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僕が10年前に卒業した帯広畜産大学の教養課程の先生からのお誘いで、 なんと学生の皆さんに講義をすることになってしまいました。 これは、教養課程の中の総合科目という講座で、僕が在学中は学内の先生が さまざまな分野の総論的な内容を講義下さっていたのですが、今年度は学外 からの諸分野の方も交えてとのことで、どういうわけか集中講義の形で依頼 をされてしまったというわけです。 「内容はお任せします」とのことで、いろいろ思案していたのですが、やは り「電子的産地直送論」を紹介することとしました。 もちろん、実学としての農学を学んだ(程度は問わないで下さいね)者が、 生業としての「農」に就業して感じていること、認識を新たにしたことを交 えて、電直を語ってみたいと思っています。 (まさか、畜大の学生でGV3−14を見ているシトはいないだろうなぁー) 2時間ばかりの講義(というよりも、ほとんど講演ですけど)は、12月9日 に行うことになっています。 とはいっても、おそよ講義をするような柄でもなく、ぶっつけ本番という訳 にもいきませんので、これから数回にわたって、講義の予稿を連載したいと 思います。 書いていって、ご意見などいただければ当日の参考にさせていただけるかも しれません。 よろしくお願いしますね。目次へ ホームページへ
僕が畜産大学の草地学科飼料作物学研究室を出て、早10年が過ぎました。 大学は、本来、学問を極める場所であったはずなのですが、昨今はどうも 就職時の肩書としての学位取得のために存在するという感覚がなきにしも あらずです。 しかしながらこの大学は、どちらかというと大変ユニークな学問を扱う処 なので、ここにお集まりの皆さんはそれぞれ胸に秘めた憧れや目的をもっ て入学されたことと思います。 僕は、この十勝に生まれ、そして現在生まれた地で畑作と一部畜産の農業 をやっています。 なぜ畜大に入ったのか、それは地元の人間がいうのもおかしな話ですが、 実は小さい時に訪れたキャンパスがとても素敵で、その緑と広々とした雰 囲気が長い間の憧れだったということがあります。 僕は、農家の長男として誕生しましたから、後継者としての自覚も多少あ りましたし、中学に入ってから憧れとしての大学から、将来展望としての 大学へと、少しばかり意識が変わりました。 小さいときから生物好きで、自然科学も教わることができるところ、そう したところも地元の大学に入ってしまった理由の一つです。 大学を卒業して、すぐに農業後継者として農業に従事し、かれこれ10年 の月日が経過したわけですが、なぜそれ以外の道を選ばなかったかといい ますと、それは一口にいって、「農業は魅力的」だと思ったからです。 恐らく皆さんの将来は、農業関係の会社に就職するか、教職につかれるか、 学究の徒として更に学問を極めるか、あるいはまったく畑違いの職業に就 くか、そして、非常に数は少ないでしょうけど、僕のように生業としての 農を目指す方もおられることでしょう。 なにをやるにも、まだ皆さんには自分の進む道を決めるまでに数年の猶予 期間があるわけですから、いろいろな人からアドバイスを受けたり、ある いは実際に体験する機会を積極的に見つけて、来るべき「その日」に向け て準備をして下さいね。 その参考になるかどうかは、まったく自信が持てませんが、僕が具体的な 将来について考えはじめた頃から念頭に置いている「在野の心」について ちょっと紹介したいと思います。 「在野」とは、官職・公職に就かないで、民間にいることが原意ですが、 その字のごとく「野に在れ」と解釈しています。 この「野に在れ」が僕の生き方の基本です。 幸いにして、この帯広畜産大学は非常に「野」に近い大学です。 もちろん、野に在る人ばかりでは社会は成り立ちませんから、官職・公 職を目指す人がいて当り前ですし、その人の生き方を否定しないのが今 日社会です。 それでは、なぜ「野」に生きているのかといいますと、それは「生きる」 ということの基本が「野」にあるからです。 いくら社会がハイテク化を遂げようと、いくら職業のソフト化が進行し ようと、「生物」としての人間が生存するためには、食糧が基本に在ら ねばなりません。 そして、皆さんも基本認識としてすでにお持ちのことと思いますが、生 命がそのよりどころとしている根本的なキネルギー源は、太陽エネルギー です。 「Harvest the Sun!」、「太陽を穫れ」、これはまさ しく農業という職業に与えられた、もっとも意義ある使命です。 ご存じのように、事、日本国内における農業の位置づけは対外貿易との 絡みで、あまり評価をされる状況にありません。 「どうしたら太陽が穫れるのか」、「穫れた太陽がどうなるのか」を研 究するのが農学であるとしたなら、農業は実際にそれを行う職業ともい えます。 僕は、農学よりも農業を選択しました。 それは、絶えず自然を意識していかねばならないスリルと、リスクを背 負うものではありますが、本来、人間が生き物としての存在を一番近く 感じることのできるものでもあります。 そして、実際に農業に携わっていると、今の先進諸国が直面している数 々の問題点が食糧生産という側面を通して見えてきます。 もちろん、僕は一介のお百姓に過ぎませんが、農民をやっているからこ そ感じることのできるもの、それを大事にしていきたいからこそ、農業 という職業にあるわけです。 学問は、極めようとすると、どうしても深く、狭くなってしまいがちで す。 故事に「農学栄えて、農業滅ぶ」というものがありますが、これは「在 野の心」に欠けた際の戒めでもあろうと思います。 現在の農業の諸問題は、これからの皆さんの向学心に譲ることにして、 本題の「電子的産地直送論」に移ることにしましょう。目次へ ホームページへ
電子的産地直送、僕たちは略して【電直】と呼んでいるんですが、この言葉は パソコン通信の仲間たちが、そのやりとり中で生み出した新しい言葉です。 農業とパソコン通信がどこでどのように結び付くのか、これはちょっと複雑な 関係なのですが、電子的産地直送とは切っても切れない間柄なので、説明させ て下さい。 パソコン通信は、CATVやFAX通信などとともにいわゆるニューメディア とされています。 電気通信事業法が改正され、個人でモデムといわれる装置を電話の一般回線に 取り付けることができるようになってから、このパソコン・ワープロ通信とい う新しいコミュニケーションの手段が非常に脚光を浴びてきました。 パソコン・ワープロ通信をまだご存じない方のためにその概略をご説明します ね。 一般の電話回線は、ご存じのように受話器に口を近づけて、声を電気信号に換 えて送りだし、受けての側はその信号が同様に受話器で「音」に変換されても のを聞いているわけです。 つまり、声を伝えあうコミュニケーションツールですね。 もっとも簡単なパソコン通信の仕組みは、この受話器が特殊な装置を介してパ ソコンとか通信機能付きのワープロにつながったものです。 そして、口とか耳にあたる部分をパソコン、ワープロが担当したものと思って 下さい。 パソコン、ワープロが扱う文字などの情報は、機械の中では電気信号として蓄 えられています。 その信号を特殊なソフトウェア(プログラム)によって、電話回線に送ったり、 あるいは、受け取ったりするわけです。 しかし、機械の中の電気信号はそのままの形で電話回線に送ることはできませ んから、それを電話回線に載せるための機械を仲介させます。 それが「モデム」とか「音響カプラ」といった装置です。 なぜ、こんな厄介なものを中に挟むかといいますと、それはお互いのやりとり に取り決めをもたせるためでもあります。 会話を考えてください。 相手がおなじ言葉を使うなら、相手の言っていることは理解できますが、違う 言葉を話す人ならどうでしょう。 言葉がわからなければ、理解できませんね。 まず、第一の目的はこの言葉を取り決めるということでです。 次に、同じ言葉を話していても、会話のスピードについていけないことってあ りませんか。 相手が早口過ぎて、よく聞き取れないってこと、体験したことはありませんか。 人間の言葉なら、いくら早口でもたかが知れていますが、相手が電気信号とな ると人の言葉よりももって高速になるので、送り手、受けてのスピードが合わ ないと何を伝えようとしているのか、さっぱり分からない事態が起こります。 そこで、この中間に挟む機械でスピードのコントロールを行うわけです。 モデムと音響カプラという2種類の装置がでてきましたが、この違いはパソコ ンとかワープロから送られる電気信号を「音」の形に換えて、受話器に与える の音響カプラという装置です。 従って、一般の電話機の受話器にこの装置をはめ込んで使います。 一方、モデムというのは電話回線に直接、電気信号を流すために、電話機を必 要としません。 以前、テレビドラマで「海と空をこえて」という番組をご覧になった方、いら っしゃいますか。 その中で、主人公の少女が沖縄の離島で壊れてしまった電話の電話線をはずし、 モデムから延びた線を電話回線につないでいたシーンがありました。 つまり、モデムは音響カプラ+電話機の役目を果たす装置なわけです。 通常は、モジュラージャックに信号線を差し込んで使います。 パソコン通信のやり方は、モデムを使う場合なら信号の送り手から通信ソフト を使って発信を行い、同様に相手のモデムもその信号をキャッチして、信号の 受取りにかかります。 その際、お互いにどんなスピードと言葉で送受信を行うか、取り決めておかね ばなりません。 後は、通信を行うソフト(プログラム)が相手の送ってきた文字を画面に出し たり、反対にこちらからの文字を相手に送ったりしてくれます。 これは、2人で通信を行う場合、つまりもっとも単純なパソコン通信のモデル ですが、一般に行われているパソコン通信ネットというものは、この間に文字 情報を蓄えておくセンター局が入ります。 通信を行う方法は、まずこのセンター局に回線をつなぎ、自分の送りたい文章 などをストックさせます。 また、このセンター局に蓄えられた他人の文章も読むことができます。 こうすることによって、自分の好きな時間に、文章を送ったり、読んだりする ことができるわけですね。目次へ ホームページへ
パソコン・ワープロ通信のしくみの概略をお話した訳ですが、今登場したパソ コン通信ネット、つまり通信を行う人同士の間に入って互いが送りあった文章 などを蓄えたり、あるいは読みだしを行うセンター局を中心とした通信網には、 実にさまざまなものがあります。 個人がセンター局を開設して、ほんとうに仲間うちで通信を楽しんでいるネッ トもあれば、大手の会社が行っている全国規模の通信ネットもあります。 このパソコン通信ネットと、皆さんがポピュラーに利用している電話の違いを 考えてみましょう。 コミュニケーションツールとしての電話の特徴は、基本的に 1.一対一の会話が原則である。 2.会話には同時性が必要で、相手が不在の場合は会話ができない。 3.会話が即時的で後戻りできない。 4.声の質、トーンが分かる。 5.臨機応変に会話の内容が変えられる。 一方、パソコン通信の場合は、 1.一対一のやりとりにとらわれない。 2.やりとりに同時性を必要としない。 3.やりとりが文章で行われるので、読み返しが可能である。 4.基本的には、文字コードの送りあいであるので、表情がない。 5.文字情報としてのやりとりであるので、タイムラグが生じる。 では、具体的に比べてみることにしましょう。 パソコン通信の利用の仕方には、プライベートな利用の仕方と不特定多数の人 とやりとりをする利用の仕方の二通りがあります。 プライベートな利用の仕方は、一般に電子メールと呼ばれていて、いってみれ ば手紙を電話回線で送る機能です。 送る相手以外には見られませんから、コミュニケーションのあり方からすれば、 電話と同じです。 ただ、パソコン通信では文字情報を送るので、電話のように相手の声を聞いて、 受話器の向こういる人を特定するといった芸当ができません。 そこで、その文字情報の主が誰であるのか、あるいは誰に送るのかを間違える 事のないように、センター局につなぐ時に個人を特定する番号とパスワードを 確認する約束になっています。 パソコン通信では、センター局に回線をつなぐことをアクセスすると言うので すが、もし他人の登録番号を使ってアクセスしようとしても、パスワードの確 認で見破られてしまいますので、発信する人、受信する人が特定されているわ けです。 