「いまどきのおばさん」の野望

 私の書くものにはどうも「フェミニズム」が透けて見えるようです。ある時期から自分でも自覚しておりました。まあ、田嶋センセイの足元にも及ばないような中途半端なもので、世の殿方を目の敵にするような勇ましさもありませんが、逆に机上の空論や全くの感情論ではなく、冷静に観察された実体験に基づいている分説得力はなかなかのものだ、と多くの方々からおホメいただきましたっ(自慢)。大体が「オンナはこんなにタイヘンだ」ということを、どう分かりやすくかみ砕いて説明しても、所詮は出来損ないのY遺伝子を持つ「男」という(おバカな)生き物には理解できません。理解してくれているように見えるのは男性が「女の話に付き合うのはめんどうくさいから、とりあえず分かったふりをしてこの場はお茶を濁してとっととパチンコしに行こうっと」と、ここは自分が一枚上手にならねば、なんつー勘違いもはなはだしい猿知恵を働かせているからで、その証拠にヤツの返事は、

「はいはい」

「”はい”は一回。短くはっきりと!」と母親や学校の先生にさんざん言われたにもかかわらず、

「は〜いはい、ワカリマシタ」

 とタメ息までまざっています。
 こんな、30過ぎても頭の中味は小学生という低レベルな輩と不毛な戦いを繰り返すより、現実をちょっとおおげさに脚色して脅しをかけ、驚愕している相手のスキにつけ込んでさっさとこちら側に取り込んでしまったほうが賢いというものでしょう。あつよさん、今日は機嫌が悪いのか少々表現が過激ですね。一体何があったんでしょうか?
 最近では結婚が決まったばかりで、目がハート型に変形し緩んだ口元からよだれや鼻歌(結婚行進曲だったりする)が流れっぱなしという色々な意味でオメデタイ男性に対し、なんと同性の友人が「まあ読んでみろや」と私のHPを紹介する、という明らかに嫉妬まじりのおせっかい(親切とも言う)(いやがらせとも言う)にもご利用いただいているようで、ありがとうございます。

 さて、アップして2年余、運悪く私のHPに迷いこんでしまったごく一部の男性に少なからずショックを与えた(しめしめ)「母は強し」に見るおばさん像は、いわゆる「全体的に丸みを帯びたシルエット、垂れた乳と尻、太くたくましい二の腕(他の部分はともかく、ここだけはどうにもならん)、ナスビやカボチャのアップリケがセンスよく施されたチェックのエプロンの下に西友もしくはダイエーのプレタポルテ、子供を前と後ろに乗せ、あまつさえ3人目をおんぶし、その上さらにスーパーの買い物袋を両ハンドルに引っかけて絶妙なバランスを取りつつ夕暮れ時の駅前通りを疾走するおばチャリ」という、マンガに出てきそうなイメージとは少々趣を違えています。彼女は少なくとも「家庭に入って子供を育てる」という現状にいつまでも甘んじてはいません。子供を産んで少々、いやかなりたくましく(特に二の腕が)はなっていますが、おのおのがそれぞれ楽しめる趣味を持ち、外見にもそこそこ気を遣い、社会的な活動や自分の将来なども積極的に考えています。母になった分そのパワーは大きく、見方によってはどあつかましいように見えるかもしれませんが、確かに前向きではあります。実際のところ我々の年代(昭和30年代後半〜40年代前半生まれ)の女性はこういった「おばさん」になる場合が多いと言えます。そして彼女達は10年経っても、20年経っても、おそらく前述したような「前時代的おばさん」にはならないであろうと考えられます。
 ここでちょっと考えてみてください。「おばさんパーマ」に象徴される前時代的おばさんは50代を中心とした年齢層に明らかに存在しています。なぜそんな目も当てられない「おばさん」になってしまうのか。長いこと専業主婦だったから?子供を産んだから?年を食ってしまったから?太ってしまったのを機に女を放棄したから?もちろんそういう要因も関係しているのは確かでしょうが、なによりもまずあらゆる面で「余裕がなかったから」ではないでしょうか。現実に髪の毛を振り乱してかっぽう着のまま一日を過ごしていた20年前のお母さんたちは忙しかった。家計を切り盛りし、子を産み育て、老人の介護をし、もちろん炊事洗濯掃除。その頃のお父さんは家のことなど手伝ってはくれませんでした。仕事が忙しくて家にいないのですから仕方がない。家電用品がそこそこ普及していたとは言え、自分の時間などなかったに違いありません。老人を一人ずつ看取り、子供たちにも手がかからなくなり、ふと気付くと40代半ばでからっぽのくたびれた自分がいる。長年の生活習慣によって彼女は不可逆的に前述したような典型的おばさんになってしまっています。お金と時間と気持ちに少しでも余裕があったのなら、美しく年を取り、かつ内面も充実した熟年女性になれたのかも知れません。そう考えてみると今の時代、昔に比べればなんだかんだ言っても随分と余裕がありますね。気持ちの余裕、に関してはまた違った意味で現代の方が厳しい、という指摘も出来るのですが、少なくともお金と時間にはいくらか余裕があるはずです。そしてこの余裕が前述した「前向きな生き方」と相まって新たなおばさん像を産みだしました。もう「オバタリアン」は少数派。代わりに台頭してきた新種が「キレイなおばさん」です。

