え〜私はうそつきなので、きっとこれもうそだと思っている方もいらっしゃるでしょうが、私は獣医師の資格を持っています。本当です。神奈川県茅ヶ崎市の大変評判のいい動物病院で3年間、小動物臨床に携わっておりました。本当です。ですから、私のことを「先生」とお呼びになりたい方はどうぞ遠慮なさらずにそう呼んで下さって結構です。間違いじゃありませんから。「あつよ先生」ですね。
あっ、こら、誰ですか、カタカナで呼ぶ人は!「あつよセンセイ」じゃなんだかアヤシイじゃないですか。「専門は主に洗脳です」みたいになっちゃうでしょ。
あ〜〜〜っっっ、ダメダメダメッッ!!!「あつよセ・ン・セ・イ」なんて点を間にはさむんじゃあないっっっ!!そりゃまた意味が違っちゃうってのに〜〜!!え〜、ちょっと逆上してしまいましたが、そういう訳です。小動物臨床というのは、ご存じのように主に犬と猫を相手にします。実は私、小さい頃からずっと犬が苦手でした。家に凶悪な秋田犬(のちに保健所で処分)がいたのが原因です。今でこそ「頭頂骨ナデナデ」や「左前肢ニギニギ」くらいはお愛想として出来ますが、やっぱり「好き」とは言いきれないものがあります。「よくそんな人が小動物の獣医に」と思われるかもしれませんが、実は私、小さい頃からずっと、猫なら大好きだったのです。猫の為に獣医になったと言ってもぜんぜん過言ではありません。そもそも獣医を志す人間が「動物好き」ばかりとは限らないのですよ。実際、私の同級生には「動物がこわくてさわれない」という「あんたなんでココにいんの?」という人もいました。案外と「小さい頃から大の動物好き」いう人が臨床獣医師には向かなかったりします。もちろん人間同様、動物の生命だって尊いものに決まっていますし、動物を愛してやまない人が動物の病気や怪我の治療をする、というのは理想ですが、現実にはきれいごとばかり言っていたのでは仕事にならないのも確かです。もし今、これを読んでいる人の中で「動物が好きなので臨床獣医師になりたい」と考えている人がいたら、もう一度よく考えてみましょう。「理由のいかんを問わず、動物を自分の手で殺すのは絶対に耐えられないだろうし、死んでもやりたくない」という人は「動物愛護協会」とか「グリーンピース日本支部」へ行ったほうがきっとやりたいことが出来るのではないかと思います。もっとも獣医学科をでた人全部が臨床に行くわけじゃないですけどね。今はどうだか知りませんが、平成の初め頃は臨床に行くのはむしろ少数派で、半分くらいは公務員、あとは製薬会社の研究職や営業などが多かったように思います。あ、それと、わりと多かったのが「ネコアレルギーで小動物臨床を断念した」という人。こればかりは何をいくらがんばってもどうしようもないですもんね。結局獣医の資格を使わず、普通のOLしてる人もいます。
あ〜もう、すぐに話が逸れますね。これもオバサンの証明でしょうか。
さて、犬は嫌いだが、猫は大好きだったあつよセンセイ、いや、あつよ先生は、獣医師としての能力は別として、非常に私情を交えた診療をするので有名でした。平たくいえば「猫をヒイキする」らしいのです。猫が入院してくると、すぐ「自分の受け持ち」にしてしまい、入念な検査をし、手厚いケアを心がけ、勤務終了後も残って治療をしたりしました。休み時間に動物舎に行っているときはまず間違いなく猫のケージに顔をつっこんでいる。そんで何をしているかといえばただ単に「ナデナデ」や「ゴロゴロ」しているだけだったりするんですね。もちろん犬があまり好きではないからといって、犬が来るととたんに不機嫌になるとか、犬の時は聴診器を当てていても実はよく聴いていないとか、犬のレントゲンは「はいチーズ」とか言ってふざけて撮っているとか、犬の手術だと余分に切開した上に縫合が雑だとか、犬にガンの診断が下るとすぐ匙を投げちゃうとか、そういうことはありませんよ。妙に具体的なのでなんか「やってたな」みたいな誤解を招いてしまったかも知れませんが、犬の治療も無論、全力でやってました。ほ、本当です。ですから犬の治療にかける力を100とすると、猫には120の力をかけていた、ということになりましょう。いやこの場合、余分にかけていたのは力ではなくて「目」でした、と表現したほうが的確ですね。しかし茅ヶ崎という土地柄なのか、はたまた日本全体でもそうなのか、病院に来るのは残念ながら犬の方が多いのです。当然、イヤでも付き合わなくてはなりません。知ってのとおり犬には小さいのから大きいのまでさまざまな種類があり、全部ひとからげで「犬」ということになっていますが、まあよくここまでいろいろな性格があるものだ、と感心するくらいその種独特の気質、性格というものがはっきりしています。飼われている環境や飼い主の性格にももちろん影響は受けますが、持って生まれた天分にはやはりあらがえない。この部分が犬のかろうじて面白いところです。そこで「あつよによる”この犬がイヤだ”ベスト3」と題して、忘れられない犬たちとの思い出を語ってみようと思います。
え?なんで「好きな犬」じゃなくて「イヤな犬」なのかって?
