりの方は、 解らなかった方もいらっしゃると思います。全国協議会、全国協議会というの は、全国骨髄バンク推進連絡協議会と言いまして、財団、財団とおっしゃって いたのは、財団法人骨髄移植推進財団。どう違うかと聞かれたら、ちょっとか い摘んでお話いたしますと、いわゆる、日本骨髄バンクと言われているものが、 「チャンス」と言うパンフレット、先生のスライド一番後ろにありましたが、 「チャンス」というパンフレットを発行しておりますのが、日本骨髄パンク、 財団法人骨髄移植推進財団、まっ、骨髄バンクと呼んでおります。そこを支え ると言いますか、とにかくこうやって、革の根的に骨髄パンク運動を広めてい かなければ、たとえ新宿に、デンとこう骨髄バンクがあってもなかなかダメな ものですから、各地で草の根的活動をしているのが、北海道があったり、また、 例えば東京があったり、愛知県があったり。というものの総称が、全国骨髄バ ンク連絡協議会と言うものです。いずれにしても、骨髄バンクのことをやって いるものには変わりありませんが、ちょっと補足説明しておきます。それでで すね、三瓶さんのお話にありましたように、あやちゃんの贈り物展を開催して、 ボランティアの人たちが、非常によく喜んでいただいた、それから育ってきた、 そして、佐藤きち子基金というものが波及効果として、ありがたくいただける 事になった、と言う話をいただきました。丁度ですね、ご質問の中に「骨髄バ ンクのボランティア活動はどのようなものですか」って言う質問をいただいて いるんですけど、三瓶さんいいですか。じゃちょっと、時間もだんだんなくなっ てきましたので短めに、骨髄バンクのボランティアの活動、東京の会でもやっ ておられますし、あちこち行っておられますけれども、どんなものありますか ね。ちょっとかい摘んで、箇集書きにでもしていただける、箇条話にしていた だけるとありがたいんですが。 三瓶: あのボランティアの代表はですね、大谷さんでありましてね。大谷さ んの方が本当に詳しかと思いますけども。体験から言いますとね、あのなんて 言いましょうか、私、いろんな事に首つつこんでですね、中途半端にみんな終 わらせてるっていうなことをやってるんですけどね、あの、お金がある方はお 金を出して下さい、ていうことですね。それから、お金ない方で手足のきく方 はですね、ビラ配りとかですね、声のでる方は訴えて下さい、とかですね、そ んなことだと思いますよね。特別な事じゃないんじゃないかなと思うんですけ どね。大谷さんちょっと補足して下さい。 大谷: 「人に手をさしのべること」って、よく私は中学校、高校へ講演行く もんですから言うんですけれど、例えば車椅子の方がいらっしゃったら、私は 車椅子の方が段差で困っておられたら、上あげてあげようと思うんですけれど、 大きな男の人だったらあがらないこと、あるじゃないですか。そんな時、そこ にいてる人たちに、「すいませんけど、この方の車椅子あげるの手伝って下さ い」って声をかけて、声をかけた人たちの荷物を私は持ってあげようと思いま すね。車椅子、あげれませんから、私の力では。で、手伝ってくれた人の荷物 を持ってあげて、何人かであげてもらう。それが、全てに通づるのではないか なって最近思っています。けっして無理することではなく、自分に出来る範囲 のことをこう協力して、温かい目で見ていって、していくこと。骨髄バンクと いうことに関してお話をしますと、やはり、ご寄付をいただいたりとか、それ から、チラシを配っていただいたりたりとか、こういったシンポジウムに参加 いただいたりとか、まぁ、そういういろいろな事があります。せっかくですか ら、そういうお話がでたので、ついでに言わせていただきますと、先ほど話が でてきました五島健司さんの写真集で、車椅子の作家大石邦子さんがエッセイ を書いて下さっているこの絵はがきを十二枚ですね、千円だったかな、で葉書 を販売しておりまして、もちろん純益は骨髄バンク事業に寄付されます。また、 この「汽車を止めて」というエッセイが素晴らしくいいんです。こう、患者さ んというのは、転がり落ちるこう汽車が、断崖絶壁から落ちてくる汽車に乗っ ている様なもんだと、その汽車をみんなの手で止めてあげましょう、というす ごく良いストーリーなんです。この大石邦子さん自身が、バスの事故で車椅子 の生活になられて、大変な思いをされました。