皆さんが銀行のキャッシュカードを利用する時と同じですね。 この電子メールという機能は、皆さんがワープロで作った文章などを相手に電 話回線で送るというしくみですから、伝えたい内容を事前にいろいろと検討す る事ができますね。 また、電話では相手がその時不在ならば用件を直接伝えることはできませんが、 パソコン通信による電子メールでは、一度センター局にストックされるので時 間による制約を受けることはありません。 このことは、パソコン通信の大きな特徴の一つです。 電子メールの問題点としては、メールを受け取る人がセンター局にアクセスし なければ、その用件は伝わらないということです。 これは、時間の制約を受けないといったことの利点でもあり、また欠点でもあ ります。 しかしながら、パソコン通信を実際に活用している人たちは、互いに相手を意 識して利用していますから、ほとんどこうしたすれ違いが起こることはありま せん。 また、電子メールのシステムが充実しているパソコン通信ネットでは、同じ内 容の文章を複数の人宛に一度に発信できる機能をもっているところもあります から、電話のようにいちいちかけ直す必要もありません。 これまでご紹介したのは、電子メールというプライベートな利用方法でしたが、 パソコン通信の醍醐味であるのは、これからご紹介する不特定の人たちとのや りとりを行う電子掲示板というサービスです。 この電子掲示板はいってみれば駅の伝言板と同じです。 ただ、駅の伝言板は伝えたい相手はあくまで特定の人ですが、電子掲示板は「 おしゃべり広場」的な性格をもった利用のされ方がなされています。 パソコン通信ネットの中にある電子掲示板というサービスを選択すると、そこ はいろいろな人がストックした文章がズラリと並んでいます。 もちろん、その文章を読むこともできますし、また自分の作った文章も登録す ることもできます。 センター局に文章を登録しておくことに、「書き込む」という表現を使います。 普通、書き込んだ文章にはタイトルをつける約束になっていますから、最初に このタイトルを表示させる指示を行って、どんな話の流れがあるのかを確かめ たり、あるいは読みたい文章を探すこともできます。 ネットに登録された文章は、電文とかメッセージ、あるいはアーティクルとい った呼び方をしますが、自分が読みたいメッセージを番号で指定してやると、 その文章を書き込んだ人の登録番号と書き込みを行った日時、タイトル、そし て内容がパソコンの画面から表示されてきます。 ただ、それらの文章は実にさまざまな人が書き込んでいるわけで、いちいち登 録番号で誰が書いたのかを追っていくのは大変なことです。 そこで、パソコン通信のルールとして、電子掲示板への書き込みには誰が書き 込みを行ったのか読む人に知らせるために、ニックネームを各々が用い合うの が普通です。 パソコン通信では、このニックネームのことをハンドルネーム、あるいは単に ハンドルとも呼びます。 電子掲示板にハンドルネームを用いる理由には、プライバシーの保護といった 意味もあります。 書き込んだ文章を読む人は、不特定、つまりネットにアクセスをして、そのサー ビスを選択した人すべてであるので、必要以上の個人情報が明かされて、悪用 される危険性もあるわけです。 ですから、センター局が表示を行う個人情報は登録番号のみです。 あとは、書き込む人がその文章の中で、明かしてもいい構わない事柄をどこま で公開するかの判断に委ねられています。 ですから、パソコン通信では実際に会って、自己紹介をしあうか、あるいは電 子メールで自己紹介をしあうか以外は、ほとんど相手の氏名を電子掲示板から 知ることはできません。 また、その人が用いるハンドルネームがその人の顔になってしまって、実際に 顔を合わせてもついついハンドルネームで呼び合ってしまうのは、パソコン通 信の楽しさでもあります。目次へ ホームページへ
ここまで、ざっとパソコン通信ネットのしくみについてお話してきたのですが、 プライベートなやりとりを行う機能としての電子メール、それから公開性があ り、自由な論議が可能な電子掲示板という2つの機能について、ご理解いただ けたかと思います。 この公開性をもった電子掲示板というしくみは、誰でも、どんな事を書き込む こともできるため、話の脈絡がバラバラになってしまう心配もありますね。 そこで、この電子掲示板はいくつかのテーマ毎に書き込みを行うコーナーをネッ トの側で用意しているのが普通です。 つまり、電子掲示板は複数あるわけですね。 パソコン通信の世界では、それらの電子掲示板の一つ一つをボードと呼んでい ます。 例えば、社会とかニュースに関心のある人たちがメッセージを書き込んだり、 読んだりするコーナー、それが社会ボードといった感じです。 こうすることによって、ある事に関心をもった人たちがその関心事を柱に集う という、いわば出会いの場ができるわけです。 パソコン通信ネットとは、そういう人たちの自由参加の場でもあるのですが、 テーマを掲げたボードを複数用意することによって、グループを形成していく ことができるわけですね。 親切なパソコン通信ネットでは、このボードはネットの側で用意するばかりで はなく、例えば「こんなことに関心のある人、集まりませんか」というように、 ネットに参加するある会員が中心となって、ボードの設置をネット運営者にお 願いすることができます。 こうしてできあがった電子掲示板の事をSIG(シグ)−Special Interest Groupとか、フォーラムと呼んでいます。 場合によっては、このSIGの中にさらに細かいテーマに分けたボードを持つ ものもあります。 大括弧の中の小括弧みたいな感じです。 これからお話する「電子的産地直送【電直】」も、実は全国ネットのパソコン 通信サービスであるPC−VANという、国内では最大規模のネットワークの グローバル・ビレッジという名前のSIG、その中の一つのボードとして試行 されているのですね。 さて、いままで出てきた、電子メール、それから電子掲示板、そしてその電子 掲示板の中のグループによるボード、SIG、これらの性格はなんとなくお分 かりいただけたでしょうか。 ところで、先ほどからパソコンをセンター局につなぐ、なんてサラッといって きましたが、この事についてはもう少しお話しておきますね。 パソコン・ワープロ通信は、原則的には一般電話回線に接続して行うわけです が、回線の接続は普通の電話をかけるのと同様の手順、すなわち相手にダイヤ ルをするところから始まります。 いま、原則的といったのは、実は電話回線を用いるかわりに、アマチュア無線 の電波を使って行われているパソコン通信もあるのです。 ただ、こちらはアマチュア無線を取り扱う資格が必要ですから、誰でも気軽に 始められるものではありません。 電話回線を使ったパソコン通信は、普通の電話のような「声」で通話している かわりに「文字信号」が送られているだけのことですから、「電話をかける」 ということに変わりはありません。 つまり、ダイヤル先に応じて、また通話時間に応じて、通話料金が徴収される わけですね。 このことは、パソコン通信のセンター局がどこにあるかで、経済的な負担(実 はこれはなかな切実な問題であるわけですが)が変わってくることを意味しま す。 市内料金で接続できるセンター局ならば良いのですが、遠く離れたところにあ るパソコン通信ネットのセンター局にアクセスしようとすると、絶えず料金の 心配をしなければなりません。 こうなると、せっかくの出会いの場としてのパソコン通信も地域的な限定を余 儀なくされそうですね。 実際に、たくさんの地方ネットに参加する場合は、今もってかなりの覚悟が必 要です。(この辺りは、パソコン通信経済価値論とでも申しましょうか) パソコン通信について、あまりよく知らない人から、しばしば「電話代、大変 でしょ?」なんて聞かれるのですが、ひょっとするとこれからパソコン通信を 始める方もおられるかもしれませんので、一触りご説明しておきますね。 例えば、「全国に友達が欲しい」なんて思ったら、その地方地方にあるローカ ルBBS(地方のパソコン通信ネットの事をそう呼びます)に会員登録をする のも一つの手ですが、これではすぐに電話代がパンクしてしまいます。 そこで、先ほど登場したようなPC−VANのような全国ネット(他にもいく つかありますが)に加入してみるわけです。 こうした大手のネットワークサービスでは、全国から参加者があるわけですが、 そうした人たちのためにアクセスポイントという中継地点を用意してくれてい ます。 例えば、帯広にアクセスポイントという電話回線が置かれていますと、センター 局まではそのアクセスポイントから専用回線が結ばれていまして、アクセスは 自分の家からアクセスポイントまでの電話料金で済むことになります。 こうすれば、最も安価な場合、市内料金で全国に友達をもつことができる道が 開けるわけですね。 ただ、市内料金だからといって、安心していると痛い目にあうこともあります。 この辺は、自覚と納得の世界ともいえますね。 さて、いろいろな言葉が出てきて、混乱を招きそうですが、その混乱ついでに もう一つ、CUG(シーユージー)−Closed User groupと いうものもご紹介しておきましょう。 電子掲示板は、公開された書き込みの場で、ネットに参加していれば自由に参 加できるコーナーと言いましたが、場合によっては一部の会員しか書き込みや 読みだしができない電子掲示板が置かれているものもあります。 それが、CUGです。 つまり、特別な会員だけが利用できる非公開の電子掲示板というわけですね。 先ほどご紹介しましたPC−VANというネットにも、いくつかのCUGがあ ります。 その中に、北海道庁が昭和62年度から行っている農業地域産業複合拠点調査 というプロジェクトの一環として設けられたCUGがあります。 その名を「North Wind’S」といい、北風CUGの愛称で呼ばれて います。 北海道内はもとより、全国の北海道に関心を持つ仲間がさまざまな話題を提供 しあって、また問題を話し合うグループボードです。 実は、電子的産地直送、電直はこうした仲間の感動的なやりとりの中から誕生 した言葉なのです。目次へ ホームページへ
事の起こりは、牛乳のおいしさについての議論から始まります。 牛乳は、市販される際に殺菌されますが、その方法には高温短時間殺菌法と超 高温殺菌法があります。 前者は、71〜75゜Cで12〜30秒、後者は120〜150゜Cで1〜3 秒という加熱殺菌が行われるのですが、普通の市販牛乳のほとんどは超高温殺 菌法(UHT)によるものです。(多分、表示があると思います) しかしながら、100゜Cを越える加熱殺菌よりも風味を損なうことの少ない 高温短時間殺菌法(HTST)牛乳もあるということが、会員の間の議論で紹 介され、同時期にそれにまつわるいくつかのオペレーションが行われました。 その一つは、酪農家の会員が自分の農場で生産した生乳にHTSTを施して、 札幌の会社員会員<S>さんに届けたのです。 今度は、北海道のおいしい牛乳が飲みたいという大阪の主婦会員であるイルカ さんのために、札幌市民生協で市販されているHTST牛乳を<S>さんが冷 蔵して宅急便で届けました。 この牛乳のおいしさという話題から、普通なら考えられない地域どうしがさま ざまな協力をしあって、実物の牛乳がいきかった訳です。 この試みは、まさにパソコン通信の中で誕生した人間ネットワーキングの成果 といってもいいでしょう。 その中で発生した問題点、疑問点にはその他の多くの会員も解決のための知恵 を出し合いました。 「電直」という言葉はこうしたオペレーションにあたって、牛乳の直接の生産 者である瀬棚町のD.HILLさんが「生産者の声」として、そのメッセージ の中に使われたものなのです。 このCUG「ノース・ウィンズ」というパソコン通信ネットワークを通じて、 僕たちの仲間はパソコン通信の可能性を探る一つの道を模索しはじめたわけで すが、この「電直誕生ストーリー」でお分かりのように、電直は決してモノを 届けるだけの流通形態ではありません。 そもそもが、北海道で農業生産に携わっている農業者と札幌や大阪のいわゆる 消費者が牛乳についてのパソコン通信会話を始めたところから出発してきたの です。 この北海道の戦略プロジェクト(新長計問題で一躍脚光を浴びてしまいました が)の一環であるアグリコンプレックス、なすわち農業地域産業複合拠点調査 から芽生えた電子的産地直送試行、このまったく手探りの試みを通して、今の 農業のあり方、流通のあり方、そして社会のあり方について考えることが、今 日お話する「電子的産地直送論」なのです。 