ウエワク&ホーランジア 加藤登 2005・10・16
道新10月8日(火)、旭川市内版で安藤さん(忠和在住)のニューギニア「慰霊の旅」が紹介された。安藤さんは今回2度目の旅で父親の戦死した場所をほぼ特定して亡き父の思いを感じたようです。慰霊団の団長さん、副団長さんともに91歳のご高齢で、戦後60年の節目にこれが最後の慰霊の旅となった、団長さんがウエワクからの生還者だったのか安藤さんにとってお父さんの最後の地「ガイヤバ高地」が特定できたことはなによりでした。
地図の中に丸や楕円形が描かれてその中に900とか2000、多いところは一つの楕円のなかに5200とか7400と書き込んである。戦後確認された遺体の分布図です、食料も弾薬も持たずジャングルに撤退し、空腹とマラリアで死んでいったのです。楕円といってもその距離は150km〜200km、遺骨をたどることで部隊の移動した道筋がわかったといいます。

安藤さんのニューギニア慰霊の旅 。
北海道新聞、2005・10・18(火)掲載記事より借用。
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ニューギニアは東半分がパプアニューギニア、西側がインドネシア領となっている。手書きの地図で距離感はあやしいがウエワク、ホーランジアの距離でおよそ500km。
中央部は標高4000mから5000mの山岳部。隣の部隊との距離は100kmから300km。救援に向かうも撤退するのもすべて道なきジャングルを移動しなければならなかった。
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この度の慰霊団はウエワクを中心としたものだったが、私は安藤さんのご厚意で兄貴への手紙を届けてもらった。兄の戦死公報はホーランジアになっているが部隊はゲニムに撤退しさらにサルミへ移動しているのでその途中のどこかで倒れたに違いない。安藤さんからいただいた現地の写真を掲載します。

ウエワクからアイタベへ向かう道。
途中湿地に阻まれてアイタベには行けなかったそうです。

波静かなウエワクの海岸

安藤さんに託した兄への便り・この波に乗って

現地で見た家族

民家の庭先にて・ビール瓶の並び!!!
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ホーランジア、アイタペ米軍上陸
袋のネズミの日本軍は幽鬼の群れと化す ジャーナリスト・松尾博志
昭和19年4月22日、連合軍はホーランジアとアイタペに上陸した。(戦闘状況は省略)翌23日と24日は連日の豪雨でどこも泥濘と化し連合軍の動きは鈍かった。稲田少将は第6飛行師団を23日夜から飛行場地区から撤退させセンタニ湖西端に移動させた・・・・(略)・・・ゲニムに向かった稲田少将の第6飛行師団の方も、落伍者が相次いだ。遮蔽物のないところは空襲を怖れて夜間行軍し、安心して歩けるジャングルは道なき道で伐開しなければ前へ進めない。後衛の北園部隊は健兵800人がセンタニ湖西端地区の防備に残ったが、3日と持たず撤退せざるを得ず、稲田部隊の後を追った。稲田部隊と北園部隊がゲニムに到着したときにはホーランジア守備隊計1万4千5百が7千人強と半減していた。ゲニムから先は飢え、マラリア、密林との闘いが続いた。サゴ椰子の繊維から採る粗製デンプンとタロ芋が主食で、先行の稲田部隊はまだそれらを採取できたが、後行の北園部隊はヘビ、トカゲ、虫類など何でも食べねば命をつなげない。標高400から800mで重畳する山岳と大小無数の河川。渡河中に急流に流され死ぬもの続出。スコールでずぶ濡れのまま密林にごろ寝しマラリアの発熱で動けなくなるも多かった。6月上旬から中旬にかけて、稲田、北園両部隊が順次サルミに到着したときその数は計2千にまで減っていた。ほとんどが戦病死であった。両部隊が歩いたあとの密林の道はすぐに草が覆い隠したが、白骨のみが各所に残って道標を成した。両部隊はサルミで1年余の自活を経て敗戦を迎えるのだが、その間にも減り続け、故国に帰った者は4百名に過ぎなかった。
(ホーランジア戦記の一部を転記しました。加藤)
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知ること、知られざること 加藤登 05・11・6
過日、10月22日、道新コラム「ひと」らんに韓国人の洪海杓(ホンへヒョ)さんが紹介されていた。洪さんは戦時中強制連行で沼田の「浅野雨竜炭坑」で働いていた。私はこの記事のなかで衝撃を受けたのは彼の強制連行より、沼田のホテルで偶然出会った道教育大岩見沢校の学生に「韓国が日本の植民地だった歴史を知ってるか」と尋ねたとき、学生は何も知らなかったという部分だ。まさか。私は今でもこの記事の方を疑っているくらいだ。もし本当なら日韓の歴史教育うんぬんといわれるとき日本の歴史教育はこれでいいのだろうかと心配になった。次ぎにもう一つの記事は11月5日(朝日)「読む・解く」米国から見る靖国参拝。上杉隆(ジャーナリスト)さんの記事のなかで、ワシントンのスミソニアン博物館では、米国歴史物語・戦争コーナーの一角に独裁者、戦犯としてヒトラー、ムソリーニ、東条英機の大写しのパネルがあるらしい。歴史は勝者が作るものといわれるが、東京裁判の是非は別にして、現時点で東条さんはヒトラーと並ぶ戦犯なのだ。上杉氏も乱暴かもしれないがと断って、小泉さんが東条英機の合祀された靖国へお参りすることは、メルケル独首相がヒトラーの墓参りするのと同じことではないか。同盟国(米国)の国立博物館の展示パネルすら変更できない以上、日本が変わるしかないのだろう。・・・・・・・。と述べている。
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ナベツネさんに乾杯 加藤 05・12・29
2005年12月28日(水曜)、テレビ朝日の特番「報道ステーション」を見て感想を書いている。私はNHKのプロジェクトX最終編が終わってからチャンネルを変えたので、前半小泉チルドレン20人のバトルの内容はわからない。ただ最後にYes・no で答えていたのは小泉さんの靖国参拝は国民の為になっているか!。Yes12、noが8だった。憲法9条の改正については賛成18、反対2の割合だった。
つづいて古舘キャスターが読売新聞本社に渡辺恒雄氏を訪ねてインタビューしたもので、対談は強面(こわもて)のナベツネさんらしからぬ温厚な好好爺の雰囲気だった。彼曰く、当時、自分(渡辺さん)は二等兵で、自分の少し上の者は作戦命令で特攻となって死んでいった、死にたくて死んだ者はいない、こんな命令を出した指導部(戦犯)と同じところに祀られ、そこにお参りに行くのはヒトラーを神社に祀ってお参りするのと同じことだ、「神社が戦犯の分祠はできないと言うなら別の追悼施設をつくるべきだ」ときわめて明快だった。思いがけないナベツネさんの発言に嬉しくなって早速ビールで乾杯した。
私は元々アンチ巨人でかねがね不遜な発言をする渡辺オーナーに不信感を抱いていた、しかしこれからは応援します、是非ぜひ長生きして日本の国の形を作ってください。元自民党幹事長の野中さんも平和憲法9条を支持し、首相の靖国参拝に反対しています。亡くなられた後藤田さんも然り、やはり戦争体験者の発言は重い。ナベツネさんの奥さんへの思いやりにも感じ入った、これからの日本については道徳と愛(優しさ、思いやり)を説いていた。同感です。
早速ナベツネさんの「我が人生の記」を買って読んでいる。
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