その「動機」を語るには20年以上も昔に遡らなければなりません。私が愛らしい子供だった頃、夏休みは毎年岩手県宮古市で小さな旅館を経営していた母の実家に長期滞在し、たくさんのイトコや親戚と真っ黒になって遊びまくっていました。三陸海岸に面した宮古では、蛸の浜とか浄土ヶ浜で毎日のように海水浴も楽しみましたが、ある年、今は亡きおじさんが小さい「モーターボート」を買い、それまではハイヤーやバスで行っていた海水浴場に「モーターボート」で行くようになりました。初めて乗ったモーターボートの、海上で波を蹴り風を切る爽快感は子供心に衝撃とも言える感動を与えてくれました。また、沖から海水浴場に入っていき波打ち際で他の海水浴客の注目を一身に集めながらボートから降りる時のえもいわれぬ優越感。「船を持つ」ということはこんなにトクベツでイイコトなんだ、私も大きくなったらモーターボートが欲しいなあ、と自意識過剰な子供であった私は単純にそう思ったのでした。
それからすっかり時間が経って、私は「おくさん」になり「おかあさん」になりいつの間にか「おばさん」にすらなってしまったようですが、この「おばさん」、腹の肉はたるんでも気持ちだけは10代という、全く「守り」に入ろうとしない「おばさん」でした。子供もある程度育ち、結構なヒマ人で、さらに数年前から釣りの楽しみも知ってしまったこの「おばさん」は21世紀初頭、ついに「船のオーナーになる」という長年の野望への第1歩を踏み出したのでありました。
今年の春、狂犬病の予防注射で小銭(←謙遜)を稼いだ私はとりあえず宣言することにしました。お金の苦労もなく、読書をしたり酒を飲んだりママさんバレーをしたりネットで買い物したり、日々それなりに楽しく生活している主婦が何か非日常的なことに挑戦しようと思った場合、そしてそれがとっても面倒くさくお金もかかることである場合、でもどうしてもそれを実現したい場合、まずは周囲に「宣言」してしまうこと、これが非常に大事です。でないと友達がお茶しに来たり、学校の行事があったり、子供が熱出したり、近所のスーパーで安売りがあったりという「日常」はいとも簡単にその「意欲」を食って飲み込んでしまうからです。
「船の免許を取りに行くんだもんね」
とまずはダンナに、そして主婦の飲み仲間(←悪い仲間)に、宣言をいたしました。さらにネットであれこれ調べ、とりあえず小型船舶操縦士4級免許試験を、家から一番近い苫小牧で、9月3日に、受験しようと心に決めました。ああ、もうやるしかないのだな、と37歳4児の母はまるっきりお天道様が顔を出さない夏休み中、毎晩ビールを飲みながら思いました。
小型船舶免許を取るにはもちろん国家試験を受けるのですが、実技試験もあるためどうしても「教習所」で教えてもらわなければなりません。この教習所、大手の有名どころもあるのですが「受かればどこでも同じ」と思っている私は「近くて安い」という基準で苫小牧のY先生のところに決めました。HPを見ると、「移動教習車」というのもあるようで、2、3人集まれば道内どこへでも出向いてくれるとのこと、「まずは気軽にお電話下さい」と書いてあるので、洗濯の終わったとある午前中、私はなぜか少し緊張しつつその教習所へ電話をしてみました。すぐに女性が出たので、受付の人だな、と思って話を始めました。
「あ、もしもし、えーと移動教習車のことでちょっとおうかがいしたいんですが」
「はいはい、移動販売車ね。いつもは金太郎池のところでやってるんですけどね」
「キンタロウ池?ちょっとわからないんですけど」
「どこに住んでますか?」
「門別町の厚賀なんですが、人が集まれば来てくれるとHPに書いてあったので」
「門別町????あ、えーと、ウチのまんじゅう食べたことあります?」
まんじゅう? あ、こりゃ番号間違ったかな?と思った私は「そちら船の教習所じゃないですか?」と聞いたところ、相手はいきなり大声で「あ〜!船ね、はいはいはい、ごめんなさい。ウチは船の免許と一緒に中華もやってるもんだから」
中華? 40年近く生きてきて、これほどクエスチョンマークを頭に漲らせたこともありません。だだだだ大丈夫かここは?なんだその「中華料理屋 兼 船舶免許教習所」という商売は?いや百歩譲って、その2つを兼ねるにしても、電話番号くらい別にすればいいじゃん。その後、船の先生であるY先生と直接話し、もうひとり生徒がいれば厚賀まで来てくれるということになり、何人かに声を掛けてみましたがなかなか船の免許なんぞ取ろうというヒマ人はおらず、なぜか夏休みが明けてからいやがらせのように猛暑の続く週末、ダンナに休みを取ってもらって家をまかせ、早起きをして苫小牧の教習所まで出かけて行ったのでした。
雨の中1時間ちょいでたどり着いた、「真っ赤な中華まんじゅう移動販売車」と「真っ青な船舶免許移動教習車」が並ぶその建物には「横浜中華食販」の大きな看板が。そしてかろうじて「小型船舶免許教習所」と書いてあるガラス戸を開けると、そこには予想以上のめくるめく世界が繰り広げられていたのでした。