私は、この方の本を全て読んだ んですけれども、ダイエットになってしまったんですが、夕御飯を食べるのを 忘れて全冊読みましたら、二キロもやせておりました。余談ですが、そう言う こともありました。それから今日のあやちゃんの贈り物展ですね。これの本も、 またそういった協力にもなります。それから、「金色のクジラ」というものが 最近ですね、あるんですけれども、これはアニメなんですね。で、劇映画にな りました。たぶんこちらの方でも回ってきていると思うんですけども、秋、全 国感動の上映ということで、田中健さんとかですね、結構有名な俳優さんがで ています。また、そういう映画をまた見に行っていただいたり、こういう本を 読んでいただいたり、ということですね。それからまあ、これは、この二冊は、 二十二才、二十一才の患者さんがまぁ亡くなったんですけれども、その患者さ んたちの熱い思い、ご両親の熱い思いがこうつづられています。特にこれは (二十一歳の別離)ですね、ドラマになりました。和久井映見さんが主演でド ラマになった文です。うなずいて下さっている若い方もいらしゃいますが、そ のときに、東ちづるさんが私の役をやって下さったんですね。それは、もっと 前から私は東さんを知っていたんですけれども、お手伝いをして下さるという ことで、友情出演を彼女はして下さいました。それから絵はがきでいきますと、 先ほどのあやちゃんの絵はがきも作られておりまして、またテレホンカードな ども、実は五十度数しか使えませんので、五百円しか使えないんですが、千円 で販売しております。まあ、原価としては、六百円七百円かかっているんです けれども、その差額の三百円くらいが、骨髄バンク事業に寄付されますので、 テレホンカードもお買いあげいただきたいなあ、と思っております。それから、 これは最後、手前味噌話ですけれども、私が書きました本で、生きた人が書い ている本が少ないので、いつまでも、もう古本と呼んでいるんですが、五年前 に書いているんですが、「古本、古本」と言われてるんですが、一応、こうい う本を出しております。この収益ですね、本の事業の収益は全て骨髄バンク事 業に寄付をされておりまして、誰かが印税をしっかり取っているという事は全 然ありませので、是非、この本を買っていただいて、理解を深めながら寄付を していただきたいというふうに思っております。これも骨髄バンクのボランティ アの一つかなぁ、というふうに思っておりますので、今日販売してますので、 どうぞ帰りにお買い求めいただきたいと思います。さてですね、だんだん時間 がなくなってきましたので、残っている質問を一つづつやっていって、そして あと、一人づつまたお話をいただいて終わりにしたいと思っております。では、 骨髄バンクからの話なんですけれども、「この近くで、登録できますか」と言 う質問があるんですが、「登録場所、教えて下さい」と書いてあります。それ から「二次検査、三次検査」、まっ、一次検査、二次検査、三次検査と、何回 も足を運んでいただくんですけれども、「それが地元では出来ますか」と書い てあるんですが、お二方はお住まいすらも私聞いていなかった様な気がするん ですが、十勝地方ですね。十勝管内ですか、どの辺までを十勝管内と言うんで すか全然解っていないんですが、帯広にお住まいなんですか? B氏: 僕は、帯広の隣町に住んでいるんですが。 大谷: 登録場所は何処でした、骨髄バンクヘの登録場所。 B氏: 登録は、まず最初に登録というのはですね、チャンスという、皆さん お手元にあると思うんですけれども、チャンスにお名前を書いていただいて、 投函されますと、一次検査の案内というのが骨髄パンクから届きます。 大谷: 一番最後に、巻末に葉書が付いております。まず、読んでいただいて、 送っていただきますと、骨髄バンクの方から北海道全体の案内が来ますので、 お近くのところにっていうことですね。 B氏: 案内が来ましたらですね、僕の場合は、丁度十勝管内で一次検査が受 けられなくて、釧路まで行かなくちゃいけないと言う時だったんですけれども、 二年前くらいからだったと思うんですけれども、十勝管内、帯広であれば赤十 字血液センターに行って、採血して登録できます。 大谷: 遠いですよね。二時間かかると先ほど言ってましたけれど。 B氏: 釧路は遠かったです。 大谷: 実は、帯広で出来るんですね、今。