女性視点の『萌え』

『萌え』によくある勘違い

 萌え(Moe)というのは日本発の言葉だが、いまやTurn-ons等いくつかの言葉に翻訳されロリコン(lolicon)と共に全世界に広がりつつある単語のひとつと言えるだろう。私はこの言葉があまり好きではないのだけど、まぁ広がっちゃってるんだから仕方ない。

 ところで、世の中では萌えというと美少女とかそっちのことだと勘違いしている向きが結構あるが、もちろんこれは根本的に間違いである。そもそも萌えってのは簡単にいうと「 魂がほとばしるほどに愛しい 」とでもいうべき言葉だ。よって 車とか飛行機とか、美少女どころか生物ですらないものにも当然それは及ぶ。「ホンダ単気筒エンジン激萌えっす〜(´д`)」なんて事がありうるんである。まぁ1二次元コンプレックスがどういうものかも理解せずにアキバ進出とやらをやらかす連中が煽っているのだからこの勘違いはいささか仕方のないところではあるが、ここでひとつ困ったことがある。そう、もし対象が美少女であるならば、女には萌えはないんかいということだ。

 結論からいえば、そんな馬鹿な話はない。むしろショタという言葉が示すように、萌えまくっているのは男より女かもしれない。

女性視点というものに触れるには

 もちろん女性視点での『萌え』は男とはかなり目線が違うわけだが、それを私は知る機会がない。理由は簡単で、つまるところ私は男で女の萌え話になど混じれるわけがないからだ。

 ところがネットではちょっと話が違った。

 経過の説明などしても意味がないからざっくり省略するが、私は「おばさん」として認知された事がある。それは狙った結果ではなく誤解の産物以外の何者でもないのだが、気づいたときにはとてもじゃないが撤回などできない状況になってしまっていた。非常に困った経験ではあったのだけど、二度と得られぬ貴重な体験だったのも事実だろう。

 なにしろ、そこにあったのはまさに見知らぬ異境以外の何者でもなかったのだから。ちょっとだけ触れてみる事にする。

女性視点の萌え、いろいろ

 萌え自体は男女変わりなく存在する。しかし共通語として「萌え」が使われてはいるものの、共通の認識を体験できているかどうかはもちろん不明である。これは萌えに限った事ではなく、性的要素を含むイメージ全てに言える事だと思われる。

 男の美少女趣味同様に女にも美少年趣味がある。これはペドフィリア的美少年趣味を表現すると思われる言葉「ショタ」の語源が故横山光輝氏の漫画『鉄人28号』の正太郎少年である事からも伺えるように古く、また性的要素と母性的要素の境界が曖昧なため非常に古く根元的である。多様性については不明である。

 ちょっと、男から見て異様に見えるユニークなものを書いてみよう。

血管
血管萌え。この見知らぬ言葉をはじめて聞いた時には意味が全くわからなかったのを覚えているが、なんと男の腕などに浮きでる血管に萌えているわけだ。脂肪分に覆われている女性に萌える男ではかなり珍しい部類の趣味だと思うが、逆なら当然のように多いわけだ。実際『血管()え』でぐぐると腐るほどひっかかる。
筋肉
普段はあくまで優男系のいい男で、しかし力をこめると……というのがよさげらしい。血管と組み合わせる趣向もわりと一般的?平素からムキムキってのはダメらしい。

 筋肉というと有名なバカゲー『超兄貴』がある。あれが大好きという女性ライターの記事を過去に見たことがあるが、その論調はゲテモノ的だった。まぁ推測なのだけど、おそらく筋肉ダルマというのは現代日本女性の美観的にフィットしないのだろう。「オス」を強く感じるかもしれないが悪趣味すぎる、ということかもしれない。あくまでイロモノなのだと思われる。

 血管についてはじめて聞いた時は正直「キモい」と思った。だが一歩下がれば男の主張する萌えが女にとってキモいのも当然なのだろうと思われる。そもそもフェティシズムとはそういうもので、ある人物にとって 禿げあがるほどに愛しい ものであっても他者にとってはまったく逆に不愉快さをもたらすものだ。それは当サイトの裏で主題にしているTS(男が女になったり女が男になったりするネタ一般)にも言える事でもある。

 余談になるが、フェティシズムに対して「キモいからやめろ」という人物がしばしば存在するがその行動は逆効果といえる。熱狂的フェティシストに対してその言葉は人格の否定そのものに等しい。それは強い反感を抱かせるだけに終わる愚かな行為である。堅実な大人であれば「そういう趣味もあるんだな。まぁ俺とは関係ねえや」と見なかった事にするのがベストではないにしろベターであると考える。

結び

 いつも思うのだが、性差に関するテーマは実に面白い。なにしろ常にそれは新鮮で「そこでそうなるのか!」と驚かされる事しきりなのだから。

 さあ、あなたも目を向けてみよう(ぉぃ


1.『二次元コンプレックス』:簡単にいうと絵やイラストの異性に憧憬を抱く性癖である。大抵はナボコフが『ロリータ』で描いた主人公ハンバートのように異性観の分裂が起きているようだ。つまりリアルの異性への愛情はそのままに、二次元の異性をも愛してしまうというもの。しかし三次元に興味のない重度の者はそれほど多くはなく、大抵は一種の知的ゲームとして、かつて銀幕のスターに惚れ込んだ者たちのように実体のないキャラクタたちを愛する事を楽しんでいるようだ。

 あたりまえの話だがゲームにルール違反は興醒めでしかない。ゆえに三次元を持ち込むメイド喫茶については異端視、白眼視、あるいは無視というスタンスを決め込む者も少なくない。彼らの視点から見ればゲームというのは全力全開で楽しむからこそ心底楽しめるものであり、所詮ゲームであると半端な態度をとる者は素人かよそ者という事になろう。