はい、それはですね、「ヤなやつだと思っていたが、付き合ってみると案外と面白いやつだった」というのは人間界でもよくあることですが、「思っていたほどではなかったが、やっぱりヤなやつだった」というのもよくありますですね。私と犬との関係は後者でした。ですから、私が犬にランクをつけるとしたら、「100万円貰っても飼いたくない犬ベスト3」とか「できるだけ視界に入ってきて欲しくない犬ベスト3」ということになっちゃうわけですね。ちなみにかろうじて「好き」と言える犬は「雑種」です。いいヤツ多いですよね、実際。さてまずは下からいきましょうか、第3位は・・・(だらだらだらだらだら・・・ぱんぱかぱ〜ん)
シベリアンハスキー
です。佐々木倫子氏の「動物のお医者さん」の影響で、平成初期に大流行しました。明らかな偽物まで出回ったようです。新宿西口でシベリアンハスキーを2千円で売っていた、という目撃情報もありました。もともとは犬ゾリを引く犬です。さて、この犬のどこが嫌かというと、ひとことで言って「弱い」ところ。この犬は他の犬に比べてかなり病弱です。小犬の頃はずっと下痢をしています。下痢止めや抗生物質をやったって効きゃーしません。伝染病にもすぐかかる。治療してもあまりよくならずに結構あっさりと死んじゃったりします。治療の甲斐がない、というのは獣医師としてもっともつらいことです。当然、この犬に関してはどうもいい思い出がないなあ、ということになります。そんで結局、この犬キライ、となる。どうです、一分のスキもない見事な3段論法でしょう。
え?極寒のシベリアで過酷な労働に耐える犬がそんなに弱いわけないだろう、って?
そうです。この犬は寒いところの犬なのです。寒いところにはあまりバイキンがいません。寄生虫やウイルスだって寒いところのほうが断然少ない。そういうクリーンな環境に適応している犬をですね、ちょっと、いや、なかなか面白いマンガに載っていたからといって、高温多湿の日本に連れてきちゃう、というところがそもそも間違っているんですね。また、私が茅ヶ崎という非常に蒸し暑苦しい土地で獣医をしていた、ということも関係しているのかも知れません。よその獣医さんはこの犬に対してどんな印象を抱かれているかはわかりませんが、おそらくやはり「どうも弱い」と思われているのではないかと推察します。大体が、あのマンガは札幌が舞台です。チョビは北海道で飼われていたんです。ですから、作者に明確な落度はなかった、とは言えると思います。悪い(いや、別に悪くはないけど)のは関東以西でシベリアンハスキーに「チョビ」と名付けて飼っていた人々です。今では「ゴールデンレトリバー」(これも好きくない)に人気をすっかりさらわれてしまいましたが、これからぜひシベリアンハスキーを飼いたい、と思っているへそ曲がりさんへ一言。どこに住んでますか?東北以北なら許可します。
そんなわけで、顔は怖いけど虚弱体質のシベリアンハスキー、堂々ベスト3入り。おめでとう・・・じゃねえな。
さてそれでは次なる栄光、第2位は・・・(だらだらだらだらだら・・・ぱんぱかぱ〜ん)
シェットランドシープドッグ
です。全世界のシェルティーファンの皆様。ごめんなさい。私はこの犬もかなり嫌いです。
コリーの小さいやつで、本来は羊の群れを統率する犬ですね。これもかなり前ですが大流行しました。こいつはかなり賢いです。その場の雰囲気や、人の上下関係などをすばやく察知できるらしい。裏返せば「小ずるい」ということ。人の顔色を見るのに長けているわけです。あのちっこい目がいかにもずるそうでしょう?毛も長くて密なので手入れをしないととたんにこ汚くなります。耳の上のほうだけ中途半端にちょこん、と垂れていたりしてキモチワルイ。しっぽもなんだか妙にカサがあってとてもヘン。こうして脳裏にシェルティーの姿を思い浮かべていると、心の奥底に封印していたあの苦い思い出が、ああ、よみがえってきてしまう・・・それは私が「私情だけで仕事をする獣医師」として確固たる地位を築いた(どんな地位じゃ)臨床3年目のある日のことです。外耳炎の治療のため継続通院していた○川ラッキー君がいつものようにお母さん(飼い主の中には、こういう呼び方を好む方も多いです)と一緒にやってきました。(余談ですが、シェルティーにはこの「ラッキー」という名前を付けられているやつが妙に多かったです)このラッキー君は飼い主がそばにいると甘えやがって暴れるので、いつも治療中は飼い主の方に診療室の外で待ってもらっていました。その日は私が保定(治療しやすいように動物をおさえること。簡単なようで結構奥が深い)し、別な獣医が耳をのぞいたり、綿棒で薬をつけたりしていました。いつもは暴れる犬や猫に対しては「よ〜しよし、すぐ終わるからねえ、がまんしようねえ」とやさしくいなす(ちょっと嘘)のですが、その日は大きな手術でもあって疲れていたのか、あるいはたまたま魔が差したのでしょうか、私は保定しながらラッキー君の耳元で、こうささやいてしまったのです。
