「ダイオキシン−情報過疎の飽食列島」 1997.02.03
ダイオキシンについて、アメリカでの情報源をいろいろとあたってみて、こ
の汚染問題が決して他人事ではいられない現実にあることが日を追って分かっ
てきた。と同時に、先のコラムで述べたように、日本国内での公開された情報
源の少なさには、先進工業国の中で最も食料自給率が低いにも関わらず、ただ
ひたすら食料輸入を拡大しつづける国なりの民度に通ずるものを感じてしまう。
ダイオキシンがどういう性質の物質であり、どんなところで発生し、どんな毒
性がどの程度の量で問題となるのか、こんな基本的な事が知らされていないの
だから、関心を持つきっかけすら生まれてこない。こんな状況を例え話しにし
てみると、念願かなって新築住宅をやっと手に入れ、「これこそ文化生活だ」
と悦に浸っていた矢先、見かけ上は立派だった家の土台がシロアリに食われて
ボロボロになっていて、気が付いた時には手の施しようがない状態だった、こ
んな感じだろうか。悦に浸れる「情報」は、瞬く間に国内を駆けめぐるが、そ
うじゃない情報はシロアリのごとくじっと身を潜めている。僕たちは、裸の王
様にされているのかもしれない。
アメリカのダイオキシンニュースソースを当たっていると、「女性の危険:
ダイオキシンとタンポン中のレーヨン」という記事があった。塩素漂白された
パルプを原料とするレーヨンに含まれるダイオキシンが、その製品であるタン
ポンからも検出されたという記事である。ダイオキシンが人体に与える影響が
基礎知識として少しでもあれば、こうした記事の持つ意味も分かってくる。ダ
イオキシンの毒性には、催奇形性や生殖毒性があり、長期間ダイオキシン暴露
されると子宮内膜症を引き起こすことが知られている。女性がその生涯に使用
する生理用品は11,000個という推算からしても、たとえ微量であっても、ダ
イオキシンに曝される危険性は決して小さくはない。
過日、ダイオキシンについての講演を伺った帯広畜産大学の中野先生の研究
室を訪ねた。その際、ダイオキシン問題がなぜ難しいのかという興味深いお話
を伺うことができた。ダイオキシンは、甚だしく微量で毒性を発揮する毒物な
のだが、その微量さが検出にとって厄介な問題なのだそうだ。つまり、微量で
もダイオキシンを検出できる分析装置がなければ、ダイオキシンの存在を知る
ことができない。一千兆分の一グラムを検出できる分析機関、しかも信頼でき
るところは20にも満たない状態なのだそうだ。産業廃棄物処理場立地にあた
り、業者が安全性の保証のために添付する分析結果でも、実際にはダイオキシ
ンを検出できない装置で行った結果を元に、「ダイオキシンは検出されません」
とするケースもあるという。正しくは、「検出されません」ではなく、「検出
することができない分析装置での検査です」ということだ。
それにしても、農産物などの内外価格差については非常に敏感に反応する日
本なのに、自らの健康をひたひたと蝕みつつあるダイオキシンについての情報
がほとんど国内的に関心を呼ばない原因とはいったい何だろうか。鎖国は遠の
昔の話と思っていたが、日本語と英語圏の間には、まだまだ鎖国の壁があるよ
うに思えてならないし、政治、経済、娯楽についてはニュースとして知らされ、
それ以外はあたかもフィルターでもかかっているかのような感じさえする。世
界中の穀物をガツガツ食いまくる姿は、あたかも狭いケージの押し込められて、
ひたすら卵を生みまくるだけの鶏のようにも見えてくる。大地を駆け回って、
自然の恵みをついばむ鶏になるためには、餌を与えられる暮らしから一日も早
く抜け出すことじゃないだろうか。
パソコン通信の延長でインターネットに繋がった僕だったが、昨年来の狂牛
病のニュースソース検索やO-157病原性大腸菌情報を探していくうちに、イン
ターネットの使い方が僕なりに見えてきた。と同時に、ダイオキシンという人
間活動の悪しき所産がもたらしはじめた脅威が、大腸菌やプリオン蛋白といっ
たミクロの世界からの人間社会への反乱と重なって見えてくるのだ。地球温暖
化といっても、都市生活者にとっては「お天気が最近よくないわね」くらいで
終わるかもしれない。農業をやっている身としては、その影響なのかどうかは
はっきりしないものの、ここ10年の間の気象変動の大きさと農作物栽培への影
響には言い知れぬ不安を感じる。人間は、直接的にわが身に危険が及ばぬうち
は、あたかも遠い世界の話としてでしか物を見ることができないのかもしれな
い。であるから、食料の国内自給率が三割を切っても平然としていられるので
はないだろうか。
