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第91回(02.3.5)

 皆様こんにちは。例年になく暖かい北海道ですが、それでも時折冬に戻ったりするので一家でカゼっぴきです。オリンピックとか国会中継とか「雅楽戦隊ホワイトストーンズ」(道民の皆さん、観てますか〜?)とか、ようやくフレッツになったのでいまさら「東風荘」なんかに熱中してまして、1ヶ月ぶりの更新となりました。すいません。今日の常識へようこそ。

 先日ダンナと2人でお昼にソバ屋に入りました。私はカツ丼(梅)、ダンナはソバ定食を頼んだのですが、なんとこのソバ定、880円という値段でエビ天が5本も付いているのです。この不景気に景気のいいことだなあ、と思って「まあ、エビ天が5本も!」と再三口にしたところ、なぜかダンナはエビ天をひとつくれました。そんなつもりじゃなかったのに。で、食後。私は不景気な数字の並ぶ財テク雑誌をめくりながらダンナの一服を待っておったのですが、一向にタバコを取り出す気配がないので、「あれ?吸わないの?」と聞いたら「もうずっと吸ってないじゃん」という意外なお返事。そう言われてみればなんかノドが痛いとか言って病院に行ってましたが、あれ?あれえ?そうだっけえ?(←うろたえている)ダンナが言うには「禁煙してもう2週間」になるそうですが、彼の妻で、寝食をびったりと共にしているはずの私はまったく、ええまっったく、清々しいほどこれっぽっちも気付いておりませんでした。

「お互いの存在が”空気”のようになってきてこそ夫婦」

 結婚して早10年。しみじみ「そっかー、うちのダーリン気化しちゃったかー」と思いましたね。誰ですか、「蒸発させたんでしょ?」とか言う人は。ま、一概に空気と言っても、その中には窒素とか酸素とか二酸化炭素とか、窒素酸化物とか揮発性有害物質とかダニの死骸とかメチルメルカプタンとかいろいろ混ざってますけどね。できれば「マイナスイオンな人」と夫婦になりたいもんですな。

 さて冬季オリンピック。日本のメダルはたったの「2ヶ」でした。北海道の寒い早朝、3時とか4時とかに早起きして応援したのにメダル「2ヶ」也。女子モーグルの決勝の時は観戦中になんと「灯油切れ」でストーブが消えてしまい、容赦なく下降してゆく室温の中、毛布にくるまって応援しました。冬の北海道での「灯油切れ」はイコール「死」を意味します(注:いまどき死ぬ人はいません)。ま、それでも多英ちゃんはメダルをとってくれたので「命がけ」で応援した甲斐もありました。が、連日の昼寝のせいで寝そびれて、4時まで起きて見ていたジャンプは、ご存じのように残念な結果。ま、今回は仕方ないといえば仕方ないですが。ちなみにウチの長男は原田雅彦にそっくりなので他人とは思えず、ついつい応援に力が入ってしまいます。

 さて私は今回、今まであまり興味の無かった「男子フィギュア」に思いのほか熱中してしまいました。女子フィギュアは美しいので大好きですが、男子はあの「おうぢ様のような衣装」がイヤで敬遠しておりました。

「ああいう格好をして許されるのはプリンスと及川光博だけ」

 常識ですよね。さて、そんな「常識破り」と定評のある(ないって)男子フィギュア、もちろん銀メダルのプルシェンコの髪型は許せない、というか社会通念上あってはならないことだと強く思いますが、今回は日本の本田武史ががんばったので目を背けずしっかり観ました。本田くんはその「高校球児」のような容貌とは裏腹に、表現力に非常に優れています。ま、要するに若いにしては「踊りに色気がある」と、こういうことでしょうか。思いがけずの2位で迎えたフリーの演技は実に素晴らしく、おばさんすっかり感動しちゃいました。が、惜しいのはやはり「衣装」。ああいう乳首が透けそうな格好は西洋人にまかせておいて、ここはひとつ「角刈りに着流し」で演技して欲しかった。はだけた着流しの間からはもちろん、日本男児の魂、はためくふんどし。どうせだから音楽も鳥羽一郎かなんかにする。えんやーとっとのリズムに乗って、4回転ジャーンプ!くるくると体に巻き付く六尺がさながら新体操のリボン演技のよう。ああ、見たい。強烈に見てみたい。

