1999年開設当初から大人気「レイコのエッセイ」です。 モブログ風の『写真日記〜foto diaria』(2003年9月〜2004年2月)、 現在好評のブログ『musica de blog』(2004年7月より) の過去ログ、コメントも全てこちらで読めます。 左のメニューからどうぞ。
アディオス1999

とうとう激動の一年が終わろうとしている。
今年1999年はマサに激動の年であった。
さて、反省を込めて振り返ってみる事とする。

年明け1月の第1週目から早速マキシシングル「ボッサ・カルモザ」の
レコーディングが始まった。1998年に発表したファーストアルバム
「フィン〜魚のひれ〜」が思いのほか評判になり、売り切れてしまったからだ。
「よーーし!売るぞぉぉぉ」気合いを入れながらも
慌てたために、「フィン」の中から3曲リミックスという形になった。

お正月気分も覚めやらぬ真冬の札幌、某スタジオにてそれは密かに行われた。
「ボッサ・カルモザ」の曲の完成度の高さにコーラスをつけることにしたり、
追詩をしたりで大忙し。新たに導入されたHDやコンデンサーマイクとの微調整。
連日のミックスダウンの確認。同時にジャケット制作の打ち合わせ。
印刷、デザイン、雰囲気にこだわりを見せる職人気質のデザイナーさんに依頼したので、
写真撮りや色校正等、およそ私には初体験の超クリエイティヴな仕事であった。

真夜中のジャケット写真撮影は、本格的すぎて本当に興奮した。
たかだか手の撮影と思い甘く見ていた私は
プロの仕事を垣間見てしまった気になったものだ。
デザイナーさんには「いいですか?レイコさん、
当日まで絶対に指を怪我しないようにしてくださいね」
ひゃー!かっこいい!!まるで私はモデルさんか芸能人みたい!
当日は、指にはギタリストに無縁のマニキュアなどというものを塗られ、
撮影直前までハンドクリームを塗りたくって手袋だ。
カメラマンさん「もっと手に気持ちを込めて!」
ワタシ「え?手に?」
カメラマンさん「そう手にも気持ちって出るんですよ」
ワタシ「!?!、、わかりました」
体制的にはアクロバット状態。
カシャーカシヤーカシャー!!(連続撮りの音ってとっても興奮する)
撮られる私達もだんだんその気になってきた。
こういう世界の魔物みたいなものに捕まる気持ちがわかるような気がした。

できあがった写真も感動的だった。はっきりいってCDのジャケットなんかに
しちゃっていいのかなぁ、、なんてシミジミ思っていた私の気持ちを見透かすように
デザイナーさんは「レイコさん、特大ポスター作りましょう!」と言い出した。
かねてから彼女は「レイコさんってイケると思います、もっと大々的に
広告しましょうよー」と言ってくれていたのだ。「えー!」っと腰が一瞬引けるが
これから売ろうとしている人間にこんな事言ってくれるなんて嬉しいじゃないか。
そしてジャケットとは少しデザイン違いの限定100枚のポスターが刷り上がり
調子に乗ってあちらこちらに配りまくってしまい、
今わたしの手元に一枚も残っていないのが、心残り。

協力してくれたデザイン会社さん、印刷会社さん、
カメラマンさん、デザイナーさん本当にありがとうでした。

さてそんな中、10歳の息子がインフルエンザで2週間の入院。
好き嫌いが多いヤツだから病院食を食べない。
昼・夜お弁当を作っては病院に通い、つきそいながらのレコーディング作業が続く。

そしてCDは発売された。すぐに営業に走りまわる毎日。
CDが出たとたん恐ろしいほど外から色々なことを言われだす。
今まで仲良くしていた友達が急に冷たくなったり、歌の先生が冷たくなったり・・・
CD店だって氷以上に冷酷な態度のところも数しれず、、悔し涙をぬぐいながら
凍てつく札幌の街をひたすら歩き、ひとりぼっちで営業の日々。

はじめてのラジオ出演。こちらもメディアという組織にあぐらをかいた連中の多い業界、
「へーデビューでもしたいんですかぁ?」などと、嫌なことばっかり言われる。
「その年で、、」「その顔で、、」「その音で、、」なんでも言われた。プン!
でもそんな中「レイコ」をアーティストと扱ってくれる志しの高いラジオ局もあった。
メジャーな立場にいる人でも、陰ながら応援してくれた人もたくさんいた。

まだ、オロオロしていた私に次に襲ったまたまた息子の入院。
今度は手術を伴うものだった。
真夜中、救急車で運ばれたのに「風邪です」とむげにされた。
次の朝10才の息子をおんぶして、下の娘を抱え違う病院に転がり込む。
間髪入れずドクターから「盲腸です。速攻オペです。」と宣告された。
「やっぱりね、だから救急車呼んだのさ!」母のカンは侮れないのである。
私も過労からか39度の熱があったために点滴を打ちながら手術が終わるのを待った。

その息子もやっと退院して、一週間後、病が発覚して1年半、
ずっとずっと闘病生活をがんばってきた私の12歳の時からの大親友が、天国へ。
亡くなる三日前、最後に会った時、何もしてあげられなかった
私に「夢をありがとう」と、言ってくれた大好きな親友。
6月に入ったばかりの初夏の頃だった。
泣いても泣いても悲しくて・・・もうだめかと思った。

それでもやっぱり、そんな時私を支えてくれたのは、ファンさん達と身内達。
こうして、思い出してみると、友達も、親戚も(笑)、恩師も
先輩も、過去の同僚も、子供のお母さん友達も、またその友達も
たまたまCDをレコード屋さんで見かけたり聞いてくださった方も
Webで知り合ったまだお会いしたこともない方達もCDを購入してくれ、
励ましてくれた。
もうほんとうに書き切れないほど沢山の方達に支えられて
この一年を過ごしたきた。

ドタバタドタバタとたいへんだったように思えた1999年も、
結局は日頃の精進のおかげか(^^;)>
すばらしい人達との出会いという宝物を手にした一年だったようである。

「ファンの皆さん、本当に本当にありがとう!
2000年こそ「レイコの年!」やります!
「いい曲」を作ること!レイコの目標は変わっていません。
たくさん勉強して、ミリオンヒットが出るまでがんばるつもり!」

ああ、、私ってなんて真面目なんだろう、
こんな私のために皆さん!
「同情するならCD買っとくれ!」

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