平成9年9月

ATSUYOと結婚した男

その1
 今を遡ること10年前、私は当時大学院の1年生でした。無口で、その上結構イイ男なので今までどうも近寄りがたかった一年後輩のA君と忘年会でなぜか意気投合し、それ以来急速に親しくなり、なんだかラブラブっぽくなってきた、微妙な時期のことです。
ある土曜日の夜、2人で「ねるとん紅鯨団」を観ていました。(知らない人は25歳以上の人に聞いてください)これに出演する男女は自己紹介で「理想のタイプ」を聞かれるのですが、「相原勇」とか「明石家さんま」などと身の程をわきまえた答えをする若者も多い一方、「ジョディ・フォスター」とか「トム・クルーズ」などと神をも恐れぬ発言をする奴らもいました。

ATSUYO「ねえ、A君の理想のタイプは?」
A君    「メジロラモーヌ・・・かな」(即答)

 メジロラモーヌを知らない人は競馬に詳しい人に聞いてください。
 私はこの時の事を一生忘れないでしょう。


その2
 今を遡ること5年半前、私は長女を妊娠中でひどいつわりに苦しんでいました。つわりの最中というのは、主に食べ物に関する嗜好の変化がみられ、それは非常にデリケートなものです。たとえば「きつねうどんが食べたい!」と思ったら「きつねうどん」以外のものは受け付けません。「たぬきそば」ではダメなのです。吐いてしまいます。実に不思議な現象で、その時に食べたい物はお腹の子供の好物なのだと言います。
当時私はひどい嘔吐に腹を立てていましたが、サンドイッチなら食べられる、という状態でした。ただし「チーズとハムとレタスのサンド」に限る、特にレタスは絶対に欠かせない、という条件つきではありましたが。
 さて、買い物に出るのも辛い状態なので、A君からダンナと呼び名が変わった彼に「レタス」を買ってきて、と頼みました。彼はやさしい人なので当然いやな顔ひとつせず買い物に出かけ、しばらくして戻ってくると袋を私に手渡しました。ああこれで「チーズとハムとレタスのサンドイッチ」にありつける。食べている間はほんの短時間ではありますが、吐き気を忘れられる貴重な時間なのです。私は袋から中味を取り出しました。レタスレタス、レタスちゃん。あんたがいなくちゃお話になんないんだよ〜!

 が、妙に重たい袋からごろんと出てきたのは「キャベツくん」でした。
 私はこの時の事を一生忘れないでしょう。


その3
 今を遡ること3年前、私のお腹では第2子が生まれる準備をしていました。獣医であるダンナは牛や馬の出産をよく手がけます。きっと人間のお産も見てみたいに違いない。それに出産が女にとってどんなに大変なものか、しかとその目で見てもらおう。こう思った私はダンナに「出産に立ち合ってはどうか?」ともちかけてみました。するとやさしい彼は「仕事の都合がつけば」と了解してくれました。
 さて、うまい具合にちょうどダンナが連休をとっていた日の深夜、陣痛が始まりました。内診の結果、まだ当分生まれないだろうとのこと、夜中だったのでダンナは陣痛にうめく私のベッドでグーグー寝息を立て、熟睡モードに入ってしまいました。私も経産婦の余裕か、陣痛がそれほど大変に感じられなかったので特に腹もたちませんでしたが、そののんきな寝顔は今でもしっかりと脳裏に刻みこまれています。
 結局次の日の昼過ぎに、人工破水の処置をしてもらうため分娩台にあがりました。経産婦だから破水させればすぐ生まれるだろうと、そのままお産の準備に入りました。ダンナは看護婦さんに呼ばれて、いささか嬉しそうな顔で分娩室に入ってきました。看護婦さんが、立ち合う人はこのようにお腹をさすったり手を握ってやらなければいけないのだ、とダンナを指導してくれたので、やさしい彼は言われた通り、陣痛がくるたびにお腹をさすってくれていました。
 私は愛するダンナがお腹をさすってくれているので、陣痛の苦しみがいくらか和らぐのを感じていました。ラマーズ法というのはこういう事なのか、と少々感激もしていました。
 さて、破水からちょうど1時間で子宮口が全開したので、助産婦さんが「次はいきんでよろしい」と指示をくれました。私は愛するダンナの手を握りながら思いっきりいきもう、としたその瞬間、ダンナは私の傍から霧のごとくかき消えたのです。
 新しい生命を生み出すために全力でいきんでいる私の視界の端には、好奇心に満ちた目で、腕組みをしながら赤んぼうが生まれてくるところを見物しているダンナの姿が写っていました。