 ふんどしハタハタが風紀上問題になるのであれば、もうひとつの案として(まだあるのか)、羽織ハカマに小道具として面と扇子(←反則?)。リンクに響き渡る鼓の音。日本の伝統芸能、能をアレンジした「わびさびフィギュア」というのも西洋人の審査員に強烈にアピールしそうな気がしますが。いや、ホント、オリンピックは無理としても、アイスショーでやりませんか、佐野さん。アイデア料なんかいりませんから。

 しかしこうして私が半日かけて「本田くん金メダル獲得作戦」を練っているというのに、彼は留学先のカナダが気に入っているらしく、「ボクはもうカナダ人」とか言ったそうです。そんな大橋巨泉みたいなこと言うヤツにはふんどしを締める資格なし!というか、それ以前に彼を応援している日本人としてはなんか寂しいですよねえ。

 真打ちの女子の方で印象に残ったのは「ウクライナの妖精」と言われた「エレーナ・リアシェンコ」がすっかりおばさんになってしまったことでしょうか。なんでも大スランプの最中だったそうですが、全体的にお肉がついてしまい動きも鈍く、観ているとジャンプの後、「ドシン」という地響きが聞こえてくるような気がしました。

「“過去の栄光”は時に痛々しい」

ま、この人の場合はその美しさが日本で注目されただけでメダル取ったわけでもないんですけども。

 さて前回、我が家の食卓問題解決案を提起いたしました。その後長女を私の隣りに、長男をダンナの隣りにと席替えをしましたところ、食卓における小言が激減するという非常に顕著な効果がみられました。やはり人間、「左斜め前方」にはどうしても「批判的な視線」を向けてしまうようであります。もしかしたら右脳左脳という視点からなんかしらの根拠が見いだせるかもしれません。なんかご存じの方、教えてください。 

 トップでもお知らせしてますが、3/26、新宿あたりでオフ会します。今回はEINのびしさんと楽しみな初顔合わせです。今のところ7〜8人くらいです。平日ですがおヒマな方は気軽に来てください。それでは「今日の妄想」はこのへんで。次回をお楽しみに。


第92回(02.4.6)

 不気味な春です。とてつもなく不吉です。東京の桜は入学式を待たずに散ってしまうし、みずほ銀行はいきなりわかのわからないトラブルに見舞われるし、なんといってもあの監督のあの球団(←口にするのも恐ろしい)。すでに大阪は大パニックだそうですが、こうなるともう何が降ってきてもおかしくないですね。気をつけましょう。月刊「今日の常識」へようこそ。

 クイズミリオネアの2次予選というのは電話でクイズを出してもらい、それにその場で答えるという形式なのですが、高校時代は「雑学の女王」として鳴らしたこの私、あっさり落ちてしまいました。10問中、何問正解すれば進めるのかはわかりませんが、私は少なくとも2問は間違えました。「銀閣寺を作ったのは誰?」に「足利・・えーと、尊氏!」と答えちゃったし、「サマランチ会長はどこの国の人?」という問題はわからなくてパスしました。実家にいたのでそのあと母や妹と答えを確認し、「銀閣寺を作ったのは足利義満」「サマランチ会長はスペイン人」と言う結論に達したのですが、その後「足利義満」は金閣で、 銀閣を作ったのは「足利義政」ということが判明。実家の連中に「ライフライン」は任せられん、ということがよおく分かりました。ちなみに1次予選はQ2で、ネコでもわかるような4択問題が1問だけです。2次予選で落ちたら、半年後にまた挑戦してもいいということでした。2次予選を通過すると品川プリンスホテルでの最終選考会(日曜日)に進めるそうです。興味のある方はぜひ挑戦しましょう。2次予選だけでも十分楽しめます。(←負け惜しみ)