さて、北風CUGから始まった「電直」の試みですが、この試みが始まった頃 から、僕も大きな関心を抱いていた一人でして、自分なりに何かできないだろ うかと、ずっとその思いを温め続けていました。 ただ、どう形にしていったらよいのか、また、自分と「電子的産地直送」とが どの程度うまく関わりあっていけるのか、不安の部分がかなり大きく、およそ 半年の間、気持ちの中に眠っていたわけです。 「ノース・ウィンズ」はCUGといって、いわば限定された会員が集うネット ワークですが、僕はもう一つ、先ほどお話した公開された電子掲示板の一つで あるSIG「グローバル・ビレッジ」にも参加していました。 その中のボードに「村おこし応援団」というところがありまして、パソコン通 信を通じて、地方自治体とのコンタクトを考え、併せて「村おこし」について 議論していく、そんな魅力的な活動を行っているボードです。 実は、このボードは十勝の池田町と深い関係にありまして、ボードのオペレー トをされていた女性ネットワーカーが名古屋の名城大学で開講されていた「地 方自治特殊講義」を聴講するところから、関わりが始まります。 この地方自治特殊講義は、全国のユニークな街作り、村おこしをしている市町 村の首長、担当者の話を聞くというもので、そのトップバッターが十勝ワイン の町として有名な池田町の石井町長だったわけです。 1987年4月の事です。 ここで、パソコン通信がいつ頃から盛んになりはじめたかについて、ちょっと 触れておきますが、1986年、昭和60年4月のこれには日本電信電話公社 からNTT、日本電信電話株式会社への民営移管が関係しています。 この民営移管をきっかけに、公衆回線でのデータ通信の規制緩和が行われて、 パーソナルなデータ通信への道が開かれました。 これを機に、大手のパソコン通信ネットの運用が始まり、今日に至っています。 話を戻しますが、この1987年4月に行われたの石井池田町長の講義に感銘 を受けたボードリーダーは、その後、石井さんや池田町との交流を開始し、翌 1988年には、なんと池田町の職員の方がパソコン通信の会員登録をされて、 「村おこし応援団」というボードへの参加が実現しました。 実は、僕がパソコン通信を開始したのも、ちょうどこの時期でして(きっかけ は、先ほど出てきた、CUG「ノース・ウィンズ」に参加するためでしたが)、 この時、同時に参加するようになった「村おこし応援団」が僕にとってはとて も大きなきっかけだったともいえます。 池田町の方がパソコン通信を開始され、僕にとっての池田町は単なる隣町とい うイメージから、通信仲間がいる池田町としてのイメージに変わりました。 まったく、出会いとは不思議なものです。 電子掲示板の一つのボードである「村おこし応援団」と池田町との接点がで きて、全国の仲間たちは池田町に大きな関心を寄せていきます。 そして、その年、1988年の8月、仲間たちは池田町に集まってSIGの 年次大会を開くこととしました。 僕も実生活では、ごく当り前のお百姓さんですから、ちょうどこの時期は小 麦のコンバイン収穫のまっさかりで、コンバインに乗らなければならない時 期だったのですが、全国の通信仲間と出会う、又とないチャンスです。 普段、通信仲間はパソコンやワープロの画面でしか、会うことがないのです が、こうしたやり取りをしている間に実際に会ってみたくなります。 そうして、何かの折に直接会って、交流を持つことを僕たちは「接近遭遇」 と呼んでいます。(未知との遭遇みたいですね、実際にそうなんですが) 僕は、コンバインの仲間たちの協力のもとに、2日間の通信仲間との出会い を満喫することができました。 僕にとっての「電子的産地直送」は、まさにこの時の接近遭遇から始まった といっても過言ではありません。目次へ ホームページへ
電子掲示板の一つである「村おこし応援団」に参加するうちに知り合った全 国の仲間たちが、真夏の池田に集まるということは、熱烈なネットワーカー たちに会えるということでもあります。 これは、なにもパソコン通信にだけ言えることではないのですが、人の出会 いがもたらす「人間的な刺激」、これはギリシャ哲学の「洞窟のイデア」で はありませんが、自分の生き方を見つめる上でこの上もない好機です。 この「人間的な刺激」は、場合によってはプラスにもマイナスにも働きます が、それはその刺激を受け止める自分の姿勢の問題でもあります。 前向きの方向で刺激を受ければ、その出会いは新しい視野を開いてくれるこ とでしょう。 僕は、池田に全国から集まったネットワーカーたちに、僕が栽培している馬 鈴薯を素手で掘ってもらうというイベントを考えました。 「北海道のお芋」なんていうと、農家以外の方なら小売された袋入りのお芋 しかイメージされないことでしょうが、土の中で太陽のエネルギーをいっぱ いにため込んで育っている姿、また、その感触、僕は常日頃多くの人に知っ てもらいたいと思っています。 でも、普通の農家をやっていたのではなかなかb、したチャンスを得ること はできません。 また、チャンスを得るという受身の姿勢じゃなく、チャンスを自らが作り出 すという姿勢が今の農業には必要なのかもしれません。 しかしながら、流通のほとんどを農協をはじめ系統組織に委ねている現状で は、自らが何かをはじめるということはなかなか大変なことです。 このことについては、後ほど詳しく触れたいと思います。 池田に集まったアクティブなネットワーカー、(ネットワーカーとはパソコ ン通信に参加して、その可能性を追求している人たちのことです)、僕はそ んな人たちととっても魅力的な数日を過ごしました。 そこに集まったのは、地域もさまざまなら年齢も、職業も実にさまざまな人 たちです。 パソコン通信が、また、電話回線がこのような出会いをもたらしてくれるな んていうことはその半年前の自分には想像すらできないことでした。 皆さんが新しい出会いをする時って、例えば学校に入学した時とか、転校し た時とか、どこかのサークル、組織に入った時、就職した時、そして職業人 として活動をする時でしょう。 営業活動をする時以外は、実生活での新しい出会いはそう頻繁に訪れるもの ではありません。 まして、僕のように農業などという職業についてしまえば、異業種の人と出 会う機会はほんとうに微々たるものです。 出会いにもいろいろな形があり、ビジネスライクな出会いもあれば、プライ ベートな出会いもあります。 でも、皆さんが人との出会いと言う場合、それは多くの場合、自分の生き方 になんらかのインパクトを感じる時ではありませんか。 そのインパクトが大きければ大きいほど、その出会いの相手は皆さんの中で 強く意識されるはずです。 インパクトがない出会いは、すぐに相手の名前を忘れてしまうものです。 (再会した時に、「あのー、どなたでしょうか?」なんていうのは恐らくこ の手の出会いです) 一目惚れした相手の名前を忘れる人はまずありませんよね。 話が横道にそれてしまいましたが、パソコン通信で集まる人たちというのは お互いにこの引力に引かれて集まる人たちですから、その出会いはまさにイ ンパクトの塊といってもいいくらいです。 僕の馬鈴薯畑では、おそらく初めて土の中のお芋を手にする人たちの喚声が あがり、「百聞は一見にしかず」ばりの光景が繰り広げられました。 僕にとっては当り前の光景、でも僕だって農業以外の場では逆の立場になる んですよね。 この芋掘りの帰り道、僕はSIGを主催されている方から「どうだろう、う ちのSIGでも電直をやることはできないだろうか」とのお話を承りました。 僕にとっての電子的産地直送、これはその時まで気持ちの中にはあったので すが、いま一つ踏み切れないでいたものでした。 その大会が終わってからほぼ一週間、僕は一人考えていました。 その時です。 僕宛に、一通の電子メールがやってきました。 それは、池田大会に参加されたSIGの有力メンバーのお一人からの電子メー ルでした。 「池田でいただいたお芋がとてもおいしかったので、分けていただけないで しょうか」という内容でした。 この一通の電子メールが、僕に「電子的産地直送」への踏ん切りを与えてく れた運命的な手紙だったわけです。 僕は、ごく当り前の畑作農家ですが、日頃から生産者として消費者の方々に 伝えたい思いもありますし、また、消費者の方々からのさまざまなご意見を 直接お聞きしたいとも思っていました。 それなら、パソコン通信というニューメディアを使って、また、電子的産地 直送という実験的な流通形態を通して、この思いを実現していこう、こう決 心したわけです。 そして、昨年の8月23日からSIG「グローバル・ビレッジ」の電子掲示 板の一つをお借りして、「電子的産地直送【電直】」がスタートしました。目次へ ホームページへ
電子的産地直送、これはパソコン通信というメディアを使った産地直送なの ですが、単なる注文に応えるための産地直送とは趣を異にしています。 これから、少しばかり【電直】コミュニケーションについてお話したいと思 います。 コミュニケーション、こんな言葉を使ってしまうとひどく難しい事のように 思えますけど、気持ちの伝えあいというと、ぐっと身近な感じがするのは言 葉の不思議です。 僕たちが普段、どっぷりと浸り込んでいるのは「マスコミ」という伝達形態 ですね。 パソコン通信では、よく既存の新聞とか雑誌、ラジオ、テレビといったメデ ィアを「旧メディア」と呼んでいます。 戦後生まれで、なおかつ6・3・3制の学校教育世代の僕たちは、まさにこ の旧メディア全盛の時代に生きてきたといえます。 それは、一つに経済のしくみが大きく発展し、大量生産、大量消費が行われ るようになったり、一つには過疎過密という地域の人口のアンバランスが発 生してきたり、あるいは大家族制から子供は一人から二人の核家族、いわゆ る「ウサギ小屋」社会がすっかり定着してしまったことも背景にあります。 没個性という言葉がありますが、これは一つの情報があまりに速く、そして 多くの人に伝わってしまうために、流行に敏感に反応するようになってしま い、そのために起こってきた社会現象ともいえますね。 旧メディアは、僕たちに大量の情報を送り込んできています。 日進月歩のテクノロジーは、絶えず新しさを演出して、牛のような「噛みか えし」をする時間を与えません。 これは、旧メディアの特徴である、情報の流れが「一方向的」であるために 起こってくる問題でもあります。 ですから、僕たちはいつも情報の受け手としか、振まうことができませんね。 流行を追うという現象は、一方的に、また大量に送り込まれてくる情報の中 から、「今」という時代の最先端を選び出す、あるいは乗り遅れまいと追従 する事でもあります。 与えられたものの中から選択するんですから、「個性」なんていうものは出 てくるはずがありません。 こうした「受身」を余技なくされる時代が、旧メディアの時代とも言えます。 この受身の時代は、実はメディアの世界ばかりではありません。 現代農業の置かれている立場も、「受身」の状態といってもいいのではない かなと思います。 昭和40年代初頭まで、十勝の農業を支えていたのはまさに人馬です。 それが、すっかりトラクターなどの大型農業機械にとってかわるようになる と、十勝農業にとっての一つのターニングポイントが訪れました。 今日、一戸当りの耕作面積がおよそ24ha、北海道の平均の約2.2倍の 面積を所有する十勝農業がここまで大規模経営をなしえた要因は、およそ2 0年の間に農家個数が半減してしまうという、他に例を見ない「離農」のた めでした。 この「離農」については、以前この大学の教授をされ、現在北大でご活躍の 天間先生の著書、「離農−その後、かれらはどうなったか」NHKブックス をぜひご覧いただきたく思います。 その中で、先生が離農の要因として挙げられているものは、豆作などの省資 本型の経営から、甜菜、酪農などの集約資本型への切り替わり、また、馬耕 からトラクターなどの機械化農業への転換(昭和38年〜42年)、それに 伴う機械投資のための負債の発生などがあります。 この機械投資のために、小規模経営者は投下資本の回収ができないという状 態に追い込まれました。 そこで耕作面積の拡大をすること(これ、機械投資のための負債と耕地購入 のための負債の両方を背負うことになります)ができない経営者は、離農を 余技なくされます。 と同時に、昭和45年頃、時の田中首相がぶちあげた「日本列島改造論」が 北海道の農地価格をすっかり押し上げてしまい、土地を手放し負債を返済す るための絶好のタイミングをもたらしました。 府県からの入植に始まった十勝農業は、一戸当りの耕作面積が他の都府県と は比べものにならない規模であったがために、基幹となる労働力が他産業に 従事するといった兼業形態をとることができなかったことも要因の一つです。 これは、専業農家割合が絶えず70数パーセントを占めているという十勝の 農業の特徴ともいえます。 離農という問題は、裏を返せば、まさに日本の経済発展の縮図でもあるわけ ですが、この「離農」がもたらした規模拡大、また、機械化農業がもたらし た土地生産性の向上、そして、農協などの系統組織基盤の確立、これらによっ て、農家はまったくの「生産マシーン」となってしまいました。 流通は、系統が中心となって販路をつかみ、農家→系統→市場→小売→消費 者という流れが当り前になってしまいました。 農家は、猫の目農政、つまりビジョンなき政策に翻弄されながら、その時々 の自らの経営にばかり心血を注がねばならない状況に置かれてしまい、また、 「私、作る人」、「あなた、売る人」という社会分業に慣れきってしまった わけです。 この過程は、経済成長に伴う労働者の都市流入、地方での過疎化の進行、核 家族化の進行、八百屋さんなどの対面小売販売からスーパーなどのセルフサー ビス、食品のパック化の台頭、そしてファーストフード、ファミリィーレス トランブームといった流れと妙に符合するのですね。 社会現象は、単独で起こる場合は希で、相互に影響しあいながら進行するも のですから、農村での動きはそのリアクションとしての都市での動きを招き ますし、その反動はまた農村にも返ってきます。 OMP目次へ ホームページへ
