「ダイオキシン−食と農のこれから」 1996.12.06
ダイオキシン、この化学物質は史上最強の毒物とも言われ、ベトナム戦争に
おいてアメリカ軍が行った枯葉作戦、その影響が大きく取り上げられた二重体
児ベトちゃん、ドクちゃんでご存じの方もいらっしゃるだろう。このダイオキ
シンが、よその国の話ではないというショッキングな事実を最近になって知っ
た。今、帯広市郊外、八千代牧場という十勝を訪れる方たちがいかにも十勝ら
しさを感じることができる地域のすぐ隣に、民間業者の手となる産業廃棄物処
理施設の建設が計画されている。ここはちょうど日高山脈の麓にもあたり、周
辺には酪農、畑作地帯が開けている他、隣町を流れる美生川の水源地域直近で
もある。ここに産業廃棄物処理施設が建設されることによって、どんな事態が
発生するのか、地元農業青年らが中心となって産業廃棄物処理施設の問題点や
環境汚染化学物質であるダイオキシンなどについての学習会が地域の幅広い世
代の参加のもとに行われている。この学習会で、帯広畜産大学の中野教授がダ
イオキシンについての講演をされたのだが、その中で母乳中のダイオキシン濃
度が日本は世界のトップクラスにあるという現状を指摘下さった。ダイオキシ
ン類とは、有機塩素化合物の製造過程や産業廃棄物の熱を伴う処理の過程で生
まれてくる物質で、化学的にはポリ塩化ジベンゾパラジオキシン及びポリ塩化
ジベンゾフランのことを言う。カミネ油症で食品汚染問題を引き起こしたポリ
塩化ビフェニール(PCB)も構造的に類似したハロゲン化芳香族炭化水素で
ある。ダイオキシン類の中でも、特に毒性が高いのが、2,3,7,8-テトラクロロ
-パラ-ジオキシン(TCDD)と呼ばれる物質である。最初に付いている
「2,3,7,8」という数字は、亀の甲としてお馴染みの化学式を持ったベンゼン環
のどの位置に塩素が結合しているかを表す数字である。一般的に、ポリエチレ
ン等の炭化水素化合物に塩素がくっつくと、硬さが増して強度が高まる。ビニー
ルよりも塩化ビニールの方が丈夫なのでおわかりだろう。その一方、塩素原子
はある時には殺菌作用を持ちながら、ある時には毒性を発揮する物質で大きな
役割を演ずる。澱粉とか糖などの炭化水素構造をもった物質は微生物が分解で
きるが、塩素が入り込むと微生物が容易に分解できない、つまり腐らない物質
が生まれてしまう。ちょっと話が横道にそれてしまった。ダイオキシンという
物質はちょうど亀の甲が二つ並んで、その二つのベンゼン環を二つの酸素がつ
ないでいる形をしている。六角形の縁のうち、二カ所が酸素原子を仲立ちして
結ばれているので、塩素原子が結びつく箇所は八カ所あることになる。2,3,7,8
-TCDDとは、そのうちの二番目、三番目、七番目、八番目の位置に塩素がくっ
ついたダイオキシンということになる。この物質は、有機塩素系農薬の製造の
過程でも生成し、殺菌剤、殺虫剤、除草剤の中にもこの物質を微量含むものが
知られている。農家の方なら、VC、プリマージ、MCP、PCPなどの農薬
名をご存じの方もいらっしゃると思うが、これらの農薬にはダイオキシン含有
農薬とされている。この中で、プリマージはすでに製造中止となっている除草
剤だ。この農薬が手に入らなくなった時、多くの農家は効き目の高いこの農薬
が使えなくなることを非常に残念がったがこの農薬にダイオキシンが含まれて
いることなど知るよしもなかったし、それを知らずに長年農薬散布を行ってい
たわけだ。噴霧された霧状の薬剤は、風向きが変わると容赦なく散布を行って
いる本人に降りかかってくるし、防除マスクごしにでも思わず咳込むほどの刺
激を受けながら、この農薬を使っていたものである。今でも、この農薬の効き
目を惜しむ農民は少なくないだろうが、ダイオキシンを含む農薬であったこと
をどれだけの人が知っていることだろう。