帯広の血液センターの中には、血 液データセンターなんですが、Aさんはどちらで登録をしていただいたんでしょ う? A氏: 私は財団が出来たときに財団に葉書を出しまして、そしてあの申込書 かなんかを出して、その後帯広で、帯広市内に住んでいますので、日赤ですか、 血液センターに行って一次検査をしまして、その後は厚生病院の方で二次検査、 三次検査を終わらせました。 大谷: 病院で二次検査でした? A氏: はい。 大谷: 三次検査以降ではなかったですか。二次検査までは保健所なり、デー タセンターなりではなかったでしょうか。 A氏: 申し訳ありません。三次検査がでした。 大谷: ええ、そうですね。と言うことは、だいたい近くで出来たんですね。 A氏: はい、そうです。 大谷: あの二次検査はどちらで、Bさんいかがでした? B氏: 丁度、二次検査も釧路でした。 大谷: じゃあ、相当前のことと言うことで、釧路に何度か行っていただいた という事ですね。今は帯広で出来るんですね、司会の方、大丈夫ですね。私、 あの地元じゃないので解らないのですけれども、帯広ですよね。一次検査、二 次検査と採血するのは採血のみなんですが、場所なんですが、帯広でというこ とで。はい、どんどん、登録場所の拡大は努力をいたしております。一応、帯 広では出来ると言うことです。 笠井: 今現在、帯広のですね、専門病院が帯広の厚生病院に血液内科があり ますので、そこの先生達とタイアップして、札幌北愉病院とか、あるいは北大 とか、札幌と連係をやっておりますので、技術的にもですね、十分に可能だと 思います。 大谷: と言うことは骨髄採取が出来るんですか、その厚生病院で。 笠井: 先生達はですね、皆さん経験ある先生が、帯広地区だと帯広厚生病院 の血液内科にいらっしゃいます。後は、病院の体制がですね、それに伴うかっ ていう問題がありまして、例えば無菌室やなんかの問題なんですけれども、ス タッフは充分いらっしゃるんですね。無菌室を設備して、移植体制を病院側が サポートしてくれるか、っていう問題がちょっとありますので、その問題だけ だと思います。 大谷: 後は、コーディネートと言うことで、三次検査以降そういう説明とか が出来ると言うことですね。と言うことは、採取するまで、採取するには二泊 三日なり、三泊四日で、ボストンバックを持って来ていただくもんですから、 ちょっと距離があるかも知れませんが、それまでは、お気軽にお近くで出来る とご理解いただければありがたいと思います。それからですね、「骨髄バンク に登録をしたいんですけれども」輸血経験者という方お二人、ここにいらしゃ るんですが、輸血をしていると実はダメなんですね。で、骨髄バンクに登録は 出来ないです。「献血もダメなんですが、骨髄バンクもダメですか」って書い てあるんですが、ダメですね、先生。一応、ダメですよね、今ね。はい、申し 訳ないんですけども、骨髄バンクヘのご登録が出来ないようになっております。 それからですね、「アメリカ、日本以外に骨髄バンクはありますか」という質 問なんですが、あります。台湾や韓国や、それからイギリスなどにもあります。 この方のご質問の意味が、例えば他のバンクにも登録して下さるということで すと、またご案内も差し上げますので、この会が終わりましたら是非、私ども を捕まえていただきますと、あちこちの骨髄バンクヘの登録をお伝えいたしま す。ちなみにですね、「日本骨髄バンクはどうして、二十歳から五十歳までし か登録はできないのですか」と書いてあるんですが、海外の話をいたしますと、 台湾は五十五歳まで骨髄バンクヘ登録が出来ます。アメリカは六十歳までにな りました。先ほどから全国協議会と言ってますが、全国骨髄バンク連絡協議会 の執行部の方は、結構あの五十超えた者がうようよおりましてですね。最近、 台湾ツアーをやりまして、登録しに行きました、五十歳超えた者が。五十五超 えたらアメリカに行くそうです。そう言いながら、ただ単に旅行しているだけ じゃないかと私は思っていますが、そう言うこともできますので。あの「良かっ た」と言ってました、「五十歳超えてがっかりしていたけれども、やれること があった」なんて言っておりましたので、余談ですがお伝えしておきます。さ て、「提供できるのはなぜ二十歳から五十歳までしかダメなのですか」と言う ふうに書いてあるんですが、先生どうしてでしょう。なぜ骨髄バンクに提供が 二十歳から五十歳までなんですか? 笠井: 一応、献血の基準がですね、二十歳っていう位になってるんです。