ソフトウェア界最大の重鎮、Richard M, Stallmanが提唱したソフトウェアのカタチ。
ごく簡単にいうと「誰でも自由に使い、改造し、再配布してかまわない」ソフトのことをフリーソフトウェアと言う。ソフトウェアを全人類の共有財産と考える。改造の自由も保証されているのでソースコードも配布されており、ユーザーはそれをいつでも入手し、自由に改造し再配布することもできる。
(注: 日本でWindows用などのソフトで知られる『フリーソフト』という言葉は「自由に使える」だけなのでフリーソフトウェアではありません。また俗にいう『オープンソース』という奴は再配布や改造の自由までは認めない事があり、これもフリーソフトウェアに含めません)
1誰でも自由に使うことができる。何をしてもかまわない。どういじろうと好きにしていい。どこの国、どういう存在であろうとその使用を規制されない。しかもお金もかからない。
唯一の規制は「その自由を奪ってはならない」ことである。たとえ作者であっても一度フリー・ソフトウェアとして公開したものはフリー・ソフトウェアとしての制約を受けると徹底している。
だがこれこそ「自由であり続ける」ために必要なことである。誰もが使えるという事は同時に、第三者が勝手に成果だけちゃっかり盗める事も意味する。だから「盗んでもいいが、そうして作った派生物も全てフリーソフトウェアとして公開しなくてはならない」ことを義務づけてある。そうする事により誰もがメリットを得、誰もが貢献できるというカタチを作り上げている。
なお、類似の考え方のライセンスはBSDなど数種類ある。これらは商用との共存を認めるか等の細かい点で考え方が異なるのだが、フリーソフトウェアのために提示されているGPLライセンスはその中でもかなり強硬かつ過激な部類に属すると思われる。
1. 時々勘違いする人がいますが、たとえば凶悪犯や反人道的行為をする人でもフリーソフトウェアを使えないわけではありません。「誰でも使える」という言葉に例外はなく、