「鉄道員(ぽっぽや)」を観た


 中学生の時、母が誰かから貰ったと「未知との遭遇」のチケットを2枚くれたので、オオシマヨシコちゃんと新宿プラザに観に行きました。とても面白かったのでサントラのLPを買いました。「スターウォーズ」はイトコが観に連れて行ってくれました。途中30分ほど寝ました。ジョージルーカスよりもスピルバーグの方が偉いと思いました。

 高校生の頃はよく映画館で映画を観ました。新宿が通学路になっていたのと、映画好きの友達と一緒に行動していたためです。平均したら月に2〜3本というところでしょうか。ひとりでも映画を観に行きました。ひとりで観る方が好きでした。毎隔週金曜日に「ぴあ」を買い(実は「はみだし」が真の目的だった)(「はみだし」まだありますか?)、面白そうな話題作はロードショーで観ました。B級映画も結構観ました。たまに寝ました。チカンにも一度遭いました。ハリソンフォードは確かにかっこいいと思いましたが、映画俳優の好き嫌いはほとんど意識できませんでした。映画監督ではブライアンデパルマが好きになりました。それでナンシーアレンも好きになりました。

 大学に入り、神奈川のイナカでの生活が始まりました。映画館からは遠ざかりましたが、レンタルビデオというものが現れ、だんだんと安価になってきました。しかし飲み会とか、サークルとか、バンドとか、マージャンとか、授業とか実習とか研究室とか恋愛とか、そういうのが忙しくて、あんまり観なくなりました。最近気付きましたが、私は本来、人生において「感動」をあまり重視しない人間のようです。「笑い」には少し熱心でして、レンタルビデオでは「イッセー尾形」を見つけて喜んだりしました。映画は、友達や妹が「あれ面白かったよねー」というヤツだけ、ビデオで観る、というスタイルになってきました。

 3年間の社会人生活の間も同様でした。学生よりも当然ヒマはありません。が、大ヒットした映画はビデオで観ていたと思います。この頃は「ジブリ」が台頭してきて、アニメも観ました。「羊たちの沈黙」はアパートの部屋で夜ひとりで観ました。えれー怖かったです。

 結婚し北海道に来ました。BGMのない雄大な風景(すぐ飽きる)の中で暮らすようになりました。レンタルビデオ店はあるにはありましたが、子連れで借りて子連れで返しに行くのは面倒なので全く利用しませんでした。家にはWOWOWという衛星放送があり、映画を観たければそれなりに観られる環境にありました。最初の子供がお腹にいる時にテレビシリーズの「ツインピークス」を、胎教に良くないなあ、と思いながら延々と観ました。そしてそれがビデオの「いったん」観納めとなりました。子供が生まれ、2時間ノーカットで映画鑑賞、などという優雅なことは不可能になりました。子供が寝ている間は、他にやることがヤマほどあります。加えて私は「あ〜、飲みに行きた〜い!!」とは思っても、「あ〜、映画観た〜い!」とは思わない人間でした。当然のように、映画をほとんど観ない生活が続きました。1人、2人、3人、と子供が増え、ホームページの更新もままならない、その数年間には実に数えるほどしか映画は観ていないと思います。WOWOWで「超話題作」が放映されれば、ビデオに録画して、ブツ切れ鑑賞。ま、ごくごく普通の主婦の生活と言える、そんな映画ライフを送っておりました。「エイリアン」3部作一挙放映、は(ブツ切れで)一挙に観ましたが、最後の方はエイリアンに慣れちゃって全然怖くなくなっていました。「バックトゥザフューチャー」3部作一挙放映、も(ブツ切れで)一挙に観ましたが、あれはひとつづつ楽しんだ方がよかったなあ、と思いました。それからパーフェクTVが入り、 WOWOWはまるっきり観なくなったので解約しました。

 さて最近。以前は録画だけしといてキャビネットのなかで熟成しておく(結局観ない)、ということがよくありましたが、ペイパービューだときっちり「1本¥いくら¥」となっているため、損をしたくない主婦根性からぼちぼちと映画を観るようになっていました。さらに引っ越して買い物に行く町が変わり、大きな(まともな)レンタルビデオ店にコンスタントに寄れるようになりました。しかも時折「1本100円で10本までレンタルできます」というありがたいイベントをやってくれます。そういうわけで気になっていたここ1〜2年の話題作を(まだまだブツ切れで)(1本100円で)「まとめ観」しました。アルマゲドンタイタニックプライベートライアンシティオブエンジェルLAナントカスネークアイズ今思い出せないその他いろいろあっそうだマトリックス。「メリーに首ったけ」は借りたものの時間切れでそのまま返却、「ディープインパクト」は先に観たダンナが「これは観なくてよろしい」と言うので観ず。「コレクター」は間違って昔のヤツを先に観ちゃいましたが、ちょうど新潟の監禁事件が話題になっていたのでいいタイミングだったし、私のことをなんだか誤解しているらしい人が「あつよさん!”32センチ”ですよ!」と異様に熱心に薦めてくれた「キラーコンドーム」も私好みのくだらなさで笑えました(←誤解じゃなかったわけだ)。さらに映画ではありませんが、妹から「必ず観るように」と指令が出ていた「踊る大捜査線」シリーズには遅ればせながらがっちりハマってしまい、あのテーマミュージックが頭の中で鳴り響いて寝つけない夜が続いたものです。