 さて、この「キレイなおばさん」はその名の通り「キレイ」です。とりあえず外見が。キレイなので本人は自分をおばさんではない、と錯覚しているかもしれませんが、 いくら時代が変わっても「おばさん」という概念が消える訳ではありませんね。それにいくらキレイでも独身の女性と子供を産んだ女性はどうしても違っている。どこが?と改めて考えるとその違いを言葉で的確に表現するのは非常に困難なのですが、子供を連れてなくても「この人お母さんだな」とひとめで、なんとなくあるいは明らかにわかりますね。強いていえば「オーラが違う」ということになるでしょうか。神様は子供という素晴しい宝を授けるのと引き替えに「何か」を彼女から奪っていったという訳です。おお、我ながらいい例えじゃん。
 今まで自分は子供を産んだけれど、ウエストは58センチだし、髪の毛も意地張ってロングのままだし、家計を切り詰めてデザイナーズ着てるし、絶対に絶対に絶対に絶対に絶対に絶対に、おばさんには見えないはず、と勘違いしていた方々も無駄ナ抵抗ハヤメナサイ。武器(58センチ)ヲ捨テテ投降シナサイ。いくらキレイでもおばさんはおばさん。妻となり、母となれば皆「おばさん」なのっ。あなたもわたしももうとっくの昔に「おばさん」になってるのっっ。もう「おばさん」の定義がひと昔前とは違うんだっつーのに「おばさんくさくならないように気をつけている」なんて無自覚なことをおっしゃってー。「おばさん」なのに。「自分で自分を”おばさん”なんて言っちゃうようじゃおしまいヨネー」なんてずうずうしいこと甚だしい。そのずうずうしいところがすでに「おばさん」じゃないですか。ねえ。ということで、あなたもおばさん。はい、これでおばさん人口がまた増えましたね、うっしっし。

 さてこの「キレイなおばさん」は、外見的にまだまだ「イケてる」(うわあはずかしい。もう古いんだろうなあ、この表現)と自覚しています。客観的にも体型はスマートだし、洋服のセンスもよろしい。ジーパンもまだまだ似合う。「子供2人産んだにしてはおキレイな」という感じですね。妊娠中に付いた贅肉がきちんと落ち、「補正下着」という大変高価で窮屈なものを装着したりもして、独身時代と変わらないスリムで均整の取れたプロポーションをアピールしている。もちろんバッチリ化粧もします。20代のお母さん達は今だにコギャルみたいな眉毛を描いたりして、それがまた似合っている。いますね、こういうおばさん(しつこいぞ)。おばさんのくせに一人で歩いているとナンパされちゃったりするんですよ。うらやましい話ではないですか。
 え?べつにうらやましくないもーん?またまたぁ、素直じゃないなあ。女なら誰だって「キレイなおばさん」を目指しているはずなのに。そう、普段特別意識はしてないけれど、女性雑誌の「もうおばさんなんて言わせない!ここで差がつく、5才若く見られるメーク」なんて特集記事を読んだとたん、即、眉毛の手入れをしたことある人〜、ほらほら、ここにもそこにもあそこにも、うじゃうじゃいるではないですか。
 そう、キレイになりたいのは女性のサガなのです。おばさんだって例外ではありません。しかし毎日毎日家事育児をこなした上でどんな時でもスキなくキレイにしているのは想像以上に難しい。仕事をしていると化粧やファッションに気を遣わざるを得ないため必然的に「キレイなおばさん」になっている場合が多くありますが、専業主婦でキレイなおばさんになるのは本当に気合いがいります。なりたいのはヤマヤマですが、めんどくさい。「キレイになりたいなあ」と思いつつも、ついつい寝癖のついた髪を、帽子をかぶるというおしゃれと言えなくもない行為でごまかし、かろうじて眉毛だけは描いて、しかしエプロンをしたままジャケットをはおり、子供を保育所に送り、コンビニに寄って卵と牛乳を買って帰宅してから、トレーナーがきみどり色で、エプロンが赤のギンガムチェックで、ジャケットがうすムラサキであることに気付くという、そんで「しまった」と思ったその0.001秒後には「まあいいか、どうせ私のことなんか誰も見てないし」と気を取り直してしまう、そういうおばさんな毎日を過ごしてしているんですよね、みんな、ねっっっっ!!(強く同意を求める)