ダイオキシン類、とりわけ2,3,7,8-TCDDのどこが人間にとって脅威なの
か、ダイオキシンについての知識を得る手だてが身の回りにほとんどといって
いいほどない状態では、「怖さ」の自覚もしようがない。にもかかわらず、こ
の物質は自然界で分解されることなく、食物連鎖というメカニズムによって人
間の体に入ってくる。たとえ微量であっても、一度体内にとりこまれると、そ
の排泄は長く、消失半減期が1年から10年とされる。発ガン性、催奇形性など
の毒性が高く、何よりも微量で作用する点に注目せねばならない。微量濃度を
表す単位のオーダーは、次のレベルで表される。
ppm 百万分の一 mg/kg キログラム当たりミリグラム
ppb 十億分の一 μg/kg キログラム当たりマイクログラム
ppt 一兆分の一 ng/kg キログラム当たりナノグラム
ppq 千兆分の一 pg/kg キログラム当たりピコグラム
よく環境汚染物質の濃度指標として用いられる「ピーピーエム」とは、一リッ
トル中に何ミリグラム含まれているかという単位なわけだ。ピーピーエムの千
分の一の濃度単位が「ピーピービー」、つまり一リットル(あるいは一キログ
ラム)あたり何マイクログラム含まれているかという単位。その千分の一の濃
度単位が「ピーピーティ」、一リットル当たり何ナノグラムかというレベル。
日本の母乳中のダイオキシンの汚染レベルというのは、数十pptというレベ
ルに達しており、世界でもトップクラスという。そして、今年の六月に厚生省
の「ダイオキシンのリスクアセスメントに関する研究班」がまとめた中間報告
で提案された耐容一日摂取量(健康影響の観点から、一生涯摂取しても、一日
当たりこの量までの摂取が耐容される量)は、十ピコグラム/kg/dayと
いう量だった。この量は、最も毒性の高い2,3,7,8-TCDDの量に換算された
値で、仮にその毒性が2,3,7,8-TCDDの十分の一のダイオキシン類であれば、
実際の摂取量の十分の一の量が換算値となり、各種のダイオキシン類ごとに数
値(毒性の程度)が決められている。一日当たり、体重一キログラム当たり十
ピコグラム(2,3,7,8-TCDD等量)までは、ダイオキシン類を体内に取り込
んでも健康に害はないという値なわけだ。学習会の資料によると、初産婦では、
1979〜1984年の平均で乳児のダイオキシンの一日の摂取量は、231ピコグラ
ム/kg体重/日となるとのことだった。早計に取り違えないでいただきたいの
は、毒性に基づく2,3,7,8-TCDD等量値に換算を要する必要があるというこ
とだ。しかも、赤ちゃんとて日々体重が増加していくわけで、成長とともに耐
容摂取量も体重にかけ算した値までは許容されていくわけだ。それを勘案して、
赤ちゃんが母乳から取り込んでいるダイオキシン類の量をどうみるか、である。
母乳で現在、育児をされているお母さんたち、どう判断されるだろうか。ダイ
オキシンという物質が、人間の産業活動の結果として生み出されてくる分解が
非常に困難な物質であり、ごく微量で毒性を発揮するというところまでは、ご
理解願えただろうか。
ダイオキシンの発生源は、有機塩素系の化学物質が生産されるプラント、例
えば塩素を大量に用いるパルプ工場、それから産業廃棄物の焼却場、車の排気
ガスなどとされている。また、ポリエチレン製品などが多量に焼却される病院
の焼却施設なども大きな発生源とされている。専門家の指摘によれば、こうし
た汚染物質排出に対する対策がまったく講じられていない小中学校や病院など
の焼却場の問題の方が深刻かもしれないとも言われている。その他、家畜の糞
尿処理も場合によっては大きな汚染源となっているそうだ。家畜の糞尿は、堆
肥として微生物に分解されて土に還っていく分には問題はないのだが、最近は
処理コストの問題から安易に焼却されるケースが増えているという。焼却によっ
