地球上に万物の霊長として君臨している私たち人間は、時に自分たちより下等な動物の習性や行動を楽しみます。たとえば、ペットに芸をしこんだり、その仕草や愚かしさを笑ったり。また動物の習性を利用して自分の欲を満足させもします。たとえば、ルアー釣り。魚の習性を利用したゲームです。エサでもなんでもない、金属や樹脂で出来たモノに思わず飛びつき引っかけられてしまう魚の習性は、ある意味悲しい性であると言えます。たとえその後、謙虚に魚に感謝の意を表し、きちんとリリースしたとしても、このゲームに勝利した人間はその傲慢な万能感を心のどこかで満足させているに違いありません。
しかしながら、人間というのもそれほど高等なイキモノではないようです。日頃の習慣というのは、いくら気をつけていてもひょんな場面で出てしまうものだからです。
免許を取ったとき、父に「外車にだけはぶつけるな」と懇願された私は、先日狭い道路で外車とすれ違うという場面に出くわしました。対向車に乗っていたのはお坊さんでした。私は父の言いつけを守り、タウンエースをぎりぎりまで端に寄せて道を譲ったのですが、なんとすれ違いざまに、
そう。拝まれてしまったのです。いえ、誰もが当然するであろう、単なる感謝の表現に過ぎない、ということは分かっておりますが、上の絵を見ていただければ分かるように、私でなくても「拝まれた」、もしくは「供養された」という印象を抱いてしまうであろうことは想像に難くありません。 帰宅してからダンナに「やー、うっかり成仏するとこだったさー」と言ったところ、無視されました。同感してくれたようです。
さて、これが人間の悲しい性、いわゆる「職業病」です。お坊さんはこういう場面でもその職業柄、上の絵のような角度と高さでしか手が上がらない、そういうカラダになってしまっているのですね。いくら地球上の生物の中で最大最高の大脳新皮質を誇っていても、人間はその下に他の生物と同じく、下等な脳を基礎として持っています。そしてそれが時折見え隠れする、そのあたりが人間の非常に面白いところです。
まあ、お坊さんの場合はああすることでその権威を示し独特な職業意識を維持しているわけで、「習性」などという表現は当てはまらないかもしれませんが、考えてみるとこういう習性はいくらでもありそうです。肩書きのない人間などおらず(生まれたばかりの赤ん坊にさえ「新生児」という肩書きがありますし)、その肩書きにはなんらかの「習性」が付随しているはずだからです。
たとえば、私の父は私や妹が小さい頃、よく一緒にお風呂に入って体や頭を洗ってくれたのですが、私と妹には不評でした。父は洗う力が非常に強く、また隅々まで念入りによーく洗う洗う。女性の方はお分かりでしょうが、あんまりゴシゴシ洗われたくない場所もあるわけで、父と一緒にお風呂に入った後はどうしても体のある一部分がヒリヒリしたものでした。そして、いくら不満を訴えても改善する兆しは全くありませんでした。
その後20年以上経って、ハタと気付きました。
「あれは車の洗い方だ」
私の実家はガソリンスタンドです。まだ洗車機を導入していなかった頃ですから、父はすべて手洗いで洗車をやっていたのでしょう。その「プロとしての技術」が、娘の大事なところを洗うときにも出てしまっていたわけですね。
また、私が大学生の頃、家族で「どんな車に乗りたいか」とかいう話題になった時、私が「フォルクスワーゲンのビートル」と言ったら、父は血相を変えて、「あんな洗いにくい車はダメだっっ!」
と語気を荒げたのです。別に実際に買うわけでもないのに、この剣幕。GSマンにとってあの車は「洗車したくない車、ベスト1」なのだということを、そしてGSマンの父はデザイナーがセンスを惜しみなく発揮し、流行やそのコンセプトを十二分に考慮して打ち出した車のフォルムを「洗いやすいか否か」という非常にシンプルな視点から見てしまうのだということを、私はこのとき面食らいながらも興味深く理解したのでした。ビートルに関しては「こだわりオーナー」が多そうですから、手洗い洗車を頼まれることが多かったのでしょうか?また洗車機じゃ洗えない形状なのかもしれませんが、あの嫌悪の仕方は私にとってのビーグルに匹敵するほどのものでした。
余談ですが、叔父がスタンドの隣で立体駐車場を経営しています。彼が車を「ゴンドラに入るか否か」で評価していることはほぼ間違いないでしょう。また現在もっとも身近な他人であるダンナですが、「オズの魔法使い」が「オッズの魔法使い」に聞こえてしまう、ぐったり疲れて昼寝していても「発走時刻15分前」には自然と目が覚める、運動会で白組は「1枠」紅組は「3枠」と言う、などの職業病が観察できますが、えーと、ウチのダンナの職業ってなんだったっけ?
もちろん私自身も「これは職業病だな」という習性をいくつも自覚しています。たとえば音楽を聴くとどうしてもベースとドラムに耳を傾けてしまうし、車で音楽を聴いていると両手両足が動いてしまう。ドラマーの職業病です。両手はハンドルを叩く程度ですからまだいいのですが、足は結構危ないです。また、今はだいぶ改善しましたが、普通に立っていても体が左右にゆっくりゆれてしまう。これは赤ん坊のいる母親の職業病ですね。また、世の中の出来事すべてを「ネタ」として捉えてしまう。これは文章系HPオーナーに共通する職業病ではないでしょうか?年のせいか忘れっぽいので、最近はフトンに入ってからでもなにか思いついたらメモを取りにわざわざ起きたりもします。こんなカラダに誰がした。
私の周りにはスーツを来て電車で通勤するような、いわゆる「サラリーマン」はいないのですが、そういう普通に見える職業の人にもこういう笑える、いや悲しい「習性」「職業病」がいっぱいあるはずだ、とニラんでいます。無論専門職の人には10分間
笑い続けられるしみじみできるくらいの「ものすごい」ヤツもあるはずです。さあ、皆さん、ぜひぜひ掲示板の方でみんなで楽しもうではありませんか。書き込みお待ちしております。