アタック25出場記 序


 若い頃は「雑学の女王」と呼ばれていた。くだらないことをいろいろ知っていると友人や家族に評価?され、クイズ番組を観ていると結構答えられるので「一度でいいからクイズ番組に出てみたい」と長年思っていたのは事実である。しかしながら、動物病院の院長という、一日たりとも休めない商売を4年前に始めてからは、さすがにもう「そんなこと」に向かって具体的に行動するという発想自体がなかった。なので今回、さまざまな偶然や幸運が重なった結果ではあるが、40代半ばの今になって現実にクイズ番組に出場し、テレビに映り、しかも優勝してしまった自分に、心底驚愕している。と同時に、望んだことはいつか必ず叶うという持論へのまたひとつ強力な裏付けを得たという思いもある。これから私が綴る内容はただの「自慢話」と思いきや、無理だと思えることでもハナからあきらめずにチャレンジしてみてもいいかもねという「上からメッセージ」を含む、自慢話よりタチの悪いエッセイである。

 西暦2009年2月。前年9月にアメリカのサブプライムローン問題から「リーマンブラザース」が破綻。いわゆる「リーマンショック」により、日本は未曾有の不況に陥っていた。「派遣」という不安定な身分の人たちが突然解雇され、路頭に迷った。寒い冬に、働く場所どころか、住む場所もない、という人がたくさんいた。アメリカのバカ野郎!とみんなが思っていた。

 さて東京は板橋区の、とある小さな、本当に小さな、ていうかチョー狭いこの動物病院にもいまだかつてない「ヒマ」が押し寄せて来ていた。とにかく患者さんがびたっと来ない。ここの院長も少し「アメリカのバカ」と思っていた。もともと動物病院は春夏が忙しい商売で、冬はどこもヒマなのだが、開業してからこんなにヒマな冬があっただろうか、というくらいのヒマさであった。あまりのヒマさに不安で、営業の薬屋さんに「ウチだけですか、こんなにヒマなの(涙目)」と何度も尋ね、毎回「いやー今年はどこも特別ヒマみたいですよ(苦笑)」という返答をもらってはちょっとばかしホッとする、ということを繰り返していた。

 そんなある日、院長である私は診察台の上に上半身を乗せて、「ヒマ」というお題を体現すべく体をふにょふにょとくねらせていた。トリマーのS川がパソコンで何かしている。この彼女のワンクリックが後に今年最大のイベントに発展するとも知らず、私はひたすら「時間を持て余す」とはどういうことかを全身で表現していた。

S川 「先生、パネルクイズアタック25で出場者募集してますけど出ます?」
私  「あ〜、うん、出る出る〜。応募しといて。」(←「閑古鳥」のポーズで)

 実は私はその昔、「クイズ100人に聞きました」に応募して予選の知らせが来たものの、父が「絶対にイヤだ」というので出られず、その後「アメリカ横断ウルトラクイズ」に応募したが予選の知らせの封筒が父の職場の机の上に1ヶ月以上も置きっぱなしで手元に届かず締め切りを過ぎてしまい、さらに「クイズミリオネア」の電話予選で、10問中7問正解できず予選落ち(←ダメじゃん)、などの、そっち方面では数々の輝かしい過去を持つ不運な「雑学の女王」であった。しかしながら、冒頭で説明したようにその時点では本気でクイズ番組にチャレンジしようなどとはこれっぽっちも思っていなかったので、予選に応募してもらったことなどその場ですっかり忘れていたのだ。

 厳しい冬が終わり、ちゃんと忙しい春がやって来た。ヒマなのもヤだけど忙しいのもヤ。早く秋にならないかな〜などと人間て本当に勝手な生き物なんです的思考回路を持つ私は日々に忙殺されながらあっという間の3、4、5月を「やっつけて」いた。

そして5月の末、一枚のハガキが届く。

「パネルクイズアタック25 予選会のお知らせ」

 ああ、そうだ。応募してたんだっけ。とりあえず飲みネタになるから行ってみようかな。でも全然勉強してないからどうせ受かんないし、当日は神宮球場でのヤクルト ー 日ハム戦が小学生はタダ、付き添いも割引、という企画に申し込んでいた(私は巨人ファンだがダンナは日ハムファン)ので行かなくちゃだし、さらに中学校のママ仲間の飲み会も企画されていてどうしようか迷ったが、とりあえず飲み会はゴメンして、「アタック25予選→神宮球場」ということにした。でもほんとに行く直前まで迷っていたのだ。たぶん二日酔いだったりしたら100パー行ってなかっただろうと思う。あとで知るのだが、この予選自体も抽選らしく、ハガキが来た時点でとりあえず喜ぶべき出来事だったのだ。飲み会を断る言い訳に「アタック25の予選」と言ったら笑われた。そりゃそうだよなー。何やってんの??ちょーウケるー!!という感じだ。もちろん、あまりあちこちに触れ回って予選落ちしたら恥ずかしいので、最低限伝えなければいけない人にだけ伝えたが、皆に同じように笑われた。