「やーい、お母さんがいないんでびびってやんの〜よわむし〜」
彼は横目で私の顔を、明らかに嫌悪を交えた表情で見ていました。私はそれに対し、さらにこう付け加えました。
「終わるまでお母さんは来ないんだよ〜〜ん」
彼は悔しそうでした。唇をかみしめて私の揶揄に耐えていました。獣医師という立場にあるものが、患畜の精神を徒に脅かすとは言語道断、と憤慨される向きもおありでしょうが、この○川ラッキー君に関して言えば、客観的に見てもイヤな犬です。飼い主が甘やかしているため、性格が悪い。人間と同じです。ちょっと虫の居所が悪かった「私情だけで仕事をする犬が好きではない獣医師」の私が少々からかうくらいはまあ許してくださいよ。もっとも「イヤなやつだからいじめていい」という理屈は当然通用しませんけど、まあ、ぶんなぐったりしたわけじゃありませんし。
程なくして治療が終わり、診療台からラッキー君を降ろし、受け付けカウンターから待合室を覗き込み、飼い主を呼ぼう、としたその瞬間、私の左足首に鈍い痛みが走りました。
「あれ?」とゆっくり視線を落とし、じんわりと違和感の残る足元を見ましたが、何かが足にぶつかったという訳でもないようです。周囲にも別に変わったことはありません。診察室の出口ではこっちの方を非常に気にしつつも必死で目線を合わせないようにしているラッキー君が「ドアが開いたら即座に飛び出すぞ!」という態勢でせわしなく足踏みをしています。
「なんだったんだろう?」と不審に思いつつも忙しい最中なのでズボンの上から痛みが走った部分をさすりつつ、「お大事に〜」とラッキー君を飼い主に返したのです。その後すぐ、奥の手術室でズボンのすそをまくって足首を見た、その瞬間、私は診療中だということも忘れて大声を上げてしまいました。
「や、やられたあああぁああ!!」
私のきゅっとしまった美しい足首にくっきりと犬の歯型が・・・ そう、彼は目にも止まらぬ早さで、私の足に噛みつき、その後すばやく出口まで行って素知らぬ顔をしていたのです。これは自分を小馬鹿にした人間への、明確かつ高度な「復讐」です。人間同様、賢くて性格の悪い犬は本当にタチが悪いんですってば。ああ、今思い出してもくやし涙が頬を伝ってしまいます。ぢぐじょう。
判決。○川ラッキー君1頭のせいで、シェルティー全体責任。イヤな犬、2位、決定。
さてそれでは輝ける第1位は・・・(だらだらだらだらだら・・・ぱんぱかぱ〜ん)
ビーグル
です。全世界のビーグルファンの皆様。ごめんなさい。私はこの犬が一番嫌いです。それもダントツに。
原因は学生時代にあります。大学にはこの犬がた〜〜〜くさん、いました。1年間ほぼ毎日、私はこの犬たちのお世話をさせていただきました。ご存じの方もいらっしゃると思いますが、この犬は実験動物として使われることが多いのです。それはなぜか。「個体差が小さく、均一な性質を持っている」からなのです。すなわち「みんな同じような性格体質」というわけですが、これが「かしこくて聞き分けがよくおとなしい」というのならいいのですが、揃いも揃って「声がバカでかくて食い意地が張っていて誰彼構わず飛びついて尻尾をそれこそちぎれんばかりにブ〜ンブンブンブンと振りまくる、おまけに耳が垂れているのでクサぁい、足の指の間もクサぁい」ときています。良く言えば「明るくて無邪気でおおらか」なのですが、犬嫌いの人というのは犬のこういう「ノー天気バカ」なところがイヤだ、という場合も多い。そして私のように犬がもともと好きではない人間が、こういうの何十匹と毎日顔を合わせていたら「好きになれ」と言うほうが無理でしょう。「ますます嫌いになった」という方が自然です。ですから私がこの犬を「だいっきらい」と公言してはばからないのも、ぜええええったい、どんなことがあっても、一生、この犬だけは飼わない、と心に決めているのも「不可抗力」と言えるでしょう。一種のトラウマです。しかたないの。だから怒らないでくださいね。ビーグルの飼い主様。
さて、次回のエッセイは「動物と私シリーズ第2弾」としまして「猫と私」そして以後「ウサギと私」「ハムスターと私」「カメと私」「ハンミョウと私」「プラナリアと私」「日本住血吸虫と私」「梅毒スピロヘータと私」「連鎖球菌と私」「小渕首相と私」と続きます。
え?オブチンて人間なの?大型齧歯類じゃないの?。