1999年開設当初から大人気「レイコのエッセイ」です。 モブログ風の『写真日記〜foto diaria』(2003年9月〜2004年2月)、 現在好評のブログ『musica de blog』(2004年7月より) の過去ログ、コメントも全てこちらで読めます。 左のメニューからどうぞ。
大事だったもの

日頃、出張ばかりで道内、または全国を旅しているウチのダンナは
当然の心理だろうが、連休に何処かへ出かけるのが大嫌い。
TVの交通情報ニュースを見ながら
「なんでわざわざ混んでる時に出かけんのかな〜あ〜ヤダヤダ!」
そういって、結婚以来G・Wはウチにいるものと決まっている我が家では
「どっか行きたいなぁ」とブツブツ言ってる小学生の子供達に追い討ちを
かけるように、子供部屋の掃除をさせた。

それにしても、ほんのちょっと前の大晦日の大掃除の日には確かに
納得しないまでも、足の踏み場は確保したはず・・。
それがたった4ヶ月間で、こうも、こうもグチャグチャの部屋になるものか。
子供に任せていると、捨てられないものだらけで進まないので
ゴミ袋片手に、ゴミと思われるものをガンガン入れていくが、
「あ!それは○○ちゃんからの手紙!」
「あ!それはアソコヘ行った時、おバーチャンに買ってもらったヤツ!」
ゴミは戻されまた元の場所へと帰って行く。

そして、不思議なことにポイ!と、子供が捨てるものは
「ああぁぁ・・こんな小さいのに、こんなこと書いてかわいいわねぇ」なんていう
子供の絵や作文やイタズラ書きやマンガ等の作品だったりする。
今度は親の方が捨てられない。
ゴミは戻されまた元の場所へと帰って行く。
我が家の子供部屋のクローゼットはそういう作品だけをポイ入れして
ある収納ボックスで1杯なのだ。なんて感傷的な親だろう・・。親バカだ。

思えば自分も子供の時、ずいぶん色んなものを大事に大事に
とっておいたものだが、
それは学校の図工の時間に作った変な焼き物だったり、
アホな文章を「小説」だと思い込んだりしたものだったり、
友達からもらった「少女マンガ雑誌」の付録のレターセットだったり、
川で拾ってきた絵が書けそうな平たい石だったり(図工の教科書に
そういう作品がよく載っていたっけ・・・妙に上手なヤツ)
初恋の君から来た、そっけない暑中見舞いのはがきだったり、
毎月買っていた「ミュージック・ライフ」から切り取った
ジミー・ペイジの写真だったりしたのだが・・・
それらは一体何処へ・・何処へ行ってしまったのだろう・・・。
おそらく実家にもあるまい。おそらくどこかで自分で捨てたのだろう・・。
「もういいや」そんな簡単な「見切り」をつけたはずだ。

それらのものを何故大事にとっておいたかと言うと、やはり
時々取り出して「いい気分」になれるからであろう。
それはその物との関係者との「楽しい思い出」だったり、
苦労してがんばって作った褒めてあげたい過去の自分だったり、
自分が好意的に思う対象物を継続的に好きであったりする場合だ。
それが時と共に希薄な感情になっていき、ついにはどうでもいいものに
なってしまう。なんて残酷な我よ。

こうして考えてみると人間、長いあるいは短い一生の間に「大事なもの」
というのは「その時大事なもの」であって、必ずしも一生「大事なもの」
になるとは限らないのだ。
「大事なもの」という基準は毎日毎日少しずつ変化しているとも言えよう。

これを人間関係にそのまま当てはめたりするのもちょっと怖い気がするが
そういうものなのだろう。そうでなくては成長もない。
大事だった物があり、大事だった人がいる。
それは、その時本当にそうだったんだから・・・。

おそらく年齢がいくごと「大事なもの」は目には見えないものに
なっていくはずだ。例えば、「思い出」。

だからさー、G・Wにウチでゴロゴロするのは止めようよ。
小学生のうちだけなんだから。家族で行動するのはさー。

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