農村の変貌、それから都市社会の変貌、時代の流れは人と人との結び付きを どんどんと限定された環境に押し込めてきているような気がします。 子どもたちは、ファミコンに没頭するあまり、外であまり遊ばなくなったり、 「一人」という「孤」の世界が、「仲間を作る」という社会性までも変質さ せつつあります。 こうした中、最近注目を浴びるようになってきたのが、双方向性のあるメディ アです。 旧メディアが、とかく情報の流れを一方向でしか伝えきれなかったのに対し、 CATVとかパソコン通信などは、マスメディアの機能を持ちつつ、パーソ ナルメディアとしても活用ができるという双方向性を持っています。 もともと、コミュニケーションとは「双方向性」が前提です。 例えば、農民も単に作物や畜産品を生産するだけでは、ファミコンの世界に 没入してしまった子どもと同じです。 物を生産するためには、絶えず「相手」を意識し、「会話」がなくてはいけ ません。 作物の農薬について、その安全性の観点からさまざまな議論が起こってきて いますが、見た目のよさだけのために大量の農薬を使用するという農家が存 在する背景には、食べる人の存在があまりに欠落しているんじゃないでしょ うか。 恐らく、自分の作ったものをよく知っている人に食べてもらう時には、見た 目のためだけで農薬を大量に使う人はないでしょうね。 人と人の距離が近づくということは、相互に信頼関係を作るということでも あるわけです。 相手の存在を知ること、これは「双方向性」の意味でありますし、今の社会 に最も必要なものではないでしょうか。 ところが、実際はこの「双方向性」を実現できる範囲はまったく限られた範 囲でしかありません。 よく、生産者と消費者の懇談会の模様を伝える新聞記事など見かけますが、 これとて、生産現場と消費の台所が膝を交えて意見を交換しているという事 ではありません。 極論すれば、あくまで生産者と消費者の代表が、限られた時間に限られた場 所で顔を合わせているに過ぎないのですね。 同様に、農産物の生産者価格が決定される直前とか、アメリカなどとの貿易 交渉などが行われる際に、農民が「ムシロ旗」を下げて、鉢巻をして行進す る光景を新聞とかテレビでご覧になった方もあると思います。 恐らく、皆さんの中にもご両親が農業をされているか、あるいは将来農業を される方もおられますね。 そうした方々にとっては、僕は甚だ不謹慎にお思いになられるかもしれませ んが、実は僕はあの光景は好きではありません。 もちろん、僕もあの鉢巻の中の一人になったこともあるわけですがね。 あのような集会は、そのほとんどが組織動員で行われていまして、政治的な ショーともいえます。 自分達の立場を理解してもらうためなら、もっと別の方法もあるはずなんで すが、少なくとも消費者の方々一人一人に理解を求める方法ではありません。 相手が漠然としているから、言葉も出ない、相手が見えないから、自分本意 にものを考える、そのために起こる誤解や無理解が双方の距離をどんどんと 引き離しているともいえます。 先日、ラジオの放送で、「コミュニケーションとは自分のことを相手に伝え ることではなく、相手を知り、立場の違いを認識すること」という話をおっ しゃっている方がいました。 話すだけではだめなんですね。 もちろん、話ができない状態ではそれこそ「話」にもなりませんが。 マスコミの氾濫で、「受身」であることが当り前、学校教育でもひたすら詰 め込みで、自ら解きあかすとか問題を見つけるということが苦手な子どもた ちが増加している昨今です。 相手を知るために、こちらの側から乗りだしていくためのシステム、これこ そが双方向メディアの世界です。目次へ ホームページへ
さて、双方向メディアを使って、何ができるのか、おそらく皆さんの中にも すでにパソコン通信をはじめていらっしゃる方もいらっしゃることと思いま す。 パソコン・ワープロ通信をどんな目的でやっているのか、これは人によって 様々でしょうが、ある人はまったく自分と異なった環境に暮らす人と友達に なることを期待してやっている方もあるでしょうし、また、メール機能を用 いてひたすら手紙を出し合っている人達もいるでしょう。 僕にもいくつかの目標があります。 実は、僕がパソコンを始めたのはいまから十数年前になります。 ちょうど、今のような量産型のデスクトップタイプのパソコンが登場して、 すぐに飛びつきました。 それから今日に至るまで、あまり進歩もありませんが、曲がりなりに続けて きています。 農業の経営管理にもいろいろと働かせていますが、何年も使っているうちに ちょっと考え方が変わってきたんですね。 それは、計算結果を表示させたり、あるいは記録を保存させるためだけにパ ソコンを使うのは、電卓やワープロの延長に過ぎないんじゃないだろうか、 そんな素朴な疑問でした。 ポテンシャルは、とっても大きいのに、それを自分がどれほど引き出してい るだろうかと。 それは、1台きりで起動しているパソコン、つまり孤独なパソコンへの哀れ みとでもいいましょうか、やはり、コンピュータはつながらなくてはいけな いと思ったんです。 その一つの形が、今やっているパソコン通信だったわけですね。 もちろん、可能性としては、いろいろなデータ通信、例えばアメダスなどの 気象データを自宅にいながらにして受け取ることができる、なんていうこと もそう遠くない将来、できるようになるでしょう。 また、海外に友人を作ることだって可能だし、自宅にいながらにして、様々 な情報をデータベースから入手することも、このコンピュータ通信の潜在パ ワーとして可能なんです。 そのためのノウハウをいくらかでも手に入れる手だて、それがパソコンと電 話回線との結合によるパソコン通信なわけです。 コンピュータに計算をやらせるのは、考えてみれば実に味気ない作業です。 ところが、同じ機械でも使い方によっては、実に人間味のあるコミュニケー ションツールに変身できるわけです。 よく「パソコン通信は根暗人間のやること」なんていう評価をする人がいる のですが、根暗な人間は「おしゃべり」なんてしないものです。 ところが、このメディアは「おしゃべり」、つまり気持ちを伝え会うという ことがなくては成立しない世界ともいえます。 特に、僕のように「お百姓さん」なんかをやってますと、このおしゃべりも 本当に限定された人の中でしかできません。 地域の同業者とか、農協の人たち、あるいは農機具販売のセールスさんとか 肥料メーカーの人たちとか。 これでは、世の中の見方も偏ったものになってしまいますし、それから生産 の現場から離れた消費の側の声も聞けるはずがありません。 僕がパソコン通信を通じて大事にしていきたいものは、こうした地域にとら われない、そして職業にとらわれない人脈ともいえます。 もちろん、僕たち生産の現場が抱えている様々な問題を少しでも知って欲し いという願いもありますが、それは声高に叫んでも恐らく理解してもらえる ことはないでしょう。 そうした理解は、一時のアピールで得られるものではありません。 それよりも、こつこつと時間をかけて、相互にお互いの存在を絶えず意識し あえるような関係を築くことこそが課題の克服の糸口ではないかと思ってい ます。 そんな、いわば自分以外の世界との接点を創り出すために、仲間とともに行っ ているのが、電子的産地直送というコミュニケーションの試行なのです。 では、具体的にどんなことが行われているのかといいますと、パソコン通信 を行っている会員の間で、生産者(僕もその一人なんですが)と消費者が生 産物を送り、また受取って、その感想を伝え会うというものです。 ただ物をやりとりするだけでは、普通の産地直送と変わらないですよね。 しかし、僕たちには電子掲示板や電子メールといった、相互のダイレクトチャ ンネルがあります。 これが大切な点です。 今までの流通に欠けていたのは、この作る人と食べる人との直接の接点です。 これはそのまま、今の農業が農業以外の分野からあまり理解されないように なってきた原因の一つでもあります。 十勝の農業は、まさに素材提供型の農業です。 しかし、素材の持つ味わいを個人が積極的にアピールするチャンスがありま せん。 これでは、国産も外国産も見分けのつかなくなってしまう加工食品が幅をき かせて、作る味わいとか味覚を楽しむという食の本来の姿からどんどんとか け離れていってしまいます。 それと同時に、農業を営む側の意識すらそのような風潮に迎合するものになっ てしまい、「食べてもらって、喜んでもらうことの生きがい」を忘れてしま うことにもなりかねません。 農業は、もちろん食材を生み出す産業ではありますが、それと同時に食の持 つ味わい、それから語らいを生み出すという要素、そしてふれ合いを呼び起 こす役割を持った産業でなくてはなりません。 ハードとかソフトといった機械的な視点ではなく、より人間的でメンタルな サービスも与えなくてはならない職業だと思うのです。目次へ ホームページへ
いまの農業者にとって、一番の問題点はさっぱり明日への展望が見えてこな いところです。 いったい誰のために作物や畜産物を生産しているのか、また、対症療法的な 農政でこれからの生産活動がやっていけるのか、消費者には一次産業で働く 人たちの現状が理解されているのだろうか、これ全て疑問のオンパレードで す。 でも、こうした先の見えない状態は、黙っていてはいつまでたっても今のま まです。 そこで僕たちが始めたのが、【電直】運動だったわけですね。 暇のある人は、書店の立ち読みで、また、お金と興味のある人はできたら求 めていただきたいのですが、日本経済新聞社から「パソコンネットワーク新 時代」−パソコンネットワーク研究会編 1200円 −という本が出てい ます。 実は、この本の中にも[農産物生産者と消費者を結ぶ「電直運動」]として、 CUG「ノース・ウィンズ」での【電直】が紹介されているのですが、公開 された電子掲示板で僕たちが行っている試みには、実にユニークな実験がい くつかあります。 まずその一つは、「U口座開設運動」というものです。 これは、札幌のネットワーカーがパソコン通信における代金の決済の方法と して紹介されたもので、僕たちの【電直】ボードでは新しく参加される方々 にまず最初にお願いしているものです。 U口座とは何かといいますと、正式には「郵便振替口座」というものです。 おそらく、通信販売などの送金とか何々の会などへの会費を納入といった場 面で、ご利用になった方もおありでしょう。 送金をする相手の名前と口座番号が記入された払込みの用紙、一度はご覧に なったことありますよね。 この郵便振替口座というのは、実は郵便局で誰でも簡単に開設することがで きるんです。 僕たちの【電直】では、生産者、消費者を問わず、とにかくその人のU口座 の開設をすすめています。 見も知らぬ人同士の代金授受では、普通は現金書留などが利用されています が、これではお互いの結び付きといった観点が弱い感じがします。 