上原 敏 05・2・1 加藤
NHKのラジオ深夜便「日本の歌・心の歌」は戦中派老人にとって青春の思い出がよみがえる懐かしい歌番組である。1月27日は歌手「上原敏」の特集だった。妻恋道中、裏町人生、流転など聞きながら口ずさむことができる、「暗い浮世のこの裏町を 覗く冷たいこぼれ日よ なまじかけるな薄情け 夢も侘びしい夜の花」。昭和13年のヒット曲といえば私は小学2年生、多分兄貴の持っていたレコードを何度も何度もかけていたのだろう、深夜便のアンカーは斉藤末雄アナウンサー、「彼は大館市の出身で、、、略、、、。昭和18年に招集され、南方へ派遣されたが、昭和19年7月29日、ニューギニアのホーランジアへ向かう船の中で戦病死し、32歳だった。」俄然目がさえてきた、ホーランジアは兄貴の戦死した場所だ、しかし米軍の上陸作戦は4月22日、日本軍はまともな戦闘もなくジャングルに撤退し、海上はアメリカ海軍に制圧されているから7月29日に日本の輸送船が向かうはずもないとおもった。早速大館市のホームページを見ると上原敏について「ニユーギニアの密林に消えた敏は再び人生のステージに立つことはなかった」と書いてあった。この深夜便がきっかけで再びニユーギニア戦史ホーランジア・アイタペ米軍上陸作戦を読んでみた。ここにホーランジアへ上陸した日本軍の生還人員一覧表があったので掲載する。
| 部隊名 | 上陸年月日 | 総人員 | 生還人数 |
|---|---|---|---|
| 第44兵站地区隊 | 昭・18・7 | 1700 | 10 |
| 南洋第6支隊 | 昭・19・3・4 | 300 | 8 |
| 野戦機関砲35〜39中隊 | 昭・18・10・5〜7 | 516 | 24 |
| 野戦高射砲第66大隊 | 昭・18・10・17 | 546 | 16 |
| 独立自動車第42大隊 | 昭・18・12 | 300 | 0 |
兄貴の所属は野戦高射砲大隊だった、ホーランジア周辺守備隊は合計14500人、ゲニムに到着したときは7000人と半減し、さらにサルミに着いたときは2000人となっていたが、そこで1年あまり自活して敗戦を迎え、故国に帰り着いたものは400名に過ぎなかった。サイパン、硫黄島、沖縄のように有名な激戦地ではなかったが、面積が日本の2倍もあるニユーギニアに18万の日本軍が投入され15万人が死んだといわれる、そのほとんどが栄養失調による戦病死だった。マッカーサーに「連合軍の仕事をジャングルが片づけてくれた」といわれては元屈強な日本兵も浮かばれない。