2001年秋。愛車タウンエースが走行10万キロを超え、今年はスタッドレスタイヤも新調せねばならないことを期に、我が家は車の買い換えを画策した。これはその過程における大量の夫婦の会話から珠玉の一言を抜粋したものであり、短期間にいかにその意識や方針が変遷していったかを見ることが出来る貴重な記録である。当初のシバリは「運転席からのウオークスルー」「たくさん荷物が積める」「ロゴはいいけど模様はやだ」「200万円以下」というものであったが、選んでいるうちにもう過去のものであったはずの車に対するさまざまなこだわりが自分の中にいまだ潜んでいたことに気付き驚愕する。一体私は何に振り回されているのか、こうして書くことで見つけられたら、と思う。
「なにが”ミニバン”だぃ」
中古車情報誌をながめながらの一言。6人家族である我が家の車選びは当然7〜8人乗りであることを前提としている。しかしここ数年でその定義に当てはまる車が大量に増殖しており、軟弱なそれらの車には「ミニバン」というかつてなかったむずがゆい名称がつけられているのである。しかしすでに1BOX車は古いものしかなく、この名称がいくら気持ち悪くても、我が家はこの範疇からどれか一台を選ばないわけにはいかないのであった。
「棺桶が積めないとイヤだもん」
現在乗っているタウンエースは大量にモノが積めるのが美点。子供会でも3ヶ月に一度廃品回収があり、そんな時に役に立たない車はいやだ、という気持ちを表す気の利いた一言。しかしこの後、ダンナにしつこく「これなら棺桶積めるんじゃないの?」「これは棺桶積めないよ?どうする?」などといじめられるのであった。
「なんてことしやがんだ、全く」
ご存じのように、かつてのタウンエースとライトエースは「ノア」という中途半端な車に変わってしまった。中古車市場に並ぶそれらにはかなりの確率で横っ腹に繁殖期のシャケみたいなぬるぬる模様がついており、その変わり果てた姿を嘆く魂の叫び。
「日野レンジャー4t3段ロングジャッキクレーン7960、どう?」
あまりに選択肢が多いため、なかなか車種が絞れない。いいかげんイヤになり「バス、トラック」のページで息抜き中の一言。当然返事は返ってこない。ちなみに385万円。
「あたしはね、今までにぶつけなかった車なんかないんだからね」
ぶつけても泣かずに済む車を熱望する一言。当然体勢は腕を組んで仁王立ちである。実は獣医だった頃、新車の91レビン(赤)を納車当日に当て逃げされ、いきなりバンパーに傷を付けられ交番で泣き叫んだという縁起の悪い過去を持っている。定期的にぶつけてしまうのは体質としか言いようがなく、仕方がないのである。
「読んじゃダメだって。カラオケの歌本と一緒なんだから」
中古車情報誌とカラオケの歌本は眺めているといつの間にか時間が経ってしまい、結局何も収穫がないまま「読み終わって」しまいがちである。我々は買おうと思って見ているのだから、そんなふうにペラペラと軽くページをめくって読んではダメだ、とダンナを戒める一言。
「父親が乗ってた車って、影響大だよね」
トヨタのガイアが候補に挙がる。私はなんとなく「車はトヨタだ」と思っているが、それがどうやら理屈ではないことに気付く。父がトヨタ一辺倒だったので、その影響かなあ、と思う。妹に電話して車選びの話をしていると、彼女もやはり「トヨタだとなんとなく安心だよね」と言う。ちなみに2人の妹のダンナは両方とも日産派。彼らもきっと理屈ではなく好きなのだと思う。
「エルフ保冷車(中温)機械コンプレッサー付3700 2Dr、どう?」
またもや逃避。110万円で格安。これなら買える(買ってどうする)。「中温」で積み荷が腐らないのか大丈夫なのかとても心配だ。(←ひたすら逃避)
「家族サービス用の車はヤなんだってば」
いままで自分は「決断の早い人間」だと思っていた。しかし今回のこの優柔不断さはどうだろうか。なぜどの車もピンとこないのか、と考える。比較的新しくて安価な車はお父さんが休日に家族をピクニックに連れていくようなこっぱずかしいコンセプトの車が多いからだ。しかし4人の子持ちがセダンやクーペを選ぶわけにもいかない。ジープは腰痛持ちなので避けたい。そこで私は、ぎりぎり5年落ちの1BOX車にターゲットを絞るが、ダンナは全く聞き入れてくれない。夫婦の危機を招いた一言。
「あのねえ、調べたら結構貯金があってねえ」
依然として車種すら決まらない。やけくそになって「ちくしょー、こうなったらエスティマ・ハイブリッド買ってやるう」と何の気なしに雑誌の特集を読み始めたのが運の尽き、あのメタリックピンクに魅せられ強烈に欲しくなってしまう。400万以上するが貯金をはたいてでもこの車欲しい、と熱く燃えているにもかかわらずさりげない風に冷静さを装った一言。ついでがあったのでカタログをディーラーに持ってきてもらうが、納車が1年後と聞き残念ながら/幸運にも即却下となる。
「新車っていうのはね、納車した瞬間にもう中古車なのよ?」