また、送金するための料金、手数料などもバカになりません。 それで、郵便振替口座をお互いが持ち会って、口座から口座への振替という 手続きでスマートに代金の決済をしようというのです。 パソコン通信の世界では、いろいろな可能性について、参加する人たちの知 恵が集積できます。 もっと安価な手数料で送金できないか、こうした問題解決への議論は誰かが たたき台を出して、それに基づいて討論を重ねるという方法がとられます。 調べてみると、郵便振替口座をお互いが持ち会って、口座間の振替という方 法をとると、たとえ何億円を相手に送ろうと、手数料はたった15円で済む ことがわかりました。 ちなみに、皆さんが相手から送られてくる、あるいは本とか品物についてき た用紙で支払う相手に送金する場合は、特別な場合を除いて、「払込み」と いう扱いになり、支払う金額に応じて手数料をとられます。 例えば、一万円以下の払込みでは60円の手数料が取られます。 これが銀行などでは、もっと高額の手数料となるでしょう。 U口座を開設しあうことのもう一つの楽しみは、口座名に自分達がパソコン 通信で使っているニックネーム(ハンドルネーム)をつける事ができるとい う点です。 例えば、僕はパソコン通信において、「OMP」というハンドルネームでメッ セージを書いているのでずが、僕の開設したU口座には「OMP商店」とい う名前をつけてあります。 もちろん、僕はお百姓さんでして、「商店」ではないのですが、これもちょっ とした遊び心ですね。 こんな風に、ハンドルネームによるU口座を持ち会うということは、いっそ う相手の存在を身近なものにします。 おかしなもので、本名よりもハンドルネームの方が僕たちの世界では通りが いいのです。 一度U口座を開設しますと、自分専用の振替用紙が作られてきますから、送 金する際は相手のU口座名(普段なじみのハンドルネームがつけられたもの) と口座番号、それに金額を記入するだけです。 また、U口座をお互いが持ち会うということのもう一つの意義は、お互いの 立場をフリーな状態にするということです。 ちょっと分かりずらいかもしれませんね。 例えば、僕は僕の農場からとれたものを送る時には「生産者」ですが、普段 はごく当り前の「消費者」です。 よく、農業をやっている人は立場上、「生産者」としかみられませんが、こ うした一方的な見方はかえって誤解を招く元になりかねないのですね。 ところが、僕が持つU口座は「生産者」としてのU口座というのではなくて、 OMPという人間のU口座なのです。 僕は農産物の販売代金をこの口座に入れてもらうばかりではなく、この口座 を使って、誰かの手掛けたものを購入し、その支払いに用いることもできる のです。 こうすれば、生産者も実は消費者の顔をもっている証にもなるし、それに日 頃消費者としての立場でしかありえなかった人も、場合によっては何等かの サービスなり扱い品を立てて、生産者の側に回ることもできるのです。 世間でよくみられるような双方の立場を代表した者同士の交渉などでは、衝 突とか平行線という状態がままあります。 鏥お互いの立場を一方的に主張しあったのでは、これは当り前のなり行きでも ありますね。 農村(漁村、山村)と都市がうまく結び付いていくためには、お互いが相手 の見える視座を確保する必要があります。 生産者だって、見方を替えれば「消費者」なんだ、そんな意味合いをU口座 は担っているわけなんです。 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− 注: 平成元年8月の郵便振替料金一部改正で、100万円を越える振替金額は 100万円またはその端数ごとに各別に請求があったものと見なされ、よっ て振替料金はその合計金額(200万円の振替なら30円の振替料金)と なっていました。 #2424の一部を訂正します。 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−目次へ ホームページへ
パソコン通信というメディアでは、自分が提供できる情報を参加する仲間達 と共有することができるという特徴があります。 この「U口座」開設運動でも、いろいろな情報が電子掲示板に集まりました。 特に、ハンドルネームでminoさんという方が連載された「U講座」とい うシリーズは、まだ郵便振替口座について、何の知識もない人にとって、ま たとない入門講座となりました。 この連載では、例えば申し込み用紙の記入の仕方まで紹介されています。 面白いのは、U口座には加入者本人の名前の他に「別名」といって、例えば 商店などの屋号をつけることもできるのですが、僕たちは通信で用いている ニックネームをこのU口座につけることを思い立ち、実行しました。 この時、加入を受け付けるはずの郵便局の側で、個人のニックネームで郵便 振替口座が開設できるかどうかについて、混乱をおこすところもあったので すね。 しかしながら、僕たちはそれが可能な事を戸惑っている郵便局の担当の方に 説明するという、なんともユニークなノウハウを電子掲示板で培ったのです。 また、初心者が口座を開設するときに起こすトラブルなども、実際の体験談 を紹介してくれる方があったりで、ひとつのきっかけが仲間の輪を広げてい き、そしてそれが新たなきっかけとなって情報が集まって来る、パソコン通 信とはそんな世界です。目次へ ホームページへ
この【電直】というボードで産地と消費者が最初に結ばれたのは、「ジャガ イモ」によってでした。 この取り組みを始めたのが、昨年の8月の下旬からでして、何から何まで手 探りの状態からのスタートでした。 なにせ、僕は都府県に向けて代金をいただいて自家生産物を送ったことがそ れまで一度もなかったのですから。 それで、手始めに「モノ」を小口で送るのには、どんなルートが一番安価で 済むかを調べて回りました。 宅配業者はいろいろあって、その窓口へ出向いては料金のパンフレットを集 めて回るのですが、大手と呼ばれる業者は表向きの料金はどこもだいたい似 たもので、そうして聞いて回っているうちにどうやら受付ける個数とか信用 度によって、裏料金が存在するらしいことがわかってきました。 でも、僕が当初から考えていた【電直】は、大量の農産物を不特定の方に送 るということは意図していませんでしたから、その存在は分かりながらも断 念せざるをえません。 そこで知ったのが、先ほどのU口座でお馴染みの郵便局のUパックです。 宅配の普及によって、郵政省もテレビにコマーシャルするまでになった郵便 小包のことですね。 調べてみると、最近の郵便小包はほとんどが航空便で運ばれ、発送から到着 に要する時間は、国内であれば概ね48時間との事でした。 それに、なんといっても僕のような小口利用者にも便利な割引制度があった り、表の料金比較では、距離による料金格差が一番少ない流通が可能なので す。 ほとんどの宅配業者では、各府県別に距離による料金設定を行っていますが、 郵便小包の場合は十勝からの発送なら、道内と東北の一部、それから中部・ 東北、そして関東以西と、3つの料金区分しかありません。 農産物の設定価格よりも、流通経費の方が高くなっていまう、なんともやり きれない現実では、全国の仲間に同じような代金で届けられるシステムはと ても魅力的です。 それに、日頃あまり馴染みのなかった郵便局の方と知合いになれたことも大 きな収穫の一つでした。 でも、普段はただ作物を生産しているばかりの自分にとって、実際に体験す ることになった流通という問題は、やはりショックです。 800円前後の農産物を送るのに、1200〜1400円もの送料がかかっ てしまうんですね。 これは、知識として理解している場合と違って、身をもって体験すると複雑 な思いにかられます。 しかしながら、生産者と消費者がオンラインで結ばれていて、なおかつ頻繁 に連絡が取り合えるというメディアが用意されていると、てとも面白い利用 の仕方も分かってきます。 例えば、あちこちの仲間が利用している小売りの農産物価格などを知らせて もらったりすることができます。 大口利用の流通ではないにせよ、流通コストが占めている比率が分かると、 実際に農協や市場を経て流通している農産物の価格がどんなものであるかが おおよそ理解できます。 僕たちが分かるのは、農協などを通して知ることができる販売価格、すなわ ち生産者価格だけでしたからね。 しかしながら、僕が取り組みたかったのは何も産地直送による安価な農産物 の提供だけではかなったのです。 先ほども言いましたように、実際の流通コストは「モノ」の値段よりも大き な比重を占めているわけで、この流通のカラクリを駆使すれば、よくスーパー などのやっている量販や集客作戦の廉価販売も難しいことではないというの が僕の推測です。 でも、【電直】の一番の狙いは、お互いがオンラインで結ばれることによっ て築かれるであろう相互理解と信頼関係なのです。 いくら、大手スーパーが有機野菜のコーナーに生産者の顔写真を貼ってまで してニーズの多様化に対処しようとしても、所詮それは販売戦略の手段にし か過ぎません。 でも、そうした近親感に目を向けた販売戦略をとらせた背景には、単なる金 余りでは説明できない社会情勢の変化と消費者志向の多様化があるわけです ね。 これに対して、生産の現場、特に十勝のような農協流通が大きな割合を占め るところでは、農民の側からこうした変化に何等化の対処をしようという動 きが起きにくいのです。 もちろん、消費者すべてが同じ感覚で買物をするなんてことはありません。 値段に拘る人や見た目に拘る人、それから安全性とか品質を気にする人、実 にさまざまな消費者像が存在するわけです。 それだからこそ、自然食コーナーとか土・日販売店といった様々な販売の形 態ができあがってくるのですね。 しかし、いくら多様な販売形態ができあがろうと、それですべてのニーズを 満たせるものではありません。 それは、自分が考える選択の仕方に一番近いものを探すとか、選ぶ、という 範囲を越えることができないのです。 僕たちが、自分の所属する農協を自由に選択できないように、生産者、消費 者、どちらの側にあるにせよ、限られた範囲からの選択という足かせがある のが実際です。 そうした場面では、お互いが自分の主張とか思い込みにとらわれて、相互理 解とか信頼を形つくることなど期待できません。 農業は、昔はこんなにギスギスとした産業ではなかったはずです。 それは、生産と消費とが物理的な距離ばかりでなく、精神的な距離にしても 近かったためです。 【電直】が目指すところは、この距離をいかに縮めていくか、そこなのです。 この距離が近くなってこそ、大量生産、効率生産、多肥生産といった作物い じめの農業から、生き物としての作物本来の姿に近づいた生産物を介しての 「農業」という職業が意味をもってくるのではないか、そんな風に思います。 僕たち生産者の作った作物は、その種まきから始まって、最終的に食卓にと いう旅に出るわけですが、その旅を見守るのは生産者、消費者、お互いでな ければいけません。 僕たちは、その成長過程を多くの人に知ってもらいたいし、それを知った人 たちからの声に励まされて、「農業をやっていてよかった!」、そういう時 代を作らねばならないのです。目次へ ホームページへ
