文筆家のことを心から尊敬する。
毎月、または毎週、または毎日、「締め切り」という
恐ろしい言葉と戦いながら
人間なら皆体験するような些細な出来事を「う〜ん、、」と
唸らせる文章にするのだから
これって、やっぱり才能ってヤツだ。
何が言いたいのか?
フヒヒ、、このエッセイを書くことに「締め切り」の文字がないから
怠けて書いていなかったことを「言い訳」してるんで〜す!テヘ!
今日は6月の最後の日。あれ?前回エッセイ書いたのっていつ?
そう、、私ってば、本当に「いいかげん」を絵に書いたようなヤツだ。
先日も性分に全く合わない「子供のPTAの役員会」をさぼることになってしまって、
同じPTA役員さんに、こっぴどく叱られ、
ランチ2人分をおごるハメになってしまった。
「いいかげん」とはお金のかかる事である。
しかし、「締め切りがある」「約束がある」仕事ということは、
言い換えればその道のプロであるという事でもある。
一体誰がフリーターさんに「定時出勤、精鋭労働、
私語禁止、献身残業」を期待するであろうか。
やはり最後の頼みは「正社員」!金字塔に輝く印篭のようなこの言葉!
それでは、レイコが正社員だった頃の話しをしよう。(強引)
学生時代からレコードと楽器とライヴ活動のために、
そのほとんどをバイト地獄で
過ごした私の青春を誰か返して、、、(この話は今度書きます)
そして、正社員時代、お給料を使う時間もないくらい
労働に勤しんだ私の青春を誰か返して、、、、と、いう話しだ。
私は美大から病院へ就職した。
一体、美大と病院に何の関係があるのだろうか、、
美大で中学美術の免状をとった私は一時「美術の先生」に憧れた。しかし、、
この話は次回にすることにして、
ともかくも私はお国の経営する新しい病院の就職試験を受けた。
たくさんの応募者が集まった中で、事務(医務)室で
最終的に採用されたのは、北大理系出身の頭バツグンに良い
5才くらい年上のおねーさんと、私だった。
たぶん、病院側としては、即戦力になるおねーさんと
愛想が良いだけが取り柄のおねーさんの二人が欲しかったんじゃないかと思う。
病院といっても、検診を主にする当時としては
新しいシステムを導入した画期的な施設で、
テレビ報道関係がたくさん取材にきて、私は毎日のようにテレビ出演した。
雑誌にものった。プロモーション用のビデオも作り、
毎日が輝くようなクリエイティヴな日々だった。
しかし、楽しかったのは最初の半年くらいだった。
全く新しい施設だったために、経営や経理の書類もない、
データもない、ノウハウもない。
前年度がないのだから、今年度はすべて自分で考え、
自分で作成し、自分でどうにかしなくてはいけなかった。
短大を出たばかりの社会を知らない若干20才のレイコは、、、途方に暮れた。
毎日が早朝出勤と残業だった。
そのうえ、一週間おきに、北海道のアチラコチラへ検診のため出張に出かける。
頭の良いおねーさんと一週間交代の出張生活、引き継ぎの時間もなかった。
検診は毎日、朝早い。朝4時に起き検診車の用意、
寒い朝はバリウムが凍っていて、ヒーターで暖めながら5時出発、
着いたら担当者と打ち合わせ、人数の確認と手配、会場の準備、
検診する各場所が一ケ所だけ混まないように時間調整、
得に看護婦さんの所は採血があり、みんなイライラしているから手伝いながら計測、
心電図を受ける人も男女が同席したら大変、
女性は女性の技師さんの場所へ御案内、
お医者様の時間を気にしながら、最終人数と検体数の確認、
検診帳等の完成、病院への連絡、
そして時には検体(血液の事ね)運搬(飛行機や電車や車でも運ぶ)
白い白衣が真っ黒になるまで働いた。
バリウムを吹き出されて真っ白になることもあった。
技師さんがシャーカステン(写真を見る機械ね)を忘れて、
真っ青になったこともあった。
足に怪我をして、包帯を真っ赤にしながら検診をして、
患者さんに驚かれたこともあった。
そんな色とりどりな毎日だった。
現役で大病院の婦長をやっている母もさすがに心配する毎日。
ボロボロになって家に帰ったらバタンキューで、次の日の朝は早い。
プライベートなんて文字は一切ない。
1年間にたった3度ほど、友人との集まりに参加していたが
「友達と逢うから今日は帰り遅くなるから」と
電話すると、門限に厳しい母が
「たまにはゆっくりしておいで」と言うほどだった。
そんなことで、出逢いもなく、
職場結婚した私は引き続き仕事をした。
結婚すると決まってから、大学病院のお医者様に告白された。
もっと早く言ってください。
同じ職場で夫婦というのは神経を使う。
さすがに一緒に検診に出るのも気がひけるということで、
私は経理や総務を扱う庶務課へ配置転換を希望した。
働きものだった私はとっても好意的に転換してはもらえたが、
それが命とりだった。
美大へ行っていた私に経理ができるわけがない。
「売り」「掛け」とかいうことばも宇宙語だ。
優しい先輩にビッチリ教え込まれて苦しんだ。
結局、1年も経たないウチに全員の給料に関わる一切と、
病院の国の監査書類、予算案という3大プロジェクトを
すべて単独でまかされることになったのである。
そのうえ、前課の仕事、つまり検診部門や医療秘書の仕事も平行していた。
目の回るような忙しさだった。
慣れない経理と、事務職と医療職の人間関係の板ばさみ、
そして新たに始めた結婚生活、
医療職のダンナさんとは会社で
「あ、○○さん(お互い名字で)おはようございます」と、
挨拶してしまうくらいスレ違いだった。
そうこうしているウチに、私は心身症になった。
症状はお給料日が近ずくと胃が痛くなる。
しかし、給料明細(当時は手書き)ができると胃は直る。
あとは、病院の門に入ると涙が出てくる。しかし、門を出ると笑える。
結局、妹の入院というできごとで、私の正社員生活は終わった。
私は正社員時代にいただいたお給料を
ほとんど使うことなく、その使命を終えた。
私が学んだ事はただひとつ
「締め切りや約束がある仕事は向いていない」という事だった。
病院開設当初、何もないところから何かを作っていく
仕事は大変でも楽しかった。
クリエィティヴな毎日は、形になり楽しかった。
検診でも、人と関わる仕事はやりがいがあった。
今日検診した患者さんと、帰宅途中デパートでバッタリ再会し、
「いやー、お世話になりました。
あなたがいたから検診中、心強かったですよ。ありがとう!」と、
言われた時、私は医療職の素晴らしさを垣間見た気がしたのだった。
でも、書類とソロバン
(レイコ、驚くべき事にソロバンで給料計算してました)だけしか
見ない毎日、毎週、そして毎月は、
「締め切り」「期限」「約束」の繰り返しであった。
誰とも話さず、時には会議室にひとり閉じこもり、
時には夜中の病院でひとり「セコムカード」を
持たされ、パチパチパチパチと、ひたすら
ソロバンをはじくような生活は、レイコには不向きだった。
振り返ってみると、こんなに真面目に仕事をしたのは
その若き20代前半の、この時期だけだったような気もする。
今の、この不真面目さはどうだろう、、、
時は過ぎ、いつのまにか、音楽のプロを目指している私。
いつか「締め切り」や「約束」で、気が狂いたい!という希望と不安を持ちながら、
今日も「締め切り」や「約束」のない作曲をし、エッセイを書いている。