さて後編です。前編で述べましたように「某子供専門写真館」による徹底した「変な衣装攻撃」を受けて心身耗弱状態に追い込まれた私は、それでもなんとか子供らの衣装を決め、着替えのために楽屋入り(この表現がぴったりだ)しました。スタッフの方に手伝っていただき、長女は黒ドレス(金レースのフリル付き)、次女は白ドレス(リボンとお花とパールの飾り付き)、長男はモスグリーンのタキシード(袖口にビラビラがついていたが、長い分を折り込んだのでこれは隠れた)にそれぞれ着替えました。
(すげえ変)
あ〜あ、こんなことならウチにある安いよそ行き服の方がずっとましだったなあ、と思いましたが、時すでに遅し。撮影室では白いドレスに包まれ、白いレースのヘアバンドを頭につけたガッツ石松が、白いピアノ(はりぼて)の傍で写真を撮られていました。生後100日の赤ん坊というのは、ようやく首が座ったばかりで一人で椅子になど座れないはずなのですが、それがかなり高い椅子に支えなしで座っている。え〜?なんでなんで?と不思議に思い見に行くと、その椅子の背もたれには大きな穴があって、そこでうまい具合に腰を支えるようになっているのでした。へえ〜、こんな特別な椅子があるんだ〜、と感心しつつ楽屋に戻った私の目にまたもやショッキングな光景が飛び込んできたのでした。
ショートカットで普段は男の子にしか見えない長女の頭に金色の大きなおリボンが2つ、ぺたりぺたりと張り付いているのです。
(うわあああああ)
さらに次女の頭には3つめのお花飾りが今まさに差し込まれようとしている瞬間。
(ぎええええええ)
うれしそうにこちらを向いた長女の口には真っ赤な口紅。
(そ、それだけはカンベン・・・)
しかし結局、私がダメージを受けたのはここまででした。口を毒々しい赤に染められた次女が鏡の中の自分にうっとりしているのを目撃した瞬間、はっと気付いたのです。そう、子供はこういうのが好きなんだもんね、子供に親の価値観を押し付けるのは間違った育児なんだもんね、うん、そうだそうだそうだった、もうどうにでもして、どんどん変にしてやって、はははは、となぜか急速に開き直りの境地に達してしまったのでした。
それ以降の私はさっきまでの動揺はどこへやら、盛装(仮装?)(変装?)してはしゃぐ子供たちを穏やかな微笑みで見守りながら撮影の順番が来るのを待っていました。すべてを受け入れた人間特有の、聖母のような表情をしていたことと思います。人間、どこに成長の糧が転がっているかわからないものです。私にこの試練を与えてくれた神様、どうもありがとう。これでまた一歩、親として成長できたと思います。これは負け惜しみですが。
さて、撮影の順番を待っている身であれば、自然と他の家族に目が行こうというもの。その日は七五三写真を早めに撮ってしまおうという人達が結構いたようで、女の子が2人、赤い着物で撮影に臨んでいました。これならまあ普通の写真ができあがりそうです。いいなあ。普通。うらやましいなあ。
と、その横の日本庭園のようなセットに男の子が和服で入ってきました。だんだら模様の羽織をまとい額にはハチマキ。新撰組風の衣装で日本刀を構えた勇ましい写真を撮ろうという目論みのようです。カメラマンが異様に明るい声を張り上げて合図をします。「はーい、ぼくぅ、とりゃあ〜!ってやってごら〜ん」
男の子は思いっきりへっぴり腰でした。どうしていいのか分からないらしく緊張した面持ちで今にも泣き出しそうです。無理もありません。まだ5歳の男の子に突然演技をしろと言う方がいくらなんでも無茶でしょう。
「ダイスケ!ほら、うりゃあ〜ってやるのよ、いつもやってるでしょう?」
「そう!ほら、ギンガマン!ダイナ!戦い!」
「こうだぞっ!うりゃああああ!だりゃあああ!」みんなして必死で彼を励ますのですが、どうにも腰が引けてしまって非常になさけない姿。さらにテンションを上げて声援を贈る両親とカメラマン。いっそう引けていく彼の腰。まさにこれは私が3度のゴハンより好きな、一生愛してやまないであろう「オカシイ光景」なのでした。失礼だよなあ、と思いつつもこういう状況に行き当たった場合、体のそこここから無上の喜びが沸き上がってきてしまう特異体質はいかんともしがたく、私はかぶりつきでストリップを観ているハゲオヤジのようなマナザシで無遠慮に彼等を鑑賞し続けたのでした。結局へっぴり腰のままフラッシュを何度も浴びる羽目になった彼をかわいそうに思いながら、私はここでようやく真実を悟りました。
ここは「子供専門コスプレクラブ」 だったのです。
そう、もはや普通の記念写真では満足できない、通常の刺激ではもうカンジない、そういう親たちのニーズに応えるべくした結果、前述したような衣装を取りそろえるに至った、そういう特殊な写真館だったのです。店内に展示してある見本の写真をあらためて見ると、それが正解である、ということが確信できました。「セーラームーン」あり「相撲とり」あり「マジシャン」あり。ダンナが「桃太郎」の七五三コスプレ写真を見つけて、