 久しぶりのビデオ三昧で気付いたことは、観る前のモード調整が必要になっているなあ、ということでした。すっかりオトナになってしまった私は、少しでもリアリティーに欠ける部分に気付くとなんだかシラけてしまうのです。「シティオブエンジェル」の最後の場面では、死にそうな人間はあんなに顔色よくないぞ、と思ってしまったり、「マトリックス」では、オネーチャンがあまりに唐突に「愛している」とか言うもんで、オイ、一体いつどこに愛を育む時間と余裕があったんだよ、と突っ込んでしまったり。ハジメっからナンセンスだと分かっていれば、そういうモードに自分を置いて、理屈抜きで楽しむことは十分できるのですが、そういう意味で「アルマゲドン」鑑賞は大失敗しました。あの映画にリアリティーなんぞ求めてはいけなかったのに、それが分かっていなかったからです。なにしろ「おーい、そこは宇宙空間じゃないのかー???」と突っ込みまくっちゃいましたからねえ。

 ま、そんなこんなでざっと一通り洋画を観終われば、自然と「鉄道員(ぽっぽや)」に目が行く訳ですね。原作はずいぶん前に読んでおりましたので、そんなに一生懸命観なくても話の筋は分かっています。きちんと観ないと話が掴めない映画って結構ありますから、そういう意味では、非常にリラックスして鑑賞出来ました。観る前からこの話は「子供が死ぬ話」だぞ、と心構えも出来ています。もちろん「泣く心構え」です。現在進行形で小さい子供を育てているおかあさん人種は誰しもそうでしょうが、子供が死ぬ話には戦う前から全面降伏です。この映画を観て、「女の武器」としての効力を全く失ってしまった「涙液」を景気よく、大量の鼻水と共に分泌した人も多いことでしょう。しかもこの映画は始まってすぐに埋葬の回想シーンがあり、その時点ですでに準備万端で待機していた涙が一斉に出撃。だーーーーーっっ。先が思いやられるったらないです。この先どれだけ泣かされるのでしょうか。

んが。

 まずは「北海道に住んで8年」の私の耳が不満を唱え出しました。北海道弁はそうじゃないぞ、と。私は標準語圏で育っているのでNHKの朝の連ドラの広島弁とか博多弁とか河内弁とか津軽弁などを今まで信じていましたが、ある一つの方言(北海道弁)に通じてくると、あれらも「違って」いたのだろうなあ、とそのなんとも言えないむずがゆさが分かるようになりました。ま、しかしその件に関しては、誰1人として正しい北海道弁を話さない「北の国から」ですでに訓練が出来ているのでとりあえず目をつぶる、いや、耳を塞ぐことにしました。少しフォローしておくと、健さんと食堂のおばちゃんはイイ線いってましたね。さすがベテランです。

ところが。

 北海道弁はヘタでしたが途中までまあまあ無難に「山奥の朴訥な駅長の妻」を演じていた大竹しのぶが、妊娠を告げる場面でうっかりエキセントリックなその持ち味を出してしまいます。「男女7人」の桃子の呪縛でしょうか。やはりこの人は「黒い家」(まだ観てないですが)あたりでその実力を存分に発揮していただいた方が観る側としても安心して観ていられます。もったいないったらないです。これなら桃井かおりの方がまだよかったんじゃないか、などととんでもないことを思ってしまいました。ミスキャストと言えば、食堂のおばちゃんに引き取られた男の子の成長した姿。東京のど真ん中から青年をひとりかっさらってきて、山奥に放した、そういう感じでしたね。もうちょっとそれらしい新人がいくらでもいそうなもんですけどねえ。芸能界の難しいしがらみっつーヤツなんでしょうかねえ。

さらに。

 「絶対にこの映画に出てはいけない人」が出ていました。そう、「純」です。「北の国から」の純くん。純くんは富良野で市の臨時職員をしていたはずなのに、その後JRに入社したらしいのです。中畑のおじさんあたりに強力なコネでもあったんでしょうかね?やはりシュウちゃんとの結婚準備なのでしょう。いずれにせよ結婚が間近なのは間違いないようです。しかしまあ、どうせ純が出てんなら、乗客の役で五郎さんや蛍も出してくれればよかったのにねー。(←ヤケ)

そして。

 極め付けの広末涼子チャン。とても難しい役どころなのはこちらも重々承知ですが、原作を読んだ人間が抱くイメージには程遠い、「現世のニオイ」がプンプンする幽霊でした。早稲田に通って、iモードで友達とメール交換、そういうイメージがこの人にはべったり張り付いてしまっているのでした。この役は新人を使えば、同じ「大根」でもずいぶん違ったと思います。

とまあ、ここでまた性懲りもなく叫ぶわけです。
「しまったああああ!この映画にリアリティーを求めてはいけなかったのかあああーーーー!!!」と。もちろん、死んだ娘が成長してその姿を見せに来る、というファンタジーにリアリティーも何もあったもんじゃないですが、原作を読んでたのが敗因(←勝ち負けかいな)なんでしょうかねえ。最初から最後まで、なんともいえない違和感に苛まれた映画でございました。

 ところで、細かいところに突っ込まずにはいられない、こんな私はもう映画を観ない方がいいのでしょうか?私と同じ体質の方、アドバイスお待ちしております。

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