 さて、このように「いまどきのおばさん」は全員「キレイなおばさん」を希望もしくは熱望してはいるのですが、「キレイなおばさん」になるにはまずその「体型」が最重要課題であるため、この時点であえなく玉砕してしまう方も多い訳ですね、当然。どうあがいても子供を産み、乳を分泌して育てれば絶望的に体型が崩れます。産後子育ての合間をみて、一生懸命腹筋や背筋や大胸筋や上腕二頭筋やヒラメ筋を鍛えている(ヒラメ筋は鍛えないか)にもかかわらず、贅肉の勢力は衰えを知らずむしろ拡大しているようにさえ思える、ということになると「このままがんばっても単に”筋力のあるデブ”になるだけじゃん」と筋トレは自然にフェードアウト。地道に続ければ効果があったかもしれないのにやめてしまう。その後もダンナに背後からいきなり「ぶにょっ」とウエストの肉を掴まれ、無言でその場を立ち去られたりして、「ちくしょ〜、こうなったのは誰のせいだと思ってんだようっっっ!!」と頭に来たのをきっかけにあれこれダイエットを試みるのだけれど、どれもこれも続けないものだから一向に痩せない。こりゃ誰のせいでもありません。最初のうちは「痩せてから着よう」なんて9号の服を買ったりしたものですが、産後1年以上経っているのに体型が戻らないとなるともう自分で自分を騙すのは難しい。じきにあきらめて13号の服を買うようになります。こういう方は一見謙虚に「もうおばさんだから」と自分の位置を決め、そそくさと守りに入っちゃいます。子供を健全に育て、ダンナが少々浮気をしようが離婚など考えません。9号の服は一度も着ないままフリーマーケットに出しちゃう。クラシックおばさんに非常に近いように見える。
 しかし「いまどきのおばさん」を侮ってはいけません。彼女は内心で「いつか痩せてやる」と往生際の悪いことを考えています。絶対にです。ダイエットをひそかに実行している方もかなりいます。こたつでテレビを観ながら甘いものをむさぼり食うその口で「痩せたいわね〜」なんて大真面目に言います。あきらめてません。試しに若い頃痩せていたのに子供を産んだら見るも無残に太っちゃったという女性に「もう一度やせようと思わないの?」と(聞けるものなら)聞いてみてください。「もうあきらめの境地に入っちゃったし〜」とにっこり笑ったその瞳の奥に「いつか痩せてやる」という執念の炎が燃え上がる様をかいま見ることができるはずです。その「いつか」はおそらく永久にこないのであろうことは想像に難くないのですが、そもそも女性という生き物は太ろうが乳が垂れようがナニがアレしようが、そう簡単に「女」を捨てたりしないものなのです。「生涯、一女性」というスローガンの下、「いまどきのおばさん」たちは心の中でシュプレヒコールを声高に繰り返しているのでした。

 今は忙しくて無理だけど、子供が大きくなったらキレイになるぞー!
 えいえい、おー!
 (今できない人は後になってもできない場合がほとんどですけどね)

 正月明けたらダイエットするぞー!
 えいえい、おー!
 (正月中にまず3キロ太るんですけどね)

 キレイになって、一度くらい若い男と浮気したいぞー!
 えいえい、おー!
 (痩せてキレイになってから考えましょうね、怖いから)

 誰か二の腕を細くする方法教えてください。
 もう一度ノースリーブを・・・(メラメラメラ)。

「母親失格!」目次へ

トップページへ戻る