カウンターの上にはウーロン茶とかシュウマイとか餃子とかの箱がびっちり並んでいます。そしてそれに埋もれるように、今日から一緒に勉強する50代男性のMさんと同年代男性のTさん、そしてHPの写真より気むずかしい表情のY先生が座っていました。奥では女の人(あとで聞いたら奥さんではなかった)が鉄の調理器具をガシャガシャ言わせながらなにやら調理をしています。なるほど、ここでまんじゅうを作り、あの赤い車に積んで「キンタロウ池」のほとりで中華まんじゅうを売るというわけだ。私は我が身を取り囲んでいるこの状況が「ネタ満載」であることを喜び、「よろしくお願いします」と明らかに挨拶とは別路線の笑顔を浮かべながら椅子に座りました。中学の時仲良しだった中華料理屋の娘のオオシマヨシコちゃんは、店の片隅の、ちょうどこんな感じのところでテレビを観たり宿題をしていたりしていたっけなあ、とゴマ油の香りが懐かしい記憶を呼び覚ましてくれましたが、すぐさま、なんで今ここでそんなこと思い出さなきゃいかんのだ、と我に返りました。ふー、危ない危ない。
聞かされたところによるとY先生は「糖尿病歴30年」だそうです。糖尿病の人というのは概して気分の変化が激しいものです。なんだか不機嫌そうな顔をしているのはそのせいなのでしょうか。先生は我々にばさばさっとテキストを配ると、それをめくりながら学科の授業を始めました。「キール」だの「ビーム」だの「トランサムボード」だのと初めて耳にする言葉ばかりで、これを覚えるのは予想以上に大変そうです。隣りに座ったTさんは小学校の先生のクセに「頭に入るかなあ?」と青ざめています。机の上には先日送った証明写真が貼られた受験票が置いてありました。すでに試験日は決まっているんだなあ、とちょっと背筋を伸ばした瞬間、受験票に間違いを見つけました。あり?私は「4級」を申し込んだのに「5級」になっているのです。授業の合間、その旨を先生に言うと、それは向こうの間違いで、ちゃんと話は通っているから大丈夫だ、とやっぱり不機嫌そうに言うのでした。さらによく見るとこの受験票にはもうひとつとんでもない間違いが。
誰が「男」じゃ! 写真が貼ってあるのにどういうこっちゃ、こんだ髪伸ばしてパーマでもかけたろカイ!と心の中で凄みつつ、半分裏声でその旨も先生に言いましたがやはり低テンションで「試験官に“コンニャロ”って言ってやんなさい」と非常に有意義なアドバイスをしてくださいました。
Y先生は私の父と同い年で、ま、男がそのくらいの年になると世間でそれなりの地位を築いていることが多く、またその築いた地位を広く知らしめたい、という欲も出てくるのでしょう。先生の授業の合間合間にそのまあ平たく言えば「俺はこの業界では偉いんだ」というお話が出てきます。それはどういうことかと言えば要するに「話が横道に逸れてばかり」ということでもありますが、そういう話をするたびに先生のご機嫌がアップしていくのがわかります。私が見るところこの先生は天衣無縫というか天真爛漫というか、要するに非常に無邪気でストレートな性格をなさっているようで自慢話もイヤミに聞こえません。私は徐々に「この先生、おもしれえ」と思うようになりました。
さてお昼も過ぎたので食事にしようということになりました。先生が張り切って「食べ放題に行こう」と厨房の女性と我々3人を車に乗せて、車で20分近くかかるバイキングレストランに連れていってくれました。確か1時から午後の授業という予定だったと思いましたが、店についた時点で12時半を回っています。食事代は先生が出してくれました。大手の教習所ではこんなことはないでしょう。さらに先生は当然のようにビールを飲み、おかわりでウーロンハイを2つ買ってきてひとつをTさんに勧めました。(これからまた勉強するのになあ)(でも面白いからいいや)Tさんが一口飲んだだけで私にウーロンハイをくれたので「しかたなく」それを飲み、みんなでいろいろな話をしながら、なんだか妙な具合にくだけたこのムードを私は心底楽しんでいました。先生は子供のように食べきれないほど肉やら寿司やらを取ってきて、子供のように大量に残すのでした。帰りの車は飲んじゃった先生の代わりにMさんが運転しました。
予定を大幅に過ぎた午後2時、授業を始めると先生のテンションはまたもやがっくりと下がりました。しかし午前中とは様子が違います。そう、先生は明らかに「眠い」ようです。お酒も飲んだしお腹一杯食べましたから、それは人間としてあまりに当然すぎる反応ではありますが、しかし我々は決して安くはない講習料を払っているのです。これはきちんとした生徒さんならきっと怒るだろうなー、とテキストを開いたままついに寝息を立ててしまった先生を楽しく観察していましたが、ほんの1分ぐらいで何事もなかったかのように授業は再開されました。話もちゃんと繋がっていたのですからたいしたもんです。きっといっつもこういう授業をしているのでしょう。と次の瞬間、先生は「あっっ!薬飲むの忘れてたっっ!」と立ち上がりました。糖尿病患者である先生は毎食後、血糖値を下げる薬を飲まないといけないらしいのです。あれだけ飲み食いして薬を飲み忘れていたということは血糖値がかなり上がっているはず。す、すると先生、さっきのは単なる居眠りじゃなくて、
昏睡? せめて我々が免許を手にする日までは死なないで下さい、と先生の健康を真剣に願いつつ、かったるい午後の授業は夕方まで続いたのでした。後編へ続く。