てダイオキシンは発生する。こうして発生したダイオキシン類は、降雨によっ
て大地に降り注ぎ、ある時は作物に移行し、家畜の体内で濃縮されていく。あ
る時は、川を流れ下って、沿岸の海草に取り込まれ、それを餌とする魚介類に
生体濃縮されていく。魚介類のダイオキシン濃度を調べてみると、遠洋の魚介
類よりも沿岸で漁獲されたものの方がおよそ二倍ダイオキシン濃度が高いとい
う指摘がなされている(市販魚)。
買い物かごに必ずと言っていいほど入ってくる発泡スチロールトレイ、日常
製品の中に溢れかえっているプラスチック、分別回収され、リサイクルされる
分にはダイオキシンが生じる量は少ないけれども、まっすぐ焼却場に入ってし
まえば、ダイオキシンは必ず環境中に放出される。しかも、それはめぐり巡っ
て食べ物を通じて自分たちの体に戻ってくるわけだ。微生物でも分解できない
厄介な化学物質、今の農業とて決して被害者ばかりとは言えない。ダイオキシ
ンがごく微量混入している除草剤が未だに使用されている国もあれば、有機塩
素系農薬を使用した作物の収穫残査を簡便に焼却してしまうのも、これまた農
民なのだ。しかも、年々農業用ビニールの消費量は増えてきているし、それは
もちろん作物を少しでも有利に販売せんがための、いわば背に腹かえられぬ選
択でもあるわけだ。ビニールマルチ用のポリエチレンフィルムにしても、その
処理のほとんどは廃棄か焼却に回されている。まだまだリサイクルされている
とは言いがたい。国産の農産物はポストハーベストの心配がない、もちろんそ
れは当然ではあるが、ダイオキシン類という厄介な汚染物質を通して見ると、
決して安心でいられる生産環境にないことが見えてくる。食品添加物やポスト
ハーベストばかりが問題ではないのだ。ところが農村人口が減少し、農産物を
生産する環境が農薬を含めた有機塩素化合物を多量に使用せざるをえない状況
に追い込まれ、それでも再生産のためにコストを切り詰めねばならない。では、
どうすれば現実問題として、母乳中のダイオキシン濃度を下げていけるのか、
すくすくと眠っている赤ちゃんのじっくりと見つめながら、ぜひ考えていただ
きたいのだ。キーワードは、やはりリサイクルに尽きる感じがする。日本の輸
入穀物は、世界貿易において小麦で五パーセント、大豆十五パーセント、トウ
モロコシに至っては実に二十六パーセントを占めているのだ。それら穀物が、
めぐり巡って日本人の胃袋に消えていく。もちろん、その過程で産業活動の結
果発生するダイオキシン類が生物濃縮というプロセスを経て取り込まれてくる。
排泄された食べ物は、いったい何処に行くのか。こんな現状をしっかり見つめ
もしないで、「有機栽培、有機農産物」とないものねだりをする、しちゃいけ
ないとまでは言わないけれども、それを求める以上は「有機」は何によって成
り立つものなのかをプロセスを追って見つめ直してしてただきたいのだ。
ダイオキシン問題は、今後継続的に学習を続けていくつもりである。インター
ネットといえども、残念ながら国内で入手できる情報は実に少ない。これほど
深刻な汚染実態になりながら、肝心の情報源、あるいは情報源情報までもほと
んどないというのは、あまりに悲しい現実ではないだろうか。その点、アメリ
カやヨーロッパ諸国は、食料自給率が高いにも関わらず、ダイオキシン汚染対
策に関心が高いし、情報源もかなりある。僕のホームページリンク集にもダイ
オキシン関連情報サイトを掲げてあるので、できれば一緒に学習してくれる方
の挙手をお待ちしたい。無闇にパニックに陥ることなく、ありのままの現実を
冷静に受けとめ、それをどう克服していけるかを手を携えあって考え、行動し
ていくこと、これこそがまさに「食と農のネットワーク」だと思うのだ。
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