エスティマ熱が醒め、再び中古車路線に戻ったのもつかの間。ダンナの仕事仲間が買った新車が今日納車だったため、指をくわえて見ていたのだろうダンナが夕食後いきなり「新車を買うことに決めた」と宣言しパソコンに向かう。ネットで新車の見積もりを依頼しまくるダンナの背中に向けて、会心の一言。
「絶っっっ対ぶつけるからね、怒らないでね」
欲しい物を買わないで何の人生か、とは思うので、新車を買うことを承諾するが、とりあえず確認の一言。言うまでもないが「懇願」ではなく「宣言」もしくは「言い渡し」である。この時点で車種は奇しくも我が家の家訓にまでなった「モノより思い出」の「セレナ」か「パパママリバティ」(←恥ずかし過ぎ)にほぼ絞られた。日産?コテコテの家族サービス車?いいんじゃないすか、ははは。疲れ切っている私は無理矢理「両側スライドドア」に価値を見い出し、本格的なゴーサインを出した。
「じゃあ私はブッチョー面で返事もしないから」
ディーラーに試乗や見積もりに出向くときは「買いたいお父さん」と「それを阻止せんとするお母さん」を演じることにより余計に値引きをしてもらえるのではないか、という秀逸な考えに基づいた提案。とうぜん子供にもビンボー臭い格好をさせ口の周りにケチャップでも付けて全員連れていくのだ。特に仕込んでおかなくてもピカピカの車にびびった長女は「お金あるの?」という質問を発することだろう。そうしたら私は吐き捨てるように「ないよっ!」と答えてやるのだ、いっしっし。でも結局キャッシュで払うからバレバレだな。
「ステップワゴン、中古」
子供会の廃品回収があり、再び方針変更。新車を買ったからといって車を出さないわけにもいかず、湿った土のついた新聞紙とか、ぼたぼた液体の垂れてくる空き缶などを集めるためには、やはり中古でないと精神衛生上苦しいものがあるだろう。「いっぱい積めて、いっぱい乗れる」という今のタウンエースの後を継ぐのはやはりこの「木綿ドウフ」のような車しかないのでは、と確信めいたものを感じる。しかし新車を買いたいダンナはこの提案にブッチョー面で返事もしないのであった。
「タウンエースのスタッドレスは今なら4本で4万円だそうだ」
ここへ来て戦況は膠着状態に陥ってしまった。新ステップワゴンの最高グレード新古車が245万で出ていたので、これはお買い得だ!と低い態度(←あつよ基準)でおうかがいを立てれば、ダンナは「300万近く出すのなら、何もつけないエスティマを買った方がいい」と真っ向から対立。じゃあ旧式のステップワゴンを150万以下で買おう、と提案すれば返事をしない。ようしわかった。タウンエースのスタッドレスを新調することにして、今回の話はなかったことにしよう。私は中古車情報誌や新車のカタログをばさばさまとめてどさっと玄関に出し、宮部みゆき著「模倣犯 下」のフテ読みを始めた。
「なーんだ、みんなそうなのか」
学校で3年生のクラスレクがあった。同級生のお母さんが新車を買った話を聞き、我が家の今回のいきさつを話したら「ウチだって車種が決まるまで2年かかった」と返ってきた。車に関してはダンナ任せの女性も多いだろうが、妻が口を出すとどうやら決まりにくくなるのは確実なようだ。しかし「2年」って、一体。
男というのは車に現実以外の何かを求めることが多い。しかし妻になり母になった女性としてはやはり現実を考えねばならない。私の場合は、それプラス自分でも理解不能なこだわりが噴出してきた。齟齬は当然と言えよう。しかし先日もどこかに書いたように「結論の出ない議論」は決して無駄ではない。今回は買い換えに踏み切れなかったが、いずれにせよ来年の秋には車検なので、ひとまずそれまでに考えましょう、ということになった。ダンナのシメの言葉は「ま、エスティマ・ハイブリッドも視野に入れつつ」。なにが「つつ」だい。欲しいなら欲しいと言え。しかしこれでタウンエースにもう少し乗れるので嬉しい私であった。
車の雑誌を好んで読む妙な女子学生だった。ガソリンスタンドの娘だからかも知れないが、車は好きだったし、夜の首都高をわざわざ走ったりもした。オートマに乗るようになってしばらくはつまらなかった。ワゴン車に乗るようになってなにかを諦め、「車なんか走ればいい」と開き直ったつもりだったが、そうではなかった。下品な色のマニュアル車でタイヤを鳴らしながら走るのはOK、洗ってないタウンエースに子供をたくさん積み、ディーゼルエンジンをガロガロ言わせて走るのもOK、しかしこぎれいな「ミニバン」で休日にお出かけは恥ずかしい。我ながら不思議なこの気持ちをあえて単語に変換すれば、それは「美意識」ということになるのだと思う。タウンエースに美意識を持って乗っている主婦がここに1人いたのであった。
最後に日産セレナのカタログにあるコピーをここで紹介しよう。
私はこれが恥ずかしい。これを読んでこの車を買ったと思われるのが恥ずかしい。小さい子供がいる家庭を横文字で「ファミリー」と称する感覚がいやだ。数あるミニバンの中に、たとえば、
とかいうコピーの車があればいいのになあ、と思う。しかしそんなこと気にする私がオカシイのだとも思う。
さて1年後。我が家はどんな車を買うのか。我ながら楽しみである。