きのうぐんまのおじいちゃんとおばあちゃんとゆきこおねえちゃんがきたのでのぼりべつマリンパークとゆうところへみんなでいきました。もとこもいれると9にんもいました。おおきなさかながいました。ひとでにさわりました。おばあちゃんがにんぎょうをかってくれました。きょうこはあおいいるかでした。ひろこはぴんくのいるかでした。てっちゃんはごまちゃんでした。もとこはあかちゃんなのでなにもかいませんでした。らっこがいかをたべていました。ぺんぎんのあかちゃんがいました。あしかのショーをみんなでみました。おかあちゃんが「おかまってしってる?」といってきょうこは「しらない」といいました。それからおんせんにいきました。たのしかったです。
9月の半ば、とうちゃんの実家から両親と末の妹さん(とうちゃんには妹が2人います)が6月に生まれたアカンボの顔を見にやってきました。このメンバーに囲まれたとたん、私は自動的に「嫁」という存在になるわけで、普段非常にうじゃらけた生活をしている分、かなり気疲れしていまいます。まあウチのとうちゃん(なんせ私と結婚したくてしている)を育てた両親ですから、それほどきっちりしている人達ではないのですがやっぱりいつものように「朝ご飯は味噌汁と納豆だけ」とか「昼は出前のピザ」という訳にはいかないですからね。2泊3日で帰りましたが、その直後2歳の長男が熱を出し、手と足と口に赤いぽつぽつが出ていたので「なんだ季節はずれの手足口病か。まいったな保育所にしばらく預けられないな」と熱が下がっているのに家で一日中サルとしか思えない2歳児の相手をし、結局手足口病ではなくて「あー2日損した」とくやしがっていたら、ゴミ袋をとろうとした拍子に腰がぐきっとなってしまい、しばらく動けないはずなのにアカンボがいるので動かない訳にはいかず、でも腰は当然痛いのでアカンボをベビーベッドに寝かせたまま腰をかばいつつ母乳をやるという、人にこの姿を見られるなら死んだ方がましと一瞬思ってやっぱり死ぬこたあないだろうと考え直しちゃうくらいみっともない離れ技を編み出したりして、両親が来る前のとびひ騒ぎと合わせると半月以上もなんだかごたごたしていました。は〜、ちかれた。
さて、わが家の場合は現段階で家族だけ(父、母、6歳長女、4歳次女、猿、赤子)で「お出かけ」するのは無謀きわまりない行為としか言いようがなく、「ああ、今年はどこにも遊びに行けない」と残念に思っていたところに頼もしい助っ人が3人も来てくれたので「さあ、オムツ持ってお出かけお出かけ。どことどことどこ行く?え?天気?う〜んと、30%、よし、オッケイッッ!なに食べようか?どっか行きたいトコある?どこ泊まる?」と必要以上に張り切ってプランを練り、その割には遠出はやっぱり無理だということで、登別、支笏湖、千歳と家から車で2時間以内のごくシンプルなコースに決定しました。
そんなわけで、登別マリンパークなのでした。幻想的な水族館と、それとは対照的に俗っぽい(もちろんそう意図している訳ではないでしょうが)水棲動物園が売り物の、バブル最盛期に雨後の筍のように道内各地にポコポコと建設されたテーマパークのうちのひとつです。それでも新千歳空港から1時間もかからないという地の利のよさか、まあまあ人も入っているようでした。水族館を見終わってお昼を食べ、「さて、あとは何を見るかな」と入場した時にもらったタイムテーブルを検討しました。その結果、13:20からの「ラッコのお食事」を見物後、13:45の「アシカのショー」で締めくくる、ということになりました。
「ラッコのお食事」は当然お腹に石を乗せてサザエかなんかを「カンカンカン」とやる例のアレだろうと思っていましたが、係の人が放り投げた冷凍イカを薄汚れた3頭のラッコが「来た来た来た来たあああああああ」と泡食って追いかけ、それはそれは意地きたなく食べるという、要するに「なんだよゥ、単なる給餌じゃねえかよゥ」というものでした。
私の場合、子供が産まれて間もない頃の2、3時間おきの授乳だとか、子供らにいっぺんに熱を出されて一晩中看病するなんていう一般的な「育児における大変な部分」に対しては、すでに限界を超え無感覚となっているのか、ちっとも大変と思わないのですが、今だにダメなのがこういう「ほうら、かわいいねえ、ラッコさん、なにたべてるのかなあ、おいしそうだねえ」とにこやかに言わなければいけないシチュエーションです。いや、言わなくたって別にいいんです。いいんですけどもね、こういう明らかにつまらない見世物をわざわざ楽しみに見に行っちゃった場合、はずしたあ〜やられたあ〜と負けを認めるのはあまりにも喪失感が強すぎる。くやしい。それで、わざわざお出かけしてきてるんだから、せっかくだから(何が?)、と子供の目が好奇に輝くのを期待しつつ「あっっっ、ほうら、こっちに来たよお」なんて半分やけくそになって話しかけちゃうわけですよ、やっぱり。ほんでもってそういう時に限って子供って絶対に興味を示さないもんで、「・・・ふ〜ん」なんて醒めた顔で気のない返事をされたりして、思わず「・・・ってんめえ、このガキ」とお腹を痛めた我が子の胸ぐらをつかみたくなってしまう自分を自覚したりすると「ああ、子育てって大変だなあ」とつくづく思います。