農業のことについて、農業以外の職業の人に理解をしてもらうこと、これは 実際問題としてなかなか難しい問題です。 同じように、農業者が他産業の実際や、都市圏の消費者の声をダイレクトに 理解することもこれまた大変な事です。 このお互いの困難を克服していくためにはどうしたらよいか、問題解決のた めの方法は「人まかせ」、「組織まかせ」になってしまっては恐らく進展が ないでしょう。 ではどうすればよいのか、僕はこの電子的産地直送を行うにあたり、次のよ うなポイントを念頭に置いています。 1.「give and give」の気持ち 2.共通認識のための問題意識の発掘、共有 3.生産者、消費者から地方の友人、都市の友人へ 4.大きな木も最初は小さな「芽」から 具体的に説明しますね。 1.は決して相手からの見返りを大きく期待せず、とにかく伝えたい気持ち を「言葉にする」というプロセスを大切にするということです。 僕が全国の仲間たちに向けて発した情報は、例えば「作物の科学シリーズ」 といったものがあった訳なのですが、これは身近な野菜とか作物のことにつ いて、僕が実際に作物を育てている時々のようすを基に、僕の知っている知 識をオープンにしたものでした。 そうすることによって初めて、「作物たちの旅」は「産地発の情報」として 活きてくると考えたのです。 身近なものへの関心、例えば「ジャガイモの芽」が螺旋状に並んでいるのは どうしてなのか、これは生物学とか作物学とかをかじれば分かることですが、 そんなものは学問から離れてしまえば、振り返ることは滅多にないでしょう。 しかし、自分だけの知識、それをそのままにしてしまっては「作物たちの旅」 は実に味気ないものになってしまいます。 家庭でジャガイモの皮を剥くとき、「そういえばパソコン通信で、あんなこ とが書いてあったわねぇ」というような状態があったなら、その時はひょっ とすると「料理の素材」としてのジャガイモから、「畑で育てられてきたジャ ガイモ」へと見方も変わってくるかもしれません。 知識とは、「知っていて楽しい」ものであって欲しいものです。 農業をやっている人は、その経験を通してさまざまなノウハウを身につけて いるものなのですが、そんなものは自分以外の世界では必要ないもの、大多 数の人はそう思っています。 しかし、それはたとえ実際の用を足すことはなくても、「知識」として公開 できる部分はオープンにするべきなのです。 そうすることによって、少しずつではありますが「生産と消費」、「農業の 存在意義」は理解されていくことでしょう。 ベースに見返りを期待していたのでは、ついつい打算的になってしまい、い つかは自分自身に嫌気がさしてきます。 もちろん、いくらかの反応があってくれれば、そんな気持ちをちょっとだけ 込めて「情報」を提供していく、これが僕にできる「相互理解への道」への 第一歩だって訳ですね。 パソコン通信を利用する最大のメリットは、「情報発信者」が次の瞬間に「 情報受信者」にもなれることです。 このことは、とかく閉じ込もりがちな農業という産業に従事するものにはこ の上もない魅力です。 そして、コツコツと小さな試みを続けていけば、いつの日には少しずつ波紋 が広がっていく、そんな事を夢みて僕のチャレンジが続いています。目次へ ホームページへ
電子的産地直送の次のポイントは、共通認識のための問題意識の発掘と共有 を目指すというものです。 生産と消費という関係、それから食料を生み出す産業としての農業の役割、 これらは生産者であっても、消費者であっても相互に食い違いのない認識が 作られることが必要です。 ところが、今日社会では生産と消費の間に介在する流通というクッションが さまざまな場面で問題を複雑化させ、共通認識の共有を難しいものにさせつ つあります。 たとえば、なぜ曲がったキュウリが消費者の手に渡ることがなくなってしまっ たのか、なぜ穫れたてのおいしさを味わう場面が減ってしまったのか、なぜ 有機栽培、低農薬の作物が今、脚光をあびているのか。 これらは、農業という産業の持つ役割とか現在の流通の抱える問題点、それ から生産者と消費者の距離を考える上で、貴重な示唆を与えるものばかりで す。 皆さんは、おそらく自然界に存在する生物の持つ「種の多様性」について、 生物学などで教わったことと思います。 例えば、ある品種が同じ栽培条件でも収穫時の大きさや重さがある範囲内で バラツキがあるということ。 この大きさとか重さというものを遺伝学では「量的形質」と呼んでいますね。 そして、そのバラツキはある平均値を中心とした左右対称の正規分布という ものにほぼ収まるということもご存じのはずです。 このバラツキは、農作物が工業製品とは違うことの証明もありますし、また 「生き物」であることの証明でもあります。 しかしながら、今の流通形態では「生き物」としての農作物がいつの間にか 工業製品のような「規格品」として店頭に並んでしまったり、ある野菜はこ んなものだというイメージができあがってしまったりしています。 こうした揃いのよい野菜たちが消費者の前に並ぶことの意味は、けっして好 ましい事ばかりではありません。 皆さんの中には、実際に農家の畑に行ったことがある人も少なからずいると 思いますが、いかがですか。 まだの人は、どんな作物でも結構です。 収穫期の畑に出向いてみて下さい。 そうすると、普段決して店頭ではお目にかかることのない「規格外」の存在 を目にされるはずです。 例えば、多少の虫喰いとか、曲がり、大きすぎるもの、小さすぎるものなど など。 なぜ曲がったキュウリが「規格外」となってしまうのか、それはあくまで今 の流通における輸送に効率が悪いという理由からだけで、結果として消費者 には「まっすぐなキュウリが当り前」というイメージを抱かせることになっ てしまっています。 この食い違いが、生産と消費の関係に「誤解」と最悪の事態では「無関心」 という結果をもたらしてしまいます。 農家は「見た目」の良いもの、市場などで評判の良いものを作るために、せっ せと農薬を使うようになってしまいますし、土壌の物理性、化学性、微生物 環境を損なってまでして、化学肥料を多用する事態を引き起こしてしまって います。 これは、作物たちの「健康」を脅かしているばかりではなく、作物たちがいっ たい「誰」のためノ生産されているのかということにも関係してきます。 作物たちの最終到達地点は、台所です。 しかし、市場流通というクッションによって、農家の目は台所ではなく、流 通からの要請といった、本来目指すべき場所とは違ったところへ向かざるを えない状態になってしまいます。 作物たちの旅の目的地は、市場ではなく、料理を作る台所ですよね。 この事態が副次的に引き起こす影響として、双方の間の認識の違いとか誤解、 それから農薬の過度の使用とか、土壌の荒廃といった食料を生産する産業の 本質に関わる問題を引き起こしてしまっている訳です。 さらに、最近の傾向として、作物がどんどんと加工されてしまい、素材とし ての味わいが損なわれてきているという実態が指摘できます。 凍結乾燥とか粉末化、これは資源の有効利用といった面での評価もできます が、反面、それがどんな素材を元にして作られているのかをまったくカモフ ラージュしてしまう危険性も兼ね備えています。 皆さんの中には、輸入農産物に施されている「ポストハーベスト アプリケー ション」という言葉を耳にされた方もおられると思います。 単に「ポストハーベスト」と呼ばれることもあります。 これは、収穫後に使われる農薬のことで、外国からの輸入に際して、カビな どによる腐敗防止や害虫駆除のために行われる農薬使用のことを意味します。 農産物の輸入大国「日本」では、現在このポストハーベストについてのかく たる基準が未だに決められていません。 つまり、国内では使用が制限、あるいは禁止されている農薬でも、外国から の輸入に際して国外で行われ「ポストハーベスト」には規制のガイドライン がないのです。 目に見える問題と違って、成分とか品質といったものは「目に見えない恐怖」 の危険性をはらんでいるわけですね。 国内での農薬の多用にも問題はありますが、加工食品が氾濫することのもた らす影響は、遺伝毒性などに問題のある化学物質がたとえ基準値を下回って いるにせよ、着実に食卓に入り込んでくることを意味します。 加工されてしまえば、それが「国内」で穫れたものなのか、あるいは「ポス トハーベスト」を施された輸入農産物からのものか、まったく見分けること ができなくなってしまうのですからね。 こうした情報は、本来、生産者も消費者も双方が重大な関心を寄せていかな ければいけないものです。 そして、そうした情報を本当に自分達の問題として捉えていくためには両者 の間にしっかりとしたパイプがどうしても必要です。 作物たちが、その本来の「おいしさ」を取り戻すためには、畑と台所の距離 が最短距離で結ばれなくてはなりません。 それが自分達の健康、子孫たちの健康を確保するため、農業という産業をこ れ以上荒廃させないため、それから「食べることの幸福」を満喫するために つながってくるはずです。 電子的産地直送、このパイプが果たすべき役割もここにあります。目次へ ホームページへ
さて、電子的産地直送の次なるポイントは、電子的メディアの特性をうまく活 用しての地方と都市との融合です。 地方と都市という言葉は、単なる生活圏の違いといった事以上に、隔たりを感 じさせてしまうのが今日社会の特質の一つではないかと思います。 それは、高度経済成長期以前のような、生産の現場と消費の場がごく近くにあ った頃と違い、生産地、消費地の色分けができてしまい、双方の交流といった ものが難しい時代になったことを意味します。 それは、家族のあり方についてもいえますね。 大家族から、夫婦に子どもが一人か二人といった核家族化が進み、それまで脈 々と受け継がれてきた「生活の知恵」とか「家の独特の味」などが伝わりずら くなってしまいました。 住宅空間が限られた都市部では、地価の高騰に加え、建築構造自体が大家族で 暮らすというライフスタイルをなかかな受け入れない素地があります。 一方、地方では老齢人口の増加に加えて、地域産業の衰退や若年労働力の減少、 担い手不足といった慢性的な構造問題に悩み、どこへ行っても「地域の活性化 」という課題に真剣に取り組んでいるところばかりです。 電子的産地直送は、単なる「モノ」のやり取りに留まるばかりではなく、送り 手、受け手の人たちとの結び付きを通して、同じ時代に生きている仲間という 意識をさりげなく持ち会う関係を目指しています。 例えば、「温故知新」という言葉があるのですが、電子的産地直送ではそのメ ッセージのやり取りの中にしばしば取り上げられます。 地方と都市という地理的座標を横軸に、そして過去、現在、未来という時間的 な座標を縦軸に、孤立してしまいそうな家族のあり方や食の文化を電子的なメ ディアで繋ぎ合わせていくこと、これが電子的産地直送における「温故知新」 です。 そのための情報は、どちらがどうというのではなく、お互いが「生産」し、お 互いが「消費」する、つまり生産者、消費者の意識に捕らわれることのない関 係、これが地方と都市との融合です。 立場の違いは確かにあります。 生活の基盤も違います。 しかし、お互いの暮しは相手の存在を無視して成り立つものではありません。 もし、相手の存在に気づかず自分の暮らしがあると思ったら、これからの社会 は利己主義のぶつかいあいになるでしょうし、恐らく地方の衰退は更に進むで しょう。 お互いに声をかけあえる関係、地方の友人、都市の友人としてつき合える関係、 それが【電直】の仲間です。目次へ ホームページへ
【電直】は、新時代のハイテク流通的な側面ももっていますが、その基本はあ くまでコミュニケーションにあります。 そして、例えば農業においては、先の見えない産業としての不安やいらだち、 それらを軽減、あるいは解消させる可能性を持っていると僕は思っています。 いま迄の農業者は、常に農協をはじめとする、いわゆる系統組織にすべてを委 ねることで意志表示に代えてきました。。 しかしながら、そうしているうちにいつの間にか自らが発言する機会を失って しまい、やり場のない憤りは静かなる抵抗として、あるいは諦めとして、系統 不信に陥る事態ともなっています。 そんな孤立した状態で、果して農業本来の持つ「命を支える」という使命を農 民が自覚できるかどうか、この方がかえって心配です。 「命を支える」ということは、なにも農業だけに限ったことではありませんが、 そうした産業に従事する人たちが、一体何のために、誰のためにということを 考えるゆとりがなくなってしまえば、それこそ本当の「食料危機」になってし まいます。 そんな時代を迎えないためにも、育てる人も流通させる人も食べる人も、みん なが「食」について真剣に考え、相手の立場を思いやるという姿勢が是非とも 必要です。 実は、僕はいま「とかち大百科」という地方出版の運動に参加しているのです が、その基本コンセプトにあるのが「共生」というものです。 つまり、一人で生きているんじゃない、お互いが助け合って生きているんだ、 そんな視点で十勝を捉えていこうとするものです。 この共生という概念は、なにも「とかち大百科」だけの世界ではないと思うの ですね。 生態学では、こうした共存関係が成立する系を「エコシステム」と呼んでいま すが、このエコシステム(生態系)では決して無駄なエネルギーの流れが存在 せず、安定した循環が持続します。 ところが、一度人為的なエコシステムの部分破壊が起こると、連鎖関係にある 生物相はすべからく影響を受けることになり、あるものは消滅する場面も起き てきます。 この考え方は、自然界のエコシステムにとどまらず、人間社会にもあてはまら ないでしょうか。 人間が健康的に生きるということは、心とからだが共に健全な状態に維持され ることです。 ところが、意志疎通がなかなかできない、あるいは慢性的なビジネスストレス から抜け出せないといった現代社会では、たとえ体に異常がなくても健康とは いえません。 また、体の健康もその基となる食品に使用される添加物、素材の段階で使用さ れる農薬や成長コントロール物質、また、肥料や餌に含まれる微妙なミネラル バランスなどなど、けっして安泰としていられる状態にはありません。 こころの健康、からだの健康、これらを安定して維持させていくには、どうし ても「共生」という意識が必要になってくるのではと思います。 例えば、農業をやっている人たちの心の健康は、「農業をやっていて良かった」 と思うことですし、「食べてもらえて良かった」と感じることで獲得、維持さ れるでしょう。 もちろん、「金、もうかった」というのもあるかもしれませんが、これがなか なか曲者で、往々にして災いの元になる場合があったりします。 地方に暮らしていると、昔ながらの山菜とか手作りの味噌、漬物といった古来、 脈々と受け継がれてきた自然食品も珍しくはありませんが、都市生活の場では 自然食品に出会う事自体、なかなかたいへんなことです。 電子的産地直送で地方と都市との直接交流が図られると、単なる情報としての 自然食品ばかりではなく、現物の流通も可能となるでしょう。 そればかりではなく、地方で頑固に造り続けられている職人の業、伝統の味と いったものが【電直】に参加する人たちに紹介されるという場面も起こってき ます。 実際に、【電直】ボードでの交流を通して、道南の瀬棚町で手作りチーズとバ ターに取り組んでいらっしゃる近藤さんという方の生産された製品が、その熱 意とともに全国の仲間の元へ届けられています。目次へ ホームページへ
