北防波堤ドーム
稚内港のシンボル・北防波堤ドームの誕生
1年を通じて、強風と高波に見舞われる最北端の風の街、稚内。大正から昭和の始めにかけての稚内港は、当時高さ5.5Mの北防波堤が作られていましたが、波がいとも簡単に乗り越え乗船客が海に転落するという事故が相次いでいました。其の為頑強な波よけの防波堤の建設が必要とされました。
昭和6年(1931 年)1月,北防波堤の波よけ工事の 施工が決まった時、その設計を命じられたのが土谷実氏でした。土 谷氏は,北海道大学を卒業して,稚内築港事務所へ赴任してきたば かりの26歳の技師でした。
土谷氏 は、当時はまだ発展途上だつたコ ンクリート工事の知識を大学で学 んでいたため、上司から「やれ」のひと言でこの大事業を任されました。しかも4月の着工に間に合うように設計を終えろという無理な注文で,図面書きから強度計算、工事の指揮などそれらのすべてを土谷氏ひとりが行わなければなりませんでした。それから昭和11年(1936年)までの間,5年の歳月をかけて完成したのが、北防波堤ドームです。延長424m,高さ13,2m,半アーチ型の波よけに古代ローマ建築を思わせる太い 円柱とアーチの回廊を持つという,世界でも珍しい建築物の誕生でした。岸壁には稚内と樺太の大泊(現・コルサコフ)を結ぶ稚泊連絡船が横付けされ,ドームはその乗船客のシンボルとなりました。 以後,新天地や希望を夢見て樺太へと旅立ってゆく様々なドラマをドームはじっと見守り続けました。ドームに沿って線路が敷かれ,稚内駅から桟橋まで乗船客を運ぶ列車も走っていました。しかし、昭和20年(1945年)終戦により稚泊航路がその役目を終えてからは,稚泊連絡船のシンボルから稚内港,稚内市のシンボルヘとその役目も変わっていきました。
それから半世紀ほどの歳月を経た昭和 53年(1978年)、老朽化の激しくなったドームに全面的な復元工 事が施されました。シンボルとしての旧ドームの面影をそのまま残すように,解体をせず忠実に復元されたことは,ドームに対する人々の思いの現れでした。現在は,全長427m,この美しい北防波 堤ドームは、日本の歴史的遺産として、稚内観光のスポットとして人々に愛され、シンボルとして語り継がれていくでしょう。稚内観光の目玉として歴史的遺産として人々に愛されています。
(稚内駅から徒歩で約5分の所に有ります。)