しかし「独身なのに子供の相手がそつなくできる」という器用な人も世の中には多数存在していて、保母さんや保父さんを自分の進路の候補に入れてたりするわけですが、こういう人は「あっ、ラッコさん、おねえちゃんにコンニチハ〜っていってるよ〜」なんてひとかけらも照れることなく言ってのけます。そしてとうちゃんの妹さんがまさにその類の人で、子供たちにあれこれと話しかけてくれたおかげでなんとかこの場を乗り切ることができたのでした。とっても気を遣っててくれたのでしょうね。多謝。さて、大変興味深かった「ラッコのお食事」も給餌係がカラのバケツを持って一礼し「こんだけで〜す、はい、おしま〜い」と立ち去りました。わが一行も妹さんの捨て身の一言「ラッコさん、バイバ〜イ」によって次の目的である「アシカのショー」を見るべく「アシカプール」へ移動しました。小さなプールの周りをかなり傾斜のきついすり鉢状の観客席が半円形に取り囲み、どの席からでもプールがよく見えるようになっていました。まだショーまで時間があるためか席はがら空きで子供らと客人は最上段のベンチに「大人、子供、大人、子供、大人、猿」という順番で座り、私ととうちゃんはその上の通路でアカンボのベビーカーを間に置いて手すりに寄りかかるという姿勢でショーを待っていました。私は猿を真ん中に座らせたほうが周りの人に迷惑がかからないんじゃないかなと思って周囲を見回しました。すると、前方斜め右下3メートル地点に、ええ、そうそう、いたんですよ。
ぶちゅ〜〜〜〜〜〜〜〜〜う
とね、10秒間にもおよぶチューをしていたんです、その2人は。「おお〜〜やってくれるう」とその2人に目を奪われていた私は、ある意外な事実に狂喜しました。いえね、明らかに男同士だったんです、その2人。都会ならそういう人を見る機会も多いでしょうが、田舎住まいの身にはこりゃもう実にめずらしいモンです。しかももうこれ以上はヤバイという位いちゃつきまくっている。片方は目つきがもう完っっ壁にイッちゃってて、くやしいことにセンスのいい女装スレスレの格好をした若い男。ていうかオカマ。もう片方はこちとら後ろ斜め上から見てるもんで、もうこりゃどうしようもなくはっきりと頭頂部が薄いのが見てとれちゃう30代半ばというところのおっさん御用達ポロシャツを着た男。ていうかホモ。もううれしくなっちゃって、とうちゃんに「あれあれ、あそこ!」と即座に教え、後ろから見ているという安心感に夫婦揃って子供の様な好奇にいきいきと輝く視線を彼らに容赦なく浴びせまくったのでした。幸い子供らの席から彼らは見えていないようで、相変わらず妹さんが「アシカさん、まだかな〜」と場をつないでくれていました。その後も彼らは何度も何度もぶっちゅう〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜ぶちゅぶちゅぶちゅ〜〜〜〜〜〜〜〜〜うとやりたい放題し放題です。観察していると女役の方は完全な確信犯で、時折自分の周りに挑戦的ななまめかしい目線を向け「ふふ〜ん、アタシたち、こおんなにアイシあってるのよん」と自信たっぷりに微笑んじゃあ、またぶちゅ〜〜〜う。ひどくうれしそうに男の耳たぶをこちょこちょ。あーあーあーあー。そのうちにショーの時間が近づき、場内はだんだんと混雑してきました。うれしいことに(あ、いや、不運なことに)彼らの真後ろに「おじいちゃん、おばあちゃん、おとうさん、おかあさん、子供2名」という家族連れが彼らの存在に気付かないまま「ほらほら、あやはじいちゃんと一緒に座んな、ひろきはこっちこっち」てな具合に和気あいあいと座ってしまったのです。「ひえ〜〜〜、教育上不適切な席に家族連れが座っちゃったよ〜、どうしようどうしよう」と異常に興奮する私でしたが、競馬意外では常に冷静さを保っているとうちゃんもめずらしく事の成り行きをうれしそうに見ていました。
しかし残念なことに(あ、いや、幸運なことに)その直後「は〜いみなさ〜ん!!今日は登別マリンパークへようこそ!」と妙に明るいアナウンスと共にショーが始まってしまったのです。彼らは一応「アシカショーを見に来た」らしく、それっきりいちゃつくこともなく、アシカの輪投げなんぞをそれなりに楽しんでいる様でした。私はショーの間もちらちらと彼らをチェックしていましたが、オカマの方は「うわあ、カーワイーイ」と肩をすくめてまさに「ニッコリ」のお手本のように微笑んだり、アシカの技が見事に決まり「はーい皆さん、ココちゃんに盛大な拍手をー」という場面では合わせた両手の先の方だけを顔の前で開けたり閉じたりする一種独特の拍手をしたりして、ま、ようするに一目でオカマとわかってしまうクネクネとした動作を存分に見せてくれたのでした。
さて、「ラッコのお食事」の100倍は面白かった(なんせきちんと仕込まれた芸ですからね。単なる捕食行動と比べちゃあいけません)このショーも15分ほどであっさり終わりました。ベビーカーがあるので、我々は他の人が出てしまうまでそのまま待っていました。当然私ととうちゃんは「彼ら」に目を向けます。立ち上がった2人はこちらの方に体を半分向けました。
な、なんと!!
