OMPのコラムでトーク バックナンバー

  「環境ホルモン農薬−世紀末の選択」 1998.12.08
     今年の流行語の一つに、「環境ホルモン」が選ばれた。「環境」と枕詞がつ
    く割に、そのイメージはあまりに不気味で得体が知れない。厚生省や環境庁な
    どがその実態解明に向けての調査を開始していることは伝わってくるが、具体
    的な健康への影響が明らかになっていないだけに、わが身の問題として語られ
    た言葉という感じがしない。コンビニ世代が、「カップ麺の容器から環境ホル
    モン」というニュースに敏感に反応して、発泡スチロール製容器のカップ麺の
    消費が減り、メーカーはすかさず紙容器の製品に移行するという話、対象物が
    身近であればあるほど、反応が加速されることの典型ではないだろうか。
     「奪われし未来」の発売以来、国内でも「内分泌撹乱作用」を持つ化学物質
    への対応が行政レベルでスタートし始めたわけだが、この問題をインターネッ
    トを通じて調べてきた僕から見ると、どうにも腑に落ちないものがある。それ
    は「環境ホルモンとしての農薬」の扱いについてなのだ。海外の環境NPOの
    メンバーたちが、暮らしの中の内分泌撹乱化学物質としての農薬情報をつぶさ
    に公開しているにも係わらず、国内のマスコミ報道も含めて、どうも「環境ホ
    ルモン農薬」の視点が日本の環境ホルモン問題から欠落している感じがする。
    孤軍奮闘とでもいうべきか、国内NPOで先駆的活動を続けてきている「反農
    薬東京グループ」が真正面からこの問題に取り組んでいる。当の農業界はとい
    えば、知ってか知らずか、まったくの黙りを決め込んでいる。農林水産省が十
    年をかけての環境ホルモンの調査を開始したが、十年という期間で内泌撹乱物
    質リストのどの物質にターゲットを当てているのだろうか。農薬散布の場に身
    を曝し続けている農民に、「十年という時間、黙って待っていろ」とでも言う
    つもりなのだろうか。
     反農薬東京グループの情報誌「てんとう虫情報」(年間購読料3千円)に連
    載されていた河村宏さんの「農薬と環境ホルモン」が、同グループの手によっ
    て冊子にまとめられ刊行されている。その中に、「不活性成分も毒性データ提
    出を」という一節がある。農薬というと、ついついその有効成分に目が行きが
    ちだが、実際には有効成分量は数パーセント〜数十パーセント、残りが界面活
    性剤や有機溶媒等の不活性成分で占められている。農薬登録制度ででは、有効
    成分についての毒性試験データによって登録が行われているが、不活性成分に
    ついてはほとんどデータが公開されていない。ベトナム戦争で使用された枯れ
    葉剤で問題となったダイオキシンは、除草剤「2,4,5−T」の中にわずか
    数十ppmの割合で含まれていた不純物成分だったという。当たり前のように
    使用れさている農薬ではあるが、ピコグラムオーダーでの作用が懸念されてい
    る内分泌撹乱毒性からすれば、現行使用されている農薬はまさにブラックボッ
    クスと言ってもいいのではなかろうか。
     私自身、農業に従事するようになって二十年近くなるのだが、農薬毒性につ
    いての啓蒙活動が農業生産の現場でほとんどなされない姿は、いっこうに変わ
    る気配がない。登録農薬であることが、「安全」の証しでもあるかのように使
    用され、ラベルに書かれた毒性・魚毒性の表示以外に、その農薬が持つ毒性を
    知るすべがないのが実際なのだ。もちろん、現行使用されている「環境ホルモ
    ン農薬」にしても、自分たちが使用している農薬に「内分泌撹乱毒性」の疑い
    があることする知らない農民がほとんどという現状、それはとりもなおさずあ
    まりに貧困な毒性情報と農民自身を含めた意識の低さに他ならない。もちろん、
    内分泌撹乱作用については、まだ研究が始まったばかりという現実はあるかも
    しれないが、環境ホルモンリストに掲げられる化学物質は、まったく当て推量
    でリストされていくわけではない。国内外の研究報告からその疑いが指摘され
    た化学物質ばかりなのだ。その中に、多数の農薬成分がリストされていること
    の重みを農業界は深刻に受けとめねばならないはずなのだ。
     ところが、現行の農産物生産、特に市場流通をターゲットにした生産団地化
    された農法においては、栽培技術体系の基本的要素として「農薬使用」がマニュ
    アル化されている。育種段階から、市場評価の高い特性をメインに育種が行わ
    れる結果、耐病害虫特性がある程度犠牲にされ、それを補うかたちでの農薬使
    用が栽培技術体系の中に組み込まれてしまうわけだ。特に、夏場の湿潤な気候
    が特徴の日本では、病害虫の発生は不可避ともいえ、さらに多収を目指す密植
    栽培がその発生を助長する。生産者の生産努力が、生産性向上という評価によっ
    て生産者価格を下げられていく価格システムでは、その所得低下をさらに生産
    性向上で補おうとする循環が生まれる。多収を目指すために、そして、少ない
    労働力で効率よく栽培を行うために、農薬の使用が欠かせなくなってしまって
    いるわけだ。