 さて、昨年の秋から実家にいたネコをついに引き取って面倒をみています。普段は元気(といっても20才を越えているので寝てばかりですが)で食欲もあり自力で生きていますが、時々膀胱から出血し、そこら中血だらけにしてします。たぶん腫瘍かなんかあるんだと思います。ただでさえ腎不全で貧血気味なところへきて結構な出血量なので、毎回「ああ、この子ともそろそろお別れだな」と覚悟をしますが、ところがどっこい。ケージに入れて抗生剤と止血剤を注射する程度の治療しかしませんが、それでも出血が止まると元気を回復し、出血分を取り戻すようにガツガツ食べてケロリと復活してしまうのです。

「ネコはなかなか死なない」

 ネコの死因というのは交通事故が圧倒的に多く、また自由に他のネコと接触するのでウイルス性の病気ももらってきやすいのですが、外に出さずに飼っている場合はかなりの確率で天寿を全うすると思います。とはいってもネコは長生きするとまず腎臓をやられるのが当たり前で、結局は「腎不全による尿毒症」が死因になる場合が多いかも知れません。検査結果を見て、「オマエそれでよく生きてるなあ」とびっくりするくらいの尿毒状態で生きているネコも昔何匹か見ました。本当に強い生命力を持った生き物なのです。それに比べて犬は根性なしですが、マルチーズあたりはネコ並みに生命力が強いような印象があります。小動物臨床界では

「犬は心臓、ネコは腎臓」

 という常識がありまして、犬は長生きすると心臓をやられますが、ただ立っているだけなのに常にユラユラと左右に揺れ、歯も全部抜け、ボロ雑巾のようになったマルチーズやヨークシャーテリアで、聴診すると「ザバッ、ザバッ」というものすごい心雑音、それでもどっこい生きている、というのもよく見ました。体が小さいので弱った心臓でもなんとかなっているということでしょう。

 生命力、と一口に言いますが、具体的にはどんな力であるか考えてみますと、それは「許容量」という気がします。犬や猫の小さな体に秘められた大きな処理能力。処理能力を超えても生きていけるだけの許容量。人間でも長生きの人は体のあちこちで発生する不都合を、また老いることに対するもどかしさやくやしさを、肉体的にも精神的にも「許容」して生きているんだろうなあ、とこのように思いました。

 さてウチの子供達、特に長男は「めざましテレビ」の「きょうのわんこ」を毎朝楽しみにしております。当然の帰結として「犬欲しい」「犬飼いたい」「犬と遊びたい」となるわけですが、まだネコがいるので無理、と言うと、「じゃあネコが死んだら」「ジュリちゃんいつ死ぬのー?」とネコが死ぬのを楽しみにするようになりました。母親の方も「うーん、ネコはなかなかしぶといからねえ」「でもさすがにあと2年は無理なんじゃないかなあ?」と思いっきりシビアなコメントしたりして、情操教育的にこういう親はどうなんだろう?と母親としての自分に一抹の不安を感じたりしております。ましかし「情操面」が肥大した人間というのは大抵「ウザいヤツ」ですけどね。

 まあそんなわけで次は犬もいいかな?と思い、先日里帰り中に実家の斜向かいにある「コジマ」というペットショップに子供らと犬を見に行きました。

「あ、これかわいい」
「お母さんその犬キライ」
「じゃあこれは?」
「それはバカだからやだ」
「あー、ビーグルだー」
「それだけは絶対絶対絶対ダメ。曾孫の代まで飼っちゃダメーッ!!」

とこんな具合で思いがけず遺言までしてしまいましたが、この消去法の結果、「飼うとしたら雑種しかないな」と決まってしまった希望の春なのでした。しかしいつまで生きるつもりだ、ジュリちゃん

 それではきょうはこの辺で。次回は「月刊」にならないように気をつけます。お楽しみに。


第93回(02.4.18)

 皆様こんにちは。全力疾走していたトラもついにスタミナ切れのようで、我がジャイアンツがようやくしっぽを捕まえました。2.5差です。このゲーム差ならゴールデンウイークあたりには引きずり下ろせることでしょう。うっしっし。今日の常識へようこそ。

