平成11年5月

プロポーズのススメ

 「逢う魔が時」と俗にいいますが、夕闇せまる午後5時過ぎ、小さい子供のいる家庭は修羅場となります。なぜか。子供の機嫌というのは、決まって「夕飯の支度の真っ最中」に悪くなるからです。母親が夕飯の支度を始めると2才児3才児は必ず「だっこ」と言います。そういう決まりになっているらしいのです。そして子供は忠実にこの決まりを守り、実行します。それも毎日。
 無論夕飯の支度と「だっこ」を同時にするのは不可能で、どちらかひとつ、ということになれば、当然食事の支度が優先されるため、とりあえず母親はだっこをせがむ子供を足元でぐにょぐにょ言わせておくことになります。
 ほうれんそうを上手にゆでるには、大きめの鍋に湯を沸かし、まず根元だけ鍋に入れ、立てた状態で10秒程待ち、それから葉先を入れてほんの数秒で引き上げ、冷たい水にすぐさらしますが、こういったタイミングがすべての大して難しくもない作業も、足にからみつく子供がいてはなかなか思うようにいきません。「アチチよ。やけどするわよ。」と正論をかましたところで2才児に分かるわけがありません。分からないどころか、ますますからまりつく。体当りをしてくる。ぶら下がろうとする。あぶないったらありゃしない。もちろんこの相手には理屈など通用しない、と頭では分かっているので、最初のうちこそ意識して冷静に穏やかに諭しているものの、そんな母親の努力など全く意に介さない子供の余りの御無体ぶりに

「もう!なんで分からないのかしら!」

どんなに人間の出来た母親でも、こういう状況下ではさすがにイライラとしてきます。無理もありません。
 余談ですが、私は常々、この「段々とイライラしてくる」様子が「ラヴェルのボレロ」に似ていると思っています。皆さんもこれを読みながら想像してみてください。

 「あ〜ぶ〜な〜いって言ってるでしょ!!!」

と声のトーンを上げると同時にイライラ度もぐっとアップ。しかし子供というのは邪険にされるとますます「わたしをかまえ」と無茶な要求を突きつけてきます。そういう決まりになっているらしいのです。その余りに強硬な態度に負け、仕方なく12キロもある、米袋より重たい子供を「どっこいしょ」とヒモおんぶして、よろよろと食事の支度を再開する母親。かくいう私も子供をおんぶしたことが今までに3回くらいありますが、肩に食いこむ紐がもう痛いのなんの。10分もすると頭が痛くなってきます。その上で狭い台所で食事の支度をするなんざあ、こりゃもうアナタ、織田無道(お〜い、どこ行った?)も真っ青の荒行です。別に心身を鍛練するつもりもないのに荒行を強いられているというこの状況下では急速に気持ちも真っ青に染まっていきます。
 ほうれんそうを絞る・・・ぐちょっ(ゆで過ぎ)。さらに背中の子供が今度は下ろせ下ろせとギャーギャー騒ぐもんで気が散って、ついうっかり魚(しかも高価なブリ)を真っ黒に焦がしちゃったりもして。その上さらに豆腐のパックを開けようとして中の水を思いっきりぶちまけちゃったりなんかもして。
 大きなタメ息と共に子供を下ろし、焦げたブリを捨て、ちょっと涙目になって冷蔵庫から明日のオカズになるはずだった豚ロース肉を出しながら、彼女の気分はぐい〜んと急降下。流しで水遊びを始めた子供にまたもイライラ。こうして何もかもが煩わしくなってしまった彼女はかなり盛り上がってきた「ボレロ」をBGMに、身も心もイライラに支配されたいわゆる「ヒステリックな母親」と化していくのです。

 亭主連中には分からないでしょうが、主婦の方は今大きく、もしくは小刻みに頷かれていることでしょう。結構こういう日は多いですね。人によってはほとんど毎日という場合もあるでしょう。さてここで男性諸氏に問題。こういう時、群青色に染まった彼女の脳裏に浮かぶもの、それは果たして何でしょうか?

 それは「昔の、腹立たしい思い出」です。人間は普段、嫌なことはなるべく早く忘れようと無意識に努力しています。日常レベルでのイヤなこと、というのはもう数えきれないほどあるわけで、それにいちいち腹を立てていたら身が持ちません。よっぽど頭にくるようなことでも、普通の人なら次の日にはもう忘れてしまっています。しかし、本当に記憶から消去されているのではもちろんないわけで、ちょっとしたきっかけで実に簡単に再生されてしまうのです。この場合のきっかけとは、「今この状況を誰かのせいにしたい」という強烈な欲求です。無論誰のせいでもありません。子供はもともと煩わしい生き物だし、その煩わしい生き物をわざわざ製造して家族に迎え入れたのも夫婦合意の上だし、亭主が食いブチを稼いで、女房が子供を育てる、という役割分担にも両者納得している。別に今の生活に不満はない。子供はかわいいしダンナにも満足している。しかし、このイライラは一体何なんだ。誰のせいだ。まあいわゆる「八つ当たり」というやつですが、この場合その矛先は十中八九「ダンナ」に向かってしまう訳です。