     古くは、レイチェル・カーソンによる「沈黙の春」、そしてテオ・コルボー
    ン女史らによる「奪われし未来」、農薬をめぐる警告を人々はその時代、時代
    にどう受けとめてきたのだろうか。農業者の中で、「奪われし未来」を果たし
    てどのくらいの人が読んだかは分からないが、この本の出版が行政の重い腰を
    動かしたことは間違いない。しかしながら、行政が内分泌撹乱物質に対する規
    制を手がけるのはまだまだ先の話と言わざるを得ない。始まったのは、あくま
    で「毒性評価基準づくりのための基礎研究」に過ぎないのだ。仮に、ある「農
    薬」が将来、環境ホルモン毒性を持つことが分かり、その使用を禁止されたと
    しても、規制が始まるまでの間は「登録農薬」として使用し続けられることと
    なる。一体、それまでの間、農薬に曝露しつづける農民とその家族、作物残留
    の影響を受けるかもしれない消費者の健康はどうなるのか、残念ながら誰も責
    任を負えそうにない。もちろん、最大の被害者は内分泌撹乱毒性を受けてしま
    う次世代の子供たちということになってしまう。
     では、私たちはそうした事態を手をこまねいて見ているだけなのか、それで
    いいのか。何かできる手だてはないのだろうか。これこそが、今回のテーマで
    もある。まず一つ、生産者諸君、農業者は次世代に不安が生まれるような農畜
    産物を作るために百姓をやっているはずはない。さらに、農薬の影響を最も被
    るのは他ならぬ自分たち自身なのだ。最低限、どの農薬に環境ホルモンとして
    の疑いがあるのか、真っ先に知らされてしかるべきなのだ。ひょっとすると、
    その影響は流産の多発という形で現れているかもしれない。けれども、誰もそ
    れを調べてはくれない。環境ホルモン農薬の中には、現在、基幹農薬として使
    用を推奨されているものすらある。こんな現実に立ち向かうには、怒りをもっ
    て学習しようではないか。農薬使用を当前のように是認し、それが使えなくな
    る事態を新たな農薬の登場に委ね続けてきた試験研究機関にもの言おうではな
    いか。そして、将来に禍根を残さぬためにも、「疑わしき環境ホルモン農薬」
    の使用を控えよう。もちろん、基幹農薬の中にも「疑わしき農薬」は存在する。
    現実的に代替策がとれないのなら、その使用を減らし、その旨を消費者に知ら
    せよう。そして、自らの努力で「環境ホルモン農薬」という食と農にとっての
    脅威を克服する手だてを考えよう。大規模生産が本当に正しい選択だったのか、
    生産性向上、国際競争力という外圧、内圧の為すがままに操られてきた結果、
    農村はどう変わってしまったのか。環境ホルモン農薬を考えることは、今日の
    農業のあり方そのものを考えることと同じではないだろうか。
     そしてもう一つ、消費者の方々、農業生産者はあなたたちの消費行動によっ
    て生計を立て、そして営農を行っていることの意味を真剣に考えて下さい。食
    の危機は、もちろん生存の危機を意味するわけで、あなたたちが「ノー」と言
    わなければ、「環境ホルモン農薬」問題は根本解決しません。これまでは、安
    い輸入農産物の経済的恩恵には浴してきたことでしょうけれど、その結果とし
    て国内農業は「農村」社会の土台から崩壊し、「生き残り」の代償に「環境ホ
    ルモン農薬」使用の素地を生み出してしまいました。アレルギーの増加、子供
    たちの行動異常、若者たちの精子減少、乳ガン、子宮内膜症の増加などなど、
    これら内分泌撹乱化学物質の関与が疑われている健康問題の原点はやはり食べ
    物にありそうです。リサイクル社会は、何もプラスチックや金属、紙などに限っ
    たものではなく、広い意味で「農業生産者への支援が、安全、安心の農畜産物
    をもたらす」、どうか環境ホルモン農薬問題をそんな視点からも考えてみて下
    さい。
     最後に、試験研究機関、大学研究者の方々、これまでも「農薬問題」は幾度
    も議論の的となる機会があったわけで、総じて現実是認の雰囲気が農薬登録制
    度とあいまって、この問題を当たらず触らずにしてきたのではと感じる。いか
    がお考えだろうか。航空機や原発では、常に「フェイルセーフ」を第一に設計
    が行われている。立ち返って、農産物栽培技術体系において、果たしてどの程
    度「安全を確保するためにガード機能」が組み込まれてきただろうか。農薬暦
    という「農薬使用マニュアル」は作られているが、それを使わない場合の技術
    体系が十分に用意されてきただろうか。もちろん、研究予算確保の問題もある
    だろうが、なぜに「有機農業」がかけ声の割に定着してこないのか、その一因
    は必ずしも外部要因ばかりではないような気がするのだ。さらにつけ加えるな
    ら、本来、環境ホルモンとしての農薬問題を率先して取り上げるべきは、あな
    たたち試験研究機関の方々であって欲しい。。
    
                       COPY RIGHT 1998    Seiji.Hotta
    

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