 最近になって「チョコエッグデビュー」いたしました。今までの「動物シリーズ」にはちっとも食指を動かされなかったので、例の「ヒメネズミ事件」などはわっかじゃないの???」と新聞にツバを飛ばしていたりしたのですが、今度の「ディズニーシリーズ」は一ディズニーファンとしてどうしても素通りできず、子供達に「チョコはあげるけど中味はお母さんのだからねっ!」と太い釘を刺し、とりあえず2個ほど買ってみたのが運の尽き。そのフィギュアの精巧さに「きゃーっ!!かっっ、かわいいいい!!」と雑巾をしぼるような悲鳴とオウド色の声でおばさん感動。半額大好きなケチケチ主婦のあつよさんもまんまとフルタ製菓の思うつぼにはまってしまい、ダンナの給料でチョコエッグのオトナ買い(箱単位で買うこと)、さらにはYahoo!オークションでの購入やチョコエッグ掲示板でのトレードなど、かつてのタイガース(←過去形)のような「破竹の勢い」でコレクション中でございます。そんなわけで今日は「コレクション」の話など。

「コレクションは男の楽しみである」

世間一般ではこう認識されていると思います。むろん女性にもコレクターはいますが、大抵がアクセサリーだとか、バッグだとか、そういう「実用性」を伴ったものです。小学生の娘どもはシールを集めていますが、これなどは「みんなが集めてるから」という、完全に「お付き合い」で仕方なく集めている風。最近はシールブームも去ったようで、今はそのシール手帳も子供部屋の片隅にホン投げてあります。このように女のコレクションにはモノそのものに対する「愛情」が足りません。
 対する男性はどうかと言えば、皆さんの周りにすでに実例がたくさんいるはずなのであえて語りませんが、どうやら男というのは「無機物」に無償の愛を抱くことができる生き物のようです。コレクターではない男性も多くいますが、多かれ少なかれ、男性というのは「何かを集め、それを並べ、眺めて満足する」という傾向があるのではないかと思うのです。他人に理解できない、まったく実用性のないモノを集めて喜んでいるのは、たとえ子供であってもまず男性でしか、いや、「男性の脳」でしかありえないのではないか、とこういう気がします。

 ここでその原因を考察してみますと、やはり男性独特の「視覚」が大きく関わっているのではないか、と思えてなりません。皆さんご存じのように、男性というのは満足するのにその「視覚」を手段とする場合が多い。簡単な例で言えば、若い女性のハダカを見ると嬉しいとかコギャルのパンツが見えるとなんかトクした気分になるとかそういうバカ 阿呆 幼稚 ほほえましい習性のことですね。このように男性は目から入った情報に非常に刺激される脳を持っているらしいのですが、これが「コレクター魂」にも一役買っているのではないか、と推察します。コレクションという楽しみは一見「集めること」を楽しんでいるように見えますが(もちろんそれもありますが)、やはり「並べて眺めてニヤニヤする」ということが本人も気付いていないかもしれない「目的」なのではないでしょうか。

 ここでちょっと横道にそれますが、男性が視覚を重視する生き物であるがために、女性は美しくあろうとするわけで、前述の理屈と合わせて考えると、コレクター度の高い男性ほど「視覚重視」すなわち「面食い」である可能性があります。女性の皆さんには同意していただけると思います。妙なモノを集めてニヤニヤしているヲタク男に限って「面食い」だったりしますよねー。「オマエにブスって言われる筋合いはないわいっっ!」とマジメにムカついたこと、ありますよねー。(←あるらしい)

 とまあ男性ばかり変態扱いしてしまいましたが、テレビの上に並んだ「よくできてる」ディズニーキャラクターを眺めていると、たいしたコレクター魂を持ち合わせていない(飽きっぽいもんで)女性の私でも幸せな気分になるし、せっかく集め始めたのだから、と「コンプ」(コンプリート)を目指してしまうのは、それだけ時間とお金に余裕のある人間であれば男女に関わらず当然ではないか、という気もします。目的を見いだせずに生きている人間の多い昨今、束の間のむなしい目的には違いないけれど、それに向かって邁進する幸せを味わう権利くらいは扶養されている立場の専業主婦にもあるのではないか、とこのように思っております。(←得意の正当化)