 その後、病室に戻り、立ち合い出産の感想を尋ねたところ、彼はまたもや腕組みをして、したり顔でこう答えました。

「人間の臍帯は体のわりにかなり太いな」

 彼は実に冷静に「人間の分娩」を観察していたのでした。
 私はこの時の事を一生忘れないでしょう。


その4
 今を遡ること1年前、3人目の出産予定日1週間前に私はひどい胃腸炎を起こしました。折しもOー157パニックの最中、完全に食中毒症状だったので、いつ血便が出るかとヒヤヒヤしていました。深夜の病院で診察を受け、薬をもらって帰って来ました。朝方にはほぼ症状も止まり、一安心という状態でしたが、なにしろ下痢と嘔吐がひどかったので、唇がかさかさになるほど脱水していました。かといって食欲はまだなく、水を飲んでも吐いてしまいそうな気がしたのでダンナに点滴してくれるよう頼みました。ダンナは獣医ですが、考えてみりゃ人間だって動物です。それに獣医の使っている医薬品も半分以上が人間用のものですから点滴する程度なら実際に問題はない(法律上はもちろんダメなのよ)のです。

 ダンナは外に止めてある診療車から点滴のセットを持ってきました。私は袖をまくりあげようとしていましたが、彼が牛の頚静脈に使う、ぶっとくて長〜い針を持って近づいてきたのでとっさに作業を中断しました。
 元気な時なら(おいコRa、アタシのか細い血管に牛用の針が入るわきゃねえだろ、ボケ)と突っ込むところですが、脱水でぐったりしていたため、「もう少し細い針〜」と弱々しく言うのがせいいいっぱいでした。しかし彼は「今これしか無い。たぶん入る」と主張するので、私は愛するダンナに身をゆだねることにしました。彼は私に何度も何度もぶっとい針を刺し、時に皮下でぐりぐりと探りを入れたり(もちろん痛い)しながら「おかしいな〜入んないな〜やっぱり無理か」と、隣に住む同僚に「細い針」をもらいに行きました。私は軽いめまいを感じました。急激に脱水が進んだのかもしれません。
 その後、無事「細い針」は私の血管に納まり、点滴を始めました。ソファに横になりながら、真上にぶらさがった輸液パックをぼーっと眺めていました。暇なのでダンナになにげなく話しかけました。

「これ、人間用だよね」
「いや、動物用だよ」

 「今これしか無い」んだそうです。
 人間だって動物・・なんですけど・・・妊娠中の愛する妻に・・・・・。
 私はこの時の事を一生忘れないでしょう。

 さて、まだまだ一生忘れられない出来事があるんですが、今ちょっとど忘れして思い出せません。この4つのエピソードは彼の人となりをよく表わしているかもしれませんし、そうでないかもしれません。私は初対面の人でも、少し話をすれば大体「こんな人だな」と見当をつけることができるのですが、ダンナに関しては10年の付き合いにもかかわらず今だによくわからないのです。無口な男ですが、一緒にいて飽きない。本人は真面目なつもりでも、女房から見ると笑える。そのあたりが大変よろしい。
 たまに「ATSUYOさんのご主人は、こんな面白い人と結婚できてよかったですね」といったコメントをいただきますが、とんでもない、私の方こそ・・・なのです。ちなみに私はダンナにHPを見せたことはありません。向こうはどっかから私のHPの事を聞いたそうで、知ってはいるのですが、別に見せろとも言いません。これでもう絶対見せられなくなってしまいましたけどね。


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