情報化社会は、溢れんばかりの情報を洪水のごとくおし流してきます。 ですから、情報を判断する人が受身のままでいると、山のような情報に翻弄さ れるか、あるいはまったく無頓着にほったらかしにしてしまうか、それとも受 け取るのに精一杯で消化できないでしまうという事が問題になってきます。 これを「垂れ流し情報化社会」とでもしましょうか。 その一方、情報を双方向に流しあえるシステムがあれば、どれが自分にとって 必要な情報なのか、あるいはもっと詳しい情報を知りたいという場合に、とて も好都合です。 そして、少なくとも「垂れ流し情報化社会」のように自分の存在すら分からな くなってしまう心配はありません。 それが「双方向情報化社会」です。 電子的産地直送とは、そうしたシステムの実験とも言えます。 そして、情報の双方化が図られると、情報とともに「気持ち」とか「表情」と いった言葉や記号では表現できないものまでもやり取りすることが可能です。 具体例では、沖縄の離島にいる電子友人が「まぐろ」の情報を電子メディアを 使って紹介してくれました。 パソコン通信では、電子掲示板などを通じて知り合った友人の事を電子友人と いう呼び方で呼ぶことがあります。 垂れ流し情報なら、その電子友人へのフィードバックはほとんどないでしょう。 しかし、この【電直】という実験場では、そのマグロを実際に沖で取る漁師さ んの話や、とれたてのマグロの味などについて「双方向的」に話合いができる ために、情報発信者の目に見えない「気持ち」とか「表情」といったものがそ のやり取りを通して伝わってきます。 もちろん、情報の受け手である人たちも沖縄の電子友人へのフィードバックを することによって「情報発信側」に回ることになり、情報の双方化ができあが ります。 やがて、沖縄の電子友人に取り次ぎを依頼した、浜の漁師さんが近海で取った マグロが「生」の状態で全国の仲間の元へ届けられます。 もちろん、生のマグロの大きな塊、沖縄から届いたマグロに歓声をあげ、今ま で冷凍でしか味わったことのなかったマグロが、実はこんな味だったのかとい うことに驚き、送ってくれた電子友人に深く感謝します。 でうでしょうか。 これが今、実際に僕たちが取り組んでいる電子的産地直送の姿です。 産地直送とはいいながら、だいぶ皆さんが抱いているイメージとは違ったもの ではないですか。 電子的産地直送とは、ある意味で人と人とを結ぶネットワークとも言えます。 いくら物に「能書」がついていても、それは単なる説明書に過ぎません。 でも、電子的産地直送は「もの」をやり取りするばかりではなく、それに伴っ て人間ネットワークができあがっていくわけです。 ここが、今までの産地直送とは趣を異にするところです。 もともと産地直送が始まったのは、既存の流通、すなわち市場流通では解決で きない様々な問題点、例えば価格とか品質、安全性について、生産者、あるい は消費者がなんとかしようとしたのがそもそもの始まりです。 既存の流通、これは大量に生産物をさばきますが、生協などがその運動を開始 した背景には、この大量流通に伴う問題点があったことは言うまでもありませ ん。 そうした市民グループの活動がやがて「生協」という独自の流通形態をとるよ うになったわけですね。 同じ事が生産者についても言えます。 生産者の生産物は、生産規模の拡大によって、その流通を農協などの系統組織 に委ねるのが普通でした。 もちろん、個人で生産物をマーケッティングするノウハウもありませんし、系 統利用、商系売買などによってその必要もありません。 (注:商系とは、農協などの農民組織以外の流通機構、仲買などをいいます) しかしながら、このマーケッティングを第三者に委ねることから、生産者と消 費者の間の意識のズレ、認識のズレが発生してしまいます。 そこで登場した産地直送などをグループを通じて行うという取り組み、また、 生協などが行うようになった流通経路の短縮化の試み、これで問題のいくつか は克服されました。 しかしながら、その生協という組織活動も今、壁に直面していると話を耳にし ます。 ある産地と提携して生産物の供給を受けていても、やがて生協組織自体の拡大、 組合員の増加によって、その需要をまかなえる新たな提携先へと産地が移ると いう問題です。 これでは、せっかくできた産地農民との信頼関係がなし崩しになってしまいま すね。 また、その信頼関係も生協組合員一人一人と産地の生産者との間のものという より、産地生産者と生協という「組織」との信頼関係になりがちです。 では、双方向情報化社会が広く行き渡るようになれば、こうした信頼関係にど んな変化が生まれるでしょうか。目次へ ホームページへ
まず、生産者の個々がダイレクトな消費者とのチャンネルを持つことにより、 自分達の生産活動がどのようなものなのかを直接伝えることができるようにな りますね。 この意義は、とても大きいのです。 現在の流通では、大量の類似商品が先をあらそってマーケットシェアーの獲得 に火花をちらしています。 そして、そのためにイメージ戦略がとられ、商品の差別化のために包装などに 気をつかっての高級感の演出とか、あるいは無農薬、低農薬、有機栽培といっ た栽培プロセスのアピールがいたるところで行われています。 もちろん、こうした販売様式がとられるようになった背景には、健康志向、食 品の安全性への関心の高まりがあるのですが、こうしたイメージとかキャッチ フレーズを前面に出した販売方法は、その本質の曖昧さからくる誤解を与えか ねません。 有機栽培とは、いったいどんな栽培方法をさしているのか。 あるいは、無農薬という栽培方法がどんなものなのか、こうした問題について、 現在の流通販売の現場できちんとした説明が為されているでしょうか。 ここが双方向性のない流通ルートの大きな問題点です。 こうしたネーミィングとかイメージ戦略の結果、消費者は「それが本当なら、 多少高くても構わない」という判断を下すかもしれません。 また、そうした判断を狙ったものが「商品の差別化」でもあるわけです。 しかし、その判断を正確な情報、生産現場からの情報なしに下せるものでしょ うか。 これが双方化情報社会の浸透のポイントの一つです。 試しに生産者に「有機栽培とは、どんな栽培法なのですか」と尋ねてみれば、 その実態が生産者個々によって実にさまざまであることが分かります。 つまり、「有機栽培」というポイント一つをとってみても、判断材料はたくさ ん存在する訳です。 また、無農薬栽培という栽培方法がどれほど大変なものなのか、どのような栽 培管理の元に作物が作れらているのか、生産と消費の間の信頼関係とはそうし た情報のやり取りが当事者間でダイレクトに行われていくことにより、より確 かなものになっていくことでしょう。 その中から、双方の関心事として農薬の安全性の問題、品質についての共通認 識、そして相互理解が生まれてくるはずです。 重要な点は、こうした関係がたとえ双方が遠距離にあっても形成していける点 です。 物理的な距離はあっても、常に相手が近くにいるような状態を作り出せること こそ双方化情報社会の特徴ですし、電子的産地直送の魅力でもあります。 今までの生産、消費関係でこうした直接交流が難しかったり、あるいは農協と か流通業者、生協などが双方の間接交流機能を担当してきたのは、相互接触を 可能にするパーソナルベースのインフラトスラクチャーがなかったためです。 そのためのに、多段階で複雑に絡み合った流通経路が生産物の流れを不鮮明に し、また生産物の出荷段階からこの流通網に都合のよい形状・規格・見栄えに 調整される必要があったわけです。 では、実際に生産物に求められる要素とは何かを考えてみますと、台所で何が 大切なポイントであるか、そこに帰着します。 数ある要素のうち、大切なものは、一つに安全性、一つに「鮮度」でしょう。 食料として、私達の健康に直接的な影響を持つ生産物にとって、安全性は何を もってしても第一に確保されねばならない要件です。 そして「おいしさ」に不可欠な要素、それは鮮度です。 「とれたて」のおいしさ、なぜ産地で食べる名産がおいしいのか、それはまさ に「とれたて」の鮮度が生きているからです。 長い流通経路を通り、鮮度が落ちれば「味」も落ちます。 鮮度を落とさないような物理的、化学的な操作が加えられれば、当然コストに 跳ね返りますし、安全性の問題も生じます。 そんな中に、【電直】のようなダイレクト流通の道が開ければ、「とれたて」 の味が分かる訳ですし、少なくとも複雑な流通経路がいかに鮮度に影響を与え ているかが比較できるでしょう。 これは、帯広市内で安全な野菜の産直流通に取り組んでいる「はるにれや」と いう八百屋さんに伺った話なのですが、生産物のおいしさ、これは「とれたて 」に近い状態で安心して食べられること、そして誰々さんが作ったもの、これ が分かっているということも「おいしさ」の重要なポイントの一つであるとの ことでした。 つまり、「おいしさ」の中には相互信頼という要素、多分心理的な働きである と思うのですが、それがある訳ですね。 双方化情報社会での新しい生産者、消費者の関係、この結び付きが電子的産地 直送というツールによって強められることによって、既存の流通にも当然イン パクトを与えることができます。 これこそが、新しい生産、消費のパワーに他なりません。目次へ ホームページへ