 さて当日。会場は築地の朝日新聞東京本社。おそらくは100人以上の、頭がよさげにみえる人たちが会場に次々と入っていく。20〜30代くらいの、男の人がやはり多い。おっさんは2、3人いたが、おばさんと思しき人はとりあえず見当たらない。会議室のような部屋で、ディレクターさんから説明を聞きながら、まずは自己紹介シートにいろいろ記入する。このディレクターさんが面白い。もともとアタック25は大阪の番組だ。ディレクターさんたちも大阪の人らしく「そういうノリ」で説明をしてくれる。笑うポイントがたくさんあって、この予選だけでも十分楽しく、来てよかったと思う。終始くだけたムードで記入を終え、自己紹介シートが集められると、今度は筆記試験問題が配られる。船舶免許受験以来の筆記試験だ。さすがに少々ドキドキする。会場にピーンと張りつめた空気が満ちる。そこでディレクターさんがひとこと。


「皆さん!これは遊びですからね!そんなに緊張しないでください!」


この言葉が非常に印象に残った。

 さて筆記試験。問題は30問。制限時間は8分。ベタ問題と言われる、学校のお勉強的な問題が左半分、スポーツや政治、芸能関係、サブカルチャーなどの時事問題が右半分に出題されている。思い出せる問題をいくつか挙げてみよう。


青森県から秋田県に広がる広大なブナの原生林で世界遺産に指定されているのは? 

国際宇宙ステーションをアルファベット3文字でなんと言う? 

「のろま大将」で最近デビューした、バラエティー番組出身の演歌歌手は?

バドミントンの羽を正式に何と言う? 

「モンハン」の略称で大ヒットしたゲームソフトは?


 特別難しい問題ではない。が、ざっと見て正解できそうなのは半分くらいだ。事前にネットで調べたところ、実はこの予選の合格ラインははっきりしていないとのこと。おそらくテレビ局側の事情やその時の人数などもあるのだろうが、それでも合格するためには、あたりまえなのだが7〜8割くらいの正解は必要だろうとのことだった。正直、これは無理だな、とあきらめつつまずは分かる問題から埋め、その後わからない問題に取りかかる。

(国際宇宙ステーション = International space station = ISS?ホントかなー?まあいいや書いちゃえ、バドミントンの羽って、シャトルだかシャフトだかって言ったなーどっちっだっけどっちだっけ?えーい、シャトル!からくりテレビは毎週見てるのに大江くんの下の名前がでてこないいいいいいいきぃいいい!)とまあこんな感じで衰えた頭をフル回転させ、推理やあてずっぽうやウロ覚えを駆使してとりあえず全部埋めた。あーあ、こりゃ絶対ダメだ。どうせ受からないんなら発表を待たずに帰っちゃおうかなー?などと考えていた。ほどなくして制限時間いっぱいに。

 用紙が回収され「しばらくお待ちを」とスタッフの方々は隣室へ。会場には先ほどとは打って変わって気の抜けた空気が漂っている。立ち上がって廊下に出る人。席で腕組みをして目をつぶる人。携帯でメールを打つ人。私はこういう時、うっかり隣の人に話しかけたりしないように自分を制している。それはなぜか。「隣のおばさんに話しかけられてさぁ〜」とあとで言われるのが自分でもよくわからないがなんか悔しいからだ。予選を受けている人たちはもちろんお互い知り合いではないので、始めはシーンとしていたが、そのうち隣の人と今の問題について話し始める人も出て来て、会場には少々のざわめきが生まれていた。あ、この雰囲気なら隣の若いお姉さんに話しかけてもいいかな?いいかな?などと逡巡しているうちにスタッフの人たちがどやどやっと部屋に入って来た。「いやぁ、今日はどうなっちゃってるのかな〜」というニュアンスの言葉を口にしていた。興奮状態であるように見えた。

「今から合格した人の番号と名前を読み上げますので、呼ばれた方は返事をしてください」

 若い番号から順に合格者が読み上げられる。私の番号が何番だったか覚えていないが、とにかく呼ばれた。呼ばれてしまった。頭の中が一瞬真っ白になった。

 「うっそ。私半分くらいしか出来なかったのに」

 私の隣の人も呼ばれていたので、ついうっかり話しかけてしまった。しかしもう「隣のおばさん」でも「学研のおばさん」でも「ニッセイのおばちゃん」でも何と言われようとかまわないっ!だって私、筆記試験に受かっちゃった受かっちゃった受かっちゃったわーいわーいわーい!私ってば、賢〜い!!

