北海道ウタリ協会様似支部、様似民族文化保存会 部長、 熊谷 カネ
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[台湾先住民族と交流して]
台湾に行くと決まってから、パスポートの申請、お土産に持っていく、マタンブシ作り
など、大騒ぎのうちに年を越し、あっというまにその日が来てしまいました。朝5時に家
を出て、夕方4時半過ぎ機内から眼下に望む台湾の田園風景はやはり北海道とは全く違う
ものでした。台北東門教会に着き牧師である、ヨハネ先生より台湾原住民の歴史の説明を
受けました。原住民は20以上の部族がいる、彼等は自分たちは原住民ではないかと思っ
ていますが、自らの文化を失っているのであります、私はブヌン族の一人として来ました
、300年前に祖先が教えてくれた言葉は「統治者の言葉を信じるな」と云うこと、しか
し乍ら文化を失った者たちは、統治者の言葉を受け入れてしまったのであります、まだま
だ沢山のことを話して下さいましたが、中でも私の心に残った重い言葉は、貴方たちがア
イヌ語で答えてくれるなら、私は貴方たちをアイヌ民族と認めますと云われたことでした
。 そして2日目、新竹聖経学院での山音団契の若い方々と昼食をいただきながらの交流
では、ほんの2時間位でしたが、若い女性たちは涙を流して別れを惜しんでくれ、私達も
別れがたい思いでした。夕方着いた村では、村中の方々が迎えてくれて、老人会、婦人会
、青年会の方々の踊りを次々と見せて下さったうえに、最後は部族の方々も、アイヌの私
達もみんな一緒に輪になり、時間を忘れるほどの交流を持つことが出来ました。
この村にはいろんな部族の人が住んでおり、アミ族の婦人が機械を使って美しい織物を
作っておりましたが、アイヌのアツシ織機とほとんど同じなのでどこの民族も考えること
は似たような者なんだな、と思われたのでした。次の日訪れたブヌン族の村では、村の婦
人の方々の素晴らしい、ハーモニーには、すっごーい、素晴らしいしか言葉もなくて、知
っている人みんなに聞かせて上げたいと思ったのは私だけではないと思います。
ホームステイでお世話になった「任」さんは、熱心なクリスチャンで、神についてのお
話や、日本軍が統治していた時代に、キリスト教徒であるために、日本人にひどい目にあ
わされた話しなど、聞いていて恐い位に熱っぽく話してくれました。
次の日お世話になった家の奥さんはふっくらとした笑顔のとても親しみやすい奥さんで
、片言の日本語で気を使ってくれるのが嬉しくて、私はお正月に商店のクジですくった新
品の5円玉をお土産にと差し出しましたところ大変喜んでくれて、衣装の袖に縫い付けた
日本の古い硬貨を見せてくれたのです、どこの村え行っても日本から来た「アイヌ」だと
いうことで、とても懐かしそうに親しみを持って話しかけてくれますし、50代以上の人
は日本語が話せますので言葉の不自由はなかったのですが、その分部族の方たちと身振り
手振りでも交えて話すことがなかったのが、残念だったのかナー と思います。
そして、自分たちとは違う文化に触れたことで、自分たちの文化をもっと多く一つでも
多く身に付けなければと、あらためて思わされた旅でした。