電子的産地直送、この試みはまだまだ始まったばかりです。 しかしながら、このニューメディアの特性に着目し、電子産直を行う動きも活 発化してきました。 この動きは、通信機能付きのワープロの普及、パソコン通信人口の増加に伴い、 着実に加速されるでしょう。 そして今、僕たちの回りのメディアは単独で存在するばかりか、様々なかたち でつながろうとしています。 例えば、パソコン・ワープロ通信とファクスが、また、テレビとファクスの結 び付きはすでに多くの番組で行われていますね。 こうしたメディアの結合はメディアミックスと呼ばれていますが、こうした動 きに今後ますます、「新たな出会い」のチャンスが拡大されるでしょう。 これからの時代は、そうしたパーソナルなレベルでのネットワーク化がさまざ まな目的、さまざまな人たちによって形成されていく時代でもあります。 電子的産地直送という試みが目指すところは、そうした人と人とのつながりを 地方と都市、生産圏と消費圏、フィールドとキッチンという場に形成していく ことでもあります。 幸いな事に、パソコン通信というコミュニティーつくりの媒体は、ホストシス テムが運用されているところなら、どこでも可能という特性を持っています。 そして、最もシンプルなホスト局は、個人が開設する電話回線が1回線だけの プライベート局から、ある地域内での運用を目的として開設されたもう少し規 模の大きいローカルBBS、そして、今僕たちが試行を重ねている全国ネット まで、そのスケールと規模は実にさまざまです。 十勝でも、このエリア内だけでローカルBBSとして活動が知られているもの は3つあります。 その他に個人でパソコン通信のプライベートホストを開設しているところもあ るかもしれません。 ホスト局の開設といっても、実際には通信用の電話回線とモデムという装置、 それからパソコン、そしてパソコン通信ネットワークをつくるためのプログラ ムと記憶装置があればいいだけです。 そのプログラムも、なんとパソコン通信を通じて、手に入れることができるの です。 ですから、ネットワークを個人で作るということは多少の知識を持てばそれほ ど難しい時代ではなくなってきているんですね。 今までの農産物の流通、これは十勝ついても言えることなのですが、ある作物 が産地としての銘柄を獲得すると、不思議なことに産地を抱える消費圏、十勝 では帯広圏ですね、そこには地物があまり出回らないという現象が起きます。 せっかくの産地でありながら、大きな物流ルートに乗ってしまうと、価格のよ い遠隔地の市場に送られてしまい、その結果として地元の市場に地場の作物が 並ばなくなる訳です。 もちろん、その地域の消費圏とそこを取り巻く生産者との間に十分な交流がで きる場もあまりありません。 これでは、やはり不自然な状態ですね。 電子的産地直送の可能性、その一つとして、さまざまなローカルBBSでこの 【電直】という試みが取り上げられ、その結果として地域内の生産者・消費者 がその存在を知り合う、そうした文字通りのローカルネットワーキングが考え られます。 つまり、地方と都市、生産者と消費者の物理的な距離にも、遠くとの交流、近 くとの交流というバリエーションを考えていきたい訳です。 そのために今、僕たちの仲間はこの電子的産地直送、【電直】という試みを全 国のローカルBBSに「輸出」するためのノウハウ作りにも取り組んでいます。 さまざまな問題を抱えた一次産業、担い手の他産業への流失や就業者の高齢化、 耕地、山林の疲弊などなど、地方の直面する問題は深刻なものばかりです。 例えば、農業就業人口は7%を割ってしまいました。 現在の日本の耕地は、この7%に満たない人たちの手によって管理されている わけですね。 生産規模の拡大と機械化、戦前30%の農業就業人口によって支えられた農業 を7%の人たちが守っているのです。 ですから、これは僕の夢でもあるのですが、どんな手段、ルートでもいい、こ こまで減ってしまった農家、市場論理に生き残りをかける今の農業において、 一件でも多くの生産地の友人、都市の友人が生まれて欲しいのです。 そうする事によって、命を育む産業としての農業に、生産者は農業をやってい て良かった、消費者はおいしいものをありがとう、という図式ができあがって 欲しいのですね。 7%の農家が、一人の友人を都市に求めたとしても、全体ではまだほとんどの 人が農家との直接交流を持てないのですが、そうした小さな交流の芽がない限 り、地方と都市が共に生きていくことは難しいのではないでしょうか。 【電直】があちこちのローカルBBSのボードに登場してくれれば、きっと作 物のおいしさも格別のものとなるでしょう。 もちろん、そうなるまでにはまだまだ時間がかかりますし、仲間たちによる地 道なネット作りが必要です。 けれど、僕たちが今手にすることができるようになった双方向性のあるメディ アは、その可能性に明るい展望を与えてくれます。 身近な一次産業、これは都市機能が果たすことのできない自然環境への憧れを 提供してくれるでしょうし、「土」の感触は商品としての作物から「自然の恵 み」としての作物の温かさを与えることでしょう。 いま、「市民農園」(クラインガルテン)が静かに広がりつつあります。 普段、「土」に親しむことのできない都市生活を送る人たちが、農地の一角を 借りて実際に作物を育てるという試みです。 これも、生産と消費を結ぶ新しい流れの一つですが、【電直】によってこの出 会いがもっともっと広がるかもしれません。 でも、もっと大切なことは、それぞれの立場でそのぞれの「生き方」があるん だ、ということが分かり会えるということです。 それが僕たちが言う「人間ネットワーキング」ですし、これからの社会に不可 欠な要素だと思うのです。目次へ ホームページへ
社会の構造には、あるきっかけの元に急成長を遂げる部門もあれば、ゆっくり としたペースでしか成長のできない部門もあります。 そして、経済の好況を持続するために、生産はあらゆる局面で他との競合を意 識しながら活動を続けています。 農業にしても、現在十勝で行われているような生産様式、つまり大型機械の投 入による省労働型の大規模農業が行われるようになったのは、まだ20年少し の間のできごとです。 もちろん生産性は向上しましたが、それでも他の産業部門からみればその生産 性の低さを指摘されたり、あるいは、ここ20年の間に発生した離農とか過疎 化とか農地の荒廃、農民組織の構造的硬直化と抱える問題は実に多岐にわたっ ています。 輸入農産物問題にしても、これは生産者だけの問題にとどまらず、流通、消費、 食品の安全性などと、一つの構造単位に発生した問題が、それのみにとどまる という時代でなくなってきているのは確かです。 農民は、畑に種を蒔き、収穫するだけという時代ではなくなっています。 常に消費動向に気を配り、外国の政治情勢の影響を心配しつつ、「売れる商品」 を意識しながら経営をせねばなりません。 でも、そうした外的環境に気を取られるあまり、農業の本当の良さを見失う事 になるような、そんな不安が絶えず付きまといます。 農民も含めて、今僕たちが陥りそうな落し穴、それは何だと思われますか。 思いめぐらせば、いろいろ出てくるでしょうけれど、情報化の時代に生きる皆 さんに是非考えていただきたいこと、それは「カード化情報の盲点」です。 コンピュータ社会における情報の管理、分析、それは常にカード形式で情報を 扱いがちです。 まず、項目名があって、その欄には決められた選択基準に従ってデータが書き 込まれていきます。 こうすることによって、大量の情報がよりコンパクトに、より客観的に管理で きるわけなのですが、実はそこが盲点なのではないかと思うのですね。 確かに、情報はスマートに管理できますが、そうしたカード化された情報です べてが処理できるでしょうか。 カードに記された分類項目が、すべてを網羅しきれるでしょうか。 この点が、今日の生産と消費に関わる問題へ、その双方の立場が考えていかね ばならない事だと思うのです。 生産、流通、消費、これは「物」の流れである反面、「物」を媒体としたより 人間的な結び付きであるという側面も持ち合わせています。 ところが、「物」にばかり目が行くと、いつの間にか人間的な側面がないがし ろになってしまい、全てが「カード化された情報」で対処できてしまう、とい うような錯覚に陥ってしまいます。 ところが、人間的な結び付きは「カード」で処理できる程、単純ではありませ ん。 もっともっと、泥くさいものですし、切れ目のないものですし、断片ではなく トータルでなければ判断がつかないものでもあります。 それを忘れてしまった農業は、言葉を代えれば、むしろ「機械的農業」とされ るべきであり、人心をつかむことができない、味気ない産業となってしまうで しょう。 人と人との理解があって、信頼関係が生まれ、信頼関係から契約が成立します。 電子的産地直送という交流のルートは、まさにこの「人と人」をより人間的に 結びつけるものであり、そこから芽生えた相互理解の芽を自分達で育てていけ るという、主体性を持った流れです。 そこから培われていく食糧生産者としての自覚、責任、充足感、また、安心を 求め、おいしさを求め、感謝の気持ちを持てるような流通、消費の側の人たち との、一つの時代を共に生きるという一体感。 【電直】の流れは、流通という巨大なメカニズムの中では、決してメジャーに なりうるものではありません。 しかし、ともすれば人間味に欠けてしまう時代の流れの中にあって、お互いの 存在を確かめあうというチャンネルは、決して不用ではないはずです。 僕たちは、前を向き続けるばかりではなく、後ろを振り返ることのできる心の ゆとり、豊かさも併せて持つべきです。 時代は、新しいものがすべて良い、というものではないでしょう。 絶えず、見失ったものはないか、残してきたものはないか、捨ててしまったも のはないか、そうした小さな軌道修正が必要です。 今、僕たちの仲間が取り組んでいる電子的産地直送という試みは、ハイテクと いう道具でより人間的な結び付きでネットワーキングしていこう、とするもの であり、情報化社会で見失われがちな「共に生きる」という気持ちを温め続け ていこうとするものでもあります。 パソコン・ワープロ通信の紹介から、【電直】の実際、そしてその目指す処と とりとめなく述べてきましたが、これから学問をし、さらに社会でご活躍され る皆さんのなにかしらのご参考になれば幸いです。 どうか、この畜産大学で学んだことを誇りとされるような、実りある学生生活 を送ってください。目次へ ホームページへ
母校にての集中講義、なんとか終わりました。 時間の関係で、ずいぶんと密度が濃い(まくしたてた?)講義となりましたが、 集まった学生がとても真剣に聞いていてくれたので、ホッとしています。 講義後、担当の教官との雑談で、「母校で講義ができるなんて、最高に幸せな ことだよ」などと話してまして、そう言われればそうかなぁ、なんて。 でも、短い時間でしたが、そのためにほぼ一ヶ月の間、随分と緊張していた自 分に気が付きました。(終わって、ホッと力が抜けたぁー) やはり、人前で話をするということは大変な事なんですねぇ。 でも、とってもいい体験でした。 それに、先にも書きましたが、こうしたきっかけがあって、曲がりなりにも「 電直論」として考えをまとめられたのですから、千載一遇ともいうべき機会で あった訳なのですよね。 もちろん、僕の話に感化されて、パソコン通信を始めてくれる学生が出てくれ れば、また、そのうえで何がしかの目的を持って、双方向メディア社会の可能 性を追求してくれるシトがいてくれれば、これほどうれしい事はないのですが。 【電直】の講義という、分不相応のチャンスが与えていただけた事もありがた かったですが、このところ旧メディアからの【電直】についての取材が2件あ りまして(いずれれもお正月企画だそうです)、ここにきて【電直】もなんと か認知されるに至ったのかなぁ、などとちょっと感慨にふけっています。 おっと、【電直】の取り組みはまだ始まったばかりでした。 いまから、感慨にふけっていてはいけませんね。 でも、少なくとも僕たちがやっている【電直】という試みが、あちこちから注 目されるようになってきたということは、そのどこかに人を魅了するような夢 があるんじゃないのか、と、これは都合のいい解釈でした。 でも、そんなきっかけ、僕は日本中のいたる所で広がって欲しいと思ってます。 地方の時代と言われながら、地方のさまざまな「活性化」の試みが為されてい る中、結局「都市」と「地方」が有機的に結び付いたという事例はあまり耳に しません。 お金と「モノ」の流れはあっても、人と人との交流で「うーん、いい感じ」と いう話が、やはり地方発のニュースとして取り上げられてしまうところに、な んとなく無念さを感じます。(地方の時代って、いったい何だろ?) でも、僕は【電直】のようなコツコツとした積み重ねこそが、地方と都市との 融合をなしえるものと思いたいし、だからこそ、情報化社会に明るい展望を持 てるんじゃないかと、そんな気がしています。 ああっ、それにしても人前で話をするというのは、大変な事なんですねぇ。 (身をもって体験しました) 小林さん、TAMTAMXさん、どうもありがとうございました。 電直論で、随分と大風呂敷を広げてしまったのですが、このままではもちろん 持論が実を結んだことにはなりませんし、地方の友人、都市の友人という関係 がこのメディアによってたくさんできあがった訳でもないですよね。 でも、少なくとも僕は、きっとそうした時代を共に生きている仲間が、意識が、 この【電直】というコミュニケーションを通じて芽生える!、という意を確か にしました。(僕だけだったりして・・・) とにかく、今は17日にGV大阪の面々とお会いできるという事で気持ちがいっ ぱいです。 【電直】に参加されている皆さん、今後ともよろしく! OMP
© Seiji Hotta
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