 そんなわけですので、「白雪姫毒リンゴ」「ガラスの靴」、余ってる人いたら(いませんよね)レート相談の上好条件にて譲ってください。パート1のキャラクターも希望です。当方、046トリトン王×3、048セバスチャン×2、041ジョック×2、031ジャック×2、035フック船長、029王子、すべて穴あきブック付き未組立です。(こういう専門用語でのコミュニケーションもコレクションの醍醐味ですな)
それでは、かわいい飼いネコのジュリちゃんがこの世のモノとは思えない鳴き声でエサをねだるので、今日はこのへんで。次回をお楽しみに。


第94回(02.5.27)

 皆様こんにちは。ずいぶんとご無沙汰してしまいました。ギリシャ神話で時間を支配するとされる「クロノス」という神はガイコツが大鎌を持った不気味な姿で描かれています。古来より人は時の流れほど冷酷非情なものもない、と感じていたのですね。あらゆる生命を確実に「死」へと至らしめるのは結局のところ「時」でしかありえません。だからこそ人は、何もしないでいる時間に焦りを感じるのでしょう。クロノスの大鎌に追い立てられ、自分の生きていた証を残すべく仕事に遊びに繁殖にと忙しく動かずにはいられない。生き物は限られた命だからこそ、何かを生み出すことに命を懸けるのかもしれません。そういうわけで、クロノスのせいで一月半ぶりになってしまいました。今日の常識へようこそ。

 さて、今年も狂犬病の予防注射のアルバイトをさせていただきました。犬というのは飼い主に従順であるべく創られたはずの生き物なのですが、中にはやはり飼い主に牙を剥いてしまう「すでに狂犬」というのも時々います。それはもちろん覚悟の上でしたが、今年はさらに「飼い主が狂犬」という珍しい例も見ることができ、非常に有意義なアルバイトでした。役場の担当の方とは「東風荘で同じ卓を囲んだことがあった」(←なんだかなー)という妙な縁も判明して、ネット社会の面白さ不思議さ不気味さを考えたりもしました。私の大好きな「読売人生案内」にもネット恋愛の悩みが寄せられたりしているこのご時世。まあ、ネット雀荘なんかは健康上以外の害はないと思いますが、実体の見えない相手との時に深い心の交流。いまさら私が言うことでもないですが、ネットの普及というのは本当に人類そのものを変えてしまうかもしれないなあ、と思いました。

「ネットにハマると実生活がその分おろそかになる」

 ま、現代社会の病理とか今の若者はとか、そういうエラそうな切り口で語らなくても、要するに「時間の関係」でそうなるのは確実だと思います。私は主婦なので、主婦の立場で考えてみますが、たとえば専業主婦がネットに楽しみを見いだしてしまうと、ネットというのはそれこそいくらでもヒマがつぶせる世界なので、料理に余計な手間をかけたりとか、近所の奥さん達と井戸端会議をしたりとか、子供に絵本を読んでやったりとか、夫婦の会話とか、そういう時間は明らかに減ります。また「この素材はどう料理すれば?」とか「子供のこういう症状はどんな病気?」といった疑問の解決も、以前だったら地域のママさんネットワークの担当でしたが、今はインターネットでささっと調べがついてしまう。便利なのは結構なのですが、その分「生身の人間」に関わる時間が減るわけです。人間は人間と直接関わり、マメに傷ついたりイヤな思いをしたりしていないと、どんどん自己が肥大していきます。現代の社会問題の原因のひとつでもあります。