一つ言えることは、ダイオキシンという人間の経済活動が生み出した猛毒物
が、食物連鎖という動物が逃れることのできない生存のメカニズムを通じて、
最終的に我々の体内に蓄積していくという事実だ。いかに脳天気でいようとも、
よその世界の出来事と思っていようとも、着実に体内に入り込んでくる。そし
て時期を見計らったかのように、いかんなく毒性を人間に畳み掛けてくる。
残念ながら、日本においてはまだまだダイオキシンの汚染についての情報が
不足している。僕が海外からの情報に接してみて感じるのは、もうすでにダイ
オキシンはかなりのレベルで僕たちの体内に蓄積されてきているんじゃないか
ということだ。その一つの目安として、母乳中に含まれるダイオキシン濃度を
計ってみるという手段がある。疫学的には、催奇形性という特質による異常出
産や奇形児の出生率の経年変化、地域性から統計的に見るという方法もあるだ
ろう。ただこの場合、催奇形性をもつと考えられる他の化学物質、特に食品添
加物の影響も考えられるわけで、やはり一番確実なのは母乳中のダイオキシン
濃度を計るという方法だろう。それから、身の回りの食品、水、土壌などに含
まれるダイオキシン濃度、すでに環境庁は環境汚染物質汚染実態調査を開始し
ている。では、自分たちはただ手をこまねいて結果が出てくるのを待ちわびる
だけしかできないのか。答えは、ノーだ。
まず、今できることは、どんな汚染状態にあろうと、それを現実の問題とし
て直視する覚悟を持つこと。いたずらに不安がってみても、現実から逃れるこ
とはできないのだし、現状をしっかりと自覚し、この状態をいかに良い方向へ
もっていけるかを考え、行動していく。やるべき事はたくさんあるのだ。まず、
僕たちの回りにはほとんどダイオキシンに関する情報が見つからない。であれ
ば、僕たちにできる方法でダイオキシンに関する情報を集め、そしてみんなが
見られるかたちで提供しあうことはできないだろうか。幸いにして、アメリカ
やヨーロッパのインターネットのwwwサイトにははるかに充実した情報が提
供されている。まずは、ダイオキシンの事についてみんなで理解しあおうでは
ないか。
次には、ダイオキシン対策の先進国に学んで、身の回りでできるダイオキシ
ンを発生させないライフスタイルを実践していくことだ。すでに、ドイツでは
4年前からこの取り組みが始められていて、目に見えるかたちで効果を確認し
ているという。プラスチック、ビニール製品は極力燃やさないこと。それから、
徹底したリサイクルを行うこと。ゴミを少しでも減らす暮らしをすること。ダ
イオキシンをこれ以上、生み出さないことが次の世代を担う子供たちへのなに
よりの贈り物になるのだから。
それから、食べ物がどう生産されるかについて、関心を強く持つこと。国内
ばかりじゃなく、農産物が戦略物資とまで言われるようになっている時代では、
価格競争に勝ち抜くために、いかに低コストで省力化しながら農畜産物を生産
していくかが生き残りの鍵とまで言われている。そこで生み出される農産物は、
確かに「安い」かもしれない。でも、「安い」ことと「食べ物として大事なこ
と」は必ずしも一致しない。特に、ダイオキシンが環境汚染物質として問題と
なってきた歴史的経過を見ていくと、農薬中に混入してくる不純物としてのダ
イオキシンの存在という「史実」に行き当たる。ベトナムの枯葉作戦で使われ
たのは「2,4−D」と呼ばれる除草剤だったし、その中に含まれていたのが
ダイオキシンだったのだし。
ダイオキシンという物質を理解していくことは、実は私たち人間が文化的な
生活と思いこんできた暮らし(もちろん、食生活も含めての話だが)、その一
方で見過ごしたり、ないがしろにしてきたツケの大きさ、重さを身をもって感
じていくことではないかと思うのだ。この問題は、もちろん僕一人がどうこう
言ってみてどうにかなる問題ではないけれど、せっかく利用できるインターネッ
ト、このツールをもって僕と一緒にダイオキシン問題に関心をもってくれる人
が出てきてくれることを心待ちにしたいと思う。「ストップ ザ ダイオキシ
ン!」、まずは、ダイオキシンについての情報源情報を確立しようじゃないで
すか。そして、身の回りの食と農に関心を持つ人たちのネットワークを作って
いきましょう。ダイオキシンを少しでも出さない暮らしを身近なところから始
めましょう。それが、次の世代の子供たちへの僕たちの責任だと思うんだ。
COPY RIGHT 1997 Seiji.Hotta
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