そ れはなぜかと言いますと、一つは自分の意志で行動できること。それと成長期 だと赤血球を作る場合、鉄が不足しているとかですね、そういう問題がありま すので、一応、成長期おわった年齢がまあ何歳かと言うことなんですけれども、 まぁそう言う観点では十八でも構わないんです。最後は何歳までかと言います と、先ほどの拒絶反応という間題がありまして、年齢が高ければ高いほど喧嘩 する割合も高くなる。と、それは患者さんが仮に二十歳であっても、ドナーの 年齢がですね、五十歳で決めているのは、今の所、日本の感覚的では五十歳が ある一定のその上限ではないかと。これも将来的には五十五歳とかですね、延 びる可能性があると思います。その問題って言うのは、患者さんの登録も最初 はまぁ 「四十五歳まででないか」と言われていたものが、現在五十歳まで可能 になっておりますので、今後やはり上がってくると思います。 大谷: はい。えーごめんなさい、そして輸血の話なんですけれども、あの実 は「理由を教えて下さい」と言う方がいらしゃいました。「輸血をしてたら、 なぜ提供できないの」と、その理由を教えてほしいと言うのがあるんですが。 笠井: 輸血をしているということですか、ドナーになれないかって言うこと ですか。 大谷: はい、小学生の頃、輸血をした様なこと… 笠井: 輸血を受けた場合? 大谷: 受けた、はい。 笠井: えーとですね、献血をされている方はもちろんドナーになれます。輸 血をですね、自分が何か病気か、あるいは貧血のような何か事故がおこってで すね、輸血を受けた場合には、基本的にはですね、まぁ一回二回なら普通は大 丈夫なんですけれども、人間の体は人から物をもらうと、赤血球の型があって いても抗体と言うのができる事があります。相手の物に対する反応する物が体 の中にできていることがあるので。というのが一つと、最近はウィルス、あの A型、B型、C型肝炎ウィルスとか、あるいはエイズとか、成人白血病ウィル スとか、特殊なウィルスがありますけど、昔は解らなかったので輸血受けたら みんなダメというふうになっていましたけれども、今後ですね、これも改善の 余地があると思います。そういうウィルスをチェックする機構が出来るように なりました。ですけれども未だにまだ、そういう抗体を検査せずに、そういう 危険性があるという判断のもとで、「基本的に輸血を受けている方は避けてほ しい」と言うふうになっています。 大谷: ありがとうございます。その他にですね、「骨髄が提供できないケー スはありますか」と言うことなんですが、それはチャンスというパンフレット の後ろに、登録の出来ない条件の方、書いてあるんですね。例えば、病気があ るとかなんですけれども、その健康である方っていう定義づけがなかなか難し いと思うんですが、私は「お薬を常用されてない方」って言っているんですが、 なんかこう医学的に説明していただければありがたいのですけれども。 笠井: どういう方がドナーになれないかと申しますと、詳しい病名も実際に 書いてあります。例えば高血圧の方とか、糖尿病で注射をされている方とか、 要するにあと癌がある方とかですね。だいたい社会常識的に、まぁ不適と考え られるのは、適応外になっています。それと、もう一つ普通の日常生活で肥満、 これあの「ブローカー指数」って言うのがありまして、だいたい自分の身長体 重から標準体重を割り出すんですけれども、それが四十パーセントを超えてい るとかですね、あまり太っている方の場合にはですね、ドナーになれないと。 一回痩せていただいてから、それからドナーに登録いただくというふうになる と思います。 大谷: ありがとうございました。さて、ちょっと患者さん側からの質問だと 思うんですけれども、「移植を受けた後、子供は出来ますか」というのと、 「性生活は可能ですか」と、「子供を作る目的ではなく、行為そのものが可能 かどうですか」と、「避妊しないと妊娠する可能性はあるのですか」というこ と。これに付随してですけれども、「白血病になると言うのは、どうしてなん ですか、遺伝なんですか」とかいうのがきてるんですけれども、ちょっとお答 えいただけますでしょうか。 笠井: まず、白血病になるのはですね、遺伝とは関係ありません。これはた またま正常の細胞が突然変異を起こして、癌化になります。