西暦2000年秋。私は「釣り人」として秋を迎えました。北海道の秋は「釣りの秋」、中でも「サケ釣りの秋」です。サケというのはご存じのように、大きくて美味しい魚です。その大きくて美味しい魚が、どうやら産卵のために私の住む町の川に戻ってくるらしいのです。つまり河口で竿を立てて待っていれば、サケの方から確実に「釣られに」きてくれる、とこういう話らしいのです。まるでネズミ講のようなうまい話ではないですか。こりゃ乗らないワケにはいきません。
(潤んだ瞳で)70センチも80センチもある、あの大きな魚の引きは、ああ一体どんなものなのだろう。私のような非力な女性(←言ってみたかった)でも釣り上げられるだろうか。身の美味しいオスもいいけれど、どうせ釣るのなら「イクラ入り」のメスをぜひぜひ釣りたい。メスばっかり10匹釣りたい。イクラなら冷凍もきくしどんなに大量にあっても嬉しいもん。あああぁぁぁ、イクラ大盛りのイクラ丼丼丼丼(←エコー)。
(我に返って)まあしかしそう都合よくはいかんだろうな。でもオスのサケばっかり釣れたらちょっと困っちゃうかも。オスがいっぺんに5匹とか釣れちゃったらどうすればいいんだろう?両隣とあそことあそことあそこに配って、ちゃんちゃん焼きとバター焼きと石狩鍋とサケフライをしてもまだ余るなあ。冷凍庫も小さいし、いっそフリーザーを新しく買おうかな?
と河口に竿がぽつぽつと並びだした9月の半ば頃、私は「釣らぬサケのイクラ算用」という全くいらん心配をしながらも目を輝かせて釣り具店に通ったり、釣りの本を読んだりしておりました。9月と言えば例年ならもう釣れている時期なのだそうですが、今年はまだまだ水温が高くサケの岸寄りが遅れている、というもっともらしい漁業関係者の情報もあり、ど素人ながら「本番は10月だな」と予想をして、のんびり準備をしていたのです。サケの釣り方にもいろいろありますが、私はもっともポピュラーな「河口での投げ釣り」に向けて各方面で準備を始めていました。どんな趣味でもそうでしょうが「道具を揃えていく」「知識を蓄える」「その知識をダンナにひけらかす」という過程は非常に楽しいものです。例年なら「あーあ、夏が終わっちゃった」と寂しい気分になる秋ですが、今年はそんな気分になっているヒマなど全くありません。やはり人間は「遊びの準備をしている時」が最も幸せなのだなあ、としみじみ感じました。
ここで少し「サケの投げ釣り」に関しての基本的な説明をいたしましょう。普通の「投げ釣り」はおそらく難しい部類に入る釣りだと思います。まず長い竿を力一杯振ることによって仕掛けを確実に魚のいるポイントまで投げなければなりません。経験者の方はご存じでしょうが、まず基本的な「そのこと」が難しいのです。釣る魚によっても違いますが、たいていは50-70メートル、場合によっては100メートル以上も仕掛けを飛ばさなければなりません。ちなみに私はいまだにどうがんばっても50メートル程度しか飛ばせません。もともと私は「投げる動作」が苦手です。非常にたくましい肩幅をしているくせに肩が弱いのです。ですから釣りを始めたばかりの頃は、何度投げてもほんの目の前に「だぼん」と落ちるような有様でしたが、あきらめずに続けた甲斐あってようやくコツをつかみ、それでも50メートル。投げ釣りの場合は道具の善し悪しもかなり影響するそうで、私の竿は安物と貰い物ですから仕方ないといえば仕方ないのかもしれません。
さて、こんな不出来な私でもサケ釣りなら十分に出来そうでした。河口付近では、サケは本当に目の前の波打ち際まで寄ってくるのだそうです。ですから30メートルも投げられれば十分釣りになるのです。チョイ投げであんなに大きな魚が釣れる。これほどオイシイ話は世の中にそうないでしょう。北海道は実にいいところです。
ところで、遡上のために岸寄りしたサケというのはエサを食べないと言われています。これは「釣り」としては非常に不利です。実際、目の前でサケが跳ねているのに釣れない、ということが結構あるそうです。ですから食欲のない魚をなんとかして誘うための特殊な仕掛けを使います。
↑これが標準的なサケ投げ釣りの仕掛けです。砂浜の波打ち際での釣りなので、仕掛けがなるべく動かないよう、おもりは40〜50号と大きめを使います。針の部分には、
↑このように「タコベイト」というタコを模した飾りが付いており、ここにエサとしてサンマのぶつ切りを付けます。赤く染めたイカなどもいいそうです。タコベイトが水中でひらひらするので、サケは「なんだコイツ?」と思わず食いついてしまう、食いついてみたらサンマだったので思わず食ってしまう、とこういうトラップになっております。タコベイトに憎々しげな「目」が付いているのも、やはり「なんだ、コイツ?」度を高めるためなのでしょう。だったら、
↑こういう仕掛けならもう入れ食い間違いなしなのではないか?と考えました。「デビベイト」です。姉妹品に「サッチーベイト」もあります。まだ実際に釣ってもいないのに、オリジナル仕掛けを考案してしまうなんて、私ってもしかしたら釣りの天才なのかもしれません。