 しかし人間はヘビの誘惑に負け、エデンの園から追い出されてしまった生き物です。何かへ向かって、どこかへ向かって、進んでいくしかないのです。結果、何らかの変容を来すのはあったり前田のクラッカー(←ごめん)で、社会も人間も「変わってあたりまえ」なのです。もちろん「好ましくない方に」変わってしまうことだってそりゃあるわけですよ。人間は人間ではなく機械に囲まれて生活するようになり、それによって「心」をなくしてしまったと言うのなら、それはそうなるべくしてなったことであって、誰のせいでもありません。あえて責任を追及するのなら、それは「ヘビのせい」としか言いようがありません。

 ましかし子供を持ってみると、こういう「便利」は、子供にむやみに与えるべきではない、と強く思いますね。最近子供らに花札を教えましたが、わが子らは「5点、10点、20点」しかない札の点数計算をマツヤデンキでもらったスケルトン計算機(緑)でやるわけですよ。なんかよくわからないけど、それはイカン、と思いましたもんね。で、計算機を取り上げてみると今度は「計算めんどくさい」とか言う。「便利」は人間の考える力、耐える力を削いでしまう一面も確実にあるわけです。あるわけですが、足し算引き算を考えなくて済むようになったらなったで、今度はまた別な「余計なこと」を考えれば、それはそれで人間としては十分正しいのではないか、とも思います。

「人間は考える葦である」

 ほっといても人間はなんかしら考える生き物です。むしろ新しい物を受け入れない、便利なものを「手抜き」として妙に見下す、こういう人(多いです)の方が「あったま悪い」んじゃないかと思います。確かに「便利」によって体力筋力は落ちますし、それを危惧しての「拒否」であるならそれはそれで賢い選択だと思いますが。

 さて話は変わりますが、ハワイ在住の主婦、C秋さんから「夫婦間のキスについての考察をお願いします」というリクエストをいただきました。ご存じのようにあちらの方々はひんぱんに「ちう」をします。しかしC秋さんはハワイに住んではいてもおしとやかな大和撫子なので(いや会ったことないけど)ここ数年ご主人と「ちう」はしていない。そう言ったら「おぅまいがっっっっ!!!」とハデに驚かれたそうです。確かに日本人は結婚したらあまり「ちう」なんかしないと私も思いますが、本当にそうなのか?人前でしないだけで実は夫婦でも結構「ちうちう」やっているのではないか?そういうわけで、考察に先立ち、アンケートをお願いしたいと思います。これを読んだ既婚者は絶対に絶対に答えるように。答えなかった人にはもれなく21才のネコを送りつけますのでかわいがってやってください。

「ちう」に関するアンケート

Q1
あなたの性別は?

Q2
結婚何年目ですか?
1年未満 1〜5年 5〜10年 10年以上

Q3
子供はいますか?
いない 1人 2人 3人以上

Q4
「ちう」はどのくらいしますか?
勠ウ!ケ%N8b葱Gメ盞ク[Iハ峠1\ヘ 帳ノ*トd+レ蘗$eE輪。HタB_レスネキEア ヲC茖ネ鰛ウェBミ枡E 提゚"ロ4棋イタノ次ホア系ハLbmrFI?wオ#荘孫=ケヤオXLモo 2'忌vBホュt}1序>オユ4lツ42繩mゥス租イRFpF0xョ~雋坊ワg佼ニEkt4V]ヲ?-攅cィァ,b)0罫逾j」`cYョ;B75M^;d懽=ソ SwV?ヤ絖NZ0d*8$脉エ\ qヨシハ'桜0I+.FAル榕ノ^Dヘォ;2與:レ胸b^p m1ナMkエ\($d ク'VウCFオイо<チサq$bエUD ョFy+栩ンユ訝vルーッ'ネャ:?%リトngソ・y叛3゙gx0ネ~4B゙J)ニ Lラョ鰺カムyワ1ヤvェトG啗Dナ<$カF$d縢ァ甎i隙烽ロN&祖翳 >`ワ繍Yタ*9聊・Qヨ|灯柄ヨ0\vゥオッCDx鮟ヨク&琢 <"゙oテ氷ス⌒(}8Z8(999ナg5ゥテebワ恂 弱5補姆НGXKコト.)'v&ホ)レ゚\瀘゙泝