ですから、ご兄弟 で白血病の方がいらしても、別なお姉さんとかお兄さんが白血病になるってい う事はありません。あくまでも、その個人が生きていてですね、いろんな病気 になる確率と同じです。それから後、移植をしてですね、性生活がどうのとい う事とか、妊娠が可能か、そう言う問題。先ほどちょっと述ペましたけれども、 基本的に、放射線照射とか大量の抗ガン剤治療を行うと、細胞分裂の盛んな細 胞って言うのは再起不能と申しますか、ダメになってしまうんです。例えば、 抗ガン剤を大量にやると髪の毛が全部抜けます。ですから、毛根が弱るとか、 あるいは爪の細胞がダメになる。それと同じ、もっと激しいのはやっぱり精子 を作る、卵を作るそう言う細胞はですね、分裂が速いのでより障害を受けやす いです。ですから、普通の場合九十九.五パーセント、まず精子は作られなく なりますし、卵も働きが悪くなって排卵っていうのは起きません。それで、そ れを回避するために、あらかじめ移植を行う前に精子を保存するか、卵を保存 しておくかという事が問題になってきます。それももう少し社会的なですね、 合意と時期的、あるいは金銭の問題等がありまして、保存するにもお金がかか りますので、それは今後の問題だと思います。あ先ほどスライドをお見せいた しましたように、再生不良性貧血の方の場合には放射線照射をしない、それと、 抗ガン剤も比較的量が少ない処置でいいもんですから、精子が残っていること があります。それで、実際にお子さんを作られたという方がいらしゃいます。 それともう一つ、放射線を照射すると普通は精子はダメになっちゃうんですけ れども、抗ガン剤だけの組み合わせでやる治療の場合にはですね、まぁ百人に 一人か二人くらいはですね、精子が、数は減るんですけれども、細々と作られ ていて、妊娠するっていうことがあります。実際に僕の患者さんでも、移植前 にもう、お子さんたまたま一人いらっしゃる方だったんですけれども、「どう しますか」と言ったら、「もう子供は一人いるからそれはいいと」いうことで、 「それじゃ、その後は不妊になりますよ」とお話ししてたんですけれども、移 植が終わって四年ぐらい経つんですけれども、突然、外来にきましてですね、 「先生、子供出来たんだけれども、女房は不貞を働いてないって言うんだけれ ども、本当に私の子でしょうか?」と、こうきまして、お互いの信頼関係でそ れは間違いないって言う話なんですけれども。「それじゃ、それほど確認した いならば、先ほどのHLAっていうのを調べれば解るんですけれども、「どうしま すか」と言ったら、「それはまぁいいです」ということで、お互いに信頼しきっ ているという方はいらしゃいましたけれど、普通はなかなか難しい。 大谷: と言うことは、妊娠する可能性もあるから、無きにしもあらずですか ら、避妊はもし子供がいらなければ、そのときには是非、HIDEのコンドー ムを使っていただきたいのですけれども、あの、実はそのHIDEのことでで すね… 笠井: 後ですね、性生活の能力はですね、普通にあるといえます。「精子が ないので液がちょっと少し薄い」と、「でも勃起能力は充分ある」と、男性の 方はときどき聞くんですけれども、おっしゃっています。 大谷: はい。と言うことは、「大丈夫だけれども、子供が出来る可能性は少 ない」と言うことですね。先ほどのHIDEの話ですけれども、「Xジャパン にHIDEはいません。以前在籍していましたが、脱退しています」と、ご注 意をいただいたんですけれども、実は、ちょっとこのご質問をいただいてから スタッフの人に確認をしてもらいましたけれども、脱退の事はちょっと確認は とれなかったんですね。ただ、先ほどお見せしたコンドームはですね、「Xジャ パン全体のチャリティなので、ご理解いただきたい」と言うメッセージが届い ておりますので、伝えておきたいと思っております。さてですね、また患者さ んの話なんですけれども、「移植をすると絶対に助かるのですか」っていうの と、「慢性骨髄性白血病の場合、兄弟間に提供者がいないんだけれども、移植 にもっとも適する時期はいつですか」とか、「移植をやらない方がいいのはい つでしょう」、「移植に適さない時期はいつですか」と言う質問がきているの ですが、先生どうでしょう。移植をすると、絶対助かるんでしょうか。 笠井: 基本的に、どっから眺めるかって言うことなんですけども。百パーセ ント生存っていうことを最終的な目標なんですけれども、現在のところそこま でいっていません。