 「そういえば」

と肉に塩コショウをしながら彼女は回想を始めます。恋人時代、新宿西口で待ち合わせた時、アイツ(ダンナのことね)が20分も遅れたおかげで「あなたの幸せをお祈りさせてください」という人につかまっちゃって、人ごみのドまん中で「目をつぶれ」だの「手を合わせろ」だのと妙な手順のお祈りを強制され、その最中にやってきたアイツはこともあろうに「お祈り」が終わるまで遠くから私を見物してたんだよなあ。私が困ってるの分かってるはずなのに他人のフリ。そうそう、もともと薄情にできてるのよね、人間が。

 「それからあの時も」

肉に小麦粉をはたきながら彼女の回想は続きます。婚約時代、親を騙して2人で出かけた温泉旅行。旅館の建物も料理も、肝心のお風呂までもがあんまりひどかったもんで、アイツが不機嫌になっちゃって、ずーっとつまらなさそうにしてたのよね。そりゃ確かにひどい旅館だったけどよく考えてみればあの旅館を予約したのはアイツなのに。私が文句をいうなら分かるけど、なんでアイツがぶすっとしてて、私が機嫌とりしなきゃいけないワケぇ?だいたい、ああいう時は無理にでも楽しそうにするのが礼儀ってもんよねぇ。まだ夫婦ってわけじゃなかったんだから。

 「そもそも」

生卵を溶きながらさらに彼女はイモづる式に「許せないコト」を思い出していきます。アイツは私にきちんと「結婚してくれ」なんて言ってくれてないのよね。そりゃ親には「結婚させてください」とは言ったけど、私に面と向かっては一言も言ってない。なんとなく、もうだいぶ付き合い長いよなあ、とか、親が早く身を固めろって言ってるんだよなあ、とか、モゴモゴ言ってただけで。そう、アイツは別に私じゃなくても全然よかったのよね、誰でも、ぜ〜んぜん。そうそう、どうせ私なんかもう本当に「お手頃」だったんでしょうよ、ええ、ええ。それにアイツと来たら、も、まるっきり、私を女として見てないし、「お母さん」とか呼ぶし、平気でオナラはするし、私がおとなしく家庭に収まってるもんで安心しきっちゃってるし、全くもう腹の立つ腹の立つ腹の立つ腹の立つ腹の立つ・・・

 ばしっっっ!

と、腹立ちがピークに達した彼女は突然、袖をびしょびしょに濡らしながらハデに水遊びをしている子供の後頭部を叩きました。いきなりです。当然子供は泣き出します。

「また服をよごすっ!もう!いいかげんにしてっっっ!!」

さらに泣きわめく子供。その手からぼたぼたと床に垂れる水滴。煮えたぎる味噌汁。飛び舞い散るパン粉。熱しすぎて煙の上がる、火災寸前の油鍋。包丁の刺さった千切り途中のキャベツ。阿鼻叫喚の地獄絵図。フルオーケストラの前には髪を振り乱し全身を激しくのけ反らせる指揮者。今や最高潮に達したボレロを脳裏に奏でながら彼女は絶叫します。

「もうイヤ!こんな生活!」

出ましたっ!お約束のフレーズ。この後はもちろん、なんの必然も脈絡も理由もなく「離婚」の二文字がぼよよ〜んと頭に浮かびます。しかしタイミングの良いことにここで、

「ただいま〜あ」

とのんきな声で亭主がご帰還。

「あ、おとうしゃんだ〜。おかえり〜」

とえらくうれしそうに子供が玄関へ向かいます。ぱたぱたぱた。さっきまでの不機嫌は一体なんだったの?という豹変ぶりです。

「おかえりなさ〜い」

おやおや、なんと彼女も瞬時にして立ち直った模様。

「今日は揚げたてのトンカツよ〜」

とやりかけだったキャベツの千切りを軽やかに再開します。 さっきまでの険しい表情はどこへやら。

「あ、悪いけど、ター君の服、着替えさせてくれるう?全く水遊びが好きで困っちゃうのよ」


と、このようにダンナが帰ってくるまでの「夕方」を、主婦は毎日こんな風に乗り越えて平和な家庭生活を維持しているわけです。決して日々のほほ〜んと、のんべんだらりと、何も考えずに暮らしているわけではないのです。ダンナへの不満なんて(言わないだけで)もう山のようにあるんですよ、ホントは。どんなにいいダンナだとしても「夕方」の魔力がダンナへの不満を紡ぎ出してくれちゃうんです。本当に怖いです。熟年離婚なんて、要は「夕方」の積み重ねなんですから、絶対。

で〜す〜か〜ら!

 これから結婚する男性の方へ、せめてものアドバイス。というよりお願い。
プロポーズの言葉をきちんと彼女に伝えましょう。「君と」結婚したい、結婚してくれ、してくれなかったら死んじゃうから、と少々大げさなくらい言っておきましょう。さらに、結婚したからといって手抜きをせず、夫婦間のコミュニケーションを図る努力をしましょう。帰りが遅くなるときは必ず連絡しましょう。それが「夕方」の魔力を少しでも弱めてくれるかもしれないからです。

 しかし、子供というのは父親が帰ってくると見事に機嫌が直るんですね。なぜでしょう。私流に解釈しますと、父親の帰宅と同時に母親の気持ちが和む、そのムードを子供が敏感に感じとっているからではないかと思うのですが、さて本当のところはどうなのでしょうか。
ま、ダンナが帰ってきて、「あ〜あ、帰ってきちゃった」と思うお母さんも多いのかもしれませんが。

 私?

 私はダンナの帰りを毎日「お先に一杯やりながら」首を長くして待ちわびているカワイイ女房です。

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