シチュエーションにより言葉を使い分ける

 突然だが、オタクがどうしてオタクなのかわかるだろうか?その道の専門家はオタクとは言わないのに、その両者を隔てるものは何か?


 境界線はいろいろあるのだけど、私にわかる範囲でいえば……たとえば基本的にいって悪い意味のオタクは、TPOで使う言葉を分けられないという問題点を持っている。

 基本的に近年のアキバ系ってやつを除けば一般的にオタクはバックグラウンドとなる知識量が多い。なぜなら、オタク趣味というのは本来膨大な知識を必要とするもので、そのために常にバックグラウンドの整備を怠らないからだ。

 たとえば、とある物語で『たんぽぽ娘』の引用があるとする。それだけなら「へぇ」なんだけど、これに気づくにはどれだけの知識が必要だろうか?当然ロバート・F・ヤングの同作は読み下さなくてはならないし、引用に気づくためにはただ読み飛ばすだけではだめだ。ついでにいうと同作品は絶版で古書店を探すか、公開されている米語の全編を翻訳しつつ読むしかない。

 なんとなくイメージがわかってもらえただろうか?オタクという生き物がどうして知識を必要とするのか。

 一部の萌えオタク連中はどうか知らないが、一般にオタクという人種は博識であるのが当然である。無知を「知らねえよ」で放置し既知に変えない者は決してオタクになる事はできないし、かりにそんな者がオタクを自称していれば間違いなく鼻で笑われるだろう。

 しかし当然だが一般の人はそうではない。

 気のいい会社の同僚たちとの世間話で250年未来からきた女の子の引用などしても当然その意味はわからない。相手の知らない引用をして勝てるのはお互いが知識人の場合のみであり、相手が一般人なら変人扱いが関の山であろう。

 だからこそキーワードを切り替えなくてはならない。内原富手夫(ないばらふてお)についての話をしたいのなら、クトゥルー系か菊池ファンを見つけなさいということだ。何も知らない一般人相手に「クトゥルーっていうのはね……」なんて説明を華麗にしても当人は知らないし興味もないわけなので、そりゃあ変人扱いされるか嫌われる事になるわけだ。