だいたい兄弟間で白血病に対して、移植をいい時期にやる と、だいたい今、七割近い成功率が得られています。ですがまだ、三割の方は 亡くなっています。それはなぜかと申しますと、先ほど申しました合併症、例 えば「感染症を起こす」、あるいは「拒絶反応がでる」、そういうような問題 を完全にまだコントロールしきってないということがあります。バンクを通し て移植をすると、やはりもう少し下がります。なぜ下がるかと言いますと、H LAという型は合っているんですけれども、それ以外にも同定されていない抗 原って言えば、まぁ顔でいえば、目、鼻、口は同じなんだけれども、ここにあ るにきびとかシミとかそばかす、そう言う違いがありますので、完全には合っ ていないわけです。「今のところの方法論で大まかなところはいい」というの で今、移植をやっているんですけれども、そう言う条件下ですので、「拒絶反 応はちょっと高いと」いうことで、まあ 五、六割の成績というふうになってい ます。これもまた年齢で違いまして、若ければ若いほど成功率は高いというこ とになります。それと後、慢性骨髄性白血病の移植時期なんですけれども、や はりこれもデーターが出ておりまして、「より早ければ早いほどいい」、「慢 性骨髄性白血病と言われてまぁ、通常は 一年以内に移植できるのが好まし い」、「一年以内の方が、二年、 三年、四年経った人よりも成功率が高い」と 言うことになっています。 大谷: 「人の骨髄をもらうと、自分本来の血はどうなるのですか」、「血液 が変わると聞きましたが、どうなりますか」と言うご質問があるんですけれど も。 笠井: これも、血液型ですね、例えば僕はO型なんですけれども、A型のド ナーの方からもらったらですね、僕の血はA型になります。O型の細胞はなく なってしまいます。ですから、血液型はドナーの方のになります。では次、性 格が変わるかどうかと言うこと、A型、B型、O型、それぞれ性質が違います が、僕はO型と言われて天真爛漫の方なんですけれども、AB型の方からもら えば天才気質になるかと言うと決してそうではなくて、そういう問題よく聞か れるんですけれども、患者さんにもご家族にもよく聞くんですけども、性格は ですね、移植を受けたことによって、慈悲深い、感謝の気持ちをより持つよう にはなるんですけれども、基本的なところは変わらないです。 大谷: 私もB型になりましたが、元々B型っぽいとよく言われますけれども、 そんなに変わるもんではありませんでした。さてですね、こんどは「道内、北 海道内の移植病院は、どこにありますか」、「数的には充分ありますか」、 「骨髄移植に必要なものは何かありますか」、三番目の質問がよく解らないん ですが。 笠井: 「道内で移植病院は何処ですか」って言う質問に関して、一応バンク システムでですね、移植の認定病院て言うのがありまして、札幌北愉病院と、 北大と、札幌医大と、旭川赤十字病院、その四施設が認定された移植病院です。 「数的に充分ですか」という事ですけれども、まだ不十分です。 大谷: 最後の質問の意味がちょっと解らないので、ごめんなさい。 笠井: あとは、不十分だって言うんだけれども、患者さんの数と、移植にもっ ていける方、年齢制限がありますけども、それをやると、だいたい今の少なく とも三倍位のですね、無菌室の稼働能力が必要だと思います。 大谷: はい。それでですね、「五年間で移植症例数が九百十二例って言うの は、患者さんが四千五百五十八人登録されているのに、とっても少ないと思い ますが、どうしてでしょうか」というのは、そういうこともあるでしょうかね。 無菌室が少ないっていう、もちろんそれは、登録者が少ないから提供者が与え られないっていうのが現実問題ですが、提供者が与えられたとしても、無菌室 が足りなくて移植が出来ない人も大勢いらっしゃいます。その他にどのような 要因が考えられるでしょうか 笠井: 今の事は例えば、患者さんの登録がだいたい四千五百くらいで、実際 に移植を行われているのが、やがて千(例)に達するんです。まず、その比率 でひとつ解ると思います。それも待っている間にですね、患者さん、例えば白 血病であっても、安定している時期って言うのは短い訳なんです。それで、バ ンクの方もより短期間のうちにドナーを見つけて、コーディネートを早くして くれています。それでも患者さん側の状態が悪くて、中止せざるをえないと言 うふうなことがあります。 