ステレオは決してラジカセに勝てない

(本編は、ただのたわごとです。すみません^^;)

 「 ステレオは決してラジカセに勝てない 」これ私の持論です。たぶん小学生の頃には既にこう思ってました。

 当時の世の中、ラジオ雑誌やオーディオ雑誌は高級ステレオや大電力型の「自称ラジカセ」の花盛り。まだラジカセ自体が出たばかりの黎明期だったのでしょう。今思えば「 それでラジカセを自称する意味あるの? 」と首をかしげてしまうような「ポータブルオーディオ」がたくさんあったのを記憶しています。
 だけど、 どんな高級ステレオもチープなラジカセに決して勝てない。なぜならその素晴らしいサウンドは決してオーディオルームから持ち出せないからだ
 音楽とは狭い部屋に押し込むものではない、そう思っていた私は、雑誌の「音質偏重すぎる巨大ラジカセ礼賛」記事にいつも首をかしげていたのでした。
 そしてしばらくしてそれは現実となった。そう、SONY WALKMANの登場です。
 ラジカセとは違うこのデバイスはソニー社内の音楽マニアのスタッフがきっかけだったと聞いてます。1小さな事務用テレコを改造してステレオヘッドホンをつなぎ、持ち歩いていた彼を企画担当がおもしろがり、触らせてもらって「こりゃいける」と思ったのが企画のはじまりだったとか。
 当初これらは高価だった。でも量産が進み世代交代が続くうち、それはチープなラジカセと同じくらいの速さで安価になり、ついには学生のお小遣いでも余裕で買えるようになっていったのです。
 こうして巷に音楽があふれた。誰しも好きな音楽を持ち歩けるようになったわけです。

 時は流れ、世はパソコンの時代。私はまたモバイルで同じ問題にぶつかりました。
 確かにパソコンは素晴らしい。しかし持ち出せないデスクトップは当然外で使えないわけです。駅の乗り換え案内やグルメ情報を自宅で見ても仕方ない。それは外で、その場で見たい。そうでしょう?
 しかし正直私の経済力ではノートパソコンは高すぎ、買えたとしても気軽に使う事はできない。かといって携帯電話で見られる情報はどうしても制限される。どうにもならないなぁとためいきをついたものです。
 しかし今にきて、ネットブックやスマートフォンの台頭だ。今もW-ZERO3のユーザではありますが「ああ、やっとこさ真のコンピューティングの入り口にきたかな」と強く感じています。

 居間に据え付けた立派なパソコン。確かに素晴らしいけど、このチープなWindows Mobile機の代わりすらもできないのです。世界中でiPhoneやスマートフォンが売れている理由は何か?簡単です。性能や用途が制限されるとはいえ、コンピュータを道具として生活の中で使えるからだ。音楽を聞く、地図を見る、コミュニケーションをとる。
 いつも私は口をすっぱくして言うのだけど、 一般人が欲しいのは居間に据え付けた高級マシンではない。むしろ性能は二の次で、どこでも使える方がはるかに価値がある のです。これはいつの世も絶対の原則なのです。日本の携帯電話はまさにその生きた証拠と言えます。
 この小さくまだ原始的なデバイスたちは、まだまだ伸びる。おそらくは今いちど、いや二度も三度も世界を変える可能性すら秘めているのでしょう。

 もっとも、持ち出せるパワーには限度がある。これからも省電力化とバッテリー持続力の改良は進むでしょうけど、性能と携帯性のバーターだけはどうしようもない宿命だからです。たとえディスプレイをサングラスに押し込むなり、思考コントロールと網膜投影を使うなりの究極進化があったとしても、そして電力を生体電流に由来させるような根本的改革があったとしても、それでもなおこの問題はつきまとう。
 これらの解決は、インドアに残る立派なコンピュータたちが果たすのでしょう。メディアセンターしかり、電算機室のマシンしかりです。これらがバックエンドとなり様々なサービスを持ち歩く小さなデバイスに与える。今実際にそうなりつつありますが、おそらく最終的にコンシューマの基本はこの種のデバイスとなり、汎用のデスクトップは計算力や汎用性を最大限に欲する人、あるいは可搬性を犠牲にしても広大な作業領域を欲する人のマシンとなるのでしょう。
 うむ、先がすごく楽しみです :D

 以上、秋の夜長のたわごとでした。ご精読ありがとうございました。:)

 


1.初代ウォークマンはそのスタッフ改造テレコの外観までもそのまま受け継いでます^^ 当時のオーディオ雑誌に特集されていたのを、よくおぼえてます。