「天にも昇る心地」とはまさにこのことである。

 実はこの日は、今までになく筆記試験合格者が多かったのだそうだ。確かに半分近くの人が合格したのではないかと思われるくらい面接の人数が多かった。私が通ったくらいだから、おそらく合格ラインが「なんらかの理由で」低かったのだろう。

 というわけで形勢は一気に逆転した。次は面接だが、これには実は自信があった。面接は筆記試験の前に書かされた自己紹介シートにもとづき行われる。ネットで調べると、まずは女性というだけで有利だということ。特に中年女性は数が少ないため受かりやすい。さらに人と違う特徴があればなおよし、とのこと。皆様ご存知の様に、私はこういう場合、非常に強力な武器を2つ持っている。ひとつは「獣医師」という少々変わった職業であること。もうひとつはこの少子化のご時世に「4児の母」であることだ。
もちろん、ディレクターさんはそんなことは言わない。

「とにかく見るところは2点だけです。元気がいいかどうか。人前で声が出せるかどうか。それでは皆さんがんばってください」

とこれまた私の得意なことを指示するのであった。私は不本意ながら「声の大きい、元気なおばさん」として面接に臨むことになってしまった。


「あんどうあつよです!」
「44さいです!!」

(↑声の大きい、イタいおばさん)


「動物病院の院長さんでは、さぞかしお忙しいんでしょうねえ」(←珍しいものを見る目で)

「そうですね。ヒマでも困りますけど」(←困ってたくせに)

「お忙しいのに、英会話とか野球観戦とかいろいろとされてますよね。そんな時間あるんですか?」(←少々あきれた口調で)

「時間は、作ろうと思えばできるんです」(←お、いいこと言った)

「おや巨人ファンでらっしゃる。今年の巨人は憎たらしいくらい強いですよねえ」(←阪神ファン?)

「ええ(にっこり)。今年は安心して観ていられますね」(←ちょっとムキになって)

「病院のお休みはあるんですか?収録は大阪で木曜日になりますけど」(←出してくれるつもり?)

「休診日は水曜日ですが、もし出場できるのであれば、臨時休診にしてうかがいます」(←出るつもり)


とまあ、こんなやり取りだったと思う。面接は数人ずつのグループで、グループの人全員が面接を受けてから一斉に解散となる。しかし私は「このあと家族と待ち合わせをしている」と言ったら、そんなつもりではなかったが「遅れたらいけないので、これでお帰りいただいて結構ですよ」と先に帰してもらえた。その日、神宮球場は少し寒かったが、ビールがとてもうまかった。

さて、面接に通っていれば「予選通過」でハガキが来ることになっている。受かってるかなー、受かってるといいなーとか言っていた頃のうちのスタッフS木のつぶやき。


「先生は普通の人じゃないからきっと受かってる」


 なんかちょっと引っかかるが、まあ実際そういうことだったのだろう、数日後にハガキは来た。とりあえず喜ぶがさてここからが問題である。実は「予選通過のハガキ」が来たからといって本番に出場できるわけではない。あくまで本番に出場できるかもしれないという「権利」を得たに過ぎない。具体的にはハガキが来てから1年間(長!)に、テレビ局から出場依頼の電話がなければ、それで終わりなのだそうだ。あー、大阪行きたいよねー、ナマ児玉に会いたいよねー、電話来ないかなー、などと言っていた頃のうちのスタッフS木のつぶやき。


「先生は普通の人じゃないからきっと出られる」


 もうちょっと言い方というものがあるでしょうにと思うがしかし、ハガキを受け取って1ヶ月経たないうちに出場依頼の電話が来た。スケジュールを確認もせずに二つ返事で出場を承諾した。あわわわわわ、どどどどうしよう、本当にテレビに出ることになっちゃったよーーーーーー!!! 




「アタック25出場記 破」へ続く

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