大谷: はい。そして、「大谷さんが移植を受けるとき一番大変だったことを 教えて下さい」。「提供者がいない」と言うあの苦しみでしょうね。移植を受 けるときにはもう、「これが終わったら、バラ色の人生が待っている」と思え たので、この私の書きました「零の中の生命」を読んでいただいても、決して 悲しい物語ではないんですね。吐いては食べ、吐いては食べ、抗ガン剤で、 ずーっと吐き続けるんですけれども、銘柄を指定して、スープを買ってもらっ たりしていたんですね。あの、「どこそこ観光ホテル」の何々とか、本当にす ごいグルメだと怒られましたけれども、すごく辛かったですけれども、肉体的 には辛かったですけれども、精神的にはとても心豊かでしたので、移植を受け るときはそう辛くなかったです。ただ、何度も言いますが、提供者がいないと 言うあの苦しみは、何者にも代え難い苦しみでした。そして後二つ、これもな かなかすごく良い質問なんですけれども、「骨髄バンクが民間主導型なのは解 るが、国の対応は具体的な貢献をしているのかどうか知りたい」と書いてあり ます。まぁ、実は「十」必要なお金があるとしましょう。骨髄バンクにお金が 「十」必要です。そのうち「五」が患者さんに頼っております。「五」、患者 さんが払っています。「三」は皆さんからのご寄付です。「二」、国が大貢献 をしてくれています。これを大貢献と取っていただけるか、小貢献と取ってい ただけるかは皆さんの判断におまかせしますが、まぁそれでも、日本骨髄バン クが出来たという事で、大きく知名度は広がったと思いますので、それは「私 は大責献だと思っております」と皮肉を込めてお答えさせていただきたいと思 います。 笠井: それでちょっと今のことなんですけれども、先ほどご質問でですね、 「骨髄移植にお金がかからないか」って言う問題だったんですけれども。僕も ちょっと自分だけの頭で考えて、治療するのにはですね、保険と同じですので、 普通の病気と同じなんですけれども、登録するのに際してはですね、 四十五、 六万でしたっけ、五十万弱位でしたっけ… 大谷: 最終的には保険も払いますので。 笠井: 登録料と、事務手続きのお金なんですけれども。もちろんこれは、儲 けを狙っているわけではない訳ですから、事務的な登録とかHLAタイピング とかですね、さらにドナーの方、やって下さった方に保険をかけなければなり ません。その保険もえーと今、一億… 大谷: 最高一億まで保障があります。 笠井: 一億まで、「一億で、まだ少ない」って言う方もいらっしゃる訳なん ですけれども、今の所十何万でしたっけ? 大谷: 十八万四千円払っております。 笠井: くらいでですね、一億の保険が降りると言うわけですね、だんだん安 くなってきたんです。 大谷: あ、すいません、十四万。十四万です、すいません。 笠井: だんだん提供者が多くなってきて、十四万で一億ですね。と言う掛け 金をかけると言うことで、あくまでもこのバンクシステムはですね、患者さん はもちろんドナーの方の安全が第一と言う基本方針ですので、そう言うような 費用はかかります。 大谷: ありがとうございます。さて、海外の骨髄パンクについての、先ほど ご質問をいただきましたが、その「海外の骨髄バンクとの間でのことはどうなっ ているのでしょうか」と言うことで、今年の末ですね、十二月には東京とワシ ントンで、アメリカの骨髄バンクと日本の骨骸バンクがようやく手を結ばれる 様なところまで今来ております。実は、この人(中堀さん)なんですけれども、 アメリカの骨髄バンクから提供を受けました。残念ながら時期が遅くて、肝臓 がすでに悪くて亡くなりましたけれども、アメリカからもらった第一番目の方 です。その後いろんな方のご努力で、八人の方々がアメリカの骨髄バンク、そ して台湾の骨髄バンクから一名、骨髄をいただきました。そして、日本からも 飛行機でブラジルの方とかアメリカの方にお送りしているものもあります。し かしそれは、個別の待遇でそうなってきましたけれども、今度はコンピューター 上のオンラインで出来ればいいと言うふうに準備を今進めております。と言う ことで、駆け足でしたけれども、本当にうれしくて、質問がいっぱいありまし た。うれしい悲鳴でした。もっともっとお二方にお話を聞きたかったのですが、 質問がいっぱいありましたので、ちょっと時間になってしまったんですが、お 二人(笠井先生と三瓶さん)は、いいですね。