新春雑感 平成20年1月元旦(2008・1・1) 加藤 登
第二次世界大戦末期、昭和19年(1944)10月に始まったフィリピン、レイテ沖開戦はアメリカ軍の圧倒的勝利、日本海軍は壊滅的打撃を受けていたが、現地ではこの戦闘から特別攻撃隊(帰還を前提としない作戦)を編成し、帰還用の燃料を持たない飛行機が爆弾を抱えて米軍艦船に突入していった。大本営はこの戦闘の模様を神風特攻隊の戦果として、連日、新聞の一面に大きな活字を躍らせながら国内の戦意を高揚させ、昭和20年の新年を迎えていた、このころ異常な興奮を覚えながら爆弾をつんで操縦しながら敵艦につっこむのだから相手の船は必ず撃沈するだろうと思っていた。しかし実際には敵艦の対空砲火をあびて突入以前に墜落することが多かったらしい。この頃田舎の小学校にさほどの緊迫感はなく、我々卒業を目前にした進路指導は少年航空隊の募集などが主な相談内容で、強く予科練にあこがれる軍国少年だった。
平成20年(2008)の元旦に思うことは、一つの体験として昭和20年を回想することだった。昭和20年3月17日、硫黄島玉砕。3月26日、米軍沖縄上陸。6月23日牛島中将自決。8月6日ヒロシマ・8月9日長崎原爆投下。8月15日、敗戦。戦後の食糧難。過酷な昭和20年と、平和で穏やかな平成20年を思いくらべながらの大晦日だった。そんな中で昨夜の紅白は思いの外楽しく観ることが出来、「蛍の光」の全員合唱までチャンネルを回すことはなかった、笑福亭鶴瓶の一生懸命な司会とスマップのさわやかな印象が好かった。引き続きNHKの「行く年来る年」は、ぼたん雪の降りしきる白川郷に始まり、宇治の平等院、浅草の浅草寺、地震災害からようやく復興した柏崎のお寺。愛媛、久万高原の岩屋寺、桜井の長谷寺とつづいた。数年前お遍路での岩屋寺参拝は夕刻ぎりぎりになって、人気のなくなった駐車場わきで蟹と戯れた思い出が懐かしく、1300年の歴史を持つ長谷寺の回廊、行灯の火がゆれる339段も幻想的で記憶の糸をたぐりながら、平成20年の新年を迎えた。
初詣のおみくじは大吉で、澄み切った青空に風もなく穏やかな新年を迎えた割には気持ちはブルーだった。我が身の体力の衰えや、肉体の痛みからくる将来の悩みや不安も一因ではあるが、昨今の閉塞感も気力を萎えさせるもう一方の原因になっている。経済の理論も理屈もよくわからない身だけれど、グローバル化とか市場経済にまかせ、強い者はより強くさらに稼いでもらい、底辺は福祉でカバーしていく。その福祉も次第に切り捨てが始まる、そんな政治の仕組みで大都市と地方、大企業と中小企業、正社員と非正社員(派遣社員)の格差は拡大するばかりで。働けど働けど収入が増えないワーキングプアと呼ばれる人口が1千万人を超えたと聞く。富む者はさらに富み、貧しい者はより貧しくなる。政治が富の再配分に関わることなく市場経済に任せるとしたら国家にどんな意味があるのだろうか。小泉改革で大企業にはより強くなってもらうとして、貧困の拡大は国家の衰退につながらないだろうか・・・・・嗚呼。
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