さて、天賦の才能に加えて、私には「地元」という強みがありました。ウチから釣り場の河口までは車で2、3分です。釣りはとにかく情報収集。誰も釣れていないのは魚がいないということですから、そんな日はやはりダメ。しかし昨日は釣れなくても今日は爆釣、ということもあります。そこで毎日河口に通い、生来の図々しさで常連のおじさん達(退職じさまが数人、雨の日以外は毎日来ている)と仲良くなることから始めました。投げ釣りは投げてしまえばあとはヒマなのでみんな親切に(聞きもしないことまで)教えてくれ、私は何日も経たないうちに「潮ごみ(潮が満ちてくる時間帯)」「○本上げる(○匹釣った)」「銀ピカ(婚姻色の出ていない銀色のサケ)」「ブナかかる(婚姻色が出る)」などの現場用語を交えて会話ができるようになりました。
リーグ優勝を決めたジャイアンツが残り試合を消化し終わった頃、私はあることに気付きました。今秋はどうやら徹底的に水温が高く、常連さんも苦戦を強いられているようで、毎日河口に行っても聞こえてくるのは「朝は何本か上がったみたいだけどねえ」「ぴくりともしないね」「ダメ」「サケに聞いてくれ」という声ばかり。そうヒマでもない私は結果、そのまま帰宅。当初は「地元民の強みを生かして」釣れている時にだけ竿を出そう、と考えていましたが、
「このままでは情報収集だけでシーズンが終わってしまう」
買わなければ宝くじは当たりません。同様に竿を出さなければ魚は釣れません。そのことにハタと気付いた私は、こうなったら別方向で「地元民の強み」を発揮することにしました。ヘタな鉄砲も数打ちゃ当たる。とにかく「毎日待ち伏せる」というストーカー戦法に打って出ることにしたのです。
私は満潮の2時間前を目安に毎日通いました。昼に帰ってくるダンナも午後帰ってくる長女も、私がいないと「サケ釣りだな」と思うようになりました。ダンナは時々河口まで見に来たり、仕事がヒマな時には一緒に竿を見つめたりしました。私がいない時、長女が友達に「お母さんは釣り」と説明したらしく、近所のお母さんから「釣りするのー?」と驚かれたりしました。近所の商店でおにぎりなど買おうものならすかさず「釣りかい?」と言われる始末です。
ま、そんなことはどうでもいいのですが、毎日通っているのにアタリすらなく、いいかげん温厚な私の頭にも徐々に血が上ってきました。日を追うごとに頭の中心温度が上がってくるのがはっきりとわかり、6日目あたりでついに発火点に達しました。自分の中に炭火のような炎の存在を感じとることができます。「静かな逆上」とでも言いましょうか、「こうなったら意地でも1本は上げてやるぞ」という決心がいつの間にかしっかりと固まっていたのです。「求めよ、さらば与えられん」とどこぞの神様も言っています。しかし依然として、海岸で魚の実物を見たことがないほどサケは釣れておらず「今年はダメ」と身をもって理解したにもかかわらず、それでも「絶対に釣る」「魚がいなくても釣る」「釣るったら釣る」と決めこんでいる非論理的な自分を持て余してもいました。
そして運命の10月21日(土)。風雲急を告げるON対決の日本シリーズ開幕日。土曜日なので子供は昼に帰ってきますが、ちょうど午前中の潮回りがよい日だったので、急いで洗濯を終え10時頃には海岸でサンマ臭い竿を運んでいました。週末なので人が多く、私が竿を出せたのは河口からだいぶ離れた場所でした。左隣は常連のおじさん、右隣はずいぶんと遠くから来たらしい(車のナンバーで分かる)、3人組のうるさい釣り人達です。でもここでは私の方が偉そうにしてもよいのです。なんてったって「地元民」なのですから。
通い詰めているだけあって、仕掛けやエサの準備もすばやくできるようになっています。投げてしまえば後はヒマ。いつものように、そこらを歩き回ったり、左隣のおじさんが木工所の粉塵で肺をやられて入院したときの話を聞いたり、つま先で穴を掘ったり、伸びをしたり、思い出し笑いをしたり、 落ちているコンブを物色したり、と落ち着きのない私の両目に見たこともないほど大きくゆがむ竿の動画が飛び込んできたのです。交通事故に遭った人がよく「ぶつかる時はスローモーション」と言いますが、まさにその瞬間は、揺れる竿も、あわてて駆け寄る私も、指さす周りの人も、すべての動きがスローだったように思い出されてなりません。BGMは「炎のランナー」。「こ、こんなのはじめてえええぇぇ」というダイナミックな
突き引きを楽しむ余裕もなく、少しでも早くサケを引き上げるために後ずさりをしながらリールを巻き巻き。なかなかに間抜けな動きですが、あくまでBGMは「炎のランナー」。早起きして弁当を作り、子供やダンナをとっとと送り出し、釣り道具を抱え長靴を履いて砂浜をさくさく歩き、オヤジやジジイやアンちゃんに混ざって竿を振り、釣れなくても釣れなくてもあきらめることなく続けたおばさん釣り師に、神様は小さいながらもお腹の膨らんだ、メスのサケを与え給うたのでした。いつも情報をくれた隣のおじさんがガッツポーズで喜んでくれます。ありがとう、ありがとう。嬉しい、嬉しい。気が付くと私は子供のように両手を上げて飛び跳ねていました。ばんざーい、ばんざーい、ばんざあーい。(BGM盛り上がる)
(ナレーション)その後も彼女は何度か海岸に通ったが、結局これ1本でシーズンを終えた。10日以上も通って、67センチのサケがたった1本。なんと効率の悪い話であろうか。しかしそのサケは彼女にとって、決して忘れられない素晴らしい思い出と自信、そして「サケのマヨネーズ入りハンバーグ」のレシピを与えてくれた、まさに一期一会、一生忘れることはないであろうかけがえのないサケであった。
あの、人生最良の日から3ヶ月が経った。彼女の家の冷凍庫には、今もその時のイクラが一食分、保存されたままだという。(←早く食えよ)