私が「オカマ」と身も蓋もない表現をしていたその人物の胸部がふくらんでいるではありませんか!!!「なんだ、女じゃんよー」
とうちゃんが大変残念そうにつぶやきました。私はあまりの驚愕に口が開きっぱなしになっていたのでろくな相槌もうてず、そのままベビーカーを押して歩き始めたとうちゃんの後をなぜかがっくりと肩を落として付いていきました。
「なんで?どうして?そんなはずないのに・・・」それからしばらくの間、私の頭の中は無数のクエスチョンマークで埋め尽くされていましたが、程なくして「胸がふくらんでいる」イコール「女」では必ずしもないということに気付きました。そしてやっぱりあの人物は生物学的に男であるとの結論に確信を持って到達したのです。「だってねえ、あんな女はいないよ。あれはシリコン」
もしくは「ホルモン注射」であろう、と、すでにそのことに関して興味を失っているとうちゃんに力説し、さらに付け加えました。本当に女なら、あんなにクネクネする必要はないじゃん、と。
そう、あらためて考えてみると、もはや元祖であるはずの女の「クネクネ」ってなかなか見られなくなりました。なぜかって、必要なくなったからです。ふた昔ほど前には「クネクネ」の一種である「ブリッコ」というのがブラウン管の中のみならずそこら中にいたもんですが、今あんな態度をとったらまず間違いなくイジメに遭うでしょう。先にも書いた様にもう「クネクネ」して男に媚びる必要のない時代になってしまったわけです。テレビをみてください。「自然体」と表現される女性タレントや、パンツルックでガキ大将(これも見なくなりましたね)のように元気のいいジャリタレが女性のみならず男性の支持をも集めています。不自然に目を見開いたり声のトーンを上げてしゃべるのは、もはや「御法度」とさえ言えそうです。そして白昼堂々「クネクネ」して許されるのがオカマさんやニューハーフの方々だけということになってしまいました。そう考えるとあの方々は、見た目がいくら完璧な美女であっても「うふん」とか「いやん」などと身をくねらせて女たらんとすることが、むしろ「自分はぁ〜男でありまぁ〜す」と告白しているも同然の、すなわち逆効果となってしまっているわけですね。よく「本当の女より女らしい」などと言われていますが、あの方々特有の「クネクネ」に関してはもはや「女らしい」ではなく「オカマらしい」と表現するのが適確というものでしょう。気が付けば「女らしさ」自体が大きく変化してしまっているのです。
もちろん今この時代において、「クネクネ」が商売上必要である、という場合以外にも「クネクネ化」が許される場合があります。それは「恋人と2人きりの時」ですが、たとえ恋人と2人だけの時でも、今時の女性は別段「クネクネ」していないのではないでしょうか。たしかに男性も女性に「それ」を求めなくなってきました。ボクはキミのその、冷たくてそっけないところが好きなんだよ、というわけですね。アータ彼女になめられてるってこと、わかってます?「なんでアタシがアンタに媚びる必要があんの?」って、これが本音でしょう。そして古代から連綿と続く進化の過程において明らかなように、必要のなくなった器官は次第に退化していきます。そう、ふと気が付けば、元祖であるはずの女性の「クネクネ」はもはや絶滅の危機に瀕しているではありませんか。そしてこの由々しき事態を招いたのは他でもない、「いやなオトコと結婚するくらいなら独身の方がマシ」と堂々と宣言されてしまった、今や昔の権威は見る影もない、「男たち」であるというのは明確な事実でしょう。だって変なヤツばーーーーっかりなんだもんね。
まあ、「クネクネ」がなくなったって少なくとも私は痛くも痒くもないのですが、古きよき時代を知る一部のおじさんたちはこの事態を「まったくもって嘆かわしい」と思っているのかもしれません。え?だからどうした?
ええと、ですね。ですから、ま、傍からみれば「ホモだ、オカマだ」とうひゃうひゃ喜んでいただけかもしれませんが、結果的に「あたしゃーもう繁殖期終わったから関係ないけどさ、おにーちゃん方、こりゃちょっとやばいんじゃないの?イッヒッヒ」という結論が導き出されたわけで、何事も問題意識を持って見れば思わぬ真実に突き当たることもありますよ、と言いたかったんです。お時間をとらせてごめんなさい。ごめんなさいってば。