「ありゃあ中学生くらいになったら自分で捨てるぞ」
とあきれ果てておりましたが、うん、そうかもしれない。ここはそういう「恥ずかしい写真」を撮るところなんだ。そんなところで「上流階級っぽい、かっこいい写真」を撮ろうするなんて、しょっぱなから大間違いだったんだ、なんだそうだったのかあ、ははははは。しかしこの時には気付きませんでしたが、それ以前に、私はもっと根本の部分でもっと大きな勘違いをしているのです。これを読んでくださっているみなさんはすでにお気づきでしょう。
「上流階級の人々は貸し衣装など利用しない」
人間、背伸びをしようとすると失敗します。いい教訓ですね。
さて、我々一家にもついに「恥ずかしい写真」を撮る瞬間がやってまいりました。あれこれとポーズを指示され、さあ撮りますよ、と言われても子供が4人もいたのではそう簡単に全員の視線が揃うわけがありません。
「はああ〜〜〜い、いいですかあ、こっちですよ、こっちですよ、こ・っ・ち〜〜カシャ!あ〜〜妹さん上見ちゃったねえ、こっちみてね、カメラ、ここ、はい、いいですか、あ、お兄ちゃん、これこれ、これ見てねえ、こ・こ!カシャ!うわあ〜まいった、また妹さんだあ、こっちだよう、は〜い、い・い・で・す・かあ、いちにの!カシャ!うわあ〜今度は赤ちゃんがあ」
(このカメラマン、家に帰ったらぐっったりだろうなあ)
(この人の奥さん、大変だろうなあ)もはや永遠にやってこないのでは、と思えるシャッターチャンスを強引に、力づくにでも創るべく、その中年のカメラマンは鬼気迫るほどの明るい声と全身を駆使したアクションで子供達の視線を集めようとするのですが、滝のように流れ落ちる汗とは裏腹にその努力は果てしなく空回りを続けていくのでした。
私はまたもや沸き上がる強烈な喜びに爆笑しそうになる自分を必死で抑えつけながら、もうどんな写真でもいいから早く終わってくれえ〜、たのむう〜、と神に祈りながらフラッシュを浴びていたのでした。さて先日、前編を読まれた方から2通ほどメールをいただきました。「変な衣装は北海道独自の習慣なのでは?」というご意見と「S岡県H松市にもそういう写真館がある」という情報でした。ちょっと周囲の人に意見を聞いてみましたが、特別北海道の習慣ではないらしく一部の愛好家に支持されてこういった写真館は全国各地にあるようです。困ったもんですね。またイナカにいくほど「変度」も高くなるという傾向もありそうです。
さらにS岡県の方も指摘されておりましたが、「ジジババ」という生き物が特別にこういうのを好むらしく、ことあるごとに孫に変な格好(彼等にすれば”かわいい”)をさせて妙な(”素敵な”)写真を撮っているジジババ連合軍も多いようです。わが家の場合も写真を送った東京のジジから、「いやあいい写真だねえ!それぞれの個性がよく出てるよ!」
というずっこけコメントをもらいまして、まあ、喜んでいただけてなによりなんですが。
え?どんなでき上がりだったのかって?
私はスキャナーもデジカメも持っていないので、実物をアップできないのが「ああ、実に残念だナァ、いやホント」なのですが、口頭で説明いたしますと、まず長女はオカマ。オカマ以外の何物でもない。次女は最後まであさっての方向を向いていたようで、ひとり久遠の宇宙に想いを馳せているご様子。長男はカメラマンの方を露骨に「なんだコイツ」という嫌悪の表情で見ており、私は明らかに笑いを噛み殺している顔。なぜか赤ん坊はガッツ石松と言うより輪島功一に似ていました。まあこの際どっちでもいいんですが。そんな中で、ダンナだけは家族の後ろで手を広げ、いいお父さん然として写っているのがもう絶妙にアンバランスで素晴しい。全体としては「ドサ回り演劇一家」のようで、期待を裏切らないハイレベルに変な写真でした。これでまたお値段の方も非常によかったわけで、私としてはどうしても「詐欺」「ドブ」「金返せ」という単語が頭に浮かんでしまいます。始めから「コスプレをするところ」だと分かっていれば、長女は綾波レイで次女は猫娘、長男はパーマン2号で赤ん坊はティンカーベル、私は女王様でダンナは遠山の金さんだとか、全員で「アダムスファミリー」だとか、赤ん坊に白いドレスを着せ、残りの5人でゴーゴーファイブ(顔見えない)といった、一生思い出に残る(?)、その写真館の伝説となる(??)、そういう写真を撮ったのに〜、としきりに残念がる私なのでした。後日談になるのですが、この写真館、そのあとすぐに名前が変わりました。いったんつぶれて経営者が替わったのであれば、少しはまともになっているのかもしれません。まあいずれにしても私は2度と足を向けないでしょうが。
最後になりますが、これを読まれたかわいい盛りのお子様を持つ親御さんは決して私のような間違いを犯されませんよう、切に切にお祈り申し上げます。ではまた。