こちらにちょっとお伺いをして 終わりにしたいと思うのですけれども、今日これだけ大勢の方がこの時間にお 集まり下さったんです。もちろん私、心から感謝してるんですけれども、登録 をされ提供されたお二方から、骨髄バンクのメッセージ、何かありましたら。 それから一つこれは、全然打ち合わせにも何もなかったことで、こんな事を聞 くのはダメかも知れませんが、もう一度、骨髄バンクで提供する機会があった なら、どうされるかという事を最後につけ加えていただいて、骨髄パンクへの メッセージをいただけますでしょうか。 B氏: 骨髄バンクって言うのはもう新聞や、それからテレビやラジオなんか でも放送されてまして、関心をもたれて、以前のように「骨髄移植は骨を削る こと」と言う誤解はそろそろ無くなって、減ってきたんじゃないかなと思うん ですけども、この運動を支えているっていうのはいろんな参加の仕方があるわ けで、もちろんドナー登録されるっていうのも一つの参加の仕方ですし、それ から「ドナー登録はちょっとためらいがあるんだけれども、でも何か自分に出 来ることがあったらしたいな」と思うのも一つの参加の仕方だと思います。だ から、肩ひじ張らずにですね、「自分が出来ることはなんだろう」とその時々 で考えていただきたいと言うふうに僕は思います。それから、「もう一度提供 する機会があったらどうするか」って言うことなんですけれども、実は、骨髄 ドナーになった後一年間、猶予期間があります。猶予期間を一年間過ぎますと、 財団の方からですね、「もう一度ドナー登録されますか」と言うような案内が 来ます。そこで、もしドナー登録するんであれば、「またドナー登録します」 と言う意志を伝えることが出来るんです。僕はもう一度、機会がもしあるんだっ たならドナーになりたいと思ってますし、ドナー登録もまたさせていただいて ます。 (拍手) A氏: 自分の出来る範囲内で、命のボランティアをさせていただいたことを 深く感謝しております。そして皆様も、ドナー登録するっていうだけがボラン ティアではありませんので、その時、その時に出来る範囲内でお手伝いいただ いら、大変うれしいと思います。そしてまた、私もBさんと一緒に、再度ドナー 登録させていただいて、再度、「もう一度」って言われましたら提供したいと 思っております。 (拍手) 大谷: はい、ありがとうございます。本当に良いお話で締めていただくこと ができました。大変長時間でしたけれども、今日最後まで、皆さんお付き合い 下さいましてありがとうございました。そして、北海道骨髄バンク推進協会帯 広支部の人たち、本当にご苦労さまでございました。どうかこの輪をどんどん、 どんどん広げていきたいと思っています。そして何よりも、本当にお越し下さ いました皆様方に、心より感謝を申し上げたいと思います。この輪が、一年二 年三年、永久に続くようにと願って、シンポジウムの方を終わらせていただき たいと思います。どうもありがとうございました。 (拍手) 白浜: いろんな分野からのご意見、本当にありがとうございました。もう一 度皆様、拍手をお願いいたします。 (拍手) 以上で本日のプログラムを終了させていただきます。今日のこの講演会、シン ポジウムを通じましてですね、一人でも多くの方が、骨髄バンク事業、いろん な面で御協力、ボランティアに携わっていただければと、私たち、思っており ます。またHLA帯広では、皆さん、私たちと一緒に活動してみたい、と言う 方がおりましたら、帰りがけ、エプロンしている者に一声かけていただければ と思います。また、アンケート用紙、受け付けのところにお名前を書いて、そ の旨を書いていただければ、後からご連絡いたしますので、よろしくお願いい たします。それからですね、明日から十勝プラザで、「あやちゃんの贈り物展」 を開かせていただきます。あやちゃんの作品五十点あまりを展示いたします。 二十三日までとなっております。こちらは、入場無料です。どうぞ皆さん、回 りの方にお誘いのお声を掛けていただきまして、皆さんでいらしていただきた いと思います。これをもちましてHLA帯広設立記念講演会、シンポジウムを 終了させていただきます。本日は、本当にご来場ありがとうございました。 (拍手)
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