OMPのコラムでトーク バックナンバー

  「環境とリプロダクティブ・ヘルス」 1998.01.16
     一月十一日、帯広市内の北海道ホテルを会場にして、綿貫礼子さんの講演会
    が行われた。綿貫さんと僕との出会いは、昨年、僕がダイオキシン問題をイン
    ターネットを使って調べ始めた頃、O大学の生協の書棚で見つけた「ダイオキ
    シン汚染のすべて」(技術と人間社)に始まる。この本は、化学者の河村宏さ
    んと綿貫礼子さんの手となるダイオキシン問題の学習書であり、この本の初版
    が出版されたのは1984年のことだった。ダイオキシン問題が、ここ一年の間
    ににわかにクローズアップされてきたかのような印象を持つ人もたくさんいらっ
    しゃるかもしれないが、綿貫さんたちの警鐘は1980年代より、すでに発せられ
    ていたわけだ。チェルノブイリ支援を続けている知人の紹介で、綿貫さんに講
    演のお願いをしたのは昨年の五月の事だった。
     綿貫さんの講演会には、子育てをされている女性が多数参加下さり、「子供
    たちの未来−ダイオキシン汚染がもたらすもの」という演題の講演に真剣に耳
    を傾けて下さった。綿貫さんのお話の中で、とても印象的だったのは「環境と
    いうものは、体の外ばかりではなく、体の中にもある」という言葉だった。体
    の中の環境、それは次の世代の命が育まれる環境でもある。ダイオキシンをは
    じめとする内分泌撹乱物質(環境ホルモン)は、私たちの健康ばかりか、次の
    世代の生存、さらにその次の世代の生存にまでも悪影響を及ぼす。僕たちは、
    ついつい健康というものを自分自身の生存環境として考えてしまいがちではな
    いだろうか。綿貫さんが提唱される「リプロダクティブ・ヘルス」には、物質
    文明社会が陥ってしまいがちな自己中心的生命観をハッとさせるような、生命
    の本質が見事に貫かれているような気がする。この言葉に心を照らした時、今
    の「農業」とはいったい何なのだろうか。「食の安全」という言葉を口にする
    自分たちに、いったいどれだけ「リプロダクティブ・ヘルス」という言葉の重
    みがあったろうか。綿貫さんと上野千鶴子さんの編著でもる「リプロダクティ
    ブ・ヘルスと環境−友に生きる世界へ」(工作舎)の中に、世界保健機構の定
    義が紹介されている。
    
     「リプロダクティブ・ヘルスとは、生殖システムおよびその機能とプロセス
    に係わるすべての事象において、身体的、精神的、社会的に良好な状態(well-
    being)にあることを指す。たんに病気や病的状態にないということだけではな
    い」
    
    僕たちは、同時代に生を受けている人間同士、あるいは野生生物、生態系での
    「共生」には思いを巡らすが、命の本質でもある生命の連続性、すなわち世代
    とそれが育むこれからの世代との「共生」について、どれだけ関心を払ってい
    るだろうか。綿貫さんがおっしゃる「内なる環境」の持つ意味はあまりに大き
    い。
     こんな話も伺うことができた。リプロダクティブ・ヘルスを理解するにあたっ
    ての歴史的教訓、水俣病。チッソが海洋投棄を行ったメチル水銀、この水銀汚
    染が魚介類に生物濃縮され、水俣病の悲劇を生んだ。母親の体に入った水銀は、
    胎盤を介して、あるいは母乳を介して、子供たちに脳性麻痺という十字架を背
    負わせてしまった。ここまでは、僕たちが伝え聞いていたところだが、綿貫さ
    んは現地の女性たちに直接話を伺いながら、この環境汚染の本質に迫った。あ
    る女性は、七回の妊娠をし、汚染前の子供たちに水俣病の症状はなかった。胎
    児性水俣病のお子さんが誕生し、汚染が現実のものとなってしまった。その後、
    数回の流産、その後に誕生したお子さんは水俣病ではなかった。。体内に蓄積
    した水銀は、胎盤を通じて、あるいは母乳を通じて母親の体から我が子に移っ
    ていく。その度に、母親の体から水銀が減っていく。わが子の成長を願って与
    えた母乳が、我が子の未来を脅かしていくことの残酷さ。ダイオキシン汚染の
    本質をここに見てとれる。ベトナムの枯葉剤作戦、イタリアのセベソでの農薬
    工場爆発事件、残念なことに良識を欠いた一部科学はこれらの尊い教訓を歴史
    の上で封印しようとしてきたという。ダイオキシン毒性の評価にあたって、生
    殖毒性を厳しく見ることができないのは、こうした歴史的な教訓にひたすら背
    をむけざるを得ない「何か」があるためではなかろうか。
     生命系を脅かす「内分泌撹乱物質」、食と農に携わる一人として、「リプロ
    ダクティブ・ヘルス」という視座は、まさに目から鱗という気がする。その前
    では、ポストハーベストも有機野菜も、単なる脇役に過ぎない。それがなかな
    か見えてこないところに、使っては捨て、食い散らかし、燃やしまくる文明の
    落とし穴があるんじゃないだろうか。綿貫さんにお目にかかって、「共に生き
    る」ことの新たな意味を分けていただいたような気がするのだ。綿貫さん、あ
    りがとう!!
    
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